三.野獣の男
ハクアは松の木々の間、白い砂利が敷かれた
小路を駆け足で進む。後ろ足で蹴った砂利が
脛の裏にあたる。道場に近づくにつれ、
周囲に人だかりがあるのがハッキリと見えて
きた。一族の者や、外の門下生達が道場の
入口から中を除き見ようとひしめいている。
「皆、通して」
ハクアの声に人々が振り返る。
「坊っちゃん!」
「お父上はどこに?」
口々に集まっていた人々が訪ねる。
「話は後だ、通してくれ」
ハクアが再度告げると、人々はあちらです、
と道場の中を指差し、ハクアに道を空けた。
広い道場の中を覗くと、敷居近くに道着姿の
若い男が仰向けに倒れているのが見えた。
他にも複数人の道義姿の男が道場内の、
板の間のいたる所に転がっている。
その光景の中心地とも呼べる場所――、
道場の広々と持ち上げられた四角錐屋根の
頂点のその下に、熊だろうか、焦げ茶色の
獣の皮を、頭から背中に被った男が道場の
真ん中にどっかと座っている。
ハクアは恐る恐る近づこうとした。
だが敷居をまたぐ際になってふと、もっと
シャンとしなくてはいけない、と思い一度
歩みを止めた。そして深呼吸をすると
道場に一礼し、男を見据えながら今度は
堂々とした足取りで男の方へ近づいて
ゆく。
「ハクア!」
入口で呼ぶ声が聞こえた。
テンジャクとミードだ。
自宅から走ってきたのか、二人とも肩で
呼吸をしている。その横には心配そうな顔を
したキキョウもいる。
カズラも駆けつけ、般若のごとき形相で
ヒステリックに何かを叫んでいる。
男は腕を組んで静かに正座したまま、
目を閉じていた。
ハクアは男の前に静かに座ると、その男をま
じまじと見た。身体は十分に筋肉がつき、
あちこち旅をしてきたのか日焼け肌である。
男が頭から被った獣の皮は、熊のようでは
あるが、両耳の前に銀の色をした角が生えて
いる。
そして、獣の頭から見える男の風貌からは、
ハクアが思うよりもずっと若い人物で
あるように感じ取れた。
「……お前がニレ道場の主か」
「いつもは違う。だが父が不在である故、
今は、そうだ」
「ふん、代わりに子をよこすのか。
父親が帰るまで待ってやる気はないが、
戦わずに不戦勝をもらってやってもいい」
「いや、いい」
ハクアはきっぱりと断った。
「ふん。私は武者修行の者、ジュラ。
各地を巡り自らの力試しをしている身
である。どうか、お互いの威信をかけて
手合わせ願おう。お前が勝てば、俺が
被るこの獣を。これは俺の誇りで、命より
大切だ。そしてこちらが勝ったら道場を
倒したという証を。
そうだな、あの掛け軸がよい」
ジュラと名乗った男は、奥の床の間に
掛けてある掛け軸を指した。
道場の座右の銘である『勇知心身』という
字が墨で書かれている。
ハクアはカズラをちらりと見た。
彼の母は無言で頷きを返す。
ハクアは声高らかに宣言する。
「その申し出、承った」
「皆、倒れている者の手当てを頼む」
ハクアは入口に詰めた人々に声をかける。
「戦法は何でもよい。俺はこれを使うぞ」
男は腕組みを解き、立ち上がると手の甲に
装着した鉄爪をハクアに見せた。
道場の入口に集まった人々がどよめき声を
あげる。
噂通り、本当に爪で戦うのかと。
「俺はこれで戦う」
ハクアは道場の床の間につかつかと歩いて
行くと、飾ってある刀を持ち上げた。
様子を見いたテンジャクとミードは
顔を見合わせる。
「あいつ、本物の刀使ったこと
あんのか?」
「いや、ないと思うよ……」
「キキョウ、これをハクアに渡しておくれ」
カズラがどこから持ってきたのか、
懐に抱えていた木刀をキキョウに渡した。
キキョウははい、と頷くとハクアに駆け
よった。
「ハクア兄、母上様がこれをと」
「いや、だけど」
鉄の爪を目の当たりにし、こちらも攻撃力が
高いものを使いたいとハクアは思ったのだ。
そんな考えを読み通したのか、カズラは
ハクアに聞こえるように声を張り上げる。
「お前はまだ人を斬ってはなりません。
それに、使い慣れた木刀の方が
お前の力を発揮出来るでしょう」
キキョウはハクアから真剣を預かり、
木刀を手に握らせる。そして不安そうに
彼を見つめながら、思いを込めるように
ハクアの手をギュッと握った。
「ハクア兄様、どうか御武運を」
周りで倒れていた怪我人が外に運ばれ、
道場のよく磨かれた板の間には二人の人物が
向かい合うのみとなった。
ハクアは間合いを取り、木刀を構えた。
たいしてジュラは大柄な体を少し曲げ、
両の鉄爪をこちらに向けると、
まるで熊が襲いかかるかのような姿勢で
ハクアに構えるのであった。




