二十三.要らないの一言
「ラウルスめ! 腑抜けおって」
シルクスの怒りを帯びた声が洞窟内に響く。
叱られたラウルスはびくりと跳ね、
ジュラの背中でめそめそと泣きじゃくる。
「シルクス、恐すぎ」
どうやらお互いに知った馴染みではあるよう
だが、あまり良好な関係ではないらしい。
それよりも、ハクアが驚いたのはラウルスが
想像していたよりもずっと幼い雰囲気で
あったことだ。
そして本当に人語を話す動物が存在するのだ
という事実を目の当たりにして、あまりの
珍しさと好奇心に、ハクアはシルクスと
ラウルスを交互に見やっていた。
「何が恐すぎ、だ。そもそも、いつまで人の
背におぶさっているつもりだ!」
ラウルスはそう言うなりジュラの胸元に
飛び掛かり、ラウルスの手を結んである紐を
爪で裂いた。
あまりの素早い出来事に、ハクアもジュラも
呆然と身動きが取れずにいた。
支えを失ったラウルスは、自身の重みで
ジュラの背中からずり落ち、地面へドサリと
うつ伏せに落とされる。
だが、それでもラウルスが自ら立ち上がる
気配は無く。
「プォーン。ジュラぁ。おんぶしてよ、
お願いだよ、プォーン」
ラウルスはジュラから引き剥がされてなお、
相変わらずめそめそと甘えた声を出して
いる。当のジュラは、あぁ暑かった、と
ばかりに自身の顔を手団扇で仰いでいた。
「ラウルス、よさぬか!
……噂は聞いておったが、お主がここまで
鋭気を失っておったとは。
そんな様子じゃ恋に破れるも当然だな」
どうやらシルクスには、ラウルスが失恋で
腑抜けになったことは既知の様子らしい。
何か仲間同士のネットワークでもあるの
だろうか。
不思議に思うハクア達をよそに、シルクスは
自分の手を舐め、呑気に毛繕いをしている。
「して、相手は?
仲間達は誰も知らないようだ」
「……シルクスには言いたくないよ」
ラウルスはそっぽを向いた。
シルクスは碧色の目でジュラを
ちらりと見やる。
「俺も知らない」
シルクスは、ラウルスを背負い共に行動を
していたジュラならば何か知っていると
思ったのだろう。
だがジュラはかぶりを振った。
「でも、あの子は突然いなくなっちゃった。
明日もここで会おうねって約束した。
あの子、いつもそこにいたのに」
シルクスに恋の相手など言いたくないと
強情を張ったラウルスであったが、それでも
悲しい恋のことを思い出してしまった彼の目
からは、大粒の涙が溢れ出ていた。
「そこにいたって、どこのこと?」
ハクアがラウルスに優しく話しかけた。
ラウルスはつぶらな黒目でハクアを
見つめる。
「君がハクアだね?
ずっと前は、脅かしてごめんよ」
ずっと前に脅かした、というのは、ハクアが
ジュラからラウルスの秘密を初めて聞いた
日の出来事を言っているらしい。
そのときラウルスを触ろうとしたハクアに、
彼は幻覚を見せて驚かせたのである。
「あれは、スイレンにやって来る前のこと
だった。ある家の納屋に、あの子は隠れて
たんだ。
朝も、昼も、夜も。
名前も知らないけれど俺は可愛いあの子に
一目惚れだった。あの子は俺のことを
怖がりもせずに、ただ話を静かに聞いて
くれていたんだ」
一日中納屋にいるなんて、その家のペットか
何かかな、とハクアは思った。おまけに
ラウルスは熊やムササビに似た獣だし、
一目惚れの相手も同じく獣だろう、と。
はたして、猫か犬か、その他か。
「どんな見た目だったの?」
ハクアは尋ねた。
「おれにそっくりで…熊みたいだけど角が
生えてて。あと茶色くて……」
「茶色くて?」
ハクアはその先を促した。
「き、き、キスしたらすごく甘かった……!」
そこまで言い終えるとラウルスはあまりの
照れから顔を覆い尽くして悶え始めた。
ラウルスのその様子にジュラとシルクスは、
はぁ、と溜息をつき呆れている。
「今度一緒に探そう。
だから、おんぶされずにちゃんと自分で
動くんだ。わかったね?」
ハクアが優しく諭すと、
ラウルスはこくんと頷いた。
その様子を見ていたシルクスは
にやりと毒づく。
「おそらく、この洞窟を出て私から離れた
途端、再びこ奴は腑抜けになると思うぞ。
ラウルスは私が恐くて、この場を凌ぐ為に
そう言っているだけだ」
ラウルスは今、ようやく獣らしく堂々とした
四足歩行の姿に戻りつつあったのだが、
シルクスのその言葉を聞いてびくりと体を
震わせ、後退りする。
「そ、そんなことないよう」
シルクスはふん、と鼻でラウルスを嘲けると
ハクアに向き直る。
「さて、ニレの子よ」
「!? なんで俺のことを知っているの?」
「ニレの者は匂いでわかる。
我らと縁があるものでな」
「縁だって?
君達の話は家族から聞いたことないよ」
「知らないだけだ。そう、お前達は何も
知らない。そして、滝の一族たちは、
知っているようで知らぬふりをしている」
「滝の一族って、僕達ニレから見たら本家
でしょ? 会ったことないけど」
「会う必要などない。
あやつらただの愚か者だ」
「……君は何を知っているの?」
「この目と耳で知り得ること、総て」
そう言ってシルクスは白い三角耳を
ピクピクと動かした。
「さて、私がラウルスに付いて、一から鍛え
直してやってもいい。だがその前に、
お主達がそれに見合う人物かどうか確かめ
させてもらおう」
「? どういうこと? ……!?」
ハクアは顔をしかめた。
だがその直後、彼が目を見開き、おののいた
その視線の先には――。
シルクスが牙を剥き、唸りながら、
今にもこちらに襲いかかろうと前傾姿勢に
構えていたのである。
背後でラウルスが慌てたように叫ぶ。
「いい、いい、要らないよ、鍛え直すとか
絶対に要らないよ! それにあいつ、
俺よりもずっと先に生まれて、ずっと強い
んだ! やめときなよ!」
「いいや! そっちがその気ならば!」
ラウルスの忠告もむなしく、
ジュラは応戦するべく構えをとった。
「よし!」
ハクアもそれに続く。
「何勝手に話を進めてるんだよ!?
本当にそんなの要らないってぇ~!」
ラウルスの叫び声が、ただ虚しくその場に
反響するのであった。




