二十一.駄々っ子の意志
ハクアの手によって青銅の扉が
静かにそっと開かれる。
ハクアは扉をそっと開けるように、との
メリザの忠告を思い出していたのだ。
音を立てればコウモリが気付くのか、
はたまた洞窟内や扉の構造に
何か影響を与えるのか。
ハクアは忠告の理由は分からずにいたが
警戒を怠ってはならないという
雰囲気だけは理解できたのだ。
その後、扉を再び閉じるべく後ろ手で
押し戻すハクアであったが、青銅の
金属越しにふと妙な感触が
手に伝わってくるのを覚えた。
――扉がきちんと閉まっていないような。
山の洞窟内に設置された扉だといっても、
ちゃんと壁に枠が整えられたきちんとした
扉だ。青銅で出来たそれは多少重みのある
扉ではあるが、決して子どものハクアに
動かせない重さではない。
後ろ手に伝わってくる違和感の正体は――。
ハクアはドアを振り返った。
思った通り、枠と扉の間には少しばかり
隙間が開いている。
もう、と思いながらハクアは扉を再度
押し戻すが、何故かまたも感じる違和感。
「どうしました」
ジュラも後ろを振り返る。
そのとき、ようやくハクアは理解したので
あった。手に感じていた違和感の正体が
果たして何であるのかを。
「ええ~!?」
ハクアは驚きに思わず声を上げる。
ジュラも、ああっと息を飲んだ。
ハクアが一生懸命に閉じようとしていた
扉と壁の隙間には、何とラウルスの後ろ足が
挟まっていたのだった。
「ごめんごめん、痛かったね」
ハクアは半ば驚きを隠せないまま、
返事を返さないであろうラウルスに
彼の足が挟まったまま無理やり扉を
閉じようとしていたことを詫びる。
扉を開き、足を取り除こうとするハクアで
あったが、なんとラウルスの足の甲は扉の
縁にしっかりと引っかかり離れようとしない。
「どういうこと?
まさか自分で挟んだの?」
扉に両足が挟まっていたことに気づいた
時点でその考えが頭をよぎったものの、
ハクアはまさかとは思っていた。
だが、やはりそれしか考えるより
他に無いようだ。
何故ならラウルスの形状は平らであるが
その体重は人間の子ども以上にある。
それに例えジュラが彼をマントのように
被っていても、ラウルスは決して布ではなく
どっしりと筋肉が付いた生物であり、
自然にふわりと舞い上がって扉に
挟み込まれるような性質ではない。
つまり今ハクアの目の前で起きているのは
不自然な現象なのだ。
「お願いだから、足を外して……!
扉を閉めないと!」
ラウルスの足はしかと扉にしがみつき、
ハクアがどれだけ力を込めて引っ張っても
剥がれない様子にジュラも手助けをする。
ジュラは身を捩り、自身の背中におぶさる
ラウルスの腹を抱えて引っ張った。
ラウルスの柔らかそうな毛にジュラの鉄爪が
かかって、少しばかり痛そうである。
「ラウルス、動け!」
二人が勢いをつけてその身を引っ張ると、
ようやく後ろ足は扉から引っこ抜かれた。
だが、その反動で跳ねた青銅の扉は、鈍く
大きな音を立てて閉じたのである。
「げげ。静かに閉じられなかったよ」
重い金属音が山の坑道内に幾重にも
こだまする音を聞きながら、ハクアは
ラウルスをちらりと見た。
「ねえ、もしかするとラウルスって
もう動けるんじゃない?」
先程彼はおそらく、自分の意思で扉に
引っかかっていたのだから、と
ハクアはジュラに尋ねる。
当のラウルスは相変わらずジュラの背中で
鼻をヒクヒクと鳴らしていた。
「そうかもしれませんね。ここらでひとつ、
試しに降ろしてみましょう」
そう話していた、そのときである。
どこからか聞こえてくる、聞き慣れない音。
どうやら何かの羽音のようだ。
それも一つや二つではない、沢山の。
「コウモリだ!」
おそらく扉の音に反応したのだろう。
二人はじっと息を潜める。
しばらくの間そうしているとやがて羽音は
静まり、どこか遠くへと消えて行った。
「ラウルスはそのままにして、先へ進もう。
今度こそ音を立てないように」
ジュラもこくりと頷いた。
二つの坑道を結ぶトンネルは先程二人が
通ってきたトロッコ道に比べると
人の手による整備が行き渡ったような
場所ではないようだ。
地面はごつごつとした岩肌のまま。
現坑道のように壁に電球もなく、人工的な
道というよりは自然に出来た洞窟のような
雰囲気であった。
暗闇が続くトンネル内を、二人は持参した
懐中ライトに頼って奥へ奥へと進む。
「このまま真っ直ぐ進めば旧坑道に
出られるらしいよ」
ハクアは暗闇に少しばかり気後れする自身を
励ますように、小声でそう話す。
前を行くジュラは物音を立てることを警戒
している為か、返事をしない。
それでもハクアはぼそぼそと何やら
坑道の分析を独りごちる。
「そういえば、ここから先に進んだ旧坑道の
入り口にもさっきみたいな扉があるのかな。
でも、鍵はもらっていないから無いのかな。
だからコウモリはここまで生息してるのか」
「ハク坊、もう少し落ち着いて静かにして
ください。コウモリが怖いのですか?」
ジュラは緊迫感からか苛立ち気に囁く。
「そんなわけないよ」
ジュラに少しばかり揶揄されて、
ようやくハクアは静かになった。
それからしばらく洞窟内を進んだとき、
ようやく前に行き止まりかつ、横に道が
開いたT字路らしき道が見えてきた。
「あれがきっと旧坑道だ」
いよいよと思い、ハクアがふとラウルスを
照らすと、なんとラウルスは閉じた瞳から
ぽろぽろと涙を零しているではないか。
「!?」
驚いたハクアが、ジュラにラウルスの
様子を伝えようとしたとき。
先に口を開いたのはジュラであった。
「ハク坊、行き止まりです」
それは隣に立つハクアにすら聞こえるか否か
囁きよりも小さな声だった。
「なんで? 道はあるよ」
「前を見てください」
ジュラの言葉にハクアは目を凝らし、
自身のライトで照らされた前方を見る。
突き当たりに拓けて見えるのはレールが
敷かれた横道。あの場所が旧坑道なのは
彼には一目瞭然である。
ジュラは何を言っているんだ――。
そうハクアが思ったときである。
ようやくハクアは気づいたのだ。
ジュラが何を見て『行き止まり』だと
言ったのかを。
入り口に抜ける上壁で、何かがざわざわと
うごめいている。
目の前に見える旧坑道の手前の天井には
沢山の――、それも夥しい数のコウモリが
ぶら下がっていたのだ。
「……」
思わずハクアは顔を引きつらせ、絶句した。
「……」
隣のジュラも同じ様子であった。
「引き返そうか」
「そうしましょうか」
鳥肌が立つような光景に、二人は静かに、
何とか穏やかに背を向けようとするが――。
「プォォーン」
突如、洞窟内に響き渡る、正体不明の音。
それは象の鳴き声や、オットセイの
それに近かった。
「ラウルス!」
ジュラが背後のラウルスを諌める。
不明音の出所はどうやら彼であったようだ。
ハクアは変な鳴き声だなあ、と思いつつも、
今はそんな呑気なことを言っている場合では
ないと、目の先の天井を見上げると。
ラウルスの立てた『音』にざわめき蠢き
始めるコウモリの群。
一匹が羽ばたき、次に三匹、七匹。
その数はどんどん倍以上に増えていく。
「逃げましょう」
「ああ!」
もはや音を立てることもはばからず、
二人は一目散にと来た道を駆けて戻る。
背後からは侵入者だと言わんばかりに敵を
察知し、排除せんと追い来るコウモリ達。
やがて追いついてきた一匹のコウモリが
ハクアの頭上を掠めた。
その大きさ、身長は大人の拳、約三個分。
両翼それぞれの長さもそれと同等、
立派な大コウモリである。
二人の頭上にはかつて聞いたことの無い、
何ともけたたましい羽音と鳴き声が。
その音こそが、大コウモリの群の大きさと
それが彼らに押し寄せんと今にも縮まって
いく距離を表していたのである。




