十六.鉱山へ
テンジャク達がスカイジオ高学院に入学して
一ヶ月程経った。季節は初夏に近づきつつ
あり、よく晴れた日が続いていた。
そんなある日。
ハクアはジュラとともにスイレンよりやや東
に位置する、『ラニッジ鉱山』という場所へ
出掛けることとなった。
ことの発端は一日前。
ハクアとジュラが道場の雑巾がけをしていた
ときである。この日は気温が高く、忙しく
体を動かしていると額から汗がじわりと滲み
出た。
そしてジュラが突然、苛つきを吐き出すよう
に言い出したのだ。
「いい加減に、ラウルスには自力で動いて
ほしいものです」
と。
どうやらジュラはラウルス―――、熊のような
毛むくじゃらの獣を頭と背中に被るのは、
夏場が近づくにつれてやはり暑苦しさを
感じてきたようだ。
これまでジュラは比較的涼しい地を旅して
来たらしいが、ここスイレンは盆地で夏は
とても暑い。
この絨毯のような獣を背負ってスイレンの夏
を過ごすのはいやだと、修験道一筋のような
ジュラがいかにも世俗人らしいことを言って
のけたのだ。
ジュラにとって、きっとよっぽどのことなの
だろう。ハクアはそう思い軽く同情した。
「そもそもラウルスはなんで動かないの?」
ハクアはジュラが彼を背負うはめになった
理由を聞いてみる。
ジュラは雑巾を動かす手を止めた。
「……です」
ジュラはぼそりと呟いた。
ハクアはその声がよく聞こえなかったので、
もう一度耳を傾けた。
ジュラは苦虫を噛み潰したような表情へと
変わる。
「……恋煩いです」
「ぇえ?」
予想だにしていなかった答えにハクアは
思わずすっとんきょうな声を上げた。
「恋煩い!? 獣が?」
初恋を経たばかりのハクアにも、その言葉の
意味はわかる。
しかし熊に似た獣にその状況はあまりにも
想像がつかない。
ハクアの反応にジュラはこくりと頷いた。
「獣といっても人語を操り、感情もある。
彼は百年以上恋い焦がれた相手にそっぽを
向かれ、総てのやる気をなくしたのです」
つまり失恋か――。
しかし、極端すぎやしないか。
失恋とはそこまでに気力を奪うものなのか、
とハクアは呆気にとられた。
「しかし、先日スイレン近郊にあるラニッジ
鉱山を通ったときにラウルスに少し反応が
あったのです。
ピクリと動いたような――。もしかすると
仲間がいるのかもしれません」
ジュラは、ラウルスが仲間に会えばやる気を
出して動いてくれるかもしれないと考えて
いるらしい。
ラウルスの生態について、ハクアは未だに
半信半疑であったが、実際に動くならば見て
みたいと思い、ハクアはジュラに付いていく
ことにした。
――そうしてその翌日、二人はビャッコに
事情を話し、鉱山に出掛けることにしたので
ある。
当日の朝、二人は最寄りの駅から小さな列車
でスイレンの中心街駅に向かった。
そこからは以前ビャッコがフラウェルの街
から戻ってくるのに乗車した、大きな列車に
乗り換える。
この列車は、スイレンからぐるりと円を描く
様に国の主要部を走るジオリブ鉄道きっての
特急列車である。
深緑の車体には金の縁が施され、シートが
向かい合わせに置かれたボックス席では広い
車窓が国のあらゆる景色を映してくれる。
この特急列車に乗るのは、ハクアの様な年頃
の子どもならば大抵皆ワクワクするのだが、
今ハクアの心にあるのは列車のことでは
なかった。
スイレン中心街のことである。
中心街駅は地上十数メートルの高架に建てら
れている。街には駅ほどの高い建物があまり
無いので特急の車窓からは街並みが遠くまで
見渡せた。
ここスイレンの中心街はハクアのような年の
子どもにはあまり来る機会がない。
王宮や国の主要企業で働く人々と、学生達の
場所であるからだ。
人が多く集まる場所なので商業施設もあるが
そのターゲットは子どもではなく、学生か
企業人向けが多かった。
ハクアとジュラが通勤通学の利用時間を避け
乗った特急列車は、席がよく空いていた。
二人は向かい合わせにボックスシートに座り
込む。列車が動きだしトンネルのような駅を
抜けると、車窓には枠一杯に街の景色が映り
込んだ。
ハクアは前屈みになって窓を覗く。駅前の
広場には大きな時計台がそびえ、その向こう
にはレンガ作りの王宮が見えた。
周りにはそれと似たようなレンガの建物が
所狭しと並んでいる。
ハクアの頭に浮かんだのは兄貴分であり親友
でもある二人のこと。
ハクアは目を凝らした。
二人が通うスカイジオ高学院はどこだろう、
テンジャクとミードは今何してるだろう?
と、彼は思いを馳せていた。
「テンジャク様とミード様は、ハク坊とこの
街で共に過ごされる日をきっと心待ちに
しておられますよ」
ジュラがハクアの気持ちを読み取ったかの
ように、暖かい声でそう告げる。
ハクアは中心街のレンガの街並みが見えなく
なるまで、車窓から見える景色にしばし
耽っていたのであった。
二人は東に二駅過ぎた所で降りた。これまた
国の主要駅、ラニッジ鉱山駅である。
鉱山駅はスイレン中心街駅と同じく大きな
トンネルのような形状であるが、高架上では
なく線路は地面に接している。
しかし山の中腹にその駅は位置し、標高が
高いせいか冷たい空気が漂う。
そして乗降客はほとんどおらず、改札前では
駅員達がとても退屈そうにしていた。
鉱山駅を利用する客の多くは鉱山で働く人々
である。採掘作業が始まる早朝と作業を終え
帰路につく夕方以外、鉱山見学ツアーでも
無い限り、駅周辺が賑わいを見せることは
ないだろう。
「俺、鉱山には初めて来るよ。
ジュラは何の用でこの前来たんだ?」
改札を出てすぐ、ハクアは周りを眺めながら
呟く。駅のトンネル内はやや暗いが外の光は
すぐそこまで来ていた。
「この国で世話になるにあたって、色々と
知りたいと思ったのです」
ジュラが言葉を言い終えるのと同時に二人は
駅を抜けた。視界が拓け、新緑の緑と山肌の
黒の、鮮やかなコントラストが二人の目に
飛び込んでくる。
この目の前に広がる風景こそ、ラニッジ鉱山
その場所である。
ジオリブ国の主要な産業は製鉄製鋼、そして
最たるものが時計産業だ。
この鉱山からしか採れない、『銀の花』と
いう名の鉱石は、ジオリブ産の丈夫で精巧な
時計作りには欠かせない。
ラニッジ鉱山は、まさに国の大黒柱たる山で
ある。
鉱山の入り口らしき場所には高い鉄塔が建て
られていた。
駅からそこまでの間には小さな渓谷があり、
その上に渡された一直線に伸びる赤褐色の
鉄橋を二人は渡る。
やがて鉱山の入り口に近づくにつれ、鉄塔
近くで採石を運搬する人々がハクアの目に
見えてきた。
ハクアはそちらに向かおうとするもジュラが
「こちらではありません」
と違う方へと手招きした。
「なんで? 鉱山はこっちだぞ」
ハクアは首を傾げてジュラを見る。
「あちらに、今は使われていない旧坑道が
あります。ラウルスの仲間は人の気配の
ある所には現れない。
そちらから行きましょう」
そうやってジュラが指差した場所は、多くの
人々が働く坑道よりもずいぶん離れた所に
ある、黒い山肌の前にただ錆び付いた鉄塔が
建てられた人気のない寂れた場所であった。




