十三.英雄の鑑
「ビャッコ殿。貴方はミモザ様を二週間前に
発見されていたでしょう。部下から報告が
ありましたから存じ上げています。しかし
未だに貴方はその事を秘密にしたい様で」
やはり気づかれていたのか、と何処か予感は
していたものの、ビャッコは驚きを隠すべく
押し黙った。
「しかも報告を怠るばかりか、我々の目を
誤魔化そうとその後も捜索を続ける振りを
していらした」
確かにそうであった。
ビャッコはミモザを発見したことを、事情を
知るロウガやカズラなどの近しい人々にも
言えず、未だミモザが見つからないと捜索に
忙しい振りをしていたのだ。
しかし、それは彼の正義感がそうさせたこと
なのだ。
自らの義が正しく、後ろめたいことなど無い
と信じ、黙りこくるビャッコであったが、
そんな彼にリオネルは追い打ちをかける。
「まさか他の女を想い、忙しいと嘘をつき
家をずっと空けていたとは。
奥方と坊ちゃんはお可哀想に」
この高官の女はビャッコがいかにもミモザに
うつつを抜かしていたという風に物言い、
口元に手を当てて彼を嘲笑ったのだった。
リオネルの的外れな喧嘩腰に付き合うつもり
はなかったのだが、家族のことまで口出し
され、ついビャッコは頭に血が昇る。
「黙れ。私の家族を引き合いに出すな。
それ以上言うと許さん」
ビャッコは声を荒げるが、リオネルは動じる
ことなく微かに笑う。
そしてビャッコに向き直った。
「そうお怒り召されるな。
私こそ怒鳴り散らしてしまいたいのです。
それに今一番気がかりなのはご家族でなく
ミモザ様のことでしょう?」
ビャッコは冷静になれ、と自らの感情を抑え
ようとしたが、やがてこの女の揚げ足取りに
逐一反応するのはとてつもなく面倒なのだと
悟り、否定も肯定もせずに応えた。
「彼女の身に何があった。簡潔に答えろ」
リオネルはつまらんとばかりに口を尖らせ、
「彼女なら、貴方が発見した数日後。
私達政府の人間と会い、その後すぐに国の
病院へと身を移しました」
「本当に無事なんだな?」
ビャッコは念を押した。
「ええ。じきに子は生まれるでしょう」
リオネルはからかい甲斐がないとばかりに、
低い声で無愛想に答える。
ビャッコは大きく溜息をついた。
「そうか。安心した。しかしなぜ最初から
そう言わないのだ」
リオネルは声色を戻し、ビャッコを正面から
見据えた。
「貴殿の出方を伺ったのですよ。
貴方が我々を出し抜いて、彼女をここの一族
に渡す機会を伺っているのかと思いまして。
しかし彼女がこの地に戻りたくないと嘆いて
いるのも知っていました。
そして結果。
彼女が生きていることすらも彼らに黙るとは
どうやら貴殿は私達の味方らしい」
ビャッコは眉をひそめる。
「そなた達の味方だと?」
「ふふ。女子どもの味方ということです。
それでこそ、ジオリブ国の誇る英雄の鑑だ」
リオネルは得意げにそう言い、不敵な笑みを
一つ浮かべた。
「しかしあの一族には何か裏がある。
私はそう感じています。
だからこそ彼女と腹の子の存在を彼らから
隠し、しばらく様子を見守る必要があると
判断したのです。
あの母子をお守りになりたいのなら、貴殿
はこのまま私に調子を合わせてください
ませ。
では私は所用がありますので、失礼」
そう告げるとリオネルは、自身の腰まで届く
長さの黒髪を振り払い、明後日の方向へと
去って行った。
侮れん女だ、ビャッコはそう思いリオネルの
去っていく方をじっと見つめていた。
やがて彼も帰路に着くべく歩みを進めるの
だが、ミモザの無事を知った安心からか、
その足取りは来たときよりも少し軽いものと
なってこの地を後にしたのであった。
帰り道、ビャッコは来たときと同じように
馬で冬の大地を駆け抜ける。
その後は船で海を渡り、ジオリブ国の港町へ
と戻ってきた。そこからは列車に乗るのだが
既に陽は暮れ始めている。
自宅のある街スイレンへと行き着く頃には
日付が変わってしまうだろう。そこで彼は
途中にある大きな都市、フラウェルの駅で
降りて宿を探すことにした。
駅を降りてすぐの所にある単身向けらしい
こじんまりとした宿で、ビャッコは一泊
世話になることにした。
彼は宿に荷物を預け、外の空気と夕食を
求めて街に散策に出掛けた。陽は沈み、
真冬の空気はますます冷え込んでいる。
しかし石畳が敷き詰められたフラウェルの
大通りは至る所に緋色の街灯が灯され、
まるで暖かい火が街を優しく包んでいるよう
である。
あの冷たい山城から戻ってきた――。
スイレンへの道程はまだ遠いが、ようやく
ジオリブ国に帰ってきたのだと実感し、
ビャッコはほっとした。
大通りには服飾店や雑貨屋、飲食店が所狭し
と並び、ショッピングバッグを手に提げた
人々が行き交っている。
道の端では弦楽器を奏でる者、それを聴き
ながらオープンカフェでジョッキビールを
飲む者。
それぞれに浮かれ、楽しげな雰囲気である。
ビャッコもたまたま街に来ていた古い馴染み
の者達に路で声をかけられ、この夜は彼らと
談笑しながら夕食を取ることとなった。
冬の寒さに負けないこの街の暖気が、彼の
張り詰めていた緊張を解きほぐしてくれた。
その夜彼は昔馴染みと夜更けまで酒を交え、
昔話を弾ませ、その後ぐっすりと宿で眠りに
就くことが出来たのである。
翌朝、ビャッコはフラウェルの街から再び
列車に乗り、スイレンへと戻った。
中心街にある国一番の大きな駅に着くと、
そこからは自宅のある郊外へと向かう別の
短車両の列車に乗り換え、数駅過ぎた所で
降りた。
閑静な住宅街を歩いている内にようやく
見慣れた瓦葺の塀が見えてくる。
彼が当主を務める、ニレの一族の敷地だ。
滝の一族から分家になったのは大昔といえど
やはり同じ一族らしい。
その塀の風貌は、山城の城下にある町並みの
それとどこか似ていた。
ビャッコは少しばかり複雑な面持ちで自らの
治めるニレの門をくぐる。
時刻はまだ昼前。道場からは子供達の威勢の
良い掛け声が聞こえてくる。
ビャッコはちらりと道場の中を覗いた。
当主代理のロウガが道着姿の子供達に腕立て
伏せを指導している。その子ども達の群れの
中に、薄い灰色の坊主頭が見えた。
ビャッコのまだ幼き嫡男、ハクアである。
ここしばらく相手をしてやれなかったが、
今日は久々に打ち合いでも付き合ってやるか。
そう思いビャッコは鍛錬が終わるのを自宅に
戻って待つことにした。
その後、昼食前にハクアは自宅に帰ってきた。
今朝は氷点下を下回る冷え込みであったという
のに、道着一枚しか着ていないにも関わらず
ハクアは汗だくである。
ビャッコはハクアのびしょ濡れの頭をしかと
撫で回し、フラウェルで買った土産を渡して
やった。
ビャッコは街で、ハクアには毛糸で編まれた
鮮やかな紺と黄のマフラーを、カズラには
今年流行りらしい花柄の入ったシルクの
スカーフを買っていたのだ。
「フラウェルに寄ったの?」
ハクアは土産に喜んでいたが、それ以上に
彼はフラウェルという言葉に惹かれていた。
ハクアは初恋の相手であるエラを思い出して
いたのだ。
フラウェルは彼女の暮らすラキニル公国から
ジオリブ国の国境を跨いですぐの所にある街
だ。
エラの父親の作品がそこで売られているそう
だから、もしかするとエラも度々訪れている
のかもしれない。
冬に入ってすぐの頃、ハクアの元にエラから
絵葉書が届いていた。
その殆どは子どもらしい挨拶文で占められて
いたが、締めくくりにこんな言葉が書かれて
いたのである。
「線香花火、次はもっと小さく見えるかな」
と。
エラは、ハクアと秋の涼しい夜に交わした
会話を覚えていたのである。
その一文を思い出すたびに、ハクアは火照る
頬を手のひらで覆って飛び上がりたくなる
衝動に駆られたのであった。
絵葉書の返事は良い話題が思いつかなくて
まだ書けていない。だけどフラウェルのこと
を書いたらエラは返事をくれるかな。
ハクアはそう思い、受け取ったばかりの襟巻
を首に巻いた。
そしてまだ記憶がおぼつかない幼少の頃に
行ったきりである、西方の街に想いを寄せる
のであった。
それから数日後。スイレンの中心地にある、
国営病院のとある一室で、赤子の泣き声が
響いていた。
滝の一族から国に匿われている女、ミモザが
出産したのである。
「綺麗な女の子ですね」
看護婦がミモザに声を掛ける。
ミモザは長かった髪をバッサリと短く切り、
栗色だった髪は漆黒に染められていた。
「名前はフォルカよ」
ミモザの腕には柔らかな布に包まれた美しい
玉のような赤子が抱かれている。
フォルカと名付けられたその赤子の柔らかな
頭には、父親から受け継いだのであろう、
炎のような赤毛がうっすらと乗っている。
滝の一族の主家の血を継ぐこの娘は、やがて
混沌としたこの世界とその運命に惑わされる
こととなるのであった。




