十二.疑点
「こちらはミモザ様の御遺髪です」
ビャッコが訝る中、そう述べてリオネルは
懐から懐紙でつつんだ髪を取り出し、丁重に
サルバト公爵へと差し出した。
公爵はそれを受け取るも、どうやら興味が
無いらしく、隣のカール子爵にそっけなく
まるで放り出すように無言で手渡した。
それを受け取ったカール子爵は、震える手で
包みを開ける。そこには白紐で結ばれた髪束
があった。彼はそれを見るなり、嗚咽と共に
自らの胸にかき抱く。
ビャッコはその胸に抱かれる髪束を遠目で
検分していた。
毛色は栗のような茶で、しかし毛先は水分を
失い色が金に近く変色している。
確かに、彼が見たミモザの髪まさにそのもの
であった。
だがミモザは三週間前に息を引き取っている
わけがない。
ビャッコは二週間前に彼女に会っているの
だから。
先程の淡々とした語りからは想像がつかない
が、だがわざとらしく悲痛な表情を浮かべる
リオネルの横顔を、ビャッコは何を考えて
いると言わんばかりに懐疑の目で見つめた。
そんなビャッコの心情を知ってか知らずか、
リオネルは彼の神経を逆撫でするような、
憂いめいた口調でカール子爵に声をかける。
「ミモザ様は随分とおやつれになられていた
様です。見つけるのがもう少し早ければ、
あるいは救えたかもしれません」
ビャッコは冷静に、この政府の女高官がなぜ
道理の合わないことを言ってのけるのか、
その真意を頭の中で探っていた。
彼の頭に思い浮かんだのはリオネルがわざと
誤った報告をしているのでは、という考え。
捜索するもミモザがどうにも見つからず、
しかし何か報告をせねばと焦った結果、聞き
及んでいたミモザの髪に似た女の毛髪を用意
したのかもしれないと。
そして別なる可能性も思い浮かんだ。
単に彼女に似た別の女と間違えたか。
残るは、ビャッコが既にミモザを発見したと
いう隠しごとを知っていて、こちらの出方を
伺っているのか。
今にもリオネルに問い正してやりたい。
その澄まし顔を歪ませてやろう。
ビャッコはそう思い、またそうする為の
台詞も喉元まで出掛かっていた。
しかし彼は自身の感情を抑え、決してそう
しようとはしなかった。
ここで彼がリオネルをどのように詰問しよう
にも、その真実を問い正すにはミモザが
二週間前に生きていた事を話す他ないからで
ある。
そうすれば、何故すぐに報告しなかったのか
と一族への忠誠を公爵から疑われかねない。
さらにはミモザが生きているのかもしれない
と、この地には戻りたくないと嘆く彼女に
再び捜索の手が伸びてしまうだろう。
しかし、公爵は何の為に彼女を捜すのだ?
カール子爵の為に?
それならば最初から婚姻を許せば良かっ
たのだ。
それとも主家の血を継ぐ腹のわ子の為に?
息を引き取ったと聞き、労わりも、悲しみ
すらも見せないのに?
ビャッコは様々な考えを巡らせながら、何か
嫌な予感が脳裏によぎるのを感じた。
「なぜにすぐ報告してこなんだ」
諌めるような強い声色が玉座の間に響く。
ビャッコは自らに問いかけられたのかと、
思わず体をびくりとさせた。
公爵はリオネルに問うているようであった。
だが諌めるのは、ミモザの安否について関心
があったからではないだろうとビャッコは
推察していた。
公爵は、彼自身への忠誠度に関して問題視
しているのである。
自分たちこそがジオリブ国との外交において
優位であることを、しかと確認させようと
していたのだ。
事実、そうであった。
彼らは武力が何よりもの資源で、主に傭兵や
戦力供給、または兵力開発の手助けで財を
成してきた一族である。
滝の一族を制するものは戦や外交を制して
きたのだ。
リオネルも公爵の意図を察し、目上の者に
媚びるような目付きで釈明した。
「報告は先日聞いたばかりでして。すでに
本日の召集のお触れを受けていたので、
この時に申し上げようと思ったまでに
ございます」
このときリオネルは、聴力の良いビャッコに
聞こえるか聞こえないか位のわずかな音で
舌打ちした。
想像すれば容易であろうに、わざわざ聞くな
とでも思っているのだろうか。
「あやつは何か申したことはなかったのか」
再び公爵はリオネルに尋ねる。
リオネルは首を横に振った。
「いいえ、私は何も存じ上げません」
――彼は私をずっとだましていた――。
再び脳裏にミモザの言葉が甦る。
ビャッコはカール子爵の方をちらりと見た。
彼は髪束を掴むその手で、顔を覆い泣き
崩れているように見える。
しかしビャッコは違和感を感じ、すぐに
それが何であるかに気づいた。
子爵は自身の目を指で隠しながらも、その
隙間からじっとこちらを見ていたのだ。
ビャッコはぞっとし、咄嗟に目を逸らした。
結局ビャッコは、彼が知るミモザに関する
情報を何も話せずにいた。
そこからのサルバト公爵の彼らへの対応は、
実にあっさりとしたものであった。
気が済んだのか、
「もう行ってよい」
と手払いしながら公爵は席を外し、玉座の間
を後にしようとする。
すると、リオネルが思い出したように声を
掛けた。
「そうでした。ミモザ様が息を引き取られた
のは三週間前ではなく、二週間前でした。
失言をお許しください」
なんだと?
ビャッコはまたしてもリオネルを振り返る。
公爵もリオネルの声に一瞬立ち止まる。
が、呆れたような溜息混じりに、
「どちらでもよい」
と言い放つと奥の間へと姿を消した。
脇に控えていた執事の老人が侍女に指示し、
二人は土産にと滝の一族の紋が彫られた金貨
を数枚渡された。
二人は玉座に残っているカール子爵に丁寧に
礼を述べ、立ち去ろうとする。
「すまぬが、ジオリブの者たち」
声の主は子爵であった。子爵は玉座を降り、
二人のもとへと進み出ようとしている。
ビャッコはふと不意を突かれ、心の中で少し
ばかり身構えた。
「これをミモザと子の傍らへ置いて欲しい
のだ」
そう言うなり、子爵は懐から銀に縁どられた
宝玉――、まるで珊瑚礁の海のようなメノウ色
の宝玉の付いたペンダントをリオネルに渡し
たのである。
「私が責任を持ってお届けいたします」
リオネルはそれを丁重に受け取ると、どこ
から出したのか小さな風呂敷のような布に
ペンダントを包み、懐へとしまう。
「お悔やみを申し上げます」
ビャッコは深々と頭を下げた。彼はいつの間
にかリオネルの話に調子を合わせていた。
決して、この蛇のような女を庇うわけでは
なかったが公爵たちに対して感じる何かが、
自然と彼をそうさせた。
二人は玉座の間を後にし、再び出くわした
光と水の枝を持つ木を尻目に、石段を降りて
山城から出た。
冬の陽は普段ならばそれほど眩しさを感じ
させないものだが、暗い洞穴から出た直後の
ビャッコの目にはとてもよく染み、そして
懐かしさを感じさせた。
城から十分に離れ、ビャッコは周囲に人気が
ないのを確認した路地裏で、先を足早に進む
リオネルに詰め寄った。
「どういうことだ。
ミモザは無事ではないのか」
リオネルは振り返り、白けた目でビャッコを
見据える。
「いいえ。ご無事に生きておられますよ。
しかし、どういうことだとは、こちらの
台詞にございます」
ビャッコはリオネルが毎度の如く嘲る態度を
取るのだろうと思っていた。
だがその口調は穏やかで、妙に凛とした気迫
を称えたものであったのである。




