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風雲の場所  作者: yunika
第一章
10/79

十.ミモザの涙

「先程、彼らには名前がないと言いました。

 が、それには少し語弊があります」


ジュラはハクアが落とした湯のみを盆の上に

置き直し、再びハクアの隣に腰掛けると、

ラウルスの種族である不思議な生き物達に

ついて説明を再び始めた。


「彼らは、生物として少し特殊なのです。

 滅多に人前に姿を現さないし、その数も

 人間や他の動物達に比べあまりに少ない。

 そして、一番の特殊さはその生態が他の

 生き物達と全く異なっていることです。


 それが、彼らに名前がついていない大きな

 理由でしょう」


「どういうこと?」


ハクアは目をぱちくりさせながらジュラに

その意図を訊ねる。

ジュラの説明は、ハクアには抽象的すぎて

よく理解できなかったようだ。


ジュラはハクアにどのように言えば上手く

伝わるかと考えているらしく、言葉を慎重に

選ぼうとする。


「……俺が彼『ら』と言っているように、

 ラウルスにも仲間がいます。

 しかし、その見た目はそれぞれ全く違う

 特徴を持っているのです」


「当たり前じゃないか。

 人だって皆それぞれ見た目は違うぞ」


ハクアは当然のごとく即答する。

やはりそうきたか、とジュラは困ったように

頭を掻いた。


「そうかもしれません。

 しかし彼らはあまりにも仲間同士生態が

 違いすぎる。例えばラウルスはこのように

 熊やムササビに似ているが、他の者は馬や

 狐、蛇に似た姿など、全く異なる動物の

 特徴を模しているのです。

 ラウルス曰く同じ姿の仲間はいない様です

 し、生物学者にその旨を話す機会もない。

 生物学上で生態が確認されておらず、その

 為に種族の名前がついていないのですよ」


先程よりは具体的な物言いにハクアは納得が

いったような、しかしまだ疑問が残るような

中途半端な気持ちになった。


「不思議だな。ラウルスは先ほど目を開いた

 ように見えけど、本当に動かないのか?」


実際に目で見てみれば信じられるのに、と

ハクアは思った。そんなハクアの考えを

見透かしたかのようにジュラは答える。


「世の中には、理屈や学問で証明されない

 ことも沢山ありますからね」


まるで自身の考えの固さを指摘されたような

気がしてハクアは返す言葉を失ってしまい、

思わず俯く。

そんな様子に気づいたのか否か、ジュラは

急須を手に取り、空になってしまったハクア

の湯のみに茶を注いだ。


「ラウルスが目を開けたのは、おそらく幻覚

 だと思います。こいつは今どこも動かせや

 しませんから。

 しかし、彼はどうやら、ハク坊、あなたに

 興味を持っているらしい」


「え?」


ハクアは意外な言葉に顔をあげた。

ジュラは静かに微笑み、ハクアに湯呑みを

渡した。


「俺もラウルスに幼い頃出会いました。

 森の木陰で寝ている彼に近づいたのです。

 そのとき、先程あなたが言ったのと同じ事

 が起きました。

 ラウルスは目を閉じていたのに、彼が突如

 こちらを見て、俺めがけて近づいて来た様

 に思ったのです。

 しかし目を擦ると実際は目を閉じていたし

 動いてもいなかった。

 共に行動するようになった後にラウルスに

 尋ねたら、彼はこう言いました。

 面白そうな奴が来たから心を覗いた、と。

 そしてあなたにも先程同じことが起きた」


「心を覗かれたらどうなるんだ?」


ハクアは訊ねた。

心を喰われたりするのだろうかと思い、少し

不安げな表情を見せる。

その様子をジュラは首を横に振りながら軽く

笑い飛ばした。


「どうもなりません。

 しかし、ハク坊の心はきっと澄んでいたの

 でしょう。でなければ彼らはあなたの心に

 触れません。彼らに気に入られる素質が

 あるということです。いつの日か、ハク坊

 も彼の仲間に出会うかもしれませんね」


その言葉にようやく得心がいったのか、

ハクアは淹れ直した茶をすすると、縁側から

遠くに見える秋の山々をぼんやりと眺めたの

である。

 



場所を変えて同じ頃、ハクア達が暮らす土地

よりはるか離れた、とある山々に囲まれた

場所に位置する、広々と続く高原にて。


すっかり深緑から黄金色に変わったその大地

を、まるで放たれた白矢のように一頭の白馬

が駆け抜ける。その背には同じく白い軍服に

身を包み、深紅のマントをはためかせながら

馬を駆るビャッコの姿があった。


どれくらい馬を走らせ続けただろうか。

ようやく草原を抜け、岩山を走り、その頂に

雪化粧をうっすら乗せた高い山々が見えて

きた頃、ようやく前方に高い石塀とそこから

覗く立ち見櫓が見えてきた。


櫓の手前には大きな石造りの門がある。

両扉の中心の境目には枯木のような一本の木

の紋章が彫られていた。


滝の一族の紋章である。ここは彼らが治める

土地への入口であった。


ビャッコは番をしていた兵士に馬を預けると

門の中へと通される。ふと門が開くとき、

紋章の枯木が二つに分かれていくのが目に

入った。


その光景を見たとき、ビャッコはどういう

わけか背筋に寒気が走るのを感じた。


気を取り直し門の中に入ると、そこには多く

の人が行き交う賑やかな路地が広がって

いた。道の脇には所狭しと飲食店や商いを

営む店が立ち並んでいる。


ちょうど昼飯時であったので、飲食店らしき

建物の煙突からは湯気が立ち上っていた。


いつもならば腹が減って仕方がない時間で

あったが、彼はここに到着する前にカズラが

用意してくれた握り飯を食べていたので、

食欲を誘う香ばしい匂いに誘われることは

なかった。


彼はそのまま前方へ伸びる小道を、彼にして

はずいぶんと重い足取りで歩みを進める。


今、彼が向かおうとしているのはこの地の

当主達が暮らしているであろう山城で

あった。

 

滝の一族の長であるサルバト公爵は一族の

主家の血筋である、息子のカール子爵の子を

その身に宿し姿を消した元侍女、ミモザの

捜索についていつまでたっても良い報告が

届かないことに業を煮やしていた。


そしてこのままでは埒が明かないと、担当

している者を叱責し重圧をかけてやろう、

とビャッコを一族の山城まで呼びつけた

のだ。


しかし、公爵の予想外なことにビャッコは

このとき既に、ミモザの居場所を特定して

いたのである。


そして先日、彼女を滝の一族へ帰還させる

べく会いにも行ったのであった。


ビャッコはさっさとその報告を文書なり国の

使者なりで送っていれば、はるばる此処まで

呼び出されずに済んだのだろう。


そうしなかった理由は、ビャッコは自身が

どうするべきかずっと迷っていたからだ。


滝の一族に連れ戻すべき当のミモザが、

あの地には帰りたくないと、彼にそう告げた

のである。




――今からちょうど二週間程前のことである。

ビャッコのもとに軍人仲間から、見慣れぬ

身重の女がスイレンの近くにあるランタンの

町に身を寄せているようだ、との一報が

入った。

ミモザは、少し前からその町に住む老夫人の

家に身を寄せ、客人として迎えられていたの

である。


彼女は体調が優れないまま滝の一族の地から

長らく旅を続け、ランタンの町に着いた頃、

いよいよ貧血で倒れてしまった。


そこにちょうど老夫人が通りかかり彼女を

救ったのだ。その老夫人の名前はパールと

いった。


パールは町の男達に手伝わせ自宅の客間の

ベッドにミモザを運んで寝かせ医師を呼び、

彼女が目を覚ますと温かいスープとパンを

与えてやったのである。


その数日後に報せを聞いたビャッコがすぐ、

ランタンの町に駆けつけてきた。

パールのもとを訪ねて事情を話し、彼が

ミモザにようやく目通りしたとき、彼女の

腹は既に大きく目立っていた。


「ビャッコ様、私はお暇を頂いた身。

 もう滝の一族へ戻る気はありません」


ベッドの上で身を起し、ミモザはビャッコに

そう告げた。


ミモザは華奢で色白く、可憐さが漂う儚げな

女だったが、栄養状態が悪かったのか肌は

かさつき、茶色い髪の毛先は潤いを失い

ほつれていた。


「城を追い出されたからと言って、一族の

 土地から出ることはなかろう。

 あそこには親兄弟もいるだろうに」


ビャッコは優しげに諭したが、ミモザは

首を横に振る。


「私は親兄弟のいない身寄りのない身。

 そんな私に、カール子爵はとても優しく

 してくださった。

 彼と幸せになれたらと、私には高望みで

 あると知りながらも私は想いを押さえる

 ことが出来なかったのです」


ミモザは目頭を熱くしながら、掠れた声を

絞りだした。ビャッコは静かにミモザが

言葉を紡ぐのを待つ。

掛け布団を握りしめる、彼女のやつれた手の

甲をこぼれた涙が濡らしていく。


それに合わせるかのようにミモザの息遣いが

荒くなっていく。


「……私は今、彼に、会う勇気がありません。

 彼は、私をずっと騙していたのですから」


ミモザは嗚咽に苦しみながら、ようやくそう

呟いた。そのとき彼女の呼吸はずいぶんと

激しいものになっていた。


「ビャッコ様、もうこの辺でお許しください

 まし」


傍で二人の会話を聞いていたパールが、

ビャッコを部屋の外へと促す。

ビャッコは後ろ髪をひかれる思いをしつつ、

だが苦しげに胸を押さえるミモザの様子を

見て仕方なく夫人に従い、家を後にすること

にした。


「貴殿は知恵と慈悲のあられる将校でした。

 どうか、彼女を彼らに引き渡されるかは、

 よくお考えになってくださいますよう」


ビャッコの去り際、パールはそうビャッコに

そう告げた。

そして深々と頭を下げて、後ろ暗そうに家の

ドアを閉めたのであった。

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