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相合橋⦅あいあうばし⦆

作者: 郡司 誠

   ●プロローグ

 大阪浪花⦅なにわ⦆の道頓堀川には幾つもの名立たる橋が架かっている。御堂筋⦅みどうすじ⦆に在る、それこそ、そのままに道頓堀橋。そこから東へ、心斎橋筋の終点に位置する戎橋⦅えびすばし⦆。これが所謂⦅いわゆる⦆ナンパの聖地⦅メッカ⦆、通称引っ掛け橋である。更に一本東へ行くと太左衛門橋⦅たざえもんばし⦆。法善寺横丁、夫婦善哉⦅めおとぜんざい⦆、水掛不動さんにはこの橋が一番近く、そしてその次に、相合橋⦅あいあうばし⦆が在る。

 いつもの様に私は梅田の地下鉄に急いでいた。この最終を逃せばまたタクシーだ。今日は仕事ではない。月に一度の麻雀会の帰りである。私の会社の大峰相談役、岡本社長、そして秘書室の北野を交えての4人とメンバーは決まっていた。手加減勝負を最も善しとしないトップ2人に思い切り本音でぶつかる事の出来るこの集まりは私の貴重な息抜きの場であった。敬愛する2人の健康具合を把握しておく良い機会でもあったのだ。

 ほとんどのテナントがシャッターを降ろした薄暗い地下街を幾人もの人が忙⦅せわ⦆しく走っている。それぞれの電車のそれぞれの最終に間に合わせるべく必死である。北野と私は同じ地下鉄御堂筋線を利用する。どうやら私達も間に合った様だ。自動改札に定期を入れたその時である。すれ違いざま反対方向に出て行く彼女を見た。私ははっとしその女性の後ろ姿を目で追った。いやあれは彼女ではない。似ていただけだ。明らかに違う。20歳⦅はたち⦆前後の女性がその彼女であり得る筈がない。

「部長、どうかされたんですか」

「いや何でもない。急ごう」

 御堂筋線を共に利用する北野と私は急ぎ階段を駆け降り、上下線同じホーム上で息を整えた。

「部長、大丈夫ですか。顔色が優れませんよ。何かあったのですか」

「本当に大した事じゃない。今改札のところでね、学生時代の友人に瓜二つの人を見かけたんだ。年齢⦅とし⦆は全く違うがね」

「余程大切な方だったんですね。もしかして昔の恋人だったんじゃないんですか」

「馬鹿を言うものじゃない。ほら、千里中央行きがやって来た。早く乗りなさい。私の方も来た。また明日⦅あす⦆、お疲れさん」

「部長、それでは失礼します。今日も部長の独壇場でしたね。流石⦅さすが⦆です。お先に失礼します」

(それにしてもよく似ていたものだ)

 私は座席⦅シート⦆に腰を掛け目を閉じていた。

(あれからもう何年経つのだろうか)

 暗い地下を走る電車の心地良い震動と響きが心身の疲れを癒⦅いや⦆してくれたのか、私は座席⦅シート⦆に寄り掛かりながら深い眠りに落ち、そのまま夢の中で30年前の学生時代にタイムスリップしてしまっていた。

   ●啓 子

 その頃の私はアルバイトばかりに精を出す学生であった。親父が倒れた事もあり、小遣いが思う様に貰えなく大学1年のこの夏に働いていたお茶屋の老舗⦅しにせ⦆でその冬も商品の配達をしていたのだった。 

お歳暮の時期で贈答用のギフトセットを各百貨店に納めるのが仕事である。連日大入り袋が出るほど忙しく、夏の中元で要領を得ていた私はアルバイト学生10人程の中で最も待遇を良くして貰っていたと思う。

「マーちゃん、今帰って来たところで悪いんやけど、阿倍野店へ30セット、上本町店へ20セットお願いね」

 社員の人達は皆善⦅い⦆い人ばかりで自由闊達な職場は家族的雰囲気に包まれ残業も何も全く苦にならなかった。殊に阿倍野店への配達は一日に何度往復しても楽しかった。この老舗の社員で私と同じ歳の松井啓子が居たからだ。啓子はこの前の年、大阪で開催された万国博覧会に於いて、ミスコンパニオンガールに選ばれたほどの器量良しで、スタイルも申し分なく、背丈も私より3センチばかり高かった。夏のアルバイト帰り偶然同じ地下鉄の同じ車両に乗り合わせた時の事である。並んで吊り革を持っている私達2人に酔っ払いが絡んで来たのだった。私は露骨に啓子と立つ位置を替えつつ質⦅たち⦆の悪いその男にも態度で威嚇⦅いかく⦆しておいた。男は大人しくなりそれ以上の事には発展せずそれはそれで済んだのだが、この小さな事件が契機⦅きっかけ⦆となり、啓子とデートを重ねる内に恋人同士になっていったのである。眼鏡⦅めがね⦆を掛け背丈の余り無い私と顔立ちの整ったモデルの様な啓子とは誰が見ても不釣り合いなのだろう、私が横に居るにも拘わらず目立つ啓子にちょっかいを出す輩⦅やから⦆が多く、何度か揉め事を買ったものだった。見た目に似合わず喧嘩っ早い私だったのである。そんな2人の恋人関係も半年過ぎようとしていた。しかし、彼女とはこの啓子の事ではない。

 啓子と私は夏休みが終わり学校が始まってもほとんど毎晩会っていた。その内に深い間柄となり、2人の関係は誰もが認める周知の事実となったのだ。それから冬休みがやって来て、アルバイトとして再びこのお茶屋で世話になっていたのである。

「ねえ、今日家⦅うち⦆に来ない。お父さんもお母さんもマーちゃんに会わせろと執拗⦅しつ⦆っこいの。良⦅い⦆いでしょ」

 啓子は普段から標準語を使う。私は違う。

「ええけど恥ずかしくて苦手やなあ」

 私は強引な啓子に押し切られた。

 玄関先まではほとんど毎晩送っていたけれど、家の中に入るのは初めてでやはり緊張していた。胸の鼓動も啓子の両親に聞こえるのではないかと思えるほどであった。お父さんお母さんと顔が合うと直ぐに赤面した。社会人に成ってからの私には想像も出来ないが、それほどその頃の私は臆病者だったのである。

「こ、今晩は。は、初めまして。山川勝⦅まさる⦆です」

 名前だけはしっかりと言えた。情けない。実に恥ずかしくなるくらい頼りなかった。

(なんだこの男は。駄目な奴だ)

 公務員のお父さんは思っただろう。啓子も呆れているに違いない。果して、両親は吹き出し啓子も私の肩を突つき、

「いやだあ」

 と言って笑い出した。私は慌てて、

「すみません」 

 と何故か謝ってしまった。今度は、二階から下りて来たばかりの啓子の弟までが体を揺すり手を口に充てていた。恐らくや私に気を使ってくれていたのだろう。声は殺していた。

 私は啓子の手料理を口にした。誠心誠意、啓子が私に尽くしてくれているのが感じ取れた。温かい家庭であった。私は幸福者だった。ただ、啓子の両親の私に対する必要以上の接し方が妙に気に懸かった。

 翌日案の定、啓子より、

「お父さんね、マーちゃんの事気に入ったらしく、将来の結婚相手にと決めたらしいの」

 12月も10日を過ぎた頃であった。

 私はこの結婚という言葉を生まれて初めて現実のものとして耳にしたことが要因か、この日を境に急速に啓子から心が遠のいて行ったのである。それは見事なまでの恋の冷め様であった。

 しばらく振りで岡部と前田に会った。

「お前は随分と勝手な奴や。女の子とそんな風になると俺達を呼び出すんやからな」

「バイトで忙しくて時間が無かっただけや。もう仕事もピークを過ぎてやっとな。そう言うなよ」

 私達は、女性について恋愛について、時には偶⦅たま⦆にではあるが政治について、しかしそのほとんどが他愛の無い問題について好⦅よ⦆く夜を明かしたものだった。岡部は地方の国立大学に在籍していたが、在阪の医学部を受け直す為、休学浪人の身になっていた。前田と私は同じ大学の同じ学部で、啓子が現れるまでは、毎日行動を共にするという間柄であった。

「アルバイトやけど、大晦日の晩より正月三ケ日宝塚の荒神さんであるんや。一緒にどうや。親父の関係で頼まれたもんやから待遇は悪くないと思うし」

「そやけど山川は無理やろ。お茶屋のバイトでへとへとと違⦅ちゃ⦆うんか」

「いや、お茶屋のバイト終わってからでええんやったら行くで」  

「それにしてもデートがあるんと違⦅ちゃ⦆うの。本当⦅ほんま⦆に別れんのか」

「そのことはもう放⦅ほ⦆っといてくれ」

 私は相変わらずお茶屋で精を出していた。ただ以前と違い、阿倍野店への納品は気が重かった。今まで断った事のない、というより私の方からばかり申し込んでいたデートも、最近は終始何らかの口実を作っては避け、啓子と顔を合わせ辛かったからだ。

「今日、いつもの喫茶店で7時半に待っているわ。マーちゃんが来なくたって待ってる」

 8時を過ぎても私は未⦅いま⦆だ心斎橋の本店に居た。仕事はもう疾⦅と⦆うに終わっている。しかしどうも帰る気にはなれない。悪戯⦅いたずら⦆に何かしら時を費消⦅ひしょう⦆していたのである。

「それでは明日⦅あす⦆から寄せて頂きます。よろしくお願い致します」

 事務所からの声で、また新しく入るアルバイトの女の子らしかった。マリンルックに白いフード付きコートを小脇に抱え後ろ姿の若い女性が店から出て行った。

 私は決心した。

(今日別れよう)

 1時間程遅れて私は着いた。啓子は、喫茶店の割には暗い、どちらかと言うとスナックの様なその店の隅っこに席を押さえ、ひとり寂しくポツリと座っていた。今にも泣き出しそうであった。罪悪感を覚えている私は努めて明るく、そして不自然に、

「ごめんごめん、待たして。仕事が・・・」

 誤魔化そうとする私の言葉を遮⦅さえぎ⦆って、

「うん、知ってる。今会社に電話を入れたら、帰ったよだって」

「出よう」

 通りはクリスマス一辺倒で、音楽も店頭の装飾も全てそうであった。寒さも手伝ってか、やはり師走か、通る人通る人皆が気忙⦅ぜわ⦆しく擦れ違って行く。それぞれに目的を持ち、愉しそうに家路に着いている様に見えた。2人は天王寺公園に入った。幾つかのカップルが暗闇の中で既に気配を感じさせている。

「座⦅すわ⦆ろ」

 冷たくなっているであろう石のベンチに腰を下ろそうとすると、

「連れてって、お願い。こんなところは厭⦅いや⦆」

 私はまた抱いてしまった。啓子が愛惜⦅いとお⦆しかった。しかしもう以前のそれではなかった。私は何も言えなかった。心の中では済まないと思っていた。けれどもそれをどうしても口に出せず、いつもの様に啓子の家の玄関近くまでは送って行った。啓子は私を責めなかった。それが却って他人行儀になってしまい、お互いの気持ちのずれをはっきりと確認させたのだった。

   ●優 子

 次の朝、いつもの通り作業服に着替え、タオルを一本首に巻いて仕事場に顔を出すと、

「マーちゃん、今日から新しく入った近藤さんよ、仲良くしてあげてね。こちらは、アルバイト長の山川君」

 何の予告も無しにいきなり彼女を紹介された。

「近藤優子⦅ゆうこ⦆です。よろしくお願いします」

「えーっと、山川です。山川勝⦅まさる⦆です」

「あれえ、あがってやるわ」

「今日はどこの店から行きますか」

 彼女は明るく健康的な女の子であった。爽やかなお嬢さんといった風で、面と向かい改まっての挨拶はやはり難しかった。細かくて綺麗に並んだ白い歯が特に印象的な彼女であった。

 その日は同じくアルバイト学生の藪野⦅やぶの⦆とコンビを組んでの配達となった。

「おい、可愛い子やったなあ」

「ああ」

「あれをお下げって言うんやろ。可愛いよなあ。お前は権利は無いぞ。啓ちゃんが居るんやからな」

「うん」

「どないしたんや。啓ちゃんと上手⦅うま⦆く行ってへんのか」

「・・・」

   ●師 走

 どの筋もどの通りも混雑を極めていた。大阪の道路は南北を『筋』東西を『通り』と呼ぶ。配送トラックの中のステレオは『雨の御堂筋』(※1)を流していた。

「おい、大分⦅だいぶ⦆と遅れるなあ」

「ああ、そうやなあ」

 あちらこちらのクラクションの音が商いの街、浪花の師走を物語っていた。この日の渋滞は有難かった。苛立ちもしなかった。阿倍野店に顔を出すには心の準備が今少し欲しかったからだ。車が急に流れ出した。まもなく私達は百貨店地下三階の納品業者専用駐車場に到着した。そして直ぐに台車を降ろし、その上に商品を積み重ねた。

「山川、荷物少ないから俺ひとりで行って来たろか」

「いや、行けるで」

 地下のマンモス駐車場が窮屈に感じられる程、次から次へと商品運搬車が進入して来る。それと同時に荷物専用エレベーター前も順番待ちでごった返していた。

(このままでは益々時間が経⦅た⦆ってしまう)

「手で押して行こうか」

 スロープを一気に押し登り、細い通路を2人で前後⦅うし⦆ろになりながら、地下一階の食料品売り場に上がった。お節料理の素材の買い出しであろう、この時期の百貨店のこのフロアーは壮絶な女の戦場⦅いくさば⦆と化していた。。

「おい、これやったら台車は通⦅とお⦆らんな。一つ一つ運ぼうか」

 段ボール箱2ケースに纏⦅まと⦆めてあった商品は嵩⦅かさ⦆は高いが重くはなく、藪野と私はそれぞれを肩に担ぎ人混みの中を進んだ。

「恐れ入りまーす。通して下さい」

「済みません、通して下さい。当たっても知りませんよ」

 随分と勝手な言い様⦅よう⦆であった。どうにかやっとの事で私達は店頭に辿り着いた。

「花隈⦅くま⦆さん、これ置いときます」

 このコーナーの責任者で花隈主任である。でっぷりと肥え、女の子と見るとちょっかいを出したがる、私の最も嫌いとするタイプの人間であった。現在⦅いま⦆ならセクハラで幾度となく処罰の対象となっているであろう男である。但し、自分の会社の女性にだけは手を出さないというポリシーなるものを持っていた様で、松井啓子もこの男の毒牙⦅どくが⦆に掛からなかったのだ。

「遅かったなあ。どこかで道草か」

 私は無視して事務的な事のみ喋った。

「15セット、中から出して置きますから」

 藪野は気を利かせ、私の心中を察して、

「松井さんは紫ですか白ですか」

 と聞いてくれた。この百貨店では、お手洗いの事を紫、休憩の事を白と言い換えていた。客への配慮からの所謂⦅いわゆる⦆符丁⦅ふちょう⦆であろう。

「珍しいなあ、あの子が休むなんて」

 藪野は態⦅わざ⦆とらしく言った。休みは何色だったのか今はもう覚えていない。

 啓子は休んでいた。その日私は何度も電話を掛けようと受話器に手を置いたが、思い直した。理由⦅わけ⦆は解っている。啓子の行動も読める。だからと言って優しい言葉を掛けることも出来ない。本当は嘘でも「大丈夫?」ぐらいは聞かないといけないのだろう。しかしそれは言えず、この日到頭⦅とうとう⦆私は何の行動も起こさなかった。起こせなかったと言う癖であろう。

 次の日も休んでいた。私は昼の休憩時間を待ちダイヤルを回した。啓子が出た。元気が無い。

「ごめんな」

「マーちゃん、昨日ね、どれだけ待っていたか・・・知らないでしょ」

 受話器の向こうの啓子は泣いていた。

「まだ仕事の途中やから夜電話するよ」

 お茶屋の近くの公衆電話からだったので、会社の人の目を気にしながら私は急ぎそれだけ言って切った。

私の心は動揺していた。下ろした受話器の上に手を置いたまま、茫然自失⦅ぼうぜんじしつ⦆の状態に居た。

「ヤマカワさん」

 突然大声で背中を叩かれハッとした。高校生アルバイトの田中さん通称チビちゃんだった。女子社員の橋本さん、そして彼女も一緒だった。全く気が付かなかった。

「友達の処に掛けてて」

 誰一人何も質問はしていなかったが私は慌ててそう言ってしまった。

「お昼はもう済ませたんでしょ。お茶でも一緒にどう」

 昼食はまだであった。いつもなら断っていたであろう。しかし先程の狼狽⦅うろた⦆え振りを打ち消そうと私は女性3人に従った。

「松井さんどうしたんでしょうね。阿倍野店、まだまだ忙しいらしいのよ。あんなに真面目な娘⦅こ⦆がこの時期に休むなんて、余程の事ね。風邪

かしら。先程⦅さっき⦆の電話、ひょっとして松井さんにじゃないの」

「い、いえ違いますよ」

 私の態度は明らかに不自然で「そうです」と認めている様なものであった。

(いやだなあ、やはり来なければ良かった)

「いいじゃないの、隠さなくったって。喧嘩でもしたんでしょう。痴話喧嘩⦅ちわげんか⦆とか・・・」

 三十路⦅みそじ⦆はもう疾うに過ぎたであろうこの女史の尋問には閉口した。大恋愛の末相手と死別したという橋本さんは未だに独⦅ひと⦆り身を貫いていた。いつもは優しい女性⦅ひと⦆である。

「もう勘弁して下さい」

 私は笑って誤魔化した。

「近藤さんね、ちょっと前まで居てはった近藤明さんの妹さんなんやで。少しだけやけどお兄さんのピンチヒッターで来たんやてえ」

 高校生の元気一杯のチビちゃんが助け舟を出してくれた。

「兄からよく聞いています。山川さんや藪野さんの事。よく働くよって」

 その日は藪野と別れると、1人で心斎橋の雑踏の中を歩いていた。クリスマスのイルミネーションも音楽も全く気にならなかった。それどころか、考え事をするには意外と合っていたのかも知れない。大丸そごう前から歩き始め、気が付くと高島屋前迄来ていた。

(電話を掛けなければ。どうしよう。何と言おう。一度は掛けたからもういいか。冷酷過ぎる。嫌いになったんじゃない。結婚がいけないんだ。大学に入ったばかりの男には衝撃が強過ぎたのだ。冗談だったかも知れない。だからと言って一度冷めてしまった感情を元に戻す事は出来ない。しかし、愛していると言う嘘は吐けない。泣かれると弱くとも、やはり正直に言う癖だろう。よしそうしよう)

「もしもし、啓ちゃん。今ね、裏の公園に来てるんや。出られるか」

 啓子の家の裏に小さな公園が在⦅あ⦆った。その割に街灯が多く、昼間とまでは行かないが比較的明るい処であった。啓子は直ぐに現れた。慌ててやって来たのかコートを羽織って来なかった。

「コートは。寒くないんか。早⦅は⦆よこれ着⦅き⦆い」

 私は当時いつも愛用していたこげ茶のダッフルコートを啓子の肩に掛けた。寒がりの私には応⦅こた⦆えた。けれどもそれ以上に震えている啓子を労⦅いたわ⦆りたかった。どちらとも無く2人で冷たく暗い夜道を歩き始めた。

「これいい。マーちゃんの方が寒がり屋さんだから」

(こんな時にまで優しくしないでくれ)

 私は自分でもどう仕様も出来ない心変わりが恨めしかった。

「啓ちゃん、あのね」

「何も言わないで、マーちゃん」

 ここは都心より大分⦅だいぶ⦆と離れた新興住宅地であった。少し歩くと田圃⦅たんぼ⦆や畑が辺り一面に広がった。灯りは全くと言っていい程無く、漆黒の神社の境内まで来て、啓子はいきなり後ろから私に抱きつき、

「お願いマーちゃん、私から逃げないで。私を捨てないで。結婚なんてもう二度と言わないから。好きな人が居てもいいから。邪魔にならない様にするから」

 私は振り向く事が出来なかった。何の罪も無い啓子の泣き顔を見る事が出来なかったのだ。

(済まない啓ちゃん、本当にごめん)

 啓子は全て解っていたのだ。唯、好きな子が居ると言うのはこの時点に於いては間違っていた。

「啓ちゃん、わかったよ。他に好きな子なんか本当⦅ほんま⦆に居てへん。しばらく会わんといて、もう一度2人の関係を見直そう。多分マンネリ化していたんやと思うねん」

 確かに惰性が強く有った。連日仕事帰りに待ち合わせ、抱き合い、そして啓子の家近くまで送る、の繰り返しであったのだ。この申し出には啓子も賛成し納得もしてくれ、2人は当分の間冷却期間を置く事となったのである。

 私は精神的に少し楽になった。この間にも商品発注等の仕事上の遣⦅や⦆り取りはあったので全く会話をしなかったという事は無く、その時はお互いの近況を確認し合ったのだった。

 一週間程してクリスマスイブの日が来た。アルバイトの女の子達が配達回りの私達に昼食を作ってくれた。12畳敷きの休憩室には炊事場も在り、弁当持参の人はここで食事を摂⦅と⦆るのだ。

「近藤さん、もう今日で終わりやて。この食事会も近藤さんの企画なんよ。材料は皆⦅みんな⦆で持ち寄って。どう、美味しいでしょ」

 それは具の沢山入った中華風ピラフだった。

「お世辞抜きで旨⦅うま⦆過ぎるわ、なあ山川。これで昼飯⦅ひるめし⦆代も浮いたな」

 私は大食漢⦅たいしょくかん⦆であった。その頃の私は幾ら大喰らいしても肥えない身体⦅からだ⦆であった。皿で二度お替わりをした程本当に美味しかった。

「山川、今日帰りに皆で飲みに行こうや」

「イブやから皆⦅みんな⦆予定が有るんと違⦅ちゃ⦆うか」

「約束とかは無いんやけど、私れっきとした高校生やろ。アルバイトも本当⦅ほんと⦆言うと学校で禁止されてるんよ」

 この頃、殆どの高校ではアルバイトは禁じられていた。

「あっそうか、そうやったな。それやったら軽く食事を奢⦅おご⦆らせてや」

 高校生のチビちゃんが来るなら仲良しの彼女も屹度⦅きっと⦆来るだろう。藪野の魂胆は見え見えだった。女の子同士では活発なのであろうが日が浅い所為⦅せい⦆もあってか、彼女は大人しく無口の様に感じられた。藪野もそう思っていただろう。

 私達はと言っても結局の処、藪野とチビちゃん、そして彼女と私だけが暇だったのか、いつもの四人でその夜細⦅ささ⦆やかなクリスマスパーティーをミナミ(難波)の音楽喫茶ランブルで催したのだった。中央にステージが在り各テーブルが周りを囲んでいる。二階、三階、四階と、それぞれのテーブルからもステージホールが一望出来る様になっていた。仲々豪華な造りのその店の二階に私達は陣取り、ピアノ演奏を始め数々のミニショーを愉⦅たの⦆しんだ。テーブルの中心に立ててあるキャンドルの灯りはある程度までのロマンティックムードを演出してくれてはいたが、何分⦅なにぶん⦆メンバーがメンバーである。アルコールも無く所詮子供のお遊びの域は出ず、特に高校生のチビちゃん等は珍しかったのであろう、

最初から最後までキャーキャーとはしゃいでいた。ワンプログラムが終わりキャンドルが減り灯⦅ひ⦆も消えかかろうとしている時、私達もお開きにした。

「これで近藤さんは終わり、チビちゃんもあと二、三日、俺達は最終日まで。この際やから皆の電話番号をメモっとこうや」

 携帯電話等無かった時代の事である。行動派らしい藪野の発案だ。

「さよなら元気でね」

「元気でな」

「皆も元気でね。また会おうね。屹度ね」

 その次の日からの仕事場は活気が全く無い様に思われた。配達の仕事量が極端に減った事もあるだろう、あの藪野も元気が無かった。いつも明るいチビちゃんですらも口数が少なくなった。藪野やチビちゃんが大人しいのは、明らかに彼女の所為⦅せい⦆だ。斯⦅か⦆く言う私も心の中にポッカリと穴の空いた様な寂しさを覚えていた。不思議な魅力を彼女は持ち備えていたのであろう。

 3日後、チビちゃんも辞めた。職場は益々静かになった。他のアルバイト生も大晦日が近づくにつれて1人減り2人減りと去って行った。この頃作業場の有線からは何度も何度も『また逢う日まで』(※2)が流れて来た。

「今日仕事が済んだら、彼女の家⦅うち⦆へ電話しような」

 提案は必ず藪野の方からだった。

「ああ、僕もそう思っていたとこや。藪野、なんか僕も彼女が気になって仕様がないんや。お前には悪いんやけど僕も挑戦するで」

 藪野も今では啓子の事は何も言わなくなっていた。

「よっしゃ、やろうか」

 仕事は定刻通りに終わり、夕方六時にはもう難波に出ていた。

「もしもし、近藤さんのお宅ですか」

「はい近藤ですが」

 彼女だった。

「もしもしお茶屋のバイトの藪野です」

「あっ違う、山川さんでしょ。わあ嬉しい」

「あれ、判った。藪野がそうしようって言うんで。今一緒やから替わるわ」

「あっ、ちょっと待って、替わらないで下さい。正月の5日ですけど時間空けておいて欲しいんです。チビちゃんが遊びに来るんですって。それで山川さんのお宅にも電話を掛けようと思っていた処だったんです」

「ああそうなんや、嬉しいなあ。絶対に行くよ。ちょっと待ってや」

「もしもし山川です。違う違う藪野。ああ、うん、うん、はい。オーケイ。それで何時に。ああ、はい、解った。じゃあ、もう一度替わるわ」

「はい山川です。ああ行くよ絶対。そいじゃ」

 私はこの電話で不思議な程彼女と親⦅ちか⦆しくなったのを感じた。彼女は明らかに藪野より私を意識している。私は自信を持った。と言うより運命的な何かをその時感じたのであった。この日、藪野と私は祝杯の意味で飲み歩いた。夜の10時を回って2人は別れた。

 藪野と別れて直ぐ、私は彼女の家に再度電話を入れた。抜け駆けをしたのである。確信を持つと驚く程積極的になれる私は遅い時間も気になるにはなったが、まだ大丈夫と思いダイヤルを回した。優子は仲々出て来なかった。

「もしもし夜分遅く済みません。山川です」

「どうされたんですか」

「今、藪野と飲みに行って別れた処⦅とこ⦆なんやけど、どうしても電話したくって。ちょっと酔ってるみたいやけど」

 確かに酔いも手伝っていた。元来私は飲める口ではなかったが、今日は飲んだ。

「あのう、約束は5日の昼ですけど、その前に一度2人きりで会って頂けませんか」

 今度は殊更丁寧に言った。

「本当ですか。私は構いませんが、本当に良いんですか」

 私達は次の日の夜7時ミナミ(難波)で待ち合わせをした。初めてのデートだった。藪野を撒き、それでも10分程早目に難波に着いた私は、駅売店でその頃出始めた珍しいタブロイド版夕刊紙を買い待ち合わせ場所の喫茶店に入った。彼女はもう既にジュースを半分飲んでしまっていた。

「待った」

「いいえ、雑誌も持っていたので大丈夫です。今晩は」

 難波地下街に在るこの喫茶スワンは白鳥と名前が示す様に白を基調にした清潔な感じのする、彼女にぴったりの明るい店であった。

「デート申し込んでも良かったんかなあ。誰か恋人でも居⦅お⦆るんと違うの」

 私は真っ先に気に掛かっていた事を聞いた。

「お友達は居ますけど、そう言った特定の方は居ません。それより反対に少しだけ質問しても良いでしょうか。会社の松井さんの事ですけど良いんですか。私、クリスマスの日、阿倍野店へ行って来たんです。それでお茶屋さんの前を通って来たんです。勿論、松井さんは私を知りません。他の方が噂されていた様に綺麗な方でした。何かしら寂しそうにされていました」

「ああそうなんや、知ってたんや。何⦅なん⦆でそんな事を聞くの」

 私は彼女の自分に対する好意をはっきりと感じ言葉を続けた。

「正直に言うわ。松井さんとはもう終わってしまったんや。唯、正式に決まった訳や無いけど、少なくとも僕の方はそうやと思ってる。狡⦅ずる⦆い様やけど本当なんや」

「それでは松井さんが可哀そうだと思います。はっきりとさせてあげないと。いつ迄も不安な気持ちで待ってられると思います」

「それについては近くどうにか解決する心算⦅つもり⦆やからもうちょっとだけ時間が要るんや。それとは別に勝手な様やけど、僕は今・・・・近藤さんの事が好きなんです」

 何と言う大胆な発言をしたんだろう。私は口に出してから驚いた。何物かに憑かれ代弁させられた様だった。

「正式に付き合って欲しいんです」

「山川さん、私も兄から色々と聞いていて、初めてお会いした時からずっと・・・。ですから会社の近くの喫茶店で松井さんのお名前が出た時はショックでした。好きな人が居られて当然なのですが、やはりショックでした。どうしても松井さんの事が気に掛かり、どんな方か知りたくなって阿倍野店迄行ってしまいました」

 その日は喫茶店スワンを出ると2人はすぐに別れた。実に勝手な事と知りつつ、啓子の事が無ければ最良の日であると思う自分が怖かった。しかし彼女も私を愛してくれていたという事実は紛れも無く喜び事には違い無かった。その夜、私は仲々寝就かれずにいた。

 啓子に何と言えば良いか。その心配事が喜び事に勝っていたからだ。何時迄も『時の解決』に任せている訳には行かなくなって来た。

(よし、全ては年明けだ。今は何も考えずにアルバイトを終えよう。有終の美を飾ってそれからだ)

 大晦日の日が来た。この日は今迄以上にハードスケジュールであった。通常の配達回りが済むと慣れぬ背広に着替え百貨店の店頭販売を依頼されたのだった。年末会社に出られない正社員の人達の代理である。大晦日の夕方ともなると客は殆ど無く、唯立っているだけで良かった。それも終わると今度は全館一斉の一年最後の大掃除を手伝わされたのである。幸いここは阿倍野店では無く上本町店であった。そしてその後が更に大変だった。午後八時に終わり、タクシーで家迄帰り、背広から普段着に着替え直し、夜11時過ぎには宝塚の荒神さんで法被⦅はっぴ⦆を身に付け、御札⦅おふだ⦆を出したり御神籤⦅おみくじ⦆を渡したりしていたのだ。先に到着していた岡部、前田とは班が別々となり、2人は私が着いた時には仮眠していた。

「おい、交代だ。いつ来たんや」

「あっ、岡部か。前田は」

「あそこで今からろうそく売りや。寒いなあ」

 各人に1個ずつ行火⦅あんか⦆が宛⦅あて⦆がわれ、それを持って一定の時間でぐるぐると役処⦅やくどころ⦆を回って行くのだ。そして休憩、お風呂、仮眠となるのである。休憩時の煙草、酒、雑煮等はのみ放題食べ放題なのが良かった。高校生も若干居たので、酒、煙草の代わりにチョコレート、それも当時高級品とされたハイクラウンチョコばかりという贅沢さであった。私もその口で、煙草、酒はやらなかった。

「山川さーん。こっち―こっち―」

 私が正面横で飛んでくる賽銭⦅さいせん⦆に身を交わしながら御札を売っていた時である。先程数時間前迄一緒に大掃除をしていた百貨店の店員さんがこちらを向いて手を振っているでは無いか。彼女も驚いたであろうが私も吃驚⦅びっくり⦆して、思わず手を挙げた。この本堂の位置から見下ろすと、人、人、人皆が私の方を一点に見ているみたいで恐ろしくもあった。元日の夜迄ずっとこの混雑は続き、正月2日に入り夜も明ける頃になって流石⦅さすが⦆に参拝客は少なくなり、私達は漸く一息吐けたのである。

「山川さん達若い人達でお賽銭箱を回収して来てくれませんか」

 若いお坊さんの光恵⦅こうけい⦆さんであった。荒神さんでお坊さんと言うのは可笑⦅おか⦆しい様だが、神仏混合のお寺の中に在る荒神さんという事でお坊さんが居たのだ。由緒ある古いお寺にはこの形態が多くこのお寺も平安時代に建立されたとの事である。やっと岡部、前田と合流出来た。各処⦅かくところ⦆に設けた賽銭箱を集めて来るのだが、その一箱ずつの重い事、肩に深く食い込む程であった。

「重たいなあ。まだ箱一杯になってへんのになあ。偉い重いわ」

「おい、光恵さんがなあ、俺達3人の事を学生と違うかって疑ってるらしいで。それで俺達ばかり重労働を押し付けて来るんや」

 この神社の出入り業者の縁故という触れ込みで来ていた私達は、普通の大学生の3倍は優に越えるお礼金を貰える事になっていたのだ。その後経験した地下鉄工事作業員、堤防築き土木作業員、競馬場警備員、弁当配達人、そして家庭教師等の何れのアルバイトよりも数段条件が上であった。

 こうして私達は山の上に在るこの神社での充実したアルバイトを終え、3日振りに下界へ戻って行ったのである。沢山のバイト料を懐に気分は頗⦅すこぶ⦆る上々であった。

「お賽銭を竹箒⦅たけぼうき⦆で掃くなんて初めてやったなあ。お札もそこら中に散らばっていて、ちょろまかそうと思ったら簡単やったよな。唯、神さんの前やったから怖くて出来⦅でけ⦆へんかったけどなあ」

「あの光恵さんだけと違⦅ちご⦆うて皆知っていたんやろな、俺達が学生やって事」

「同じ学生の他の奴等に悪かったよなあ」

「前田の親父さんが良いって言ってたからええんと違⦅ちゃ⦆うか」

 阪急電車の中の3人は各々が得意満面で喋り捲くった。それからが私達の正月の始まりだったのである。

「明日からどうしよう」

「旅行でもしようや。随分と豪華な旅が楽しめるで」

「山川、何処⦅どこ⦆へ行こう」

「悪いなあ」

 私は隠し切れなかった。

「何⦅なん⦆やそれ。何をにやついてるんや」

「ああ、ちょっとな。可愛い娘⦅こ⦆と約束が」

 いとも簡単に言った。

「あれ、啓ちゃんと違うやろ。新しい恋人⦅こ⦆が出来たんか」

 聞かれるままに私は優子との馴れ初⦅そ⦆めを語った。岡部、前田は何時もそうである様に興味深げに羨ましそうに耳を傾けていた。私は鼻髙々にいた。この頃の私の性格は正に鼻持ちならないもので思い起こせば起こす程恥ずかしい限りであった。しかしこの二人は私と違い純粋で人が良く素直に聞いていた。青春真っ盛りの正月3日の夜の事である。

   ●出 自 

 5日の午前11時、私は奈良学園前の駅に居た。前日のデートでの打ち合わせ通りの時刻である。私は藪野やチビちゃんよりも先に着物姿の彼女と逢っておきたかったのだ。彼女も承知だった。日本髪を結った和服姿の彼女は見るからに純情可憐で、私は益々魅了されて行った。もう私の彼女だ。藪野達との約束まで一時間程有った。

 新しく開発されたこの辺りは自然を自然のまま取り入れ、明るく生き生きと、公園、道路も見事に整備された邸宅街であった。正月でもあり、人通りは全くと言っていい程無かった。そんな街並みの駅から少し離れた喫茶店に私達は入った。彼女はジュース、私は珈琲、これはこの後のデートでも余程の事が無い限り変わらない2人のオーダーである。そして前の日のミナミでのデートより、私の珈琲の砂糖ミルク入れは彼女の仕事となった。短期間ですっかり恋人模様が板に付いた。それにしても早かった。ほんの僅かの時間で私達の気持が一つになっていたのだ。

「私ね、勝⦅まさる⦆さんの事ずっと以前から知っていた様に思う。こうなる事も何となく悟⦅わか⦆っていたの。ね、勝さんで良いでしょ。本当はマーちゃんなんだけど、他の人が使っている名前では呼びたくないんです。今日から勝さんでいいでしょ」

 暖房を利かせ過ぎのこの喫茶店の客は私達2人きりで、何かしら映画のヒーローヒロインを演じている様な気分に浸っていた。

「明日も逢おうな。今日は皆⦅みんな⦆と一緒やから物足れへん。朝早くから夜の門限迄逢おう」

 彼女の家の門限は厳しく9時であった。

「勿論良いわ。けれどね、後でどうせ解る事なんだけど大切なお話も有るの」

(大切な話って何⦅なん⦆や)

 藪野との待ち合わせ場所、駅改札口を出た処で正午少し前より待っていたが、もう彼此⦅かれこれ⦆20分を過ぎても未だ二人は現われなかった。藪野とチビちゃんは同じ方向からやって来る事になっていた。

「コン姉ちゃーん」

 何時の頃からか田中のチビちゃんは優子の事をこう呼んでいた。アルバイトを辞めてからも2人は時折会っていた様だ。チビちゃんはホームの端から駆けて来た。藪野はその後を何事も無いかの様に悠然と歩いている。

「藪野さんたら30分も私を待たせんのよ」

「済まん済まん」

 私達一行は彼女に連れられるままに歩いた。それぞれに門を構え塀を巡らした静かな邸宅街の中でも一際大きな屋敷の前で彼女は立ち止った。

「此処⦅ここ⦆です、どうぞ」

「ええー、こんなに大きい家⦅うち⦆なん」

 表札には確かに『近藤』とあった。大きく構えた門には当時ほとんど目に掛かる事の無い、防犯用であろうかモニターカメラが設置されているという物々しさである。門から玄関に至る庭は目を見張る程美しく、先の万国博覧会での日本庭園を彷彿⦅ほうふつ⦆させるに足るものであった。其処彼処⦅そこかしこ⦆に珍しい置き物が散在しているエントランスホールを横切り応接間に通された。家の中は誰も居ないらしく閑散としていた。私と藪野を放って彼女達は早速台所に立った。白く明るいキッチンでの2人の会話の内容がはっきりと聞き取れた。

「お父さんお母さんは」

「大晦日から旅行に出掛けてるの」

「他の人は」

「いつもはお兄さんや会社の人達が居るけど、皆で遊びに出たの」

(そうやろうなあ。これだけの大きな屋敷で彼女等一家だけじゃ、ちょっと広過ぎるもんなあ)

「変わった置き物が一杯在るで。何やろうこれは」

 私も先程より感じていた。玄関からもそうで、何となく中国的雰囲気を漂わせているのだ。

「どうぞこちらへ。お食事の用意が出来ました」

 陽光の充分射し込んだダイニングキッチンに通された私達はテーブルを囲んで座った。白い割烹着を身に付けた彼女は10歳⦅とお⦆程大人びて見え、料理の段取りも随分と手慣れており、宛⦅さなが⦆ら料亭の若女将⦅わかおかみ⦆の風で普段とはまた違った魅力を感じさせていたのである。献立は藪野と私の望んだすき焼きで、牛肉がたっぷりと用意されてあった。恐らくや2キログラムは有っただろう。私達は雑談を交わしながら料理を堪能したのだった。

「変に思ったでしょう。私のお父さんは中国人なの。お母さんは日本人なんだけど中学生の時病気で死んじゃったの」

 私は吃驚した。優子の言っていた大切な話というのはこの事か。藪野も驚いた風だった。チビちゃんだけは以前から知っていたらしく、お父さんは台湾出身の華僑との事であった。

「新しいお母さんも日本の人よ」

 私達は平静を装い、トランプをしたり、庭でピンポンをしたりして遊んだ。その間中、私はずっと引っ掛かるものを感じていた。やはり私は異国人という事に拘泥⦅こうでい⦆しているのか。否、そうじゃない。想像もつかなかった彼女の出自の秘密に途惑っただけだ。私達は長居をした。そして夕方暗くなり優子の家を出た。

「驚いたなあ、中国人やて。初めてやなあ。どないしよう」

 藪野は明らかに異国の人に対する偏見を持っていた。

「それどういう意味や」

 私も口調が荒くなっていた。

(何や、自分も結局の処、藪野と同じやないか)

 現在⦅いま⦆なら何とも無い事だが、当時外国人に対する、殊に東南アジア系の人達に対する日本人の理由の全く無い拘泥⦅こだわり⦆は相当のものだった様に思う。事実その後優子と幾度と無く同行した役所での役人の彼女に対する接し方は一様に酷⦅ひど⦆かったのである。当然の如く、私はきれ、窓口相手に喰ってかかったものだった。

 その夜、彼女から電話が掛かって来た。

「もしもし、私、優子です。驚かれたでしょう」

 変に丁寧であった。余所余所⦅よそよそ⦆しくもあった。

「明日、会って貰えないでしょうか」

「阿呆⦅あほ⦆やな。何でそんな言い方をするんや。明日は最初から逢うことになっていたやろ。僕も今、電話する処⦅とこ⦆やったんや。朝8時スワンで、時間はいいよね。早過ぎるかなあ。ちょっとでも多く逢⦅お⦆うときたいから、良⦅え⦆えやろ」

 私は彼女からの電話の声で、陽光を浴びた雪の様に見る見るうちに心より蟠⦅わだかま⦆りが溶けて行くのを感じた。

「うん。8時でも何時⦅なんじ⦆でも行く。心配だったの」

「気にし過ぎや。それより8時に店が開いてるやろか。地下街はそんなに早くやって無かったんと違⦅ちゃ⦆うかな。まあええわ。もし開⦅あ⦆いて無かったら店の前で待っとくわ」

 現金な私であった。

 その次の日、店の前で待って居たのは彼女の方だった。女性誌を手に呆然と立っていた優子は私に気付くと、今の今迄べそをかいていた迷い子が親を見つけた時の様に満面の笑みを浮かべ駆け寄ってきた。迷い子は可愛かった。そして愛惜しかった。私は親が迷い子にする様に思い切り抱き締めて遣⦅や⦆りたかった。

「まだ開⦅あ⦆いてないんやな。ごめん、起きられなかったわ。大分と待ったんやろ」

「ううんいいの。ひょっとしてって不安だったの。でも良かった。後15分程で開⦅あ⦆くの。8時半からですって」

 するとその時、店の硝子扉が開⦅ひら⦆いた。

「どうぞお入り下さい」

 店長らしき人が入れてくれた。

「いらっしゃいませー」

 まだ開店前にも拘⦅かか⦆わらず店の奥から複数の人達の元気な声が私達2人を気持ちよく迎え入れてくれたのだ。

「何になさいますか」

「済みません、無理して貰って」

「いえ、こちらこそ。本当はもっと前よりお開けしなければいけなかったのですが、やはりお客様に対する準備だけはきちんとしてからでないとお入り頂けませんので。お連れの方は30分以上も立ってられたと思いますよ。謝るのは此方です。さあ、モーニングの方もいけますよ。何になさいますか」

「有難うございます。優ちゃんはジュースやね。僕は、そしたらモーニング。ホットでお願いします」

「はい畏まりました。ホットモーニングにミックスジュースですね」

 この店長らしき人は此処⦅ここ⦆の主人であった。それからというもの、何年もの間、私達2人のデートの出発点は何時も此処喫茶スワンとなった。

 冬休みが終わりまた学校が始まった。帰郷していた連中も皆それぞれの下宿に戻って来た。学校が始まっても私達のデートは欠く日が無かった。彼女は短大の一年生。流石に女子大へは踏み込めなかったが、私の学校では度々2人は一緒だった。正しく『学生街の喫茶店』(※3)で好⦅よ⦆く2人してお茶を喫⦅の⦆んだものだ。私は一年浪人をしていたので彼女より実際の処一つ年上であった。短大は四年生に比べると単位を取るのが厳しく、出席日数の事もあり彼女の講義カリキュラムを優先させた。私の方は語学と体育さえ押さえておけば良かった。私は春の入学当初よりそうで、他の学科の先生方とは期末試験の当日初めてお目に掛かるという位酷かった。

 別に彼女が現われたからと言ってこうなったのでは無く、寧⦅むし⦆ろ優子に構内を案内する為に前よりもよく学校に顔を出す様になれたのだ。大教室での講義等は彼女も一緒に聴講していた。出欠を取らない教室も結構多かったが、その時もやはり彼女は横に居た。土曜、日曜ともなると、家の車を借りて遠出のドライブと洒落⦅しゃれ⦆込んだ。京都・奈良・神戸と好⦅よ⦆く走ったものだった。

   ●決 別

「もしもし、マーちゃん。私。誰だか判る」

「えっ、ああ、元気。久しぶりやな」

「お久し振り。私ね、今日、見ちゃったの」

 この小悪魔的な言い様は変に迫力が有った。啓子だった。              

「今日車で梅田を走っていたでしょ。梅田コマの前で横断歩道を渡ろうとした時、何気無く信号待ちをしている車に目を遣ると私のマーちゃんじゃない。驚いたわ。慌てて声を掛けようとすると横に可愛い子が乗って居て。やっぱりそういう事だったのよね。別に良いの。明日お休みだから会って。お話が有るの、大切な」

 私は忘れていた。啓子の存在を完全に忘れていた。それだけに恐ろしい何かを感じた。余りの毎日の優子との新鮮な喜びに浮かれ、本当に忘れていたのだ。

(何と僕は勝手な奴だ)

 啓子と以前よく通った喫茶店で私は待っていた。指定された時刻は疾⦅と⦆うに過ぎている。

(何か有ったのか。嫌がらせか)

「まあ珍しい。きちんと来てるじゃない」

 ごめんとも済まないとも啓子は言わずに態⦅わざ⦆と悪振って私の席の前に座った。

「あのね、私ね。マーちゃんの子が出来たの」

 突然切り出した啓子の言葉に私は全身の血が引けるのを感じた。前日夜の電話から何となくこの言葉が予測されていたが、私は狼狽⦅うろた⦆えた。それに反して啓子は落ちつき払っている。

「嘘やろ」

「本当よ。この2カ月ずっと無くて心配していたの。するとやはり出来ていたの。勿論、責任を取ってくれるんでしょうね。もう離れられ・・・ない・・・わ・・・よ・・・。嘘。マーちゃんを誰にも渡したくない」

 辺りを構わず私は啓子の横に行き、両手で啓子を抱き締めた。幾つかの視線を感じたが不思議と恥ずかしさは無かった様だ。

「ごめん、本当にごめん、悲しませて」

 暫くその状態で居た。

(どうすれば良いのだろうか。方法は無いものだろうか。前のときは優子が居なかった。

しかし今は、はっきりと彼女が居ると断言出来る。啓子では無く明らかに優子を選択出来るのだ。情に絆⦅ほだ⦆されていてはいけない。酷ではあるが今こそこの事実を話さなくては)

 私はどうしても2人きりの場所が欲しかった。人目を気にせず、じっくりと話し合い、解決したかった。車でも有れば、と思ったが今日は家から借りて来ていなかった。その店を出て私達は当時流行⦅はやり⦆の個室喫茶に入った。初めてであった。妖⦅あや⦆しげな雰囲気を漂わせている店内は薄暗く、部屋と部屋とを簡単な壁、ベニヤ若しくはカーテン一枚で間仕切ってあるだけで何よりも汚らしかった。隣の部屋からは時折例の声が洩れて来た。注文したコーラも不潔そうであった。私に凭⦅もた⦆れかかっている啓子に別離⦅わかれ⦆の言葉を告げるにはこの場所は余りにも相応⦅ふさわ⦆しく無かった。やはり、優子には悪いが例の処にしよう。

(何もしなければ良いだろう)

 啓子はされるがままに附いて来た。その間中もずっと私に腕を絡⦅から⦆ませぴたりと寄り添っていたのである。一室の長椅子に2人は腰を掛け並んだ。執拗⦅しつよう⦆に凭れ掛かっている啓子が、何かの宣告を受ける前の罪人の如く怯⦅おび⦆えているのが感じ取れた。仲々言い出せずに1時間程もこの状態で居た。

 突如、啓子は立ち上がり服を脱ぎ始めた。

「そんなんあかん。今日は話し合いに来たんやから」

「今日も明日も無いでしょ。もう悟⦅わか⦆ってる。もういい。朝迄・・・。最後のお願い。朝迄私を抱いて居て欲しいの。もう我侭言わない。愛しているから困らせたく無い。自由にしてあげる。その代わりに、今日だけは私のもの。抱いて居て、朝迄、お願い・・・」

 その日到頭、私は外泊した。朝、別れ際に啓子は私の頬をぶった。軽いものだったが、却⦅かえ⦆って重みを感じた。

「本当にごめん」

「もう何も言わないで。私が惨⦅みじ⦆めで可哀想じゃない。さよなら、馬鹿」

 これっきり啓子と会う事は無かった。唯一度だけ2年ほど経った或る日、

「明日結婚式なの」

 と言う電話が有った。

 啓子と別れて直ぐに、私は優子に連絡を取った。

「昨日、勝さんのお家へ電話をしたのよ。どうしたの。何も連絡が無かったので心配だったの。大丈夫。何か有ったの」

「逢⦅お⦆うてから話す。直ぐに出れるか。スワンで11時に待ってるから」

「今何処⦅どこ⦆。帰って無いんでしょ。もっと早く行けると思う」

「そしたら10時半、スワンで」

 一部始終を話した。優子は解ってくれた。仕方が無いとも言ってくれた。啓子に済まないと涙ぐみもした。優子は私の手を両手でしっかりと握り締めた。啓子には申し訳無く薄情の様だが、こうして私達の関係は確立したのである。スキーに行ったり、映画を観たり、何処へ行くのも2人は何時⦅いつ⦆も一緒であった。青春を心ゆく迄満喫していた。

   ●大 事

 やがて彼女は私より一足先に卒業すると、お父さんの会社を手伝う事となった。辿々⦅たどたど⦆しい日本語しか話せない彼女のお父さんは海外向けの工作機械を大々的に製造販売していた。優子は其処⦅そこ⦆で事務員として働く様になり、それに合わせて私も暇を見つけては工場の方に顔を出す事となったのである。お父さんとも工場の人達とも頻繁に顔を合わすものだから、すっかり身内扱いされてしまっていた。

「今日は」

「タダイマデイイヨ」

 お父さんだった。

「よっ、お嬢さんの許婚⦅いいなずけ⦆。いつゴールインだ」

 工場の人達だった。

 この時期が彼女優子との幸福のピークであった様だ。夏はペアルック、冬は彼女の編んでくれた何種類ものセーターを取っ替え引っ替え、私は相変わらず色々なアルバイトに凝っていた。これも将来の自分の仕事を見い出す為だという大義名分を抱いて毎日を有意義に過ごしていたのだ。この頃だったと思う。ドライブ中に『神田川』(※4)が流れる度にこの歌の詞に有る『あなたのやさしさが怖かった』に何故か妙に納得していた優子が居たのは。

「お父さんね、今度の日曜日、ボウリングに行かないかって。今ボウリングに凝っているみたいなの」

 全盛期は過ぎてはいたが、ボウリングの人気はまだまだ有った様に思う。

「いいよ」

 流石にマイボールも持ち通い慣れているお父さんは段違いに上手だった。

「ヤマカワクン、オネガイヨ、ダイジナワタシノユウコヲタノムヨ」

「お父さんったら急に何を言い出すの。恥ずかしいじゃないの」

「はい、任せて下さい。学校を卒業したら直ぐに結婚させて貰います。」

 私は実に勝手な男であった。啓子の時にあれ程毛嫌いした『結婚』という言葉をこの時はいとも簡単に遣っているのである。

「もう勝さん迄何を言うの」

「ヨロシイ。アナタワイイワカモノダ。コレデアンシンダ」

 優子のお父さんは人が善く性格も穏やかで私とも良く気が合い、一族の結婚式等の集まりには、必ず私を同席させたものだった。私も大好きな人であった。そしてその日、お父さんは、当時数少ない高級車プレジデントを自ら運転し、私の家迄送ってくれたのである。

「また明日、電話するね」

 別れ際助手席窓から顔を出し手を振っていたこの日の優子の姿は30年以上経た今も鮮明に覚えている。

 次の日のその電話が私達2人の将来を大きく変えた。過去の夢の様な日々を無駄にし、希望に満ちた未来をも打ち砕いたのである。運命の残酷さをまざまざと見せ付けられる真逆の事件が起きたのだった。

「勝さん直ぐに来て。お父さん、お父さんが死んじゃったの」

 この頃、家から占有している車を飛ばし、驚く程の時間の速さで私は優子の家に着いた。開け放たれたままの門扉をそのままに一目散に彼女の部屋に向かった。一体どれ位の人が家の中に居るのかと思われる程騒がしくなっている各部屋を素通りして、私は勝手知ったる優子の部屋に辿り着いたのである。

「どないしたんや」

 私の顔を見た優子は堰⦅せき⦆を切った様に泣き出し、私の懐⦅ふところ⦆に飛び込んで来た。

 何でも後添⦅のちぞ⦆いのお義母さんと若い従業員との浮気の発覚から、怒ったお父さんに拠るお義母さんを巻き込んでの無理心中という事である。車にガソリンをかけ火を点⦅つ⦆けるという心中は発見が早くとも誰も手が付けられず、救急車が到着した時にはもう2人共手遅れであったそうだ。場所は優子の実母の墓の直ぐ傍⦅そば⦆であった。

 嗚咽⦅おえつ⦆を伴っての優子からの事情説明を受けていた時、隣のお兄さんの部屋から彼を激しく罵⦅ののし⦆る複数の声が聞こえて来た。恐らくやお義母さんの肉親であったのだろう。

(何と勝手な人達だ。被害者はこの兄妹ではないのか)

 取り敢えず兄妹と私は車を走らせた。事故現場は京都に在った。国道を出来る限りの速さで突っ走った。病院の安置室に入るや優子は泣き崩れた。お兄さんは堪⦅こら⦆えていた。其処には既に優子と私の良き理解者である彼女の叔母さんが来ていた。優子にとっては実母亡き後の母親替わりの人である。そして私達2人の茶道・詩吟の先生でもあったのだ。

「優ちゃん見たら駄目。我慢して。可哀想な優子・・・。義兄さんも罪な事を・・・」

 安置室には事情が有るのだろう、お父さんの遺体のみ在った。真っ黒焦げで炭の塊⦅かたまり⦆になっているとの事である。情けない話だが私も怖くて見る事が出来なかった。

 その後病院で仮通夜を済ます事となり、私の車はフル稼働で深夜を通し国道を京都より奈良・大阪、大阪・奈良より京都と何往復もしたのである。私のみが自由に動けたのだ。

他人を乗せず私だけの時である。誰かが後部座席に乗って居る様な気がしてならなかった。前の日のボウリング場での優子のお父さんの言葉が頭に浮かんだ。

「ダイジナワタシノユウコヲタノムヨ」

後部座席にはお父さんが乗って居り、私に愛する娘の事を託しているのだと確信を持った。私はひとり号泣した。

「判りました。任せて下さい。今後は僕が貴方の大切な優子さんをお守りします。絶対に不幸にはさせません。安心して成仏して下さい」

 涙で視界が利かなくともスピードを幾ら上げようとも事故は起こるまいと信じきっていた。

(お父さんが後ろに居られるんだ)

 不思議と恐怖心は湧いて来なかった。

 葬儀は優子の家で盛大に取り行なわれた。

当日華僑の人達が沢山列席した。有名な台湾出身のスポーツ選手、タレントも参列していた。駐車場の整備等も有り、岡部や前田、そして薮野、チビちゃんが手伝ってくれた。優子の友人達には全員受付を担当して貰った。

 葬儀を終えたばかりで精神的にも肉体的にも疲労困憊⦅ひろうこんぱい⦆の域に達しているこの兄妹にまたしても難題が生じた。何と、あれ程裕福に見えていた近藤家の台所は実は火の車であったという事が判⦅わか⦆ったのだった。葬儀に来賓として臨席したお父さんの友人の話に拠ると、優子のお父さんは、同郷の知人の会社の運営資金作りの為に自己所有の有らん限りの動産不動産を担保に借金を重ねていたとの事であった。ところがその人物が突然行方を晦⦅くら⦆ましてしまい、会社の金に迄手を付けねばならなくなり、負債総額は5億円を下るまいという事なのだ。現在でも大きいが当時の5億は相当な額で、一個人企業では再起不能の数字だった様だ。

 お父さんは友人に欺⦅あざむ⦆かれ、妻にも裏切られ、人生に疲れ切ってしまったのだった。 

(しかし、残された兄妹はこの先どうすれば良いのだ。日本国籍も後少しで取得する運びとなっていたのに。優子は兎も角としても、お兄さんは無国籍のままでは無いか。無責任過ぎる)  

「お父さんは卑怯だ」 

「そんな風にお父さんの事言わないで。そんな人じゃ無いわ。疲れたのよ。そんなに苦しんで居たなんて知らなかった。可哀そうなお父さん。お願いだから責めないであげて・・・」

「ごめん、ごめんよ優ちゃん。悪かった。泣かんといて。畜生。あの時、何か怪⦅おか⦆しいと気付く癖⦅べき⦆やったんや。急に優ちゃんの事を頼むと言わはったんや。変やったんや。畜生」

 私達2人はいつもは楽しい、お父さんとも3人一緒に遊んだ事の有る優子の部屋で涙が枯れ切ってしまう迄泣いた。後もう少しで大学生活も終わろうとしている二月初めの寒い夜の事であった。

 私は焦った。と言うのもアルバイトばかりに現⦅うつつ⦆を抜かせていた私の大学卒業の為の取得単位数が極端に不足していたからだ。何も事が起きていなければ留年は覚悟していたのだが、優子の家の一大事が生じた今では是が非でも3月の卒業は決めなければならない事となったのだ。私は方途⦅ほうと⦆を探っていた。その時である。拾う神が存在した。自業自得にも拘わらず私には有難い、他の人達には迷惑この上無い事態が学園内に起きたのである。第2次学園紛争の勃発がそれだ。黒ヘル軍団の試験会場乱入により、急遽⦅きゅうきょ⦆卒業試験は中止、全学生がレポート提出となり、誰もが卒業できる事となったのである。今度は慌てた。就職の準備を全くしていなかった私は形振⦅なりふ⦆り構わず、その時からでも間に合う企業の入社試験を手当たり次第に受けた。タイミングが合ったのであろう。運が良かった。その中でも一番望んだ大手家電メーカーに入社内定の通知を貰い、慌ただしく学校を卒業する事が出来たのである。

   ●東 京

「優ちゃん、落ち着いたら直ぐに結婚しよう。待っといて。寮からは毎日電話するわ。ちょっとの辛抱や」

 入社して二週間のスパルタ研修を終え、生まれて初めての辞令なるものに拠⦅よ⦆りいきなりの東京支社赴任を命ぜられたのであった。優子は驚く程脆⦅もろ⦆かった。

「行かないで。ひとりにさせないで。寂しい。怖い。今勝さんに行かれたら私・・・、気が狂い死んでしまう。お願いだから行かないで」

 悲痛な優子の訴えに私は心が揺らいだが、今一時は辛くとも優子の為にも大会社に入って生活を安定させる必要が有ると思い直し、優子を無理にも納得させたのである。次の日の朝、私は後ろ髪を引かれる思いで東京に発った。勿論、新大阪駅に優子の姿は無かった。少なくとも後年優子の叔母さんに教えて貰う迄はずっとそう思っていた。実は、その日ホームの何処⦅いずれ⦆かに優子は来ていたのだった。しかし身を切られる様な『別離⦅わかれ⦆』を現実のものと受け止める勇気の無かった優子は誰にも会わぬ様に身を潜⦅ひそ⦆めていたとの事であった。

 その後東京郊外に在る独身寮への優子からの手紙は毎日欠かさずに届く事となった。一日に二度届く時も有り、寮を通して社内では違った意味で有名人となった程だ。手紙には必ず『夜が怖い』『ひとりは厭』と書かれてあった。今にして思えば、優子は毎日毎晩私に助けを求めていたのだった。それに対して私はどうだったか。新入社員という事もあり、東京と仕事に朝早くから夜遅く迄翻弄されていたのだ。そして「いずれ近い将来結婚して僕が幸せにするのだから、それ迄我慢してくれるだろう」と安易に考えていたのである。私は大馬鹿者だった。

 連日残業の後、先輩社員のお供をさせられ寮に帰るのは必ず日付が替わってからであった。東京は恐ろしい程大きく、山手線の各駅毎に大阪が在ると思われる位巨大都市であった。私は正に井の中の蛙そのもので今迄知らずに居た大海の魅力に毎夜夢中になっていたのである。嫌がる処か、社会勉強と称して遊び呆けていたのだった。

 優子の手紙が100通を超えた夏の初めの或る日より、それはぱたりと来なくなった。直ぐに優子に連絡を取る癖であったが、愚かな私はそれもせず、平然と構えていただけであったのだ。優子がどれ程私からの連絡を待ち侘びていた事か解っていたにも拘⦅かか⦆わらずである。1週間が過ぎ、10日を過ぎても次の手紙が来ない。流石に私も漸く焦った。優子の越したばかりの小さな家へ電話を入れた。お兄さんが出た。

「やあ暫く。ゆ、優子は今日は帰って来ないよ」

 久し振りの挨拶にしてはぎこち無く余処余処しかった。何か不自然である。外泊など一度もした事の無い優子だったのだ。

「友達の処ですか」

「そうやと思う」

「えっ、判らんのですか。何⦅なん⦆でですのん」

「明日連絡さすから待ってたってくれ」

 今迄にこの様な事は全くと言っていい程無かったのもあるが、それだけではなく、何か恐ろしく不吉で悪い予感を覚えた。その次の日も、そしてまたその次の日も留守だった。連絡すら取れていないと言う。私は頭が混乱して来た。寮の食事も喉を通らなかった。仕事も手に付かなかった。歯痒かった。何しろ優子と話をするにも全く連絡が取れないのだ。携帯電話等無かった時代の事である。この状態が更に1週間続いた。私は二日酔いと寝不足で仕事のミスを重ねた。主任、係長と相次いで別室に呼ばれ注意を受ける程、幾つものミスを犯したのだった。勝手な私は周章狼狽⦅しゅうしょうろうばい⦆した。悪い想像を幾度と無く繰り返した。

(誰か他に恋人が出来たのだろうか。そしてもう既にその男と同棲でもしているのだろうか)

 この頃『同棲時代』という言葉が流行語として一世を風靡⦅ふうび⦆していたと思う。

 これ以上深く考えるのが怖かった。勇気も無かった。

(そうだ、優子の叔母さんに連絡しよう。叔母さんなら全てを知ってられる筈だ)

「もしもし、山川です。山川勝です。ご無沙汰して居ります。優ちゃんに何か有ったんですか。連絡がどうしても取れないんです。僕、何⦅なん⦆か怖くて」

「実はね、今、優子ここに来て居るの・・・。勝さん、貴方少し酷⦅ひど⦆いんじゃない。優子をずっと放っておいたんですってね。連絡してあげなかったんですってね。勝さんも大凡⦅おおよ⦆そ想像が付いていると思うけど、もう貴方とは逢えない、逢いたく無いって言ってるのよ」

「叔母さん、其処に居るなら替わって下さい。優ちゃんに替わって下さい」

「勝さん、優ちゃんの事はもう諦めて、そうっとしておいてあげて。どんな事が有ったって貴方には優子を責める資格は無いわよ」

「解っています。それでも替わって下さい。声だけでも聞かせて下さい。お願いです」

 私は哀願した。そして泣いていた。

「・・・、ごめんね勝さん。優子から連絡する迄、そうっとしておいてあげて。ごめんね。切るわね」

 一体優子に何が起きたと言うのだ。私は増々狼狽⦅うろた⦆えた。次の日初めて会社を遅刻した。眠れなかった筈なのに起きれなかったのだった。新入社員の出社時刻7時15分には完全に間に合わず、8時丁度の朝礼も既に始まっていた。恥ずかしかった。先輩の人達の視線が鋭くそして冷たく,一斉に私に浴びせられた。泣きっ面に蜂とは正しくこれを言うのだろう。尚一層惨めになった。永遠に続くのかと思われた針の筵⦅むしろ⦆の朝礼の後、可愛がって貰っていた岡本課長より呼び出しが掛かった。

「大峰部長がね、君の事を殊の外⦅ほか⦆心配されているんだ。君が入社して直ぐに上げた官公庁からの大口契約をいまだに自慢気に他所⦅よそ⦆の部に吹聴されているんだよ。余程嬉しかったのだろう。何⦅なん⦆でも部長は学校は君と同じという事で大先輩に当たるらしいな。だからか入社以来ずっと君の行動を気にされていてね、私にも幾度と無く面倒を見てやってくれと言われるんだ。今仕事の方は何も進んでいないんだろ。大阪の家の方で何か有ったのか」

 その時、ノックの音と共に大峰部長が入って来た。岡本課長は予⦅あらかじ⦆め打ち合わせが為⦅な⦆されていたのか慌てる様子も無かったが、私は驚いた。

「どうや山川。お前、女の子にでも振られたのか。図星やろ。正直に言うてみい。最近のお前は可笑しいぞ。岡本くん、何か聞いてくれたか」

 大峰部長は根っからの大阪人で東京勤務が長い所為も有り、喋る言葉は東阪混合であった。この部長が最も信頼している直属の部下が岡本課長で、この人は生まれも育ちも東京である。2人は東京支社第一営業部に在って、全社随一の名コンビと謳⦅うた⦆われていた。

「いえ部長。どうだ山川くん、何が有ったのか話してみなさい。部長もああ仰有⦅おっしゃ⦆ってられるのだから」

「はい。うううっ」

 私は上司二人を前にして不覚にも泣き出してしまった。嗚咽を伴い言葉にならなかった。つい甘えてしまった。少し落ち着くと事の次第を細かく打ち明けた。すると意外な言葉が次から次へと部長から返って来たのだった。

「それは辛いなあ。でもお前が悪いんやぞ。100パーセントお前が悪い。山川、お前、今から直ぐ大阪に帰れ。その彼女と決着が就く迄何日掛かっても良いから会社に戻って来るな。岡本課長、それで良いよな。出欠勤はどうとでもなるやろ。後の事は岡本くん、頼むぞ。そうと決まれば善は急げや、早う帰って解決して来い。これも営業の一環や。お金は有るのか。その代わりな、答えがどちらに転ぼうと、一旦東京へ戻って来たらもうあかんぞ。思いっ切り仕事に専念するんだぞ。良いな。解ったな。よし早う行って契約を取って来い」

「はい、有難うございます」

 私は泣いた。泣けた。しかしこの涙は熱かった。嬉し涙である。こんな人達が居るのかと感激した。

(よし優子を取り返すぞ。そして東京に戻って来たら、会社の為というよりこの2人に喜んで貰う為に力の限り頑張るぞ)

 私は意気揚々と新幹線に乗り込んだ。そして午後1時を少し回り3ケ月振りに大阪に帰って来た私は新大阪駅のホームから先ず優子の叔母さんに電話を入れたのだった。

   ●再 会(相 合 橋)

「もしもし叔母さんですか。山川です。今大阪に帰って来たんです。新大阪駅から電話してるんです。優ちゃんと連絡を取って貰えませんか」

「どうしたの。会社は辞めたの。駄目じゃないの」

「いえ、そうじゃ無いんです。会社の上の人が彼女と逢って解決して来いって言ってくれたんです。だから会社から直接来たんです」

「そう、それなら良かったけど、随分と理解の有る会社ね。判ったわ。こちらからは勝さんに連絡は取れないわね。それじゃね、後⦅あと⦆15分程してもう一度電話を頂戴。良い、優ちゃんに聞いてみますからね。優子ね、勝さんの事を怖がっていますからね。逢えない、逢いたくないとばかり言ってるから、駄目かも知れませんよ。その心算⦅つもり⦆で居なさいよ」

「はい、お願いします」

 この後の10数分間は途方も無く長かった。電話内容次第でどうなるか判らなかったので私は新大阪駅を動けなかった。

「もしもし山川です。どうでしたか」

「あのね、貴方達が解らないわ。優子もね、逢いたいって。それでね、今優ちゃんね、道頓堀近くの料理屋さんで事務をしているの。3時から1時間空いているそうよ。相合橋⦅あいあうばし⦆の上で3時10分。喫茶店とかは厭なんだって。場所は分るわね。そこなら貴方は知っているって言ってたわ。解ってると思うけど、貴方がいけないのよ。怒ったら駄目よ。解ったわね。それじゃね。優しくしてあげてね」

「はい、よく解りました」

 私は急ぎ地下鉄御堂筋線を南下した。20分足らずでなんば駅に着くと直ぐに相合橋⦅あいあうばし⦆に向かった。相合橋は2人して好く渡った橋だ。大阪浪花⦅なにわ⦆の道頓堀川には幾つもの名立たる橋が架かっている。御堂筋に在るそれこそその侭に道頓堀橋。其処⦅そこ⦆から東へ心斎橋筋の終点に位置する戎橋⦅えびすばし⦆。これが所謂⦅いわゆる⦆ナンパの聖地⦅メッカ⦆通称引っ掛け橋である。更に一本東へ行くと太左衛門橋⦅たざえもんばし⦆。法善寺横丁、夫婦善哉⦅めおとぜんざい⦆、水掛け不動さんにはこの橋が一番近く、そしてその次に相合橋⦅あいあうばし⦆が在る。名前が示す様に江戸の昔より多くのロマンの花が咲いては散った橋なのである。

 約束迄にはまだ1時間は有ったのだが、この機を絶対に逃してはならない、そして優子に対する礼儀としても早くその場所相合橋を再認識しておきたかったのである。私の心臓は破れ裂けそうであった。興奮していた。緊張もしていた。食事は敢えて摂⦅と⦆らなかった。頭をすっきりとさせておきたかったからだ。橋の上で過去を振り返り反省するには、有難く貴重な1時間であった。

(それにしても何が有ったんだ。優子が私とは逢えない、私を恐れているというのは、余程の事が有ったんだろう。大方の予想は付く。考えられる事はそれしか無いであろう。自分は独占欲が人一倍強い。こんな私が果たして想像される優子の行ないを許すだけの大きな度量を持ち合わせているのか。否、今の私にその様な選択肢は無い。優子が戻って来てくれるのか、優子の気持が今尚私に在るのか、どうかが問題であろう。優子が今も尚、私を愛してくれているのなら、他の全ては小さな事では無いか。優子は逢えないと言っていた。この言葉は、私を嫌いになったという事を意味するのでは断じて無い。寧⦅むし⦆ろその逆であろう。愛してはいるが、たった一度の過ちの為に逢えないという事なのだろう。そうだ、そうに違いない。今迄はその様な事等考えた事も無かったが、実際にこの様な事態が起きた事に拠り、私も随分と考えさせられ勉強した心算⦅つもり⦆だ。これで優子が戻ってくれるのなら全てを許せると結論を出し、自分を納得させた筈だ。だから私が今為⦅な⦆す癖事は、優子が戻ってくれる様に願って頼んで縋⦅すが⦆るだけなのだ。他の事等どうでも良いのだ。)

 私は相合橋の上で一人佇⦅たたず⦆み、道頓堀川の水面⦅みなも⦆にオーバーラップして浮かぶ様々な優子の表情を一つ一つ丁寧に確認しながら二人の過去を思い起こしていた。いつの間にか約束の時刻が来ていた。

「勝⦅まさる⦆さん」

 優子の声だ。聴きたくて聴きたくて仕方の無かった優子の声だ。振り向くと紛れも無くあの懐かしい優子が居た。愛しい愛しい優子だ。目に少し涙を溜⦅た⦆め直立不動の優子は頬が痩⦅こ⦆けていた。身体全体の肉も落ち痩⦅や⦆せ細っていた。

「嗚呼⦅ああ⦆優ちゃん、ごめんよ」

 心の底より自責の念にかられた私は思わず謝らずには居れなかった。

 2人は一定の距離を保ち手を握る事すらせず道頓堀川を観ながら橋の欄干に寄り掛かっていた。暫く沈黙が続いた。言葉は不要であった。少しして、2人共熱く込み上げる涙を押え切れなかった。その時程優子を愛惜しく感じられた事は無かった。過去の愛も真実には違いなかったが、この時の2人のそれは誰もが近寄り難い崇高さを伴っていた様だ。

「優ちゃん、本当⦅ほんとう⦆にごめんな。ごめんやで。本当⦅ほんま⦆に僕が阿呆⦅あほ⦆やった。何も言わんと僕の処に帰って来てくれるやろ」

「うん、帰りたい。でも本当にいいの。私、勝さんのことを裏切ったのよ。勝さんはそれが一番許せない人だったでしょ」

 事実私は人一倍嫉妬深く、独占欲の強い人間だったのである。

「大丈夫や。僕も今度の事で随分と大人に成ったと思う。絶対大丈夫や。今日を限りに、金輪際その事には触れへんし、完全に忘れるから。大丈夫や」

「本当に許してくれるの。本当に」

 一度納まり溜まっていた涙が優子の眼より大粒となって零れ落ちた。優子は私の懐に飛び込んで来た。今度こそ私は思い切り力の丈⦅たけ⦆優子を抱き締めた。軽く小さく成った優子の身体は完全に私の内に溶け込んだのである。

「勝さんごめんね。本当にごめんね。寂しくて寂しくてどう仕様も出来なかったの。夜も怖くて眠れなかったの。勝さんは何時⦅いつ⦆も帰って居なかったし、手紙も来ないし、もう私の事なんて完全に忘れてしまったのかと思ったの。何度このまま死んでしまおうか、お父さんお母さんの処へ行こうかと思った事か。それすら怖くて恐ろしくて出来ず、辛かったの。許してね。ごめんね。勝さん、もう私を放さないでね。しっかりと摑⦅つか⦆まえていてね。今度こそ何処⦅どこ⦆へも行かないで欲しいの。お願い。本当にお願い」

「解ったよ。優ちゃん、本当⦅ほんと⦆にごめんよ。僕が悪かったんや。何もかも全部僕が悪かったんや。今日はもう一度東京に戻るけど直ぐに結婚しよう。親父もお袋も了解してくれているから。本当⦅ほんとう⦆にもう少しだけの辛抱や。それ位は我慢出来るよね。それ迄今度こそ毎日電話するから、待ってて」

「うん、待ってる、我慢する」

「もう時間無いんやろ。早よ仕事に戻り。この近くの料理屋で事務員さんやてな。叔母さんの紹介か。そうか、良かった。僕もこれから直ぐに会社に戻る。今からやったらまだ会社は開⦅あ⦆いてると思うし。上の人にお礼と報告をしとかなあかんからな。明日から忙しくなるなあ。嗚呼、優ちゃんどうしよう。僕、嬉しくって嬉しくってじっとしてられへんわ。有難うな、僕の処へ帰って来てくれて。今迄ごめんやで。もう二度と優ちゃんを悲しましたりせえへんからな。優ちゃんのお父さんとも約束したんや。早⦅は⦆よ仕事場に戻り。後ろからずっと見とくから」

「うん、そしたら行くね。お店の人に笑われるね、こんな泣き顔で戻ったら。勝さんも気を付けて行って来てね。やっぱり私の勝さんだった。行くよ。また直ぐに逢おうね。逢えるよね。絶対にね。屹度ね。行くよ。ちゃんと見送っててね。じゃあね」

 相合橋を北へ宗右衛門町⦅そうえもんちょう⦆に向かって小走りに駆けて行く優子を私は姿が見えなくなる迄約束通り見送った。その時である。何故か起こり得る筈も無い不安感がふと私の脳裡を過⦅よ⦆ぎった。

(何⦅なん⦆なんだ、これは)

 後⦅あと⦆から思うと不思議であった。

 私はその時その事をそれ程大きくは捕らえなかった。と言うより敢えてそれを打ち消し、私は東京行きの新幹線に乗った。やはり嬉しかった。安堵の胸を撫で下ろした私は深い眠りに落ちた。余程精神的に参っていたのだろう、東京へは直ぐに着いた。そして八重洲口から会社に電話を入れたのである。夜の八時を回っていたが、岡本課長が出た。

「課長、有難うございました。無事終わり帰って参りました。契約成りました。今から会社に戻ろうと思いますが宜しいでしょうか」

「良かったな。彼女とは上手く行ったのだな。良かった。もう会社は良いから寮に帰ってゆっくりと休みなさい。疲れただろう。部長にもしっかりと報告しておくから。部長もやきもきされていたからね。もう真っすぐに帰りなさい。ご苦労様」

「それではお言葉に甘え帰らせて頂きます。明日、会社の方で改めて挨拶させて貰います。本当に課長、有難うございました。部長にも宜敷く仰有って下さい。それではお先に失礼します。本当に有難うございました」

   ●別 離

 2時間近く掛かって寮に辿り着いた私は一番に冷めきった夕食を摂った。朝食も碌⦅ろく⦆に摂って居なかったので久し振りの食事だった。お風呂にも入った。文字通り身も心も洗われた。長かった今日一日の出来事を思い浮かべながら、私は薄暗くて広い娯楽室で一人テレビを観ていた。皮肉にも番組の中で『22才の別れ』(※5)が流れていた。

(良かった。僕は23歳に成っていた。否待てよ、彼女は22歳ではないか)

 その時である。寮のおばさんの声だった。

「山川さん、電話ですよ。いつもの娘⦅こ⦆だと思うわ。遅いから急いであげて」

(何だろう。誰だろう。いつもの娘⦅こ⦆、優子からか)

 不安が過ぎった。嫌な感じだ。否それは無いと否定し受話器を恐る恐る取った。やはり優子だった。公衆電話かららしく踏切の音が奥で鳴っていた。

「どうしたの優ちゃん、まさか・・・」

「勝さん、ごめんなさい。許して。私やっぱり元に戻れない。勝さんも今は許してくれたけど、ずっとずっとは無理だと思うの。何か有った時はいつも思い出すわ。私の勝さんに対する裏切り行為、過ちはそんなにも簡単に許されるものでは無いと思うの」

「何を言ってるんや。悪いのは僕の方やて言うてるやろ。放っといたのは僕やろ。寂しく独りぼっちにさせていたんは僕やで。頼むからそんな事言わんといて。お願いや」

「寂しかった、独りぼっちで怖かったなんて

言い訳になんかならない。人間として女性として一番してはいけない罪を犯してしまった事には違いないの。どんな理由が有ろうと貞操を守れなかった私は、その時点でこの別れを覚悟していなくてはならなかったのよ。勝さんが許してくれたから良いというものでは無いの。守れなかった戒めに対する罰は当然受けなければならないのよ。ごめんね勝さん。一時は辛くて寂しくなるでしょうけど、勝さんなら屹度立ち直るわ。そして私よりもっともっと勝さんに相応しい女性が現れると思う。・・・でも良かった、今日逢えて。優しい昔のままの勝さんと逢えて。良かった。嬉しかったなあ。・・・何でこんな事になったのかな。ごめんね、勝さん、悲しませて。お願いだからそんなに泣かないで。そんな心算は絶対に無かったのよ。何でかなあ。お父さんお母さん、私の事なんかどうなってもいいのかな。さよなら勝さん。お兄ちゃんにも叔母さんにも黙って出て行くの。探さないでね。本当に勝さんだけだからね、愛しているのは。今も・・・。さようなら」

「あっ、待って優ちゃん、切らんといて。優ちゃん、優ちゃん、待って。あっ、もしもし、もしもし、もしもし」

 優子はもう既に電話を切ってしまっていた。私は急ぎ、お兄さんに連絡を入れその成り行きを説明した。

「そうか、そうだったのか。山川くんあのな、丁度俺も今そっちへ電話しようとしていた処⦅ところ⦆やったんや。帰って来たらな、優子の荷物がほとんど無くなってるんや。てっきり山川くんの処⦅とこ⦆へ行ったのかと思ったんや。・・・それやったら優子の奴、一体何処⦅⦆へ行ったんや。独りで運べる荷物の量と違うんやで。山川くんには悪いけど最近良く電話を掛けて来ていた男⦅やつ⦆の処⦅とこ⦆かも知れんな。そうや、ちょっと待っててくれ、そいつに電話してみるわ。それで叔母さんにも聞いてみるわ。また電話するな」

 私は寮の黒電話の前で呆然と待って居た。同僚や先輩社員の人達が真夜中近くだというのに続々と帰って来た。私の張り詰めた異様なばかりの雰囲気を察したのか誰もが軽い挨拶だけで目の前を過ぎて行ってくれた。130人位の独身寮である。東京支社だけで無く関東一円のグループ会社各社も含んでの大きな独身寮であった。お兄さんからの電話が仲々掛かって来なかった。

(どうしたんだろう。もう彼此⦅かれこれ⦆30分は経っている) 

「山川くん、待たせて済まんかったな。その男の処⦅ところ⦆へ電話を入れたけど誰も出ないんや。今からそいつん処⦅ところ⦆へ行って来⦅こ⦆ようと思ってる。優子の女友達にも何人か聞いてみたんやけど、やっぱりそいつ処⦅とこ⦆みたいやねん。また後で掛け直すからな。いいか待っといてくれ」

「あのうちょっと待って下さい。叔母さんはどないでした」

「ああそうや。優子の奴、あれだけ世話になった叔母さんに迄黙って出て行ったみたいや。山川くんの事、皆⦅みんな⦆話しといた。叔母さんな、心配の余りやと思うけど、優子の事、かなり怒っているんや。また後で電話するから待っといてくれ。あいつは阿呆⦅あほ⦆や」

(嗚呼、愛しい優子。今何処に居るのか。軽率な行動だけは取らないで居て欲しい)

 優子は誰かの手助けも有り、大量の荷物と共に家を出たという事である。すると自殺とかの危険は先ず無いであろう。それは安心していて良いのだろう。しかし、その誰かとは過ちを犯した相手なのか。そうだとしたらまだ別れていなかった事になる。優子の電話の最後の「愛しているのは勝さんだけ、今も」は一体何の事なのか。愛は無いがその男と一緒に行くという事なのか。

 相合橋は昔より、この橋を渡ると想い想われた男女の仲が切れるという知る人ぞ知る『縁切り橋』なのである。近松門左衛門の『心中重井筒⦅しんじゅうかさねいづつ⦆』の一節に登場する『中橋』とは、この相合橋の事である。優子は始めから相合橋を最後の別れの場所と決めていたのではないのか。また泣けて来た。もう二度と優子には逢えない気が、その時はっきりとした。 

「山川くんか、今公衆電話からやから余り長い事喋られへんけど、此処⦅ここ⦆も裳⦅も⦆抜けの殻やった。近所の人の話に拠ると荷物を軽トラックに積み込んで行ったそうでな、なんぼも時間が経ってないという事なんや。しもた事をした。ちょっとの差やったんや、プチップープープープー」

 公衆が切れた。その日の深夜も含め、連日連夜お兄さんと連絡を取り合い、共に優子を見つけるべく努力はしたが、付き合っていた男の素性すら殆ど判らず、全く手掛かりは見い出せないまま、到頭現在に至る迄優子は行方知れずなのである。

 優子が消えた次の日、実を言うと私は岡本課長に辞表を提出していた。経緯を聞いて驚いた課長は直ぐ様大峰部長を交え、今後の対策を練ってくれたのだった。勿論辞表はその場で撤回され、私の将来に期待をしている事、東京に居ても彼女の行方を探せる事等の説得に拠り、私はその後3年東京支社第一営業部に勤務したのであった。東京に居る3年間というもの幾度『あの日にかえりたい』(※6)を聴き涙した事か。優子に逢いたくて逢いたくて仕方が無かった。辛くて辛くて堪らなかった私は、大阪本社への出張の折には必ずあの相合橋に立ち寄ったものだった。もしかして、橋の欄干に寄り掛かっている優子に一目でも逢えるのでは無いかと思ったからだ。

 東京勤務の後は各地を転々とし、相合橋の別離より四半世紀以上過ぎた現在は大阪本社所属となっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   ●エピローグ

「ナンバーナンバー。地下鉄御堂筋線天王寺駅止まり最終。南海電車、近鉄電車へお乗り換えの方はこの駅でお降り下さい。ナンバーナンバー」

(嗚呼、なんばか。うん、この、思い出多きなんばだ)

 私は未だ夢の中より完全に醒めていなかった。

(あっ、なんば、・・・降りなければ)

 私は慌てて飛び降りた。間一髪であった。

(彼女は、今何処でどうして居るのだろう。今もしも彼女に逢ってもどうだろう。彼女が幸せで居てくれたらそれで良い。しかしその逆であったなら今の私に何が出来るであろう。

今私は別の女性と結婚し娘二人の父親になっている。典型的サラリーマンとして毎日平々凡々と幸福に暮らしている。小さいながらも庭付き住宅も手に入れた。収入も世間に比べて多い方であろう。けれども彼女が若しもの時の余力迄は無いかも知れない)

 その時携帯電話が鳴った。

(そうだ、この携帯だ。あの頃この携帯電話が有れば、相合橋⦅あいあうばし⦆の別離⦅わかれ⦆は無かった筈だ)

「お父さん今何処⦅どこ⦆。今日は何時⦅なんじ⦆に迎えに行けば良いの」

 下の娘からであった。車の免許を取得したばかりの娘は機会が有れば私専属のアッシー役を引き受けてくれていた。家族の他の者は不慣れな彼女の運転をどうやら敬遠しているらしい。

(優子よ。どうか幸せで在って欲しい。平和な家庭の主婦で居て欲しい)

 私は唯々⦅ただただ⦆そう願いつつ南海の最終に急いだ。

 地下鉄車中での10分足らずのこの夢は今より30年以上も昔の事である。甘酸っぱい青春の思い出として安易に片付けるには余りにも彼女優子に失礼であろう。                    (了)

  


 ※1 欧陽菲菲の『雨の御堂筋』

 ※2 尾崎紀世彦の『また逢う日まで』(この年のレコード大賞曲)

 ※3 ガロの『学生街の喫茶店』

 ※4 南こうせつとかぐや姫の『神田川』

 ※5 風の『22才の別れ』

 ※6 荒井由実の『あの日にかえりたい』



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