終わり2
入院してから一か月が経ったところか。
傷ついていた内臓が癒え、脳の検査にも以上は無く、ひびが入っていた頭がい骨もようやく繋がったようで、退院の許可が出た。
いくら怪我したのが頭だからと言って、ひび割れ程度で一か月は大げさだと思った。
「イクトはもう少し自分を大切にした方がいいと思うわ」
「まったくです。二曹。あまりジブンやアレクシーに心配を掛けさせないで下さい」
アレクシーと少尉が、黒服に連行されるエイリアンの様に、ぼくの腕を左右から握って、 嗜めてくる。
ぼくは頷いて「分かったよ」と心にも無いことを言う。
心配してくれるのは有難いけれど、ぼくが考えていることを知ったら二人とも止めるんだろうな、と思うと本当のことは言えそうにない。
寮の部屋まで送って貰い、そのまま病院の時と同じ流れで看病をしようとするアレクシーを手で制して、平気だから、一人でゆっくりさせて欲しいと彼女を追い出す。
不満そうに頬を膨らませる姿が愛らしい。
今からぼくがすることを知ったら、また泣かせてしまうかなと嫌になる。
ぼくは内線電話を取って、総務へと連絡を入れる。
「プレイヤー名『イクト』です。手術を受けようと思うので、手続きをお願いします。はい。完全侵襲式です。はい。はい。いつでも構いません。はい。お願いします」
電話を切ってから、一時間が経った頃、大使が部屋を訪れて来た。
ぼくは来客用に買い揃えた一脚を彼女に向かって勧め、自分もその対面に座る。
椅子に腰かけた大使は今まで見たことも無いような悲しい目を浮かべてぼくに問いかける。
「本気かな」
ぼくは何がとも問い返さず。
「はい」
そう答えた。
大使は盛大に溜息を吐いてぼくを見やる。
「なんとなくは分かるけれどね。君の口から理由を聞かせて欲しいな」
「一体でも多く化生をこの世から消す為です」
頭の中では何度も繰り返して来た言葉だったが、いざ口に出してみると、腹の底から湧き上がる熱いものが感じられた。
アレクシーたちの前では言えなかった。
今まで口を閉ざしていた本音と共に溢れ出すどうしようもない怒り。
煮えくり返る腸を抑えるよう、ぼくは膝に置いた手を握り込む。
「私が口添えをすればポイントが無くなったところで、そんな危険な手術など受けなくていいんだよ」
何も言っても無駄だと分かっているだろうに、大使はそれでもぼくを止めようとしてくれる。
本当にありがたい。
けど。
「今より少しでも強くなりたいんです」
大使のマスクに隠れた目を見通すように、ぼくは答えた。
彼女は顔を逸らし、何事かを逡巡してから「君の祖父のことについて触れてもいいだろうか」と前置きをする。
顔から血の気が引く音がした。
大使やその周りの人以外が言ったのなら、ぼくはすぐさまこの場を離れたかもしれない。
彼女がぼくを心配してのことだろうとは分かっている。
ぼくは大使の話を最後まで聞かなければいけないだろう。
「なんでしょう」
唇が震え、少しぎこちなかったかもしれないが、先を促すことが出来た。
大使もまた理解をしてくれているようで「ありがとう」と礼を述べてから話を切り出した。
「私のはインチキだったけれどね。君は本物なんじゃないかと、そう思うんだ」
唐突に話が飛んだ気がする。
ぼくが訝しげに大使を見つめると、彼女は遠い昔を思い起こすように椅子に背を預ける。
「何時ぞや岩国で話したろう。私は目隠ししてても周りが手に取るように分かるんだよと。
空気の流れを読み、周りの気配を察する達人。私は君がそれに類する者なんじゃないかと思う」
これがどう祖父に繋がるのだろうか。
ぼくはよくわからないし、やはり過大評価をされているとしか思えない。
「前も言いましたけど、ぼくはそういったことを信じていません」
「根拠が無いからという理由だったね。では、例を挙げてみせよう。君は不世出の達人と呼ばれた武道家を知っているかな」
「いいえ」
「君が生まれていなかった時代だからね。知らないのも無理はない。彼はね、合気道の創始者である人の弟子であり、その人から『あなたは何処へ行っても、誰とやっても負けません』そう云わしめた人物でね。視界から消えると評されるほどの体捌きを持つ人でもあったんだ。さて、彼は一体どうやってそれを鍛えたんだと思う?」
根拠を示してくれるのでは無かったか。
雰囲気を少しでも和らげようと問いかけてくれてるのは分かる。
しかし、今のぼくは昔とは違う。
楽しく会話をしようという気持ちが湧いてこない。
「知りませんが、実戦や稽古を何度も繰り返したのでは無いでしょうか」
ぼくは深く考えることもなく、思いついたままを素っ気なく答えた。
大使は顔を俯け、生徒の解答が模範ではあるが発想に欠けるとばかりに肩を落とす。
未だにぼくへ期待を掛けているのだろうか。
人一人守れなかったぼくに。
止めて欲しい。
「もちろん、それらもしただろうね。けれど彼が特に力を入れたのはね。金魚の鉢を叩いて、金魚の動きを真似た、と言われているんだよ」
なんだそれは。
そんなことで強くなれるはずがない。
「それで何が出来るんですか」
ぼくは欠片も信じてない様子を隠すことなく呟いた。
「反射神経が鍛えられたそうだよ。人間の動きは意図した動きだよね。手を挙げようと思って手を挙げ。椅子に座ろうと考え、腰を下ろす。けれど、金魚は考えない。鉢が叩かれたら、その衝撃に対して瞬時に逃げようとする。頭で考えるよりも体が動くというものだね。達人は自然に動くことを、意図的に出来るようにする為にはどうすればいいか、それを金魚の動きで学び、見稽古に八年も費やしたんだよ」
ぼくを説得したいのだろうけれど、話が見えてこない。
大使はその達人に惚れ込んでいるのだろう。
なおもその男についての誉めそやそうとする。
あるいは結論を先延ばしにしたいのかもしれない。
ぼくの答えがもう決まっていると、大使は知っているだろうから。
ぼくは語り続ける大使の言葉を遮った。
「何が言いたいんですか」
結論を急かすぼくの言葉に、大使はひどく狼狽して、そして「うん」と一つ頷く。
「君の擬態を見抜く目も同じなんじゃないかなと思ってね。お祖父さんに漁へ連れてって行って貰ってたんだろう? 毎日欠かさず。海の中には色んな魚や貝が居て、中には巧妙な擬態をする生き物もいたんじゃないかな。君のその目は才能では無く、努力によって養われたものだと思うんだ。だからね」
大使はぼくの肩に手をのせて、教え諭すように呟く。
「手術なんて受けなくても、君は十分に強いんだ。もし今以上に強くなりたいのなら、お祖父さんと一緒に培った方法で鍛えればいいじゃないか。わざわざ命を失うかもしれない危険な手術に及ぶ必要はまったくないんだよ」
そう話を結んで、ぼくが固く握り込んだ拳に手を添える。
ぼくは。
ぼくはその手を振り払うのではなく、力弱く大使へと押し返した。
「その方法も取り入れた上で、ぼくは手術を受けます。有難うございます。こんなぼくに優しくしてくれて。感謝しています。本当に」
戻された手を見つめていた大使は「どうしても駄目かな」と俯き加減に問いかけてくる。
ぼくは意地が悪いと思いながら、次の言葉を、懇願するように吐いた。
「アレクシーを亡くしたとして、大使はその時どうしますか」
それで会話は終わり。
ぼくの心の中に消えることのない火が宿った。