アレクシー4
「ぁによ、あんた年上が好きなの?」
「年が近い方が遠慮が無くて何やってんのお前」
その聞き慣れた声はすぐ隣から聞こえていた。
天井を見上げたまま、決して視線を横にはやらず言葉を重ねる。
「今は使用時間外で、ぼくの貸切だ。出て行け」
「ママが行って来いって」
おいこら保護者。
男女七歳にして席を同じゅうせず。
少尉に締められるぞ?
「お前は大使の言う事ならなんでも聞くのかよ」
「ケースバイケースね」
大きく伸びをしている様子で、「んーーー」と艶っぽい声を出し「んぁ。気持ちいいわね。あっち(アメリカ)じゃシャワーだったから、湯船って初めて。癖になりそう」とぼくのことを気にした風も無い。
ぼくと出会った時といい。
母親を信頼し過ぎだろう。
反抗期はどうしたよ。
「大使は何て言ったんだ?」
「今よりもっと仲良くなるには、お風呂に一緒に入るのが一番だって。『裸の付き合い』って言うのよね。日本では」
それは男同士の話だ。
そう声を大にして叱りつけたい気持ちをぐっと堪える。
アレクシーは単純で、すぐに信じ込んでしまうだけなのだ。
悪いのは字面的にも子供を守らなければいけない、保護者の役目だろう。
「お前は恥ずかしくないのか?」
「え? なんで?」
至極、不思議そうな声音だった。
これ。
これだよ。
この純な感じがな。
自分よりもずっと幼い子供を相手にしているようで。
疚しい気持ちが萎える。
おかげで幾分ぼくの気持ちも落ち着いた。
要は隣を見なければいいだけの話。
それに今日は濁り湯だ。
彼女を差し向けた大使には業腹だが、こうなることを想定しての救済措置だとするのなら、少しは許そうという気持ちにもなる。
おかげで湯に浸かっている間は、その濁り湯を上回るであろう、彼女の白く艶やかな肢体を目に留めなくて済む。
ぼくは目を瞑って湯を楽しむことにした。
そうしてしばらく黙っていると、隣で身じろぎでもしたのか、さざ波がぼくの肩を撫でる。
「ねえ」
「なんだよ」
「あたしのこと聞いた?」
「どれのことだよ」
彼女といい、佐々原といい。
もう少し具体的に聞いて欲しい。
何せここから岩国までの車中も、研究施設でも、帰りの車で休んでいる時ですらも寝物語ついでに、アレクシーの話題ばかり。
親バカってレベルじゃないぞ、あれ。
それこそストーカーなみの偏執っぷりだった。
そこでふと思い付いた一つを試しに挙げてみる。
「ぼくの動画を見てた癖に知らないふりしたことか?」
「ちょ!? それ!? ママ! 内緒にって! 絶対だよって言ったのに!」
駄々でもこねているのだろう、飛沫が耳に掛かる掛かる。
片耳を押さえつつ、これは意地が悪かったなと反省し「お前が宇宙人のハーフってとこか?」と暴れるアレクシーの方は見ないまま問う。
すると途端に落ち着いた様子で、水面はさざ波も立てなくなった。
返事は無い。
聞きたいことは合っていたらしい。
急かさずにしばらく黙って待っていると、意を決したようにアレクシーが水面を一つ揺らす。
「瞳の色がコンプレックスだったのよ。昔から。他にこんな電飾みたいな目、してる人いなかったからさ」
電飾とかまたえらい例えだな。
言い方はアレだが、美しいだろうにイルミネーション。
「綺麗な瞳してんのに贅沢な。他の女子の前では言うなよ」
ギャグマンガよろしく、嫉妬の炎がめらめらと沸き立つに違いあるまい。
アレクシーもその場面を想像したのだろうか。
息を呑みこんだ音が聞こえた。
「じゃあさ。あれよ。あの件はどうなのよ」
「曖昧で分からん」
「けっ……つ、きあうってところよ」
なぜ言い直した。
意識してしまうからやめとけ。
ぼくは殊更に何でもないことのように返す。
「婚約がどうとかか? ありゃあお前、いつもの冗談だろ」
そう言いつつ、大使の目が本気だったことを思い出す。
娘のこともあるけれど、と大使はそう前置いて言った。
万が一、この地球を、壱岐島を放棄したように見捨てなければならない時。
自分の身内ならば。
黄金の星へと連れて帰れる。
そう彼女は言ってくれた。
こんなしょうもない人間であるぼくの命を助けると。
そう。
「ママはあたしの結婚を冗談なんかに使わないわよ」
不機嫌そうに声を籠もらせるアレクシー。
冗談じゃないとしたら、お前はますます母親に対して憤るべきだろう。
自分が結婚することになるんだぞ?
こんなぼくと。
「お前はいいのかよ。んなことを親に決められて」
隣で小さく唸る声。
ぼくの問いかけに彼女は答えないまま「さっきから何で上ばっかり見てんのよ」と恐ろしいことを聞いて来る。
本当に分かっていないのか?
ぼくの行動の意味が。
「なんでって―――まあ、なんとなく」
「人と話す時は目を見て話すもんでしょ」
どうやら分かっていないらしい。
頭の中が子供過ぎる。
「昨今はそうでもないらしいぞ。生物学的にも相手の目をじっと見つめるのは威嚇行為になるそうだ。だから面接とか受ける時は、目より少し下辺りを―――」
「知らないわよ。そんなこと。あたしはあんたの目を見て話したいの」
彼女は正面へと回り込んだので、斜め上を見ていた目線をさらに真上へと移動させる。
「いい加減こっち見ろ!」
そう言って彼女は立ち上がって、ぼくを上から覗きこむ。
さすがにそうなると、視界に入らざるを得ない。
白い湯が重力に従って滑り落ち、彼女の肢体を露わにした。
そこには隠すものの無い生まれたままの彼女が―――肩紐の無い、チューブトップタイプの白い水着を着込んでいた。
ぼくはそれを見て、湯船に溶けて消え去ってしまいそうなほどに脱力する。
その様子を見て不可思議そうに「あによ」と首を傾げるアレクシー。
ぼくは脱力感からか、うっかりと口を滑らせる。
「お前が『裸の付き合い』なんて言うから、てっきり字面通りに、な」
最初は意味を飲み込めず、訝しそうにこちらを眺めていたアレクシーだったが、ようようのこと、やっとこさ理解できたのか。
白磁のような顔色を、見る間に赤らめていく。
「あんたそんな風に思ってたの!? マジきめーんだけど!?」
どこで覚えたその言葉。
取り乱したアレクシーは噛み付くように、ぼくを責め立てる。
その様子を見て、まあしかし、ぼくは安心できた。
彼女が年頃の女の子らしい羞恥心を持っていたということだ。
めでたいめでたい。
ん?
しかし待て待て。
そんな風に恥じ入られると、せっかく萎えていた疚しい気持ちが鎌首をもたげ始める。
だからそんなに食って掛かってくれるな。
腕を組んだ胸の谷間が強調されて、えらいことになってんぞ。
さりげに距離を置こうとするも「逃げんじゃないわよ!」と追って来るアレクシー。
お前は水着だから激しく動いても良いかもしれないが、こちとら湯船にタオルを付けるような違反は犯していないので―――つまりはそういうことだ。
ぼくは立ち上がって逃げられもせず、狭い風呂場の中で、アレクシーとの緩やかな追いかけっこをしていた。
すると。
「二人とも仲良さそうで何よりだね」
脱衣所に至る戸の向こう側から、聞き覚えのある声がした。
曇りガラスのシルエットは仁王立ち。
次いで「大使! 前を! 前を隠して!」と慌てふためく少尉の声。
「けれどねアレクシー。『裸の付き合い』とは読んで字の如く裸の付き合いなのだから―――」
壊れんばかりに勢いよく横へと開かれる戸。
そこには生まれた姿のままで一歩を踏み出す大使の姿が。
「これこそが裸の付き合―――ッ!?」
あまりの勢いで開かれた為だろう。
開かれていたはずの戸が反動で、乱雑に扱われた復讐だと言わんばかりに、轟音を響かせながら戸を再び閉めた。
第一歩を踏みしめていた大使の体が盛大に挟み込まれる。
轢き潰された蛙のように床に倒れ込み、悶絶する大使。
愛しいママの悲劇にアレクシーが大絶叫。
はしゃいだ子供を叱りつけるような少尉の怒号。
寛ぎの空間が、阿鼻叫喚の地獄絵図へ。
ぼくは仰向けに倒れ、白目を剥く大使を見て、ただこう思った。
天罰が下されたのだと。




