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大使8

 駐屯地へと戻れたのは、風呂を入った日の翌日深夜だった。

 大使から駐屯地に指示があったようで、ぼくは利用時間を過ぎた風呂場を貸切で使わせて貰えた。

 長く連れ回したことに対する配慮か、入浴剤のようなものまで入っている。

 白い濁り湯のようなそれは、長く頭を使っていたぼくの疲れを吹き飛ばしてくれそうだった。

 肩が隠れるほど深く、湯船に腰を落ち着ける。

 帰りの車中で休ませては貰えたが、肩や腰が悲鳴を上げていた。

 独り占めだしいいか、と、湯に浸かったまま、排水溝の上へと頭を突き出す。

 浴槽に流れ込まないよう気を付けながら、桶で頭から湯を被った。

 さいっこうだ。

 顔に残った水滴を両手で拭い上げる。

 髪を後ろへと掻き流し、そのまま風呂の縁に頭を置く。

 天井に留まる水滴が一つ、鼻の頭に落ちた。

 どうしたもんかな。

 鼻から滑り落ちる水滴の、むず痒い感覚が、大使に指で突かれた時の感覚に似ていて、あの研究室でのやりとりが思い出された。


「君は冗談かと思っているようだけどね。私が車中で語ったことは全て本気だよ。言ったろう? 核の話はオマケだって」

 大使はホワイトボードから離れて、ぼくのすぐ隣にしゃがみ込む。

 そうして、ぼくの鼻の頭を突つき、呆気に取られたぼくの手を両手で包み込む。

「娘を頼めないかな」

 それは大使と初めて会った時、娘を心配して感謝の言葉を述べたあの時と、まったく変わらない真摯な声音だった。

 お道化た様子でない大使に対し、冗談はやめて下さいと、かぶりを振って流すことは躊躇われた。

「理由を聞かせて貰っていいですか」

 なぜぼくなのだろう。

 ほんの少し前までただの学生で。

 ただ戦争に巻き込まれただけの。

 人形乗りとしては未熟なぼくを。

「君は自分を卑下し過ぎだよ」

 嘆くように、大使は言葉を紡ぐ。

「自身の評価を落として控えめに言うことは、なるほど、確かに奥ゆかしく、イクト君が自分よりも一つ高いステージにいる相手であると、そう感じていた人も案外そうではないかと勘違いして、君に接しやすくなるだろう。けれどね」

 ぼくの手を包んでいた大使の手が強く強く握り込まれる。

「言ったろう? それでは私や娘の見る目が悪いみたいに聞こえるし、過剰な謙遜は相手に正体を偽っているようで、失礼だよ。私は君が周りにそんな風に侮られて欲しくない。想像するだけで、我が事のように腹立たしい」

 下から覗きこまれる瞳は、鮮やかに輝いていて、今、言ったことが偽りの無い本音であると雄弁に語っている。

 反則だ。

 そんな態度を取られたら、ぼくはそんな大した人間ではありません、なんて反論が出来なくなる。

「ぼくの何がいいんですか」

 否定こそはせず、大使にその理由の如何を尋ねた。

「全てだと言っても信じないだろうから、一つずつ挙げていこう。娘を身を挺して守ったこと。鼻血が出ていたことを、負担に思わせない為に娘から隠したこと。娘の偏見を正したこと。娘が君のことを語る時の表情とかなんてもう、目が潤んでいるんだ。あれには嫉妬を覚えたよ。それからこれはきっと君は知らないだろうけれど、君がユーラシア大陸でプレイしている動画を何度も何度も私に見せるんだ。この人は凄い。どうやって敵を見分けてるんだろう。戦績はちょっと一般の人より上くらいだけど、人形の生還率はずば抜けて高い。なんで? どうして? どれだけ調べても分からない。もっと知りたい。会ってみたい。話してみたい。それはもうテレビ露出をしないインディーズバンドを追いかける熱を上げた少女のように愛らしい―――」

「ぼくのプレイ動画ですか? しかも大陸での?」

 意外そうに言葉を差し挟むぼくを見、一瞬、訝しい顔を大使は浮かべた。

 それからすぐに合点がいったようで、大使は一つ頷いてから、ぼくの疑問を確認する。

「人形に対する世間への情報秘匿のことを言ってるのかな?」

 そう。

 用捨人形に関しては日本の軍事機密だ。

 何も知らないプレイヤーを、ゲームと称した人形の訓練・実戦を行い、優秀な者を徴兵する。

 少しでも疑われてしまえば、十年以上も前から続くこの人形乗り育成システムが終わってしまう。

 いずれ良質な人形乗りがなくなり、日本はなす術も無く化生の植生に侵されるだろう。

 だからこそゲームの醍醐味とも言えるプレイ動画の録画や配信は、運営から厳重に禁じられ、規制を掛けられていた。

 しかし、「それは簡単なことだよ」と、大使はぼくに種明かしをする。

「表向き記録を禁止されてはいるけれど、それは情報規制に必要だから。人形に搭載されたカメラ映像自体はきちんとストックされているよ。研究の為だと言えば、私たちの立場なら簡単に手に入れられるものだったさ」

「……………」

 おかしいとは思ってはいた。

 戦闘記録を残さずにいるなんて、人形の性能を上げていく上で必要不可欠な要素なのに、と。

 記録が残されているのならば、そして、アレクシーがどんな情報も閲覧できる立場だったのならば、佐々原に興味を示さなかったのも分かる。

 彼女は改造手術を受けたから強いのだと、簡単に理由が付く。

 しかし、待てよ。

 映像の録画に関しての疑問はアレクシーと初めて会った時の会話で解消していたはずだった。

 彼女は確かにこう言っていた。

『私がこの目で! 直接! そのプレイの一部始終を見ない限りは信じないからね!』

 と。

 BMIや用捨人形の技術士官であるアレクシーが、ぼくの動画を手に入れられないということは、つまり、動画そのものが本当に存在しないのだ。

 ぼくはそう考えた。

 しかし、これは違うと大使は否定する。

 動画は存在し、彼女は既にそれを見ていた。

 そうなってくると、もう一つ、ぼくには疑問が生まれてしまう。

「彼女、ぼくのプレイスタイルを信じてなかったんですよ。前々からぼくのプレイ画面を見て知っているなら、しつこく『信じられない』なんて繰り返さないでしょう」

 だからこそ彼女を偵察ミッションに連れて行くことになったのだ。

 アレクシーが右腕を痛めるわ。

 ぼくは鼻血を出すわ。

 佐々原が落ち込むわ。

 もう散々だった。

 すると、解答の分かる問題を答えたくて仕方が無い子供の様に、体を疼かせていた大使が堪え切れず、ぼくの疑問に答えてみせた。

「それは私の入れ知恵だね」

 嬉々とした表情にうんざりする。

 大使は気にした様子も無く、むしろ褒めて欲しいとばかり自慢げに続きを話し始めた。

「娘は君と知り合いたかった。それなら、知らないふりをして近づいた方が、ミッションに連れて行って貰える口実を作れる。娘の張り切り様と言ったらなくて、私を君に見立てて、台本まで用意して一生懸命に練習していたよ」

 君が英語に堪能では無いと、気付かなかったのは誤算だったけどね、そう言って大使は思い出し笑いをする。

「笑い事じゃないですよ。おかげで娘さん腕を痛めたんですよ?」

「それに関しては青ざめる思いだったけれどね。考えてもご覧よ。君のことをずっとカメラ映像で覗いていました、なんて初対面で言って来る相手は、たとえ美少女であったとしても、なんだかストーカーみたいだろう?」

 美少女かどうかは関係ないと思うが、それは確かにそうかもしれない。

 というか、ストーカーそのものだろう。

 もし初めて会った時に、そんなことを言われていれば、きっとぼくはアレクシーとあんな風に親しげな会話をすることは無かっただろう。

 そう考えると大使には感謝してもいいのかもしれない。

 コミュ障なぼくに。

 気兼ねない友達が出来たのだから。

 ただ、そのしてやったりみたいな顔は止めて欲しい。

 素直にお礼を言い辛くなる。

 むしろ、狙ってお道化ているのだろうけど。

 再び水滴が鼻の頭に滴り落ちる。

 あまりの心地よさに意識が飛んでしまっていた。

 天井を呆けながら眺めつつ「大使はあれで照れ屋で可愛いところがあるからな……」と独り言ちた。

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