佐々原5
追いついて隣を歩くが、佐々原は前を向いたままだった。
「案内するも何も、この駐屯地からは出れないだろ。それになんで眼鏡を掛けたままにするんだよ」
「出る必要はないし、眼鏡をする必要はある」
ぼくが聞きたいのはどこへ行くのかであり、眼鏡を掛け続ける理由だった。
続けて似たような質問を繰り返したが、いつもの打てば響くやり取りではなく、彼女はぼくが言った言葉に是か否でばかりの返事を返した。
寮の外へと出て、医務室や食堂などがある中央施設へと向かう。
ぼくらが利用するのは大体一階にある施設ばかりなので、あまり上の階には上がらない。
エレベーターに乗った佐々原は、最上階のボタンを押す。
「どこに行くんだよ」
「最上階」
それは見たら分かる。
「なんの部屋に行くんだ?」
「部屋に用は無い」
まったく意味が分からない。
重ねて質問をしようとしたらエレベーターが最上階に着いた。
ちょうど日が沈む頃合いで、窓から差し込む光が眩しい。
そこでようやく眼鏡が必要という意味に合点がいった。
駐屯地周辺には学校が幾つかある。
この駐屯地内で一番高い建物の窓から、外を見ようという考えなのだろう。
エレベーターから降りた佐々原は、廊下を少し歩いてから、ぼくが思った通りに窓際へと寄った。
「あれが私の学校」
施設の外へ向かって指し示された場所は、小学校でも、中学校でも、高校でもなかった。
景観を損ねるという条例により建築物の高さ制限があるこの都市で、一際抜きん出ている黒いビル。
窓までもが黒く塗られ、眩いばかりの夕日を吸い込み、一切反射しない。
「あれには外資系軍需企業が入っている。元々は大陸で研究されていた、人間を強化する実験を、国から委託を受けて行っている」
完全に日が沈み。
夜が訪れる。
「私は大陸での戦災孤児であり、戸籍上は既に死人であり、実験の失敗作」
彼女の言葉に、ぼくは目の前が真っ暗になる。
は?
なんだそれ?
ゲームの設定か何かか?
それらの疑問をぼくが彼女に投げかけることは無かった。
彼女は厭らしいプレイをする。
けれど、こんな冗談は吐かない。
「あの建物はアジアを拠点としていた笠原工業集団公司。軍用車両や生物兵器などを販売供給し、かつては『用捨人形』を開発したカウンターガーディアン・インダストリに競合していた大企業だった。けれど、大陸が化生により侵食されるにつれ、公司は弱体化。日本へと拠点を移した彼らは、語部製薬と共同開発を行う。その成果が七夕シリーズであり、私は強化し損ねた失敗作。そして、私には仲間がいた。同じ実験を受け、大陸へと戦いに赴いた私の仲間。みんな死んでしまった」
太陽の沈んだ駐屯地。
漆黒に染まる建物を見つめたまま、佐々原は話し始めた。
彼女の過去を。
彼女の今を。
独白に始まり、彼女が窓ガラスを叩き割るその時まで、ぼくは心の底から後悔した。
嘘が無い人がいいなどと。
隠すような真実が無い、平凡な人生を送ってきたぼくだからこそ言えることだった。