アレクシー2
アビゲイル少尉が施錠された扉越しに理由を尋ねると「あたしなんか餓死すればいい」だそうだ。
屠殺の動画なども見てしまったようで、「死にたい」とも言っていたらしい。
調理された牛や豚と、それらを殺している過程が直結していなかったようだ。
極端すぎる。
本当に科学者なのかと疑いたくなる。
爬虫類の解剖だとか学校の授業であるだろうに。
最近はやらないのかね?
救い出そうにも扉をこじ開けようとしら、「舌を噛んで死ぬから」と取り付く島もない。
責任を感じたぼくは、仏教だの禅だの、あらゆる説得を試みること三日三晩。
いよいよ返事も聞こえなくなった。
さすがにまずい。
ぼくが扉をこじ開けるよう少尉に頼む、その寸前でアレクシーは外に出て来た。
ようやく出て来た彼女は病的にやせ細っていた。
ぼくの顔を見て、彼女は眉根を寄せる。
「あんた酷い顔してるわよ」
「お前には負ける」
彼女の悪態だけが変わらなかったのは、素直に安心できた。
ぼくが酷い顔をしている。
それもそのはず。
ぼくはぼくで、先日は不用意な発言をしたと、後悔と罪悪感で食事が喉を通らなかったのだ。
二人して医務室に運ばれそれぞれ隣同士のベッドに寝かされた。
ぼくは病人では無いと言ったが、少尉が「貴官もアレクシー同様で不眠不休だから、休みを取る様に」と抵抗を許さなかった。
アレクシーが医官にしこたま叱られた後、二人分のおかゆが用意された。
湯気が立ち昇り、上にのせられた梅じその爽やかで、かつ、甘酸っぱい匂いにぼくらの腹が盛大に鳴る。
顔を真っ赤にしたアレクシーがこちらを睨みつけ、ぼくは逸らす。
彼女を横目で見て、おかゆに手を付けたのを見て、ぼくも食べ始めることにした。
「全部ママが教えてくれたの」
彼女は唐突にそう切り出した。
豚とか牛の屠殺動画の存在をだろうか。
もしもそうなら、ついにあのメールアドレスを使う時が来たのかもしれない。
精神的に滅入りそうなURLを山ほどに送りつけてやろう。
しかし、教えて貰ったという内容はそれでは無いらしい。
全部、というのはそのままの意味だった。
「大学を出たってのは嘘」
「は?」
「っていうか、幼稚園にも行ってない。外に出られるようになったのも、少尉があたしを護衛するようになってからなのよね」
「え?」
全てってそういうことか?
『教え』と呼ばれるもの全てを大使に習ったと?
あまりのことに思考が止まる。
どういうことだ?
彼女の母国には義務教育が無いってことか?
待て待て待て。
民主主義なあの国にそれが無いってあり得ないだろ。
ぼくは間を取って心を落ち着かせる為に、黙ってお粥を啜る。
なんで学校に行ってないんだ、とはデリケートな質問だろう。
かと言ってこのまま黙っているのも気まずい。
しかし、当たり障りの無い言葉が思い浮かばず「なんで嘘を吐いたんだ?」と、先ほど思いついた言葉と大差ないセリフを口にしていた。
「学校を出てないなんて、おかしいじゃない」
そう呟く声は酷く弱弱しい。
確かに彼女の言う通り
一般的では無い。
同意する。
しかし、ここでそう答えるのは違うだろう。
「ぼくもここで軟禁状態にされてからは高校に行ってないけど、べつにおかしくなんかないぞ。ましてお前は大体の大人よりずっと頭いいだろ。何を思い悩むことがあるんだ」
「ほんとに? 恥ずかしい奴だと思わない?」
「行けなかったんだろ? 行きたくなかったんじゃなくて」
アレクシーは黙って頷く。
「それじゃあお前じゃなくて周りが悪い。どういう事情があるのかは知らないから、フー大使が悪いとも言えないけど、少なくともお前が気に病むことじゃねーよ」
「そっか。ふーん。そう」
彼女はおかゆを掻き込み「これあっついわね」と熱さに涙ぐむ。
粥を含んだ頬も、すすり上げる鼻までも真っ赤だった。
「ゆっくり食べろよ。汚いな」
「うっさいバカ! こっち見んな!」
さっきまでの弱気はどこへやら、声の調子がいつも通りに戻って来た。
三日ぶりに顔を合わせたということもあるが、罵倒されて安心するとか。
アレクシーとのやりとりに慣れ過ぎだろう。
「二人だけの秘密だからね!」
そう嬉し気に微笑むアレクシー。
ぼくは視線を外してから、返事を返した。
「大使も知ってるだろ」
すると見る間に頬を膨らませ「あんたに話したってことを内緒にしろってことよバカ!」ますます調子を取り戻した彼女に安堵し、ぼくはゆっくり食事を取ることにした。
お粥も完食し、頭に栄養が巡ったところで一つ気になることが思い浮かぶ。
ぼくは言われた通りにアレクシーを見ないまま「そういや、なんでぼくに嘘だとばらしたんだ?」と尋ねた。
黙っていればばれなかっただろうに。
恥ずかしいと思っているなら尚更だ。
しかし、いつまで経っても返事は無く、アレクシーのベッドがある側へ寝返りをうってみた。
掛布団を肩まで掛けたアレクシーは、ぼくがいるベッドとは反対を向いて寝入っていた。
食欲が満たされた上に身体が暖まって瞼が重くなったのだろう、布団から少しだけ覗いている耳の先が赤く染まっていた。