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大使

「君かね。うちの娘を誑かした輩は」

 呼び鈴に応じて自室の扉を開けるなり、ぼくのことを見下ろして来た相手は、そう言ってぼくを脅した。

 中年親父のような口調で流暢な日本語を扱っているが、その胸の膨らみから見て、言うまでもなく女性だと思う。

 それも絶世。

 そして、彼女が浮かべている表情は言葉とは裏腹で、怒りは無い。

 謎の美女は何とかかんとか強張らせていた顔を、堪え切れずに噴き出した。

「でかしたよ、君!」

 厳めしく話していたのは演技だったのだろう。

 見かけ相応の声音に戻ってぼくに抱き付いてきた。

 娘とは誰か。

 それはすぐに分かった。

 彼女の髪は噛んで含めば甘そうな色をしている。

 つまりはそういうことだ。

 ただもう一つ、アレクシス最大の特徴である瞳の色を、彼女には確認できなかった。

 その理由は。

「なにを黙り込んで―――ああ、ひょっとしてこれが気になるのかな」

 そうして、彼女は自身の目を覆う黒い目隠し(マスク)に手をやる。

「生まれつき目が弱くてね。まあ、生まれた時からこうだから特に不便は感じてないんだよ。だから気にすることは無いかな」

 ぼくは図星を突かれていたが、それをそのまま肯定するのは失礼だろう。

 なかなかぼくを離さない彼女の腕を解いて、ぼくは三歩ほど後ろに下がって距離を取る。

 そして、「驚いただけです。日本人にハグの習慣はありませんから」と、無難に答えることにした。

 しかし子供の浅知恵だと言わんばかりに厭らしい笑みを浮かべた美女は「気を遣ってくれてるのかな。優しい子だね、君は」と再び距離を詰めてくるので、ぼくは壁際に追い込まれ、彼女と壁の板挟みにあった。

 気付いてるなら口に出して言わないで欲しい。

 彼女の薄らと笑んだ顔はとても綺麗で、ぼくが眼鏡を掛けていたならば、顔を真っ赤にしていることだろう。

「どういったご用件ですか」

 というかそもそもこの人は何なんだ?

 アレクシスの親族だというのは分かるが、ここに居るということは彼女と同じ軍属になるのだろうか。

「君と私の仲だろう。堅苦しい話し方はやめよう」

「初対面です」

「私にとっては恩人だよ」

 そこでようやくこの部屋を訪れた用件についての合点がいった。

 終始ふざけていた様子が一変し「娘を救ってくれて本当にありがとう。感謝するよ」と彼女は深々と一礼した。

 そして、膝を折って手を床につき、同様に額を地面に近づけて「いやいやいやいや」とぼくはいやいやを繰り返しながら、アレクシスの母親であろう人の脇に手を突っ込んで、立ち上がらせた。

「高い高いをして貰えるのかな」

「無理です」

「重いとは言わせないよ」

「体重の話なんてしていません」

「では私が君を掲げ上げよう」

「日本語が不得意なんですね。意味が通じていませんよ」

 ぼくはそう言って頷き、なおも益体の無い話を繰り返す彼女を往なし続けた。

 唇を尖らせ残念がる母親らしき人物。

 娘とはまた違った意味で厄介そうだった。

「日本の正式なお礼は土下座だと聞いたよ」

「誰ですか」

 その日本文化を盛大に誤解しているアメリカンは。

 忍者が現存すると言い切ってるのと変わらないレベルだぞ?

「えーっと……アビーだったかな?」

 さも今、思いついたように言う。

 嘘だな、これは。

 確認するまでも無い。

 その証拠に「ジブンに罪を擦り付けないで下さい。フー大使」とアビゲイル少尉が開いていた扉から顔を覗かせた。

 なるほど。

 彼女の名前はフーと言うのか。

 『誰』とは変わった名前だ。

 しかし大使ね。

 国の顔とも言える役職にこの人を据えるとか、どんだけ冒険心溢れる采配だろうか。

 フランクではあるだろうけど、日本には馴染まなさそう。

「入っても?」

 良識ある問いかけにぼくは喜んで少尉を招き入れた。

「謝る姿を人に見られたくないと、殊勝な顔して言うので待っていたらコレですよ。我が国民性を疑われます」

「盗み聞きは品位に欠けないのかな」

「貴方の声は基地外にいても聞こえます」

「美しく通る声ということだね」

「姦しく喧しいと言ってるんです」

 喧々諤々とこの部屋の住人を置き去りにして掛け合いをする二人。

 もう早く帰ってくれ。

「イクト君はどう思うかな」

「早く帰って欲しいと思います」

 言っても許される雰囲気を感じたんだろう。

 自分でも驚くほどにうっかりと、本音が漏れてしまった。

「ごめんなさい。二曹」

 自分よりも目上の、それも階級が上の軍人に謝罪させてしまった。

「少尉に対して言ったわけではありません」

「自身に言い聞かせたわけだね。早くお家に帰りたいと」

 会話に無理やりねじ込んでくる大使。

 機会があれば人を弄ろうとするのは止めて欲しい。

 少尉が「貴方はまたそうやって――」と再燃しそうになる二人のやりとりを牽制するべくぼくは大使へと懇願する。

「お願いだから混ぜっ返さないでください」

「好きな子はイジメたくなるタイプなんだ」

 あんた幾つだよ初対面だろ、と声を大にして叫びたい。

 永遠の十七とか言いそうだ。

 彼女の問いにまともに返しては駄目だと息を一つ吸い「それで用件は何なんですか」と心を落ち着かせて尋ねる。

「何を言ってるんだい? 最初から言ってるだろう。娘のお礼を言いに来たんだ。やれやれ忘れっぽいな君は」

 肩を大袈裟に竦め、両手の平を天井に向けるポーズは、なるほど、アレクシスとそっくりだった。

 なんという腹の立つ言い回しだろう。

 大使が小首を傾げる仕草は絵になるのだけれど、可愛さ余って憎さ百倍だった。

 ぼくはため息を吐きつつ、呟く。

「不思議そうにしないで下さい」

 お礼以外のやりとりがどんだけあったと思っているんだ。

 それならば、ただ一言、有難うでいいだろう。

 ―――いや、でもそうだ。

 そもそもアレはぼくのせいだからお礼を言う必要はない。

 むしろ、こちらが謝るべきなんだ。

 今更ながらにそのことに思い至り、恐縮する。

「どうしたんだい? 名探偵が全ての謎を解いたみたいに、得たり顔をしているよ?」

 まさかこのひょうきんな態度も、ぼくに気を遣わせない為に?

「ほら。私がこんな風なのはコミュニケーションだよ。コミュニケーション。人にとって大切なことだろう? 人間関係塞翁が馬と言うだろう。笑って笑って。ああそうだ。こういう時は『はい、ニート』って言うとニッコリ笑うんだろう?」

 そうして、ぼくの口端に指を引っかけて伸ばそうとする初対面。

 なんだろうか。

 この脱力感。

 散歩に連れ出した犬が構ってやっても満足せずに延々とじゃれついてくる感じ。

 心地よい疲労というか。

 なんと憎めない。

 そして畏まれない。

 この雰囲気では何を謝ったところで笑い飛ばされそうだった。

 それに他に人がいると恥ずかしい。

 今度、少尉がいない時にでも謝ることにしよう。

 そこでふと自室の時計に目が留まる。

 まずい。

「申し訳ありません。約束があるので、そろそろお帰り頂けますか」

 帰って欲しいからと口から出任せを言ったわけでは無い。

 いつもこの時間くらいに、佐々原とぼくとで訓練を行っているのだ。

 すっぽかすと、またぞろ眼鏡を掛けろと言われかねない。

 恐ろしい。

 すると、大使は申し訳なさの欠片もない満面の笑みを浮かべて「そうか。それは失礼したよ。では、今日は挨拶だけにして、もう一つの要件はメールで話すとしようか」とさりげにメル友提案をしてくる。

 やっぱあるんじゃねーかよ、本題。

「名刺の裏にアドレスを書いておくよ」

 そう言って渡された名刺は日本語で、『フー・コーラー』と書かれていた。

 やはりアレクシスの母親らしい。

 姦しいところは似てるが、親しみやすさはこちらがずっと上だろう。

 鬱陶しいと思うかどうかは接した人に任せよう。

 ぼくがどう思っているかは言及しない。

「それじゃあ待っているよ」と抱き付かれ、頬に軽く口づけをされた。

 フレンドリーが過ぎる。

 日本の挨拶に倣ってくれ。

 頬に手を添え、出て行く大使たちを呆然と見送る。

 すると、扉の陰に立っていてぼくからは見えなかったのだろう。

 少尉とは別に、黒服(映画に出てくるような黒いサングラスに喪服のようなスーツ)が大使を護衛するように追従していった。

 それでようやく本当に大使なのだなと、納得することにした。

 ―――最初に感じた違和感は結局、拭い去ることは出来なかったが。

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