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少尉

 室内から漏れ出る音。

 暴れ狂っているだろうアレクシスに会う為、再度の入室をする気にもなれず、自室へ戻ろうとしたところ。

「二曹」

 歩哨として立っていた米兵に呼び止められた。

 アレクシスの自室前でぼくを誰何した人だった。

 そして、眼鏡を掛けた今やっと気付いたのだが米兵は身長の高い女性だった。

 考えれば当然か。

 男女共同の寮生活の中で貴重な技術士官の護衛まで男にするのはいかさま拙い。

「ジブンはアビゲイル・マクマホン少尉よ」

 そう言って握手を求めてくるので、戸惑いながらもその手を握り返した。

 長い黒髪を団子状にして後ろにまとめ上げているにも関わらず、顔が自分の半分しかないのではと思い違いするほどに小さい。

 しかし、顔つきは可愛いというよりは怜悧な美しさを持っている。

 研ぎ澄まされた刃物のように鋭い印象を受けた。

 軍隊で鍛えているだけあって日本人にはあり得ないほどに整った体型を持ち、ぼくよりも頭二つ分は背が高い。

 少尉は戸惑うぼくを見、「彼女は意地っ張りだけど、仲良くして上げて欲しい」と外人特有の極上な笑みを浮かべた。

 笑顔に押され、ぼくは無理だと言えない。

 その代わりに、あれを聞いて欲しいとばかりに、未だ冷めやらない騒音のする医務室に目を送る。

「どうにもぼくは嫌われているようです」

 すると、少尉は笑みをますます深めて「大丈夫。素直じゃないだけだから。女って意味もなく怒る時あるしね」と自身が女であることを棚に上げたように言う。

 佐々原もたまになる時があるから、その言い分は分かった。

 分かっただけで、理解したいとは思わないが。

「それにね」と少尉は言葉を繋ぐ。

「ちゃんと貴官のこと話しておいたし、むしろ前よりも好きになっているはずよ」とそれこそ意味の分かないことを言った。

 ぼくのことを話す?

 会って二回目の、少尉がアレクシスに話す時には一回目でしかないぼくの一体、何を話すんだ?

 そうして首を傾げたら、少尉が握りこぶしを振るって感情たっぷりにぼくの勇姿を熱弁した。

「貴官が鼻から血を流して、ふらふらになりながらも足を緩めず、部屋に駆けつけてくれたこと。絶叫するアレクシーを見て、我を失っていたジブンが対処できずにいるのを、二曹は冷静に判断を下して、ゲームを中断させ、医者を呼ばせたこと。シートの上でぐったりと倒れる彼女を絵物語に出る王子様のように優しくそっと抱き上げ、ベッドに運んだこと。その後、中断したゲームを初めて、アレクシーの人形をなんとか救おうとしたこと。見ていて惚れ惚れしたわ」

「ええと……有難うございます」

 確かに。親しい人から、こんなにも熱っぽく語られれば、アレクシーどころか、誰だろうがぼくのことを悪くは思わないだろう。

 話を盛り過ぎている気がしないでは無い。

 けれどぼくがアレクシーから好感を得られるよう努めて貰ったのだから、あえて訂正はしないでおこう。

 それにしても、だ。

 人として当たり前のことをしただけなのに、こんな風に美化して言われては居た堪れない。

 ぼくがそうやって畏まっていると、少尉はぼくの鼻の頭を見た。

「そういえば、もうそこは大丈夫なの? お医者さんに付けて貰ったガーゼを外してるみたいだけど」

 幼い子供を案ずる母親のように言う。

 少尉には似合うが、そういう扱いはぼくが面映ゆくなるのでやめて欲しい。

「外してきました。血は止まったので」

 少しばかり痛むけれど、たかが鼻血で大袈裟過ぎる。

 ただそれだけだ。

 他意はない。

「つまりここに来る前までは付けてたってことだよね。アレクシーに会う前までは」

 そうして少尉が指で鼻先を突こうとするので、咄嗟に避ける。

 指を引っ込めた少尉は、うんと一つ頷き、微笑ましいもの見るように笑う。

「貴官は優しい子ね」

 そして、頭を撫でられる。

 完全に子供扱いだった。

「アレクシーをよろしくね。あの子は本当に意固地だけど、貴官のような年の離れた子供には心を開きやすいと思うのよ」

「…………」

 アレクシーが年上だとは思うが、それでも二歳くらいだろう。

 何か盛大な勘違いをされている気がする。

「ぼくは今年で十八になりますが」

「あら。背伸びするなんて可愛らしい」

 彼女は撫でていた手をぼくの背中に回し、思い切り引き寄せ、抱き締めた。

 もしも幼い子だと思われた上で、こうされているのならば、一刻も早く誤解を解きたい。

 セクハラい。

 解放されたぼくはすぐさま自身の身分証を財布から取り出し、彼女の目の前に提示して見せる。

 少尉は笑顔を凍り付かせ「アレクシーより年上なの……っ?」と唇を戦慄かせていた。

 その言葉にはぼくの方こそ驚かされた。

 アレクシスが年下?

 言動はともかく、あの大人びた容姿に、ぼくはてっきり二十歳は超えているものだと思っていた。

 ぼくが我に返っても、依然として固まったままの少尉。

 よほどぼくの年齢が衝撃だったのか。

 それともアレクシスを医務室で同い年の男と二人きりにさせたことを、今更ながらに悔いているのだろうか。

 さっきまでの話し方を鑑みるに、少尉はアレクシスを妹のように溺愛していそうだ。

 不安にもなるだろう。

 医務室からは未だに暴れる音が漏れてるしな。

 逡巡し終わった少尉は一つ頷き「むしろ、同世代の友達が出来るチャンス」と独りごちた。

「二曹」

「はい」

 ぼくの両肩に手を添え、屈み、視線を同じにする少尉。

 眼鏡のせいで相手の輪郭をはっきりと捉えてしまう。

「ちゃんと目を見て」

 どうにも目が泳いでいたようだ。

 苦労して彼女の目に焦点を合わす。

「日本には男女七歳にして席を同じゅうせずということわざがあるのよね」

「中国です」

「その返答は貴官が言葉の意味を理解し、それを行動に移せると判断するわよ」

「言わんとしてることは分かります」

「よろしい。では、今後、アレクシーに会う許可を与えましょう。必ずジブンに一言、絶対に断りを入れるように」

 念押しする少尉に頷いて答えると、少尉は肩に置いていた手を使って、ぼくを周り右させる。

「これ以上、面と向かって話してたら厳しいことを言いそう。そのまま部屋へ戻ってね」とぼくの背を押し出した。

 そして、舌の根も乾かぬ内に、言わずにいることを堪え切れなかったようで、少尉は「あまりアレクシーに近づき過ぎないように、けれど、アレクシーに頻繁に会いに来るように、しかし、節度を持った付き合いを、もちろん、付き合いというのは友達付き合いという意味で、でも、アレクシーを女の子として傷つけないように扱って、ただし、手を握るくらいの節度で。あ、ガーゼの件はちゃんとアレクシーには黙っておくから――――」と延々と続く注意と推奨を廊下の角を曲がっても続けていた。

「日本人は若く見えるというけれど………オーマイゴッド」と呟いているのがぼくの聞き取れた最後の言葉だった。

 アメリカ人にはやはり言い易いんだな、オーマイゴッド。

 二人はとても仲が良さそうだった。

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