アレクシス3
医務室前には見覚えのある米兵が立っていた。
ぼくを見るなり笑顔になって入り口の前を移動してくれる。
失礼します、一言だけ断ってから中に入ると半身を起こしたアレクシスが俯き加減にこちらを見た。
怒鳴りつけるでもなく、黙ったままだ。
いつもの調子なら顔を見るなり、食って掛かって来るだろうに。
まして今回の件については罵声を浴びせられても仕方が無い。
「いつまでそこに突っ立ってんのよ」
そう促されたので、ベッド横にある椅子に腰かけた。
やはり体調が悪いのか。
彼女が話す言葉は、ぼくでも聞き取れるほどにゆっくりと弱弱しかった。
容体を尋ねようと医官を目で探すが、見当たらない。
その様子を見ていたアレクシスは「訓練中に怪我した奴がいるからそっちを診に行ってるわ」と説明をしてくれた。
「そうですか」
つまりアレクシスの容体は、目を離していてもいいほどには安定しているということか。
ぼくはとりあえずだけれど胸を撫で下ろす。
そして、これはチャンスである。
いや、体調を崩しているのに、その表現は不適切かもしれないが。
しかし、これからする話はあまり人に聞かれたくはないことだ。
人は出払っているのが好ましい。
ぼくは立ち上がって深々と頭を垂れる。
「申し訳ございません」
「なんであんたが謝るのよ」
ぼくはここに来る前に入れておいたスマホの翻訳アプリを立ち上げ、録音し、英語にして再生する。
「オプションの説明を佐々原に任せたのはぼくです。ですから、ぼくに責任があります」
「ほぉん。日本人は本気で謝る時には床に額を擦り付けて土下座するって話を聞い――――嘘よ! だからすぐに立ち上がって、そこに座りなさい!」
床につきかけた膝を伸ばし、言われた通りに座り直す。
アレクシスは盛大に溜息を吐いて「あんたにはプライドってもんが無いの?」と腕を組んで見下してきた。
「友達ほど大事ではありません」
ぼくみたいなコミュ障。
ゲームに付き合ってくれる奴なんて、もう一生現れないかもしれない。
趣味も同じで年齢も近い。
失いたくはないよな。
「どういった処分があるのか分かりませんが、見逃してやっては頂けませんか」
「つまりタナバタを救う為に見舞いに来たんであって、あたしを心配して来たわけじゃ―――」
ノー、とぼくは強く否定し、アプリを再生する。
「そんなわけ無いでしょう。心配したに決まっています」
ぼくの言葉に目を丸くして固まるアレクシス。
正直、彼女のことは煩わしいと思う。
しかし、嫌ってはいない。
口こそ悪いが、それはアレクシーが自分を飾らない、偽らない性格であり、正直であるということで、ぼくみたいな正直さに欠ける人間としては憧れる存在だ。
嘘を吐かない。
相手を貶める時も、偽らない。
それはとても好感が持てる。
好きだと言ってもいい。
少なくとも陰口を叩かれる心配は無さそうだ。
ぼくは彼女の誤解を解くために、彼女を心配して来たことを信じて貰えるよう、今の自分の考えを熱を持って語り尽した。
「ふぅ、ん、そう、なんだ」
枝毛が気になるのか、ぼくの力説が退屈だったのか。
好感を持てる、そういったニュアンスが出て来た終盤には、アレクシスは忙しなく前髪を弄り始めていた。
「あんたは友達であるタナバタの為に来たけど、私のことも心配してたのね?」
「あなたを心配して来たことがメインです。佐々原のことをまず謝罪したのは、確かに友達が大切ということもありますが、あなたにまずは謝ることが筋だと思ったからです」
ぼくは再び頭を下げる。
しかし彼女は「そう。友達、ね。友達……か。そっか、友達なんだ。ふーん」とよく分からないことを呟くだけだった。
さっきぼくが言った言葉を反芻するアレクシスは、頭を下げたぼくを覗きこむように見上げた。
「なんか勘違いしてるみたいだけど、オプション設定はあたしがしたし、タナバタが嘘を教えたわけじゃないわ」
それは分かっている。
そこまで佐々原は酷い奴じゃない。
そうじゃなければ、ぼくはこんな風に謝ったりしない。
しかし。
彼女の気性を考えるならばきっと。
ぼくはスマホに言葉を吹き込み再生する。
「偵察ミッション前に挑発するようなことを言ったんでしょう。たとえば『感度は上げれば上げるほど考えた通りに人形が動いてくれる。ただし、度数を上げれば接触感覚も増し、痛覚も同様に伝わる為、目盛は三か四が基本。でも、貴方のような素人は一か二にした方がいい。きっと枝葉に当たっただけで痛くて泣いてしまう』とかですか」
BMIの専門家に向かって殊更詳しく話すところが肝だろう。
普段はあまり喋らない癖に、気に食わない相手に対しては多弁になる。
佐々原の悪い癖だ。
「よく分かるわね」
「長い付き合いですから」
リアルで会ったのはここ数か月のことだが、ぼくはゲーム上で彼女のことを知っていた。
郷原を超える上位ランカーである。
ソロでいうならば郷原を圧倒している。
知らないプレイヤーなどいないだろう。
プレイ中の彼女は本当に厭らしく個性的なこともある。
人形同士での訓練チームプレイで、佐々原が味方側でない時に、それは思い知っていた。
向こうは色んなユーザーとプレイしているから、ぼくと出会った時のことなんて覚えていないだろう。
ぼくが一方的に見知った期間を含めると、出会ってから五年以上も経つことになる。
歯に衣着せぬというか、基本的に他人を信じないような奴で、ぼくによく似ていた。
出会ったころは同族嫌悪。
今になっては同類相哀れむといった関係か。
「思い出に耽るな」
頭を一つ叩かれて我に返る。
「申し訳ありません」
「日本人は謝れば済むと思ってるでしょ」
「申し訳――――」
「もういいから」
出かかった言葉を詰まらせる。
怒らせてしまっただろうか。
「顔を上げて」
「しかし」
「頭を下げないでって言ってんのよ!」
アレクシスは、ぼくの顎を掴んで無理やりに顔を上げさせる。
視界に入った彼女は顔を真っ赤に染め上げて怒鳴りつけてくる。
「つまり気にしなくてもいいってことよ! だからそんなしかめっ面をしなくていいってこと! 分かった!?」
いつも通りの早い口調に戻った為にあまり聞き取れない。
けれど、彼女が気にしていないということだけは何となく伝わった。
気にしていない様子にはとても見えなかったが、とりあえずの言質は取れたので、佐々原のことは一安心だ。
これで純粋にアレクシスのことを考えていられる。
そうして彼女へと視線を向けると、彼女は何か気まずそうに目を泳がせた。
彼女は仕切り直すように咳払いをして呟く。
「その手に持ってるの」
やぶ睨みするアレクシスは、一方をベッドに、もう一方をぼくの手元に注いでいた。
「眼鏡ケースよね」
「そうです」
「なんで持ってるの」
佐々原に掛けてるところを見せる約束だったんですが、部屋に入れて貰えなくて、とは言えまい。
それだと佐々原を優先してしまったことになる。
だからぼくはその問いかけを、なぜ持ち歩いているのではなく、なぜ今掛けていないのか、と曲解して捉えることにした。
「遠くを見る時にしか、掛けないんですよ」
「なんで?」
「あんまり似合わないんですよ、眼鏡」
本当の理由はもう一つあるのだけれど、そこはあえて伏せる。
コミュ障ならば誰しもが納得の理由だ。
「掛けて見せてくれたら、さっきの件、許してあげる」
気にしなくていいんじゃなかったのか。
漏れそうになる言葉をぐっと堪える。
悪いのはこちらだ。
それで済むのならば、と震える指で眼鏡を掛ける。
ぼやけてた視界がクリアになり、アレクシスの顔がはっきりと見えた。
目と目が合っていて、ぼくは思わず目を逸らせる。
「もういいですか」
「駄目。そのまま掛けてること」
市中引き回しのように辱めを与えたいのか。
矯めつ眇めつ、ぼくの眼鏡姿を視線で侵してくるアレクシス。
なんの拷問だ。
「もうそろそろ―――」
「あんた年いくつ」
勘弁して下さいという言葉は掻き消された。
早く解放されたい一心で「十八です」と手早く答える。
すると、アレクシスは目を見開き絶句した。
何をそんなに驚いているのか。
その理由はすぐに解けた。
「日本人は若く見えるって言うけど………オーマイゴッド」
「…………」
日本語で言う『えっ?』なんだろうけど、言い辛くないのだろうか、『オーマイゴッド』。
なにはともあれ早く外したい。
誰だって遠まわしに童顔だと言われて嬉しい気はしないはずだ。
この際、黙って外してしまおう。
そうして、片耳に掛かったツルを浮かせたところで「あたし良いって言ってないわよ」と彼女の言葉に指が凍る。
アレクシスは眉間に皺を寄せつつも、ぼくの固まった姿がおかしかったのか。
笑いを堪えきれない彼女は「罰として部屋に戻るまで眼鏡を掛けていること。それで許してあげる」と余計なオプションを付けてきた。
ぼくは内心で呪いの言葉を吐きつつ「有難う御座います」と再度、立ち上がって深々とお辞儀をした。
アレクシスが元気そうであり、佐々原に関しての要件も済ませることが出来た。
もういいだろう。
あまり長居し過ぎて体調を崩されても困る。
「体に障りますので、そろそろ失礼致します」
そう言ってベッドに背を向けて扉へと向かう。
「友達はあたしのことをアレクシーと呼ぶわ」
ぼくは振り返って「そうですか」と答え、内心、首を傾げる。
女の子というのは万国共通で不可思議だ。
佐々原もそうだが、アレクシスも唐突に会話を展開させるので、ついていけないことがある。
「友達同士なら丁寧な表現とかも使わないしね」
「そうですか?」
時と場合によりけりだと思う。
佐々原に敬語を使わなくなった切っ掛けは、語数が増えるとプレイの連携に邪魔だからという理由だった。
ため口に矯正するのは、家族以外には敬語で話したいぼくとしては、結構な苦行だったのを覚えている。
問い返したぼくにアレクシスは答を返さない。
「助けた時は普通に話してたじゃない……」
俯いたまま何か英語で呟いていたが、小さい上に早口すぎてよく聞き取れなかった。
「気分が優れないのでしたら、誰か呼びましょうか」
急に勢いを無くした様子に気遣って声を掛けると「いい。休むからもう出てってよ」そう言って犬でも追い払うように手の甲を前後に振られた。
ぼくは再度、一礼をして部屋を出る。
すると閉じた扉に何かがぶつかる音がして「なんでホントに出てくのよ!!」と理不尽極まり無い叫び声が上がった。




