アレクシス2
美女も唯一目が合った佐々原に対して「あなた英語はできる?」と問いかける。
「少し」
驚くほど流暢なイントネーションで、Lを発音する佐々原。
普段の抑揚のない話し方に比べてのギャップが凄まじい。
「彼は何て言っているのか教えてくれる?」
「一隻眼とは何かを尋ねている」
そう美女に話した佐々原はこちらに向き直って日本語に切り替える。
「一隻眼は日本語。意味は片方しか無い目。隻眼。物を見抜く特殊の眼識」
「この人はなんでぼくのことを、一隻眼って呼んだんだ」
両目ともあるし、またの名をみたいで恥ずかしい。
目を細めてこちらを見る佐々原は、溜息を吐くように返答する。
「敵の擬態を見破る資質のことを表現している。イクトは隠れた敵を発見することに優れている為、そういう二つ名が付いた」
「二つ名……」
気恥ずかしさに唇が震える。
いつからそんな薄ら寒いものが付いていたのか。
頷いて肯定する佐々原は、憮然としてこちらを見ていた美女に対して今のやり取りを翻訳した。
そうして話している佐々原の背中に、ぼくは言葉を投げかける。
「ぼくは目が悪い」
「そういう事じゃない」
「部屋では眼鏡も付けてる」
人形の目を借りている時は、勝手に視力を矯正してくれるし、本を読む程度の距離ならばよく見える。
だからめったなことでは使わないので、佐々原も知らなかったのだろう。
興味深げに頷いて「今度、部屋に遊びに行く」
「なんでだよ」
そういう流れじゃなかったろうが。
しかし、話を戻そうとしない佐々原。
「掛けてるところが見たい」
「嘘は吐いてないから、わざわざ確認に来なくてもいい」
「そういう事でもない」
恨めしそうに目を眇める佐々原。
なんでそんな目で見る。
なんか怖いぞ。
「ちょっと! 日本語じゃなくて英語で話してよ!」
佐々原へ理由を問い質そうとする前に、美女が間隙を縫って会話に割り込んだ。
しかし、佐々原は翻訳をしようとも、叫び声を上げた彼女の方へも向き直らなかった。
こちらを黙って見つめ続ける。
ぼくはため息を吐いて頷いた。
「明日の昼なら」
見間違いかと思う程に元の表情に戻った佐々原は、憤る美女に向き直って事情を聞き出す。
他人の眼鏡姿の何がそんなにいいのやら。
流暢に話す佐々原の横顔を見、その会話に耳を傾ける。
早すぎてまったく聞き取れない。
ところどころの単語しか分からない二人の会話に置き去りになる。
よし。
あとは佐々原に任せてしまおう。
そろそろ部屋へ戻ろうと席を立ち、二人同時に睨みつけられたので、腰を下ろす。
いやだって。
必要か。
この場にぼくは。
睨んできた一方の佐々原に視線で訴えかけると「彼女の名前はアレクシス・コーラー。イクトに用があるらしい」と紹介された。
ぼくの視線の意図を酌んだ上で、話を進められてしまった。
諦めるしかない。
しかし、飲みごたえの良さそうな名前だ。
左斜め前に座っている自衛官の飲み物にほんの一瞬だけ目をやる。
ぼくの目線の先を追ったアレクシスは「アタシのことを日本人の発音でコークと呼んだら殺す」
アイとコークとキルくらいはさすがに分かった。
覚えの悪い子供に苛立ちを覚えた教師が、怒りを堪えつつも隠しきれず、噛んで含ませるようにゆっくりと発音したのも聞き取れた理由の一つだろう。
態度から読み取るに、聞き取れるよう気を使ってくれたわけじゃないのは確かだ。
なお、日本人がコークと、コーラをちょっと英語っぽく発音すると、アメリカ人にはカックと聞こえるらしい。
後で調べたが、コーラを正しく発音する時はコォウク。
アクセントを中心にある「O」の母音に付けるのがコツだそうだ。
そして、カックは―――まあその、なんだ。
男の股にぶら下がってる例のアレ、だ。
確かにそんな風に呼ばれたら、殺すとも言いたくなるだろう。
「用件を尋ねてくれ」
佐々原の翻訳を聞くと、アレクシスはアメリカの技術士官であり軍医でもあるそうだ。
神経科学や脳科学に精通しており、BMIに関連する機器の整備や、侵襲式手術にも携わっている。
ぼくと歳がそう変わらないだろうに。
えらい人だ。
そのお偉いさんが、日本くんだりまで来たのが、ぼくに会う為だと言われたところで、佐々原が悪ふざけをしているのだと思った。
ゲーム内では厭らしいプレイをするのだ、彼女は。
話半分に聞き流していたが、要はなぜBMI適応手術を受けていないのに、そんな成績を残せるのかという話だった。
「非侵襲式のBMIでは人形のパフォーマンスを引き出すには不十分であり、ここまでの成績を残して敵との戦闘を行えるものでは無い――と言っている」
個人的には非侵襲式などの英単語を日本語に置き換えられた佐々原の方がよほど驚きだったのだが。
なお、非侵襲式とは頭に何も手を加えず、BMIへ電波だけでやり取りをし、人形を動かす。
つまり手術をせずに、ただBMIを被るだけ。
この駐屯地に来て変わったことと言えば、ゲーム本体がコンシューマーからアーケードに変わったくらいだ。
佐々原と訓練をしていることも大きい。
目線を送ると、彼女は小さく首を横に振った。
面倒くさい、と言わんばかりの態度。
ぼくは駐屯地に来る前から得意だったプレイスタイルだけを話すことにした。
「隠れている敵を倒すのがちょっと上手いだけですよ」
本土決戦ミッションに参加している身ではあるが、当然、本土防衛だけでは勝てない。対馬を取り返す足がかりにする為、壱岐島に斥候を放つこともある。
そういうミッション時に情報収集したり、隠れた敵を倒すのが他のプレイヤーよりも上手いというだけだ。
ゲーム公開初期に比べ防衛ミッションがほとんどになっている現在、ぼくのプレイスタイルはあまり流行らない。
「化生の擬態は蝶が蛹になる変態と言ってもいいほどに優れているわ。色だけでなく形状まで変化させる。通常、敵が姿を隠した場合、人の目はおろか人形に搭載された識別機能ですら判別不可能なはずよ」
疑わしげにこちらを見てくるアレクシス。
信じようとしない彼女へ呆れたように首を左右に振る佐々原。
佐々原はぼくのプレイを見ているので、説明するまでも無い。
佐々原はぼくにアレクシスの言葉を翻訳した後、こちらの返事を聞くこともなく、アレクシスに答を返していた。
きっとぼくがどういった風に敵を倒しているのか、説明してくれているのだろう。
再三、佐々原が同じ英語を繰り返しているが、その都度アレクシスから返ってくる答は「信じられない」の一言だった。
次いで翻訳された言葉はこうだ。
「私がこの目で! 直接! そのプレイの一部始終を見ない限りは信じないからね!」
しつこく聞き返されたのを面倒に感じたのか、佐々原は眉間に若干の皺を寄せ、アレクシスの方を向いたまま「イクト。彼女と一緒にプレイすることは可能か」と話しかけてくる。
アレクシスの提案に乗ろうということだ。
確かにそちらの方が手っ取り早い。
かといってプレイを見せるまでは、毎日のように付きまとってきそうなテンションだ。
早めに済ますに限る。
ポケットからスマホを取り出し、今後のミッション予定を閲覧した。
一番近い偵察ミッションは。
「明日の昼なら空いてる」
言ってから、気付いた。
気付いてしまった。
佐々原が信じられないものを見るように目を見開く。
次いで、眉間に深々と皺を刻み、絞り出すように「明日の昼なら空いている」と不快げに、ぼくの言葉をアレクシスへと伝えていた。
ぼくが訂正する間もない。
たった数分前に交わした約束を忘れた。
その事実を今更、訂正させまいとする意地のようなものが佐々原から感じられた。
アレクシスは満足げに、要件は済んだとばかり食事も取らず、食堂を出て行った。
佐々原は懐からナイフを取り出すことはしなかったが、食堂を出る前にぼくの足を力の限り踏み潰して行く。
体が羽のように軽いのか、あまり痛くはなかったけれど、彼女の浮かべる表情を見てメンタル面ではかなりやられてしまった。
彼女は人形だけでなく、生身でもぼくより強い。
そこでふと思いつく。
アレクシスは、手術を受けていない上に、ぼくよりも上位の佐々原についてはなぜ聞いて来なかったのだろう、と。