逃走
「夢じゃない」
うん、夢じゃない。確かにここは姫様ベッドの上だった。悪夢だった昨日までの出来事はうそのようだった。灰色の石と藁のベッド、そしてぼろぼろの服ではなく、ひらひ、・・・上等の服を着ている。この際、スカートは気にしないことにする。白バラの壁と輝く調度品、天蓋付きの花の香りのするふかふか綿のベッド、すべて色づき、暖かさが、あった。
苦痛を味わった人にしかわからない類の幸せだ。間違いない。ふふ。笑いが漏れた。よだれもたれたかもしれない。ただ、今はとにかく俺はあの世界から抜け出たんだ。間違いない。
ドアがノックされて少年が入ってきた。昨日の少年とはまた別のだ。あいつはリッツと言っていたっけ。
「あの、僕はサマリと言います。その、朝食です。食堂がありますので。ついてきてください。」
おどおどとした雰囲気が感じられてこいつももしかして元奴隷だったんだろうかと思った。なんだか親近感がわいた。
「ああ、よろしく。えっと俺は、久高・・・いや、『デク』って呼ばれてる。」
さっと出した手にビクッと反応した。ああ、やっぱりそうだ。殴られると思っちゃったのか。あげた手をきゅっと握っておろした。俺から離れるように先導する。なんだろうね。怖がられるのも悲しいものがある。
「あのさ、ここって・・なんなんだ?」
ん?という感じで、質問の意図がわからないのか、サマリ少年は首を傾げた。
「ああ、いや、そもそもなんで俺ここにいるのか」
「そういう意味ですか、ああ、旦那様はお優しい方ですから」
弱弱しく微笑んでいる顔がさっきまでのおどおどとした態度よりはましに見えた。上げて落とすってのも、ありうるからあんまり信用はしないようにしよう。どこに落とし穴があるかわからない。そんな世界だってことを忘れないようにしないと。飯と住処のおかげで危うく忘れかけたけど、実際この世界は日本人の大半が送れる標準生活が、たった1%の貴族に独占されているような暗黒時代だ。
「大丈夫、です」
そうだといいけど。
食堂には数名の、同い年くらいの少年が集まっていた。まぁ全員スカートはいていたけど。
ちなみにこの地域には、バグパイプもったおっさん民族のような風習はない。
「へぇ、君が昨日来た子かい?よろしく」
その中でも少し背の高い少年が言った。割とまともだろうか。うんよろしくといいながら他の少年も観察した。全員中性的な顔立ちで、美人だ。なんとなく『男の娘』という単語を思い出したが、気付かれないよう溜息とともに吐き出した。少し背の高い少年はエネと名乗った。
「よろしく、エネ。ところで、俺は、買われたんだよな?」
「ま、そうだね。旦那様にね。」
「なんでこんなことするんだ?」
「ああ、大丈夫だよ、鞭打つような糞みたいなご主人さまなんて、ここにはいないさ。当たりだよ。マジで天国だからここ」
はははっと快活に笑ってポンポンと肩を叩いてくる様は前世の友人を思い出してぐっときた。久しぶりに味わうあったかい関係。これは。まさか全力で騙しにきているのか、いや、そんなはずは、ないと思う。思いたい。そんな自分がいる。どうしよう。流石にこの世界に生れ落ちてからずっとファンタジーに騙されてきた。糞みたいな世界だった。でも、そんな幸運もあるのか、奴隷にも幸福を掴めるのか?
「ふふふ、まぁ頑張って。君はかわいいからね。」
「・・・・」
不安はぬぐえなかった。まぁいい。とにかく、飯は食えるし寝床も最高なんだ、気にせずに、注意しよう。逃げる場所もそれとなく調べておこう。徹底して、信じない。信じてやるものか。
気安く話しかけてきてくれたのはエネだけで、他は名乗りもしなかった。目が死んでいるのは気のせいか。一応エネが他の少年たちを紹介してくれた。エネ、サマリ、リッツ、クコーネン、キミコ、ドギ、
正直名前を憶えられる気がしない。わりと頭は悪い事に自信がある。嫌な自身だ。成長に必要な栄養が足りなかったからだ。とりあえず気を取り直して飯を食うことにした。
リッツの号令の元、光十字教の祈りの言葉を唱え食事が始まる。ご主人はいない。まぁ当然か。
多少昨日の夕食よりグレードは落ちているが、必要な栄養素が十分に取れる食事が並んでいた。パンと野菜たっぷりのスープ。焼き魚もある。川か海が近いんだろうか。とりあえず飯にがっつく。うまい。塩と何かの調味料が入っている。これだけでも一般の奴隷以上の待遇だ。
「ふふふ、誰も取らないし、おかわりもあるから、そんなに慌てないで」
エネまじいいやつ。新人の相手する役なのか隣に座って色々教えてくれた。基本的な屋敷内での仕事や、大体の一日の流れ、水風呂だけど入浴もできるとか。しかも毎日。週二回はお湯も出るらしい。うれしくて涙が出そうになった。幸せすぎて怖いびくんびくん。幸せのハードルが在りし日よりだいぶ下方修正された模様。
そんな俺の様子は向かいに座ったリッツが静かに観察していた。
気付いていたことを悟られないように俺は素直に喜んでいた。
絶対に油断するものかよ。
しかし、予想に反して1週間ほどの日々は平穏に過ぎていった。っていうか、今までの地獄とは雲泥の差だ。むしろ前世日本にいたころより恵まれているのではと、ふと思ったほどだ。簡単な労働は日々のスパイスである。ふざけるなと。今までの人生の苦労はなんだったのかと。問い詰めたい。小一時間以上。
「傷はもう癒えた?」
「ああ、もう大丈夫だ。仕事も慣れた。」
傷跡は残っているが、もう痛みは引いている。激しく動かなければ問題ないだろう。左肩をぐぎぎ、と動かし、元気を見せる。、ええと誰だっけ、そうだリッツだ。一応奴隷長だ。忘れては困る。
「そういやその、旦那、さまはどうしているんだ?」
「盗賊が近くに出ていたみたいでね、安全のためと旦那様は本拠の城に移動していたんだ。」
「討伐はできたみたいだからそろそろだねぇ。」
自分の身の安全を先に考えるのは他の貴族と一緒か。まぁそれが普通だしな。
そろそろ。
帰ってくるのか。
もうあれから2週間だ、ほぼ警戒心は薄れていた。一応脱出経路は探していたが、夜間の見回りも厳しいのは気になる。塀も屋敷全体を取り囲み、高くてとっかかりもない。何か起きない限り逃げるのは難しい。逃げることを躊躇させるのに十分だった。いや、このやんわりとした軟禁状態が、というより、三食寝床付きが、逃げる事に本気になれない理由だった。
「そろそろ旦那様が帰ってくるんだって!」
「そうか、盗賊の討伐はうまくいったんだな。怪我がないといいけど」
小柄の少年とちょいぽちゃの少年が話をしていた。名前は忘れた。とりあえず新入りの俺は頭を下げる。正直この二人はあまり好きになれない。
「ああ、君最近入った、『デク』だっけ?」
「『木偶人形』『でくの坊』『凸助』の『デク』ねクスクス」
ちげーよ、なんか変な奴が名づけたんだ。意味は知らん。だが、そんな意味じゃないはずだ。はず。
一礼して俺はその場から離れた。嫌な人間には近寄らない事だ。自己防衛は予防からだ。後ろからクスクス笑いが響いた。
廊下エネが玄関の大広間を拭き掃除していた。ずいぶん丁寧にやるんだな。
「ああ、旦那様が帰ってくるそうだから念入りにね。」
エネもリッツも、旦那様にすごい忠誠心もってるな。鼻から出てこないのは不思議だ。見た目有り余ってるように見えるのに。
「君もきっと旦那様を好きになるよ。旦那様はやさしいからね。」
またそれだ。一日一回旦那様への忠誠を口に出さなければ病気になるのか。
まぁ俺も拾ってもらったようなものだ。恩は返さないとな一応。
はたはたと階段の両端にある像をはたく。
「こら、ごみが落ちる」
いや、せっかく手伝おうと思ったのだが。はたきは取り上げられてぬれぞうきんを渡された。
「拭いたら次乾拭きでね。」
面倒な。まぁいいさ。時間はあるんだ。そこそこ楽しんでやろう。旦那様のためだ。
ちょうど玄関の大広間掃除が終わったころ、リッツから奴隷全員に呼び出しがかかった。伝令役のおどおどしたサマリが、走り回る。旦那様の寝室に集まった。
そしてリッツ立ち合いの元で奴隷全員総出の寝室掃除が始まった。
値打ちものの備品しかおいてないので、リッツは新人の俺には特に注意してきた。
「いいかい?とにかく中央の何も置いていない部分から出ないように、そこを徹底して掃除するんだ。」
いや、ゴミとかなにもないんだが。
「髪の毛一本も見逃さないように」
拭いたら逆に汚れるんじゃないかってくらいのピカピカ具合だったが、言うとおりにしておいた。
ここまで警戒されるとおおっとって言ってよろけるふりして壺割りたくなる。いや、しないけど。
考えた瞬間リッツがこっちを向いた。心でもよめるのかアイツ。
ちなみに旦那様が帰ってきたのはその三日後だったが、三日間連続そんな感じで掃除をしていた。ふざけてる。三日前もかなりピカピカ状態だったのはリッツが毎日掃除をしていたかららしい。多分あいつ潔癖症に違いない。なにもしないよりはましだからいいけどね。ある意味充実してる。
そうして旦那様が帰ってきた。
「お帰りなさいませ旦那様」
奴隷も従業員も勢ぞろいである。そういえばあの地獄の日々が終わってから大体2週間程度だった。緊張感がやってきた。今までは大丈夫だった。旦那様がいなかったからだ。いや、でもリッツもエネも、他の奴隷たちも、この屋敷に住む従業員もそう手荒に扱われる事はなかった。だから、大丈夫だ。きっと。
「ぐふふ、おお、『グベ』くん、傷はもういいのかね?」
豚のような体格だが実に紳士的に聞いてきた。
おお、降りた時に一瞬馬車が揺れる。
「はい、お陰様で、助けていただきました。ありがとうございます。」
敬語もエネやリッツにちょっとづつ教えてもらえたのでたどたどしいが、なんとか言えた。はず。
「ぐふふ、よいよい。肉も程よくついてきた。うむうむ。肌艶いいな。ぐふふ。リッツ、良くやった。」
「光栄です」
リッツが小さくガッツボーズっぽくこぶしを握ったのは後ろから良く見えた。声も上ずって聞こえる。なんだろう。あふれ出るこの忠誠心。
ぐふぐふ、と言いながら旦那様は屋敷に入っていった。俺たちは荷物を運び込む。
リッツのふふふ、という上ずった息遣いが怖い。エネはなんか憮然として何か呟いていた。怖い。
他の奴隷たちは特になにもないが、なんだか羨望のような奇妙な目でリッツを見ている。
変なみんなをおいといて、馬車から馬を外して厩舎主のおじいさんに渡した。結構分業されているようで、あんま出しゃばるな、俺の仕事だと怒られた。なんか怒られ方が普通で少し感動した。これが以前なら来るのが遅いとか馬が汚いとか理不尽な理由で怒られたものだが。
夕食は豪勢だった。旦那様が城から戻るついでに食糧も城から持ってきたようだ。まぁ、定期的に食糧は運んでくるらしいけど。今回は盗賊が来ていたのでイレギュラーで質が下がっていたそうだ。それでも一般の奴隷や庶民に比べると豪華だった。
食事が終わり、後は寝るだけになった。
そういえば下手すると盗賊がここにくるかもしれなかったんだよな。屋敷の外の世界もここも、安心できるとは言えないかもしれない。
ランプの明かりを消して俺は横になった。
うとうとと眠りに入りかけた時になにかが部屋に入ってきたような気配に気付いた。
んん、と静かな叫び声をあげてふと顔をあげると、ぶ、た、、が、、、いた。
正確には全裸の、昨日の、巨体で大きな、優しい笑顔の、気持ち悪い、豚の、、が○○●をおったてていた。いや正確じゃない間違っていた。場違いだった。醜悪な笑みと近づいてくる豚に恐怖した。
「だ、旦那、さ、ま・・・・?」
「やはり私の見立てに間違いはなかった。ああ、とても似合っているよ。かわいらしいなぁ。実は辛抱できなくて、リッツを相手にしていたんだが彼の気が果てるまでやってしまったよ」
ぐふふ、とも、どふふ、とも聞こえる声が豚の分厚い唇から漏れ出ていた。
「ああ、大丈夫だとも、苦しめるようなことはしない。ぐふふ、初めは少し痛いかもしれないがね。なに、怖くないよ。すべて私に任せるんだ。」
逃げないと。ここから逃げないと。恐怖で後ずさる。あああ、やっぱりだ。うまい話には裏しかない。やさしさに見えたモノは「道具」の「品質」を保つためのモノでしかなかった。なんとかベッドから逃げようとしたが、立ち上がろうとした瞬間にスカートのすそを踏んでしまった。派手な音を立てて落ちる。
意外に素早く動く豚はがっちりと腕をつかみ、ベッドへ引き上げた。興奮する鼻息が頭の上から聞こえてくる。吐き気をこらえながら顔面あたりをひっかいたが、力の無い腕では意味がなかった。
「糞、死ね、死ねぇ!この豚野郎が、全部このためか」
「ぐふふ、なかなか生きが良い。久しぶりに楽しめそうだよ」
治りかけていた左肩にかみつかれた。声にならない声が俺の口から洩れる。そして俺はスカートをまくりあげられて
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深夜近くまで弄ばれて、弄ばれて、弄ばれた。
「ぐふふ、そうだ、そうおとなしくしていればやがて気持ちよくなる」
びくびくと俺のケツの穴に出されたときには全力で豚の顔面めがけてはいてやった。しかし、睾丸を握りつけられ、動けなくなった。
窓から月明かりが差し込んできていた。ふごふごと豚の鳴き声が部屋に響く。遠くの意識の中に消えていく。
気が付くと静かになっていた。俺のまき散らしたゲロがと豚野郎の精液が鼻につく。豚野郎はいなかった。ケツが痛い。また吐き気がして口をあけたが、何も出てこなかった。左肩の痛みと全身の軋み、足はがくがくしていた。なんとか、立った。
この二週間で廊下の見回りは把握している。
食堂によってナイフを手に入れた。スカートを切り裂き短くして走れるようにした。殺してやる。
夜の見回りは当番制だ。今日はサマリとちょいぽちゃの少年だったはずだ。この時間の寝室の廊下はもう見終わっている。薄暗いランプに照らされた廊下は虫の音すらしなかった。寝室のドアはカギが閉まっていたが簡単な作りでナイフを差し込んで開けた。
中の明かりは消されてはいなかったが、油が切れかかっているのかかなり薄暗くなっていた。
静かに中に入る。豚が静かに寝台に乗っていた。屠殺してやる。
顔面めがけて一気にナイフを振り下ろした。
「ぐ、があああああああああ」
ハスキーな音が響く。ガンガンに頭に響いてうるさい。もう一度刺そうとした。が、振り上げたまま顎を拳で撃ち抜かれた。
「おお、リッツ!誰か、だれかこい!くせ者だ」
まさか、そんな!間違えた。豚野郎の隣に寝ていたのか!?くそが。
リッツはほほに刺さったナイフを引き抜き俺を殴った。動揺していたのと体力が残っていなかったのとで簡単に吹っ飛んだ。
そして意識を失った。
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俺はじつはこのせかいのにんげんじゃないんだぜ。
は?ははははははは!
じゃぁあ今ここで話をして、ここで生きているお前は一体誰なんだ?
こいついっつも『デク』じゃないっていってるよ馬鹿だよね
おれは、おれは、
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ジャラ・・・・・・・
気が付くと足に鎖がつけられていた。埃っぽい石畳の硬さと冷たさが、なんだか懐かしさを感じた。
昨日までいたフカフカなベッドと食べきれないくらいのご馳走におさらばだ。上の鉄格子から月明かりが見える。
ハハッと乾いた笑いが喉からこぼれた。また戻ってきたな。不思議と気持ちが落ち着いてくる。
月明かりの部屋の中をゆっくり観察した。広さは四畳半の石に囲まれた部屋だ。鉄格子が正面に、ところどころ錆びているが、扉はびくともしなかった。月明かりの落ちてくる上の窓にはなにも取り付けられていなかったが、そこまで行くには右足にはまった鎖が邪魔だ。鎖・・・・。
「はは、ははは、ようやく、ようやく逃げられるんじゃないか」
そして俺は右足をつぶした。
ここに来た時の貧弱で無気力で栄養失調で欠食児童の俺じゃない。毎日のご馳走と逃げる準備のために少しづつ蓄えてきた力はこんなもの障害になんかならない。
暗い石牢は子宮、そして、この石壁は産道だ、俺はほとんどとっかかりのない壁を爪がはがれながら登る。窓を抜けた時はおぎゃあと叫びたかった。満月だ。ようやくだ。く。くく。はは。痛みは興奮が消してくれた。自由が。いま。ここにある。おそらくリッツも豚貴族も、夜は発散してる頃だろう。脱走のたびにチェックした衛兵の場所も数も頭に入っている。
右足をずりずりと引きずりながら、屋敷外の森を目指す。狼がいるという森だ。一人で、しかも夜に入ったら、まず無事に帰れない森だ。そうエネから聞いた。苦痛を一晩で終わらせてくれるなら狼のほうが人間よりよほどやさしい。死ぬ気はないが。
森に入って少ししてから、スカートを破いて、腫れてきた右足を縛った。喉が渇いてきた。そこらへんの草を齧って吐き出す。苦みが口の中に広がってつばがたまる。杖替わりになりそうな木を探したが、手ごろなのは落ちていなかった。仕方ないと折ろうとしたが、しなって無理だった。あきらめて足を引きずりながら森の奥を進んだ。
森の奥は月明かりもほとんど届かなくなっていった。かすかな光を手探りしながら、進んだ。獣らしき声はそこかしこから聞こえてくる。感覚がマヒしているのか、恐怖は感じなかった。苦痛や疲労が体を満たしている。けれど、自由だ。今は、それだけでよかった。それだけが体を支えていた。
大きな木の洞を見つけた。夏でよかったなぁと思いながら倒れこむように眠った。夢は見なかった。