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魔王はどこまでもヘタレでした

 魔王城の朝は、ラジオ体操から。既に魔族の子どもたちにはこの習慣が徹底され、全員凛の声に合わせて楽しそうに体を動かす、のだが。


「セバス、みんなの食事、頼んでいいかしら」

 食堂に入るなりわあっと声を上げて各々の好物にかぶりつく魔族たち。そのマナーには目をつぶり、そして血の滴る生肉や吹き出す鮮血からは努めて視線を反らしながら凛が頼むと、セバスは快く頷いた。


「かしこまりました。ちなみに、アル様はいらっしゃらないのですか?」

「そう、それなんだけど……ラジオ体操に降りてこなかったのよ」

「ほう、つまり寝坊ですか」


 やれやれ、と肩をすくめるセバスだが、なぜか頬は楽しそうに綻んでいる。この老魔族、アルが何かやらかす度ににこにこ楽しそうに笑うので、ひょっとして怪しい趣向があるのでは、と凛は疑っていたりする。


「リン様、アル様を起こしてくださりますか?」

「ええ、その予定よ」

「……毎日、お手を煩わせて申しわけありません」

「気にしないで。これも結構楽しいから」

「ほう?」



 魔王城の四階、最上階にある魔王の部屋。主の趣味で黒っぽい壁紙が貼られており、寝具やテーブルも全てが黒を基調としている。

 この城のほとんどの部屋には鍵が掛かっていない。というか、魔族たちには「部屋に鍵を掛ける」という感覚がないそうなので、凛は黒塗りのドアを引き開け、空気の籠もった魔王の部屋に入り込めた。


 この部屋には掃除のため、何回か入ったことがある。魔王は片づけが苦手らしく、たいてい天井には蜘蛛の巣が張られ、紙くずや何かの破片が部屋の隅に裾野を作り上げ、脱ぎ散らかした服や抜け毛が床に散乱している。


 黒い寝具に包まれてぐうすか眠るのは、この部屋の……ひいてはこの城の主。頭の先までシーツにくるまり、黒い繭のごとく眠りこけている。


 アルの寝坊は昨日今日始まったわけではない。早朝のラジオ体操に間に合わなかった回数も、数えれば全ての指では足りないくらい。


 そんな日々の中で凛が習得した「魔王の起こし方」は……。


「そーれ!」


 まずは、黒いシーツの隅をひっ掴んで思いきり引っ張る。コツさえ掴めば、いつも同じようにシーツを体に巻き付けているアルの体はころころとベッドを転がり、重い音を立てて反対側に落下する。凛はこの方法を「お代官様法」と呼んでいる。


 だが、ベッドから落とされたくらいでは魔王様は覚醒しない。凛は引っぺがしたシーツを四つ折りに畳み、しわくちゃになったマットレスカバーも引き剥がし、分厚い黒のカーテンも払う。引き戸式の窓を開けて空気を入れ換え、さあそろそろ部屋の主を起こそうと振り返ったら……。


「あ、こら、アル! せっかく畳んだのに!」

 魔王様が剥ぎ取られたシーツに下のようにくるまり、マットレスのないベッドの上で蓑虫のように丸くなっていた。


「往生際が悪いわよ! ほら、起きろ!」

 再びシーツを強奪しようとした凛だが、アルは負けじとシーツを掴み返し、イヤイヤと首を横に振って掠れ声を出す。


「……やだよう……あと、ちょっと……もうちょっと、寝る……」

「だめってば! もう子どもたちは下でご飯食べてるのよ! とっくにラジオ体操も終わったんだし……いい加減に起きなさい!」

「……わかったよぅ……あと、ちょっと寝てから……」

「あ、このっ……!」


 半眼寝ぼけ眼の魔王様だが、身体能力は人間の凛を遥かに凌ぐ。一瞬気を抜いた瞬間、凛の手からシーツがかっ攫われる。まさに電光石火。

 一瞬で奪った毛布にくるまり、カブトムシの幼虫のごとく丸くなる魔王様。その側で顔を歪め、ふるふる両手を震わせる凛。


「こんの……寝ぼすけがあっ!」

 怒っても仕方がないことくらい、凛は分かっていた。この魔王様はなかなか強情で、しかも馬鹿みたいに力が強い。凛ごときが叩こうと抓ろうと、魔王の鉄壁の肌には大したダメージは与えられない。それどころか、凛の精一杯の攻撃を受けてますます幸せそうに眠るのだ。この魔王、ドMか。


「いい加減に起き……きゃっ!」

 もう一発殴ってやろうかと足を踏み出した凛だが、ずるりと体が傾ぐ。先ほどアルのベッドから巻き取ったシーツが足元にあり、つるりと光沢質なそれが凛の足下を掬っていたのだ。


 がくんと膝が折れ、凛の体が仰向けになる。

 後頭部を打つ、と本能が察し、凛は慌てて両手を突き出すが。


「リン!」


 鋭い声と、体に伝わる振動。がくっと体が揺れたかと思うと、凛は床に頭をぶつける直前にアルに体をかっさらわれ、抱きとめられるような形になっていた。


 凛は瞬きする。間近でアルを見上げる形になり、アルは軽く息をつき、瞳孔を見開いて腕の中の凛を見下ろしていた。


「よ、よかった……リン、倒れるところだったね」

「アル……?」


 ようやっと自分の身に起きたことを把握する凛。要するに、倒れそうになった瞬間にアルが飛び起き、激突寸前の凛の体を抱きとめてくれたのだ。


 つい先ほどまでベッドのマットレスにしがみつくような勢いで眠りに就いていたというのに、魔王はやはり眠っていても魔王だったようだ。


「……あんた、凄い反射神経ね」

「……え?」

「いや、ありがとう……ところでそろそろ、腕を離してもらっていい?」

「あ」


 アルは自分が凛の体を抱きしめていることに気付き、サアッと赤面した。そしてリンに命じられた通り、ぱっと両腕を引っ込めた。

 ごん、と鈍い音が響き、結果的に頭を打った凛が悲鳴を上げたのは、言うまでもなかった。



「いやぁぁぁぁぁ! 誰か、助けてぇぇぇぇ!」

 オレンジ色の空がどす黒い煉瓦色に染まった夜。魔王城の魔王の部屋から、何やら不自然な会話が聞こえてくる。一汗掻いて食事を待っていた魔族の子どもたちは、中庭に発って不思議そうに首を捻る。


「魔王様の声だ」

「なにが、おきて、る?」

「大丈夫だろう。きっとリン先生が何かされているんだ」

「……助けなくていいの?」

「きっと大丈夫。さあ、僕らは食堂に行こう」


 賢い委員長……もといニテが仲間たちの移動を促しているその頃、魔王の部屋ではちょっとした騒ぎが起きていた。



「あのねー、これくらいで泣かれたら私の方が困るのよ……」

「だ、だって、リン、あちこち叩くんだもの」

「背中を押しただけじゃない。ほら、まっすぐ背筋を伸ばす!」

「そんな……いてててて!」

「……ひどい猫背ねぇ。どうやったらこんなに曲がるのよ」


 そんな魔王のベッドの上にうつぶせになる魔王様と、その背中に馬乗りになる黒髪の女性。凛が極上の猫背を作り上げたアルの背骨を押さえると、下の方から悲鳴が上がる。


「痛い痛い! もう降参! 降りてよ、リン!」

「何言ってるの。猫背は体にも悪いのよ。威厳も出ないし、しっかり伸ばさないと」

「あたたた! やめてよ!」


 アルは涙目でバタバタと腕を振り、一部始終をずっと見守っていた壁際のセバスに向かってびしっと指を差す。


「セバス! 笑ってないで助けろ!」

「アル様、これも立派な魔王になるための訓練です」


 当のセバスはゆったりとチェストに腰掛け、くつくつとのどの奥で笑っている。


「魔王の威厳を醸し出すためには、まず姿勢から。リン様のおっしゃることももっともですね。アル様の父君はそれはそれは、立派な身なりでいらっしゃって……」

「酷い! セバスまで僕を裏切るのかぁ!」

「うっさいな。ほれ、両腕を前に突っ張って!」

「うげげげげ! リン、本当にもう無理! カンベンしてぇ!」


 セバスはゆったりと微笑んで、窓の外を見やった。トロリと濃い油のような夕闇に視線を移し、ふっとセバスの顔に浮かんでいた笑みが消える。


 老魔族は、何かを察していた。そして、魔族の本能で悟った。きっと、このような優しい日は、もうあまり長くは続かないのだと。

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