ゴミ屋敷をどうにかしましょう
城崎凛を校長兼唯一の教師とし、特別出演としてセバスを理事長役に据えて創立された魔族学校。まずは生徒の実態把握から。
「魔族たちの種類と名前……ですな」
魔王城の一室……他の部屋よりずっと清潔で明るい間取りの部屋を自室として与えられ、一番手っ取り早いだろうと、凛は紙束片手にセバスに問うた。
セバスは古びた木製のベンチに腰掛け、ふむう、と顎髭を捻った。
「なるほど、教師になるには名前を呼ばねばなりませぬな。それにリン様は異世界人。魔族についても詳しくないということで」
「そういうこと。できたら特徴や特技も知りたいわ」
この老魔族は魔王城での一番の常識人……常識魔族のようだ。凛の申し出にも快く協力してくれ、理事長役もすんなり引き受けてくれた。
「承諾致しました。では、メモの準備をお願いします……」
「ありがとう」
そんな彼らを遠巻きに眺める魔王様。彼は腰に下げていた装飾剣を手持ち無沙汰にいじっていた。
「……使者って、そういうことするもんなのかなぁ……」
「何言ってるの。召喚したあんたでさえ、私にどうしてほしいかよく分かってないんでしょう」
凛はセバスが読み上げる言葉を日本語で書き記しながら、顔を上げることなく言い放つ。
「どうせ、勇者がすることを真似てみただけなんでしょう?」
「う、う……」
早速言葉に詰まる魔王様。じゃらじゃら宝石のついた鞘を手で擦りながら、アルは凛の背中に言葉を投げかける。
「で、でも! ほら、きっと勇者側の使者も何するか分からなくて……」
「まさか。勇者って言われるくらいなんだからきちんと役割を考えた上で召喚したでしょう」
あんたと違って、と付け足すと、さすがにカチンと来たのか、アルは装飾剣を下ろしてムッと唇を尖らせる。
「何だよ、その言い方! まるで僕が考えなしみたいじゃないか!」
「じゃあ、私に何をしてほしいのよ。言ってみなさい」
やはり振り返ることなく言う凛。
「……えーっと……」
「……」
「……肩もみ……とか?」
「却下」
「アル様。リン様のお勉強の邪魔になりますので、少し、静かになさってください」
「……イエス」
「えーっと……ギザギザ頭の君が、スニク君ね」
「うん」
「返事ははい、にしようか。いいかな?」
「え? あ、はい!」
「……僕の時はもっと厳しかったのに」
「うるさいあなたの点呼はまだだ魔王」
「は、はぁい……」
「分かったならちょっと後ろに下がってじっとしてて……次、緑色の体の君が、メプ君ね。火を吐くのが得意だそうね」
「う、ういっす……」
「で、ゾンビの四人組が、キチャ、ヌオ、ギィ、ウィね」
「あ、い……」
「は、あ……」
「あいぃ……」
「うぅ……」
「で、小さなとんがりのあなたがウィックちゃんね。趣味は、金属をかじること」
「そう、ですぅ」
魔族たちの間を縫うように歩きながら点呼を取る凛。セバスから一通りの名は教えてもらったが、中には凛にとって発音の難しい名もあった。
「それから……背の高い君、ちょっと私に発音が難しいから、省略してニテ君でいい?」
凛がそう尋ねたのは、脚が三本あるコンパスのような魔物。最初に凛の提案を受け入れた賢そうな子で、脚の数こそ多いが、上半身は人間とそっくりで、魔王並みに顔立ちの整った美少年だった。彼の名はとてつもなく発音が難しい上、とてつもなく長い。息継ぎなしでは到底呼べない名だとセバスからも言われたため、あだ名のようなものを考えたのだ。
賢い少年は深紅の髪を靡かせ、こっくり頷いた。
「了解です。僕の名はこれから、ニテです」
「ありがとう、ニテ」
にっこり笑うと、ニテ少年も嬉しそうに微笑む。癖なのか、棒のように細くて長い三本の脚がバタバタとご機嫌に鳴らされた。
次々に名を呼び、時折あだ名を付ける凛。集会場に集まった子どもたちの名を呼び終え、最後に魔王の前へ戻る。凛の言いつけをきちんと守り、アルはその場から一歩たりと離れず、顎を引いて直立不動の姿勢を取っていた。
「……で、最後。魔王アル」
「イ、イエス!」
「よろしい。よくできました」
めいっぱい背伸びして魔王の硬い髪をナデナデしてやると、アルはかあっと顔を赤らめて後ろ飛びで凛から距離を取った。相手と距離を取ったり、相手から逃げたりすることに関しては人間を超越した運動神経を発揮させる魔王だ。
「……何よ、そのビビリ方は」
「だ、だ、だって! 初めて人間に撫でられたんだから!」
「あそう。じゃあこれから慣れていってちょうだい」
「イ、イエス!」
魔王城は汚い。そりゃあもう、汚い。例えるなら、学校のゴミ捨て場にあるゴミを全て教室内に逆さまにしてかき混ぜ、それに学校のプールに溜まった汚水をぶっかけたくらい、汚い。凛に与えられた部屋のみはセバスの気遣いで清掃が行き届いていたが、それ以外のほとんどの部屋は例外なく、汚い。とにかく、汚い。
ふと思いつき、換気のため開け放たれた廊下の窓の桟に指を乗せ、つうっと桟に沿って指を滑らせてみたところ、
「……」
何かの糞のような物体や干からびた蜘蛛の巣団子が指にこびり付き、凛は自分の指に乗っかった異物を冷めた目で見つめ――
「……リンせんせーい」
朝餉を終えて廊下を駆けてきたチューリップ坊やことスニクらが凛の足に飛び付いた。
「先生、次は何、するの?」
魔族の子どもたちにラジオ体操はいたく好評だった。凛のかけ声のほとんどは理解できなかったようだが、体を伸ばし、飛びはね、脚を広げ……という動きは寝ぼけた頭を活性化させる効果がある。朝食もおいしく食べられるので、皆満足顔で廊下に集まってきた。
「またらじおたいそう? ぼく、あれ好きになったよ!」
「……ラジオ体操はまた、明日の朝ね」
凛は指先を擦り合わせて指に付いた異物を窓の外に飛ばし、スニクらを振り返り見てにこっと笑顔を浮かべる。
「今日は……そうね、この廊下をきれいにしましょうか」
ええっ、と一声に様々な声を上げる子どもたち。それもそうだろう。セバスが言うには、掃除や食事の世話は下働きの魔族がするものなのだから。
「どうして? 掃除、何の意味があるの?」
「掃除するとね、みんなすっきりできるのよ」
ほら、と凛は蜘蛛の巣張りまくりの窓ガラスを示し、声高く主張する。
「それに、汚い場所にいると体の調子も悪くなるの。えっと……魔族の体のことはよく分からないけど、咳が止まらなくなったり、頭が痛くなったり……あと、カビが生えてお腹下したりしかねないわ。みんなだって、痛い思いや苦しい思いはしたくないでしょう?」
「したくなーい!」
一同に声を上げ、子どもたちは改めて城の汚さに気付いたらしく、そわそわと体を揺らせる。
「せんせ、ソージってどうするの?」
興味を持ったらしい、子どもたちを見回して凛は微笑む。
掃除の基本は、上から。タイルや畳、フローリングは目に沿って。廊下の隅や窓の桟など、雑巾や指が入れにくい所は濡らした綿棒や、古びた歯ブラシを突っ込んで汚れを掻き出す。埃を全て掃き終えてから、雑巾掛け。水をまいた後は、風通しをよくしてしっかり乾燥させる。
残念ながらこの世界に綿棒や歯ブラシは存在しない。雑巾に値するものはあったため、下仕えの魔族たちに頼んで端切れをかき集めさせ、そのうちの何枚かは手頃な木の枝の先に巻き付ける。
「ほら、これなら隅っこの埃も大丈夫よ」
子どもたちに雑巾や手製綿棒を渡し、倉庫から持ってきたバケツに水を汲み、凛はてきぱきと魔物たちに指示を飛ばした。
そして。
「……言っておくけど、アル、あなたも掃除するのよ」
「え……え?」
完全にふいを受けたようで、壁により掛かって傍観していた魔王は猫のように両手を丸めたまま、きょとんと凛を見返す。
「どうして? あの、僕は一応、ここの主なんだけど……」
「主が掃除しちゃいけないっていう法律はないわよ」
言いながら、長くて鬱陶しいアルの上着を剥ぎ取ってシャツの腕をまくり、
「で、でも、ほら、手が汚れちゃうし……」
「それはみんな同じ。ほら、子どもたちは我先にと掃除に取りかかってるわよ」
端切れの一つを三角巾のようにしてアルの頭に手早く結びつけ、
「そ、そうだけど……ほら、僕にできることなんて……」
「そうねぇ……アルは一番背が高いから、窓拭き隊に加わって」
雑巾をバケツに突っ込み、固く絞って魔王の手に握らせ、
「え? で、でもぉ……魔王が掃除なんて、威厳が……」
「大丈夫。掃除する魔王なんてアグレッシブでエレガントでファンタスティックだから」
アルの体重でも耐えられそうな鉄製の椅子を廊下の端から運んできて、
「……あの、やっぱり僕、やめておく……」
「何言ってるのよ。ここまで準備ばっちりなんだから」
ほれ、と凛が満足げに示すのは、給食場のオバチャンのような三角巾を頭に着け、ツイスト状態の雑巾を握り、腕まくりして気合いばっちりで踏み台の前に立つ青年。アルも凛の早業にあっけにとられたのか、魔王の風格の片鱗すら見られない自分を見下ろし、瞳をぐるんと回した。
「え? えと……リン?」
「ほらほら、窓を拭く! きちんと上の隅から隅まで、隙間なく拭くのよ。キュキュって音がするくらいまで磨くこと」
「そ、そんなぁ……」
ねじり雑巾を両手で持ち、くよくよと踏み台に腰を下ろす魔王だが。
「先生! 見てください、きれいになりました!」
「あら、ニテ。……わあ、すごいじゃない! 私でもできないくらい、ぴかぴかね!」
「ありがとうございます! 何だか僕も気持ちいいです!」
「ふふ、そうね。じゃあこの調子で磨いていってもらえる? もし自分の所が終わったら、ちょっと手間取っている子のお手伝いをしてあげてね」
「はい、お任せください!」
窓三枚分奥の廊下で凛に頭ナデナデしてもらうニテ。アルは凛に褒められご満悦で次の窓に向かうニテを見、自分に課された煤まみれの窓を見上げ、他の仲間の方へ歩み去っていく凛を見……
「……ふんっ」
気合いの鼻息と共に立ちあがり、踏み台に乗ってそそくさと窓ガラスに雑巾を走らせたのだった。