異世界召還というオチでした
「……ん?」
ちくりと眩しい光にまぶたを刺され、腫れぼったい凛の目が持ち上がる。
「……んー?」
むくりと体を起こし、目やにが付いていないかと目元を擦り、
「……」
一気に覚醒した。
ぐるりと辺りを三百六十度見回せば、そこは見慣れぬ部屋。テーブルやソファなど、必要最低限の家具のみがぽつねんと設置され、学校の体育館の窓くらいありそうな特大サイズのガラス扉。その向こうに見えるのは、灰色がかった、くすんだオレンジ色の空。夕焼け空にしては色合いが汚らしく、赤と黄色の絵の具に、パレットの隅にこびり付いていた古い絵の具を練り合わせたかのような、暗い色合い。
「……あれ?」
寝癖の付いた頭を両腕で押さえ、凛は低い声で唸る。
「……これはまだ夢の続き? おかしい……そろそろ控え室に戻らねば……」
試しに、七分袖のシャツから覗く自分の二の腕を右手で摘んでみる。痛い。続いてもうちょっと力を入れ、肉を摘んだままコンロの火力調節つまみを捻るように右回転にねじる。もっと痛い。
夢の中では痛みを感じない。人によっては空腹や嗅覚すら感じないのだという。
だが事実、捻った腕は痛い。ハの字型の爪の痕と赤い痣がくっきりと浮かび上がっている。
「……おや、目覚められましたか」
控えめにドアが開かれる音と、聞き覚えのあるしわがれた声。ベッドに上半身を起こし、首だけを左の方へ捻った凛は……
「……着ぐるみ?」
ひょこひょことこちらへ歩み寄ってくる物体を見つめ、素直な感想を漏らした。
短い両手で何か飲み物の載ったトレイを支え、ベッドサイドの三脚テーブルに載せたのは、緑色の着ぐるみを被った人物。身長はベッドに腰掛けた凛が頭を撫でられるくらいで、肌の色は鮮やかな緑色。つやつや、というよりはゴツゴツに近い皮膚に、真っ白な髭と頭髪。頭の毛は老人のように薄く、額の皺が目立っているがあごひげはなかなか立派で、三角形の髭の先がカーペットの毛足を撫でつけていた。全体的にぽっちゃりしており、バスローブのように腰ひもで縛られた麻布風の服を羽織っている。
中に人がいるにしては随分小柄で、手足が短い。
その人物は舐めるような凛の視線にも嫌な顔ひとつせず、肌と同じ色の唇を大きく開き、にっと笑った。
「お飲み物をお持ちしました。冷水にハーブを足したものですが、お口に合えば幸いです」
「あ、どうも。着ぐるみさん」
「私のことはどうぞセバスとお呼びください」
着ぐるみ人物はそう名乗り、トレイに乗っていたグラスを手に取り、凛に差し出した。ちょうどのども渇いていたので、素直に受け取って一気に煽る凛。
「あ、おいしい!」
「左様ですか。調合の甲斐がありました」
「ええ、頭の中がすっきりするわ」
ミントよりも甘く、レモンのように少しだけ酸っぱい。口から鼻へとハーブの香りが突き抜け、持病の鼻づまりにも効果抜群。すうっと冷たい空気を鼻孔一杯に吸い……
「……で、ここはどこかしら?」
最後の一滴を飲み干し、グラスをセバスに返して凛は問う。
「魔王? とかいうのが出てきたけれど、どこかのアドベンチャーランド? 私、学校から誘拐されたわけ? あなたはそこのイメージキャラクター?」
「……おっしゃる内容はよく分かりませんが」
セバスはグラスをトレイに乗せ、カエルの手のように水かきの張った手を擦り合わせた。
「ここはクラン・クレイルの魔界。あなたは魔王アル様によって異世界から召喚されたのです。魔族に平安をもたらす使者として」
「……え?」
「なに、心配なさることはありません。勇者との戦いに一段落がつき次第、アル様の儀式によって再び、元の世界へお返しいたしますゆえ」
「……へ?」
「あなたは姿形がニンゲンに酷似されてます……おそらく食べ物の趣向や体質、魔法へ抵抗もニンゲンと同程度だと存じますが……」
「あ、の……ごめんなさい」
はい、と耳の横できっちり右手を挙げ、凛はすらすらと聞き慣れぬ単語を乱発するセバスに問うた。
「よく、分からないんですけど……えっと、ここは遊園地じゃないのね?」
「はい。あなたの故郷はユーエンチというのでしょうが……ここは魔界です」
「まか……?」
「詳しいことはアル様の方からお聞きください。なにしろ、あなたを召喚することを決めたのはあの方なので」
「あ、はい……」
セバスに押されるまま、凛はこっくり頷いた。
「間もなくアル様がいらっしゃいます。どうか、リラックスしてお待ちください」
「あ、ええ。……えっと、一つだけお願いして、いいかしら?」
「ええ、なんなりと」
「……触っても、いい?」
「……は?」
魔王は緊張していた。セバスがニンゲン向きの飲み物を持って彼女の部屋へ行って早十数分。廊下に立ち、件の部屋のドアに耳をくっつけて中の様子をうかがっているのだが、何かを殴る音や叫ぶ声は聞こえてこない。それどころか、何やら甲高い笑い声さえ聞こえてくるような……。
ぶんぶんと髪を振るって気合いを入れる。ここで尻込みしては魔王の名折れだ。先ほどの蹴りは痛かったが、負けるわけにはいかない。
魔王は緊張をほぐすように胸に手を当て、意を決して部屋のドアを押し開けた。
「わあ……すごい! これ、宇宙人みたいな皮膚ね!」
「は、はあ……私の種族は皆、こういった肌を持っており……」
「この髭、ふわふわね! もっと固いかと思ったら……」
「あ、あまり引っ張らないでくださいませ!」
幼子のようにきゃっきゃとはしゃぐ妙齢の女性。そんな彼女に体中をぺたぺた触られ、ありがた迷惑、といった面持ちで彼女の手をやんわり押しのける緑色の物体。
しばらく第三者の介入すら気付いていなかったらしく女性だが、はたと動きを止め、両手をセバスの頭に添えたまま、アルの方へ視線を合わせる。
「……あれ? あなた、さっき見た……」
「そ、そうだ! 僕の名はアルだ!」
「そうそう、自称魔王様だっけ」
「……自称じゃなくて、本当に魔王ですぅ……」
「ふーん?」
女性は両手をセバスから離し、ベッドの上でちょこんと脚を折って座った。
「そうよ、このセバスさんから、あなたに話を聞けって言われたの。マゾクだのショウカンだの、その辺もうちょっと詳しく説明してちょうだい」
今度こそは自分が主導権を握ろうとしたのだが、やはりこのニンゲンの女性には適わないようだ。アルは撃沈した後、ふと面を起こした。よくよく考えると、大切なことをまだ聞いていなかった。
「えと……ちなみに君、名前は?」
「……そういえば名乗ってなかったわね。城崎凛っていうわ」
「……へえ、変わった名前だね。じゃあシロサ、って呼べばいい?」
「……いや、そっちは名字だし勝手に切らないでほしいし……凛でいいよ」
「分かった、リンだね!」
リン、リン、と言葉を覚えたばかりのオウムのように繰り返すアルをほほえましく見つめた後、凛は姿勢を崩し、あぐらを掻いた上に頬杖を突いた。
「……じゃ、説明頼むよ。ここはどこ? 異世界ってどういうこと? 魔王って何?」
魔王アルが凛にせかされ、突っつかれながらしどろもどろ説明した内容を要約すると。
ここは地球とは違う世界、クラン・クレイル。この世界には魔法が存在し、魔物が生きる……凛が熱中したRPGと大差ない世界。人間と魔物が共存し、魔物の世界・魔界は魔王によって代々治められている。魔界は常にくすんだオレンジ色の空をしており、人間界と比べて色彩に乏しく自然も貧相。大地は枯れており、人間にとって有害な空気が満ちているらしく、基本的に人間が暮らすには適していないのだという。
よくある話だ。魔物の侵攻を受ける世界で勇者が異世界に助けを求め、召喚された強大な力を持つ美女を伴って魔王を討つ。魔王を討ち滅ぼした勇者は異世界の美姫と結ばれるが、住む世界の違う二人は間もなく引き離され、娘は故郷へ、勇者は異世界へ取り残されるという、美しくも悲しいストーリー。
詰まるところ、召喚されたのは美女でも最強能力者でもないただの大学生であり、召喚したのが勇者ではなく魔王であり、悪を討つのではなく正義に討ち取られるという立場であり。
「……えっと、つまり、何?」
アルに説明された内容を頭の中で積み上げ、ラベリングし、ナンバリングしつつ、凛は小声で確認を入れる。
「私は地球とは違う異世界に召喚されたので、魔王様のために働け、と?」
「えと……まあ、そういうことだね……そういうことでいいんだよね? セバス」
自分で言った内容に自身がないのか、首を捻って背後に控えるセバスに確認を取るアル。
セバスは先ほど凛に撫で回された頭髪を整え、渋面で頷く。
「要約するとその通りになりますね。ご理解いただけたでしょうか、リン様?」
アルもまた、凛の反応を伺うように恐る恐る顔を覗き込む。その仕草は魔王というよりも子リスか何かのようだ。
だが、凛は顎に手を当てた姿勢のまま、微動だにしない。
「……えっと、リン?」
「この年になって、トリップ物語? 異世界ワープ? 私は夢見る乙女じゃないんだぞ……」
「……えっと?」
「さては頭打ったか……そうか、きっとそうだ……あのイヤミ教頭に角材で頭ぶん殴られたのか……?」
「……ねえ、聞いてる?」
やけに色白い手を凛の前で振り、魔王は当惑顔で凛を覗き込む。子どもっぽい性格だが美貌は本物な魔王に至近距離で見つめられ、ぎょっとベッドの上で凛は後退する。
「えっとね……あまり信じたくないんだろうけど、僕が君を召喚したのは真実だから。なるべく君に怪我はさせたりしないようにするから、僕たちに協力してほしいんだ」
「協力って、具体的には……?」
「え? それは……」
しばらくもごもご口の中で凛への答えを模索するアルだが、やがて降参したように背後のセバスに振る。
「ねえ、セバス。この人に何してもらえばいいんだろう?」
「……アル様」
「だ、だって! 勇者の方も異世界から使者を召喚したって言うから……」
えっ、と凛はその一言に反応して、知らず知らずのうちに皺を寄せていた額を和らげる。
「どういうこと? じゃあ、勇者ってのもこの世界にいて、そっちも私みたいに誰かを召喚したっていうの?」
「……うん」
元々青白い魔王の顔に影が走る。主がなかなか口を開かないため、セバスの方が助け船を出してきた。
「勇者はニンゲン界での英雄と言われております。もっとも、それはニンゲンとしての立場からすれば、です。彼らにとって我々は悪であり、我々にとってニンゲンは種族を異にする生命体です」
「……そうね」
今まで集めてきたRPGを頭の中で思い返しつつ、凛は頷く。
「勇者、って聞けば正義で、魔王っていえば悪になるわね。そりゃあ、もちろん人間側の意見だけど……」
「そうです。勇者と崇められるのはニンゲン側の英雄。我々にとっては、種族を殲滅しに来る悪魔でしかないのです」
セバスは皺の寄った顔を歪め、黙りこくる魔王を一瞥した。
「リン様が知る『勇者』がどういうものか、細部までは存じませんが……我々は決して、ニンゲンを滅しようとは思っておりません。魔王がニンゲン界まで手を伸ばしたのは、もう数千年近く前の話。こちらにいらっしゃるアル様は心優しく、ニンゲンとの戦争を望んでおりません」
はあ、と凛の唇からため息のような声が漏れる。てっきり魔王は好戦的な者ばかりで、人間のテリトリーに侵入しては殺戮を繰り返す。そのため人間の中から選ばれた者が勇者となって、人間の平和のために魔王討伐の旅に出るのが王道なのだと思っていたが。
「じゃあ……どうして私を召喚したのよ? 魔王に戦意がないなら向こうも手を出さないでしょ?」
「そういうわけにはいかなくて……」
「ニンゲンの中では、魔族は全員悪だというのが常識らしいんだ」
ぼそっと、アルがつぶやく。凛に説明しているというよりは、自分の中で確かめているような語り方で。
「確かに僕のご先祖様……お祖父様はニンゲン界に侵入しては戦争を持ちかけたらしいけど……僕の父上はそうじゃない。ニンゲンとの和解を目指して日々努力されてたんだ。でもニンゲンにとっては過去が絶対らしくて……今になってもしょっちゅう、魔界へ押しかけては魔族を手に掛けてきているんだ。それも、戦う力の弱い者ばかり狙って。ニンゲン界では魔族の首に懸賞金が掛けられているらしくて。もう、数え切れないくらいの同胞が犠牲になったんだ」
「……なんとなく理解できるわ」
何せ、PRGの世界では人間が主人公であり、魔族が敵であるのが常識なのだから。だがゲームの中の主人公は皆、魔物によって滅びを迎えつつある世界から人々を救う……というのがセオリーだったはずだ。和解を望む魔王と殺戮を行う人間だなんて、ゲームにしても売れるはずがない。即刻クソゲー扱いだろう。
「でも、僕一人の力ではできることはほとんどなくて……リンの力を借りたいんだ」
「私の?」
凛は不快感を露わにして目を細める。
「私が、何をすればいいの? というか、アルは私に何を求めているの?」
「え?」
「え? じゃないの。勇者も異世界から人間を呼んだって、さっき……いや、待てよ」
ひょっとして。
凛の表情が見る見る険しくなっていく。それに比例して、凛の怒りを感じ取ったのだろう、魔王の白磁の頬も、白を通り越して青ざめていく。
「……ひょっとしてだけど、まさか魔王様、人間界の勇者が異世界人を召喚したから、とりあえず自分も召喚してみよっかー、ってなノリで私を召喚した訳じゃあるまいね?」
「……」
「まだ何も考えていないけど、とりあえず召喚すれば相手の方から何か働きかけてくれるかなー、なんて思っちゃったり?」
「……」
「もしかしたら、召喚した異世界人がものすっごい力を持っていて、後は任せてしまえば勝手に魔界を守ってくれるやー、って丸投げしちゃったり?」
「……」
ズゴゴゴゴ、と地鳴りのような音が聞こえるような、気がする。今や王様はソファで小動物のように縮こまり、減量中のボクサーよろしく燃えカスとなるのみ。
数秒、沈黙が部屋の中を満たす。凛は、アルの反応を待っていた。腕を組んでソファに座り、目の前の小動物がどういった行動を起こすのか、黙って見守っていた。
「……えっと……」
「ええ」
「……その」
「うん」
「……ま、まず、ご飯にしない?」
魔王はどこまでも、マイペースだった。