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レディの恋バナにはご用心です

 魔界各地に駐屯していた人間の軍はベルゲンハイム王(というかむしろ勇者キール)の一声によって瞬時に撤退した。彼らも魔族と戦うことは御免だったのだろう、一同ほっとした表情で天幕を片付け、祖国への国境を踏み越えていったのだ。


 ベルゲンハイム王(といかぶっちゃけ勇者キール)と魔王アルが結んだのは、不可侵条約。どちらも互いの国に干渉せず、国境を越えない。争いを他国へ持ち込まず、人間と魔物とで確実な棲み分けをする。未だ魔族への恐怖心が根強く残る人間にとってはこれが限度だった。



「……いつか、僕たちも人間界へ降りられるようになればいいんだけれど。いったい何年……いや、何百年先のことやら」

「あら、アルはそれこそあと数千年は生きるんでしょう?」


 凛が五百年前に植えた木が生い茂る魔王城の中庭。空を見上げて愚痴をこぼすアルの顔を覗き込み、茶化すように指摘する凛。


「なら、ゆっくり待てばいいじゃない。五百年前の勇者ディルフィードより今の勇者キールが穏やかな人格だったように、人の考えは時を経れば変わっていくわ。魔族も、人間と平等に暮らせるようにすればいいんじゃなくて?」

「……まあ、それもそうだけど」


 晴れ渡ったオレンジ色の空。人間との諍いに終止符を打とうと、この空の色が変わることはない。最初の頃こそ、不気味な色だと思っていたのだが今はこの霞んだオレンジ色こそが魔界の空にふさわしいと、凛は考えるようになっていた。


「……リン先生。君のおかげだよ」


 ふいに、アルの方から声を掛けられて凛はそちらを向く。アルはほおを掻き、照れくさそうに微笑んで凛を見つめていた。

「僕が魔王としての自覚を持てたのも、五百年間堪え忍ぶことができたのも……リンのおかげだよ。リンが僕たちの先生になってくれたから、ここまでやって来れたんだ」

「……そう、なのかな……」

「そうだとも」


 つい数日前、凛は自分の行いを後悔し、あれをすべきでなかった、こうすべきだった、と弱音を吐きまくったのだ。今更アルに励まされても心の底からは喜べないが、アルはそんな凛に力強く頷きかける。


「父上は魔界とニンゲン界の平和のため、僕の力を押さえ込んだ……今、父上が二千年前から望んでいたことがようやく、果たされたんだ。あの時リンを召喚してよかった、リンが僕たちに生きることを教えてくれてよかったと、思えるんだ」

「……アルが言ってくれるなら、そうなのかもね」

「そうだよ!」

「……でも、本当に頑張ったのはアルなんだからね」


 凛は力強く力説するアルにほほえみかけ、目の前でくるくると指を回して幾重にもマルを描いた。


「我慢して、戦って、悩んで……とてもよく頑張ったわ。花マル、あげちゃうよ」

「花……マルって?」

「……花マルはね、私のいた国では、一番よく頑張りました、おめでとう、って意味なの」

「……そうなんだ」


 花マル、と真顔で口の中で反芻し、すぐその顔は幼い少年のように無邪気に綻ぶ。凛はこっくり頷き、行儀いい子どものように等間隔に立ち並ぶ若葉の木に歩み寄っていった。


 アルは、立派に根を下ろした自分の木を愛おしげに撫でるリンを見つめ、ふっとその目を和らげる。


「……ねえ、リン」

「うん?」


 呼ばれて振り返ると、アルの目の奥には、じっと自分を見つめ返す凛の顔が映り込んでいた。きっと同じように、凛の黒い目の中にはアルの照れ笑いの顔がいっぱいに広がっているのだろう。


「……これからも、僕の側にいてくれるかな?」

「え?」

「花マルはもらったけど、やっぱりリンは僕の先生だ。まだ教わることはたくさんあるし……ほら、人手は少しでも多い方がいいだろう?」


 照れ隠しのように自分の長い金髪を弄びながら言うアル。


 凛の脳裏を一瞬、三年間通った中学校の影が横切る。慣れ親しんだ街が、家が、家族が、友だちの顔が、走馬燈のように頭をかすめては消えていく。


 これからもアルの側にいる。その言葉の裏にある意味に気付かないほど、凛は馬鹿ではない。決めてしまえば、取り返しが付かなくなるかもしれない。それでも、


「……うん」


 一度言葉にすれば。地球で出会った人や物が蜻蛉のように揺らめき、霧がかき消えるように四散していった。


 見つめ合う二人の間を、淡い風が吹き抜けていく。

「ここに、いるよ」



 アルと凛の仕事は山ほどあった。人間界とは関わりを断った以上、彼らに助力を求めることはできない。長く続いた戦争の傷跡を強く残す魔界の修復のため、各地に散った魔族を集めるため、確固とした王権を立てるため、二人は魔界中を駆け回った。


 体力的な面もあり、実際に翼をはためかせて魔界を飛ぶのはアルで、凛は城に残ることが専らだったが決して暇人なわけではない。彼女は彼女で魔族の女性や子どもたちと共に城の清掃や子どもたちの面倒を見、庭木を植え、服を縫ってと忙しかった。


 特に、冬を迎える前の魔族用防寒具や家具を手縫いする際、魔族たちは手足がなかったり指が器用でなかったりと、ほとんどの者は針を持つことすらままならなかった。そのため、凛も不器用ながら針仕事を任されることが多くなったのだ。


「……これ、今まで誰が作っていたの?」

 確か、魔王城には布製のクッションやベッドがあったはずだ。指に刺し傷をこしらえながら凛が問うと、二児の母となったミーレンは少しばつが悪そうに、抱えていた布の束をもじもじといじった。


「え、と……その、魔界とニンゲン界の国境はニンゲンの行き倒れが多くて、その……」

「……ああ、もういいわ、ミーレン」


 つまりは追いはぎ行為だったのか。ミーレンは魔族の名誉挽回しようと、必死に両脚の蹄を鳴らせる。

「え、と、そうですが! でも、クッションやベッドカバーは新品です!」

「……どうやって新品を手に入れたの?」

「……え、と……やはり国境には行商しているニンゲンもいて、その……」

「……ああ、分かったわ、ミーレン」


 つまりは強盗だったのか。ミーレンはそれ以上弁解の余地なく、布をぎゅうぎゅう抱えたまま涙目で項垂れた。


「ごめんなさい……あの、ニンゲンの方にはすごく、申し訳ないことしてしまったんです……たまには私たちも作るんですが、その、出来は悪くて……。でも、その、物をもらったら……そっと、寝かせておいたんです。アル様もセバス様も、ニンゲンを殺したらとても、悲しむので……」

「……そうだったのね」


 つまり、凛の部屋の調度品もほぼ盗品だったのか。凛のベッドを囲むように取り付けられたレースのカーテン、かなり高級品だっただろう。南無、行商人。


「それにしても、リン様は手が器用ですね」

 すっかり落ち込んだミーレンを落ち着けようと、下半身が魚の尻尾状態……つまり地球で言う人魚に近い体をした女性が声を上げる。リエンというこの人魚の女性は年若く、五百年前はまだ海で暮らしていたという。成長したリエンの種族は地上でも息ができるようになるため、百年ほど前アルの元に出仕したのだという。地球で言う欧米系の顔立ちで、玉を転がすように美しい声を持つ彼女は椅子に浅く腰掛け、青く煌めく下半身をぶらぶら揺らしている。


「わたくしもリン様に近い手を持っているのですが、どうも針仕事は向いていないようです……」

「確かに、リエンの手には水かきがあるからね」


 美貌の人魚の手にはしっかり、水かきが張られている。人間の手のようにチョキができず、指先まで使う裁縫はできないのだという。


「でも、小さい針は持てなくてもかぎ針を握ることはできるでしょう? 棒を握って動かすだけでいい編み方、教えたじゃない」

「はい……でも、完璧にこなせるまでには相当時間が掛かりそうです」

「何ごとも経験なりき、よ」


 凛は励ますように言い、ついさっきリエンが練習として作った歪なマフラーを手で示した。

「ほら、あのマフラー、きちんと筒状になっているじゃない。誰かに頼んで裾を絞ってもらえば立派な防寒具になるわ」

「そ、そうでしょうか?」

「もちろん」


 凛は力強く頷き、縫いかけのくすんだ色の布きれを目の前に広げた。くるくると布を回転させ、何か気に入らない点があったのか、今縫ったばかりの糸をほどき、また縫い直していく。


「……それで、今リン先生は何を作られているのですか?」

 だいぶ元気を取り戻したミーレンに問われ、凛は銀色の針を止めることなく言う。


「今? 情けない大魔王様用のハンカチを縫っているの」

「……アル様の?」

「そう。この前、またハンカチを破いたらしくて。今回はちょっと丈夫な布で縫うことにしたの」


 そう言って縫い掛けのハンカチを振ってみせる凛。確かに、麻布色のそれは「ひらひら」より「ぶらぶら」と振られ、ハンカチとして手や顔を拭くより玄関マットにした方が似合いそうな質感だ。


 麗しき我らが大魔王様がカーペットのようなごついハンカチで手を拭く姿を想像し、ミーレンとリエンは顔を見合わせてプッと吹き出した。


「あ、笑ったな、ミーレンにリエン。アルに言いつけてやるぞー」

 とたん、はっとして青ざめるケンタウロスと人魚。あまりの変わり様に、凛の方が驚いて針を進める手を止めた。

「リ、リン先生!」

「それだけはお許しください!」

「い、いやぁ……そんなに焦ることかな?」


 あのアルのことだからそう簡単には怒り狂ったりしないだろう。「確かにマットレスみたいだね」と笑って答えるのだと思うが。

 二人の狼狽え様に逆に怯み、そう取りなす凛だが。はたと動きを止め、不思議そうに凛を見つめ返す魔族レディ二人。


「えと……リン様はとても魔王様とお仲がよろしいのですね」

「そう?」


 おずおずとリエンが口にするが、凛は気にした様子もなく、縫い掛けの大判ハンカチを目の前にかざしてみる。この隅っこに「便所マット」と日本語で刺繍を入れてやろうと企みつつ。


「まあ、確かに魔王にしてはあいつはフレンドリーすぎるけど」

「いえ、そういう意味ではなく……」


 そこまで言い、リエンは顔を赤らめて目を伏せてしまう。何のことかと顔を上げる凛に、意を決したようにぐっと拳を固めて一歩詰め寄るミーレン。


「わ、私たちの目には! アル様とリン先生がご夫婦のように見えるのです!」


 おそらく、城に仕える魔族全員が思っていただろうことを暴露するミーレン。リエンはミーレンの有り余る勇気に甲高い声を上げてどきどきとこちらを伺うが、ミーレンは師弟のよしみか、臆することなくじっと凛を見つめる。五百年前のおどおどした少女ケンタウロスと同一人物とは思えないほど、決意に満ちた勇ましい眼差しだ。


 一方の凛は。


「……はい?」

 事態が飲み込めず、ぼけっとしたまま針をハンカチに突き刺し。


「いてっ」

「ですから! リン先生は魔王城の中でも一番アル様に見目が近いので、並ばれると魔王夫妻のように見えるのです!」


 ズバリと言い切って馬の脚で仁王立ちするミーレンに、きゃー! と日本女子高生並みの甲高い声を上げて照れまくるリエン。なぜ君が照れるんだ、と凛はげんなりしつつ肩をすくめ、先ほど針でぶっ刺して血が滲む指を口に含んだ。


「それに……私がアルに似ているというより、アルの見た目が人間に近いだけだろうし……」

「それで!? いかほどなのですか、先生!」

「イカでもタコでも、何でもないんだけど……」


 ぼそぼそ返す凛だが、ミーレンとリエンはすっかりはしゃぎきり、あらぬことを声高く叫びながら部屋を走り回っている。リエンは脚がないのでぴちぴち跳ねているのだが。


 あんたたちは恋バナする女子高生か、と心の中で突っ込みつつ、凛は口元から指を引き抜き、ぽつっと赤い点が浮かぶ人差し指をじっと見つめた。


 自分とアルがそのような関係に見えていると、今初めて知った。凛にとってのアルは永遠の「生徒」であり、アルもまた「リンは僕の先生だ」と言い切っていた。


 いやしかし、教師と生徒が恋愛関係になる話は小説でも腐るほどあった。本屋の棚に平積みされている若い女性向け小説十八番のテーマでもあるのだから。だが、その話の主人公が自分とアルだと言われてもいまいちピンと来ない。むしろ、制服姿のアルとタイツスカート姿の自分が抱き合っている三文小説の表紙を思い浮かべるだけで笑いが止まらなくなる。きっと書店でも恋愛小説ではなく、ギャグマンガコーナーに並べられるだろう。


「恋……ねぇ」

 既に伴侶となる相手を見つけたミーレンと、恋人探し真っ最中のリエン。二人を交互に見つめ、凛は歯の隙間から乾いた息を吐き出した。

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