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勇者はやはり勇者でした

「さあ、お茶が入りました」

 キールは手慣れた動作でポットの茶を四人分のカップにきっちり注いだ。最後に国王のカップに注いだため、澱の茶の葉がたくさん彼のカップに入ったように見えたのは、気のせいではないはず。


「魔王殿も人間の紅茶が口に合えばよいのですが」

「大丈夫。これなら魔界でも飲んだことがある」


 ふんふんと紅茶の匂いを嗅いでアルは答え、凛も小さく礼を述べてカップを受け取った。ふわりと立ち上るのは微かなハーブの香り。材料は香草だけではないらしく、カップを回すとトロリと波紋が立ち、果物や蜂蜜を混ぜたような匂いが立ち上った。


「……では、本題に入りましょうか」

 勇者は一度紅茶に口を付け、顔をしかめてカップをソーサーに戻した。どうやら猫舌のようだ。


「書簡は見ました。アル殿は魔族と人間観に停戦条約を結び、相互不可侵の平和を提携したいとのことですね。現在国境付近に駐屯中の軍も全て引き上げ、魔物もこちらへ乗り越えてこないようにするとのことで。そちらの用件としては以上でよろしいでしょうか?」

「条約に関しては以上だ」


 アルの舌は人間とは強度が違うらしく、淹れたてアツアツの紅茶を一気に飲み干し、神妙に頷く。


「だが、もう一つ……魔族の尊厳と名誉のため、追加を加えたい」

「ほう、それは?」

「歪められた歴史の軌道修正だ」


 アルの言葉に。ブーブー文句をつぶやいていた国王の動きが止まり、紅茶に息を吹きかけていたキールはおもしろそうに顔を上げ、凛は大人しく紅茶をすすり。


「……具体的には?」

 勇者に促され、アルはカップを置いて腕を組んだ。


「だいたい……五百年前から。四日前、リンが言ったらしいのだが、勇者ディルフィードの英雄譚にはいくつもの穴がある。そちらが信じる信じないは差し置いてでも、俺やリンが五百年前に体験したことだけは間違いなく伝えておきたいんだが」

「……ということはやはり、リン殿は五百年前から生きていたのですか?」


 さすがにこれは勇者も信じがたいのだろう、疑うような眼差しを向けられ、凛はふるふると首を振った。


「それは違います。話せばややこしくなるんですけど……」


 凛は言葉を選びながら、クラン・クレイルと地球とでは時間の流れが全く違うこと、こちらでの百年はあちらでは一日程度だということ、五百年前に死亡した真奈実は地球では五日前に亡くなったばかりだと告げた。


 話の途中で飽きて爪磨きに移った国王を差し置いて、勇者は興味深げに凛の話に耳を傾け、一通り説明が終わると納得したように頷いた。ラグビー選手のような見てくれの勇者だが、見かけよりずっと聡明らしい。


「なるほど……マナミの存在は現在では神格化され、ほぼ伝説になりつつあったのだが、あなたにとっては五日前の出来事……」

「ええ、そうなりますね」


 そもそも凛やアルでさえ、この時空移動の原理はよく分かっていないのだからこれ以上突っ込まれては説明に困るだけだ。アルが一つ咳払いし、話を元に戻した。


「そういうわけで、俺にとっては五百年前の話、おまえらにとっては生まれるより遥か昔の話だが……リンにとっては記憶にも新しい。それに、実際にマナミや勇者の仲間が殺められた時を見ていたニンゲンはリンだけだ」

「確かに。リン殿も重要な証言人になり得ますね」

「何? おい、キール。今何の話をしている?」


 興味をそそられたのか、国王が爪磨き布を放り出して勇者の方に面を向けた。だが彼は幼なじみを一瞥で黙させ、ソファに身を沈めて深い息をついた。


「……五百年前……いえ、それ以前から続く勇者と魔王との攻防戦については、私も思うことが多くありました」


 ぎょっと目を見張る幼なじみを軽く睨め付け、勇者キールはたくましい腕を組んで、対座する凛とアルを見つめる。


「文献によれば、アル殿の父君……二千年ほど前から魔王の座に君臨していたという魔王の代から、戦線は揺らいできたそうです。以前のように魔界から魔物を率いてこちらへ攻め込むことがめっきり減り、人間側が軍を率いて魔物討伐することが多くなったのだそうです」

「キール! それは歴史書の過ちだと、何度も言っているだろうに!」

「うるさいよ、フィリップ。ちょっと黙っててくれ」


 横槍を入れてきた国王をあっさり一蹴し、勇者は続ける。


「魔界へ攻め込んでは魔物に返り討ちを受けて軍隊壊滅になる……そんな歴史が延々と続きました。その時点から私は人間のやり方に不審を抱いていました。そして五百年前……勇者ディルフィードの時代、魔王の座に就いたばかりのアル殿……あなたが脅威であることが白日の下に晒された。今までの冷戦状態が解除され、いずれ膨大な魔力を以て『恨みのある』人間界を滅ぼすと……そう、告げられたのです。伝説の英雄ディルフィードの手によって」


 キールは片眉を上げ、意味ありげに二人を見つめた。

「これが我々人間界に伝えられている『歴史』ですが……何かこの点について、物申したいことは?」

「……ああ、山ほどある」


 アルは勇者から目を離すことなく、こっくり頷いた。

「まず、五百年前の襲撃だが、あれは明らかに勇者側が仕掛けてきたものだ。当時、俺はこのリンと共に魔族の子どもたちと静かに暮らしていた。当然、ニンゲン界に攻め入る気はなかったし、そもそも今のような魔力も持っていなかった。父上によって俺の魔力は封印されていたんだ」

「……何となく分かりました。つまり、あなたが父君の封印を解いたのと、人間を『恨む』ことになったのは根っこが同じであると……」


 キールの青い目が自分に注がれ、凛は紅茶のカップの端を銜えたまま、わずかにアルににじり寄った。キールは精悍で行動派な青年に見えるが、頭の回転が速い上、人情にも富んでいるのだろう。縮こまる凛を見、ふっとキールの厳つい顔が綻ぶ。


「勇者ディルフィードはあなたを怒らせ、あわよくば人間界を襲わせるため……魔王城を襲撃し、役に立たなくなった仲間を始末し、リン殿を盾にした。ですが、魔王殿はリン殿のためにもベルゲンハイムを襲うことなく、防衛戦に徹したと。この五百年の間、耐えてくださったのですね」


 納得したように微笑み、組んでいた腕をほどいた勇者キールだが、まだ納得できない……するつもりもない者が、約一名。


「キール! 事を勝手に進めるではない!」

 ふかふかのソファから尻を上げ、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい国王が顔を真っ赤にしてキールに詰め寄る。


「私は認めんぞ! 相手は魔物だ! 何をするか分からんぞ!」

「魔王殿。もし停戦条約を受け入れれば、魔物たちが国境を越えないようにすることは可能ですか」


 見ている方がうっとりするくらい鮮やかなスルースキル。勇者は脇から国王にマントを引っ張られようと抓られようと気にせず、じっとアルを見つめてくる。


「あなた方は不快に思われるかもしれませんが……ベルゲンハイムを含む諸国は、魔族を悪と……そう認識しております。長い歴史の過ちが作り出した常識は、そう簡単には上書きされません。ですから、停戦したとしても人間があなた方を受け入れることは不可能でしょう。せめて、魔族がこちらに来ることはないのだと知らせれば、人々は安堵すると思うのです」


 それは凛だけでなく、アルも承知していたことだった。人間と魔族の確執は根強い。人間にとっては勇者物語が絶対なので、いくら魔物が安全生物だと判明しても、魔族を恐れる気持ちが薄れることはないだろう。


 アルは目を伏せるキールに笑いかけ、緩く首を振った。

「気にしなくてもいい。俺としては魔族とニンゲンとの軋轢がなくなるだけで十分、満足しているんだ。魔族とニンゲンが良好な関係を築くのは現在では不可能だろうが……キールだったか、おまえがそう言ってくれるだけで十分だ」

「こちらこそ、魔界付近に駐屯している軍隊を撤退させ、無駄な軍事費を出さなくて済むんだ。感謝する、魔王アル」


 テーブルを挟んで勇者と魔王の手が固く握られる。ハーブティーを飲み干した凛はカップを下ろし、ほっと胸に手を遣った。自分の出番はないに等しかったが、事は丸く済んだ。


 ……済んだと、思っていたが。


「……でぇぇぇぇい! 私をのけ者にする気か!?」


 先ほどからずっと勇者の服を引っ張っていたが相手にされず、かんしゃく持ちの子どものように暴れていた国王。凛もすっかりその存在を忘れていたのだが、国王はテーブルの上で組まれていた二人の手をばしっとはね除け、アルに向かって殺気立った目を向ける。


「魔王! キールを丸め込もうとしても私はそうはいかんぞ! ベルゲンハイム王家、並びに代々の勇者を冒涜した罪、ここで償うとよい!」


 ぽかんとする勇者を押しやり、国王は短い足をテーブルに乗っけ、腰に下げていた宝刀に手を掛けた。てっきりこれもまたイミテーションかと思っていたのだが、どうやら真剣だったらしい。しゃっと鞘が払われ、ぷっくりした国王の手には恐ろしく不似合いな細身の刀身が姿を露わにした。


「覚悟せよ、魔王! そして黒髪の悪魔!」


 狂ったような奇声を上げ、剣を振りかぶる国王。反射的にアルは腰の剣に手を掛け、凛を庇おうと立ち上がるのだが……


「テーブルに足を乗っけるんじゃありません!」


 ぱしん、と凛の手が国王の太ももを打ち、バランスを失った国王の脚がずるりとガラスのテーブルから滑り落ちる。どむっと響く、肉厚な尻が床にたたきつけられた音。強く握っていなかったのか、ごてごてした装飾剣も持ち主の手からすっぽ抜け、脇から伸びたキールの手にあっさりと収まった。


 国王を一喝した凛はツカツカとテーブルを回って国王の前に立ち、床に尻餅をついた国王を見下ろして声を張り上げる。

 そろそろ、我慢の限界だった。


「あんたね、恥ずかしいと思わないの? あんたの幼なじみが真面目に外交に取り組んでいるのに、小学生みたいに駄々をこねて! キールさんはあんたの母親でも保護者でもないのよ! むしろあんたの方がしっかりアルの話を聞かないといけないのに、嫌だ嫌だしか言わないなんて!」

「む、こ、この、!」


 つやつや脂ぎった国王の顔にさあっと朱が上り、尻を払って立ちあがり奥歯をかみしめて凛をにらみつける。凛の方が背が高かったため、見上げる形になっているが。


「貴様は先日から無礼千万な行動を! 魔王の妾の身分で私に触れるとは汚らわしい!」

「……いつ、私がアルの妾になったのよ。というか妾って言葉の意味、分かってる?」

「黙れ!」

「そっちが黙りなさい。いい加減見苦しいわ」

「な、何を……」

「返事ははい、かイエス!」


 雷鳴のごとき凛の叱咤に、ぶるぶると顎の肉を震わせる国王。そんな幼なじみをにこやかに見つめる勇者キールと、どちらに味方すべきか考えあぐね、もじもじと指をすり合わせるしかできない魔王アル。キールはそんな魔王を見て、


「……ああ、気になさらないで。フィリップにはあれくらいがいい薬だよ」

「そう、なのか……?」

「それに、彼の言うことなら心配しなくていい。私の方から諸侯や大臣たちに説明すれば、皆きちんと行動してくれます。国内への停戦条例の公布……駐屯軍の撤退……すべきことは山ほどありますので」

「キール! だからそれは私の役目……」

「フィリップ。先ほどリン殿に言われたのでしょう」


 勇者は微笑む。凍てつく極寒の大地のような、氷の笑顔で。無関係者の凛や、歴代最強の魔王であるアルさえ凍えさせるほどの絶対零度で。


「見苦しいので、黙りなさい」

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