表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/26

敵討ちは力ずくとは限りません

 凛帰還。その知らせに魔王城が湧き、まずは凛に近況説明と、セバスのみ呼んでこれまでのことを報告したのだが。


「……へ? 五百年?」


 長らく使用されないが掃除のみは為されていた凛の客室。凛用に誂えられた人間の紅茶をセバスから受け取った凛はぽかんと聞き返す。


「どゆこと? 私、あっちに帰っていたのはせいぜい五日くらいなんだけど……」

「五日って……リン、君の世界はいったいどういう時系列をしているんだ!?」

「……それはこっちの台詞なんだけど」


 凛は「五日前」分かれた際のアルと、今目の前で濁った魔物用の茶を飲んでいるアルを脳内で並列し、うーん、と唸った。


「……そういえば魔族って人間の百倍くらい寿命があるのよね」

「うん……僕の父上は若くして亡くなったから享年三千八百四十五歳だったけど、寿命を全うした魔物はだいたい八千年くらい生きるから」

「じゃあ、五百年経ったアルが『ちょっと大人びた』程度なのも当然なのか……」


 むう、と紅茶カップ片手に低く唸る凛。

「……そもそも、こっちとあっちでは時間の流れが違うのね。こっちの百年は、あっちでの一日で……」


 そこまで自分でまとめてようやく合点がいった。五日前、中学校の実習生控え室でほんの数分、空白の時間があった。集配ボックスから戻って男子実習生が入ってくるまでのわずかな時間、凛は「その場にいなかった」のだ。クラン・クレイルで過ごした数十日は地球で換算されるとほんの数分。その間に凛の体は魔界へと引き込まれていた。彼が部屋を通ったとき、凛はギリギリこちら側にいたのだろう。


「……だからアルは大人っぽくなったし、セバスはよぼよぼになっちゃったのね……」

 茶を淹れさせるのも躊躇われるような老魔物をちらと見て凛がつぶやくが、とたん、アルの顔がぱあっと花咲くように明るくなった。


「え、本当!? リン、僕が大人っぽくなったって思う?」

「へ? あ、うん。さらに背も伸びてるし、大人の男の人、って感じだなぁ」


 人じゃなくて魔族だけど、と小声で付け足すがアルは上の空、わあっと声を上げて凛の左手を取る。


「よかったー! この五百年頑張った甲斐があったよ! ねえ、僕魔王らしくなった?」

「……いや、それはあんまり……」

「そんなぁ……!」


 がっくり項垂れる魔王様だが、セバスはそんな主を見て心の中でくすっと笑った。アルが情けない姿を晒すのは今や凛の前だけなのだ。五百年の経験は伊達ではない。凛のために魔王らしさを備えたアルなのだが、残念ながら「先生」の前では「生徒」に退行してしまうらしい。先生が生徒の成長を見るのは相当困難だろう。


「あ、そういえば……子どもたちはどうなった?」

 ふと、思い出したように凛に笑顔で問われ、はしゃいでいたアルも内心ほくほく笑顔だったセバスも一気にテンション急落し、アルは黙ってソファに腰を下ろした。


 アルはちらと老魔族を見、彼が頷いたのを確認してから重い口を開いた。

「そのことだけど……リン、悲しい知らせがたくさんあるんだ……」



 空になった凛のカップに、セバスが新しい紅茶を注いだ。ポットの中の紅茶もすっかり冷めきってしまっていたが、凛は文句を言わず、大人しく紅茶をすすった。


 一通り話し終えたアルはすうっと息をつき、膝の上で組み合わせた自分の手に目を落とした。


「ごめん、リン……君の大切な生徒たちを守ることができなくて……」

「……アル。アルのせいじゃないわ」


 凛は緩く首を振る。五百年前に立ち別れたときから、最悪の事態は想定していた。

「魔族として与えられた命、あの子たちは全うできたと思うの。それに、生き残った子たちはみんな元気に働いて、子どもを育てている。それだけで十分よ」


 むしろ、と凛は唇を歪めて笑った。自嘲に近い、自身を貶めるような笑み。

「……私の教え方がまずかったかと、そう思ってしまうの」

「え?」

「私は……あの子たちが戦わずともよい道を模索した。その結果、逃げる練習や身を隠す訓練、仲間を守る方法を教えてたの」


 でも。凛の指が微かに震え、カップに残っていた紅茶に小さな波紋が立つ。


「もし、ちゃんと戦い方を教えていれば……そうしたら、死なずに済んだのかな、って……人間を殺めることになっても、生き延びられたんじゃないかな、って思っちゃうの……」

「リン、何を……」

「……私ね、五百年前はアルに偉そうに言ったけれど……本当はね、地球での私は落ち零れで、役立たずの実習生なの」


 頬に笑みを貼り付けたまま、凛の自虐は止まらない。

「いっつも怒られてばかりで……生徒たちは懐かないし……授業も失敗するし……全然、ダメなの。でも、こっちの世界では私を叱る人はいない……だから、偉そうにしていた……あれをしろ、これをしろと、指図して、命令して……」

「リン、何を言っているんだ!」


 凛の言葉を遮るように発せられる、いつになく大きなアルの声。自分を虚ろに見返す凛の瞳を見、どうしようもなくアルの胸が締め付けられる。凛はこんなに悲しい目をする女性だっただろうか。


「僕は、君が先生になってくれて本当に助かったんだ。僕だけじゃない、スニクやニテたちも、君が先生になってくれたおかげで前向きに生き、助け合うことを学べたんだ! それなのに、どうして自分の行いを卑下するんだ!」

「……それ、は……」


 凛の目が潤む。まさか泣かせてしまったのだろうかと、一瞬ドキッとするアルだが。


「……怖いの」

 ぐすっと鼻を鳴らし、凛は緩く首を振った。

「教え子が死ぬなんて……信じられなくて。そうしたら、自分を責めるしか、できなくて……」

「リン……」


 アルはそんな凛を見つめ、何度か言う内容を推敲させているかのように口をぱくぱく開閉させた後、ひとつ息をついて肩をすくめた。


「……本来なら、リンはあっちの世界で……幸せに暮らせられたんだよね。こっちのことは覚えてないし、誰が死んだとか、傷ついたとか、そういうことも考える必要もなくて」

「……」


 無言のまま、凛は肯定する。

「でも、リンは帰ってきたんだよ。僕の儀式でも、勇者の儀式でもなくて、自分の意志で。本当に無意識の行動だったんだろうけど、きっとそれはリンがこっちでまだすべきことがあったから……未練があったから、あっちの世界でも僕たちのことを思い出せたんだと思うんだ」


 アルは黒々とした凛の目を覗き込み、その手を軽く握った。凛の手は柔らかくて皮が薄いので、爪で傷つけないよう手の平で包み込んで。


「僕は自惚れるつもりはないけど……でも、少なからず想ってくれたんだよね? もう一度こっちに帰ってきたいって。戦いで死んでしまった子たちの敵を取りたいって……」

「それは……ええ、そうよ」


 掠れた声で凛は言う。アルの手の中の凛の拳が急に温かく、熱を持った。

「私……あの時は頭に血が上ってた。だから、敵討ちは勇者をぶん殴ることで果たされると思ってたわ。でも……そんなの、ただの私の自己満足よね」


 凛の瞳に灯る、強い炎。アルや生徒たちを虜にした、生命力を感じさせる温もり。

「……戦うだけが正義じゃないって教えたのは私よね。だから……戦わずして、私はあの子たちの敵を討つわ。この時代の勇者と和解して」

「リン……」


 アルは凛の意を決した言葉に衝撃を受けたが、彼女の瞳に宿る決意の炎を見、肩を落として問いかける。


「……確かに、それはすばらしい案だ。ここ五百年は、ニンゲンと魔族の関係はどうやっても改善することができなかった。和解できれば、一番いいだろう。こっちもあっちも被害を出さずに事が収まる。でも……そんなにうまくいくだろうか?」

「押してもダメなら引いてみろ。引いてもダメなら強行突破」


 きっぱり言い切る凛は、もう気弱で後ろ向きな暗い女性ではなくなっていた。五百年前と同じ、自信に満ちた笑顔を浮かべ、手の中のカップを一気に煽る。


「私がいるじゃない。私は魔族でも人間でもない、異世界人。いくらでも手札は残されているし、自分から手札を作ることだってできる。トランプの中に白紙のカードがあるでしょ? あれは自分で絵柄を描くためにあるのよ。いくらでも手札は増やせるんだから」

「え……えと?」

「あ、今のは気にしないで。……とにかく、私がいる以上、この状況を打破してみせるわ。それが……亡くなった子たちへの一番の償いになるんだから」


 凛は微笑み、そしてすっと目を細めてアルの瞳に映る自分の顔をにらみつけた。

「……今が好機よ。アル、ベルゲンハイム城に行きましょう。人間たちの誤解を解くため……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ