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私は、城崎先生

 儀式で使用した部屋はそのまま放置されていた。凛の面倒見が予想以上大変だったのと、凛がやって来てからの日々が大変忙しくて充実していたこともあり、儀式後の後片づけをしていなかった。


 すぐさまセバスは散らかったままの部屋を掃除し、凛が「静かに寝かせて」と言っていた石造りの台にきちんと清潔なシーツを張り、床に新しく魔法陣を描く。


「……まさかこうなるとは、誰も思っていなかったでしょうな」


 凛を台に寝かせたアルは背後からセバスに呟かれ、疲れたように笑った。


「そうだね。僕、この召喚で来た人が全部、解決してくれるんだとばかり思ってた」

「そうでしたな。もっとよく考えてから召喚しろと、リン様にも叱られまして」

「そうそう。ただの勇者の真似事じゃないかってね」


 白いローブ姿の凛を横たえ、脚を閉じさせる……が、凛はO脚気味だった。どうしても膝が閉じられず、仕方なくアルは凛を横向きに寝かせ、肩が強ばらないよう、軽く両腕を曲げて両脚も自然に重ね合わせる。


 静かな眠りに就く凛の頬に掛かる髪を払い、アルはじっと、凛の寝顔を食い入るように見つめた。セバスはそんなアルを見て声を出しかけ……何か納得したように、口を閉ざした。


「アル様、そろそろ儀式を」

「……ああ」


 アルは台から一歩下がり、セバスがチョークで描いた魔法陣の縁に手の平を乗せた。

 儀式の段取りは熟知している。失敗するのが怖くて、何度も何度も魔道書を読み返したから。


 アルの唇から漏れるのは、人間には理解できない言葉。言葉よりは吐息に近い、しゅーしゅーとすきま風のような呪文を受け、魔法陣が炎を宿したかのように赤く燃える。細かな光の粒が飛び交い、眠る凛を包み込む繭のように膨れ上がっていく。


 アルは表情を殺して、ただただまっすぐ魔法陣を見ていた。いつになく真剣な顔で呪文を唱え、彼が言葉を発するにつれて光が強さを増していく。


 そして、アルが最後の一説を唱え終わった時。


 凛の姿が見えなくなるまで膨れていた光の繭がぱちんと弾け、さながら蝶が羽化するかのように解けていった。きらきらと金色の光の粉を撒き散らせながら消えていった繭の中に、凛の姿はなかった。


 冷たく冷えた石の台と、風を受けて少しずれ落ちたシーツのみが、そこにあった。


 一礼し、セバスが先に部屋を出ていく。アルは痛みを堪えるかのように唇をかみ、魔法陣を踏み越えて石の台に歩み寄り、シーツを手に取った。


 まだ少しだけ暖かいシーツは、微かに凛の香りがした。


 さようなら、リン。


 魔王はそっと、シーツに唇を押し当てた。



 遠くでチャイムが鳴る。これは始業か、終業か。中学生の声でいっぱいだった廊下がスリッパを走らせる音で満ち、そしてすぐにしんと静まりかえったため始業のチャイムだったようだ。


 凛は机に突っ伏していた体を起こし、こしこしと目を拳で擦った。少しぼうっとしていたつもりなのだが、随分長い間寝ていたような気がする。

 時計を見上げれば、三時間目が始まったところ。


 自分の机の上に転がるオレンジ色のシャープペンを見、見ました印代わりのキャラクタースタンプを見、足元に雪崩れ落ちたプリントを見、凛は首を捻った。いまいち頭の中がすっきりしない。


「あれ? 城崎いたのか?」

 がらりとドアを開けて控え室に入ってきたのは、腕いっぱいに巨大三角定規や定期プリントの束を抱えた男子実習生。彼はぼけっと椅子に座り込む凛を見、後ろ手で戸を閉めながら不思議そうに目を細める。


「妙だな……ついさっきこっちに寄ったときはおまえ、いなかったと思うんだけど」

「……そう? 私、ずっとここにいたけど?」


 凛の方もわけが分からず、きょとんとして男子に問い返す。

「さっきっていつのことよ。私、二時間目が終わってからずっと、ここにいるけど……」

「だから、俺はつい数十秒前に寄ったんだってば。鍵が開いているか確かめようと覗いたら、誰もいないけど鍵は開いていて……」

「……そうだっけ?」


 凛は頭を捻る。確か、採点の済んだ小テストを集配ボックスに入れ、教頭からの小言を受け、心の中で愚痴を垂れながら控え室に戻って……。


 そして……。


「……難しい顔すんなって。いつもに増してブサイクな顔になってるぞ」

「うるさい。そのイケメン顔を磨り潰されたいの?」

「う……おまえ、本当に言うことおっかないな」


 おお怖、と彼は大げさに身震いし、腕に抱えた荷物一式を自分の机に載せて冷蔵庫からペットボトルの茶を取り出した。他の者に飲まれないよう、キャップの所に自分の名前が書かれた玄米茶だ。

 そんな彼の背中を眺め、凛はぼうっと思案にふける。


 疲れが溜まっているのだろうか。彼はついさっき部屋に寄ったと言うが、凛は彼が入ってきた記憶がない。むしろ、教頭と別れてから彼がやって来るまで、凛はここで何をしていたのか、自分でも思い出せない。


「どうした、城崎。俺の背中をじっと見て。ひょっとして俺に惚れた?」

 男子は凛の視線に気付いたのだろう、ペットボトルから唇を離し、腰を捻ってニヤリと凛にほほえみかける。

んなわけねぇだろクソが、とばかりに顔をしかめた凛を見、彼はカラカラと笑った。


「あっはっは、その顔その顔。やっぱおまえはそのしかめっ面が一番いいよ、凛センセイ?」


 りんせんせい。


 茶化して言う彼の声に、誰かの声が重なる。彼よりずっと幼くて高い声。足元にまとわりついてくる小さな手の感覚。


 だが、この中学校にそれほど声が高く、背の低い生徒はいない。そもそも凛は自分を「城崎先生」と呼ばせているので、凛先生と呼ばれるはずがないのだが。


 目玉すら微動させずじっと自分の方を見つめるため、男子実習生もさすがに居心地悪くなったのだろう、軽く頭を掻き、ペットボトルに蓋をして冷蔵庫に戻し、凛の前でふらふらと右手を振る。


「おーい? 大丈夫か、城崎?」

「え? ……あ、うん」

「疲れているのか? ほれ、次の時間も空きコマだろう? 少しここで寝たらどうだ?」

「それは却下。教頭に見つかったら袋叩きに合うから」

「そりゃ、間違いないな。せっかく俺の腕で寝かせてやろうかと思ったのにー」

「イケメンだからって何でも許されると思うなよ、原田」

「おお、怖っ」


 凛がいつもの調子に戻って安心したのか、彼はほっと息をついて自分の席に戻り、先ほどの授業の反省をするべく、手製のノートを開いた。

 凛は机に頬杖を突き、虚ろな目で窓の外に目を移した。


 よく晴れた六月の空。青く青く澄んだ空がどこまでも続いていた。

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