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目覚めた魔王

 くすぶる火の粉。わずかな振動で脆く崩れ落ちる年代物の天井。


「……何て有様だ……」


 ぶすぶす燃え残った炎が黒煙を上げる中、アルは枯れた声でつぶやく。ようやく城門をくぐり、入り口から近い位置にある集会場の角を曲がったのだが、部屋の惨状に魔物たちは言葉を失った。


 廊下に面している側の壁が半分吹き飛び、巨大な黒こげの穴を作り出している。巨大な火の玉か何かが放たれたのだろう、集会場のタイル床には大きなクレーターができあがり、何かの燃えかすのようなものが下方で炭化して横たわっていた。


 その燃えかすが何を表すのか、瞬時に合点が行ったアルの目が揺らぎ、歯をギリギリと噛みしめる。


「リンは……無事なのか!? ケベルたちはどこへ……?」

「アル様、それが……」


 先に城内を回ってきていた蝶のような魔物が申し訳なさそうに項垂れる。


「ケベル殿は先ほど、広間の外の廊下で発見いたしました。しかし、残念ながら……」

「……そう、か……」


 蝶の魔物が差し出したのは、見覚えのある細身の槍。何度も猛攻を凌いだのだろう、頑丈な金属製の槍は既にあちこち曲がり、乾いた血がこびり付いていた。


 アルはケベルの遺品を受け取り、震える手で槍をぎゅっと握りしめた。

「……勇者め、よくも……」

「アル様!」


 メプと同類の、緑色のドラゴンが炭化した柱を飛び越えて部屋に入ってきた。

「アル様、この先の廊下でミーレンを発見しました!」

「ミーレンを!?」

「はい……しかし酷い傷で……現在、手当をしている最中ですが……」

「今行く!」


 アルは集会場の検分をセバスらに任せ、マントを翼のごとく閃かせながら、先導するドラゴンについて廊下を駆けだした。



 ドラゴンが案内した、廊下の曲がり角。そこに横たわるのは、人間の女性の亡骸と見慣れた緑髪のケンタウロスの少女。


 少女は足音を耳にしてか、血がこべり付いた頭を上げてアルを見、ほうっとしたように目元を緩ませる。


「アル……さま……」

「ミーレン!」


 四肢を投げ出し、アルの方へ震える人間の腕を差し出すケンタウロスの少女。アルはその手を取ろうとしたが、ミーレンはぶるぶると震えながらその手を拒否する。


「ちが……うの……アルさ、ま……せんせいを、たすけ、て……」

「リン?」


 幼いケンタウロスは血の混じる咳をし、人間の腕で廊下の奥の方を示す。

「せんせ……ニンゲンに、つれて、かれた……はや、く……」

「リンが、ニンゲンに……!?」


 アルの目がすっと細まり、一旦まぶたが伏せられる。もう一度目が覗いたとき、その眼は深い、憎悪に染まった藍色に変わっていた。


 アルはその場に跪き、血で固まったミーレンの緑色の髪をそっと撫でた。


「……分かった、ありがとう、ミーレン。よくやった」

「アル……さま……」

「ありがとう、おまえを死なせはしない。少し、休んでいろ」

「は、はいぃ……」


 己の役目を終え、がくっとミーレンの体が力を失って頽れる。アルは膝を伸ばして立ち、セバスらに背を向ける。


「セバス、ミーレンらは任せた」

「……御意」

 顔を上げたセバスだが、もうアルの姿はそこにはなかった。



「……あなたも悪趣味ね、ディルフィード」

「何がだ」


 不機嫌その者の勇者の声。手に錫杖を持った女性はくくっと笑い、自分の長い髪を掻き上げた。

「こんな場所、さっさとおさらばすればいいのに。堂々と闊歩するなんて、あなたらしくないわよ」

「黙れ。これも作戦のうちだ」


 勇者はにべもなく女神官に吐き捨て、自分と並んで歩く屈強な青年を見上げる。

「……」

「分かってるって」


 格闘家の青年は唇を歪めて笑い、自分の右肩に乗せられた女性を軽く揺すった。

「ディルの言う通り、この女はマナミよりかずっと役に立ちそうだな。さては、城に帰ったらこいつを手込めにしようってか?」

「あいにくだが、俺はそこまで腐ってはいない」


 くくっと背後でまたもや忍び笑いを漏らす神官を一瞥し、勇者は金髪を靡かせて廊下の角を曲がるが……。


 一行の最後尾を歩いていた男性魔道士の歩みが止まる。そして、杖を片手にさっと背後を振り返ったが……遅すぎた。


 ひゅんっと風を切る音。魔道士の頬を何かがかすめ、女神官の僧衣の裾をわずかに切り裂き、そして勇者と並び歩いていた格闘家の背中に、それは吸い込まれていった。


「……え?」


 どっ、と胸に何かがぶつかる衝撃。足を止め、自分の胸元を見ればわずかに覗く、銀色の物体が。

 ぼけっとする格闘家の背後で、女神官が甲高い声を上げる。


「ゼス! あんた、背中に……!」

「へ?」


 格闘家はわけが分からず、女神官が言うように自分の背に左腕を回し、背骨の左脇に何かがくっついているのに気付き……そしてそのまま、物言わず脚を崩してタイル床に崩れ落ちた。


 勇者の腕がさっと伸び、一瞬で事切れた格闘家の肩から凛をかっさらい、腕に抱える。そして振り向き様、廊下の奥からやって来る黒い姿を目にして薄い唇を吊り上げた。


「……ほう。早かったな、魔王」

「……その、汚い手で……」


 ぱちぱちと炎がはぜるような音。魔王の鮮やかな金髪が静電気を受けたかのように逆立ち、黒い衣装が小刻みに震える。


「リンに触れるな!」


 魔王の怒声と共に、風が起こる。間髪入れず放たれた風刃はすんでの所で勇者にかわされ、標的を外した風は城壁を切り裂くようにあさっての方向へ飛んでいった。


 男性魔道士が振り返り、胸の前で印を組む。彼の指先が赤く燃え、拳大の炎が吹き出た。


 炎は魔王の鮮やかな髪をわずかに焼き払い、そしてすぐに萎むように消え去った。

 術を掛けられずとも自分の魔法が打ち消され、魔道士の無表情が揺らいで額に皺が寄る。が、勇者は彼を手で制し、どこか感心したように魔王の姿をじっくりと眺める。


「……そうか、これが魔王の本性か……」

 炎のように髪を揺らめかせる魔王を見、調子の外れた声で高笑いする勇者。


「は、はは……とんだ茶番だな! 魔王が小娘一人のために本気を出すなど……」

「リンのためだけではない!」


 地を震わせるような声で吠える魔王。

「貴様らの手に掛かった全ての魔族のため……!」

「……そうか。ますますおもしろくなったな」


 鋼が光る。目にも留まらぬ速さで抜刀された魔王の剣は勇者の剣に受け止められた。クロスを描くように二人の男の剣が交わり、鋼が噛み合う不快な音が漏れる。


 左腕に凛を抱える勇者だが、少しも負担を感じている様子はない。むしろ、おもしろがるように魔王の顔を覗き込み、その目に宿る狂気を見て満足げに嗤う。


「どうした? さっさと剣を払えばいいだろう。本気になった貴様なら、人間なぞ容易く斬れるだろう?」


 からかいを含んだ勇者の嘲り。魔王がなぜ強行突破できないかは、勇者もよく分かっている。


 下手すれば凛を斬ってしまうかもしれない。手元が狂って凛に当たってしまえば、か弱い人間である凛はまず助からない。


 勇者が剣を薙ぎ、魔王もふわりと宙を飛んで後退する。剣を収め、魔王は距離を測るように目を動かせる。落ち着いているように見えるが、勇者の腕の中にいる凛に気を取られていることは明白だ。


「ちょっと、ディル! なに遊んでいるのよ!」

 勇者と魔王の打ち合いを見守っていた女神官が耐えかねたように声を上げる。


「その女を盾にして逃げたらいいじゃない!」

 裏返った声で勇者に訴えるが、勇者は騒ぎ立てる神官に目もくれず、自分の左腕に抱えられた凛を見下ろす。


「……馬鹿か。ゼスの死に様を見ていなかったのか。……女を盾に取ろうと、魔王は俺だけを確実に狙ってくる。時間稼ぎにもならん」

「それじゃあ……!」

「……まあ、オマケがなくなったと思えばよかろう」


 勇者は乾いた笑みを浮かべ、ぐっと左腕に力を込め……ぽん、と凛を空中に放り投げた。

両手に雷撃を放っていたアルはぎょっと目を見開き、瞬時に両手の電撃をかき消し、一歩踏み込んで床に顔面激突しそうになった凛の体をかっさらった。


 右腕に凛の体が「く」の字に曲がって引っかかり、すんでの所で受け止められる。凛はまだ意識を取り戻さないのか、軽く咳き込んだ。

 凛が手元に戻り、ほうっと息をついた魔王を見て勇者は一歩後退した。


「そいつは返そう。異世界人などいなくても、我々の勝利は確実になったのでな」

「何を……!」

 魔王は目の色を変え、凛を足元に寝かせると再び剣を抜いた。

「……今日は随分収穫が多かった。今回の目的も果たされた。……一旦引いてやろう、魔王」

「貴様!」


 背を向けた勇者に斬りかかろうと剣を突き出した魔王だが、背後で微かに咳き込む声がしてその腕を止めた。


 勇者に峰打ちされた凛。魔王の位置からは凛のつむじしか見えないが、その口元からつうっと、赤い血の混じった唾液が吐かれていた。


 魔王の意識が凛の方に向いたその一瞬の隙をついて。女神官が手にした杖を構え、くるりと目の前で円を描くように振ったとたん、勇者を含めた人間たちの姿はかき消えてしまった。

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