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絶望のさなかで

 まさに同時刻。魔界と人間界の国境付近で、小さな怒声が上がった。


 破魔の魔法を使って魔界に侵入してきた勇者一行。彼らと交渉をしていたアルたち魔王軍だったのだが。



「勇者が……消えた?」

 アルに付いてきた騎士の魔族が野太い声を上げ、座る者のいなくなった椅子を勢い余って蹴り倒す。


「ど、どういうことだ? まさか、魔法で……?」

「……いや、彼らは魔王城へ侵入したことはない。一度行ったことのある場所でなければ転移魔法は使えないのだから、魔王城へ行ったはずはない……」


 部下たちが口々に言う中、アルは呆然と目を瞬かせていた。


 交渉中、勇者一行は妙に落ち着きがなかった。大事な交渉中だというのに、意識がそれていた。


 そして、マナミという異世界人の女性の姿がなかった。

 加えて、マナミは以前一度、魔王城へ侵入している。


「……まずい……」

 アルは勇者一行がかき消えた場所を凝視し、セバスに向かって叫ぶ。

「リンが……みんなが危ない!」




 突風が、起こった。


 足元のおもちゃやお絵かきの紙が吹き飛び、凛の黒髪がうねるように巻き上がる。


 そして、目の前に現れた見慣れない人間たち。


 真っ先に凛の目を引いたのは、先頭に立つ青年。刃を髪に溶かしたような、月の光を色に表したかのような、不思議な色の髪。風もないのに緩くうねる髪とよく似合う、血の如く紅い目。


「……なるほど、ここが魔王の居城……」

 その人物は集会場をぐるりと見回し、薄い唇を吊り上げて笑う。

「薄汚い、魔物の巣窟、か……」


 アルに匹敵するくらい整った顔立ち。鼻筋が通り、顎が尖り、細く吊られた目を持ち、純白の金属製の鎧を纏った青年。そんな彼の背後に控える、人間たち。


「……あなたは……」

 凛の声が掠れる。そんな、そんな馬鹿な、と心の中で叫び、窓枠の真奈実を見上げるが、彼女は手にしていたくすんだ色の石をその辺に放り、悲しげに目を伏せるのみ。


 青年の焦点が凛に定められる。ワイシャツとズボン姿の凛を細い目が上下し、そしてのどの奥でくくっと笑い声が上がる。

「これが、マナミと同じチキュウジンか……魔物の調教師などという馬鹿げたことしでかしたという」

「……あなたに馬鹿扱いされたくないわ」


 凛は一歩も引かず、じっと目の前の青年を見つめる。

「……真奈実さんがあなたたちを呼んだのね。アルたち精鋭を出払わせて、会談を持ちかけて国境まで追いやって……」

「説明するまでもなかろう」


 青年……勇者は冷めた笑みを浮かべ、首だけ捻って背後に控えていた仲間たちを見る。

 向かって右側から、鎧を着込んだ女性戦士、長い金髪を背中に垂らした僧服姿の女性、三角帽を被った男性魔道士、そして真奈実の衣装とよく似た、だが彼女と違ってカラーリングが白の装束姿の男性。女性戦士は俯き、兜を目深に被っているため表情が読み取れないがそれ以外の三人は揃いも揃って無表情。神官の女性なんて彫像かと思われるほど美しく、無慈悲な仮面を顔に貼り付けていた。


 凛が何か言おうと口を開いたが、


「やれ」


 勇者の一言で、城は轟音に包まれた。



 勇者の背後に控える男性魔道士が両手を挙げたとたん、真っ白に燃えさかる火炎の玉が頭上に現れた。小さい太陽くらいはありそうな、高熱を放つ球体。熱い、と思う間もなく火球は凛の背後、怯えていた魔族たちの群れに向かって突き落とされた。


 崩れ落ちる壁。砂埃を立てて悲鳴を上げる天井。熱風を浴びて凛の体は横倒しに吹っ飛ばされ、ちょうど解放されていた廊下まで突き飛ばされていた。


 後頭部を廊下の柱にぶつけ、痛みに目に涙を浮かべながら体を起こした凛だが、集会場の有様を目にして痛みも何も、瞬時に吹っ飛んだ。


 轟々と燃えさかる真っ赤な炎。一瞬のうちに灰になるお絵かきの紙や手製のおもちゃ。そして……。


 目の前が一瞬、真っ赤に染まる。それは、炎の色を映したためか、怒りのためか。立ち上がろうと膝に力を入れると、腿が悲鳴を上げて凛はその場に崩れ落ちた。吹っ飛ばされたときに足をくじいたのだろう、ズボンをまくり上げると右脚がぱんぱんに腫れ、青いあざを作り出していた。


「リン先生!」


 体をくの字に折って両腕を床に突く凛の腕を、たくましい腕が捕らえ、ひょいと持ち上げられる。そのまま腰を抱えて着地させられた場所は、つやつやとした毛並みの上。

 脚に力が入らず、毛皮に両手をついて体を起こすと、緑色のウェーブがかった髪が目に入った。


「ミーレン……?」


「先生、ご無事ですか!?」

 声のした方を見ると、爆風に髪を煽られたニテの姿が。彼が倒れ伏す凛を抱え上げ、ミーレンの背に乗せてくれたのだろう。


「どう、して……?」

「……勇者から魔法攻撃を受けました」


 ニテはギリリと唇を噛み、真っ赤に燃える集会場をにらみつける。広い部屋は既に炎で埋め尽くされ、生きている者の存在が感じられない。


 ぞっと、凛の背中を冷たいものが走る。

「……みんな、は……? 子どもたち、は……?」

「……それは」


 ニテは重苦しそうに口を開いたが、凛を乗せていたミーレンがイライラと蹄を鳴らせ、緑の髪を振るった。


「ニテ、説明は後で! 早く、先生と一緒に逃げるんでしょ!」

「……ああ、そうだね」


 ニテは表情を引き締め、カツッと脚を鳴らせた。

「……無事だった者は全員、部屋から脱出しました。勇者一行もどこかへ……とにかく! 先生はミーレンと一緒に逃げてください。僕は負傷者の救出に当たります」

「ニテ……」

「先生、ご無事で!」


 ニテは一度、凛の手をぎゅっと握るとコンパスのような脚をしゃんと伸ばして燃えさかる炎の中へと突っ込んでいった。


「ニテ!」

「だいじょうぶ、先生。ニテは炎に強いから」


 いつになくしっかりした声は、ミーレンのもの。ミーレンは体を捻って凛を見、幼さ残る顔に決意の色を浮かべた。

「……行こう、先生。アル様が帰ってくるまで、耐えないと……」

「ミーレン……」


 ミーレンの背にしがみつき、凛はぎゅっと唇を噛みしめた。ミーレンが蹄の音を立て、走りだす。燃えさかる集会場とは反対の方向、爆発音止まない廊下の方へと。


「……先生、気にやまないで」

 振り返ることなく凛に語りかける、ミーレン。


「先生はニンゲンだもの。わたしたちとは全然ちがう……わたしたちよりずっと体が弱くて、魔法がにがてなんでしょ?」

「……ミーレン」

「だいじょうぶ! わたし、走るのは得意だから! ちゃんと先生を……」


 言葉途中でミーレンは急停止し、力なく跨っていた凛はそのままミーレンの背中に滑るようにぶつかった。ミーレンの体が小刻みに震えている。

 唸りを上げて崩れ落ちる石像。その向こうから歩いてきた、血なまぐさい人物。


 白かったはずの服を魔物の血で染め、未だ乾ききっていない血糊が垂れる籠手を振りかざす、人間の青年。


 ミーレンが甲高い悲鳴を上げる。獣の下半身が汗でぬめり、戸惑うように蹄が踏み鳴らされる。両脚で踏ん張れない凛は危うくミーレンの背中から転げ落ちそうになり、かろうじてミーレンの髪を掴んで落馬を防ぐ。


「……あぁ、なんだ、ここにいたのか、もう一人の使者」

 青年は恐れおののくミーレンと凛を見、引きつったような、狂ったような笑みで得物を軽く振るった。彼の武器に掛かって絶命した魔物の子どもたちのものだろうか、青く光る鱗が青年の足元にひらひらと落ちた。


 目の前が真っ白になる。今にも落馬しそうな凛を乗せるミーレンも、べそを掻きながらじりじりと後退するしかできなかった。


「せ、んせぇ……」

「あばよ、疫病神」


 無慈悲な声と共に、青年の体が躍動する。驚くほど高く飛び上がり、その右手に填められた鋼鉄の爪が炎の光を浴び、鈍く輝く。


 と。


 ミーレンの横を一陣の風が舞い、鋼と鋼が噛み合う鈍い音が廊下に響く。

 凛はミーレンの背中で、はっと目を見開く。細身の魔族が、鋼鉄の槍を掲げて青年格闘家の爪を受け止めている。


「逃げろ、ミーレン!」

「ケベル!」


 ケベルは細身の槍を振るい、ミーレンの背中を狙った格闘家の籠手を受け止めた。細身に見えるケベルだが、やはり彼も魔物。押し問答の末籠手を弾かれ、格闘家の顔が歪む。

 ケベルの鋭い突き攻撃を受け、格闘家はバク転するとケベルから間を取った。


「リン……俺には、おまえの気持ちは分からない」


 ケベルの背中が言う。彼は振り返ることなく、細い槍を構えて格闘家を見据えたまま、いつも通り固い口調で言った。


「だが、アル様のためだ。おまえが死ぬとアル様がお怒りになる。だから……逃げろ、リン、ミーレン!」


 ギン、と鋼と鋼の噛み合う音が響く。格闘家の爪をケベルが弾くのと、ミーレンが気力を取り戻して駆けだすのはほぼ同時だった。

「ケベル!」


 凛は首を捻り、逃げ道を死守するケベルにあらん限りの声を張り上げた。

「ありがとう……! 必ず、生きて会いましょう……!」

 返事は、ケベルの槍が籠手を弾いた鈍い金属音だった。

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