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崩壊の足音

「……はい、じゃあ次、敵から逃げるときの訓練します!」


 ぱん、と凛が両手を鳴らせると、中庭に散らばっていた魔物の子どもたちは一斉に背筋を伸ばし、じっとこちらを伺うように構えた。


 凛はやる気満々な子どもたちを見、心の中だけで笑顔を浮かべ、さっと表情を引き締めて息を吸う。


「さあ……逃げなさい!」

「はいっ!」


 凛の号令で一斉に子どもたちは動いた。半獣少年ディエやケンタウロスミーレンら、しっかりとした両脚を持つ者は手足の短いスニクらの手を取って腕に抱えたり自分の背に乗せたりし、翼を持つメプらは手足を持たないピシューらをかぎ爪で掴む。そしてゾンビ四人組のように、手足を持つが若干逃げ足の遅い者のために、戦闘能力の高いニテや凶暴な性格のウィックがしんがりを務め、全員が逃げ出せるよう敵を食い止める。


 ばたばたと騒がしく全員が凛から全力で逃げだし、凛は満足げに微笑んだ。腕時計を覗くと、全員が庭の隅まで退避するまで掛かった時間は約十五秒。人間の普通の兵士相手なら十分、逃げ切れるだろう。


 凛は顔を上げ、ぱんぱんと手を打つ。

「戻ってきて、みんな! 今回は最高記録だよ!」

「本当!?」


 きゃっきゃとはしゃぎながらこちらへ駆け戻ってくる魔物たちは先ほどまでの真摯な表情を引っ込め、先生に褒められ嬉しそうに破顔している。


「……襲いかかるニンゲンから逃げる訓練……か」


 背後から野太い声が掛かり、凛は腕を下ろしてそちらを振り返った。凛の背後、ひねくれ曲がった木に体を預けるようにしていたタツノオトシゴ顔の騎士、ケベルは吸盤の付いた腕を組み、ぐぐっとのどの奥で笑う。

「大した教育だ。戦うのではなく、逃げるための訓練とはな」

「あら、ケベルは不満?」


 からかうように言うと、ケベルは花の雌しべのように突き出た口をすぼめた。

「まあな……だが、アル様もそうおっしゃるなら、仕方あるまい」

「アルもケベルくらいしっかりしてくれればいいんだけど」


 メプやミーレンらの背に乗って遊び回る子どもたちを見回して凛が言うと、ケベルは微かに口を歪めて笑った。


「そうか? アル様はまさに魔王にふさわしい器を持ってらっしゃる。俺など比べられる方が末恐ろしい」

「ふーん? でも、本気にならないとあの気迫は出ないんでしょう?」

「それは、そうだが……」


 ケベルも普段の弱虫魔王姿を散々見ているためか、苦々しげに凛をにらんだ。

「本性を露わにしたアル様ならば魔族一だと言いたいのだ。よいか、リンよ」

「そうね。了解したわ」


 くすっと笑い、凛は子どもたちに目を戻した。オレンジ色の空の下、無邪気に遊び回る子どもたち。

 ずっと、こんな日が続けばいいのに。

 凛はこの国特有の色の空を眺め、ふうっと息をついた。



 安穏とした日は長くは続かない。それは、人間から忌み嫌われる魔族たちにとっては当然の運命。


「……勇者が国境を?」


 セバスの報告を受け、さあっと王座のアルの顔が青ざめる。

「なぜだ? あの障気は、リンたち異世界人しか耐えられないのでは……」

「勇者一行には高名な神官がおり、その者が破魔の術を心得たとか」


 セバスは報告書片手に苦々しげに言う。


「先日の……マナミという勇者の使者の件。おそらく彼女が破魔の術に荷担したかと考えられます。現在、勇者一行は国境付近の魔族の集落を制圧し、我々との交渉を待っていると、報告を受けております」

「……何が交渉だ。魔界を滅ぼすつもりでいるくせに……」


 アルは額に掛かる金髪をいらいらと払いのけ、玉座の肘掛けを掴んで立ち上がった。


「こうしてはいられない! セバス、すぐに準備をするんだ。勇者と会わなければ……」

「御意……しかし、なにか妙案でも?」


 もっともなセバスの問いに、アルは体中を針で刺されたかのように顔をしかめた。

「……悪いけど、全く……でも、城で篭城したっていつか勇者はやって来る。必ず、同胞に手を掛けて……それよりは今すぐ出向いて食い止めるしかないんだ」


 セバスは痛みを堪えるかのような主君をじっと見つめ、報告書を丸めると分厚い肩をすくめた。


「……アル様。リン様はどうなさるおつもりで?」

「リンは……」


 アルは今更それに気付いたかのようにはっとし、窓の外を見やった。中庭で子どもたちと遊んでいる凛は、まだこのことを知らない。


「……リンは、ここに残しておく。何かあった時のために、子どもたちと一緒にいてもらおう」

「……しかしリン様は戦える御身では……」

「分かってる! だから、リンたちがいる城を襲われないように僕たちが行くんだよ」


 意志を固めた、アルの強い眼差し。


 いつの間に、この青年はこのような眼差しを持つようになったのだろうか。セバスは眩しそうに主君を見上げた。



 凛が事の次第を聞いた時には、既にアルは出立した後だった。城の防衛係に任命されたケベルから説明を受け、凛は息を呑んだ。


「まさか、真奈実さんたちが……」

「アル様は城の全権をおまえに託された」


 武装したケベルは物々しく言い、槍を構えてリンに背を向けた。

「我々は城の防衛に徹する。魔族の子どもたちは……おまえに任せた、リン」

「……え、ええ」


 念のために魔族の子どもたちは全員集会場に集合。大人の魔族たちのみが中庭や城内に配置され、凛は子どもたちと一緒に部屋に留まることになった。


「……せんせい? リン先生?」


 金属噛み切り小僧ウィックが膝に乗ってようやく、凛は自分の手が止まっていることに気付いた。

「先生、お絵かきしてよ? もっと、チキューの絵が、見たいの」

「……そ、そうね。ごめんね、ウィック」


 凛は子どもたちを心配させないよう、お絵かきや歌に付き合い、努めて明るく振る舞うようにしていたのだが、アルらのことを思うとどうしても、心が不安にかき乱されてしまう。


 凛は気を取り直し、鉛筆代わりの細く削った黒炭を拾い、足元に伸ばされた紙にすらすらと絵を描く。


「これは、学校。私が今働いている場所なのよ」

「ガッコウ……」


 小柄なゾンビ、ヌオが考え込むように凛の言葉を反芻し、ウィックはきゃっきゃと笑う。

「ガッコウ! ねえ、この植物は、何?」

「これはね、桜の木って言うの」


 校門を挟んでずらりと伸びる並木。魔界にある木のように枯れておらず、いっぱいに枝を広げて花を咲かせる桜の木。


「このお花が咲いたらね、春になったなぁ、って感じるの」

「ハル? ハルってなぁに?」

「春はねぇ……暖かくて、命が芽生える季節のことよ。お花の芽が出てきて、動物も目を覚ますの」

「ねえ、せんせい。まかいには、さくら、はえないの?」


 ある子どもが目を輝かせて聞き、凛は答えに窮してしまった。

 結論は簡単。魔界に桜は咲かない。なぜなら桜の苗木が存在しないから。


 春の風景を描いていた凛の黒炭がぽろりと落ちる。この魔族の子たちはどんなに望んでも、願っても、桜の木を見ることはない。凛の教育実習先である中学校を見ることも、緑豊かな地球の風景を見せてあげることもできない。この子たちが生きているのは地球ではなく、澱んだオレンジ色の空に包まれた、枯れた魔界の地なのだ。


 そう思うと、今自分が子どもたちに説明していることが酷く意地悪で、残酷なことに思えてきた。


 なかなか黒炭を持ってくれない凛に苛立ってか、ウィックら幼い子らは凛の背中にしがみついたり脚を叩いたり、ぎゃあぎゃあ騒いだり。


 さすがに凛を哀れに思ったのだろうか、壁に背を預け、じっと部屋を見張っていた三本脚の少年魔族が口を開いた。


「……ウィック、ビエン、ヌオ。リン先生も疲れているんだ。少し、休ませてあげなよ」

「ニテ……」


 美貌の魔物に叱られて子どもたちは「えー」「ニテのケチー」と彼に不満の矛先を向けるが、ニテはそんな彼らを涼しげな切れ目で一睨みし、細い足をぶつけ合わせてカチカチと音を立てる。


「我が儘は言うんじゃない。リン先生はアル様がいらっしゃらない今、みんなを守ってくれるたった一人の人なんだ。リン先生もお疲れなんだから、しばらくはおまえたちだけで遊んでいるんだ」


 子どもたちの中でも最年長組に位置するニテのお言葉に逆らえるほど、子どもたちは成熟していない。ううう、と口々に不平を零しつつ、凛から離れて彼らだけで円陣を組み、凛が残した紙に何やら書き連ね始めた。


「……ごめんね、ニテ……」

「先生、気にしないで。僕は先生の方が気がかりですから」


 ニテは座り込んだままの凛の側に歩み寄り、器用に膝を折ってその場にしゃがみ込んだ。


「……サクラ、ですか」


 ぼそり、とささやかれた言葉に凛の肩が震える。賢いニテは大体のことは目星がついているのだろう。かすかに目元を暗くし、凛の膝の前に落ちている黒炭を拾うとすらすらと見よう見まねで凛の桜の木を写した。


「僕は好きですよ、この木」

「……」

「きっと、先生の住んでいる世界はとても美しいんですね。植物はどれも、メプみたいな鮮やかな緑色をしていて、海はアル様の目のような青色……空は僕の髪のような色になることもあるんですよね?」

「……ええ」

「……先生」


 体操座りして顎を膝に埋める凛の前にしゃがみ、ニテはそっと微笑んだ。

「僕は、先生の話が好きですよ。いえ、僕だけじゃない……みんな、チキュウの話が大好きなんです」

「……」

「先生、いつも素敵な話をしてくれてありがとうございます。いつか……先生の住んでいる、たくさんの色がある世界を見てみたいです」


 凛は瞬きし、満面の笑みのニテの顔を見、そして足元の紙に描かれているニテ作の絵に目を落とした。


 桜の木の下。中学校の門の前に笑顔で立つ、人間の絵。ニテが描いてくれた、凛の似顔絵だ。こちらに向かって大きく手を振っている。

 自然と、頬が綻んだ。周りで各々遊んでいた子どもたちがニテの絵を見て寄ってくる。


「これ、りんせんせいだ!」

「ニテ、うまいな! せんせいだ!」


 きゃっきゃと喜ぶ魔物の子どもたち。照れたように笑う、ニテ。彼らを見ているリンの頬にも、いつの間にか笑みが戻っていた。


 だが。


 獣の耳を持つ魔族がぴくっと身を震わせ、素早く体を起こした。

 その他の魔族たちも一声に顔を上げ、きょろきょろと不安げに辺りを見回す。


「? どうしたの、みんな……」

「先生……! 上です、窓の所に!」


 ニテがさっと立ちあがり、凛を守るようにして立ちはだかって部屋の上方、窓の方を指で示した。


 開け放たれたガラス戸。窓の桟に腰掛けて両脚を投げ出している、黒衣の人物。見覚えのある女性。凛は息を呑み、ゆらりと立ち上がった。


「あなた……真奈実さん?」


 今日も以前と同じ黒装束姿だが、頭巾は被っていない。外の風を受けて彼女の短い黒髪が揺れ、魔物たちは甲高い声を上げる。


「ニンゲンだ!」

「どうして!? あの人も髪が黒いよ!」

「リン先生、どうするの!?」


 事情の飲み込めない子どもたちはおもちゃや絵描きセットを蹴散らかしながら逃げまどい、ニテやミーレンら、年長者は「もう一人の黒髪の女性」の意味が分かったらしく、静かに女性をにらみ上げている。


「……みんな、静かに」

 ため息のように吐かれた凛の言葉だが、凛の教育を受けていた魔魔族たちは一声に動きを止め、恐れおののいた表情でじっと凛を見つめる。


 魔族たちを残し、自分の方へ歩み寄ってくる凛を見つめ、真奈実の唇が弧を描いた。


「……久しぶりね、凛さん。あなた、本当に魔物たちに慕われているのね」

「ありがとう。この子たちはみんな素直だからね」


 褒め言葉と受け言葉。さりげない日常会話のように見えるが、窓に座る真奈実と彼女を見上げる凛の間には目に見えない緊張の糸が引かれていた。迂闊に手を出せば感電死しかねない、強力な電撃を放つ糸が。


「……妙ね。勇者たちはアルと交渉してるんじゃなかった? 勇者のお供であるはずの真奈実さんが、どうしてここへ?」


 真奈実の動きから目を離さず凛が問うと、真奈実は窓枠に尻を乗せてぶらぶら両脚を動かしながら曖昧に微笑む。


「そうね。ディルフィード……勇者らは魔界と人間界の国境にて会談中。私だけがここに来たのはおかしいかもね」


 でも、と真奈実は目玉だけを動かして凛の後ろで緊張に身を震わせる魔族たちを一瞥する。


「あなただって同じじゃない。魔王から留守番を命じられたのでしょう? 確か、あなたも魔王の使者として召喚されたんじゃなくって?」

「まあね。私にはこの子たちを守るっていう使命があるから」


 凛は素早く真奈実の出で立ちに目を凝らすが、武器らしい武器は見あたらない。「衣服に武器を隠せば動作に違和感が生じる」とセバスから教わったが、見える範囲ではブーツの中などに武器を隠しているようにも見えない。


 凛の目線に気付いたのか、真奈実はふっと微笑んで両手を耳の高さまで挙げた。


「大丈夫。私は腐っても日本人。ナイフや弓なんて使えないし、魔法なんて論外。仲間の魔道士に飛翔能力をかけてもらっただけで、戦う力は皆無よ」

「……じゃあどうしてここに来たの?」


 凛は重要な役割があるからここに残った。真奈実もまた、何かしらの役割を与えられて一人、ここまで侵入したのだろうから。

 間違いなく、凛らにとってデメリットにしかならない理由のために。


 真奈実の愛らしい顔立ちが一瞬歪み、哀愁漂う眼差しで集会場の者たちを見つめる。


「……凛さん。前言ったように、私はあなたがとても羨ましい。こんなわけの分からない世界に放り込まれようと、仲間を作り、慕われている。私は……あなたのようにはなれなかった。だから、勇者の望むように動いて、その見返りとして地球に帰らなければならないの」


 どのような手段を使ってでも。


 真奈実の右手が動き、装束の合わせ目に手が差し込まれる。


「……知ってる? 私たちが地球に帰れば、ここの記憶は一切消されるそうなの。だから、どんな手を使ってでも……とにかく、帰れたらいいの。あなただってそうでしょ? 帰るためなら……手段は選ばない」

「何を……言ってるの?」


 地球に帰ればクラン・クレイルの記憶は失われる。そう真奈実は言ったのだが、今の凛にとって最重要なのはそこではない。


 真奈実が何をしようとしているのかうっすら分かり、凛の目が大きく見開かれる。


「……ごめんね」


 真奈実は合わせから手を引き抜き、そして手に握っていた何かを……軽く、宙に放り投げた。

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