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第五話

最終話ですが少し変わったお話です。お楽しみを

目が覚めてカーテンを開けると一面に曇り空が広がって雨音がやたらとうるさかった。昨日とは一転して荒れ果てた天候は俺の一日の活力を瞬時に奪い去り再びベッドへと押し戻した。まだすやすやと眠る同居人を起こさぬように中に入る。あったけえな。

冷めることを知らないベッドの中、安心しきった小春の顔をまじまじと見ているとそのあまりに無防備な表情に無性に悪戯心をくすぐられ衝動を抑えられずにほっぺたをつついた。むにゃむにゃと口を動かして起きる前兆を確認してから目を閉じた。

「んあっ、んー」

伸びしてるみたいだな、見えないけど。

「イタズラっこですね、お仕置きです」

パッと目を開いたときにはバッサリと頭から枕が被せられていた。「わっ、と」

地味に苦しい。

「私が中里さんより遅く起きるわけないじゃないですか」

「ご、ごめんなさい」枕が取り払われて視界に入ってきたのはしてやったりってな感じの笑みを浮かべる小春だった。はめられた。

「同じことしてたんですよ、可愛かったですよ?」

「ちくしょう、なんか腹立つな。小春、飯!」

「なんでそうなるんですか?」

「一気に目が覚めたから。もう十時だぞ」

「はいはい、わかりましたよ」

名残惜しそうにベッドを見つめながら渋々キッチンへ。一人だけぬくぬくするのもあれなんで俺も移動する。

軽い朝食をとりつつ今後の予定について話し合う。

どこの部活にも属していない俺達は常に退屈と戦っているのだ。部活に入れって?拘束されるなんてかったるいだろ。まだこの戦いに勝つための方法を考えた方がマシさ。

だが今日は雨、外に出るのはおっくうだ。加えて体育祭の疲れが結構残っている。結論として家でおとなしく休んでいるという堕落の道を選択することに相成るわけだがまあいいだろう。実は明日明後日も土日で休み、必要なこと(食料の買い出し等)は明日以降に回せばいい。

「ではもう少し寝ますか、私も何もしてないけど疲れちゃったみたいです。応援にも熱が入っちゃいましたからねえ」

言われてみれば疲労の色が伺えない事もないんだがそれより

「お前まだお祭り気分が冷めてないんじゃないか?」

なんか笑いを堪えられないっぽい。例えるなら受験に受かった時みたいに自然と頬が弛んでるって感じか。

別にそれが悪いわけじゃない、むしろ元気でいいと思うんだがぶっちゃけた話、恥ずかしいんだよな。

すっげえ今更なんだけどさすがに昨日ははしゃぎ過ぎたな。普段は超だらけたキャラなのにあんなに熱くなっちまってクラスの奴らも引いていたに違いない、周りなんか見えてなかったから実際のことはわからなかったけどな。

「そ、そうかも知れませんね、すいません」

「いや謝んなくてもいいんだが昨日の俺おかしくなかったか?」

小春はふっと視線を落として呟いた。

「まあ三日前くらいからおかしかったと思いますけど?」

うぐっ、確かに。俺の心の奥に宿る若きパッションは中々抑えられないんだよな。

「やっぱり?」

「ええ、普段が普段ですからあの変わり様はちょっと……」

地味にショックだ。自業自得だが。

と思っていたんだが小春は悪戯っぽく笑みを浮かべて真実を語ってくれた。

「ふふ、冗談です。大丈夫ですよ、むしろクラスでの中里さんの株は上がってますよ」

「そうなんか?」

「いつも寝てばっかりなのにやる時はやる人なんだってみんな感心してましたよ。同居してる身としては鼻が高いですよ」

うーむ、そう言ってくれるとある程度救われるな。ついでに小春が微妙に嬉しそうだった理由も判明したしこれでぐっすり眠れるってもんだ。

梅雨入りにはまだ早いがやたらと湿っぽい空気の中俺は再び床に就いた。なぜか小春が付いてきたがもはや何も言うまい。



それからしばし六月も残り十日ほどとなってしまい、迷惑この上ない梅雨全線は俺の願いを天の邪鬼に聞き入れ例年より早く到来していた。欝だな。

しかも俺の欝に拍車をかける出来事が先日起こった。

それは自転車に乗って畠中の家にCDを借りに行ったときの話である。目的地に到着してブレーキを握り締めると突如としてブチッという怪音を伴って左のブレーキにつながっているヒモが跳ね上がった。慌てて足で地面を押さえ付けて止めたがヒモは完璧に切れて左のブレーキは機能していなかった。

普段左しか使わないからないと困る。しかし自転車自体をあまり使わないからと修理を延ばし延ばしにしていたんらいつのまにか梅雨に突入してしまった。加えて俺の知る唯一の自転車屋が潰れてしまい直せるところがわからない。

さらに夏休みに入る日に雛と千春さんが再び来日することが決まり自転車が必要になってしまった。

時間がないかといえばそうでもないがウチの同居人が

「面倒なことは早く済ませなさい」

と小姑のようなことを言ってプレッシャーをかけてくるのだ。わかっちゃいるんだがかったるいもんはかったるいんだよな。

で、さっき聞いてみたところ畠中と福生は俺と同じで一ヶ所しか知らないらしい。あとは姫野・水口姉妹・天宮に聞いてダメなら先輩、それでもダメなら黄色い電話帳で調べるしかないな。できることなら違う階にいる先輩にわざわざ会いに行くことは避けたいな。

姫野は自転車を直しに行ったことがないらしい。よくよく考えればこいつは結構なお嬢様なんだから当たり前なのかも知れない。


次いで天宮は

「自転車屋知らねえ?壊れちまったんだけど」

言った瞬間こいつもお嬢様だったんじゃ、と思ったんだが返ってきたのは意外な答えだった。

「ああ、知ってるわよ。うちの隣の隣にあるわ」

「えっ、マジ?」

天の助け、別に天宮だから天って漢字を使ったわけではない。冗談はともかくとして本当にありがたい。

「是非教えてください、天宮さま」

「妙にへり下るわね、まあいいけど。ちょうど明日あんたの家に行く予定だったし」

一応断っておくが天宮はよくウチに来る、これは珍しい事じゃない。もちろん小春に会いに来てるわけだが同じ家にいるんだから俺も一緒になって遊ぶこともある。

「ああ、じゃあ帰りに付いてくわ。いや助かった、困ってたんだよ、本当に」

ぺこぺこと悪代官のように頭を下げ感謝を示した。

「はいはい、わかったから面を上げなさい、逆に気味悪いわよ。ふふ光希ってわかんないわ、体育祭の時はあんなにかっこよかったのにさ」

と言って呆れたような笑顔(難しい)になった。

「あれは忘れろ、この腰の低い状態こそ俺の真の姿だ」

「嘘ばっかり。常に熱くなってればもてるのに」

「安心しろ、俺はお前一筋だから」

「あら、嬉しい……なんてそういう女を誘惑する台詞は控えなさいよ、顔はいいんだから。それにあたしに色恋は似合わないわよ、自覚あるんだから」

性格はお友達タイプだとは思うが容姿はむしろ色恋向けなんじゃないかね。

「そうかねえ、俺はそうは思わないが。それは置いといて明日はよろしくな」

「なんか流されたみたいでいい気分じゃないわね。明日は覚悟しなさいよ」

「意味わからん」

意味深な笑みを浮かべた天宮はそれ以上何も言わなかった。


翌日の放課後、三人で帰る、空模様は昨日に引き続きどんよりとしていた。

「やっと行ってくれる気になりましたか」

小春は上機嫌だ。その台詞に天宮は納得したように

「そういうことか」

と呟いた。どうせ俺は小春のプレッシャーに耐えかねて決心しましたよ。

我が家に到着。傘は差していたもののわずかに濡れてしまった服を拭きつつ聞いてみた。

「そういや何でウチに来たんだ?」

「何でって、単に遊びに来ただけよ、理由なんかないわ」

「あっそう」

「自分で聞いといてリアクションが薄いのよ、俺に会いに来たんじゃないのか?くらいいいなさい」

「どうどう」

「なだめかた間違えてる!」

こいつと話してるとどうも言い合いになっちまう。二人では埒が開かない。見兼ねた小春が仲裁に入ってくれた。

「まあまあ、二人とも穏便に。トランプでもしましょう」

提案通りトランププレイ。勝敗はというと神経衰弱では小春がほぼ総取りしてダントツトップ、しかしババ抜きでは逆にダントツビリ、基本的に俺と天宮の一騎打ちみたいなものだったがラストの大富豪で小春が異様な強運で総合優勝をかっさらった。


その後適当にダベったりウノをしたりしていた。そろそろ六時になろうかという時

「真琴ちゃん夕飯食べていきます?」

「んー、いいや。自転車屋さんが閉まっちゃうし」

そりゃ困る。だが場所さえわかりゃあいい。直すのはいつでもいい。

「別にいいぞ、また明日にでも行けばいい。今日のところはお前を家に送りがてら場所を確認するだけでも……」

「いやいいよ」

遮られた。折角の好意をなんだと思って…

「顔が露骨に倦怠感を表してるのよ」

「気を遣わせてすみません」

お見通しですか、そうですか。



そんなわけで帰り道、逆に今度は天宮が露骨に不満そうな表情を浮かべていた。

「あんただけ自転車乗ってずるいわよ」

言い分はわからんでもないがどうしようもない。

「悪いな、だが歩くスピードに合わせるのも案外難しいんだぞ?」

ましてや傘を差してるからな、難度が倍増してるぜ。俺のドライビングテクニックは並みだからな。

「じゃああたしが乗って上げる」

俺を自転車から蹴落とし(ひどすぎる)走り去ろうとする天宮。

「バカッ、そんなにスピード出すな。ブレーキ壊れてるんだぞ!?止まれ!」

「えっ?」

その先に待っていたのは信号の無い道路、走り来る車。天宮はブレーキを握り締めるがスピードは緩まない、右手に傘を持っていたため壊れている方しか握れなかったのだ。飛び降りようと試みるが叶わなかった。

車のブレーキ音が耳をつんざいた。次の瞬間、車は自転車ごと天宮を弾き飛ばした。俺の思考は完全に停止し体は微動だにできずただ立ち尽くしていた。

天宮の体が宙を舞う。なぜかスローモーションのように見えたその体はドサリと地面に落ちた。


「……あ、天宮!?」

思考が戻るまでに数秒の時間を要したがはっと気付いて駆け寄る。呼吸と心音はしているもののすでに天宮に意識はなく全身に細かい傷が付いていた。俺がみるかぎり一番大きな外傷は左の肩口でスパッと切れていてかなり出血している。自分のシャツを引きちぎり肩に巻き付け出血を止めようと試みるも素人のやり方では焼け石に水といったところで車を運転していた人が呼んだ救急車が早く到着してくれることを祈ることしかできなかった。

十分程でようやく現れた救急車に安堵ともっと早く来いよという思いを抱きつつ一緒に乗り込んだ。

天宮の両親に連絡を取るため小春に電話する。

「もしもし中里さんですか?」

「ああ、そうだ。落ち着いて聞いてくれ、天宮が事故にあった」

俺自身も落ち着けるような心境ではなかったが小春に心配を掛けまいと必死で冷静を装った。

「えっ……本当に?嘘ですよね?」

「嘘じゃない。だから天宮の家の電話番号教えてくれ」

予想していたことだがやはり小春は混乱していた。それでもすぐに番号を調べてくれたのは今するべきことを正しくわかってくれたからだろう。

「そういえば、真琴ちゃんの家、ご両親はいらっしゃらないですよ」

「そうなのか?」

「はい。家政婦の方はいらっしゃるはずですから電話はした方がいいと思いますけど」

「わかった。今救急車の中だからお前も来てくれないか。場所は……」

これが俺にできる精一杯のことだった。



電話が切れた。私は受話器を置く事すらできずにその場にぺたりと座り込んでしまった。体が震えていた。思わず自分を抱き締めていた。しかし体の震えは一向におさまらない。

真琴ちゃんが事故?

嘘じゃないの?

死んじゃやだ!

同じ思考ばかりがよぎる。

何度目のループかわからないけどふと気付いた。

中里さんが一緒にいたんならきっと大丈夫、今は信じて病院に行こう。

気持ちを落ち着けるのに少し時間が掛かったけど覚悟を決めて病院に向かった。

看護師さんに病室を聞いて扉を開いた。真っ先に目に飛び込んできたのは安らかな顔で眠る真琴ちゃん。あっ、安らかって死んでるわけじゃないですよ?ほんのり赤みがかかって血色のよい、本当に安らかな、私を安心させてくれる顔です。

「大丈夫、死ぬような怪我じゃないよ」

椅子に座っていた中里さんに視線を移しました。穏やかに微笑んでる、だけど何かがいつもと違うんです。雰囲気っていうかなんだかそこにいるはずなのに存在感が全然無いんです。むしろ真琴ちゃんより心配になってしまうくらい中里さんは普通じゃない。

「……そうですか、よかったです。……何があったんですか?」

私は真剣に平静を装った。私が今この場で動揺するわけにはいか無かったから。真琴ちゃんじゃなくて中里さんが消えてしまいそうだったから。だからできるだけ優しく声を掛けたつもりだった。


その後事故の全容をとつとつと語って、一回帰ると言って中里さんは家に戻っていきました。笑顔で頷いたけど私は言いようのない不安に包まれてどうしようもなく落ち着かなかった。

看護師さんに詳しい怪我の具合を聞いてみると傷は大したことないけど頭を打ったため精密検査が必要らしい。でもこんなに気持ち良さそうに寝てるんだから大丈夫だよね。

根拠はない確信をしていると看護師さんにそろそろ帰らなければならない時間であることを教えられその日は家に戻りました。中里さんは部屋から出てこなかったのでそのまま眠ることにした。安心したらどっと疲れが押し寄せて思ったより早く眠れた。


次の日、いつも通り朝食を作り終わって時計を見ると中里さんが起きてくる時間を五分ほどオーバーしていた。仕方ないなあと呟きつつ部屋まで起こしに行くと予想外の光景が広がっていた。

ベッドの上に横たわっていた体を傾けて私の方を見る中里さんは昨日の格好のままでひどく目を泣き腫らしていたんです。

「中里さん!?大丈夫ですか?」

「ああ、おはよう。もう朝か」

あくまで普通に、何事もなかったかのように受け答えする中里さん。でも私にはこのまま日常的に会話を進めることなんてできなかった。

「おはようございます。一体どうしたんですか?その顔は?」

「なかなか寝付けなくてな。クマでもできてるか?」

まだ白を切るの?その真っ赤な目で。確かにクマもできているから寝てないっていうのは本当みたい、ううん、こういうのは泣き明かしたっていうんだよね。

「はい、くっきりと。とりあえず顔を洗った方がいいですよ」


相談してくれない中里さんには腹が立っていたけどそれ以上追求することはできない。今私が何を言っても中里さんは白を切り通すと思う。昨日の今日で無理に聞き出すのは酷な話だ。

もちろん真琴ちゃんのことで責任を感じているんだろうけどそれにしたって男の人が目を泣き腫らすなんて並大抵のことじゃない。こんな言い方はどうかと思うけど真琴ちゃんは無事だった、結果オーライじゃないのかな?

私には何もわからない、今は優しく接してあげることしかできなかった。


その後は普段通り朝食をとって学校に向かった。無意識の内にいつもより中里さんの近くに寄り添っていた気がする。本当に無意識ですよ?

教室に入って席にカバンだけ置いて中里さんの席の横に行きました。

「んっ、どした?」

朝よりは大分すっきりしたけどまだ痛々しく泣いた後が残っているのに笑顔を作って私に気を回してくれる。

「いえ、特に何かあるわけじゃないです。ただ傍に居たかっただけです」

冗談めかして言ってみる。

「なんだそりゃ。殺し文句か?」

「ふふ、そうですよ?落ちました?」

「まったく本気にしちまうぞ」

突っ込みはいつもと変わらない、周りの人にしたら中里さんの目以外は日常の一コマにしか見えていないだろう。でもこの人達は違った。

「お前どうしたんだ?そんな真っ赤な目にクマ作って」

「あっ、本当だ。眠れなかったの?ぼくが治してあげよっか?」

「いやクマは治せないでしょう。でもどうしたんだい?めずらしいな」

畠中さん姫野さん福生さんだ。よかった、中里さんにたくさん友達がいて。

「ああ、昨日ちょっとな。小春、話しといてくれ」

えっ、ちょっ、待ってください。私一人じゃ話なんて……

その時ガラガラとドアが開いて先生が入ってきた。

「あ、あの……ちょっと長い話なので……その、放課後に屋上に…来て…くれませんか?」

なんとか言えた。でもこれだけでも疲れちゃった、この先大丈夫かなあ。

ホームルームの時間に真琴ちゃんの事故のことがみんなに伝えられた。畠中さんが視線で「これか?」って聞いてきたのでコクコクと頷いた。これで少しは説明しやすくなるかな?



放課後

「で、天宮が絡んでるんだな?」

畠中さんがいきなり核心を突いてくる。中里さんは先に帰ってしまった。心細いけど私が話さなきゃ

「実は昨日……」

知ってること、自転車を二人で直しに行くことになったこと、そこでブレーキの関係で真琴ちゃんが事故に遭ったこと、病院にいた時から今にいたるまでずっと様子がおかしかったこと、ひとつひとつ丁寧にちゃんと伝わるようにゆっくりと話した。

話を聞いている最中、姫野さんは険しい表情で声を上げないように口に手を当てていた。福生さんは時々顔をしかめていたが聞き上手で私が続きをうまく話せるように促してくれて嬉しかった。

畠中さんは何度か納得したように頷きながら無言で話を聞いていた。

「それで責任感じて眠れてないの?光くんは何も悪くない、誰のせいでもじゃない!」

「姫野さん、落ち着いて。でも中里くんはそういう感じだよね。僕も何か力になれればいいんだけど」

私も畠中さんと同じ気持ちだった。でも畠中さんは一言

「違う」

と否定した。私たちは意味がわからず畠中さんの言葉を待った。

「そうじゃないんだよ。確かにあいつは責任を感じやすい義理堅いやつだがそれだけじゃないんだ」

「どういうことですか?」

「今のやつは病気だ。精神的外傷、いわゆるトラウマってやつだ」

「それって……」

「ああ、光希が事故を目の当たりにするのは一回目じゃない、過去にも同じようなことがあった」

淡々としていて、だけど重みのある口調だった。背筋にぞくっと悪寒が走った。

「えっ、ぼく知らないよ!?」

姫野さんがうろたえる。姫野さんが知らないって……

「そりゃそうだ。あれはまだ小学校にすら上がってない、幼稚園の頃の話だからな」

そんな小さい時に交通事故を見たらトラウマになっちゃっうのも仕方ない。

「話自体は単純なんだがたぶん光希はこの話を他の人間には知られたくないと思う。だが俺はここにいる人間になら話してもいいと思う。あいつを立ち直らせるのは俺じゃ無理なんだ。ももと美々、それから成瀬先輩にも聞いてもらいたいから俺の家に集まってくれないか?」

「わかりました」

「わかったよ」

「わかった」


私は畠中さんの家の場所を知らないの美々さん、ももさんと一緒に行くことになりました。

家に戻って着替えてから一度中里さんの部屋を覗いて

「ちょっと出掛けてきます」

と声をかけてみたけれどベッドに横たわったまま

「ああ、行ってこい」

とぶっきらぼうに答えただけでした。

早く元気になってもらいたい、一緒に真琴ちゃんのお見舞いに行きたいよ。怪我したのは真琴ちゃんなのに中里さんが沈んでちゃダメだよ。でも落ち込んじゃうのはしょうがないよね、だから私が過去のことも含めてきっとなんとかするから待っててください。

決心して畠中さんの家に向かった


「全員揃ったか」

私達が着いたときにはすでに福生さん・姫野さん・成瀬先輩は来ていました。集合を確認すると畠中さんは話し始めました。



「あれは俺達が年長の時の話だ……」

俺にとって光希は生まれて初めての友達だった。加えて波長が合ってたんだろう、特に家が近かったわけでもないのにいつも隣に居るのは決まって光希だった。そりゃあ仲良かったさ、毎日毎日日が暮れるまで飽きもせず遊んでたくらいにな。もっとも今じゃ何して遊んでたかなんて断片的にしか思い出せないんだけどさ。

まあそんなわけで俺達はいっつもつるんでたんだわ。だからいくら俺が原生生物みたいに鈍感で馬鹿でも気付いちまうわけだ。もちろん光希の異変に、だ。まああいつは鳩みたいに単純からよく観察すりゃ誰でもわかるとは思うよ。

ありゃ卒園も近いって時だった。そん時もあいつは普段と変わらないように過ごしていながら異様な空気を放っていたんだよ、今みたいにさ。

で俺は聞いてみた

「光希どうしたの?お腹痛いの?」

ってな。子供ってのはなんか様子がおかしいと何故か真っ先に腹痛を疑うもんだよな。だがしかし、あんにゃろーは

「俺は大丈夫だよ、健太こそお腹痛いんじゃないの?」

とかぬかしやがった。まあ俺もその場で深く突っ込めるほどの確信が(光希の異変に)あったわけじゃないからとりあえず放置してたんだ。

それから数日はまだマシだったんだ。光希は普通に過ごしていた。俺の違和感は日に日に膨れ上がっていたんだけどね。

んで、その数日を過ぎた辺りでついに光希があからさまにおかしくなった。

俺は昔からハイな人間だったけど光希も幼稚園児の頃から何となくやる気がないというか一言で表現するなら無気力な突っ込みキャラって感じだったんだけどある日を境に突然口数が少なくなっちまったんだ。

誰もが、先生すらも不思議に思った。あいつは何だかんだで中心になる存在だったから。今だってそうだろ?何だかんだで体育祭のヒーローになっちゃったり、巻き込まれやすいんだよね。

でもまわりはそれこそ

「お腹痛いんじゃないの?」

程度にしか思わなかったみたいだったよ、まあ確かに感情の起伏が激しい幼稚園児のことだしそんな驚くほどのことでもないのかもしれない。

もちろん俺は違ったよ。

「お腹痛いの?」

毎日同じ質問を繰り返した。でも答えは決まって

「大丈夫だ」

と呟くだけだった。

そんなこんなで一週間が過ぎた。俺はこの時が今まで生きてきた中で一番しつこかったかもしれない、一週間も同じこと聞き続けたんだからね。

いよいよ光希も観念したんだな、その日の返事は違ったんだ。

「畠中、ちょっと聞いてくれるか?俺はあいつを殺しそうになったんだ」

これから話すのはその時の話と後から改めて聞いた話を総合したもんになる。

さっき卒園間近って言ったけどそれって同時に小学校の入学になるよね?あいつはやたらと楽しみにしてたんだよ。

で、中里家ではさらにそれと重なる行事があった。

光希には三つ年下の雛ちゃんっていう妹がいるんだけどその子の入園式も同じく近づいてたんだわ。

まあ当然っちゃあ当然なんだけど親としては小さい子の方が可愛いわけだ。それであいつは雛ちゃんに嫉妬した、親をとられたってな。

その雛ちゃんは光希にべったりのお兄ちゃん子で、何するにも光希に付いて回ってた。俺もその頃から何度か会ってるんだけど適当にあいさつしてすぐに光希の背中に隠れちゃっていまだにまともに話したことないんだよね、残念なことに。

俺のことは置いといて、光希もまんざらでもなかったつーか兄バカでそりゃあもう溺愛って感じだったさ、その入園入学が近づいて親の雛ちゃんを可愛がるのがエスカレートするまではな。

つっても子供のできる嫌がらせなんてたかが知れてる、やつがとった行動も至極子供らしいことだった、まあそれが結果的に事故の引き金になるわけだが。

やつは雛ちゃんをしかとした。今まで

「お兄ちゃ〜ん」

すごく嬉しそうにちょこまかと雛ちゃんが隣に並ぶと

「面倒なやつだな、ほら」

とか照れ隠ししながら手を差し伸べてやってな。雛ちゃんも

「えへへー」

って太陽みたいに明るく笑うんだよ。それがメチャクチャ可愛くて俺も惚れかけた……ってのはどうでもいいとしてそんな感じだったのが雛ちゃんが隣に並んでもスピードを緩めないし手も貸さない。

雛ちゃんはやたらと戸惑ったらしい。何度もお兄ちゃんお兄ちゃんって呼び続けた。けどあいつはずっと無反応だった。

数日後、雛ちゃんは無言で後を追うようになっていた。その時光希は心の底からではないだろうけどそれなりに本気で「鬱陶しい」と思ってたらしい。やつは無言で付いてくるだけだった雛ちゃんさえも突き放そうとした。

だけど雛ちゃんは思った以上に運動神経がよくて走っても振り切れなかったんだってよ。俺が思うに光希に対する想いが雛ちゃんに力を与えたんじゃないか。本当に好きだったんだな、兄貴のことが。

その次の日、ガキのくせに賢しかった光希はうまいこと振り切る方法を考えた。

信号が変わる寸前で急に走りだして自分だけ渡り切る、漫画や映画なんかよく見るやつだ。もうここまでくれば分かるだろ?

夢中で追い掛けた雛ちゃんは車に引かれた。その時もあいつは助けに入れなかった。一歩も動けなかったことをすげえ悔やんでた。

幸い雛ちゃんは大したことなかったみたいだったけどそれでもやつの傷つき方は尋常じゃなかったよ。もし大事に至ってたら、なんて想像すらできないくらいにね。

俺はその話を聞いた時点でどうすりゃいいかわからなかった。だがその後を継いだやつの言葉はさらに俺を混乱させた。

「俺がいなけりゃ雛はあんなことにならなかったんだ。俺なんかに関わったからあんな痛い思いをしたんだ。だからお前も俺になんかかまうな、ろくなことになんないんだから」

わけ分かんねえよな、こいつ。責任の感じ方間違えてるだろ、明らかに。

だけど俺はその場で返す言葉を持ち合わせてなかった。あまりにマジな顔でいいやがるからさ。


もちろん今までを見れば分かるようにやつは元気を取り戻すことに成功するんだがすぐにってわけにはいかなかった。

その時光希を救ったのは二人の女の子だった。

一人は言わずもがな雛ちゃん、もう一人は光希の隣の隣の斜向かいに住んでいた人。

まずは雛ちゃんのことから話そうか。と言っても俺に語れることはこれだけなんだけどね。隣の隣の斜向かいに住んでいた人の詳細は俺も知らないから。

事故の日以来、光希は毎日病院に通ってた。

雛ちゃんは本当に軽い打撲程度で済んだんだけど毎日お見舞いして毎日謝ってたらしい。

俺も一回くらい行こうかとは思ったんだけど雛ちゃんとはまともに話せないし光希に付いていって文句を言われるのも嫌だったからね。

雛ちゃんは毎日毎日謝る光希にいつも

「いいよ、お兄ちゃんが悪いわけじゃないんだから」

と言ってなぐさめていたんだけどある日光希の変わり様についに怒りを爆発させた。

「ねえ、お兄ちゃん、どうして私のこと嫌いになったの?私悪いことした?したなら謝るから、いい子になるから、私のこと嫌いにならないで!」

いきなりの言葉にやつは相当戸惑ったらしい。確かに事故の前はくだらない嫉妬でよそよそしくしちまってたけどその後はやさしくしてるつもりだったのにってな。

まあ俺としてはどんだけ鈍感なんだよって思いっきり突っ込んでやりたいところだったが残念ながらその場に居合わせなかったからしゃーないな。

「いや俺がお前のこと嫌いになるわけないだろ。この間はそのお前が羨ましくてな、本当にごめんな」

「それはこの前に聞いたよ。だってお兄ちゃん私と遊んでくれないし、やっぱり嫌いになったんだよね」

この時の雛ちゃんは幼稚園にも通ってない小さい子だから避けるとか難しい言葉は出てこなかったらしいんだけど逆に言えばストレートってことになるからやつには響いたらしい。

「違う!そうじゃない、そうじゃないんだよ……」

だけど馬鹿正直なバカ、中里光希は雛ちゃんにさっきのこと、自分がいたせいで怪我をさせた、俺なんかいない方がいいんだってな。こっからは雛ちゃんの台詞で全部済むかな。

「バカッ!お兄ちゃんは何にもわかってない!私は……私はお兄ちゃんさえいてくれればいいのに……それなのに……バカッ」

「いやだからだな」

「知らない!お兄ちゃんが手を繋いでくれなくて辛かった。でも車に引かれて、気付いたらベッドの上にいたお兄ちゃん私を心配してくれたよね?ああ、これでまたお兄ちゃんが遊んでくれるって思った。怖かったけどお兄ちゃんが側に戻ってきてくれるんならなんだってよかったの。なのに……何でそんなこと言うの?」

「……ごめん、ごめんな」

泣きじゃくる雛ちゃんをどうにかして慰めた、その手段を考えると妹に手え出しやがってこの野郎ってことになるから気にしちゃいけない。

この言葉で光希は自分が正しいのか分からなくなった。途方に暮れるやつを救ったのが隣の隣の斜向かいに住んでいた人ってわけだ。

非常に申し訳ないんだがさっきも言ったけどその人のことは絶対秘密なんだってよ。あっ、名前だけはわかる。本当に名前だけ、名字は知らないんだが確か『夏香』って名前だ。


何でこんな話をしたかって言うとな、情けねえけど俺には光希を助けてやれる自信がないんだ。雛ちゃんみたいにやつの心に届く言葉を持ち合わせてない。ましてや二回目なんて起こるとは夢にも思わなかった。

だけど俺にはあのバカが、人のために自分を犠牲にしちまうバカが必要なんだよ。代えが利かねえんだ。

だから、だからあいつを助けてやってくれ!腐れ縁のくだらない友情だが俺は光希が大好きなんだ、失いたくねえ。

こんだけあいつを想ってくれるやつが集まればきっとなんとかなると思うんだ。


畠中さんの話が終わった。畠中さんの気持ちが伝わってきて涙が流れそうになったけど我慢した。

今は泣くべき時じゃないから、涙は中里さんが復活したときの嬉し泣きの時までとっておこう。

畠中さんの家を出た時、誰かに肩に手を掛けられて立ち止まる。振り向くと

「成瀬……先輩?」

「……ちょっといい?……話がある」

少し人気のないところに連れてこられた。なんだろ?いい方法があるのかな。

「……続き……知りたい?」

「はい?」

続き?なんの?

「……あの話の……続き。……ヒナと別れた後の……コウキ」

「知ってるんですか?ぜひ知りたいです!」

何でさっき言わなかったのかな?でも少しでも中里さんのことを知りたいし。中里さんを助けるためにも個人的にもね。

「……あなたになら……教えて……あげる。きっとあなたならコウキを救ってくれるから。明日……私の家に……来てくれる?」

「はい、わかりました。明日先輩の教室まで迎えに行きますから待っててください」

こくりと頷いて闇に消えていく成瀬先輩。

それにしてもあなたなら、か。ちょっと嬉しいかも。

帰って夕食をとったけどやっぱり中里さん不自然なままだった。

そんな中里さんを見てられなくて急いでベッドに入って小さく丸くなって眠った。早く元通りになりたいよう、中里さん。


翌日。朝何があったのか、午前中の授業で何があったのか、まったく覚えてない。そういえば前にもこんなことあったな、いつだっけ?

ああ、そうだ、ゴールデンウィーク明けに中里さんが風邪を引いた時だ。あの時真琴ちゃんにも言われたけど何だか私がこんなに夢中で他人のことを考えるようになるなんて不思議だよね。私の中の中里さんの存在がどんどん大きくなってるみたい。ちょっぴり悔しい感じ。

だって今までは人と接するのは怖い、怖いからできるだけ避ようって思ってたのに。あの人はあっさり私の心に侵入してきちゃうんだもん。

侵入っていうと何だか嫌なイメージが先走るから語弊があるかな、だってそれは全然嫌な感じじゃないから。当の本人は全く意識してないのに私の警戒心を砂漠のソフトクリームみたいに溶かしてしまうその溢れるくらいの優しさは嫌じゃない、むしろ心地いい。ずっと浸っていたくなる。じんわりとしみ込むっていうのが一番近い表現な気がするけど言葉で表すのは難しい。とにかくその一種の麻薬みたいな優しさにいつのまにか虜になっちゃってたみたい。

もっともその優しさに気付くにはある程度近い距離にいないといけないみたいだけど。畠中さんをはじめにそれに気付いた人は例外なく中里さんを慕ってるもんね。

なんて考えてる内に午後の授業も終わってしまった。急いで二年一組の教室へと向かう。すでに成瀬先輩は教室の外で待っていた。

「こ、こんにちは」

こくりと頷いてくれる。それだけだけど。

この人は本当に得体が知れない。掴み所がないっていうのかな、独特のオーラがある。まあ今はそんなことはどうでもいいんだけれど。

無言で歩き出す先輩に背後霊のように付いていく。辿り着いたのは立派な一軒家だった。しかもやたらと近所、ウチから歩いて五分くらいの距離だった。

「……上がって」

「は、はいっ」

中も見た目に違わず広く、きれいだった。

そのまま連れてこられたのはリビングみたい。部屋じゃないのかなと思っているとキッチンから先輩にそっくりな、だけど大人っぽさがプラスされたような人が出てきた。

「いらっしゃい。相川小春さん、で合ってるわよね?」

「あっ、はい。お邪魔してます、相川小春です」

「……お姉ちゃん」

お姉さんがいたんだ、何だかこんな美人姉妹の前だと緊張しちゃうな。私なんかじゃ全然かなわないその美貌は性別を超越してドキッとしてしまう、ってそんな趣味はないです!

「とりあえず座ったら?」

お姉さんに促されて椅子に座る。ウチにあるのより若干高いかな。

「私は成瀬夏香、冬香より六つ年上。あなた達と比べるともうおばさんね」

「いえ、そんなことないですよ」

お世辞じゃないのは言うまでもないよね?夏香さん、最近聞いた気がするけど……

「そうね、さすがにまだおばさんではないわ。冗談だから気にしないで」

そういって笑った。随分フランクな人みたい。成瀬先輩みたいだったらちょっと困ったこと(滞在時間の八割が沈黙とか)になったかも知れないからよかった……かな?

そんなことより思い出した!夏香って確か畠中さんが言ってた……

「……お姉ちゃん、話」

「はいはい、わかってますよ。で、どこから話せばいいの?」

「……最初から最後まで。……ちゃんと話して」

「えー、あんた少しも話してないの?まあしょうがないか、外じゃ無口だし。じゃあ私と中里光希君が出会ったところから話すわね」

しばらく置いてきぼりにされてた(会話から)けどその間に少しだけ冷静さを取り戻せた。

「はい、お願いします」

「えーと、あれはどのくらい前だったかしら?」



確か私が中一の時の話ね。あの時は普段通り家に帰る途中で小さな少年とすれ違った。普通ならそれだけなんだけど私は思わず呼び止めちゃった。その子が近所に住んでるってことはわかってたんだけど、そんなことは関係なかったの。

だってその子の顔は声を掛けずにはいられない、具体的に言うとまるで生気が感じられない、屍みたいな顔だったの。うーん、屍は言いすぎかしら?でもそれくらいとにかく放っとけない表情だったわ。

今にして思えばあれは誘拐に間違えられてもおかしくなかった気がするわね。それくらい強引に私はその子を自分の部屋に引っ張り込んだ。

「お名前は?」

「光希」

「名字は?」

「中里」

しばらく中里さんの家がどこか脳内模索してみたけど見つからなかったわ。

「お姉ちゃんは誰?」

「私は夏香。いきなりごめんなさい。でもあなた何かあったでしょ?すごく悩んでるよね?」

その子はひどく驚いてたみたい。実際後から冬香に話を聞いてみてもあんまり心を顔には出さないタイプらしいし。まあ私もこの頃は冬香みたいに口数が多くなかったから人を見るってことに関してはちょっと常軌を逸してたかもしれないわ。私に隠し事はできないってことね。

それからその子は少し考えてから私に全てのことを話したわ。妹を事故に遭わせてしまった、だから自分は人と関わらない方がいいと思った、だけどその考えを妹に否定された、もうどうすればいいかわからない、ってね。正直驚いたわ。どうみても幼稚園からせいぜい小学校低学年の小さな子が中一の私でもおよびつかないような難しい、かつ 複雑な悩みを抱えてた、しかもその結論はさらに高度なものだったから。私は論理的にそれのどこが悪いとか指摘することができなかった、だって完全に間違えてるわけじゃないんだもの。

それでも自分が人から隔絶される、あっ、当時はこんな小難しいこと考えてないわよ?今私は社会科の教員なの。専門は心理学、科目で言えば倫理ね。だからある程度説得力あるかもしれないけど、昔はただ感情的になってただけだったわ。

まあ私のことはどうでもいいの、話を戻すわね。

簡単に言えばその子が一人きりになっちゃうのが嫌だった。優しすぎるあまりに孤独になる姿なんてみたくなかった。ただそれだけ。

でも私は怒鳴るわけにはいかなかったの。初対面だったから、って言うのも確かに理由の一つ、だけど一番大きな理由は私の言葉は所詮アドバイスにしかならないことを本能的に悟ってからだと思うの。彼の意志が本物だと思ったから。

だから私は優しく諭すようにいったの

「きみはどうしたいの?」

「えっ?」

「きみは雛ちゃんと話したくないの?一緒に居たくないの?」

「だって俺がいると雛は……」

「そんなに深く考えなくていいの。あなたが本当はどうしたいのかが聞きたいの。じゃあ雛ちゃんのこと嫌い?」

「そんなわけない!俺は雛が好きだ!でも、だから」

「雛ちゃんはあなたのことが好き、あなたは雛ちゃんのことが好き、だったらずっと一緒にいればいいじゃない」

「でもそれだとまた……」

「違うよ」

涙目になってたその子を自然に抱き締めてたわ。母性本能をくすぐられたからかしら?ちょっと違う気がするけど、そんな感じよ。

「きみは優しい子、これからあなたが雛ちゃんを守ればいいんだよ」

「俺が守る……そうなのかな?」

「そうよ」

「俺があいつを守れれば一緒に居ていいの?離れなくていいの?」

「居なくちゃダメなの。あなたはお兄さんなんだから」

「うん、……うん。俺はいてもいい……」

それから安心したら緊張の糸が切れたみたい、年相応に大声を上げて泣いたわ。私はただその子を救えてうれしかった、今教師をやってるのもその時少なからず影響を受けたからな気もするわ。

私が話せるのはこれだけ、その後その子とは会ってないわね、今度是非会いたいものね。


夏香さんの話が終わった。中里さんの思考の深さもそうだけど夏香さんもだいぶ大人だと思った。

ついでに聞いた話だけど成瀬先輩が中里さんを気に入ってるのはこの話を知っていたかららしい。小学校一年生の時にこの話を聞いて感動して、宇井先輩を通して中学の時に出会ってからその雰囲気からさらに気に入ったそうだ。夏香さんがさっき言ってたけど無口だと人を見る目が養われる(人間観察がうまくなる)ってことなら成瀬先輩は知らぬ間に中里さんの内面のいいところがわかってしまったんじゃないかな。



帰りに真琴ちゃんのお見舞いに行った。

真琴ちゃんはまだ検査が終わっていないもののほとんど全快っていうか、むしろ動いてないせいで元気が有り余ってる感じだった。

「やあやあ、よく来たね、小春」

「元気そうでよかったです。退院はまだですか?」

「さすがにそんなにあっさりとは行かないみたい。まあ一応車に跳ねられたんだから当たり前か」

「ふふ、本当に跳ねられたんですか?嘘みたいです」

「あっ、ひどいわね。で、どうしたの?私がこんなに元気なのに浮かない顔して」

真琴ちゃんに話すべきか、少し悩む。自分が原因だって知ったらどう思うかな?

でも私が相談できる人はもともと真琴ちゃんしかいない、きっと大丈夫だよね。

「実はですね……」

それまでの経緯を話す。

「そっか……案外面倒なことになっちゃったみたいね」

意外と(いや予想どおりかな?)あっけらかんとしている真琴ちゃん。罪悪感なんて感じてほしくないけど真剣に聞いてくれてないのかなって不安になっちゃうよ。

「あたしが真面目に聞いてないんじゃないかって思ってるでしょ?」

私ってそんなに顔に出るかな、完璧に読心されちゃってる。

こっくりと頷いた。

「そりゃ心配だよ。でもね、あたしはあんたを信頼してる。相川小春の顔にそこまで色濃く決意の色が出てるならまったく問題ないってわかってるから」

「そうですか」

なんでわかっちゃうのかな?でも確かにそう、私は中里さんをきっと説得してみせる、って心に決めてた。

「だからそのうちここに光希を引き連れてきなさい、ついでにあいつにメロンでも買わせて」

「中里さんと私は同じ財布なんですが」

「ああ、そっか」

二人で笑い合った。


家に帰って中里さんの部屋に向かった。


「おう、どうした?」

相変わらずベッドに力なく横たわっている。どんな言葉で切り出せばいいのかわからないけどごちゃごちゃ考えてもしょうがない、正答があるわけじゃないんだから。ストレートに言おう。

「昨日畠中さんに雛ちゃんの事故について聞きました」

「そうか……あんのヤローべらべらと余計なことを」

呟くようにそういう中里さんは思ったより落ち着いてるみたい。

「それで今日夏香さんにも話を聞きました」

「なんでお前がそれを知ってんだ?名前だけはあのバカに教えた気もするが今どこにいるかは俺も知らないぞ」

「ふふ、夏香さんは成瀬先輩のお姉さんだったんですよ」

「マジかよ?まあ嘘のつきようがないか。世界は狭いってのは本当らしいな」

「先輩にそっくりな美人さんでしたよ。なんで気付かなかったんですか?」

「まだガキだったから記憶が曖昧だったんだろ。もう何年前だかわからん」

「それもそうですね。是非会いたいって言ってましたよ」

「そうか」

「でも今のあなたと会わせるわけには行きません」

「……」

「また人を拒絶するんですか?」

「ああ」

恐ろしく冷たい声、まるで別人みたい。

「なんでですか?」

「話、聞いたんだろ?その通りさ。俺なんかに関わって傷つく人間をこれ以上増やすわけには行かない」

中里さんは起き上がって私もベッドに並んで座った。

「だってそれはあなたが優しいからでしょ!?」

もう我慢できなかった。そんなに悲観してほしくない!

「たまたま運が悪かっただけじゃないですか!それなのになんであなたが一人にならなきゃいけないんですか!?おかしいですよ!」

「たまたま?違うだろ。全部俺のせいだよ」

「いいえ、たまたまです。そもそも雛ちゃんがあなたを慕っていたのも、真琴ちゃんがイタズラをしたくなったのもあなたが優しいからです。私だってこの家に来ることになって物凄く不安だったけどあなたの優しさに救われた。日本に残る勇気をもらったんです。だから、だから私の傍にいてください」

精一杯話したつもりだった。だけど中里さんは悲しい笑みを浮かべた。

「はは、何勘違いしてんだ?小春。お前は何一つわかっちゃいねえ。確かに俺は昔から優しいとかはよく言われるさ。そんなつもりはまるでねえけど自分のことは自分で評価できないからまわりがそういうならそうなのかも知れねえ。それで俺を好いてくれるっていうならうれしいよ。だけどな、俺を慕って雛は事故に遭った、俺を信頼して工藤さんは痛い目を見た、俺に付き合って天宮は事故に遭った。もちろん俺を好いてくれてることが悪いんじゃないのはわかってる。けどそれで人が傷つくのは我慢できねえ。次はお前かもしれないんだぞ!?

逆に言えば俺が冷たくてつまんない奴だったらこんなことにはならなかった、違うか!!?」

どんなに大きな声を出されても今の私はひるまなかった。だってそれは違うから、絶対に違うから。でもこれは理屈じゃない。私の気持ち……だと思う。

「違います。私は怪我なんか怖くないです。だって私は……あなたのことが好きだから」

でも中里さんはそれでも悲しい表情を崩さなかった。

「だから甘いんだよ。お前の好きが友人としてなのか家族としてなのかそれとも恋愛感情なのかはこの際どうでもいい。俺だって好きだよ、お前のこと。やっぱりなんでかはっきりとはわかんないけど少なくとも実の家族かそれ以上に大切に思ってるさ。だからこそ言ってんだ。よく考えてみろよ、雛だって天宮だって運良く助かったけど当たりどころが悪けりゃ死んでたんだぜ?」

「だからなんなんですか?私はそんなこと怖くない。それにさっきも言いましたけど中里さんのせいじゃないでしょう?たまたまじゃないですか」

「たまたまでお前に死んでほしくない。どうしてもわかってくれないらしいな。もう正直に言うよ」

中里さんが継いだ言葉に私はそれ以上何を言えばいいかわからなくなった。

「俺は人を事故に遭わせるかもしれない、そんな恐怖心と事故に遭わせたっていう罪悪感に苛まれるのはもう嫌なんだよ」

どうすればいいの?誰か教えて。

「早くこの部屋から出ろ、今の俺は何するかわかんねえぞ」

「で、でも!」

「言うこと聞かないならこの場でお前を押し倒すぞ。そうすりゃお前も俺がひどい野郎だと失望するだろ。心の傷の方が死ぬよりは幾分マシだろ」

「私は死にませ、んっ」

唇が塞がれる。強引なんだけどあくまで警告のようなキス。

「早くしろ」

これ以上ここに留まるのは危険だと思った。別に私は襲われてもそう簡単に中里さんを嫌ったりしないけど(問題発言かな?思考の内は許容範囲だよね?実際に言ったらアウトかな?)中里さんが別の罪悪感に襲われちゃうかもしれないしから部屋を出た。

もちろんまだあきらめたわけじゃない。けど私なんかの気持ちは全然通じないみたい、どうしよう?

解決策も見つからず逃げるように布団を被った。今になってでも中里さんにキスされた嬉しくて恥ずかしい気持ちが込み上げてきた。自分の気持ちが否定された悔しさ、ううん悲しさもあったけどそれを押し退けてうっすら笑みを浮かべてしまうほどに。


いつも通り目覚ましに起こされて着替え、朝食準備。あの日以来中里さんは自分から起きなくなった。正確に言えば起きてはいるんだけどリビングに出てきてくれない。別に呼びに行くのが面倒ってわけじゃないけれど、なんていうか嫌な気分。

「朝ですよ、起きてください」

「あ、ああ」

何だかびっくりしてるみたい。

朝食を摂りながらそのことに聞いてみたら最初は無視してたけどずっと見つめ続けていると

「昨日あんだけ言ったのにけろりとしやがって、案外精神タフだな」

ともらした。そうなのかな?自覚はないからただ首を傾げるくらいしかできないんだけど。


学校は問題解決まで行く必要ない気もするけどそれじゃ単なるさぼりになっちゃうよね。

帰りに美々さんに呼ばれてお家にお邪魔した。

「調子はどう?光ちゃんは相変わらずみたいだけど」

美々さんとももさんに昨日の出来事を話した。私が好きって言ったことは伏せて。

話し終えると二人は顔を見合わせて吹き出した。

「あははは、光ちゃんも小春ちゃんも面白いなあ。笑っちゃいけないってわかってるけどこらえられないよ、ねっ、お姉ちゃん」

「ふふふ、そうね。いい?小春ちゃん」

そんなにおかしかったかな?結構真面目に言ったつもりだったんだけど。

「はい、なんですか?」

「あなた達がしてるのは子供の喧嘩よ?」

「そうそう、話が堂堂巡りしちゃって絶対に終わらないようになっちゃってる」

「夏香さんのせいもあったかもしれないけど少し冷静さを欠いてたみたいね、まあ光希君は今は冷静もへったくれもないだろうけど」

「小春ちゃんまでヒートアップしちゃダメだよ、クールダウン、クールダウン」

私が熱くなっちゃいけないのか、確かに昨日は少し興奮しちゃったかも。でもそれって解決に繋がるのかな?

「私はどうすればいいんですか?」

「まずは落ち着くことね。よく考えればわかるはずよ」

「昔は光ちゃんも夏香さんの話を聞いて自分の間違いに気付いたのかもしれないよ、でも今はどうかな?」

「えっ?」

「光希君は強く成長してる。冷静になれば自分で自分の間違いに気が付く、そう思わない?」

「小春ちゃんは光ちゃんが本当に立ち直れないと思う?」

そうか、そうなんだ。中里さんは元から自分で答えを見つけられる、そういう人だったんだ。それくらいわかってあげなきゃいけなかったんだ、私のバカッ。

「わかったみたいね。あなたがするべきことは光希君が普通の思考を取り戻せるようにすること」

「光ちゃんの一番近くにいるのは小春ちゃんなんだよ?頑張ってね♪」

深く頷いた。

「はい、ありがとうございます」

「あっ、光ちゃんをあげるわけじゃないからね?」

「はい、勝負ですね」

笑い声が響く和やかな空気を名残惜しく思いつつ水口邸をあとにする。


夕食の買い物をすませ帰宅、すぐに夕食。

食事中会話はない。ただただ中里さんを見続けてどうすればこの過去と相まって熱をもった心を冷ませるか考えていた。中里さんは私の視線から逃げるようにしてた。こんなに近ければ逃げようもないんだけど。

ベッドに寝転び考えを続行。私が落ち着ける方法ってなんだろう。お風呂に入る時とか布団に入る時かな。これは今も普通に(中里さんが)やってるし、もっとはあー(落ち着いてる擬音)って感じのことないかな。

真琴ちゃんといる時、信頼できる友達といるってこと?うーん、今は人を遠ざけてるから無理だよね。

結局自分ではどうすればいいかわからない。これが考えすぎってことなんだろうな。

美々さんの言う通り私にも少しクールダウンが必要みたい。

思考を巡らしてるうちにうつらうつらとなっていつのまにか眠ってしまった。


次の日、もう一度真琴ちゃんの病室に足を運んだ。お見舞いというよりは人が落ち着ける方法を教えてもらうために。

病室に入った瞬間に真琴ちゃんはがっくりと肩を落とした。

「はあ、あんたまだ光希説得できないわけ?」

やっぱりエスパーだよ。まだ何も言ってないのに。

「何でわかるんですか?理解が早いのは助かりますけどそこまで先取りされるのは地味に心臓に悪いんですけど」

「顔見ればわかるわよ。それに光希が来てないし」

と言ってもう一度深くため息を吐いた。あんまり考えすぎると頭が痛くなるから止めて本題に入ろう。

「もういいです。それで聞きたいんですけど何してるときが一番落ち着きますか?」

「またよくわからない質問ね。そーね、美味しいもの食べた後の一時の休息かしら」

食休み?確かに和むかもしれないけど的外れかも。

「うーんちょっと違うんですよね。実は……」

事情説明。

「ああ、なるほどね。でもそれって結構厄介なんじゃない?普通に生活してても人って結構落ち着ける時ってあると思うけどそれじゃダメってことよね」

「はい」

それは昨日考えたお風呂とか睡眠だろうけどそれで冷静になれるならとっくになっていると思う。

「落ち着かせる、か。添い寝でもしたら?」

「今までもたまにしてましたし、たぶん効果ないんじゃないでしょうか?」

「はあっ?」

「あっ、えっとそのこれは、言葉の綾ですよ。ちょっと一緒に寝てただけで、それだけですよ」

「へえ、そりゃ驚きね。まあいいわ、今は深く追求しないであげる。光希がいないとこのネタでからかえないし。にしてもますます厳しいわね。アロマとかは?」

「考えたことそのまま口に出してません?無力とはいいませんけどそういう俗物的なものじゃ効果は薄いって真琴ちゃんもわかってるでしょう。一応添い寝は試してみますけど。やっぱりそんなに簡単には行かないみたいですね」

「甘えなきゃダメよ?あんたの魅力でメロメロにしちゃいなさい。あとは、そうねえ、その雛ちゃんって子を呼んでみたら?」

「それはダメです!」

私は少し声を大きくした。

「だって、あんな中里さんに雛ちゃんが会ったら卒倒しちゃいますよ。真琴ちゃんだって好きな人が人間不振になったら嫌でしょ」

「ははっ、そりゃそうね」

笑い事じゃないですよ。

「本当は何か浮かんでるんでしょ?顔見ればわかりますよ」

私だって心を読まれてばかりじゃないんだから。

真琴ちゃんはにっこり笑って

「わかった、もし添い寝がダメならもう一回ここに来なさい。とっておきを教えてあげる」

と言った。

もったいぶらないでって抗議してもはいはいと軽く流された。もともと口喧嘩で真琴ちゃんに勝てるわけがないから早々にあきらめた。なんか虚しいね。別に誰かに同意を求めるわけじゃないけど。

その後いくつかアドバイス(どうやって添い寝までもっていくかとかその後どうするかとか)を受けてその日は帰った。


というわけで夕食(この時しか中里さんとゆっくり話せる時間はないから)。

「今日一緒に寝てもいいですか?」

中里さんは口の中のマーボー春雨を吐き出しそうになりながら何言ってんだこいつ?って顔をして

「馬鹿か、お前は。俺と馴れ合うなつったろ」

つっけんどんに言ってつっかえつっかえ春雨を飲み込んだ。

「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。私達は仮夫婦なんですよ?」

「だから俺はお前のために言ってるんだって。いい加減わかれよ」

まあ一筋縄には行かないよね。ある意味その返事は予想の範疇だよ、中里さん。

「わかってます。だからこれで最後にしますから。お願いしますよぉ」

一世一代の甘えた猫なで声。ああ、顔から火が出るほど恥ずかしい!でも頑張らなきゃ。一回やってダメなら何回やっても意味がないはずだから。これがうまくいけばそれで試験前は……。

今までの様子で伝わってるかわからないけど私は内心すごく焦ってた。試験前に遊んでくれるって約束、中里さんは忘れてる。ううん、きっと覚えてるんだろうけど今のまんまじゃ言わずもがな、だよね。試験前まであと四日しかないけどきっとそれまでには間に合わせてみせる。心に誓ってたから。恥ずかしくてもやりとげる、ちょっと大袈裟かな。

「でもなあ」

「邪魔にならないようにしますから、ねっ?」

自分でもおかしいと思ってますよ、ええ。

「うーん、ラストだぞ?」

「はいっ!……ありがとうございます」

思わず返事する声が跳ね上がっちゃった。でもよかった、真琴ちゃん直伝の禁断奥義(もう描写できないと思う)は使わなくて済んだ。

そんなわけで中里さんのベッドの中、なんだか様子がおかしい気がするんだけど……



こいつはマジで何考えてんだ?まったくわからん。この間自分を襲おうとした人間のベッドに入るか?相川小春おそるべし。

でももうこれで最後か、これまで短い付き合いだったが結構な数添い寝されてる(してる)気がするな。

横にいた小春を引き寄せた。

腕のなかに収まった小さい体はやたら愛しく感じられる。だからこそ俺なんかと居ちゃいけないんだが寂しいもんだな。

……寂しい、か。まあその内忘れるさ、こんなくだらない感情。

「どうですか?」

「何が?」

「今の気分です」

上目遣いはやめてほしい。相変わらず自分の容姿を理解していないらしい。

「小さい子をあやしてる感覚」

「それは私の台詞です」

なんかぼそっと言ってるがよくわからん。

言及しようとすると小春は俺の胸に顔を埋めた。

「こら、なにしてる!?」

「自分で引っ張り込んだくせに……照れてるんですか?」

ぐっ、最近突っ込みキャラになってねえか?しかも鋭さはウォーターカッタークラスだな、いや鋭いか知らんけど。

「それもそうだな」

ゆっくりと抱き締める力を強めていく。ギリギリと。

小春はあわてたようにぱっと手を離して逃走を試みるも間に合わず俺に力でかなうはずもないので締め上げられていく。

「ちょっ、待って、くっ、苦しい、で、す」

照れ隠しじゃない。これで最後だからな、楽しまなきゃ。

「俺をからかった罰だ。謹んで受けろ」

「だ、だ、め、です。い、きが……」

すっと力を緩めてやる……わけもなく、死なない程度にスキンシップをとる。

「小春」

「?」

涙目でこっちを見てくる。返事をする余裕もないらしい。

「ありがとな」

もう寝よう。いい?思い出になったし。


次の日、夕食を終えて寝ようかとベッドに横になっているとノックの音が聞こえた。まったく律儀なやつだ、まあ勝手に入ってきても困るがな。

「なんだ?」

「少しお話が」

「入れ」

ガチャリ。寝巻の小春、まあ可愛い。

「あの、今日も一緒に……」

「ダメだ」

甘やかしちゃいけなかったか。

「でも」

「もう俺の認識を友達より下げろ、知り合いくらいにしとけ」

「!!……それってどういう意味ですか?」

小春の顔色が変わる。追い打ちをかけとくか、もう俺にかまう必要ないことがまだわかってないらしいからな。

「言った通りだ。知ってるだけで十分だからな」

ふるふると震えだした。あきらめてくれるといいんだが。

「何もわかってない、です」

「はっ?」

「さすがに今のは頭に来ました。知り合い?ふざけてますよ。確かに最初は居候ですからあなたは家主さんくらいでいいと思ってました。けどあなたは私を家族にしてくれた。だけどそれを知り合いだと思え?無理に決まってます」

小春はだんだんと声をかすらせながら語り続けた。無駄なのに困ったやつだ。

「でももういいです、私がそんなに邪魔なら出ていきます」

「お前、何を言って……」

「最後の、本当に最後のお願いです。私の言ったこと忘れないでください。あと逃げないで、恐れちゃダメですよ」

「待てよ、いきなり」

立ち上がって後を追おうとするが

「来ないでください、私たちはそんな関係じゃないんでしょ?」

何も言い返せずに立ち尽くすことしかできなかった。

ドアが閉められ、家の扉が開く音がした。


これでよかったんだよな、これで。

望んでいたはずなのになんで虚しい気がするな。なんでだろ?


小春がいなくなった次の日の昼休み、教室でぼんやりしていた。

なんというかやることがないんだよ。まあこんな感じでだらだら過ごしてりゃ何の事件も起きやしないだろうからいいんだけどな。

教室の真ん中辺りに小春を見つける。姫野と飯を食ってる姿は割と自然に溶け込んでた。会話的には姫野が一方的にしゃべりまくってる感じだが今までに比べれば誰か、俺と天宮は除くが、人と一緒に居ること自体が大きな進歩といえるだろう。

ちなみに今日は昼食がない。頼り切ってたせいで弁当を作るなんて概念は頭の中から消え失せていた。正直運動量がなめくじ程度しかないのであんまり腹は減ってないんだがそれは俺の暇さ加減を倍加していた。

授業中も完全睡眠しておいて昼休みに起きてしまうのはあの抱きつき事件以降、四時限目には目覚めるよう体内時計が調整されてしまっているからである。まったく面倒なもんだ。

また眠るのもいいが家に居ても寝るくらいしかやることがないので学校にいる間の睡眠時間をセーブするために出歩くことにした。

屋上まで来ると誰かに声をかけられた。辺りを見渡しても誰も居ないんだが。

「上よ、上」

見上げると高台に工藤さんがいた。

「あなたも上がったら?」

拒否する理由も得にないので言われた通りにする。

屋上の屋上、校内で一番高いところ。初めて上ったが眺めはなかなかのもんだ、暇つぶしにはちょうどいい。

「最近様子がおかしいね、目に活力がないわよ」

「うむ、それでも私に勝った人間なのか?まるで別人だな」

って物陰から生徒会長が出現した!全然気付かなかったよ。

「まあ色々ありまして」

「ふうん、なんか不気味ね」

「気にするな。それより工藤さんと会長は知り合いなのか?」

なんかさっきからアイコンタクトを取り合ってる。工藤さんは生徒会の人間じゃないはずだが。

「ああ、私たち幼なじみなの」

「そして藍は私直属の暗殺部隊、裏生徒会の長で……」

「嘘を吹き込まないでよ。大体なんなの、その怪しげな部隊は」

仲良さそうだな。俺にはもう縁のない話だが。

「とにかくだ、張り合いがないのはつまらん。私を退屈させるな」

理不尽な御方だ。

「俺には期待しないほうがいいですよ。もう厄介ごとはたくさんです」

会長と目が合う。真直ぐな眼差し、吸い込まれそうだ。


「何があったのかは知らないし、どうしたいのかも知らない。だがお前の瞳にはまだ未練が残っている、それもかなり大きいものだ。アドバイス何て言うつもりはないが若いうちはやりたいようにやるのが一番いいと思うぞ」

真剣な表情がふっと軟らぎ穏やかな笑顔に変わった。

「……そうですね」

否定するべきところだった、少なくとも肯定なんてできるはずなかった。だって俺は自分より他人を優先するべきだと思ってるから。

だけど会長は、日野原こころは正しいのだ。その威厳、風格、そして美しいとしか言いようのない笑顔は言葉でねじ伏せることの出来ない絶対的なものだった。

「だが、答えを急ぐ必要もない。じっくり悩め」

俺は声も出せずに頷くことだけして教室に戻った。生徒会長ってのはここまで能力が必要なんだろうか。少し憧れるぜ。

ちなみにこの後屋上で行なわれといた会話はこんな感じである。

「相変わらず人を乗せるのうまいわね」

「褒め言葉として受け取っておこう。それにしても彼は面白いな、お前が本性を隠さないだけあるってことか」

「人聞き悪いなあ、私は興味がある人としか話さないだけ。数少ない人材には早く立ち直ってもらわないとね」

「やさしいじゃないか、悪そうな癖に」

「あなたにだけは言われたくない」


仲がいいのはよいことだ、うん。

で、俺はというと自分の席で悩みに悩んでいた。苦悩ってわけじゃない。例えるなら夕飯をカレーにするかハンバーグにするかどっちも好物なだけに悩んでるって感じだ。

強がり?そんなわけ……ないじゃないか。

キーンコーンカーンコーン

あっという間に授業が終了、帰路に着く。

だらだらナメクジのように歩いていると後ろから声をかけられた。

「おう、ずいぶんとろとろ歩いてんな」

宇井先輩だ。騒がしい人に会ったもんだ。

「どうした、青春の悩みか?例えば小春ちゃん相手に理性が保たなくなったとか」

「……まあそんなところですよ」

……っておい、適当に答えちまったよ。普通なら冗談と受け取るところだが俺と小春はついこの間まで同居してたことを考えるとかなりまずい発言である。かてて加えてそれを聞いたのはセンチメンタリスト、宇井先輩である。

「そうか、ついに……。俺は応援してるぞ、頑張れ!」

何が頑張れ、だ。まったく。だがもう小春がウチにいないことを告げれば余計厄介になることは火を見るより明らかで、それゆえ俺は黙り込んだ。

「なーんてな」

えっ?今何て言った?

「何年付き合ってると思ってんだ、お前の考えてることくらいお見通しだ。まあお前らが付き合うことに協力的なのは本当だけどな」

なんか小馬鹿にされたっぽいのも気に食わないと言えば気に食わないが今はどうでもいい。

俺は秘かに苛立ち始めていた。小春についてとやかく言われたくない、今は特に。

「仲良くしなきゃダメだぞ、お前みたいなバカを好いてくれる子なんて珍しいんだから」

「……うるさいです!それ以上何か言うと先輩でも容赦しませんよ」

苛立ちが爆発する。今にも宇井先輩に食って掛かろうとする自分の体をなんとか抑える。

八つ当りだってわかってても何もせずにはいられなかった。

「わかったよ、だが覚えとけ。ごちゃごちゃ考えてるお前はお前じゃない、お前は馬鹿なんだからな」

宇井先輩は初めてじゃないかと思うほど真面目な顔でそう言うと足早に去っていった。

今日は何だかよく説教されるな。


夕方、夕飯を作ることにした。台所に一人で立つのは久しぶりだ。

味噌汁作りとキュウリの浅漬けを切るだけの作業に手に傷を三つも負ってしまった。

なまってるなあ………………もうこんな自分に言い訳するのはたくさんだ。



小春とはいずれ離れなきゃならなかった。同居してる限り俺にかかわらないのは難しい。でも俺に関われば小春の身に何が起こるかわからない。

だからこうやって一人になるのは俺の望みどおりだったはずだ。

だけど俺はこの二日自分で食事を作らなかった、なんでか。

もちろん小春が作ってくれていると思ってたからだ。

頭では理解していたはずなのにもう習慣になっちまってたんだ。小春は俺の生活の欠かせない部分に組み込まれてたんだ。

今料理がうまくできないのだって小春のことで頭がいっぱいだからだ。


俺は小春と一緒にいたかったんだ。


今日会長から、先輩から、言われたことでさらに俺は揺らいでいた。

会長は言った、やりたいようにやれと。

宇井先輩は言った、馬鹿なほうが似合ってると。


俺はやりたいようにやっていいのか?馬鹿みたいに思うようにしていいのか?

あの時夏香さんに言われたことを思い出した

『あなたが守らなきゃいけないの』

今まで何やってたんだ。十年前に答えをもらっていたのに。


「小春、ごめんな」

無意識に呟いた。俺が一方的に突き放して家を出なきゃいけないくらい追い詰めておいてたった二日で身勝手に戻ってきてほしいと思っているんだから。

小春は受け入れてくれていたのに、勝手な思い込みで拒んだのだから。

心から謝りたかった。

いますぐ会いにいこうと思った、けど俺は小春が今どこに泊まっているか知らなかった。

「ごめんな……全部俺が悪かった………小春……何度でも謝る……謝るから………帰ってきてくれ!」

知らない間に涙が流れていた。自分の愚かさが悔しくてなんだろうか。

その時、扉が開く音がした気がした。誰もいるはずないのに辺りを見回した。人の気配はない。

意識するあまりラップ音か何かが変に聞こえたのかな。

とか思いつつも目を凝らして人影を探し続ける。

「……やっぱ誰もいない、って当たり前か。俺も本当に馬鹿だな」

俺の呟きが静寂の中をさまよって消えた。

その直後、今度は確実にガチャリと音がした。

ゆらりと立ち上がり音のした方、相川小春と札がぶらさがっているドアへと向かった。

おそるおそるドアを開くとそこには…………いるはずもないこの部屋の主、俺が今最も会いたかった人間、相川小春が立っていた。

視線がぶつかり合い、しばらく沈黙する。必死になって言葉を探した。

「さっきの聞こえたか?」

「何の話ですか?」

たぶんだけどとぼけてる。どっちにしろもう一度ちゃんと言うつもりだったがな。

「なあ、小春」

「はい」

「俺が悪かった、わがままだってわかってるけど、帰ってきてくれ」

自然に言えた……と思う。内心はかなりびくびくしていた。普通に考えればこんなことが聞き入れてもらえるはずがない。罵倒されて終わりだろう。

だけど小春なら違う気がした。

すぐに許してくれるかはわからないけど俺の意志を無下にするとも思えない。静かに返事を待った。

「……そうですか。やっとわかってくれたんですね。……まったく、自分がどれだけ理不尽だか自覚してほしいです。おっしゃる通り悪いのは中里さんです。私はいつか気付いてくれるって信じてました。けど、けど……」

声がかすれていく。はじめは気丈に振る舞おうとしてくれたんだろうけど限界だったみたいだ。

「……不安で、不安で狂っちゃい、そうだったんですよ?もうわた、しは、あなたがいないと、困っちゃう。――ううん、違う、ダメになっちゃう。――違う、もう言い表わせないけど……」

「ごめん、ごめんな」

自分のせいで泣きじゃくる小春の体に衝動的に手を伸ばす。もうこれ以上苦しませたくない。

!?

しかし手首を捕まれ引き込まれた。気付くと小春の腕に頭を拘束されていた。

「いい加減読めますよ。たまには私にやらせてください」

嘘泣き、じゃないな。目の端に涙をいっぱいにためてそのくせうれしそうに微笑んでる。

「やめろ、恥ずかしい」

いつもの、といっても久しぶりに自然な調子に戻れた気がする。

「質問に答えたら離してあげます」

「なんだ」

「……もう安心していいんですよね?」

「ああ。俺の回りで何も起きないように頑張るし、何か起きても必ず償う。逃げないでな。

それとお前は特別に守ってやる。

なんせ俺たちは仮にも夫婦だからな」

俺も小春も涙目で笑った。久しぶりに心から。


小春の腕から解放されしばらく、落ち着いてきた頃に訊ねてみた。

「何でお前がここにいるんだ?」

「私の部屋だからですけど。いちゃダメですか?」

しれっと言いやがる。しかもなんか笑いを堪えてるな。

「ふふ、実はですね、私は家出なんかしてないんですよ」

「はっ?」

「だーかーら、私は家出してないんです。ずっとこの部屋にいました」

「……嘘だろ?」

ただ笑っているだけで返事してくれない。マジなのか?

「だっていなかっただろ!?」

なんかもうガキみたいなことを言ってるな。それくらい動転してたってわけだ。

「じゃあ種明かしとしましょうか」


それからことの顛末を聞いた。なに聞けば大したことない話だ。

ただ俺より少し早く起きて学校に行き、俺より早く帰ってきた。革靴は部屋に持ち込んでいた。ただそれだけのこと。

俺に冷静に考える暇を与えるために強引な手段をとったってことらしい。

例によってまた天宮の策略。まんまとはめられたってわけだ。やつにはかなわないな。

だがそのおかげで俺は色々大事なものを失わずに済んだ、今度お見舞いにいこう。


そして翌日、病院にて

「おっ、来たね。意外と遅かったかな」

にぱっと笑みを浮かべて出迎えてくれる天宮。

「真琴ちゃん作戦通り行きましたよ。ありがとうございます」

「やっぱり単純な光希にはぴったりだったみたいね」

「ああ、そうかもな。今回はお前の悪知恵に助けられたよ。ありがとな」

「な、何!?いきなりそんな恥ずかしいこと言っちゃって。どうしたの!?」

あわてながら頬を主に染めている。今まで褒めたことなかったから知らなかったがどうやらストレートな感謝とかに弱いらしい。

「大丈夫か?顔赤いぞ」

「!?……うるさい!」

こりゃ面白いな。これから少しずつ借りを返していくことにしよう。

「人がせっかく心配してやってんのに……」

「元気になったと思ったらもうこれなの?頭を冷やしたりないんじゃない?」

「ははっ、そうかもな」

俺たちは一仕切り笑い合って最後に

「でもよかった。あんたが凹んでるとこっちも調子でないから」

「そうか。お前も早く治せよ、からかうやつがいないのはつまんないからな」

そういって別れた。

小春はにこにこしながら俺たちの話を聞いてくれていた。本当はもっと話したかったんじゃないかとも思ったが好意を無下にするのもいやだったから口にしなかった。


なんとなく話しづらい空気漂う帰り道。ノスタルジィってやつか。

まあ言葉なんかいらないのさ、今並んで歩いてるってだけで幸せな気分になる。むしろその幸せな雰囲気を壊したくないから話さないのかもしれない。

たまに視線が交錯しては笑い合う、そんなことばかりしているとすぐに家に着いてしまった。

その後、久方ぶりに(といっても二日しか経ってない)小春の手料理を食べた。四月に始まった二人きりの食卓はもはや俺にはなくてはならないものにまで昇華していたもんだからこの時もすごく幸せだった。



ベッドに寝そべり考える。

仲直りしてから他愛もない話ばかり繰り返していたにもかかわらず俺の心はこれ以上ないくらいに満たされている。

あの事故以来空虚だった俺の魂に再び生気が充填されたとでも言おうか。

要は、俺は自分の小春に対する気持ちに気付いたってわけだ。


そういえば明日から試験一週間前だな。今までの恩返しも兼ねてたっぷりと遊んでやろう。


そしてせっかく気付いたこの思いを伝えてしまうとしよう。




エピローグへ、物語の終焉です

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