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第四話

体育祭、ちょっぴりごちゃごちゃしてますがお楽しみを

GW前に無理矢理中間テストを終わらせたウチの学校は七月の頭の期末までかなり猶予があり、その間に体育祭何ぞを実施するらしい。病み上がりでまだ調子が良くないし、正直興味ないな、頑張れ実行委員。

「僕、実行委員だよ、体育祭楽しみだね、」「ああ、そうだな」

姫野は実行委員らしい。べつにここでつまんねえよ、とかいう程捻くれてはいない。

「一緒に頑張ろうね!光くんと一緒なんてぼく張り切っちゃうよ」「そうだな」

なんだかんだで俺も始まったら熱くなっちゃう人なんだよな。姫野は運動神経もいい方なのでいてくれると助かるな。

「じゃあ放課後第三会議室に来てね。ミーティングだからさぼっちゃダメだよ!?」

「なんか頑張るなあ」まだ一ヵ月も先なのに気が早いとは思うがやるからには勝ちたいもんだ。


放課後、第三会議室


そこにはなぜか水口姉妹もいた。他の組がいるのはまずいんじゃないか?

「なんでお前らがいるんだ?」

「なんでって私たちも実行委員だからだよ♪ねえお姉ちゃん」

「ええ、美々ちゃんは自ら率先して、私は道連れです」

俺もか?俺もなのか?まったくそういうオチかよ。いや気付けよ、俺。ミーティングね、こりゃサボったほうがよかったな。まあ隣に(くっついて)いる邪気のない姫野を見る限り黒幕は別にいるらしいな。休んでる俺を陥れた悪魔が。候補はそんなにいないから明日中には見つけられるだろうよ。

まだ一回目なので軽く方針を聞くだけでミーティングは終了した。水口姉妹+姫野に聞いてみる。

「いつのまに俺が実行委員になってたんだ?誰の差し金だ?」

証言一「姫野あゆみ」「まこっちゃんが光くんがやりたがってるって言ってたって言ってたよ、わかりづらくてごめんね」

証言二「水口美々」

「畠中くんが確認に行くって言ってた気がしたけど」

証言三「水口もも」

「私も光希君がいたほうがうれしいわよ」


三は論外としてもはや犯人は丸分かり、まあもとからどっちかだと思ってたけど今回は共犯かね。

「やっぱりやる気なかったんだ」

「当たり前だ、そんなもんやりたがるやついるか」

わかってんなら止めてくれよ、姫野。

「ううん、実際いなかったから。でも推薦だからしょうがないと思うよ。道連れがぼくかまこっちゃんかの違いじゃないかな」

確かにそうかもな、で納得できるわけがない。なんて薄情なクラスだ。

「でもぼく、光くんだから一緒にやってもいいって思ったんだよ?ぼくじゃ、いや?」

上目遣いで絡み付くように俺の腰に手を回す姫野。まったく俺の周りは俺のことなんだと思ってんだ。まあ小春にしろ、この姫野にしろ、ここまで接触してるのは俺だけな気がするからある意味ハーレムである。今は(抱きつくのを)我慢しているっぽい水口美々も例外ではない。がしかし本人達は自分がどれだけ大それた行動を取っているか理解していない(ゆえにタチが悪い)。別に嫌じゃない、むしろ嬉しいよ、普通に。だけど外でやたらめったら抱きついたり、あからさまに誘ったりするのは倫理的道徳的にもどうかと思う。

それはともかく同じ仕事をするなら仲間とやった方が面白いだろう。実行委員は面倒だが今更どうしようもないからこいつらと楽しく終わらせるとしよう。

無理矢理自己完結させて実行委員の仕事を全うすることを密かに決めた。殊勝だ。

ところで……周囲の視線が気になるからそろそろ離れてくれないだろうか。



帰宅。夕飯にて。

「……つーわけでなんか体育祭実行委員になってた。ひどいよな」

小春に愚痴る。仮夫婦発動(最近はメイドだったため久々)。

「真琴ちゃんは昔から調子に乗りやすくて……。普段は可愛いんですけど度が過ぎるとちょっと困っちゃいますね」

こういう時小春は非常に聞き上手である。適当な相づちでなく親身になってくれる。まさに理想的妻だ。小春でよかった、天宮だったらと思うとぞっとするね。まあ天宮と畠中は明日制裁を加えるからいいや。

「ごちそうさん、今日は疲れた、もう寝るわ」

「はい、おやすみなさい」


一人で寝るのは久方ぶり、何だか寂しい気がするな。人としてやばい気がするけど。


朝。自然と目が覚めた。休んでる間に眠りすぎたせいだろうか、などとくだらない事を考えながらリビングへ。

キッチンではすでに小春は朝食の用意を始めているらしい。

「はよー」

別に関西弁で急かしたわけではなくただ単におはようのおを省いただけだ。

「あっ、おはようございます。今起こしに行こうと思ってたんですよ」

にっこり笑う小春。テーブルをみるともう朝食はほとんどできていた。

「本当に早いな、どうした?」

いつもより十五分くらい早い。

「いえ、たまたま少し早く目が覚めただけですよ、でも‥‥」

少し言葉に詰まってる。でも、なんだ?まさか風邪移ったんじゃないよな。顔赤いけど。

「‥‥昨日久しぶりに一人でベッドに入ったら何だか寂しくて早く寝ちゃおうって思ったんです。えへへ、おかしいですよね」

ああ、そういうことか。そういや俺も同じこと考えてたっけ。

「そないか」

だけど口にはしなかった。小春が照れ笑いしてるように俺だって羞恥心に苛まれている。別にわざわざそれを増幅させることもない。

朝食も早くかきこんで学校へ。当然普段より早く学校に着く。まあそのままに家で二人きりだと羞恥心に支配されそうだったんだから仕方ない。教室には誰も人がいなかった(意味がない)が。

数分後、天宮真琴到着。同時に制裁。

さらに数分後、天宮真琴死去。

「これで少しは懲りただろ」

「もうひどいなあ、光希は。私女の子だよ?わかってるの?」

机にくたりと横たわりすねた口調で愚痴る。懲りないやつだ。

「しかし体育祭でよかった。文化祭だったら面倒すぎる」

「そうだよ、光希が運動得意でしかも熱くなれるって聞いたから推薦したのに」

「開き直るな」

ほっぺたを引っ張る。柔らかい。女なんだな、一応。まあこうやってバカやってるのもそれはそれで悪くないんだけどな。

「痛い痛い痛い。あっ、離してくれるんだ。やっぱりその辺り悪になりきれないのが光希らしいわね」

ちなみに畠中は姫野に言われて真意を確認しにウチに来て聞き忘れただけらしいので無罪放免だ。



チャイムが鳴り響く。これにて今日の学業(相も変わらず睡眠学習)は終了である。が、このあとは当然体育祭実行委員が待っている。脱兎のごとく逃げ出そうと試みるも獅子は兎を狩るときにも全力を尽くす、姫野・美々コンビに取り押さえられた。

「逃っげらっれないよ♪本気で逃げる気ないんだから」

美々よ、何がそんなに嬉しいんだ?

「そうそう、光くんが本気なら私たちじゃ追い付けないもん。まったく照れちゃって、可愛いなあ」

ちょっと待て、確かに俺は手を抜いて逃走した。しかしなにゆえそれが照れたことになる?

「おい、姫野。いいか俺はただ単にミーティングが面倒なだけ……!!?」

後ろから突撃された。背中に激痛が走る。

「痛ってえ、誰だ!?」

「……ワタシ」

「成瀬先輩?どうしたんですか?」

そこに立っていたのは学校一の美人(畠中談)成瀬冬香先輩である。タックルされるのもいつものことなのだが休みが長かったせいか誰かわからなかった、というより忘れていた。

「……」

第三会議室を指差されていらっしゃる。……まさか、いやそれ以外ありえないよな。

「冬香先輩も実行委員だったんですか、知りませんでした」

一番参加しそうにない人の登場に誰もが絶句する中水口ももはいたって普通の反応を示した。さすがだ、もしこのメンバーでロールプレイングのパーティを組んだら間違いなく勇者であろう。俺は僧侶くらい後ろのポジションがいいね。いや組まないけどさ。

そんなことはどうでもいい。他に聞くことが腐るほどある。

「昨日はいませんでしたよね、どうしたんですか?」

「……忘れてた」

「そうですか」

まあいいや、成瀬先輩だし。この人のフォローに撤するのもそれはそれで楽しいもんだ。この人自体がすごく面白いからな、美人だし。なにより俺を気に入ってくれてる。何で好かれてるか、俺はその理由を知らない(宇井先輩は知っているらしい)がまあ何だかんだで俺もこの人に付き合うのは嫌いじゃない、つーか好きだ。世の中うまく回ってるもんだ。何言ってんだろうな、俺は。


そんな訳で成瀬先輩を加えてミーティング。俺や美々、もも、それに姫野は一年生だから大した仕事は回ってこない。だが成瀬先輩含む二年生は何かしらの指導者となる。

分類は四つ、実際に体育祭を運営しスムーズにことが進むように努める進行係、競技科目やその点数配分を決定する審査係、校庭の整備やその他飾り付けを担当する装飾係、準備期間及び体育祭本番の怪我や病気を迅速に治療する保健係である。成瀬先輩はちゃっかり明らかに一番楽な保健係の係長である。

ちなみに係についてはあえて突っ込まない、子供のように純粋に楽しむための配慮らしいが。


一年生は適当な籤引きで俺もめでたく保健係、たぶん神さまも少しは俺を憐れんでくれたと思われる。

姫野は進行係(ご愁傷さま)、美々は装飾係(手先が器用なのでナイス人選)、ももは審査係(厳しそう)にそれぞれ決まり明日からは本格的に別れて行動らしい。楽な係とはいえこう毎日だと参る。


翌日、保健室にて。

「私が保健係担当の宮原蓮です。よろしく」当たり前といえば当たり前だが保健係担当は養護教員である。蓮さん(そう呼ばないと初めて奪っちゃうわよとか脅された、年上には逆らえない)は去年入学したばかりでしかも飛び級したためまだ二十歳、俺たちとそう変わらない。また小柄のくせに出るとこ出てて表情も大人な感じで保健室の需要を高めている。

教師のことはこれくらいにしておいて現状の説明をしよう。

ただいま保健室には、蓮さん(顧問)・成瀬先輩(係長)・八尾慎太郎(副係長)・俺(下っぱ)の四人、欠席者はゼロ、全員参加である。……まあ保健係にあまり人は割けないってことなんだろう。そして蓮さんから今日から本番までの方針が発表される。

「正直言って体育祭当日まではかなり暇でーす。よって保健室で適当にだべって六時ごろに解散。当日のことについてはそのうちシフトを決めて私と誰か一人がかならず保健室にいればそれでいいから。以上」

それはそれは。当日は地味に面倒そうだがそれまではただ待機してるだけじゃないか、そんなんでいいのかね?

俺の心中いざ知らず我らが顧問、蓮さんは

「今日は何だかだるいから私は寝ます。六時になったら起こしてね、中里君」

とかいってマジでベッドに行ってしまった。「何で俺なんですか?」

「他の二人が信頼できないからよ」

うぐ、まあ確かに。成瀬先輩はほとんどしゃべらないから仕方ない(?)としてもう一人、八尾慎太郎先輩(八尾さん)はなんというか臆病な人で常に挙動が不振である。信頼できないのはわからないでもない。けど本人の前でストレートに言われると俺の肩身が狭い。

が別に険悪な空気になることもなく、六時までの二時間程を怠惰に過ごすだけである。

「コウキ、暇?」

「はい、暇ですよ、何かします?」

シュールすぎる会話だ。成瀬先輩はぼそりとつぶやいた。

「天使のハグ……してあげる」

「マジですか?」

『天使のハグ』とは……中学時代、毎日のように行なわれていた、その名の通り抱き合うことであるが。

「今はちょっと……。八尾さんもいますし、ねっ?」

「僕のことは、き、気にしないでいいよ。ちょっとトイレに行ってくるね」

待った待った。言う間もなく出ていく八尾さん。勘弁してくれよ。

ふわりとやわらかい感触が体を包む。あっ‥‥‥なんか懐かしい。

中学に入ってすぐ、小学校からの友人だった宇井先輩を介して知り合った俺と成瀬先輩。あれは中一の終わり頃だっただろうか、たまたま一緒に帰っていた。俺は小石に足を引っ掛けてすっころんだ。成瀬先輩は咄嗟に受け止めてくれた。ただあまりに急だったため倒れる寸前に何とか俺の首根っ子を捕まえる形になってしまった。

「す、すみません」

支えられたまま謝った。成瀬先輩は遠い目をして

「……これ……あったかい」

「はい?」

そのまますっと目を閉じてしまった。本当に幸せそうな顔だ。

俺は反射的に成瀬先輩の背中に手を回していた。

「あったかい」

「そうですね」

どれくらいそうしていたかわからない、ただそのうちどちらからともなく離れて帰った。

それからところ構わず抱きつかれるようになった。俺もそれをあったかいと思ったから拒否しなかった。むしろ気が向けば俺から抱きついたりもした。

ある日、そんな成瀬先輩の顔を見た誰かが天使のようだと表現した。もともと学校に名を轟かせていた成瀬冬香の天使のような抱擁、すなわち『天使のハグ』は瞬く間に広まった。もっとも別にまわりはどうでもよかったから放っといたんだがな。でも成瀬先輩はこの天使のハグって呼び方が気に入ったらしくて自分でも言うようになったんだっけか。


懐かしいな、今にして思えば超大胆だが。

そんなことを考えてるうちに最初みたいに反射的に背中に手を回していた。さすがは天使、俺に拒否権があるはずない。

「……ずっと、ずっとこうしたかった。……コウキが来てからずっと……。ワタシのこと忘れた?」

パチリと開いた瞳は潤んでいた。俺はどうしたらいいかわからずに腕に力を込めた。

「忘れられるはずないですよ、大切な人ですから」

言っとくが他意はない、素直にそう思っただけだ。

「……よかった」

ふっと腕のなかの成瀬先輩から力が抜けて全身を預けてきた。本能的にそのサラサラの髪を撫でる。

「忘れられるわけないです……」

自分に言い聞かせるように反芻する。なにせ成瀬先輩はもう寝てしまっているから。

結局仕事なんて何もせずにその日の業務を終了した。

それにしても先輩、相変わらずというか、ますます可愛くなったな、俺の理性はどこまでもつだろうか。



翌日の昼休み、屋上にてみんなで食事をとっていた。

ちなみにみんなというのは俺、小春、畠中、福生、天宮、水口美々、もも、姫野の計七人である。

「保健係はどう?」

小動物のようにちょこちょこ近づいてきた美々が訊ねてきた。

「ありゃ休憩だな、当日までは何もやることがない」

「ええっ、いいなあ。ぼくなんか昨日から水牛のごとく働かさせられてるのに」

最も厄介な係に任命された姫野、合掌だな。しかし水牛か、確かに仕事量は結構ありそうだがのんびりしたイメージが先行するのはなんでかね。

「私は昨日は自己紹介だけだったけど、今日から色々作りはじめるみたい。わくわくしちゃうね♪」

さすがにウルトラポジティブシンキングは違うな、楽しそうだ。

「そういえば水口さんはどうだった?」

聞いてみるとうふふと笑ってから

「昨日は特に何もしませんでした、お仕事は意外と楽そうですねえ」

なんかこの人も嬉しそうだな。道連れとか言ってた割りには。

昼食後、約二十分の休憩タイム、そのまま屋上で雑談を続けていた。

「なんか宇井先輩と成瀬先輩が来てるよ」

福生の声に屋上の入り口を見ると確かに先輩方がこちらに向かってきている。

「相変わらず成瀬先輩は超絶美人だな」

畠中の言うことはもっともだが今は置いといて何故こんなところに?普段は寝ているはずなんだが。

「こんなところにいやがったか、散々探したぞ」

宇井先輩が指差しているのはもちろん俺である。いや確かに二人が来た時点で自分がなんかやらかしたか記憶を辿ってみてはいたんだが何も浮かばなかった。ただただ不気味である(大袈裟)。

「こんにちは、宇井先輩。二人揃ってデートですか?」

「それは昨日の放課後の保健室じゃねえのか?我が友中里よ」

「何を言ってるかわかりませんが?」

「実に一年二ヵ月ぶりに解禁されたらしいじゃないか、天使のハグが」

解禁って鮎じゃあるまいし。気持ちは分かる、あの成瀬先輩は他では見れないからな。

「お前何で言わねーんだよ、そんな産業革命にも匹敵する重要事項を」

別にハグされんのはお前じゃないんだからいいだろ、畠中。

「それは同感だね、核戦争に発展しても知らないよ」

福生さん、地味に恐いです。

「天使のハグ?何それ?降霊術?」

天宮は興味津々である。小春は?って感じだな。

「天使のハグってのはね、冬香先輩が光ちゃんを抱き締めるかその逆のことなんだけどね、その時の冬香先輩の顔が見てるだけで幸せ♪ってなるくらい綺麗なの」

「そうなんです〜、あの冬香先輩は可愛いとか美しいみたいに一言で表すことは不可能なくらいです」

水口姉妹も(すなわち女でも)虜にするほど威力があるらしい。

「んー、あれはさすがにぼくでもかなわないなあ。基本的に冬香さんが美人すぎるんだよね、お人形みたいってああいうのを言うんだよね」

姫野が容姿で負けを認めるとはな。いや俺は別に勝ち負けなんてないと思うし成瀬先輩と比べても姫野はなんら遜色ないと思うがそんな赤面必至な発言は控えたい。

「へえ、それは是非見てみたいですね」

小春も見たいらしいけど別に屋上にいるのは俺たちだけじゃないんだから勘弁してほしい。放課後保健室に来れば見せてやる、俺がやるわけじゃないが。

「同居人も見たがってるぞ、諦めるんだな。行け!冬香!!」

宇井先輩の号令の下に無言で迫り来る成瀬先輩。俺はまるで動けない、いや動こうとしなかった。もはやこの場で止めるすべは何もないのだ。

ふわりと昨日と同じやわらかな感触、反射的にするりと手を回す。しかし言わねばならぬ事もある、そっと耳元で囁いた。

「嬉しいですけど少しは人目を気にしてくださいね」

「……一年二ヵ月も待った。……ワタシ、もう我慢できない」

そんな哀しそうな顔されると返す言葉もない。完全降伏である。確かに昔から人目をはばからないこの行動を少しは恥ずかしいと思っていたものの、習慣だったこれがなくなってしばらくは違和感があったというか何となくすっきりしない日々が続いた記憶がある。今更、これが人前とかそんなことを気にする必要ないんだろう、一年二ヵ月消えていた習慣が復活するだけなんだから。

ここまで思考するのに約二十秒。

「嘘です、周りなんて気にしないで昔と同じように扱ってくれていいです」

ようやく先輩の顔が笑顔になる。なんというか形容しがたいがにっこりと笑うわけではないが見て取るのが困難な程表情が変わらないわけではない。まさしく微笑みってやつだろう、辞書に乗せたいくらいだ。

みんながみんな見とれているだけなのでリアクションは割愛する。

キーンコーンカーンコーンとレトロなチャイムが鳴り響く。やべえ予鈴だ。

「じゃあそろそろ教室に戻るか」

と言いつつ時計を確認する。あと何分で説得すれば間に合うか考えながら。がしかしそこで気付いた、今のが本鈴なことに。

「おい!遅刻だ!」

成瀬先輩をソフトに離し走りだす。慌ただしい昼休みだ。



そして俗に言う放課後、俺たちにとっては七時限目、体育祭準備委員の時間だ。

つーわけで保健室。メンツは変わらない。

やることかつやる気のない空気の中、今日は寝ずにいた蓮さん(代わりに成瀬先輩は寝ている)が口を開いた。

「退屈ねえ、中里くん、一発芸ないの?」

「残念ながらないですねえ、不謹慎ですけど怪我人って一人もいないんですか?」

全員が机に突っ伏しだるそうに会話する。他の委員が見たら憤りを感じずにはいられないだろうな。

「さっき紙で指を切ったって子が一人来たわよ。ああ、結婚したいな」

この空間で会話の脈絡なんて言葉は存在しない。

「言い寄る男ならそれこそ腐るほどいるでしょ、蓮さんなら。なんなら八尾さんどうですか?ねえ?」

「ぼ、僕かい?養護とはいえ教員と生徒はよ、よくないんじゃないかな?」

八尾さんって面白いよな。つーか蓮さんに惚れてるっぽいね。まあ見た目は極上で年も近いしな。

「八尾くんは嫌だな。私は普通の男の人がいいの」

そしてこの人はひどすぎる。もうちょい言い方考えろ。

「例えば?」

「うーん、なかなかいないのよねえ、普通の人。中里くんならまあいいんじゃない?」

「疑問形で返されてもわかりませんよ。俺にとっての普通が蓮さんにも普通とは限りませんから」

「それもそうね。それに中里くんには成ちゃんがいるしね。昨日なんて誰もいない保健室で抱き合ったりしちゃって」

「起きてたんですか、まあもうその手の勘違いには慣れましたよ」

何回目かわからん。小春、姫野、水口美々、もも、そして成瀬先輩、俺には恋人なんてかったるいもんはいらないんだがそんなこと知る由もない一般人からすれば彼女等の密着は尋常じゃないだろうからな、仕方のないことだ。

「そうよねー、中里くんハーレム築いちゃってるもんね、入学二ヵ月にして。しかも最上級に可愛い子ばっかりで。私も加えてみる?」

「ハーレムのつもりはさらさらないですがそれは魅力的ですね、いいですよ」

「わーい。よろしくね成ちゃん、ライバルよ」

のそりと起き上がった先輩がそのまま近寄ってくる。寝呆けてるんだろうか。

「……コウキは私のもの……あげない」

地味に所有権を主張され抗議しようとしたが天使のハグによった遮られた。ずるいなあ、この人は。

「さすが成ちゃん、全ての人間を虜にできそうな笑顔ね」

まあ実際そうなんだろうが教師にマジマジと見られるのはすげえ違和感だな。

結局その後も来客なく業務終了。今日も平和だな。



それからしばらくはグダグダ放課後を過ごし、何時の間にやら本番三日前。

「そろそろシフトを決めないと上から文句言われるからちゃっちゃっと決めちゃおうと思います。九時に開会式で四時に閉会式、一時間昼休みがあるんで一人二時間、好きなとこ選んじゃって」

えーと、一年は割と先に競技が終わるから最後の一時間は俺だとして、みたいな感じで競技がぶちあたらないように決めていく。ちなみにウチの体育祭は学年またいでのクラス対抗、つまりは一年一組と二年一組は同じチームである。

「そういえば先輩は何組なんですか?」

「……一」

わかりづれえな、おい。共闘か、まあよかったな。この人と争いたくないし。逆に畠中辺りはちょっと戦ってみたかったかもな。

でシフトは八尾さん、俺、成瀬先輩、八尾さん、成瀬先輩、俺の順番で一時間ずつ交替ということになった。

「じゃあそういうわけで今日は解散、あっ成ちゃんだけ残ってくれる?審判係の人が呼んでるから」

なぜか成瀬先輩は連行されてしまった。まあいいや、大したことじゃあるまい。


帰り道、見上げた空はオレンジ色、もう六時過ぎだというのに。知らぬ間に日が長くなったもんだ、夏も近い。っとその前に梅雨か。雨は嫌いなんだよな、暗い気分になるから。ふと昔よく来た小さな公園が視界に入る。なんだか梅雨を考えたら夕日がもったいなく感じて沈むまで見ていたくなった。ベンチに腰掛けゆるりと待つ。やばい、地味にまだちょいかかりそう。などとぷち後悔をしていると隣に見知った顔が現れた。

「どしたの?こんなところで」

「梅雨に入る前に見とこうと思ってな」

夕日を指差す。にへらっと笑って

「そうなんだ。ぼくなんか馬車馬のごとく働かさせられてたよ。でももうすぐだからね、体育祭、頑張らなきゃ」

くじ運なき姫野は言葉とは裏腹に嬉しそうだった。理由は分かり切ってる、俺と久々に同じクラス、その最初の行事だからである。思えば小学校の一、二年の時以来じゃないか?まあこいつと戦うのもそれはそれで楽しいんだけどな。でも

「委員会も大変だが勝とうな、体育祭」

「負けないよ、ぼくと光くんが組んでるんだから」

今回は一緒に頑張ろう。

「でも珍しくやる気あるみたいだね、てっきりクールダウンしてると思ってたよ」

「お前と同じだよ」

姫野は夕日のせいなのかもしれないが赤くなっている気がした。

「な、なんかやけに素直だね。ぼく照れちゃうよ」

「まあな」

自分で言った後に恥ずかしくなって返事が適当になっている。夕日のせいで少し詩人になっちまってるようだ。これ以上妙なこと言う前に帰るかな。


我が家にて夕飯後

「なあ、雨って好きか?」

少しきょとんとした後に苦笑しながら

「雨、ですか。うーんあんまり好きじゃないです、なんだかちょっと嫌な気分になっちゃいますから。洗濯物も乾きませんし」

と答えた。小春も雨が嫌いなタイプか、気が合うな。

「そうだよな、俺も好きじゃないんだよ。でももうすぐ梅雨なんだよな」

「そうですね、梅雨は嫌ですけどそれが終われば夏休みですよ」

そういやそうか。意外とポジティブだな。だがそういうことが言いたいんじゃない。

「その前に体育祭だ、俺は地味にこういうことで負けるのが嫌いだから勝ちに行くぞ」

「はい、頑張ります」熱血な俺にはそんな返事では気持ちが手旗信号ほどしか届かない。

「気合いが足りん!」「なんだかキャラが違いませんか?」

今イチ覇気のないやつだ、なんか賞品やるか。

「もしウチのクラスが優勝したら何でも願いを叶えてやろう」

「えっ、本当ですか!?頑張ります!」

半ばヤケな気もするけどいいや。熱くなってるけどまだ三日あるしな。


そして体育祭当日。

「こりゃすごいな」

完璧に整備されたグラウンド、華やかな教員テント、堂々とそびえ立つ得点板、やたら達筆なプログラム等々、装飾のやつらの一ヵ月分の苦労の賜物である。思わず呟いてしまうほどだ。

「ふっふっふ、どう?私たちの努力の成果は?びっくりした?」

「おお、よくやった!誉めてやろう」

よしよしと頭を撫でてやる。美々はえへへと笑って嬉しそうにしている。

「だが今日は敵同士だ、手加減はしないぜ」俺もにこやかにしかしちょっと真剣な顔で言った。こいつはこいつで熱くなりやすいやつなので

「当ったり前だよ!私だって負けないんだから、覚悟してね、光ちゃん!」

握手する、仮にも女の子なので手を握り潰したりはしない。ああ、しないさ。


開会式、準備体操を消化し、いよいよ最初の競技、百メートル走(一年全員)が始まった。

まわりが遅かったのもあって俺は一位でゴール。姫野やら畠中やらは負ける気配もないが水口姉妹はじめ他のクラスも引けをとらず点数的にはほぼ互角のまま競技終了。

「意外とやるな、他のクラス」

「なんでも優勝したクラスから選出される優秀選手には素晴らしい副賞が出るらしいですよ。だからみなさん張り切ってるんです」

「そうなんか。副賞ってなんだ?」

「それはもらってからのお楽しみってことらしいです」

小春は純粋すぎるから何とも思ってないらしいが高校生が何かもわからない副賞のためにそこまで頑張るだろうか、いやそんなはずはない(反語)。去年だって同じことが行なわれていたはずなんだから何がもらえるかわかっているであろうその副賞、高校生を奮い立たせるほどのものとは一体なんなんだろうか、非常に気になる。

なんて考えてるうちに一時間経過、保健室へ直行。

第二種目、超!ムカデ競走(三年選抜)の怪我人が数人、消毒液に苦痛していた。

超!ムカデ競走はムカデ競走のくせに平均台や周囲からボールが飛んでくるなどの障害がある過酷な競技で今回は奇跡的に一組の転倒で済んだが例年なら三、四組以上の怪我人が出るらしい。……どうでもいいが、そんな競技を続けないでいただきたい。

しかし蓮さんの手際のよい処置のおかげで俺の出る幕なし、ありがたい。

競技はグルグル台風の目(二年全員)、一球入魂玉入れ(一年選抜)と続いていた。

台風の目といえば棒を三人ぐらいで持って途中にあるポイントを回って戻ってくる競技だがグルグル台風の目はその名の通り、通常の台風の目より回転数が多く三つあるポイントで各五周、アンカーに至っては十周といういじめ競技で吐き気をもよおす人も多々いるが保健室を訪れるほど重傷ではなさそうだった。ちなみに一組は二組についで二位だった。

一球入魂玉入れは選ばれた一年が小さな籠に玉を一人一つ投げ入れる競技だが籠の大きさがティーカップ程度しかなく誰一人として入れることはできなかった。もう少しまともな競技を考えられないのかね。

俺の時間帯は暇そうなので蓮さんと雑談ついでに副賞について訊ねてみた。

「蓮さん、体育祭の副賞って何がでるか知ってます?」

蓮さんは一瞬不思議そうに首を傾げ、納得したように手を叩いていやらしく微笑んだ。

「そっかー、中里くんは知らないんだー。今回の優秀選手にはなんと、お米一年分が!」俺ははあっ、とため息を吐いて

「あんまり冗談が過ぎると次来ませんよ」

「むう、乗りが悪いなあ。わかったわよ、教えてあげる。あのね、優勝したクラスの各学年の優秀選手と負けちゃった各クラス一人に免罪符が配られるの」

「マジっすか?」

免罪符とは学校でのあらゆる罪(遅刻、違反物発見、赤点等々)を一度だけ回避してくれるという素晴らしい権利書である。中間および期末で三つ以上の百点、または零点をとるともらえるというまさに幻の一品だ。どうりでみんな張り切るわけだ。

「マジよ。しかも優勝したクラスの最優秀選手には加えて投票で決められる学校一の美男子、または美少女から祝福のキスが送られるのよ」

そりゃまたすごい。こんな妙な競技で活躍することは至難だが挑戦する価値はありそうだな。それにしてもウチの学校がこんなに突拍子もない学校だったとは知らなかったな。

三年選抜のバスケットボール(場違い)が終了した頃には一時間が経過し成瀬先輩とバトンタッチ。すぐに俺も出る借りられるかな?競走(一年選抜)の入場者入り口へ向かう。

この競技、少し走った先に紙が置いてあり、その中に書いてあるものをもってくるという普通の借り物競走だが、別に最初にとった紙にこだわらなくてもいいというのが逆に不気味である。用意されている紙もやたら多いし。だが一番手の俺が負けるわけにはいかないだろ。悩んでもしょうがない、勝ちに行くぜ!……つくづく熱血だな、俺は。

パンというピストルの音とともに猛ダッシュ紙を開く。

『水晶玉』

……んなもんすぐ見つかるか!……次!

『風呂場に浮かべるアヒル』

……ちくしょう、やっぱりまともな競技じゃねえな。こうなりゃ下手な鉄砲数打ちゃ当たる作戦だ。

『カレーライス』

さすがに体育祭の弁当カレーはないだろ。

『ヘラクレスオオカブト』

カブトムシなんてヘラクレスじゃなくても見つかんねえよ。イライラすんな、これ。

『おもちゃの指輪』

普通の指輪ならともかくなんでおもちゃなんだよ!?……って、ちょっと待てよ、これならあるかも知れない。

小春に駆け寄って

「おい、小春、あの指輪ないか?お前がウチにきて一週間くらいしてあげたやつ」

正確に言えば仮夫婦の誓いの際にふざけて子供の頃に買った指輪をあげたんだが詳細は恥ずかしいし何より時間がない。

「えっ、あれですか?カバンに確か入ってたと思いますよ」

「貸してくれ、大至急!」

つい声が大きくなる。今はマジで急を要するから仕方ない、あとで謝ろう。

「あっ、はひ!」

カバンからすっと取り出した指輪を小春の手から引ったくって

「サンキュ!」

ゴールに向かって走る走る。見事に一位!頑張った甲斐があったな。

ちなみに二位は老眼鏡十五個を掻き集めた二組、三位はニシキゴイを裏庭から手で運んできた五組。四位は自分の家から風呂場に浮かべるアヒルをもってきた三組、四組はギブアップだったとさ。俺のあとで走ったやつはよく知らんがウチのクラスは健闘してこの競技に関してはトップだ。

その後三年全員参加の百メートル走、午前中ラストの二年全員リレーを終え、昼食と相成った。

「小春、さっきは悪かったな。つい熱くなっちまった」

小春はビニールシートの上に弁当を広げながら首を左右に振って

「いえ、気にしないでください。そんなことよりお昼です、今日は張り切っちゃいましたから!」

と言ってにっこり笑った。

言うだけあってメチャクチャ豪華な弁当だった。体育祭らしく主食はおにぎりになっていて頭に鮭、昆布、明太子なんかが乗っていて実にうまそうだ。おかずも定番の唐揚げやウィンナーから焼肉みたいにスタミナを考えたものなど種類も豊富である。

「それじゃ、いたーだきます」

イントネーションおかしいけど気にするな。「はい、召し上がれ」

高校生にもなると体育祭に来る親は極々少数だが俺たちの友人の親のはほとんど、というか全てが律儀にも訪れていたため今日は久々に二人で昼食である。

「んっ、うまいな。ところで何であの指輪持ってたんだ?」

左手におにぎり、右手に箸を持ちつつ聞いてみた。

「ああ、あれですか。あの指輪はお守りみたいに持ち歩いてますから。中里さんは何で私があれを持ってるって思ったんですか?」

そういやそうだな。自分でもよくわからないんだが。

「なんとなく小春なら持ってる気がしたから」

「ふふ、そうですか」なんか嬉しそうだった。俺も自然と頬が緩んでいた。ちょっとした絆が嬉しくてくすぐったかったんだと思う。

昼食を終えいよいよ午後の部、現在の得点は二組が百十五点でトップ、それを一組が五点差で追っていて三位以降は七十点以下と少し離れている。もう一騎打ちな気もするが午後は得点が高い種目が目白押しである、油断はできない。


午後最初の競技は『二人二脚』(一年選抜)だな。俺と小春も出る。なんでこんなに選抜になってるかというと五十メートル走でつい本気になって(挑発、畠中)六秒代を出しちまったせいと姫野がやたらと推薦しやがったからなんだが今は感謝している。俺がやる気になることを想定してのことだったんだろう、さすがは幼なじみだ、よくわかってる。

それはさておき二人二脚とは男女のペアで足を両方とも縛り付けて走る、ただし背負ったり抱えたりするのは禁止というルール。つくづくウチの学校はまともな競技を作る気がないらしい。リレーは例外だが。

本来なら運動能力的に姫野と組むのがベストなんだがやつは

「ぼく、二人三脚だけはダメなんだよ。人に合わせるのって苦手なんだよね」

とか言って参加しなかった。また天宮は

「あなたは私より小春と走った方が早いでしょ、体内時計まで揃ってる二人なんだから」

などと無責任なことを言って小春を推薦した。よって相棒は小春である。正直言って俺が姫野に合わせることは可能なんだが自分自身でダメだと思っている姫野よりは小春と組んだ方がいい。小春自身の運動神経はよくはないがそこは絆でカバーするとしよう。天宮の言う通り息はぴったりだしな。

しかし無常なルールのせいでリアルに七転八倒である。組み方は前後になるわけだが今回は俺が前になっている。小春が後ろから出した手を握るというか捕らえるというか、要はホールドして後ろへの転倒を防ぎ、前に転んでも痛いのは俺だけという何とも騎士道精神あふれる作戦なんだが不安定すぎるためやたら転ぶ。小春の体が極端に密着するという役得があるが生傷が絶えない。なんてのは練習前の話、密かな特訓の成果で通常と同速とまではいかなくてもクラスで一番遅いやつの全力疾走よりは速くなった。ゆえに俺たちは負ける気なんて毛頭ない。完璧だ。

普通こんな前振りした漫画や小説なんかだったら予想外のライバルの出現とか本番に限って転んだりしてピンチ、みたいなことになるのかもしれないがそんなことは一切なく圧勝した。ある意味予定通り、ある意味つまらない。

競技終了後、ハイタッチでお互いを讃える。

「練習通り走れたな」俺が笑いかけると小春も満面の笑みで答えてくれた。

「はい、中里さんのおかげです」

「いやお前が頑張ったからだよ」

「いえいえ中里さんのおかげですよ」

「いやいやいやお前が……」

みたいなことを少しの間繰り返して

「二人で協力したから勝てたんだよな」

ってことにやっと気付いた。

「二人の力、仮夫婦の絆は堅いですからね」

「当たり前だ」

誰かに聞かれたらどうするんだか。ぶっきらぼうに答えたのは照れ隠しに他ならない。

この競技で一組は二組に追い付いた。が続く耐久タイヤ引き(三年選抜)で再逆転を許してしまった。制限時間内に一人がタイヤを引いてトラックを走り一周ごとにタイヤの上に人を一人ずつ乗せていきその人数を競うのだが今年の三年一組は単純に運動能力を欠いているため勝てない。一、二年が頑張るしかないのだ。

二年全員参加の点棒引き(なぜかこれだけ捻りなし)で差が詰まらないまま実質残す競技は三つ、一年選抜リレー、学年選抜の問答無用騎馬戦、三年選抜リレーである。ちなみに一年のリレーと騎馬戦の間にある父兄綱引き、騎馬戦と三年のリレーの間にある教員対抗リレーは割愛する。勝ちに行っている生徒達にとって小休止くらいにしか考えられてないからな。

三年選抜リレーにほとんど勝ち目がない以上残りの二つで一位をとって優勝を決めてしまいたい。特に騎馬戦は配点が半端じゃないらしいので負けられない。

さて、まずはリレーである。俺と姫野、畠中それに天宮も出る。敵は二組だけ、他はもう追い付かれないだろう。

その二組は水口姉妹に加えて二百メートルで関東大会にもう少しで行きそうだったという陸上部期待のホープ、光岡聡次郎氏という切り札までいるまさに不足のない相手になっている。いや勝てないだろ、陸上部には。

しかし例によって例のごとくアンカーの俺と対峙するのが光岡氏である。俺に回る前にどれだけリードしてくれてるかが鍵だ。

銃声とともにスタート、第一走者畠中健太は二組の第一走者水口ももに圧倒され結構なリードを許してしまう。あれも相手が悪いな、たぶん女子最速だろう。続く第二走者工藤さん、下の名前は藍だったと思う。地味に中学からの知り合い、かつずっと同じクラスと付き合いは長いんだが彼女の存在感はまるでウォーリーを探せの一般市民のように皆無で百メートルのタイムで代表を決めた時に工藤藍が誰かを知っていたのは俺と不動だけだった程である。そんな工藤さんだが足はすごく速く、畠中が作ったビハインドを埋めほぼ横並びで天宮にバトンを繋いだ。二組は知らない女子から知らない男子へ。天宮も女子ではトップクラス(ももは別格)だが男相手ではかなり厳しかったようで、ついていくのが精一杯、横並びのまま姫野へと繋いだ。よく頑張った。

二組は知らないやつだったので次は姫野対美々になる。おそらく実力はほぼ互角、ある意味一番見応えがある。次の走者の俺はのんびり観戦ってわけにも行かないんだがな。

絶妙なバトンリレー(相手もだが)から姫野が走りだす。ほぼ、いや完全に互角、互角だからこそスタート位置が内側だった美々が多少リードしている。しかしリレーは集団競技なのだ、幼なじみ同士である俺と姫野の完璧なバトンパスで走り始めた時にはわずかながらリードしていた。背中に虎でもいるのかと思うほどのビハインドプレッシャーを受けつつ全力疾走、クラスのためにも負ける訳にはいかないからな。

もう何も聞こえない、ただただ走るだけ、息苦しいとか足がだるいだとかは気にも止めなかった。無我夢中だった。


結局のところ本気になった俺は光岡氏をそこそこ引き離してゴールテープを切った。後に陸上部から熱烈なラブコールを受けたのは言うまでもない。陸上の才能あるかもな、俺。


さて父兄綱引きをやっている間はリレーで消耗した体力を取り戻すために余計なことをせずおとなしくしていよう。

「中里さん、すごいです!今ので二組にを追い越しましたよ」

学校で小春から話し掛けてくるのは実は珍しい。体育祭で少し開放的になったのかな、いいことだ。

「ああ、そうだな。だけど次が本番だ、俺達は絶対残らないと優勝が一気にきつくなる」

リレーも二人二脚も優勝してこそ価値がある。別に個々の勝利に意味がないとは言わないがやっぱり勝ちたいだろ、全体で、クラスとして。

点数配分はラストのリレーが一位が百点、二位以降二十点間隔で五位だと二十点、つまり最終競技で詰められる点数は最大で八十点になる。次の競技、問答無用騎馬戦は目玉競技なので配点も高い。一クラス三騎、全部で四十五騎の騎馬がしのぎを削るわけだが制限時間まで残っていられた数×二十で点数が入る。リレーとの最大の違いは意図的に狙った相手を潰せることである。要は二組を全部潰して一組の騎馬が四騎残っていればその時点でさっきのリード(十五点、あと五点欲しかった)を合わせて勝ち決定だ。そんなにうまく行くとも思えないがそれ位の意気込みでやるのが重要だ。

「私は出ませんけど頑張ってくださいね。あっ、優勝したら私も何かあげてもいいですよ?何が欲しいですか?」

なんつーか勘違いしそうな台詞だな、いやいい加減慣れたけど。

「勝ったら考えるさ。お前も考えとけよ、俺から何貰うか」

勝ってくることを暗示させる発言をしつつクシャッと小春の頭を撫でる。普段は学校でこんなことはしないんだがどうやら俺も開放的になってるらしい。

ルールは男子三人で組んで上に鉢巻きを付けた女子一人を乗っけた騎馬で鉢巻きを奪ったり直接潰し合ったりするシンプルなものだ。どのへんが問答無用かというと制限時間が三十分というありえない長さなところでそれに対しての苦情を防止するためでもあるらしい。

一騎残るだけでは三年リレーに負担が大きくなる(=勝ち目が薄くなる)ので戦力は分散させる。

残念ながら一年一組は総合的な運動能力はあまり高くない。一部の人間が士気を高めることで全員出場競技をやりすごして選抜競技でその一部が勝つって感じだ。体力テストの結果から女子三人を選んだところ結局天宮と姫野、そして工藤さんになった。男子の代表も同じ方法で選ぶと俺、畠中、不動、福生、関口(バスケ部)、池田(サッカー部)等々。正直二騎残ればいい方といったところか。

俺の騎馬は前に俺後ろに福生と池田、上に工藤さんの編成。工藤さんはあんまり交戦的ではないけど持ち前の運動神経で鉢巻きを守ることにかけてはプロ級(プロなんていないだろとかいう突っ込みは却下だ)、俺自身も騎馬の命を優先しつつあらば体当たりで崩す、確実に二十点を取りにいく戦法である。どうせ姫野と畠中が組んでたら何を言ってもやりたいようにやってそれなりに戦果を挙げるだろうから俺達が無理する必要はない。


競技開始、クラスで固まって動く。三十分の長丁場、体力も考えないと騎馬を組んでいられなくなるからな。真っ先に動いたのは四組だった。学年を越えたなかなかの連携で五組を二騎はめ殺し、開始二分のことである。そのまま流れるように距離をとり反撃する暇を与えなかった。意外にも強敵っぽい。指揮をとっているのはどこかで見た顔だな。

「おい、福生、四組のボスって誰だ?」

「ああ、生徒会長だね。名前は、なんだったかなあ」

飽きれ気味の声を出してるくせに知らないのかよ。俺も知らないけど。

「日野原こころさんです」

上にいた工藤さんが教えてくれた。彼女は影薄いけどしゃべらないわけじゃない。まあまだしばらくは様子見の段階だから雑談する余裕もある。

しかし生徒会長日野原こころ様は潰せると判断した五組に攻め入った。上から指示する姿は可憐な戦神、五分で五組全てを潰してしまった。はっきり言おう、五組は弱くない。一年はぱっとしないが三年には柔道部主将を先頭に置いたパワフルな騎馬があったし二年にも女子剣道部のエースがいた。しかし常に数的有利に持ち込む采配とそれに忠実に従う人間達はまさに女王を中心に戦う騎士だ。ここで四組に百八十点丸々とられるとそれだけで追い付かれる危険性がある。あれからは逃げ、もとい戦略的撤退するしかない。



その後、疾風のごとし四組騎馬隊は三組全てと二組の八騎、ウチの六騎を削り取った。逃げ後れた先輩を囲んだ中の一騎を不意打ちで、美々が二騎を相討ちで潰すも四組はいまだ六騎を保ったままだ。そして今天宮と不動が組んでいる騎馬がついに捕まってしまった。四騎に囲まれ仕方なく二騎の間を強引に突破しようとしたがかなわずその二騎を道連れにするも力尽きた。これで残るは姫野と工藤さんのみ。

「ごめん、光希。あとは頼んだよ」

「すまん、データだけではどうにもならなかった。だが勝ち目はあるぞ。日野原会長を狙え」

不動が最後の策を授けてくれた。

「お前らは両方生きなきゃダメだ、少しでも勝率をあげるために。会長は確かに物凄い統率力だが自分自身は二騎を相手にできるわけじゃない。一気に頭を叩けば崩せるはずだ」「私も一つ。あの二年生の騎馬が穴よ。あそこから奇襲しなさい」俺達が話を聞いてるうちに二組のラストの騎馬が潰されていた。さて行きますか。

畠中と肩を並べて移動し四組と対峙、一斉に取り囲みにかかってくる。天宮が言ってたところに俺が体当たりして姫野が鉢巻きを奪う。そのまま流れるように会長に襲い掛かる。

「ふむ、実に聡明な判断だ。期待どおりだ」二対一の状況にも関わらず会長は不敵に笑った。


とはいえこの二対一の瞬間は長くない、残りの騎馬が回り込んでくる前にケリを付けなければ。右側から工藤さんの、左側から姫野の腕が伸びる。

「破っ!」

生徒会長の怒号とともに腕がしなり手刀が振り下ろされた。連続で高速なそれは二人の腕を次々に叩き落とす。やべえ、強すぎる。たぶん格闘技とか護身術の類を学んでるんだろう、二人がかりでも動きを止めるのが精一杯だ。

俺は考えた。残り時間は三分もないだろうがタイマンになったら会長の餌食になる、でもこのままでも相手は崩れない。生徒会長は相手にするだけ無駄なので下の人間を潰した方が効率がいい。下にいるのは宇井俊介先輩だ、容赦なくやれる。

「工藤さん鉢巻きだけ守って!」

返事を待たずに横からからタックルする。

「ぐふっ、貴様……」「今回は手加減なしですよ、クラスのためにも」

ぐらりとゆれる騎馬、しかし会長は揺るがない。さらに

「だがこの程度で俺を倒せると思うな!」

地味にいいガタイしてるんだよ、この人は。さすがは生徒会長が下に選んだだけある。だがこっちは二騎いるんだよ。

畠中に顎で合図してもう一度体当たり、しかし咄嗟にしては素晴らしい反応で合わせられて受け止められる。そして一瞬の硬直、すかさず飛んでくる手刀。工藤さんはそれを両手でするりと綺麗に受け流した。そして硬直した瞬間から猛ダッシュしていた畠中が宇井先輩に突っ込んだ。そのまま騎馬が倒れる。勝った!気が緩んだ。手刀一線!倒れざまに姫野の鉢巻きを狙った攻撃、予想外の攻撃に姫野が崩れ駆け付けた騎馬に押し切られそうになる。だが忘れてないか?

「工藤さん!」

「はい!」

急造タッグながら息の合ったプレー、掛け声とともに電光石火の突撃で一騎から鉢巻きを奪いさらにもう一騎も「あっ……」

鉢巻きに手を伸ばした工藤さんに相手の掌底がめり込んでいた。

「下がれ!」

慌てて引く、姫野を潰すための攻撃の流れ弾が当たってしまった。相手にも予想外だったらしく鉢巻きは取れられなかったが俺の背中にぐったりと寄り掛かっている工藤さんは保健室に運ばなければならない。

結局姫野も相手もいったん下がったところで時間切れ。優勝は微妙なところだが、今はそれどころじゃない。

工藤さんを背負ったまま保健室へ。どっちにしろここへは来る予定だったがまさか怪我人の搬送も兼ねるとは思ってもみなかったな。

幸い工藤さんに異常はなくしばらく安静にしていればいいという話。まあそこまで大事になるはずもないけどな、俺が大袈裟なのだ。

閉会式終了まで保健室で待機、あと二種目はリレーだから怪我もなさそうだ。前の一時間からいた成瀬先輩もなぜか残っていた。大方閉会式をさぼるためだろうが、俺も暇だから大歓迎だ。

「それにしても中里くん、熱いわねえ。工藤ちゃんが倒れたときなんか、下がれ!とか叫んじゃって」

なんてタチが悪いんだ、この保健医は。

「いやあれは仕方なく……」

「いいのよ、照れなくても。かっこよかったし、ね?」

長机にだらりと頬までつけて小さな手を限界まで伸ばして俺の頭をよしよしと撫でつつ前に座っていた先輩に振った。

先輩はこっくりと頷きイスの車輪をがらがらいわせながら近づいてきて

「……かっこよかった。……頑張ったね」

いいこいいこされる。二人に撫でられて何だか居たたまれない気分になっていると表でピストルの音が聞こえた。どうやら教員リレーのようだが興味ない、というより疲れた。リレーと騎馬戦連チャンはつらい。

撫で回し地獄を振り払って(実際は謝って)空いているベッドに仰向けに寝転んだ。保健係特権だな。

もうこのまま寝るか。目蓋を閉じる、同時に右腕に何かが抱きついてくる。目を開けなくてもわかる柔らかな感触、成瀬先輩以外ありえない。

「汗かいてますよ?」「……いい。……お疲れさま」

もうぼんやりとした意識の中、先輩の声が響くように聞こえていた。さらに

「そうそう、あれだけ頑張ったんだからご褒美あげないと」

左腕に養護教員が寄り添ってきた。

「ご褒美、魅力的ですね。でも蓮さんは寝たいだけでしょう?」

たっぷりと嫌味を込めて言ってみる。蓮さんは案の定拗ねた口調になって

「むう、そんなことないよ、素直じゃないんだから。じゃあこれならどう?」

ごそごそ動いて俺の腕を枕にしてぴったりとくっついてきた。先輩より豊かな感触が、っていいのか?まずいんじゃ?まともな思考が一瞬頭をよぎるもその甘い香りと温かみに増幅された眠気にあっさり負けて夢の中に放り込まれた。


ゆさゆさと揺さ振られて目覚めると目の前には工藤さんがいた。

「おはよう」

「おはよう、大丈夫?」

一応安全確認、見た限り元気そうだが。

「うん、もう平気。ありがと。そろそろ閉会式だよ」

体を起こして回りを見る、両隣は寝る前と同じ状況か、いやよく見ると成瀬先輩も腕枕状態になってるな。そしてその姿をバッチリ見られてるな。

「俺は保健係だからここにいないといけないんだよ。それより今の状態どう思う?」

「そうなんだ。中里くんはいつもそんな感じなんじゃない?」

からかうような口調、案外親しみやすいやつじゃないか。

「ひどいな、お前は俺のことそんな風に見てたのか。俺は憧れていたのに」

「あんまり冗談がすぎると中里くんが保健室で成瀬先輩と宮原先生に口では言えないような事をしてたって貼り紙するよ?」

「それだけはご勘弁を、何でもしますから」

「本当に?」

顔が悪戯したくてうずうずしているって感じだな。工藤さんってこんなキャラだったのか、もっとおとなしい、それこそ小春みたいなのかと思ってたんだが人間見た目じゃわからんことも多いってことか。

「今のはその、言葉のあやってやつでして、お手柔らかにお願いします」

クスリと笑ってから

「あたしもここで閉会式さぼっていい?」

「それくらいなら全然いいよ」

横の二人を起こさないように器用にベッドから降りて長机の前のイスに座る。となりに工藤さんも座る。

「そういや優勝は?」確か三年生がリレーで三位以上にならないといけなかったはずだ。「ウチのクラスです、あたし達のおかげ」

おお!マジか!?半ばあきらめてたから嬉しさ倍増だぜ。

「三年リレーは?」

「二組が予想どおり一位、一組はなんとか三位でギリギリ優勝だって」

そうかそうか、よくやったな。

「でもいいの?中里くんなら一年の優秀選手どころかMVPだって夢じゃないのに閉会式に出ないで」

「まあいいだろ、あとで聞けば。工藤さんが殴られても落ちなかったからだな」

パタパタと手で顔を扇ぐ仕草を見せて

「やめて、褒められるのは苦手なんです」

急に敬語になりやがった、面白いやつだ。とか思っていると扉がバンと開かれ誰かが入ってきた。

「成瀬さんと中里くんいますか?」

「いますよ」

実行委員の人だった。なんと俺は最優秀選手、MVPに選出されていた。なんてご都合主義的なと思うかもしれないが実際今年の先輩はみんな平均的で活躍した一人ってのは選びづらそうだったし(負けたクラスの優秀選手は会長で決まりだろうが)、俺はリレーの一位に貢献、騎馬戦でのインパクトをはじめ普通の競技でも負けなし、十分頑張ってるだろう?……本当はパンチに堪えた工藤さんや地味に活躍している姫野とかでも全然不思議はないと思うけどな。

別に辞退するほど自惚れてもいないので校庭に向かう。そういや成瀬先輩も学年の優秀選手なんだろうか?あんまり見てない気がするが。

特設舞台の上にはすでに三年優秀選手、リレーで三位になった原動力、森田先輩、一年優秀選手、全種目でその運動能力を遺憾なく発揮、姫野あゆみ、負けたものの威厳を保った鬼神、生徒会長日野原こころ、二年優秀選手、なんか騎馬戦に出てたけどよく覚えていない大友先輩の姿があった。ってちょっと待て、成瀬先輩は?

「おーっと、ここで一組優勝の立役者、中里光希氏の登場だー!!さっそく一言もらいましょう!」

テンション高いな、何言えばいいんだろ?

「えー、優勝は一組全員が頑張ったからです、俺はたまたまよく見えただけでみんなで掴んだ優勝だと思ってます」

わあっと盛り上がる一組、無難にこなしたぜ。

「殊勝じゃねえか、この野郎!じゃあ最優秀選手の福賞、学校投票で選ばれたプリンセス!二年連続は史上初!成瀬冬香嬢だ!!!舞台ににカモーン!」

一瞬にして血の気が引く、忘れてた。ちくしょうそういうことか、そりゃいくらなんでも成瀬先輩が優秀選手なわけないよな。

「羨ましいぜ、この投票は体育祭以前、GW明けに何も事情を知らない状態で行なわれたもんだからガチな学校一の美少女だ!!それじゃさっそく行ってみよー!!」

確かに主旨知ってたらMVPをハメてやろうとか思う輩もいるかもしれない、そう考えると幾分マシだ。加えて成瀬先輩ならもう何されても驚かないレベルな気がする。

おずおずと現われた成瀬先輩、今まで知らなかった人の驚きの声が上がる。ウチの妹と似たような現象だろう。そんなことはどうでもいいが「よく見えるようによろしく」耳打ちされたことでとさっき引いたはずの血が今度は沸騰したみたいに熱くなった。顔は熟した林檎のように赤くなっているだろう。開き直ったつもりだったんだがどうやらつもりになってただけみたいだ。成瀬先輩の頬にも軽く朱が差していて普段より色っぽい。

「お手柔らかに……」

「……嫌、光希だから遠慮しない」

諦めて右頬を差し出して目を閉じる。超恥ずかしい、早く終わってくれ。

小さな手が右肩にかかり反対側の手が俺の左頬に添えられる。なんかおかしくないか?

うっすら目蓋を開けると成瀬先輩の顔がすぐそばににあった。ぐいっと顔の向きを変えられ向かい合い、そのまま唇が触れ合う。

「んっ……」

漏れ出た声がマイクで増強される。道徳的というか倫理的というかとにかくやばいと思う。だが瞳を潤ませ顔を朱に染めた成瀬先輩を振り払える男なんて存在しないんじゃないんだろうか。

さすがに舌を入れたりはしない触れ合うだけのキスに終わったが予想外の事態(唇)に生徒と教師の怒号が校庭中に響いているのに気付いたのはその感触が離れてからだった。その間俺は天に召された気分に浸っていたからな。



一段落してフォークダンスへと洒落こんでいる。キスしようがお咎め無し、素晴らしい学校である。

さて誰と踊るかね?まあ結局は知ってるやつ全員と踊るんだけどな。


とりあえずは美々とでも踊るか、今日はずっと敵対してたし。

探すのに少し手間取ったがなんとか発見、適当に踊る。

「光ちゃん、お疲れさま♪あの子を守った時は本当にかっこよかったよ、惚れ直しちゃった」

「何言ってんだか。お前も頑張ってただろ。たまたまだよ、たまたま」

「もう、謙遜してえ。でも楽しかったよね?」

「ああそうだな、ってそんなにはしゃぐな、ステップでかいんだよ」

「しょうがないよ、光ちゃんと踊ってるんだから」

「意味わからん」

やたらと広い範囲を移動しながら知らない音楽にあわせて気の向くまま踊った。疲れたけど楽しかったな。

次に姉であるももと踊る。

「水口さんは何で騎馬戦出なかったの?」

「あらあら私が騎馬戦に出るように見えます?怖いですよ」

確かに見えない、だが彼女の戦闘力は生徒会長をもはるかに凌駕することを知ってる身としては納得いかん。 「本音は?」

「可哀想だからです……もちろん冗談ですよ?」

背筋がぞくっと震えた。なんか救われたな、色んな意味で。


お次は姫野か。同士よ、勝利の喜びを分かち合おうじゃないか。

「やったね!優勝だよ、ゆーしょー」

「わかったわかった。とにかく落ち着け。そして騒げ」

「そんな、無理だよう。光くんだって本当は思いっきり騒ぎたいくせに何で我慢してるの?」

そうなんだよ、暴れたいんだよ、俺は。でもな今は

「今はフォークダンスだからな、ゆっくり勝利を噛み締めた方がいいんだよ」

少し考えて

「うーん、そうかもね。まあぼくは光くんといられれば騒いでても踊っててもすごく嬉しいんだけどね。だから今だって嬉しいんだから、ドキドキするし」

急にしおらしくなるなよ、俺もドキッとするだろうが。さすがは校内投票で成瀬先輩に次いで二位だっただけあるな。

「恥ずかしいこと言ってないで踊れ」

「あれ?そこ違うよ?そんなに動揺しなくても」

「ダンスなんてそもそも小学生がやるようなやつしかわかんないんだよ」

そのあと姫野を引きずり回して遊んだ。やっぱり面白い。


続いて成瀬先輩の登場である。もはや学校中にその名を知らしめた学校ナンバーワンアイドルである……言ってるだけで笑えてくるな、ここまでアイドルってのが似合わない美人も珍しい。やっぱりこの人を形容するんなら「人形みたいな」が一番合ってるんじゃないだろうか。

「先刻はどうも」

「……」

こっくり。

「先輩ダンスお上手ですね」

「……それなりに。……コウキ下手」

もう立ち方から違う先輩は普段は見せないきびきびした動きで俺を翻弄した。この人なりに合わせてくれているようだが場数の差かまったくついていけない、こんな才能があったとは。

ようやく慣れてきた頃に成瀬先輩から口を開いた。珍しい。

「……嫌だった?」

「はい?」

何が?と一瞬思ったが考えるまでもない、別にそこまで鈍感でもない。

「……その……キ…キ…キス…が」

顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。これはこれで斬新かつ可愛い。

「全然。嫌なはずないじゃないですか。ただ少しびっくりはしましたね、さすがに」

普通の感想、もっとしてくださいとか言ってもよかったが調子に乗るとリアルにどこでも(最初が全校生徒の前だが)されるからやめておこう。

「……ならいい」

「去年もあんなことしたんですか?」

「……してない、ほっぺただけ。……コウキだからって言ったでしょ?」

別に成瀬先輩に恋愛感情を抱いているわけじゃないが安心した。二年連続って聞いたときは何ていうか姉が知らない男に奪われたような感覚に襲われたからな。

ところでさっきから先輩の顔は赤いままだ。今のうちにからかっておこう。

「先輩、照れてるんですか?」

ふるふると首を振る。「照れてますよね?」

ふるふる。

「顔赤いですよ、大丈夫ですか?」

こくこく。

「やっぱり照れてますよね?」

ふるふる。

首を振りながら踊る先輩は人形は人形でも操り人形って感じで面白かった。


続いて天宮、そろそろ疲れてきたんだが。

「なんかやつれた?若いんだからシャンとしなさいよ」

「もう五人目なんだよ、しかもやたら活きがいいし……ぐふっ!」

踊る流れの中で膝を腹に入れられた。

「本人の前で言うことじゃないでしょうが。まったくそんなんじゃ小春を任せられないわよ?今日もあんな綺麗な人と大胆行動に出ちゃうし、大丈夫かしら」

「ゴホッ、ちょっとは加減しろ。大体別にお前に小春を任せられても困るんだが」

「はあー。まあいいわ、頑張りなさい。」

「お前はいったい何がしたいんだ?」

「さっきの見て小春の将来が心配になったの。光希、小春を泣かせちゃダメよ?これ以上はまた今度にするわ、今は私とダンスを楽しみなさい」

どうでもいいけどこいつおかしくないか?なんでいきなり説教されにゃならんのだ。今回の最優秀選手だぞ?

密かに蹴りのチャンスを伺っていたが結局やらずじまいだった。

そしてしんがりはもちろん相川小春嬢である。控えめにゆったりと踊りながらまったり話す、これぐらいがフォークダンスには丁度いい、さっきまでは動きすぎた。

「お疲れさまです、優勝できてよかったですね」

「お疲れさん。喜びが足りないぞ、もっとはしゃげ」

「いえ、中里さん本当に疲れてるみたいですから。顔見ればわかりますよ」

そういって少し心配の色を混ぜながら微笑した。

「いいんだよ、祭りの後にぶっ倒れてでも今楽しまなきゃ損だぞ?」

「はいはい、そんな顔で言っても説得力ないです。そもそも本当に倒れられたりしたら私が気が気でなくなりますよ」

確かに。つーかそんなにひどい顔してるだろうか?実際結構強がってはいたがそんなにあっさり見破られるとは小春おそるべし。

「そんなに疲れて見えるか?」

「それはもう。踊っていて申し訳ないくらいに。でも私は中里さんと踊れるだけで嬉しいですから付き合ってくださいね」

小春に何か頼まれるってのはなんか新鮮だ。基本的に小春は欲が無さすぎる、というより欲を表に出さなすぎる。これは人に優しくできる彼女の長所であると同時に自分よりも他人を優先するあまり損をすることも多々ある短所とも言える。欲しいものは素直に欲しいと言ってくれた方がいいことも世の中には結構あるのだ。ちょっと試してみよう。

「そういや優勝したら願いを叶えてやるって約束だったな、何か考えたか?」

予想通りに困ったような顔して

「私は学校行事を楽しめただけで十分です、それより……」

ダンスの流れの中、自然に小春を引き寄せて胸に押し付け声を遮った。天宮が妙なこと言ってたせいか、体育祭後で気分が高揚してたのか、やたらと感情的になって思った通りに行動していた。理性を失ったってわけではなかったが。

「もっと欲張りになっていいんだぞ、少なくても俺の前では」

「で、でも」

「でも、ストもない、仮夫婦なのに水臭いんだよ。なんか一つくらいあるだろ。俺にできることなら何でもいいって言ってんだぞ……あんまり金はないが」

「ふふふ、最後がなければかっこいいのに……。わかりました、ほんのちょっぴりわがまま言います。でも帰るまで待ってくれます?何も考えてないんで」

「ああ、もちろん。よしよし」

素直なやつだ、本当に。まあ待ってくださいくらい言えるようになってほしいが急には無理だろう、のんびりやればいいさ。

「中里さんも考えておいてくださいね、私にできることなら何でもいいですよ」

そういや俺にもなんかくれるのか、忘れてた。でも

「いや、そんな、悪いッ!」

小春の腕ががすっと伸びてその人差し指が俺の口を塞ぐ。その視線は冷ややかだ。

「仮夫婦なのに水臭いですよ?中里さんも私に遠慮することないんですよ」

しまった、まったくもってその通り。

「そうだな。でももう少し待ってくれ、何も考えてないんでな。……人に優し過ぎるのはお互い様か」

「そうですよ」

にっこり笑う小春の顔は何だか晴れ晴れとしていた気がする。気がするだけかもしれないが。

「今は踊ろうか、めったに無いことだしな」

「あはは、そうですね、楽しまなきゃいけません」

くるくると俺の回りを舞踊る小春は普通に綺麗だと思った。


これにて長かった体育祭も終了、それぞれの家路に着く。ここ最近は係の仕事があったから小春と並んで帰るのは久々だな。

「そういえばこれでまた二人で帰れますね」

「そうだな。早く帰って寝られる」

「何で捻くれてるんですか?素直に喜んでくださいよ」

ぷくっと膨れてみせる小春。学校では無口なんだが二人でいる時は本当によくしゃべる。もっと友達を増やしてほしいと思う反面他の奴には知られたくないと思ってしまうのは悲しき独占欲。

「言われなくてもわかってる、嬉しいって。それはそうと俺の前は誰と踊ってたんだ?フォークダンス」

俺が五人も相手している間ずっと一人ってこともないだろう。小春の容姿なら誘いなんて吐いて捨てるほどあるだろうし。

「なんでいきなり……。まあいいですけど。色々な人が声をかけてくれましたよ。だから一曲ずつ代わる代わる踊りました」

「そうか」

「何だか沈んだ顔してますね。これはその、嫉妬、ですか?」

この後必死に言い訳するも聞いてもらえずからかわれてるうちに家に到着。

「ただいま」

「おかえりなさい」

後ろから言われたよ。ああ疲れたな、寝る前に風呂入るか。

湯を張っている間の話。

「賞品は決まったか?」

「いいえ、決まってません」

言い切るなよ、俺も決まってないけどさ。

「でも決めますね。うーん……じゃあキスしてください」

「はあっ!?」

また天宮の入れ知恵じゃないのか?それとも小春流の冗談か?

「えっと、今日の成瀬先輩の幸せそうな顔が忘れられないっていうか、その羨ましかったんです」

あの人は影響力でかすぎるんだよ。小春をここまで大胆にして……いや昔からか。まあなんか興味本位みたいだしいいか、今更キスくらいどうってことないし。どうせなら

「俺にもしてくれるか?キス」

「えっ?」

「俺にもくれるんだろ?確か何でもいいんだよな?」

「ああ、そうですね。いいですよ」

軽いなあ、頼まれたら誰でもしちゃうんじゃないか?

「言っておきますけど中里さんだからです、他人にはしません」

顔に出たか。そりゃそうか。

とりあえず風呂、明日は休みだから疲れを残したくないからな。理由になってない気もするが小さいことするな。

俺の後に入った小春の風呂上がりにいきなり

「今日は早く寝たいから早くすませるぞ」

びっくりして声も出せない小春を拘束する。抱き締めた体はあったかくて柔らかい。まだ湿った髪をするりとすくように撫でる。小春は穏やかな顔になってゆっくり目を閉じた。整いすぎている顔、そっと口付けた。

「んっ、ふう」

一息ついたところに今度は小春が不意打ち気味に俺の唇を塞いだ。

「成瀬先輩の気持ち少しだけわかった気します」

その晩は久しぶりに一緒に眠った。まあ俺達はまだまだ子供だから何も起こらないが疲れはとれる気がするからな。






次が最終話です、できれば最後までお付き合い願います


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