第二話
学校へ行きます。
周りの生徒の反応は?
第二話
宿題もなく真の休息であるはずの春休みで普段では考えられないほど精神を消耗したとはいえ、学校が始まるというのは非常に鬱な話である。
とはいえ、同じ中学のやつらもそこそこにいるし、つまらなくはならないだろう。
適当に制服を着て、適当に飯を食って、小春が作ってくれているので大分楽だが、ちょっと早めに登校する。
初日から遅刻するわけにはいかないとの小春の意見によるものだ。
俺としてはもう少しのんびり行きたいところだが言ってることの正当性は明らかなのでまあ無駄に抵抗することもなく従う次第だ。
よって始業式の二十分前には学校に到着した俺達は特にすることもなくただただ時が経つのを待つばかり。
ちなみに俺と小春は一年一組で水口姉妹は二組である。
ついでに加えるなら俺の幼稚園からの腐れ縁である野郎も同じクラス、中二の一年間を除いて全てを同じ教室で学んだその男は
「うっす、光希、元気してっか!」
こんなノリのよく言えば親しみやすい、悪く言えば軽口なやつで、その名を畠中健太と言う。
ただ早起き、実際はそこまででもないが普段いやちょっと前からの俺からすれば早起きをしたのでテンションが低すぎる。ゆえに俺は適当な返事をする。
「うーす。まあ人並みにな。」
「おうおう、なんか眠そうだな、いつもながら。始業式くらいしゃきっとしろ、しゃきっと。」
だらりと軟体類のように机に突っ伏す。寝るか。
「人の話聞いてんのか、てめーは。全く‥‥‥おっ、ちょうどいい所にきたな。お前らもなんか言ってやれ。」
増えたのか?これまた軟体類のようにぐんにゃりと顔を上げるとそこには
「おっはよー!ちょっと光輝ちゃんにしては早すぎるかもねー、でも学校にいる間はだらだらしちゃダメだよ?若いんだから。」
水口、わざわざ隣から来なくても…。
「まあまあ、眠くなるのはわかるわ、私もとっても眠たいもの。」
水口さんまで。ややこしい?気にするな。
「まあ人それぞれじゃないかな。のんびりしたい人もいれば、元気に過ごしたい人もいる、まあ僕はどちらかというと前者かなあ。」
こいつは福生尊久、中学時代からの友人であり俺達の中では一番まともな人間だと思う。つねにニット帽をかぶっている点を除けばな。
それにしても朝から暇なやつらだなあ。などと考えながらふと小春を見ると後ろの席の子(♀)と親しげに話している、知り合いだろうか?
まあいい、今は眠りたい。取り巻きは取り敢えず無視することを決め込み、再び机に体を預けようとしたその時ガラガラという音がした後に
「おはよう!諸君!!さあ席に着きなさい。」
やたら声の大きい教師が入ってきた。
「じゃあねー。今日は一緒に帰ろ?」
首肯をくれてやり、体を起こす。
「ではまたあとで。」水口姉妹が教室から出ていくのを見送り教師を見る。明らかな体育会系、すさまじい筋肉だ。
担任は当たりとは言い難いな、これは。
「私の名は北村清孝、一年間君たちを受け持つことになった。よろしく頼むぞ!ちなみに剣道部と柔道部の顧問を兼任している。誰でも大歓迎だぞ!」
全くもってダイナミックな御方だ。
「言い忘れていたが、担当科目は地理だ!」
体育じゃないのか!?早くもこのクラスの心は一つになっている、そんな気がした瞬間だった。
さて、始業式のプログラムはサクサク、というよりはネバネバ進み、まあ言うまでもなく好調の意味がわからない有り難い念仏を聞かされた後、先輩の校歌を鑑賞して再びホームルームとなる。
時間割りとクラス名簿が配られ、何事もなく一日が終わった。しかし実はこの時すでにことは動きだしていたらしい。油断していたとしかいいようがない。
俺的いつものメンバー畠中健太、福生尊久、水口みみ、もも、そして俺なわけだが、小春が一緒に帰ることを考えると畠中と福生は少々都合が悪い。
二人暮しがバレてもいいとは思っているが自分からバラすほど酔狂でもないからな。
というわけで適当な理由をつけて(まあ学校を出て二、三分で彼らとは道が分かれるんだが)一緒に帰ることを回避した。
しかしいつまでも回避し続けるわけにもいかない、対策はどうしようか。まあ後々考えるとしよう。
昼食後、後ろの席の子について聞いてみた。
「ちょっと見てたんだけどさ、あの後ろにいた子って知ってる子だったのか?」
いきなりの質問にびっくりしているようだ。確かに俺の席は教室中列後方なのに対し、小春は教室廊下側の最前列に位置している。
まあ出席番号において相川という名字が他を寄せ付けない圧倒的な早さを誇っているからな。俺はちょうど真ん中くらいだが。
「あっ、えっと、はい。小学校の頃からの親友なんです。天宮真琴ちゃんっていうんですけど。」
「そっか。知り合いがいて良かったな。」
「はいっ。真琴ちゃんとはずっと一緒でしたから。」
「で、その天宮さんには俺のことは話した?」
「あっ、はい。見破られちゃって…」
「見破られた?」
「はい、いきなり何かあったの?って聞かれてそのあとの追求から逃れきれなかったんです。すみません…」
またそりゃすげぇ洞察力だな。
「いや、俺は別にいいんだけど、小春はやっぱり二人で暮らしてんの知られたくない?」
正直俺はどうでもいい。別に支障はないだろ。しかし男と女では色々と変わってくるのかもしれないしな。
小春は首を横に振った。
「いえ、気にしないですよ、家族ですから。」
結構信頼してくれてるみたいで嬉しいね。
「でも、私達からはあまり言わないでおきましょうね。」
小春が付け加える、まあ当たり前のことさ。
「ああ、厄介ごとはできれば回避したいしな。」
小春はこくりと頷いた。
そして翌日、日直である小春(出席番号が最速だと色々面倒だな)は先に行ってしまったので一人でとぼとぼ歩いていると背後から忍び寄る影が、
「うーす、光希っ!」畠中だ。
「うーす。」
そのままくだらないことを話ながら学校へ。そして席に着くとこいつが思いも寄らぬことを言い出した。
「そういえば、お前と相川ってやつは一緒に住んでんのか?」
何で貴様がそのことを知ってやがる!?
「なんだ急に?」
平静を保つ、かなりぎりぎりで。
「いや、昨日名簿を見てたら最初の住所に見覚えあるなあと思ったら、お前んちの住所だったからよ。」
しまったー!!!
全くもって何たる不覚、いくらこいつが馬鹿でも幼稚園の頃から十年以上も年賀状を書き続ければ住所を北海道の濃霧の中から一キロ先をみるくらいぼんやりとは覚えるわな。というより二人とも住所が同じならバレるのは時間の問題じゃないか。何で気付かなかったんだろうか。まあバレてしまったものは仕方ない。下手に言い訳するよりはきちんと説明した方が精神衛生上好ましいだろう。
「それについては放課後説明してやる。だからそれまでは誰にも言わないでくれ、頼むから。」
珍しく真面目な俺に同情してくれたのかわからんが
「あ、ああっ、わかった。」
同情というよりは不審なやつを見るような目だな。まあ仕方ない。何もかもが仕方ない。そしてもう一人。
「昨日名簿見たんだけど…」
「それについては放課後説明してやる。それまでは何も言うな。」やはり気付いていたか、福生よ。全くもって素晴らしい友人達をもったもんだな。やれやれ。
そして放課後。
集まったのはいつものメンバー+相川小春+天宮真琴。
天宮嬢は一度俺と話がしたかったらしい。小春の唯一無二の親友ならこれから長い付き合いになるであろうから俺も話しておきたかったのでついでにきてもらった。
「じゃあ、話すぞ。言っとくがこれから話すことには嘘偽りは一切ないからな。」
さて、それから俺は春休みの出来事を語った。まあ家族やら夫婦やらの部分は特に必要ないであろうから省略したがな。
「‥‥‥」
絶句する畠中。大袈裟な、いやこれが普通なのか?
「へえー、そうなんだ。これからよろしくね、相川さん。」
「あの、よろしくお願いします。」
意外に動揺していない福生は常識的な挨拶を交わした。こいつも順応性はかなり高いようだ。
「そっか、そっか、だから小春があんなに変わってたのかあ、この色男!」
バンバンと俺の背中を叩き、高らかに笑いながらそんなことを言うのが天宮嬢である。ちなみに地味に、いや派手に痛い。小柄(といっても小春よりは一回り大きい)割りには力が強いな、俺の背中には数ヶ所紅葉が浮かび上がっていることだろう。
「あたしは天宮真琴、小春とはもう十年の付き合いになるね。これからよろしく!」
非常にハキハキしている。明るいやつだな。
「俺は中里光希、よろしくな、天宮さん。」
「もう、いいんだよ、真琴で。そんな天宮さんなんて水臭いんだから光希は。」
なんというか親しみやすいやつであるということはわかった。
そして我が友二人、特に畠中もなんとか理解してくれたようだ。
「で、このことなんだがお前らみたいに気付いたやつは仕方ないんだが、できることならクラスのやつらには気付かないままでいてもらいたい。だから黙っておいてくれないか?」
切実な願いである。
「ああ、わかったよ。新学期早々騒がれるのはお前はともかく小春ちゃんが可哀相だしな。」
天宮さんが言うと親しみやすいなのにこいつが言うと馴れ馴れしいと感じてしまうのはなぜだろうか。とはいえ友達になりやすいという観点から見れば動転モードから復活した畠中はかなりハイスペックである。
「それもそうだね、わかったよ。」
ニット帽をかぶったこの男は人に反論するなんてことは滅多にしない。予想通りとも言える答えだ。
「どうしよっかなー?初めて小春が男の子と話してるかと思ったら同居だよ?この感動を多くの人に伝えたいしなあ…」
肩に掛かるくらいの髪をさらりと掻き上げながら悪戯っぽく微笑んだ。中々意地が悪いね、しかも小春の性格を知り尽くしての発言だ、質が悪い。
「ええっ!あの、その、えっと…」
案の定錯乱してるな。そこで追い打ちをかけるようにして
「そうよねー、あの光希くんが女の子と同居だもんねえ。みんな驚くわね。」
そしてすべての事情(家族とか以下略)を知りながらもこんなことを言う水口ももは天宮以上に質が悪い。
「えー、ダメだよう、本人の意見はそんちょーしないと。私は黙っててあげるからね、光希ちゃん♪」
みみはどうやらこっちの味方らしい。
「あの、お願いします、どうかこのことは内密に…」
何ていうかちょっと大袈裟な気もする言い方で小春も頼む。
極悪コンビは互いに顔を見合わせて同時に吹き出した。
「わかってるわよ、そんな真剣にならなくてもそんなことしないって。」
「そうね、ちょっとしたオーストラリアンジョークよ。光希くんが嫌がるようなことを私がするはずないじゃない。」
別にオーストラリアだろうがイタリアだろうが構わないが最後の俺の嫌がることはしないってのが気になるな。これまでの悪業の数々は語ると千夜一夜でも足りるかどうかわからないからな。まあここは信じておくとしよう、俺だけならともかく小春にも関わることだし。
こうして俺のいつものメンバーは五人から七人に変わった。また騒がしくなりそうだ。
それから三日間はわずかな安息の時となった。何もない、午前中までしかない授業を受けたあとは七人で再び開かれたパーティに出たり、速攻で帰って二人で飯を食ったりとまあ日常的だったわけだ。しかし、当然ながら授業が本格的になって学校の営業時間も通常になってくる。
「半日と午後に二時間あるのは肉体的にも精神的にも大違い、それはまるで四十二、一九五キロを半端だからと四十三キロにされたようだ!」
と熱弁してくれたのは畠中であり俺はそんなことは思っていない。というのも俺は授業は睡眠学習で励むことにしているので家で寝るか学校で寝るかの違いしかないからである。確かに家の方が眠りやすいことを考えれば長い間学校にいることは少なからず欝とも言える。しかし畠中も普段は俺と同様に睡眠学習のはずだが。例えが微妙なのはそのためかもしれないな。
この時俺は学校が長引いた時の重要な点をすっかり忘れていた。最近はうっかりミスが多くてかなわないな。
睡眠学習を終え、昼休みを迎えた時そのことに気付いた。
昼飯がない。三学期(中学三年時)は普通に給食だったからな、すっかり頭から抜け落ちていた。つーわけで田の上を歩く水牛のようにのろのろと学食に向かった。学食、正式名称学生食堂といえば戦場の代名詞みたいなもんで、食物をめぐって骨肉の争いが繰り広げられているのが一般的なのかと思っていたが、意外にもウチの学校のものはガラガラだった。大半がこの近くに住んでいる人間だからだろうか。戦場を想像していたのに来てみたら憩いの場的な雰囲気が漂っていたんだから俺のうっかりミスかと思っていたことは単なる杞憂だったらしい。
まあ好都合だな、俺に、いや、俺達にとっては。
まばらな人影の中に我が同居人を発見した。教室にいなかったからここにいるとは思っていたが。一人でうどんをすすっていた小春の前に座る(二人席)。ちなみに俺はカレーだ。
「よう。」
俺に気付いてやんわりと微笑んだ。
「あっ、中里さん。おはようございます。」「おはよう。」
昼だけどな。
「誘おうかと思ったんですが、気持ち良さそうに眠っていたんでそのままにしておきました。」
長い髪をどんぶりに入れないように左右に掻き分けながら一瞬箸を止め、言い終えてから再び動かし始めた。
「そか。でも今度からは叩き起こしていいからな。」
置いてきぼりは少しさびしい。
「だって中里さん中々起きないんですよ、家ならともかく学校でゆさゆさするなんて恥ずかしくてできないです。」
うーむ、それは全面的に俺が悪いな、四時限目は真面目に受けるか。
「それにしても空いてるな。少なくともウチのクラスは俺達だけだな。」
冗談めかして言うが結構異様な光景である。決して規模が小さいわけではない、むしろ広々としているし、さっき見た限りではメニューも中々充実している。それなのに人が来ない。食堂のおじさんとおばさんも可哀相だ。「そうですね、私はてっきり激しい骨肉の争いが…、なんて思ってたんですけど。」
やっぱりか、意外に思考が似ていてちょっぴり嬉しいな。今時ちょっぴりなんて使うのもどうかと思うがあんまり考え込むとカレーが冷めるのでこの辺で食事に集中するとしよう。
俺が食べ終わった時、小春は箸を止めていた。基本的に小食な彼女には少々量が多かったらしい。少し加勢してやるか。
「大丈夫か?食ってやろうか?」
苦笑いな顔をして
「いえ、だい、じょぶです。」
無理してるな。
「‥‥‥‥‥あの、やっぱり少し手伝ってもらっていいですか?」少しの沈黙は色々葛藤があったんだろうがまあどうでもいいので特に気にしないでおく。「はいよ。」
小春から箸をひったくって数秒でたいらげた。
「ありがとうございます。でもなんで私の箸を使うんですか?」
「資源の節約だ。」
カレーは箸で食べないからな。
少し不思議そうに首を傾げてから、
「まあいいです。それより明日からはお弁当作りましょうか?」
そういえば最近の我が家の食生活はというと基本的に俺が小春に手伝うと言い張る前とあまり変わっていない。夕飯に関して言えば二人で作ってはいるが、いかんせん料理の腕を気合いで埋めることはできず小春の補佐みたいな形になっている。さらに朝食はほぼ完全に小春に任せている。俺は朝が弱いのだ。故に弁当作りを手伝うことはできない。俺の早起きは流れ星に願いを三回口に出して言えるくらいに貴重なのだ。「いや、いいよ。大変だろ?」
「い、いえ、全然平気ですよ。学食はお金が掛かりますしそれに…」
うどんのつゆが残ったどんぶりを見つめる。その続きは「量が調節できないですし」ってとこか。あんまり俺が否定するのはどうやらよろしくないらしいな。
「そうだな、じゃあ頼もうかな。」
ぱあっと表情が明るくなる。
「はいっ、頑張ります!」
「その代わり疲れてる時とか忙しい時は休むこと、約束な。」
「は、はい。わかりました。」
学食はまずまず、想像していたものよりはずっとうまかったし、席がないなんてこともなさそうだから小春が無理しなくても昼飯には困らないことがわかっただけでも今日は収穫だな。まあ小春の弁当には味はかなわないであろうが。
そんなこんなで翌日。朝食を済ませ二人で学校に向かう。まあいつも通りだな。
しかし普段の通学路でやたらにこにこしている小春。朝から何かあったのかね。
「どうした、妙に嬉しそうだな。ニュースの占いが一位だったのか?」
我ながら適当な聞き方だが朝の喜ばしいことがこれぐらいしか浮かばなかったんだから仕方ない。
「私嬉しそうにしてます?」
ああ、そんな笑顔なら誰でもそう思うだろう。こっくりと頷いてやる。
「えへへ、実はですね、私、初めてだったんですよ、自分以外の人にお弁当作ったの。」まあ、そうかもしれないな。普通は作らないだろう。で、それがなんなんだ。
「普段のご飯と違って何だか楽しくって。中里さんが学校で自慢できるようなお弁当を作ろうって頑張ったんですよ?」
ますます笑顔が輝く。うーんそういうのは楽しいのかね。何だかんだ仮初め夫婦を堪能してるな、こいつは。
そんなわけで小春お待ちかねの昼休みまでの授業及び授業間の休みはすっとばしてしまおう。
で、昼休みが始まる=四時限目の終わりには俺は懲りずに寝ていた。そんなにすぐには改善できない。
ゆさゆさと揺さ振られ半分くらい覚醒した俺の隣には小春がいた。「おはよ。」
「おはようございます、もう昼休みですよ。」
ん〜、と呻き声をあげながら大きく伸びをする。それでもまだボーッとしているが。
「ああ、飯か。」
「はい。真琴ちゃんも一緒にいいですか?」それはもちろん構わない。そうなると俺が移動したほうが効率がいいな。
「ああ。じゃ、行くか。」
まだ思うように動かない体で教室内をふらふらと廊下側の一番前の席へと向かう。
「大丈夫ですか?肩貸しましょうか?」
「平気だ、たぶん。」俺は酔っ払いじゃないんだぞ。
と思いつつも予想以上に自由が効かず足がもつれてヨロヨロっと小春にしなだれかかった。
「ひゃっ、あの、えっと、中里さん?」
だらりと小春にもたれたままで
「ああ、その、これはだな足がもつれて…」コトの重大さに気付くにはしばらく時間を要した。ちなみに位置的には教室の後方出入口付近である。まあ教卓の前とかでなくてよかったな。いやよくはないか、何せ後ろの方の席に座る奴らの視線がメチャクチャ痛いからな。
「いや、悪かった。」ゆっくりと小春から離れる。朱に染まる頬というより真っ赤な顔か。まあ当たり前だが。「い、いえ。ちょっとびっくりしただけですから、平気ですよ。」はあ、全くもって昼飯くらいゆっくり食いたいところだがどうやらそうもいかなそうだ。
教員用パイプ椅子を拝借し三人で机を並べる。
「いきなり抱きつくのはまずいんじゃない?隠す気あるの?」
「うるさい」
やたらにやけて戯言をほざく天宮を一蹴する。あははと笑ってふっと目を横に流しながら「冗談よ、冗談。でもあたしは理解しててもあっちはそうもいかないみたいよ」
そこで行なわれていたのはクラス全体を巻き込んだ伝言ゲームだった。
「どうすりゃいいと思う?」
「さあね、どうしようもないんじゃない」
「あ、あはは、どうしましょ」」
そういや天宮は俺達の同居がバレた方が面白いとか言ってやがったな。まったく、心底幸せそうな顔しやがって。小春の苦笑する顔が眼に入らないのか。
しかし完全に非は俺にある。なんとかしなければ。
ところでただいま教室でインフルエンザの数十倍の感染力で大流行中の伝言ゲームという遊び、ご存じであろうか。文章を制限時間内に正しく伝えていくゲームである。が、あせりや緊張などで文章がどんどん変化していき最終的に変わり果てた文章で面白おかしく盛り上がることができる高校生でやってもなかなか熱くなるゲームである。しかし今教室で行なわれているものには制限時間がない。故に文章が間違って伝わることはないはずなのだが。
「おい、教室の後ろで中里が相川に抱きついたぞ」
「えっ、中里くんがいきなり相川さんに熱い抱擁を…」
「中里が女を教室の隅で無理矢理抱き締めたって」
「中里が昼間から女に襲い掛かっただと」
おいおい、まったくもって勘弁してくれよ。時間からくるあせりではなくその文章の内容からくる興奮ってやつのせいか、普通の伝言ゲームより振れ幅が大きくかつ方向性も最悪な伝わり方をしていらっしゃる。自体は悪化する一方である。
そんな中で小春から弁当を受け取っていいのだろうか、と一瞬考えるもののやっぱり重視しないのが俺らしい。普通に小春から弁当を受け取る。すると当然といえば当然だが伝言ゲームは更なる加熱を見せた。
「うるさいな」
「あんたのせいでしょうが。でも面白くなってきたわね、もう吐いちゃった方がいいんじゃないの?」
「ちょっとまて、俺達は確かに一緒に住んではいるがそれだけだ、今話すとしたら単に転んで仕方なく小春に捕まってしまった、ってことだろ、なあ?」
小春はわずかにこくりと頷いた。
「それもそうね、つまんないけど。とりあえず食べましょ」
「そだな、いただきます。」
「召し上がれ」
人の噂も七十五日だとちょっと長すぎるがゴータマシッダルタ氏によれば七日だったはずなのでそれくらいなら堪えられるかなと考えつつ弁当に手を付け始めた。
小春の自信作である今日の弁当は彩りがよく米とおかずが絶妙に配分されていて実に美味だった。
弁当を食ってる最中に今の自体に収拾をつける方法を必死で考えていたが何も浮かばなかった。仕方がないのでここは運を天に任せて放置しておこう。なるようにしかならないだろう。
がしかし、食事を終えた俺は汚職の疑いをかけられた政治家の如く取り囲まれた。いやまあ当たり前といえば当たり前なんだけどさ。
別に質問に答える気が無いわけではないのだがいかんせん人数が多すぎるためはっきり言って聞き取れない。
仕方がない、少し黙らせるか。
「お前らが騒ぐのも無理はない、でも正直何言ってるか全然わからん」
教室を多少静けさを取り戻した。
「いいか、別にさっきのはそんなに騒ぐようなことじゃないぞ。ただ単に俺がよろけて近くにいた小春に仕方なく支えてもらった、たったそれだけのことだ。まだなんかあるやつは言え」
ぶっきらぼうに言う。まずこれで文句をつけてくるやつはいないだろう。
つまらなそうに席に戻るギャラリー。やれやれ、案外楽に片付いたな。と思っていたんだが。
二人ほど俺にもの申したいらしい。まさか住所みて気付いたんじゃないだろうな。
話を聞いてやろうと思った矢先、チャイムが鳴った。授業まで引っ張るわけにもいかないので全ては放課後に延期させてもらった。
さておれにいちゃもんつけようという勇気ある二人は実は全員知った顔だった。中学が一緒かつそこそこ親しい連中、バラエティでいえば準レギュラーくらいのレベルである。
男女一人ずつ、名前は不動大輔(♂)、姫野あゆみ(♀)。
まあ今は考えても仕方ない、わかってはいるのだが気になって眠ることもしないでボーッとしていると一瞬にして放課後になってしまった。
教室は掃除中なので屋上へと移動する。その前に最悪の場合こいつら三人にはバレる可能性があることを小春に伝えておいた。個人的にはもうバレてもいいかな、なんて思ってたけどな。毎度騒がれるのもかったるいしな。
で屋上、俺達以外に人はいない。ちなみにいつものメンバーのなかで畠中だけは用事(部活見学)でいない。まあ水口妹と天宮がいるだけで冷やかしは十分だ。水口姉は他の冷やかしが来ないように根回ししてくれたらしい。もはや支配者だな、いやありがたいんだけどさ。
さて誰から話すんだ?ジャンケンによる選考で決定した先方は姫野あゆみである。
彼女は俺達というより俺個人と仲がいい。故に俺は限りなくレギュラーに近い準レギュラーだと思っている。ちなみに畠中は彼女を苦手としている、今いない理由の本命はこれな気がする。
「ぼくが先ね、光くんと話すのなんだか久しぶり」
「毎年この時期は忙しいからな、お前」
何故か姫野は新年度の頭だけは忙しい。
「あは、そういえばそうだね。それより光くん、いつの間に小春ちゃんと仲良くなったの?」
「春休み中に色々あってな、今日はたまたま一緒に弁当食おうとして移動中に転んだだけだ」
「今日のことはわかってるよ、光くんが起きる前からずっと見てたから。ぼく光くんの寝顔好きだよ」
相変わらずドキッとすること言うな。姫野の口癖「好きだよ」はその可憐な容姿も相まってかなりの撃墜力がある。慣れないうちは何度も墜ちたぜ。だがこれは特に意識する事無く、というよりハムスターが好きとかカレーが好き同じようなものだ、まあある意味愛情に溢れてるな。
「じゃあなんなんだ?」
別に言うことはないだろ。
「ううん、小春ちゃんと光くんには絶対まだぼくが知らない何かがあるよ、それが聞きたいの」
おっしゃる通りだが根拠がない。女の勘とかならとぼければやり過ごせるか。
「なんだそりゃ」
「もうわかってるんだから。えいっ」
掛け声とともに俺の腕にへばりつく姫野。
「教えてくれるまで離さないんだから」
ぎゅーと胸を押しつけるお決まりの誘惑に耐えつつ
「別に何もないって」まだとぼける。姫野は悲しんだような表情を浮かべ
「だってだって、小春ちゃんのこと『小春』って呼んだんだよ!?ぼくが何回頼んだってぼくのことは名前で呼んでくれないのに!」「‥‥‥」
沈黙。言い訳できん。福生を見る、苦笑してやがる、役に立たないな。水口姉を見る、目で諦めろといってる気がする。ふと気付いて聞いてみる。
「まさかお前もこれか?」
傍観中だった不動はコクリと頷き
「ああ、そうだよ。君が人の名前をしかも呼び捨てにするなんて俺に言わせれば一大事だ」
不動大輔と言えば中学時代、最も信頼できる情報ソースとして有名だった。彼は全校生徒のパーソナルデータを持っているらしい。それは高校になっても健在らしく小学校から今までの全ての友人のデータを記した手帳は一桁に収まらないと噂されている。もちろん俺のデータも持っている彼は俺が人を名前で呼ぶことの重大さに気付いてしまった。
「ずるいずるい、ぼくもあゆむって呼んで!それとも小春ちゃんは名前で呼ばなきゃいけない理由でもあるの?実は結婚してるとか?じゃあぼくとも結婚しようよ」
軽く錯乱してるが下手なことは言いたくない。理由はわからないが見てのとおり姫野は俺にかなりなついてるしあんまり嘘はつきたくない。
「わかった話す、話すからちょっと待て」
だだっこを無理矢理引き剥がし小春と相談する。
昔から名字で人を呼ぶことに拘っているせいか家族の証だからなのか小春を名前で呼ぶことをやめたくない。今回はたまたま少なくすんだがいつかボロがでることは明らかだ。天宮じゃないが、もうこっちからバラした方がいいんじゃないか。正直隠し通すのは無理そうだし疲れる。まあ判断は小春に任せるが。
「私は‥‥‥‥‥‥‥いいですよ。一緒に住んでる、ただそれだけのことですし」
「そうだよな」
実際はそれなりに大事な気もするが小春も俺も他人に知られたところで何も変わらないのだ。
一緒に暮らし始めてまだわずかだが俺の中で小春がいる生活が当たり前になりつつあった。俺は小春を信頼しているのだ。
それが小春にも言えることなのかはわからない。わからないが、たぶん同じ気持ちだと思う。
なぜなら小春が話をするのは未だに俺と天宮の前だけ、畠中や福生達にすら軽いあいさつと首振りによる肯定否定のみである。
そしてなにより一緒に暮らしているということ、仮夫婦を笑って受け入れられるということが互いに信頼している証拠だと思う。
だから知られても構わない。
まあ夫婦とかなんとかまではさすがに話せないけどな。
姫野と不動に事情をあらかた話し、
「不動、悪いけどできるだけ穏便にこのことをクラスに伝えてくれないか」
不動はキョトンとして「なぜだ?てっきり口止めされるものだと思っていたのだが…」 俺は少し苦笑して
「いいんだよ、隠すし通すのも難しそうだしな。そうそう、ついでに聞きたいことは全部俺に聞けとも言っといてくれ」
「ふむ、了解した。善処してみよう。しかしことがことだ、穏便に進めるのは難しい。あくまでできるだけだと思っておいてくれ」
「ああ、サンキュな」
そしてもう一人の来賓はというと
「事情はわかったよ、やっぱりやさしいよね光くんは。だから僕は光くんが好きなんだよ。でもぼくのこともあゆみって呼んでほしいな。考えといてね♪」と悪戯っぽく笑った。「それについてはノーコメント」
「えー、やっぱりずるいなあ。でも光くんはぼくのなんだから」
俺から小春に視線を移しそのままじっとねぶるように見つめる姫野、その視線に戸惑う小春。
「もうバカやってないで帰んぞ」
くしゃっと姫野の髪をなで長い一日を終わらせた。
数日後、俺はまた囲まれていた。
「なんで同居してんだ?」
「高校生としてそれでいいのか、貴様は!」ガヤガヤ
まったく小春のためとはいえ全部俺に回ってくると数が多いな。
「えーい、うるさい!せめて一人ずつ話せ!こんちくしょー!!」
次は姉と妹と看病の話です。