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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 32

 撫子ちゃん。

 撫子ちゃん。

 撫子ちゃん……。

 着席した私の手元で、音がこつこつ鳴っていた。硬音と共に黒い点が、ノートにぽつぽつ打たれていく。コンパスの針穴に似ていたけれど、それは触れれば黒く伸びる。

 今日の六時間目は自習なので、教室内は賑やかだ。騒がない限りは先生も大目に見てくれるので、何人かは席を立って、友達とお喋りを楽しんでいる。


 そんな教室の中で、私は一人で黙々と、鉛筆でノートを小突いていた。


 目的はない。手が勝手にそうするのだ。それを無理に止めようとすると、今度は窓際を見てしまう。

「……撫子ちゃん……」

 私の目尻に、涙が浮いた。

 今日も教室は白くて眩しい。そんな光に包まれる妖精の姿は、相も変わらず清らかだ。

 撫子ちゃんは、前の席の子と雑談していた。

 普段通りの友達と、表情がないまま話している。

 そして普段通り私とは、違うグループなので話さない。

 私と、遊びはしないのだ。

「……」

 握り締め鉛筆を、すうと少し持ち上げる。とん、とノートに着地させると、また持ち上げて、また下す。こつ、こつ、こつ、こつ。断続的に音が鳴る。机を直に叩いたみたいな音から、次第に紙の表面を削るような音へ濁り、遂には、ごつっ、ぼつっ、と紙に穴が開く音に変わる。まるで木槌を振るうように、まるで釘を打つように、まるで呪いを掛けるように、私は鉛筆を振るい続けた。


 ――――撫子ちゃん、どうして?


 どうして? どうして? どうして?

 理不尽だった。裏切られた気分だった。撫子ちゃんは多分私を避けている。多分周りの子達はそうは思っていないだろうけど、私にだけは分かっていた。

 ずっと撫子ちゃんを見てきたから。

 昨日撫子ちゃんが驚いた事を、私はちゃんと見ていたから。

 あれから撫子ちゃんとは話せていない。私からは話し掛けようとしたのだ。朝会えばおはようと挨拶したし、休み時間はお互い友達がいるから難しかったけれど、それでも頑張って話しかけた。

 でも撫子ちゃんの反応はよそよそしくて、挨拶が済むとさよならだった。蝶が花から離れるように、撫子ちゃんは私を避けた。

 そして、今。

 飛んで行った綺麗な蝶は、別の所に留まっている。

 そうやって、私が思い詰めたタイミングを計ったかのように……憎い声が、聞こえてきた。


「雨宮」


 ――――どくり、と。血が、変な感じに身体を巡った。肋骨の辺りに圧迫感を感じながら、私は窓際を振り返る。

 そこには予想通り、二人の男子が立っていた。

 ……三浦柊吾だ。

 隣には陽一郎もいたけれど、そっちはもうどうでもいい。三浦君はまるで昨日の再現のように、撫子ちゃんの席へ近づいていく。私の爪が鉛筆に食い込み、みしりと木が、柔らかく軋んだ。

 帰れ。早く。自分の席に。私は無言で訴えたけれど、声にも出さない願いなんて、誰にも届くわけがない。撫子ちゃんは無垢な顔で男子二人を見上げ、「どうしたの?」と綺麗な声で答えている。

 ああ、やめて。泣きそうになりながら私は思った。

 やめて、撫子ちゃん。どうして。

 どうして、三浦君なんかを。

「雨宮。放課後、空いてるか?」

 三浦君がぶっきらぼうに言うと、撫子ちゃんはきょとんとしてから頷く。三浦君は、「あー」と言い難そうに少し唸った。

「……昨日くれた鶴。母さん喜んでた。それに昨日からだいぶ調子いいみたいで……雨宮にも、会いたいって。今日、母さんの見舞い、来るか?」

「いいの?」

「……ん」

「迷惑にならない? お母さん、本当に行っても大丈夫?」

「……来てくれた方が、元気なると、思う」

 鉛筆の芯が、ぼきりと音を立てて折れた。


 ――――三浦君が、撫子ちゃんを家に誘った。


 とん、と私の背中が、控えめに小突かれた。

「! わ……っ」

 びっくりした私は後ろを振り向き、息を吸い込む。

 この展開も、昨日と全く同じだった。

「紺野ちゃん……」

 茫然と呼ぶ私を、紺野ちゃんが見つめていた。

 相変わらず表情は乏しい。同じ無表情でも撫子ちゃんと違って、不機嫌そうに見えるのは何故だろう。物言いたげな目で見られてようやく、私は紺野ちゃんが訴える何かに気づき、「あっ」と声を上げた。

 すっかり忘れていたけれど……私は今日紺野ちゃんと、一緒に遊ぶ約束だった。

 紺野ちゃんの目が、すうと細くなった。

「……約束は、今日もなし?」

 私はその声の低さにびっくりして、「ううん、そんな事ないよお!」と条件反射で否定した。

 でも、言ってから後悔した。断ればよかったのだ。今の流れなら自然にそれが出来たのに、半端に機嫌を取ってしまった。

 私は紺野ちゃんとの約束を、皆に通していなかった。断られるのは分かっているのだ。わざわざ話す事もないだろう。

 だから必然的に、私達は二人で遊ぶ事になるけれど……正直もうそれどころじゃなかった。今まさに、三浦君が撫子ちゃんにちょっかいをかけているのだ。もう外聞なんてかなぐり捨てて、今すぐ邪魔しに行きたい衝動が私を襲った。

 でもここで紺野ちゃんを放置するわけにもいかなかった。紺野ちゃんは友達なのだ。友達との約束を一度ならず二度までも破るなんて、そんな酷い事、友達のする事じゃない。

 でも、でも、やっぱり駄目だ。私が紺野ちゃんを選んで暢気に遊んでしまったら、その間に三浦君は撫子ちゃんを家に呼ぶのだ。

 遊んでなんていられない。絶対に気が狂ってしまう。

 私はショート寸前の頭で必死になって考えて、やがて、妥協案を見出した。

 本当は一人がいい。でも二人でもいいかと思ったのだ。

 それに、紺野ちゃんは例えるなら、陽一郎と似たタイプだ。私が不愉快に思う事を、多分しない無害な子。陽一郎が撫子ちゃんと親しくしても腹が立たないように、紺野ちゃんが撫子ちゃんに近づいても、私は嫌な思いをしない気がした。

 実際に、紺野ちゃんが撫子ちゃんをどう思っているかは知らない。でも私が見る限り二人に接点はほとんどなかった。唯一のやり取りは、前の理科の時間の廊下で、ナデシコの観察をした日だけ。

 紺野ちゃんは撫子ちゃんに、興味なんてないのだろう。

 そんな『友達』なら、私は歓迎しなくっちゃ。

 気持ちをすっぱり切り替えて、私は顔に、笑みを浮かべた。

「紺野ちゃん、約束通り放課後に遊ぼう? えーと、私と二人で」

「二人?」

 紺野ちゃんの眉が、少しだけ下がった気がした。不機嫌さが少しマシになった気がして嬉しくなり、「うん」と私は、力強く言った。


「ね、二人だけで面白い遊び、しよう?」


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