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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 24

「……で、僕はみいちゃんから掛かってきた電話に出て、ちょっとだけ話したんだけど……向こうから急に返事が聞こえなくなっちゃって……それで……えっと……今日まで、そのままだったんだけど……」

 怖々と話す陽一郎の声が、尻切れになって消えた途端。

 拓海の見ている前で、二人の男女が立ち上がった。

 男子は柊吾。女子は七瀬だ。

 拓海はぎょっとして止めかけたが、二人が怒るのも尤もだ。少し考え、拓海は苦しさを覚えつつも静観を決め込んだ。

 柊吾と七瀬の目は、完全に吊り上っていた。

 陽一郎が、「ひっ」と短い悲鳴を上げて逃げる。だが柊吾が追いつく方が早く、華奢な男子の襟首はあっという間に掴まれて、そのまま頭を引っ叩かれた。

「お前はっ……、状況ややこしくしてんじゃねえっ!」

「柊吾っ、ひどいよっ!」

 怒鳴る柊吾に、陽一郎が半泣きで叫び返した。

「そんなに怒る事ないじゃん! 僕は掛かってきた電話に出ただけでっ」

「言い訳はいい!」

 柊吾は聞く耳を持たなかった。

「おい陽一郎、その電話どうなったんだ? 急に風見が喋らなくなって、それからどうしたって?」

「だから……その、えっと」

 陽一郎が、言い難そうに俯く。すると今度は七瀬が「日比谷くん、そんな言い訳が通用するって思ってるわけっ?」と声を荒げて陽一郎へ迫った。

「誤魔化さないで最後まで言って! 日比谷くん、風見さんと話した時に様子が変って思ったんでしょ? 風見さんが何か叫んだり喚いたりしてるのもばっちり聞こえてたくせに、日比谷くんはどうしたわけ? ……ねえ、その電話。どっちが先に切ったの」

「そ……それは……」

 陽一郎が、よそよそしく視線を逃がした。

 拓海はそんな三者の様子を、複雑な気持ちで眺めていた。

 正直なところ、気持ちの面では柊吾と七瀬に賛成だ。

 だがこれ以上は見るに堪えず、さすがに止めに入ろうとすると、同じく成り行きを見守っていた撫子も思うところがあったのか、「三浦くん、七瀬ちゃん。やめて」と静かな口調で釘を刺した。

 諌められて、柊吾と七瀬が口を噤む。陽一郎はほっとした様子だったが、辛そうな面持ちは変わらなかった。

 撫子が椅子から立ち上がり、三人の元へ歩いていく。

 その表情はいつもよりも、ほんの少しだけ険しかった。

「……陽一郎。美也子の事、ほったらかして電話切ったの?」

「ほったらかしてなんか……、でも」

 陽一郎はか細い声を絞り出し、「僕、できる事はやったもん!」と泣き出した。

「電話にいくら呼び掛けても、みいちゃんは返事全然してくれなかったし、様子が変だって事分かってたけど、でもっ、どこにいるか教えてくれなかったらどうしようもないじゃん! みいちゃんは僕の家の番号知ってるけど、僕はみいちゃんの今のおうちがどこかも知らないんだよっ? みいちゃんと仲良かった友達とかもちょっと当たってみたけど、皆知らないって言うし……そこまでして突き止められなかったら……それって、もう、仕方ないじゃん!」

 柊吾と七瀬の顔が、再び怒りで紅潮した。

 拓海も、言葉を失った。

 ……さすがに今のは、聞き捨てならなかったのだ。

「日比谷……」

 文句は、控えようと思っていた。現に柊吾と七瀬が散々言っているのだ。自分が出る幕ではなかったし、出会ったばかりの男子生徒に自分が何を怒れるだろう。人に怒るのは苦手なのだ。相手を傷つけるのが怖かった。

 だが、そんな後ろめたさを差し引いても――拓海は陽一郎の放った言葉に、大きなショックを受けていた。

 ……通話相手が、いきなり異常な内容を口走れば。

 普通は、何かがあったのではと疑うだろう。心配に、なるだろう。少なくとも拓海にとっては、それが普通で常識なのだ。

 もちろん陽一郎もそれは同じで、だからこそ行動を起こしてくれたのだろうが……『他にやりようがなかったから、結局放置した』では、いくら相手が美也子であっても、可哀想だと思ってしまった。

 風見美也子。

 受験会場にふらりとやってきた、異様な言動の〝鬼〟の少女。

 美也子の言動は、拓海の見る限り奇行だ。常軌を逸しているだろう。

 だが、もし。その奇行の原因に、氷花の言霊の異能とは全く無関係な、例えば体調不良が絡んでいるのだとすれば……この時の陽一郎の行動は、言い方は悪いが見殺しだ。

 だから柊吾と七瀬は怒っているのだ。その仕打ちを受けたのが美也子であっても、陽一郎に怒っている。

 優柔不断の自分でさえも、陽一郎に怒っている。

「日比谷……風見さんの様子、何かおかしかったって言ったよな? 体調悪かったとか、病気だったかもしれないじゃん。それなのに……」

 そこまで言って、言葉を止めた。

 拓海を振り返る、撫子の目に気付いたからだ。

 表情に、非難の色はない。ただ、それでも制された。これ以上はいけないと。

「……ごめん、日比谷。言い過ぎだった。忘れて」

 柊吾と七瀬も顔を見合わせ、二人揃って嘆息する。怒りが静まったわけではないだろうが、もう折れる事にしたのだろう。柊吾は面倒臭そうに「分かったって。泣くな」と陽一郎の背を叩き、七瀬も「しょうがないなあ」と唇を尖らせながら、ポケットティッシュを陽一郎の顔面に押し付けている。陽一郎がさらに泣き出して柊吾の腕に縋ったので、「やめろ鼻水つく」と迷惑がられて叩かれていた。

 ようやく緊迫感が解れてほっとしながら、拓海は撫子を振り向いた。

「雨宮さん、ごめんな」

 拓海の声に撫子が反応したが、こちらを振り向きはしなかった。聞かなかったフリをしてくれたのだろう。熱くなった意識が温度を下げるのを感じながら、拓海は優しい友達へ、苦笑の顔を向けたのだった。

 陽一郎への感情を、水に流せたわけではなかった。

 それでもやはり、これ以上責めてはいけないのだ。陽一郎自身さっき口にしていたが、陽一郎は美也子からの通話を受けただけであり、謂わば巻き込まれたようなものなのだ。そんな状況下で寄ってたかって皆から糾弾されては、理不尽だと泣く気持ちも、少しだけなら分かる気がする。

 それにこれ以上吊し上げを続行すれば、それは苛めと紙一重だ。撫子もそれを分かっているから、皆を宥めてくれたのだろう。

「……みいちゃん、大丈夫かな」

 陽一郎が、ぐすぐすと言う。柊吾が「お前が言うか」と突っ込み、七瀬が「大丈夫じゃないのグラウンドで見てきたでしょ」と剣呑な目で睨んだ。陽一郎には悪いが拓海も同感なので、瞳を閉じると、痛む頭に手を当てた。

 ……確かに、全然大丈夫ではないのだ。

 拓海達が今日出会った美也子は、今や鋏を携えて徘徊する鬼女へとなり果てている。陽一郎との通話の件は、どう考えても美也子の心に、強烈な打撃を与えていた。

「……」

 紺野沙菜。

 柊吾たち袴塚西組の、小学生時の同級生。

 氷花の〝言霊〟で狂い、事故死を選んだという少女。

 美也子にとって、その少女はどういう存在だったのだろう。二人の関係はまだ拓海にとって謎だった。だが友達が死んだと聞かされたのだ。動揺も悲しみもあるだろう。

 そんな不安定な心に、氷花の〝言霊〟が絡めば、一体どういう事になるだろう?

 ……推察するまでもない事だった。

 これでは、火に油を注いだようなものだった。

 陽一郎に悪気はないのは分かるが、級友の死という情報は、美也子にとっては有毒だ。

 この事件はもしかしたら、氷花の言葉だけでなく、それを知ったのが引き金になったという可能性も有り得る。拓海は苦悶を顔に出さないよう、そして溜息も吐かないよう気をつけながら、拳をぎゅっと握り込んだ。

 原因の一端が仄見えたのは嬉しいが、これは全然、喜ばしい事態ではないのだ。

「……えっと。皆。ちょっと状況を整理したいんだけど」

 気に病んでいる場合ではなかった。早く次の手を考えた方がいい。

 拓海は意識して気持ちを切り替えると、室内の皆へ呼びかけた。

「三月三日の夜、風見さんは綱田さんを呼び出した。その綱田さんと入れ替わりで佐々木さんが来たけど、佐々木さんが先に帰ったから、風見さんは一人で公園に残ってた。――で、その後。呉野さんが来る前か後かのどっちかで、風見さんが日比谷に電話して、紺野さんの事を訊いてきた」

 拓海の問いに、ティッシュで鼻をかんだ陽一郎がこくこくと頷く。

「なあ、風見さんの様子、どういう風に変だった?」

「えっと……なんか、すごい慌ててたっていうか、焦ってたっていうか……みいちゃん、すごい必死だった」

「必死?」

「うん……あっ、あと。転校の事で、変なこと言ってたよ?」

 陽一郎が、不思議そうに言った。

「みいちゃん、小五の時に転校してったのに。なんでだろ。僕、みいちゃんにからかわれてたのかな。さっきも言ったけど、転校の事を逆に訊かれちゃったんだ。自分は転校したのか、って。変だよね。転校したのはみいちゃんなのに。なんか小五の時の事とか全部、忘れちゃってるみたいだった」

「……忘れてる?」

「うん。紺野さんの事故死の事も、その時に勢いで言っちゃったけど……みいちゃんの様子がおかしくなっちゃったし、今日グラウンドで会ったら鋏握ってたから……僕、すごくまずい事言っちゃったんじゃないかなって、もしかしたら僕と話した所為で、みいちゃん、鋏なんか持ってたのかなって、急に心配になって……」

 ぐすんと、陽一郎が鼻をすする。

 そして「みいちゃんごめん」と涙声で呟いたので、柊吾が顔を顰めて「泣くなっての」と睨んだ。

 その光景を横目に見ながら、拓海は黙り込む。

 引っ掛かりを感じたのだ。

 それがどうしても気に掛かり、拓海は一人の少女を振り返った。

「……佐々木さん、質問いい?」

 教室の窓際に背を預けた和音は、拓海を気だるげに見た。隣に寄り添った毬も、申し訳なさそうな目をこちらに向けてくる。

 拓海は、その視線に怖気づいた。

 毬ではない。和音のだ。和音の目つきが怖いのだ。

 何となくだが、佐々木和音は……自分の事が、嫌いな気がした。

 失礼な問答を重ねているので、仕方がない事とは思う。とは言えストレートな倦厭は辛かったし傷ついた。

 こんな質問を投げかければ、もっと疎まれてしまうだろう。

 声をかけるのは怖かったが、拓海はおずおず口を開いた。

「佐々木さん。念のため確認しときたいんだけど。風見さんって、病人っぽく見えたりした事って、ある?」

「? 病人?」

 和音は、不審げに訊き返してくる。拓海は気が咎めたが、「うん」と頷いた。

「あの、さ。一応確認したいんだ。……風見さん、何か薬飲んだりとかしてない?」

「薬? 何の」

「さあ……安定剤とか、そういうの」

「ちょっと」

 和音が、顔色を変えた。

 その顔付きに、拓海ははっとさせられた。

 和音の頬に赤味が差し、細められた目は見開かれていた。倦怠ばかりの浮いた瞳に、鮮烈な光が映っている。

 怒っている顔だった。

 さっきの柊吾と七瀬の顔と、とてもよく似た顔だった。

「あなた、何を疑ってるの? まさか美也子の言動がおかしかったからって、精神的にまずい子なんじゃないかって、そういう風に疑ってるの?」

 拓海はたじろいだが、指摘は正しい。言われた通りだった。拓海はその失礼を承知の上で、和音に質問をぶつけている。

「……うん」

 無理矢理頷くと、和音が声も出ないといった様子で黙った。

 かと思えば我に返った様子で唇を噛み、すっと余所を向いてしまった。

 そんな反応が何だか不思議で、拓海は和音への恐れと身体の力が、ほんの少しだけ抜けてしまった。

 意外、だった。和音は先程の告白の様子から、絶交した美也子に対して嫌悪を抱いている風だったのに。

 だが、何となくなら……その感情の動きが、拓海には分かる気がする。

 ただ、本当にその考えが正しいのか、和音について深く知らない拓海には自信が持てなかった。確信欲しさから拓海が思わず七瀬の方を振り向くと、「あの」と毬のか細い声が割って入った。

「ミヤちゃん、お薬飲んでた、よ?」

「え?」

「何の薬か、分かんないけど……お昼に、お茶で飲んでた。それなあにって訊いたら、栄養剤って言ってた気がするけど……」

 拓海は茫然と、それを言う毬を見つめた。

 かちりと、頭の中で何かが嵌った気がした。

 肌が、ざわざわと粟立っていく。解を得た歓喜なのかそれに付随する恐怖なのか。血の気が引くのを感じながら、拓海は唾を呑み込んだ。

 ……やはり、そうだったのだ。

「皆。……三浦、雨宮さん、日比谷。それに佐々木さんと綱田さん」

 拓海は、七瀬以外の全員を呼んだ。

 〝アソビ〟参加暫定メンバーが、一斉に拓海を振り向いた。

「今度は、風見さんを知らない篠田さん以外の全員に質問なんだけど……皆から見た風見さんって、忘れっぽ過ぎるって思った事ない?」

 全員が、虚を突かれたような顔になる。

 そしてそこからは各々が、違った反応を拓海に見せた。

 驚く者。呆ける者。はっと気づいたような顔をする者。拓海は多様な表情を見回しながら、「気になるんだ」と呟いた。

「さっき佐々木さんは言ったよな? グラウンドで会った風見さんは、高校受験の事を『忘れてた』って言った、って。……佐々木さん。俺もこれはさすがにありえないって思う」

 ずっと、気になっていたのだ。和音からの告白を聞いた時から。

 否、和泉との推理合戦で一度話題になったあの時から。拓海はずっと、気になっていた。

「イズミさんも、さっき俺らに言ってたよな? 風見さんが受験をすっぽかしてまでここに来たのは、狂人のフリをしてるからじゃないか、みたいな事。俺はそれを否定したし、風見さんがああなったのは、呉野さんに関わったからだって思ってるけど……それでも皆、気になるんだ」

 美也子は何故、高校受験をすっぽかしたのだろう?

 何の為に、そこまでして東袴塚に来たのだろう?

 氷花の言霊で狂ったからと考えるのが、この場合自然だろう。

 だが和音に言わせれば、それは美也子の頭があまり良くないからだという。

 ……正直それでは、納得は厳しかった。

「皆の意見を聞かせて欲しいんだ。風見さんのこの忘れっぽさ、呉野さんに関わったからそうなのか、それとも先天的なものなのか。俺は前者だって思ってるけど、一応、確認してた方が良い気がする」

 その質問に、真っ先に反応したのは和音だった。

 余所を向いたまま、「さっきも答えた通りだけど」と仏頂面で答えてくる。

 さっきも答えた通りとはつまり、『あまり頭は良くない』という、あの台詞の事だろう。

 拓海が回想していると、毬が「私は……ちょっとだけ、思った事あるよ。忘れっぽすぎるんじゃないかな、って……」と控えめに言った。

 すると泣き止んだ陽一郎も「僕も、ちょっとだけ」と、鼻をすんすん鳴らして同調する。

 柊吾はそちらを見下ろしながら「分かんねえ。一緒にいた事なんか全然ねえし。ってか、忘れたし」と吐き捨てた。

 柊吾に関しては確かに、翌年が大変だったそうなので仕方ないだろう。拓海は頷き、残る一人の回答を待った。

 そして、意外な言葉を聞く事になる。

「……私は、普通だったと思う」

 拓海は毒気を抜かれ、どうやら戸惑っているらしい撫子を見下ろした。

 撫子は俯き気味の顔のまま「普通だった」と繰り返した。

「美也子って小学校の成績、そこまでいい子じゃなかったと思う。忘れっぽいところもあったと思う。でも、病気とか、そういうのを疑わないと駄目なような、そんな忘れっぽさは……、違うと、思う。坂上くん。小五の美也子は、違うと思う」

 撫子が、拓海を見上げてくる。

 ゆっくりと顎を上げて見上げる所作が、何だか震えているように見えた。そして震えていると思った時、拓海は撫子が怖がっている事に気づいてしまった。

 柊吾が、気遣わしげな目で撫子を見ている。七瀬も表情を曇らせて、撫子の傍に近寄った。

 ただ撫子は、やはり二人を見なかった。会話相手の拓海に視線を固定して、他を無理やり見ないようにしている。そんな頑なさが拓海にまで伝わってきて、その事実が針のように、胸を鋭く突き刺した。

「雨宮さん……」

 苦しく、名を呼んだ。

 ……撫子が、どんどん疲弊していっている。

 少なくとも拓海の目には、撫子がぼろぼろに見えたのだ。

「雨宮さん。……ありがとう。分かった」

 拓海は、頷いて見せる。安心して欲しいと思ったら、そうする事しか出来なかった。

 撫子は多分、何かを隠している。

 柊吾も懸念しているようだが、拓海もまた同じように思う。

 その隠し事が、この〝アソビ〟を終わらせる鍵になるかは分からない。

 だがそれを抜きにしても、撫子がこれほど気に病む事が何なのかは気になったし、そんな苦しみは出来るものなら取り除いてあげたかった。

 だから、やはり。

 拓海はもっと、〝彼女〟を知らなくてはならないのだ。

「三浦。日比谷。……雨宮さん」

 拓海は、三者の名を呼んだ。

 呼ばれたメンバーが、拓海を振り向く。

 袴塚西中の生徒達。風見美也子を欠いた小五の友人達。同じ学校の制服に身を包んだ姿は、夕焼けの赤に染まっていた。

 茜の光が燦然と射す、無人の広い教室は――既に、さっきまでいた場所とは違っていた。

 書架の林立する広い教室。あちこちから引っ張ってきた本で長机の上はいっぱいだ。さっきまで撫子が着席していたパイプ椅子の前には大きな植物図鑑がある。陽一郎の近くには、広辞苑を始めとする辞典類が積んであった。

 教室移動にはひやひやしたが、こちらにも誰もいなくて安心した。さすがに施錠はされていたので陽一郎から話を聞く前に拓海と七瀬で鍵を取りに行く手間をかけたが、時間を割いた甲斐はあった。


 ――東袴塚学園中等部、図書室。


 現在教室の扉は、前も後ろも内側から鍵を掛けている。外からは誰も入って来れない。万一美也子が戻って来るような事があったとしても、暫くの間は凌げるはずだ。

 いつまでも続けられる籠城ではないだろうが、少なくとも調べものの間くらいは、皆の安全を確保できる。

 それが〝アソビ〟参加者でない自分にできる、せめてもの抗いだった。

「三浦。さっき篠田さんも言ってたけど、俺達がこの〝アソビ〟を終わらせようと思ったら、風見さんの事を知る必要があると思う」

 拓海は、言いながら一冊の本を手に取る。

 その本のタイトルは、『山椒大夫・高瀬舟』。

 ここに置いてあって良かったと思う。それともここにあるのを知っていたから、和泉はこの文学を引き合いに出したのだろうか。ともあれ、読むのは自分の役目になりそうだ。拓海は気を引き締めた。

「……三人で、話して欲しい。小学五年の時の、花が切られた事件の事。風見さんの事。それから……事故死したっていう、その女子生徒の事も。今回の事件に関わりそうな事は、全部。この場で教えて欲しい」

 その呼びかけに、答えたのは。

「いいよ」

 撫子が、パイプ椅子を引いた。

 きい、と。床と擦れて甲高く軋る。

 柊吾と陽一郎が、言葉もなく撫子を見下ろす。

 撫子は椅子にちょこんと腰かけながら、「話す」と短く言った。

「美也子の事と、あの子の事は……私が、話す。三浦くん、陽一郎。私は学校をお休みしてた時もあったから、抜けてる所とか、話が足りてない所は、代わりに話したり付け足してね。――私と三浦くんと陽一郎と、美也子とあの子は。小学五年でクラスが一緒だったの。でも私達は皆で一緒にいたわけじゃないし、全員が特別仲良しってわけでもなかったと思うの。……それに、私は」

 撫子が、顔を上げた。

 二つに結った、栗色の髪。

 以前は肩口ほどの長さだったのに、初めて出会った時から随分伸びた綺麗な髪が、さらりと胸元で靡く。

 頬にもかかったその髪を、真っ白な指で払いながら。

 撫子が、言った。


「あの子から、とても、恨まれていたと思う」

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