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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 11

「綱田さんが倒れて、身体が動かなくなったのを見た時から、そうじゃないかって思ってました」

 そう切り出して、拓海は一同を見渡した。

 全員の視線が、今や拓海に集中している。正直とても怖かったし、心臓はばくばくと鳴っていた。こんな出しゃばり方をして本当に大丈夫なのか、気後れと震えが止まらなかった。

 だが、受けて立つと言ってしまった。もう後には退けないのだ。

 それに拓海の出したこの答え、決して間違いではないはずだ。

 自信で弱気を何とか抑え、拓海はきっと前を向く。

 黒板の前の拓海から、机三つ離れた席。

 そこに置かれた、携帯電話。

 〝アソビ〟に興じる二人の間に、遮蔽物は何もない。声は真っ直ぐ、互いに届く。

 策を弄し、屁理屈を捏ね、心のままに遊べばいい。

 異邦の男の期待に応え、拓海は〝言挙げ〟を開始した。

「風見さんが綱田さんに触った時に、あの子が言ってる言葉が引っかかりました。――『他の子が来るまで、動いちゃ駄目』。それってどういう意味だろうって考えたら、俺はすぐに一つの〝アソビ〟と、呉野氷花さんを連想しました」

「呉野?」

 柊吾が、口を挟んできた。

「坂上。そういやお前だったな。この事件が呉野がらみだって最初に断言したのって。……それ、なんでだ? さっきイズミさんにも訊かれたけど、どうやって風見と呉野を結びつけた? 認めるのすげえむかつくけど、確かにこれって今の段階だと、イズミさんの言う通り呉野の〝言霊〟っていうよりも、風見って奴の単独犯に見えるぞ」

 その言葉に、拓海は苦笑いした。

 確かに柊吾の言う通り、美也子と氷花を最初に関連付けたのは拓海だ。その所為で柊吾が和泉から追及を受けてしまったので、その点は申し訳なかった。

「三浦、それはごめん。三浦とイズミさんの言う通りだ。実は、呉野さんと風見さんを結びつけた確実な根拠、俺はまだ見つけられてない」

 正直に、そう認めた。

 突かれたら痛い部分。だがこんな序盤で躓いている暇はないのだ。いっそ開き直った方が、後々きっと楽になる。

「俺は皆に説明する時に、この事件は絶対に呉野さんがらみだって断言したけど、絶対って言い方は軽率だったかもしれない。物的証拠はないし、感情論とかこじつけとか、そういう滅茶苦茶なのしか俺は用意できてないんだ。……でも」

 それでも、確信しているのだ。

 そうでなければこんな無茶、自分に出来るわけがない。勇気が切実に足りないのだ。我ながら情けなかったが反面それが可笑しくて、拓海は曖昧に微笑んだ。

「三浦、あやふやな事いっぱい言ったけど。それでも俺は、風見さんが鋏を持って高校に来たこの事件、呉野さん絡みだって信じてる」

『その理由、聞かせて頂きましょうか』

 笑みを含んだ、ノイズが鳴った。

 全員の視線が、ざっと携帯に集中する。

 拓海の対戦相手たる異邦の男が、そこで暗鬱に嗤っていた。

 否、対戦相手ではなく――――〝アソビ〟相手と、言うべきか。

『坂上拓海君。きっと自分でも自覚がおありでしょうが、君、克仁さんに似ていますよ。完璧主義を目指すあまりに、疑問全てに証拠を求めずにはいられない。それでいて問いの答えは、先にはっきり分かっている。解の式を辿るように証拠を求めて、論理を導き出す様は……あの方の努力、その姿勢にそっくりです』

 呉野和泉は、そこで一旦、言葉を区切る。

 そして心底愉しそうに〝アソビ〟相手たる拓海を笑った。

『君は綱田毬さんが倒れた瞬間から、この〝アソビ〟が氷鬼で、鬼の少女たる風見美也子さんが、僕の妹であり異能の鬼、呉野氷花さんと何らかの繋がりを持っていると、はっきり見抜いていましたね? 君は瞬時に真相に気づいていながら、自分に納得のいく筋書きが組み立てられるまで、仲間にそれを明かそうとしませんでしたね? 結構な慎重さ、いえ狡猾さと言いましょうか。虎視眈々と敵を狙うその姿勢。僕は君の、そういう所が好きですよ』

「えっと……どうも」

 貶されている気もしたが、何となく礼を言ってしまった。そんな自分の態度までもが奇妙に思えて、拓海は自然と笑ってしまった。

 不思議と、清々しい気分だった。先刻の鬱屈がまるで嘘のように、意識も身体も軽やかだ。後ろめたさを感じながら、心が高揚で浮き立つのだ。

 楽しい。このやり取りが楽しかった。まるで刃を交えるように、言葉の魂が行き来する。言葉を武器に鎬を削る、そのスリルにぞくぞくした。そんな感覚は初めてだった。

 〝アソビ〟はまだ、始まったばかり。どんどん攻めていけばいい。

 そんな決意を胸に、拓海が口を開きかけると、一人、自分をじっと見ている生徒に気付いた。

 その生徒は、七瀬だった。

 驚きで声も出ない様子で、拓海の顔を見上げている。

 そして拓海と目が合うと、七瀬は目を瞬いてから、にっと楽しげに笑ってきた。

 がんばれ。そんな風に、言われた気がした。

 嬉しくなって、拓海も笑って激励に応える。こうやって普通に笑い合えたのは、随分久しぶりのことだった。

 だがそうやって笑い合っていると、横合いから冷えた視線が突き刺さったので狼狽えた。

 今度は和音だ。無表情で拓海を見ている。

 微かな不服の覗く顔に、拓海は大いに動揺し、慌てて「ごめん」と小声で謝る。のんびり笑っている場合ではないのだ。

「えっと。……まず。イズミさんに訊かれた、呉野さんと風見さんの関連。それについて説明します。結論はさっきも言ったけど、この〝アソビ〟は間違いなく〝氷鬼〟で、その鬼の役割をしてるのが風見さんです。……その説明の為に、先に〝氷鬼〟について説明します」

 全員の視線をひしひしと感じながら、拓海は緊張しつつも声を張った。

「〝氷鬼〟……多分、皆にとっては今更な説明になると思う。ここにいる全員がルールを知ってるだろうし、一回くらいは遊んだ事もあるだろうけど……それでも一応、確認しときたいんだ」

 皆が顔を見合わせ、戸惑いながらも頷いてくれる。拓海はほっとして、説明を続けた。

「氷鬼。ルールは言うまでもないだろうけど、大まかな所は普通の鬼ごっこと同じだ。――まず一人。鬼を決める。次に、鬼以外の人達は決められた範囲内で鬼から逃げる。鬼は逃げるメンバーを追い駆けてタッチする。ただ、ここで言う逃げてもいい範囲っていうのは、一緒に遊ぶメンバーが決める事だろうし、逃げる範囲の指定なしって場合もあり得るかもしんない。それは遊びの状況次第か、ルール次第だと思う」

 拓海の言葉に、数名が困惑顔で顔を見合わせた。

 あまりに当然の説明を受けたからだろう。鬼ごっこのルール説明など、中学生相手に今更するものではない。説明する拓海自身妙な事を言っていると自覚があったので、皆の反応を見るにつけ、ほんの少し恥ずかしかった。

 だがこの説明は、きっと手抜きで片付けてはいけないのだ。

 異能の怪事に関わった事で、研ぎ澄まされた直感。それが拓海に訴えている。ここを、おざなりにしてはいけない。〝アソビ〟のルールへの全員の認識を揃えておかなければ、これから先何かが起こった時、皆がばらばらに動いてしまう。

 説明は、殊更丁寧に行うべきだ。

「普通の鬼ごっこだったら、メンバーが鬼にタッチされたら鬼が交代になるよな? それか鬼にタッチされた子も鬼になって、どんどん鬼が増えてくタイプもあったと思う。……けど〝氷鬼〟は、そのどっちでもない。鬼にタッチされたら、その場で動く事ができなくなる。――『凍り』ついたみたいに、『動けなく』なる」

 それが、最初の懸念だった。

 言葉の、引っ掛かり。只の偶然と見過ごすには、あまりに不気味な一つの符号。

 あの瞬間から気づいていた。この〝アソビ〟が何なのか。

 ただ、拓海にはその証拠が見つけられなかった。だから言い難くて黙っただけだ。和泉に言われた通りなのだ。

「『凍った』みたいに動けなくなった綱田さんを見て、俺は、『氷』って名の付く呉野さんを連想した。……ですが、イズミさん。そんな符号を理由に、俺は呉野さんが事件と関係してるなんて言うつもりは、ありません」

『では、どういう理由で言っているのです?』

 携帯の向こうで、和泉が笑い声を立てた。

『成程。〝氷鬼〟。確かに状況としてはそうでしょうね。これ以上ないという程この〝アソビ〟に似合いの名であり、同時に氷の鬼たる氷花さんの、最後の〝アソビ〟に相応しい』

「最後?」

 拓海は驚いたが、和泉はそれ以上拓海に喋らせなかった。

『ですが、まだ弱いですね。それでは根拠とは呼べませんよ?』

 声を潰すように、あるいは無視して、異邦人たる男の言葉が、祝詞のように流れ始めた。

『名前と特徴が合致するばかりで、肝心の根拠がもぬけの殻です。君、それはどう説明するのです? 何故この〝アソビ〟の関与に、氷花さんを求めるのです? ――異様な怪事は須らく、呉野氷花の〝言霊〟の所為。そんな暴論にも取れますよ?』

「その説明は、これからします」

 負けじと、拓海も言い返した。

 少し、声が震えてしまった。その震えを気取られたかもしれない。

 先程までは、この〝アソビ〟を楽しみかけていたが……もしかしたら自分は、とんでもない曲者を相手にしているのかもしれない。

 冷や汗が身体に浮くのを感じながら、何故かやっぱり苦笑してしまった。

 それもまた、楽しいかもしれない。

 そんな拓海に、柊吾が茫然と言った。

「坂上……おい、氷鬼って……本気で言ってんのか?」

「うん、本気」

 拓海は頷いて、笑った。驚くのは尤もだろうし、拓海だって一年前なら信じない。こんな非現実的な事を本気で喋っている自分が、拓海自身不思議でならなかった。

 だが、もう異能に関わり過ぎていた。拓海の思考は既に、超常現象をベースにした理論構築に慣れている。抵抗の心は微塵も無かった。

「で、ここにどうして呉野さんが関わってるかっていうと……憶測になるけど。多分、呉野さんが風見さんに、何か言ったからだと思います」

『……そうきましたか』

 電話の向こうから、忍び笑いが聞こえて来た。

 ……来る。

 ざわりと、背中の産毛が逆立つ。

 理論の甘さ。それを突く和泉の言葉が、確実に来る。

 そして身構える拓海の耳へ、予想通りの言葉が突き刺さった。

『拓海君。つまり君の主張はこうですね? ――〝呉野氷花が風見美也子へ、何らかの〝言霊〟をぶつけた〟。それによって異能の遊戯、〝氷鬼〟が発動するに至った。……こんな所でしょうか』

「はい。その通りです」

 首肯して、拓海は断言する。

 周囲に動揺が走り、柊吾が泡を食った様子で拓海を見た。拓海はそちらを気にしながらも、淡々と先を続けた。

「イズミさん、それだけじゃありません。昨日三浦から聞いて知ってると思いますけど、一昨日の三月三日から、袴塚市の花が切られる事件が起こっています。犯人はまだ見つかってませんが……俺は、その犯人も。風見美也子さんで間違いないと思っています」

 今度こそ、教室の空気が凍りついた。

 柊吾の表情が、一際険しくなる。陽一郎は目に見えて顔色を青くした。撫子の表情は変わらないが、その隣では毬と和音が、表情を引き攣らせて立っていた。

 だが、誰も言葉は発しなかった。

 もしかしたら、予想済みだったのかもしれない。

 あの鋏から、連想するものがあった。きっとそういう事だろう。

「風見さんが花を切ったって結論付けた根拠は、風見さんが鋏を持ってた事。茎の切断面から、凶器は鋏で間違いないと思います。俺も克仁さんの庭の花を見たので分かります。すっぱり切れてるのもあったけど、切りにくかったのか、茎が磨り潰されてるのもありました。凶器は絶対にあの鋏で、犯人は風見さんで間違いありません。風見さんを捕まえてあの鋏を調べたら、それが正解だって立証できると思います」

『……』

 異様な沈黙が、場に満ちた。

 毬がいよいよ顔色を失くし、口元に手を当てている。和音は言葉も出ないと言った様子で、拓海の顔を凝視していた。

『……。氷花さんの〝言霊〟で狂った少女が、狂気に駆り立てられて、〝氷鬼〟を始めた。君はやはり、そう主張するのですね?』

「はい」

『成程。……詰めが甘い。そう言わざるを得ませんね』

 笑い声が、携帯から流れてきた。

『異能の遊戯、〝氷鬼〟。この〝アソビ〟はただの〝アソビ〟ではなく、触られたら本当に身体が〝凍る〟、命がけの遊戯ですよ? 拓海君、言霊の異能にあてられた人間に、そんな超常的遊戯が操れますか? ……少し、考えにくいかと。それならいっそ、風見美也子さんという一人の特殊な少女が、単独で動いていると考える方が筋が通るのでは?』

「そんな事はないと思います」

 すぐに拓海は反論した。

 虚勢ではない。本気だった。本気でそうだと信じている。

 すぐさま、和泉が食らいついてきた。

『なかなか興味深いですね。それでは拓海君。君がそう思う根拠を僕に聞かせて下さい。……あと。一つ君に言っておきましょう。拓海君、僕に気を遣わなくても結構ですよ。〝アソビ〟に必要な情報は、全てこの場で使って宜しい。言い忘れていましたが…………今日は、特別です。今日の僕は呉野和泉ではありませんから。僕は今九年前の僕の心算で、君と〝アソンデ〟いるのですよ』

「……ありがとうございます」

 こちらの心配なんて、ばっちり見抜かれていたらしい。拓海は苦笑して礼を言ったが、それでもやっぱり気が咎めた。

 これから話す内容は、和泉にとって辛いものだ。

 だがここで止めれば、和泉の気遣いが無駄になる。拓海は深呼吸して、躊躇う心と折り合いを付けた。

 そして言い辛いながらも、はっきり言った。

「イズミさんはつまり、俺にこう言いたいんですよね。――〝この事件は呉野さん絡みではなく、風見さんの単独犯。つまり呉野さんの異能の事件ではなく、風見さんの異能の事件〟」

 一度、そこで言うのをやめる。

 言い難い。本当に言い難かった。だが勿体付けても仕方がないのだ。気が進まないながらも、拓海は何とか言った。

「風見さんにも、呉野さん同様に異能があるんじゃないか。……イズミさんはそういう疑問を、俺達に提起してるんですよね?」

「はああっ? なんだそれ! ふざけんな!」

 柊吾が声を荒げた。

 拓海が振り返ると、柊吾はもう黙っていられなくなったのだろう。つかつかと携帯に近寄り、乱暴に引っ掴んだところだった。

「イズミさんっ、呉野の阿呆みたいなのが、さらにもう一人いるとか言ってるんですか? おい、冗談じゃねえぞ、あんなの一人でたくさんだ……!」

 言いながら強い眩暈を覚えたのか、空いた方の手で額を抑え、天井を振り仰いでいる。携帯を取られた拓海は、慌てて柊吾に駆け寄った。

「三浦、待てって。大丈夫だから。俺にもうちょっと任せて」

 気持ちは分かるが、状況が余計にややこしくなってしまう。拓海は携帯をそっと取り返し、とんと机の上に置いた。

 すると携帯からは『何だか僕の身は、小人にでもなったようですね』と、妙にうきうきした声が聞こえてきたので、柊吾が渋い顔になった。

「イズミさん、こっちの状況実は『見えて』るんじゃないんですか? なんで俺が携帯持ち上げたの分かったんですか」

『なんとなくですよ。柊吾君の声が近くなったので、予想を立てたまでです。君、一対一の勝負に割り込むなんて無粋ですよ。僕は拓海君と〝アソンデ〟いるのです。君とはまた、今度〝アソビ〟ましょう。……今度があればの、話ですが』

「あー、イズミさん、ほんとうるせえ……」

 やり取りを聞きながら、拓海は小さく吹き出した。

 少しだが、緊張が解れた。和やかに会話する柊吾と和泉が、あまりに普段通りに見えたのだ。

 もう少し、二人の雑談を聞いていたい。そんな風にも思ったが、急いだ方がいいのだろう。既に拓海は七瀬とのやり取りで、相当な時間を使ってしまった。

 名残惜しさを感じながら、拓海は「イズミさん」と呼びかけた。

「確かにイズミさんの言うように、風見さんに異能があるって考えたら筋は綺麗に通ります。でも俺は、それは違うと思います。風見さんに異能はありません。今は状況が特殊だけど、元々は俺らと同じ……ええと。その。そういう、普通とはちょっと違う能力みたいなのは、風見さんにも無いと思います」

『その根拠は?』

「風見さんの言動から、そう判断しました」

 言葉を切る。本当に、言ってもいいのだろうか。やはり遠慮が強かったが、いい加減に割り切るべきだ。腹を決めて、拓海は言った。

「風見さんは、俺の目には普通の状態には見えませんでした。鋏を持ってふらふら歩いてたし、綱田さんに襲い掛かりました。言ってる内容も変で、喋ってる本人は自信満々に見えたけど、その内容は……周りで聞いてる俺らにとっては、冗談だって流すのもきついくらい、変わったものでした。――イズミさん。俺は、そういう状態になった人を知っています。九年前に、今の風見さんと同じような状態になって、神社を歩いた人を知っています」

 この台詞に、柊吾と七瀬、撫子が反応を見せた。

 分かったのだろう。拓海が、誰の事を言ったのか。

 不意打ちのような、悲しさを感じた。

 拓海は映画のように『見た』だけだが……その人は実際に、この世を生きた人なのだ。

 そんな人物までダシにして、拓海と和泉は〝アソンデ〟いる。

 高揚感に、影が差す。この〝アソビ〟は、罪深い。

 それを忘れて楽しんだのが、何より重い罪な気がした。

「あの症状は、呉野伊槻さんと同じに見えました。風見さんの異常な言動。あれは異能を持った人間の言動じゃなくて、異能にあてられた人間の言動に、俺の目には見えました。……よって、風見さんに異能はありません。彼女は、異能を持った人間からの被害に遭って、ああいう言動を取っていると主張します」

『……懐かしい、名前ですね』

 和泉が、寂しげに言う。

 拓海は胸が痛み、視線を携帯から逸らした。

 現在の和泉が〝彼〟にどんな感情を抱いているかは、推測するしかない。

 だが少なくとも、声に怨嗟は無かった。むしろ怨嗟の対局に位置するような、深い情愛を拓海は感じた。

 ……本当に、これは非道な〝言挙げ〟だった。

 その罪悪感から逃げるように、ぽつりと。

 拓海は、気付けば言っていた。

「……風見さんに会った時、なんか、身体に変な感覚がありました。呉野さんの異能に関わった人は、皆一度は経験してるみたいです」

 だが、そこで我に返った。

 あっ、と声が洩れる。

 ――失言だった。

 今の発言は、まずい。拓海にとって、不利になる。

 だが一度飛び出した言葉の御魂は、二度と相手から取り返せない。

 ぴん、と空気が一息に張りつめた。

『……成程。それではやはり今回の件。風見美也子さんの異能によるものなのでは? その感覚とやら、異能の者に関わった時の特徴と捉えるなら、風見さんに異能があると言っているようなものですよ? それに、もしかしたら彼女。狂気を偽装しているかもしれませんよ?』

 もう遅かった。

 すぐさま言質を取られてしまった。

『君は九年前に消えた男を例に挙げて、風見さんの狂気は別の異能者からの被害によるものと訴えました。しかし。しかしです。九年前に一家を襲った狂気には、疑問の余地がありました。拓海君は、自力で真相に辿り着いているのでは? ――異能の言霊に当てられた、狂人達の夏の夜。あの犯行現場には一人、狂っていない人間が混じっていましたよ?』

 和泉が、意地悪く笑い始めた。

 その声に、九年前の郷愁は欠片も無い。あるのは〝アソビ〟を楽しむ心一つ。

 ああ、と思った。

 やはり、そうだったのだ。

「……はい」

 拓海は慄然と、驚愕しながら頷く。だが心の内では何とか冷静を保てていた。

 知っていたからだ。

 今、和泉が明かしてくれた事くらい。とうの昔に、知っていた。


 ――呉野貞枝。


 氷花の母親にして、殺人鬼。

 あの惨劇の、真犯人。

『〝彼女〟はあの夏、狂言によって周囲を欺きました。異能で狂ったように見せかけた、狂ってなどいない正気の人間。君の指摘した九年前の夏には、そんな鬼女がいたのですよ? ……拓海君。彼女もまたそうかもしれませんよ? 〝彼女〟のように、狂気を装っているかもしれません。風見美也子さんの、狂言の可能性。それを君は、どうやって潰すのです?』

「……一応、その可能性も考えてました。ですがイズミさん。それはやっぱり考えにくいです」

 拓海は顔を上げると、きっぱりと言った。

 感傷は、まだ引き摺っている。だが引き摺られたままでは、永遠にこの男には勝てないのだ。

 道を切り開くその為に、今は捨て置くべき感情。そんな感情も時にはある。

 狡くてもいい。それもまた戦術だ。

 それを拓海は大人から、教えられてここにいる。

「イズミさん。もう知ってると思いますけど、今日は俺達、高校受験でした。袴塚市の高校は公立だったら試験日はどこも一緒です。私立とか、あとは推薦入試とか、市外の学校だったら日程も変わってきますけど、袴塚市のほとんどの中学生が、今日、受験であちこちの高校に行っています」

『ええ。そうですね。拓海君を始め、皆さん本当にお疲れ様でした』

 鷹揚に和泉が言う。拓海は「ありがとうございます」と思わず合いの手をいれてから、緩んだ緊張をきっと再び引き締めた。

「綱田さんが、風見さんの志望校と受験日を言ってました。試験会場は西高校。ここからは結構遠い場所です。試験日は今日。三月五日。……風見さんは高校受験をすっぽかしてまで綱田さんに会いにきて、〝氷鬼〟を始めたことになります」

 毬が、ぞっとしたように顔色を青くする。

 和音はそんな毬を複雑な表情で眺め、次に拓海へ非難するような目を向けてきた。

 突然の事に、拓海は驚く。

 だが和音の顔を見るにつれて、その感情の理由を悟った。

 すっかり忘れかけていたが……ここに揃ったメンバーの中で、恐らく和音は、最も異能がらみの知識がない。

 その点では毬や陽一郎も同じだが、二人は和音と違って異能の被害に遭っている。ここで行われている議論が超常的な何かであるのは、半信半疑ながらも察しているようだった。

 だが、和音だけは違う。

 毬を見下ろす視線には労りを感じたが、拓海を見る眼差しは氷のように冷たい。突き刺さるような視線の温度に、若干怯んだほどだった。

「……あ」

 不意に、気付いた。

 拓海は、和音の顔を見る。

 和音は……毬の身体が『動かなく』なった事を、一体、どんな風に受け止めているのだろう?

 ここでの議論を、一体、どんな風に受け止めているのだろう?

 この〝アソビ〟は果たして、異能に関する知識が皆無の者が聞けば――どんな風に、受け止められてしまうのだろう?

「……」

 和音には、捕捉の説明が要るかもしれない。

 一瞬そう思ったが、拓海はくっと呼吸を呑んで、結局実行には移さなかった。

 冷たい判断だと、自分でも思う。心苦しいが、今それをするのは厳しかった。

 氷花の異能と悪意。それによって始まった、拓海達中学生の抗戦。

 夏の惨劇上映会に、呉野兄妹の過去の罪。

 そして、今回の怪事。

 それらについて、和音一人の為に説明する時間は――申し訳ないが、今はどう頑張っても捻出できない。

 視線を、和音から無理やり逸らす。

 今は、顔を見れなかった。

「……イズミさん。風見さんもまた、受験の為に今日まで準備してきたはずです。自分の進路とか、将来のかかった大事な試験です。それを〝アソビ〟の為に放棄してまで、狂人のフリをしてるっていうのは不自然です」

『さあ、まだ分かりませんよ? 言い方はあまり良くありませんが、その西高校、いえ、正しくは西袴塚高等学校。県内のランクはかなり下の方でしょう。将来を悲観して捨て鉢になって、突然の凶行に及んだという可能性もありますよ』

「それは……。はい。その可能性があるのは、否定しません」

 否定する材料がないし、和泉の言う通りだ。柔軟に思考して、拓海は首を縦に振る。

「ですが、それもやっぱり不自然だと思います。俺は風見さんって人の事をあんまり知らないから、無責任な言い方になるけど……将来を悲観したって理由で、ああいう状態に突然なって、あんな〝氷鬼〟が出来るようになるのは、やっぱり不自然です。……それに。そういう風に考えるよりも、もっと自然な考え方もあります」

 拓海は、その人物を振り返る。

 先程、自分が質問を投げかけた三人。

 柊吾。撫子。陽一郎。

 袴塚西中学の、三人。

「……皆。今から、この〝アソビ〟に参加しているメンバーを、大まかにだけど割り出す。イズミさん。俺の考えた、もっと自然な理由。それを今から説明します」

 拓海は言って、黒板を振り返った。白いチョークを手に取ると、何事かと目を丸くする一同を横目に、すっと腕を持ち上げた。

「この〝アソビ〟が氷鬼っていう根拠。呉野さんと風見さんを結びつけた動かぬ証拠みたいなのは、さっきも言ったように、俺は用意できませんでした。でもイズミさん。それでもこの〝アソビ〟のメンバーの特定は、〝アソビ〟の名前が分からないままでも可能です。それを今から、証明します」

 和泉は、暫くの間沈黙した。

 その沈黙が終わる時、どんな言葉が返って来るか。拓海にはもう分かっている。〝アソビ〟相手の事なのだ。手に取るように、よく分かる。

 果たして和泉の選んだ言葉は、拓海の予想通りだった。


『面白い。聞かせて頂きましょう』

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