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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 133

「神主さんのことも心配だけど……柊吾、毬ちゃんのこともまだ心配?」

 鳥の囀りが聞こえる部屋で、撫子が布団から柊吾を見上げてくる。柊吾は和室の隅に設えられた本棚辺りを無為に見てから、ぼそりと小声で答えた。

「俺はまだ、あれから一度も会えてねえからな」

「二時になったら、会えるよ。私は安心してるの。笑顔で会えるって信じてるから」

 撫子が、布団から右手を出してきた。ちょこんと柊吾の左手の指を握ってくる手は、柊吾の手よりずっと小さい。どきりとしながら握り返すと、撫子は綺麗に笑ってくれた。

「私もメールを続けてるし、和音ちゃんは毎日会いに行ってるんだって」

「佐々木が、毎日? じゃあ、まだ学校には行けてないんだな」

 予想できたこととはいえ、柊吾は表情を翳らせた。

 美也子の父親に、毬が啖呵を切った翌日の月曜日。毬は学校を休んだと、柊吾は七瀬や撫子から聞いて知っている。

 ただ、以降の欠席についても何となく予想できたのは、別の人物が原因だ。袴塚西中学の級友に意識が逸れると、撫子がくすりと笑ってきた。

「陽一郎のこと、考えてた?」

「なんで分かるんだ……? まあ、そうだけど」

 もし和泉がこの場面を『見て』いたら、以心伝心などと言われそうだ。柊吾は若干の気まずさと照れを覚えながら、改めて最近の陽一郎のことを考えた。

 毬が酷く憔悴してしまった今回の出来事に対して、柊吾達全員が胸を痛めていたが、その中でもとりわけ毬を心配して、元気になってもらおうと懸命に働きかけていたのが、陽一郎だったのだ。

 しかし、陽一郎は袴塚西中学で、毬の方は袴塚中学。通う学校が違う上に、陽一郎は毬に連絡先を訊きそびれていた。頭を抱えた陽一郎だが、はっと思い立って携帯の発信履歴を遡ると、毬の自宅の番号を見つけたそうだ。〝アソビ〟の日に一度だけ、毬に携帯を貸したことがあったという。

 だが、事はそう簡単には運ばなかった。

 理由や事情は不明だが、毬の自宅に電話が繋がらないらしいのだ。

 時間を置いても不通は変わらず、やきもきした陽一郎は行動に出た。〝遊び〟翌朝の月曜、教室に登校するや否や撫子の元へ直行して、神仏でも拝むように手を合わせて懇願したのだ。

 ――『撫子! お願い! 綱田さんの連絡先、教えて!』

 だが、着席していた撫子は、首を横に振って断った。

 ――『ごめんなさい、七瀬ちゃんと和音ちゃんに止められてるの』

 陽一郎は雷に打たれたような顔で立ち尽くし、その顔のまま中学での一日を終えた。そしてさらに翌日火曜の朝になると柊吾の元へやって来て、和音と七瀬という結託した女子二人組に自分がどれだけこてんぱんに敗北したかを、べそべそと情けなく語ってくれた。

 撫子に協力を断られた陽一郎は、その日の晩に和音の自宅へ電話をかけたそうなのだ。七瀬とも連絡先は交換していたはずだったが、そちらへの連絡は恐ろし過ぎて出来なかったとも言っていた。実に甘い考えだ、と柊吾などは思ったものだ。恐ろしさで量るなら、二人に差異などないだろう。

 そんな柊吾の予想は的中し、『綱田さんの連絡先を、僕にも教えて下さい!』という陽一郎の嘆願を、和音はけんもほろろに突っぱねた。

『絶対に駄目。個人情報だから』

『そこを何とか! お願いします!』

『私からは教えないから。他をあたって』

『ひ、ひどいよっ! 撫子にも口止めしてるよねっ? じゃあ誰に聞いたらいいのっ? あっ、分かった! じゃあメールは諦めるから、住所を』

『ちょっと、あなた何考えてんのっ!?』

『ひっ……!』

『……。切るから。おやすみ』

 珍しく冷静を欠いた声を誤魔化すように、そそくさと電話は切れたという。あまりの恐ろしさに陽一郎は自宅の固定電話前で震え上がっていたそうだが、ガッツはまだ尽きていなかった。腹を括った陽一郎は再び受話器を持ち上げると、今度はついに七瀬の携帯にかけたのだ。

 ただし結果は、和音の時とそう大差ない惨敗だった。

『ごめんねー、日比谷くん。私からは教えられないんだ』

『そこを何とか! お願いします!』

『いいかなって気はするけど……やっぱだめ。ごめんね、今回は和音ちゃんの味方になってあげたいんだ』

『佐々木さんの、味方……? よく分かんないけど、教えてよお!』

 七瀬の対応は和音に比べれば幾分柔らかだったそうだが、最終的には『あっ、ごめんね! 坂上くんとの電話の時間だから!』と彼氏を優先されて通話を切られてしまうという、不憫な結末を迎えていた。その日から、陽一郎と和音と七瀬の間で電話を介した攻防戦が、毎晩繰り広げられているとのことだった。今のところ、陽一郎の全敗だ。

「佐々木も篠田も、もういいだろ……教えてやればいいのに」

 さすがに柊吾としても、あの有様には同情している。和音は陽一郎のことを、毬に寄りつく悪い虫だとでも認定しているに違いない。

「私は、和音ちゃんの気持ちも分かるよ。毬ちゃんに本気で優しくしたいから、今の毬ちゃんに近づく人に、慎重になるんだと思うの」

 撫子は柊吾とは対照的に、この状況を明るく受け止めているようだった。枕に頭を沈めたまま、琥珀の瞳をくすぐったそうに細めている。

「まあ、そう言われたら、分かるけどな……」

 答えながら気持ちがほぐれ、柊吾も少しだけ目を細めた。

 平和だ、と感じたのだ。当たり前だった日常に、柊吾達は一日一日、再び馴染んでいこうとしている。撫子がそろりと寝返りを打って、柊吾に身体を寄せてきた。子守唄のように優しい声が、とっておきの秘密を明かすように、日だまりの色をした言葉を編んでいく。

「……昨日の夜に、七瀬ちゃんと電話したの。七瀬ちゃんね、陽一郎にこっそり教えてあげたんだって」

「嘘だろ? あの篠田が、折れたのか?」

「陽一郎が、あんまり一生懸命だったから、って。だから、毬ちゃんのおうちの場所だけ、内緒で」

「それ、一番教えられても困るやつだろ……」

「そうかも。陽一郎、今日の卒業式の間、ずっと上の空だった」

「あの挙動不審は、受験の結果が気になりすぎてヤバいからじゃなかったのか。それにしても、陽一郎の奴。あんなに頑張るとは思ってなかった。あいつ、気弱が一周して薄情なとこあったじゃん」

「陽一郎も、和音ちゃんと一緒なんじゃないかな。毬ちゃんのこと、それだけ心配なんだと思う。……私、実は少し嬉しいの。陽一郎があんな風に、誰かのために一生懸命になってるところ、ちゃんと見れて」

「……やっぱり、母さんみたいだな」

 ふふ、と撫子が笑った。今はもう、籠に鳥を閉じ込めるように、寂しさを押し隠したりはしていない。白い日差しのベールの中で、撫子は柊吾が花を贈った時と、良く似た顔で笑っていた。

「じゃあ、陽一郎は、私が守ってあげないと……って。言ってたことも、あったよね。覚えてる?」

「ん。覚えてる」

 時が流れた今だからこそ、交わし合える言葉だった。以前の柊吾と撫子なら、こんなやり取りはできなかった。握り合った指同士を緩く絡ませ合って、柊吾と撫子は語らい続けた。こうして布団に横たわった撫子と穏やかな時間を過ごしたことも、いつか懐かしい思い出の一つになるのだろうか。遠い未来へ柊吾が思いを馳せていると、すうと撫子が、目を閉じた。

「大丈夫だよ、柊吾。……毬ちゃん、今日の卒業式はちゃんと行くってメール、くれたから」

「……そうか」

「和音ちゃんと、七瀬ちゃんと、陽一郎だけじゃなくて。私達も毬ちゃんを支えていけるし、それに毬ちゃんだって、強いから。私達は、大丈夫」

「ああ」

 柊吾は、力強く頷いた。撫子の言葉を肯定するだけでなく、先程この和室を退室していった和装の異邦人の言葉にも、確かな肯定を返すように。撫子も安心した様子で目を開くと、柊吾と握り合った手を離した。

「柊吾。もう平気だから、神主さんの所に行こう」

 そう言って布団から這い出て来ようとするので、柊吾は「まだ休んどけって」と再び同じ台詞で止めかけたが、「本当に、もう大丈夫」と微笑した撫子がしっかりと布団を両手で押し上げたから、今度は助け起こすことにした。

「神主さんとのお話、あと少しだけでも続けよう。大丈夫ってところ、ちゃんと見せたいから」

「……分かった」

 その心意気は、柊吾だって同じだった。二人で和泉の元へ戻ったら、さっきの事件など大したことではないのだと、態度できちんと示すのだ。その時にこそ、柊吾は三度目の質問をするつもりだ。

 和泉はこれから、どうするつもりなのか、と。

「あ……柊吾。鏡、どこか分かる?」

 布団に座った撫子は、ほんの少し狼狽えた様子で辺りを見回していた。我に返った柊吾が「あ、悪りぃ。布団に乗っけてたんだ」と答えてから、掛布団に埋もれた朱色へ、手を伸ばした時だった。

 ――ことん、と。

 涼やかな物音が、背後の廊下から聞こえたのは。

「? 何だ?」

 柊吾と撫子は振り返り、意外な光景に目を瞬いた。

 開け放された二枚の障子戸の間、よく磨き込まれた板張りの廊下に、透明な小皿が一つ、ちょこんと置いてあったのだ。

 小皿の上には、兎の形に切られた林檎が六つ、行儀よく並んでいる。まるで手負いの獣が人間から手当てを受けて、恩返しにやってきたかのような光景だ。林檎の兎の耳が窓からの外光をつやつやと弾いているのを見つめた柊吾は、障子戸の片側に人型の影が立っているのに気が付いた。

「差し入れよ。それ食べたらさっさと帰りなさいよ」

「お前……呉野」

「勘違いしないで頂戴。いつまでも兄さんの部屋にあんた達が居座ってるのが気に食わないだけよ」

 そう言って、人型の影はすとんと座った。膝を抱える少女の影絵が、茫、と障子戸のスクリーンに映し出される。象牙色の影と対峙しながら柊吾は撫子と息を詰めたが、相手に動く気配がないのを見て取ると、慎重な声音で問い質した。

「何しに来た?」

「差し入れだって言ってるじゃない。貴方って親切に慣れていないのね」

「嘘つくな。こんなの、裏があるに決まってるだろ」

「ないわよ、そんなもの。馬鹿にしないで」

 その時初めて、呉野氷花の声音が、何だか傷付いたようなものに変わった。

 意外な反応に、柊吾は狼狽えた。言い過ぎたと気付いた時には、撫子に少し睨まれてしまった後だった。

「呉野さん、ありがとう。お蕎麦もすごく美味しかった」

「……ふん、何よ。とってつけたみたいに」

 氷花の影が、もぞもぞと動いた。声音が分かりやすく上ずったので、料理の腕を褒められて喜んでいるのだろうか。さらに意外な一面を見せられて柊吾がリアクションに窮していると、氷花が突然つまらなそうに、こんな事を言い出した。

「風見美也子の近況と、過去。私が教えてあげてもいいわよ」

「風見の近況と……過去だと?」

「つい最近、克仁お父様が我が家へ遊びに来たのよ。その時に兄さんとこの和室で話していたことを、私はこうやって隠れて聞いていたの。貴方達も知りたいんじゃない? 風見美也子という嫌な女と、そして貴方達に無理難題を押し付けてきた、図々しい父親のことを」

「……」

 逡巡したが、柊吾は答えられなかった。

 率直な思いとしては知りたいが、知らなくとも前には進めるのだ。興味本位で耳に入れるようなことでもない。そう結論を出して尚、後ろ髪を引かれる思いで、知りたいとも思ってしまう。

 家族が一人欠けてしまった、あの悲しい親子のことを。

「……聞きたいのね?」

 沈黙を、氷花は自分に都合のいいように解釈したらしかった。

 機嫌を心持ち持ち直したような声で、それでいて墓前で念仏を唱える時のような粛然たる抑揚のついた声で、柊吾と撫子が知りたいとも知りたくないとも答えなかった父子の話を、澱みなく紐解き始めたのだった。

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