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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 132

 こうして、三月七日の〝遊び〟が終わった直後、神社前で解散した柊吾達は、夜の七時に藤崎克仁の家へ再集合することになったのだ。

 ただし、中学生メンバー全員が再び集まれたわけではない。自宅で夕飯を済ませてからの外出が可能だったメンバーは、柊吾と撫子、拓海と七瀬、それから陽一郎と和音の六人だ。

 毬は、来なかった。連絡がつかなかったからだ。

 御山の石段前で泣き続けた毬は、和泉に連れられて一旦神社まで戻っていた。和音も付き添いという形で、毬と一緒に居残った。他の者も去り際に毬にあれこれと声をかけたが、柊吾は毬になんと声をかけたのか、ほとんど覚えていなかった。動揺していたのだと思う。他のメンバーも似たような反応で、とにかく毬に声をかけなくてはと分かっているのに、何を言うべきかよく分かっていないようなもどかしさが、全員の顔に滲んでいた。

 風見美也子の父親は、毬が神社へ引き取られている間に、恭嗣と藤崎によって車に乗せられ、何処かへと去っていった。あの時の柊吾は状況を理解できなかったが、後に行先は藤崎の家だと知らされた。

 そして、五分と経たずに戻ってきた車には、恭嗣一人だけが乗っていた。

『毬ちゃんは俺が送っていくから、お前らは安心して家に帰れ。な?』

 そう言って恭嗣は笑ったが、柊吾達は誰一人として笑えるわけがない。結局『親御さんが作ってくれた飯をちゃんと食ってこい』と押し切られてしまったので、柊吾たち子供は大人の言葉に従って、日が暮れる前に帰宅した。

 そして各々が家族とともに夕食を取り、各々が今日の出来事について己の言葉で家族に話し、各々が示し合わせたようにメンバー間で連絡を取り合うと、電話では言いたいことを到底伝えきれなくて歯痒いので、どこかで落ち合おうと決まったのだ。

『ユキツグ叔父さんの言った通り、全員が夕飯食ったんだから、いいだろ?』

『師範、こんなサイテーな気分のまま今日を終わらせるなんて、あり得ないんだけど?』

 柊吾は恭嗣に電話で談判し、七瀬も藤崎に電話で談判してくれた。何とか皆で話し合う場を〝遊び〟の日のうちに作れたが、八時までと制限をかけられた。七瀬の門限に揃えられてしまったらしい。

 藤崎の家に上がった柊吾達は、和洋折衷の調度に囲まれた居間で、ソファへ車座に腰かけた。橙色の電灯に照らされた部屋に、美也子の父親の姿はなかった。とうに藤崎の家を辞したという。

『私、風見さんのお父さんに言われたこと、家で私のお母さんに話したんだ』

 まずは七瀬が、そう切り出した。伽羅色の毛糸編みのクッションを抱いてソファに座る七瀬の指は、いまだ抑えきれない怒りを一緒に抱きしめているかのようで、力がこもって白かった。

『お母さん、すごく怒ってた。苛めの加害者で、他の子にも怪我だってさせてて、取り返しがつかないことをやってきて……それなのに、これからも仲良くしてほしいって、親から頼んでくるなんて。虫が良すぎるって怒ってた。私達が断りにくいことを、断りにくい言い方で頼むなんて。そんなの狡いって怒ってた』

『僕も、お母さんに話したんだ。篠田さんのところとは、ちょっと違う意見だけど……』

 そう呟いて、八人は優に卓を囲めるテーブルから、湯呑みを一つ取り上げたのは陽一郎だ。七瀬の悲しみの色を帯びた怒りに、気を遣っているのだろう。この級友は〝アソビ〟を通して誰かへの気配りが上手くなったと、柊吾は不意に、気がついた。

『僕のお母さんは、みいちゃんのお父さんの気持ちも分かるって言ってたよ。だってみいちゃん、お母さんも亡くなって、家だってなくなって、やっぱり引っ越しちゃうのかもしれなくて。お父さんの立場なら、みいちゃんの支えになるような友達がいてくれたら、心強いって思うよね、って。でも、みいちゃんのお父さんに、ずっと友達でいて欲しいって言われた時、僕、ほんと言うと、怖くなって……僕のお母さん、そういう気持ちも分かるよ、って。言ってくれたよ』

『そうだよな、怖いよな。自分自身にだってまだよく分かってない未来のことに、急に触れられたら、怖いよな』

 同意の言葉を静かに述べて、寂しげに笑ったのは拓海だ。隣で塞ぎ込んだ七瀬を気にしながら、訥々と言葉を重ねていく。

『俺も、家族に話したんだ。何か悲しそうな顔させちゃったから、少し申し訳なかった。それで、家族に言われたんだ。風見さんのお父さんに頼まれた通りに、その子とずっと、友達でいられるか? って。俺は、やっぱり答えられなかったよ。風見さんと一緒にいた時間が短いから、っていうのもあるけど、それだけが理由じゃないんだ。変な言い方になるけど、もしあの時、風見さんの父親に、ずっと友達でいるって答えてしまったら、ずっと友達でいないといけないような気がしたんだ。そこに俺の気持ちが入ってるか、入ってないかなんて関わらずに。俺は多分、それが怖いって思ったんだ』

『〝言霊〟だね。坂上くん』

 ぽつりと言って、はにかんだのは撫子だ。柊吾の隣でソファにちょこんと座り込んで、膝の上に重ねた両手を見つめている。

『こういう風に、話してたら……約束の言葉って、何だか呪いみたいだね。あの時に毬ちゃんが言わなかったら、私達は美也子のお父さんに、言葉で約束をしたのかな。もしそういう選択をしていたら、坂上君がさっき言ったみたいな苦しみ方を、私達はしたのかな』

『分かんねえ。けど、これじゃあ綱田が可愛そうだ。それに……風見も』

 柊吾は湯呑みを握りしめて、呟いた。

 毬の激情が乗った、あの〝言挙げ〟を思い返す。

 あんな言葉は、誰も望んでいなかった。言う必要のない言葉を、わざわざ言わされてしまったのだ。それが柊吾にとって何より理不尽で堪らなくて、時間が経てば経つほどに、怒りが毒のように身体を巡るのを感じていた。

『綱田が言ってなかったら、俺が言ってた。あんなの、納得できねえから』

 燻った煩悶を吐き出すように口にしながら、柊吾は同時に、己の言葉に全く自信を持てないことにも気付いていた。

 本当に、柊吾は毬に代わって言えただろうか?

 大人相手に、美也子の家族に、拒絶を叩きつけられただろうか?

 これでは、最初の〝アソビ〟の時と同じだった。誰かに好悪を伝えることの、なんと残酷なことだろう。相手も自分も、傷付ける。誰も笑顔になれないのだ。

 ふと視線を感じて振り向くと、斜向かいに座った七瀬が、じっと柊吾を見つめていた。大人びた厳しさを孕んだ瞳に捉えられ、柊吾は自然と、思い出す。

 七瀬がかつて、この問題を、既に乗り越えていたことを。


 ――友達も、好きな人も、どっちも諦めたくなかった。……でも、どちらかを選ばないと、前に進めないなら。私は、坂上くんを選ぶ。


 三月五日、〝アソビ〟の夜の公園で、和音と衝突した七瀬が、全員の前で言った言葉だ。以前には親友とまで言い合っていた少女との関係が、修復不可能なまでに壊れた七瀬は、その出来事を指して言ったのだ。

 七瀬は、柊吾より先に分かっていたのだ。

 毬もまた、あの時『選んだ』のだということを。

『ねえ、皆。風見さんには悪いけど、私はやっぱり風見さんより、撫子ちゃんの方が大事なんだ。だから、風見さんのお父さんの『ずっと友達でいてほしい』って言葉には、頷けない。だって風見さんは、撫子ちゃんに怪我をさせたから。そんな風見さんに対して、不信感の根っこが消えないから。酷いこと言ってるのは、分かってる。でも、こんなにいろんな人が傷ついたんだよ? なのに、こういう蟠りに目をつぶって、これからは皆で仲良くしていきましょうって、大人から無茶苦茶言われてるみたいで……いやだよ、こんなの。できるわけ、ないよ。そんなの最初から全員が、分かり切ってたことでしょ? だから私達は〝遊び〟をしようって決めたんでしょ?』

『……』

 その通りだ。柊吾達だって、最初から覚悟の上だった。皆でこれからも仲良く友達でいる為に、〝遊び〟をしたわけでは決してなかった。それでは意味が違うのだと、海中に深く潜り込んだような息苦しさで思うのだ。

 置時計の秒針が、硬質の音を響かせながら、時を規則的に刻んでいく。柊吾達はそれぞれが苦しげな顔になって、沈黙した。

 ――仲間外れが、終わらない。

 拓海が〝遊び〟の終わりに囁いた言葉が、撫子の指摘した呪いのように、柊吾の耳に蘇る。血の汚れが沁みついた因縁に、絡め取られた気分になった。

 だが、そんな因縁の縄を、断ち切るように――それまで発言を控えていた和音が、口を開いた。

『毬は、私が立て直す。絶対に』

 その台詞は、誰に向けられたものでもなく、己への宣言に近かったのだと柊吾は思う。それでも、声の残響があまりに凛と聞こえたから、その〝言挙げ〟は全員にとっての救いとなった。居間に蟠った重い澱が、晴れ渡っていくのを柊吾は感じた。

『……俺達も、支えるから。でも、佐々木がそう言ってくれると、頼もしい』

 柊吾が顔を上げた時、他の面々も顔を上げていた。七瀬はにっと笑っていて『私も、頼りにしてるからね』と、悪戯っぽく囁いていた。和音は七瀬のこんな笑みに慣れないのか、居心地悪そうに目を逸らしていた。

 そのタイミングで、部屋の奥に続く台所から、藤崎と恭嗣が現れた。二人共、何となく中学生達の会議を面白がっている節がある。こちらは真剣だというのに、顔が少し笑っていた。

『おや皆さん、先程よりすっきりとした顔になりましたね』

『まだまだ全然、怒り足りないけどね。師範』

 七瀬はむくれて見せてから、『ねえ、三浦くんの叔父さんはどう思ってるんですか? 風見さんのお父さんに言われたこと』と、恭嗣に水を向けていた。

『俺か? そうだなぁ。どの親御さんが言ってることもよく分かるし、尤もだと思うよ。寄り集まった人間の数だけ、正解も間違いもあらぁな。その上で、俺が思ったことを言わせてもらうと……切ねえなぁ、って思ったよ』

『切ない?』

 柊吾が訊き返すと、『ああ、上手いこと噛み合わない所が』と言って、空いているソファの一角、陽一郎の隣にどっかりと座ったので、『わあっ』と騒いだ陽一郎がぴょこんと跳ねた。その様を楽しげに笑いながら、恭嗣は遠い目になった。

『さっき七瀬ちゃんも言ったがな、過去が消えてなくなるわけじゃない。一人の人間が苛めを苦に、この世界から消えたんだ。お前らは全員それを分かってたし、風見さんとこの嬢ちゃんだって分かってるさ。あの子は十五歳の女の子で、広い世界のことなんてまだまだ全然見えてない子供だけど、子供には子供の社会があって、そこで揉まれて生きてきたんだ。だったら、骨身に沁みてるはずだ。絆ってのは、そう簡単に誰とでも結べるようなものじゃない。親友って呼び合えるような存在だって、一生のうちに一人できるかどうかも分かんねえ。大人があんな風に言ったところで、どうにもならねえだろうよ』

『……じゃあ、どうすれば良かったんだ』

 無力さで、柊吾は胸が潰れそうになった。

 どうにか出来たのなら、まだ救いがある。だが打つ手が存在しないなら、ただ閉塞感が深まるだけだ。

 再び沈鬱な雰囲気で押し黙った一同へ『どうもしなくていいさ』と、足を組んだ恭嗣が、思いのほか優しい口調で言った。

『それも立派に、今を生きてるってことさ。あの子を一人にしたと思ってお前らが苦しみを感じたなら、痛みを知った分、他の誰かに優しくできるはずだ。……足掻け、シュウゴ。これからも。人は、誰かのことをかけがえもなく思う時、自分が一人では決して生きていけないことを知るんだよ。それにな、堅苦しいことは抜きにして、俺はこうも思うんだよ。風見さんの父親から言われた言葉で、お前らがそこまで、心乱れたわけを』

 恭嗣は、柊吾達ひとりひとりの顔を見回した。

 その表情は、やはり優しいものだった。何だか困った様子で眉を下げて、眩しそうに日向の庭を見るような笑みはまるで、亡き父、三浦駿弥を柊吾に想起させた。二人は兄弟だというのに、顔立ちがあまり似ていなかった。似ていると思ったのは、その日が初めてのことだった。

『要するに、きっちり楽しく遊んでたところに、無粋な邪魔が入って面白くなかったってことだろ? 皆でルール決めて、相手のこと思い合って、綺麗にけじめをつけようとしてたのに、部外者の大人なんかに頓珍漢なこと色々言われて、悔しかったんだろ? ――お前らは、皆で仲良く遊んでたんだ。他の誰が何と言おうと、それでいいじゃないか。お前らは、皆で楽しく遊んでたんだ。皆で楽しく、遊んでたんだ』

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