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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 128

「――『此の中で最も罪深い狂人は、一体誰でしょうか。もし貴方がそんな風に私に誰何(すいか)したなら、私は屹度(きっと)、こう答えます。其れは、私の事ですよ、と』。……そんな言葉を残して、彼女はこの世から去りました。当時の僕は十八の高校生でしたが、そんな青年の頃には想像すらしませんでしたよ。まさか、当時六歳の幼女だった貴女と、こんな風に並んで話す未来など。さあ、撫子さん。遠慮はなしです。お好きなだけ食べて下さい」

「はい、いただきます。……私も、不思議です。神主さんとこんな風に、ここでお話をしているのが」

 神社の御山の奥深く、鎮守の森の襤褸屋にて。

 広葉樹林の瑞々しい緑に囲まれた家屋の縁側で、男の滔々と流れる声と、少女の涼やかな響きの声が、錫杖の音のように溶け合った。

 男は、呉野和泉。服装は今日も神職の装いで、白い着物に浅葱の袴姿だった。

 少女は、雨宮撫子。服装は袴塚西中学の制服で、紺色のブレザーに青と白のチェック柄のスカート、胸のリボンの中央では、金色のボタンが光っている。今日で着納めになる制服だ。

 隣り合って座る男女の、すぐ後ろで――三浦柊吾は、八畳ほどの和室と縁側の境に立っていた。開け放した障子戸に片手をかけて、先程からこうして二人のやり取りを聞いている。

 呉野家の縁側から見上げた空は、透明に澄み渡っていた。綿菓子を薄く千切ったような細い雲が、青色に細やかな小波を立てている。どれだけ見つめても見飽きない空の彼方を、数羽の雀が渡っていった。麗らかな春の陽気が眠気を誘い、ふわ、と柊吾は欠伸をした。和泉が忍び笑いを漏らしてから、こちらを愉快気に振り返った。

「柊吾君、寝不足ですか?」

「別に。ただ、今日あったかいし……なんか、こんな風にゆっくりできるのって、すげえ久しぶりな気がしたから……」

 また欠伸が出そうになったので、柊吾は障子戸から離した手で口を覆う。すると和泉の隣で撫子も、こちらを振り返って微笑んでくれた。

 その胸元には、桃色がかった薄紫の花が一輪。

 今朝、学校の教室から体育館への移動前に、在校生が挿してくれたものだ。柊吾のブレザーの胸ポケットにも、同じ花が咲いている。頭の中ではまだ皆で歌った校歌が響いていて、気持ちを心地よく浮き立たせた。

「確かに、その通りかもしれませんね。君達は元々、受験生でしたから。それでは、改めまして――柊吾君、撫子さん。ご卒業おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 朗らかに笑う和泉へ、柊吾と撫子は揃って軽く頭を下げた。

 今日で二度目のやり取りだ。正午前に柊吾達がこの襤褸屋へおとないを入れてすぐ、和泉はお祝いを述べてくれたからだ。白い木漏れ日が魚のようにきらきらと泳ぐ中で賜った〝言挙げ〟は、澄んだ神域の空気を具現化したかのような厳かさを柔和さの中に秘めていて、柊吾は体育館の壇上に一人で上がった時より何倍も、背筋を正された気分になったものだ。


 ――三月十二日、金曜日。今日は柊吾たち中学生の卒業式だ。


 袴塚西中学だけでなく、袴塚中学も東袴塚学園も、今日が卒業式だという。市内の大半が同日に卒業式を執り行っているようなので、今頃は七瀬や拓海、和音や毬も、こうして大人から門出を祝われているに違いない。

 高校受験の直後から、柊吾達が巻き込まれた〝アソビ〟。

 あの日から丁度一週間が経過して、柊吾達は日常に帰ってきた。

 ただし、本当に日常に帰ってきたと言えるのか、と。柊吾は背後の和室に転がした黒い筒を見ながら、思うのだ。

 人生の、岐路に立つ。そんな言葉を、柊吾は自然に連想した。

 この言葉を最初に思い浮かべたのは、中学二年の初夏だった。あの頃はスポーツ推薦を受けるかどうか悩んでいたと、懐かしみながら苦笑する。

 未来なんて本当に、どう変化するか分からない。

「しかし、残念ですね、陽一郎君もこちらに来られたら良かったのですが」

「ああ、あいつもイズミさんの所に来たがってました。ここで昼飯を食べるって言ったら、すげえ羨ましがってたし。それに陽一郎の奴、初対面ではイズミさんのことをお化けって誤解してたらしいから。そのことも謝りたいみたいですよ」

「なんと、お化けですか。それはまた面白い。外国人、もしくはハーフ、異人さんなどと呼ばれてきた僕ですが、お化けと呼ばれたのは初めてです。僕の名の由来となった文豪は『お化け』を作品のモチーフによく扱われていましたから、僕も日本文学的な清らかさに、少しは近づけたのやもしれません」

 くつくつと、和泉は楽しそうに笑っている。相変わらず独特のテンポで喋るので、柊吾には相槌を思いつけない。

 きっと坂上拓海ならば、この和泉の話に難なくついて行けるのだろう。何せ拓海は、高校受験の合格発表までの期間に、前々から気になっていたという泉鏡花という文豪の作品を、本格的に読み始めたらしいのだ。陽一郎などは合格発表を間近に控えた現在、青い顔で教室を右往左往していたが、〝アソビ〟の渦中で頭脳を使い続けたメンバーは、さすが落ち着きが違っている。

「ほう、高校の合格発表は明日ですか。成程、皆さん緊張するわけですね」

「しれっと心読まないで下さい。まあ、別にいいですけど。でも陽一郎が今日一緒に来れなかったのは、受験の結果が気になり過ぎてヤバいからじゃないですよ」

 三度目の欠伸を噛み殺してから、柊吾は縁側をのそりと歩き、猫が陽だまりで戯れるように、撫子の隣で胡坐をかいた。風が頬を撫でていき、足元の砂地でもタンポポが、鮮やかな黄色の頭を揺らしていた。

「存じておりますよ」

 和泉が、春の長閑さと同じ穏やかさで答えた。そして「柊吾君もどうぞ、遠慮なさらず。醤油ときな粉、どちらがいいですか?」と言って、浅葱の袴のすぐ傍を手で嫋やかに示してきた。

「醤油で」

 柊吾は、撫子が差し出してくれた紙皿と割り箸を受け取った。

 縁側に腰掛けた和泉と撫子の間には、大皿に盛られた餅がある。もう冬も終わりだというのに、この神主はいまだに七輪で餅を焼き続けているのだ。

「陽一郎君は、袴塚西中学の校門前で君たちと別れた後、真っ直ぐ自宅へ帰られたのでしょう? どうやら、彼には気になる事があるようですね。それは君達にとっても気になる事なのではありませんか?」

「……まあ、それなりには」

 柊吾がぶっきらぼうに答えると、撫子も束の間、箸を休めて顔を上げた。

「けど、焦って家に帰って郵便受け覗いたって、すぐに来るかなんて分かんねえし。何年も先かもしれねえし、そもそも、来ねえかもしれねえし。……待つしかねえだろ。気長に」

「陽一郎の気持ち、私は分かるよ。……いつか、届いたらいいね」

 撫子は、淡く微笑んだ。優しく細められた目は、あの〝アソビ〟のあった三月五日の夕暮れよりも、ずっと感情豊かだった。

「ああ、そうだな」

 柊吾も目を細めて返事をしたが、その時にはもう撫子の目は、手元の紙皿に乗ったみたらし団子に戻っていた。こう見えて甘いものに目がないので、先程から和泉との会話の合間を縫って、ひたすらもぐもぐ食べている。

 しかし柊吾と撫子は、ほんの十分ほど前には背後にある海老茶色のテーブル前で、天麩羅蕎麦を御馳走になったばかりなのだ。確か以前に佐々木和音なども頬を引き攣らせて言っていたが、撫子の細い身体の一体どこに、これらの食べ物は吸収されているのだろう。様々な事件を掻い潜ってきた柊吾達だが、どうやらこの謎の解明だけは、これから始まる高校生活に持ち越しのようだ。

「今日は、良く晴れていますね」

 和泉が、長閑な調子で言う。灰茶の髪が、春風に遊ばれてさらさら揺れた。境内から吹き抜けた風に混じって、ちらちらと桜の白い花弁が縁側に運ばれてくる。撫子が新たな餅に伸ばした箸を止めて、猫じゃらしにじゃれつく猫のように、左手を花弁に伸ばし始めた。

「君達の中学でも、きっと今頃は別れを惜しみ合った生徒達が校舎に居残っているのでしょう。柊吾君達は宜しかったのですか? この後に別の予定も控えているのでしょう?」

「別に、そっちは大丈夫です。待ち合わせは午後の二時だし。それに、ちゃんとイズミさんに卒業したって挨拶しときたかったし。な?」

「うん」

 ひらひらと舞う桜の花弁と戯れながら、撫子が頷く。その弾みで膝の上から落としかけた紙皿に慌てて片手を添えてから、撫子は和泉を見上げた。

「陽一郎だけじゃなくて、七瀬ちゃんや坂上くんも、春休みの間に遊びに来ます。和音ちゃんと、毬ちゃんも」

「おや、それは嬉しいですね。今からとても楽しみです。いつでもどうぞとお伝え下さい。ああ、ですが、くれぐれも。春の間にお願いします」

 丁寧に和泉は笑っていたが、撫子を挟んでそのやり取りを聞いた柊吾は、思わず餅を食べる手を止めて、首を捻った。

「なんで春に拘るんですか? まあ、明日の合格発表帰りにでも、早速みんなで来ると思いますけど……」

「扨て、ではそろそろ再開しましょうか」

 和泉が出し抜けに言ったので、柊吾の追及は遮られた。文句を言ってもよかったが、柊吾は一旦、疑問を呑んだ。

 今日、ここに柊吾と撫子が訪れたのは――卒業の挨拶の為だけではないからだ。

「撫子さん。貴女の言葉を、僕に聞かせて下さい」

「はい」

 撫子も、箸と紙皿を床に置いた。そしてスカートのポケットに手を入れると、中から正方形のコンパクトを取り出した。

 朱塗りの、豪奢な金箔が散りばめられたコンパクトだ。美しい毬柄が、繊細なタッチであしらってある。

 ――かつて七瀬が所有していた鏡と、瓜二つの鏡。

 その鏡を膝の上に置いた撫子へ、和装姿の異邦人は、満足げに頷いた。

 やがて滔々と再び流れ始めた二人のやり取りを聞きながら、柊吾は春の陽気に身を委ね、再び微かな眠気を覚えた。そうしてぼんやりと欠伸をしながら、およそ五日ほど前の出来事に、遠く思いを馳せていた。

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