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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 122

「よし、この調子で坂上も取り戻すぞ!」

 柊吾の掛け声に頷き合って、和音を交えたメンバー四人で手を繋いだ。右側から和音、撫子、柊吾、七瀬の順だ。

「和音ちゃん。美也子とは、話せた?」

 撫子が気遣わしげに訊ねると、和音は淡い微笑で「うん」と答えた。

「私はもう、美也子に言いたいことはないよ。美也子の方は、そうじゃないかもしれないけど……私は、これでいいと思ってる。必要なことは、伝え合えたと思うから」

「……そう」

「良かったね」

 七瀬も柊吾の隣から身を乗り出して、一番右端の和音に向かって、八重歯を覗かせて笑いかけた。

「じゃあ、遊ぼっか。風見さんに同情して、負けてあげる気なんてないでしょ?」

「当然」

 ストレートの髪を揺らして、和音が凛と前を見る。柊吾達も、和音に倣って前を向いた。

 ――美也子は、さっきから泣いている。

 その両脇には、陽一郎と毬がついている。美也子は顔を両手で覆っていたが、毬と陽一郎の表情は明るかった。その傍にいる拓海が、こくんとこちらに頷いてくる。柊吾も応えて、首肯した。

 ――状況は、悪くないはずだ。

「美也子はまだ、『美醜』に拘ってる」

 和音が、前を向いたまま言った。旧友の影に憑りついた悪霊を見るように、その表情は険しかった。

「でも、揺れてる。……美也子も、変われる。絶対に」

「ああ、絶対だ。じゃあ、行くぞ! せーの!」

 四人揃って「決ーまった!」と腹の底から声を出すと、拝殿めがけて解き放った声の刃を声の盾で弾くように、相手陣営からも「決ーまった!」と、五人の少年少女が叫び返す。鼻腔に流れる森の匂いが、意識の冴えを際立たせた。

「――拓海が、欲しい!」

 メンバー全員で足並みを揃え、『もらう』子供の名を唱えながら、この〝遊び〟の由来にまつわる会話の記憶が、走馬灯のように柊吾の脳裏を駆け巡った。

 ――はないちもんめ。花一匁。

 勝って嬉しい花一匁。負けて悔しい花一匁。大事な家族の一員が、一輪の花に等しい値段で、安く買い叩かれてしまう。連れて行かれる子供を偲ぶ、あまりに悲しい家族の歌。

 だが柊吾達がこの歌を叫ぶのは、悲嘆や哀惜が理由ではないのだ。花一匁を歌う理由に、怨嗟も、憤りも、涙さえも要らないのだ。

 ただ、求めているだけなのだ。

 この手で、仲間と、もう一度、手を繋ぎたいだけなのだ。


「――柊吾が、欲しい!」


 小山を渡る風に乗った〝言挙げ〟が、柊吾達の肌を傷つける。はっと柊吾は息を呑んだが、手を繋ぎ合った赤い鉢巻グループの女子三人は、動揺を欠片も見せなかった。この程度の事態など最初から織り込み済みだとでも言うように、機敏な動きで円の形に集合する。

「じゃんけんは……俺が」

 言いかけた柊吾の手を、撫子が「待って」と言って引き留めた。

「私が行く」

「雨宮……いや、やっぱり俺に行かせてくれ」

 柊吾は頭を振った。今回ばかりは何としても、柊吾がじゃんけんに行くべきだ。もし撫子が負けてしまったら、あるいは七瀬や和音が負けてしまったら、柊吾はあちら側に『もらわれる』。

 それなら、せめて――自分の手で。

「柊吾の考えてること、分かるよ」

 撫子が鉢巻を揺らしながら、柊吾の顔を覗き込んだ。

 その顔には、淡い笑み。さっきの和音の微笑に似ているのに、今までに見た事がないほど凛々しい笑みだ。不意打ちの感慨が胸に迫り、柊吾は琥珀の瞳を見つめ返す。

「私にも、背負わせて。もし負けても、また一緒のグループになれるって信じてる」

「……分かった。篠田と佐々木も、それでいいか?」

 覚悟を決めて、三人の顔を柊吾は見た。

 ――この身体も、魂も、撫子の手に託す。

「そうこなくっちゃ!」

 溌剌と笑った七瀬の手が、柊吾の背をばんっと叩いた。呆れた風に微笑した和音の手は、撫子の背をとんと押した。面映ゆそうに笑う撫子は、短い髪と燃える赤色の鉢巻をたなびかせて、石畳を歩き始めた。

 氷花はこちらに向かって居丈高な態度で歩いていたが、柊吾達が撫子を送り出したのを見るや否や、顔色を変えて後ずさった。

「な、なんで『リーダー』自らじゃんけんに来ちゃってるのよ!? 帰りなさいよ人殺しっ! 近寄らないで! 警察呼ぶわよ!」

「お前なあ……」

 げんなりとした空気が広がったが、撫子は氷花に一応配慮したのか、びくびくと怯える美少女から三メートルほどの距離を開けて立ち止まった。氷花はへっぴり腰で右手を上げて、妙によそよそしい五回戦の勝負が始まった。

「じゃんけん、ぽん! ……あら。私の勝ちね?」

 ころりと態度を一変させて、氷花は不遜に笑い出す。とはいえ腰が引けたままなので、全く様になっていない。相変わらずの態度に呆れながら、柊吾は拝殿へと歩き出した。

「どんまい、撫子ちゃん! 三浦くん、後でね!」

 背中に掛けられた七瀬の声に「おう」と柊吾が横顔で振り返って応えた時、丁度こちらに戻ってきた撫子とすれ違った。

 感情の希薄な表情だった。だが、諦めていないとはっきり分かる。

 柊吾も同じ気持ちだった。もう、不安に揺れたりはしないのだ。

「ごめんね、柊吾」

「いいんだ。必ず戻ってくる」

「うん。取り返すから。絶対に」

 栗色の髪が、横を通り過ぎていく。美しい髪が茜の光を弾くのを視界の端に捉えながら、柊吾は五人の同級生たちを見据え、肩で風を切って歩いた。



     *



 まさか、まさか。あまりに予想外の連続で、私の心は乱れていた。

 まさか、まさか。氷花ちゃんが、三浦君を呼ぶなんて。

「雨宮撫子から三浦柊吾を引き離すのよ。ふふふ、良い考えだと思わない?」

 鼻歌でも歌い出しそうなくらいに氷花ちゃんは上機嫌で言ったけれど、坂上君も陽一郎も毬ちゃんも、みんな不服そうに黙っていた。

 けれど皆は『もらう』メンバーを決める主導権を、氷花ちゃんから奪うつもりはないみたいだ。私の胸に激しい懐疑が、水疱のように膨れ上がった。

 ――なんで、文句を言わないの?

 だって、氷花ちゃんは嫌なことばっかり言ってるよ? さっきだって別の子が、この女の子に嫌な陰口を叩かれた。皆で仲良くしないのは、良くないことだ。許せない。学校の『ルール』に、違反している――ううん、多分、違うのだ。これは、そういうことじゃない。

 私だって、皆と同じだ。氷花ちゃんの決定に口を挟んでいないのに、その役目を誰かに押し付けようとしている。さっき去っていった和音ちゃんの眼差しが、眼窩に焼き付いて消えなかった。全ての『罪』を『罰』に変えてしまうような透徹の目が、私の欺瞞を暴くのだ。

 ――じゃあ、私の本心は?

 ――私が嘘で誤魔化した、本当の気持ちは一体何?

「勝ったわよ! ふん、殺人鬼だって、じゃんけんでは人並みね。私の足元にも及ばないわ!」

 戻ってきた氷花ちゃんの後ろから、大柄な男の子が歩いてくる。ざわりと全身の血が騒ぎ、私の中で殺意と憎悪がどろどろと熱く煮え滾った。

 ――私は、三浦君も大嫌い。

 この男の子は、私の妖精を二度にわたって攫っていった。その所為で撫子ちゃんは、王子様のキスで目が覚めてしまったお姫様みたいに、ありふれた女の子に変わってしまった。

 三浦君なんて、大嫌い。大嫌いだから、来ないで欲しい。それが私の、本心だ。

 けれど、泡が立った熱い憎悪を、私は一瞬で忘れてしまった。

 ――目が合ってしまったからだ。

「……」

 鳥居の下で撫子ちゃんが、立ち尽くす私を見つめていた。

 さっぱりと短くした栗色の髪を夕日色の輝かせながら立つ姿は、男の子みたいな格好なのに、紅白の着物を着て神様にお仕えする巫女みたいに、清らかな空気を纏っていた。どんな表情をしているかは、夕日の逆光で読み取れない。

 ただ、撫子ちゃんがもう白い妖精じゃなくて、いろんな色を持った人間の女の子になってしまっても、私の気持ちは変わらなかった。変わってしまえば傷つかないで済んだのに、恋は恋のままだった。

「撫子ちゃん……」

 撫子ちゃんはどんな思いで、三浦君を送り出したのだろう? じゃんけんに負けた責任を、どんな気持ちで背負っているの? そんな風に考えた時、甘やかな痛みが胸を刺した。視界がみるみるクリアになって、夕空の赤と群青が、驚くほど鮮やかに目に映る。ああ、と私は理解した。こういう感覚を、知っている。

 ――嬉しいんだ。撫子ちゃんは。

 好きな人の全部を背負えて、嬉しいんだ。絶対また手を握り合えるって、強い気持ちで信じてるんだ。そんなに三浦君が好きなんだね。分かるよ、撫子ちゃん。私にだって分かるよ。私も、同じ気持ちだったから。

「やっほー柊吾! お疲れ!」

「おつかれ、三浦」

 陽一郎はハイテンションで、坂上君は微苦笑の顔で片手を挙げて、それぞれ三浦君を出迎えた。三浦君は無愛想に「うす」なんて言ってから私達一人一人に目を向けると、最後に氷花ちゃんをじっと見た。

「あら、なあに? 負け犬が何を生意気な目つきをしているの?」

 氷花ちゃんは挑発的に笑ったけれど、この四年で驚くほど背が伸びた男の子は、私が意外に思うほど落ち着いた目をしていた。三浦君はボールを徐に放るような朴訥さで、氷花ちゃんに言った。

「お前、自分が負けるわけないって信じてるんだろ」

「そうよ? 私はあんた達なんかには負けないわ。ゴミがいくら寄り集まったって所詮ゴミよ。出せる力なんてしれてるもの」

「俺達はな、負けるわけない、なんて誰も思ってねえぞ」

「じゃあ負けるって分かってて勝負してるの? 頭の悪い愚か者ね」

「そうじゃない」

 三浦君は、平静を保ったまま告げた。

「勝つ、って思ってるんだ」

 その台詞が、どくんと私の胸を打つ。

 ――どうして、そんな風に強く言えるの?

 どっちのグループが勝つかなんて、神様にしか分からない。なのに三浦君の勝気な台詞を聞いた皆は、次々に三浦君と同じ自信の顔で、眩しく顔を上げたのだ。坂上君も、陽一郎も、毬ちゃんも。氷花ちゃんは「そんな言い方の違いが何よ!」と不機嫌そうに喚いたけれど、私だけは、不満の顔さえ作れない。

 今、腑に落ちてしまったのだ。

 ――撫子ちゃんは、こういう人を好きになったのだ、と。

 憎悪で煤けた私の目がほんの少しだけ洗われて、普通の十五歳の男の子が、世界を映すフィルターの中に現れた。こういう風に三浦君をちゃんと見たのは、多分小学五年の春以来だ。私は頬に、涙を一粒だけ零した。

 ――私の恋は、ここで終わりなんだ。

 敵いっこなかった。こんな風に、私はなれない。

「ちょっとー呉野さん! 何をごちゃごちゃ言ってるの? 六回戦、行くんだからね! ぜーったいに! 私達が勝つんだからーっ」

 止まった時間をかき混ぜるように、女の子の声が聞こえた。

 手の甲で目を擦って顔を上げると、鳥居の下で篠田さんが、両手をメガホンの形にしているのが見える。夕陽の位置はさっきよりも低くなって、境内に立つ撫子ちゃんと和音ちゃん達の立ち姿は、朱色の闇に染まっていた。女の子三人だけになった赤い鉢巻グループは、一斉に手を繋ぎ合って、笑顔で私達に対峙した。私の中で不安とも恐れともつかない気持ちが、どんどん泡のように生まれては、意識の海面で弾けていく。

 ――どうして皆、自信があるの?

 撫子ちゃん達、負けちゃうよ? 私達は三浦君を入れて六人で、撫子ちゃん達の倍の数の子供がいる。なのにどうして『勝つ』って思えるの?

「ミヤちゃん、始まるよ!」

「みいちゃん、がんばろ!」

 たくさんの疑問に答えが全然出ないまま、私の手は毬ちゃんと陽一郎に引っ張られて、六回戦の〝遊び〟がスタートした。今度は右から三浦君、坂上君、陽一郎、私、毬ちゃん、氷花ちゃんだ。

「勝ーって、嬉しい、はないちもんめ!」

 六人で合わせた声は、今までで一番大きかった。人数が増えた所為だと分かっていても、その声の大きさが誰かを威圧している気がして、私はすごく怖くなる。学校で女の子達を食い殺す化け物が、咆哮しているみたいだった。

「負けーて、悔しい、はないちもんめ!」

 対して、たったの三人だけの声は、透明で綺麗な声だった。男の子の声がなくなった所為だ。でも坂上君や三浦君が『もらわれた』ことなんて全く感じさせない声量で、女の子の声は私達の声に刃向った。その強さはまるで学校の教室で、誰とも馴れ合わない孤高を貫く女の子みたいに一本筋が通っていて、どんな化け物にも屈しない白い輝きを放っていて、私の心の脆い部分が、ぎりぎりと絞られたみたいに痛くなる。

 私だって、こんな風にしたかった。誰かに合わせるんじゃなくて、自分の強さを持ちたかった。あれ、私、今とっても、大切なことを思った気がする。砂金みたいに煌めいた心の欠片を両手の平で掻き集めて、ああ、と私は吐息を漏らす。

 ――私は、強くなりたかったのだ。

 袴塚中学で、私が笑顔と社交性を手に入れたのは。誰にでも愛される美也子でいようと、明るく振る舞うようになったのは。もう二度と傷つきたくないからって、膝を抱えた所為だけじゃない。

「次は篠田七瀬よ! いけ好かないあの女を、早くこっちに引き入れるのよ!」

「うるせえな。こいつ、ずっとこんな調子で騒いでたんだな」

 三浦君が、面倒臭そうにぼやいている。氷花ちゃんは鼻息荒く文句を叫び返していたけれど、坂上君を始めみんなの表情は和やかだ。ねえ、どうして? 氷花ちゃんが叫んだみたいに、私も叫び出したかった。ねえ、答えを教えてよ。どうして皆、負けるって思わないの? 私達がまた勝てば、向こうの子供は残り二人。撫子ちゃん達、どうするの?

「――七瀬が、欲しい!」

「――柊吾が、欲しい!」

 ああ、と思う。水に深く潜ったみたいに、息が苦しい。

 でも、けじめをつけた恋心は、覚悟していたほど痛まなかった。

 やっぱり、撫子ちゃん達は――三浦君を選ぶのだ。

「七瀬ちゃんと撫子ちゃんは待ってて。じゃんけんは私が行ってくる」

「和音ちゃん、いっけー!」

 篠田さんが飛び跳ねて、和音ちゃんを応援している。その隣では胸の前で両手を握った撫子ちゃんが「がんばって」と激励していて、和音ちゃんは私が見た事がないくらいに柔らかい笑い方を見せてから、石畳を歩き始めた。神社の神主さんと藤崎さんが、和音ちゃんの歩く姿を微笑ましげに眺めている。氷花ちゃんが鼻を鳴らして、顔を歪めて歩いていった。

「じゃんけん、ぽん!」

 勝負がついて、「ああー」と陽一郎が情けなく叫びながら眉を下げた。私も、目を逸らしてしまった。

 ――氷花ちゃんの勝ちだ。

 でも、待って。どうして私は、目を逸らすの? 勝っているのは私のグループの方なのに、どうして私は素直に喜べないでいるの? 和音ちゃんにも、さっき指摘されていた。私は、一体、どうしたいの?

「あはははは! 私よりじゃんけんが強い子なんていないのね! ほら来なさいよ篠田七瀬! 私のグループでこき使ってやるわ!」

「何させるわけ? 呉野さん、ほんと調子に乗り過ぎじゃない? こういうのフラグって言うんでしょ? そろそろあんた、やばいんじゃない?」

 篠田さんは肩を竦めてから、馬鹿みたいに浮かれている氷花ちゃんに続いて歩いてきた。撫子ちゃんの元に戻る和音ちゃんとすれ違いざま、お互いに軽く挙げた手を叩き合って、ぱんっと威勢のいい音がした。その残響はざわざわとした潮騒みたいな音になって、私の聴覚を侵していく。新たな疑問がどんどん芽吹き、皮膚を突き破るようなその痛みに、私は泣き出しそうになる。

 ――二人とも、どうして? あなた達は負けたのに、どうしてそういうことが出来るの?

 そんな心の声が聞こえたのか、篠田さんは坂上君の隣に並んで何かを話していたけれど、ぱっと私を振り返った。

 びっくりした私は、青くなる。きつい言葉を、覚悟した。

 けれど、軟派な雰囲気の女の子は、にっと私に笑いかけた。

「勝つのは、私達なんだから!」

 ――ああ、強い。打ちのめされながら、そう思った。

 私はきっとこういう女の子になりたくて、なりきれなくて別の醜い何かになった。この子の姿は私の理想で、溜息が出るほど羨ましいのに、羨ましいという気持ちが極まり過ぎて、白から黒へ裏返りそうになってしまう。けれど笑顔を向けてもらえて安堵している自分もいて、単純に嬉しかった自分もいて、泣きそうになった自分もいて――たくさんの自分に困惑して、血と膿で汚れた私の心の芯の部分が、ひどく脅かされてしまった。

 ――この自信が、本当に、奇跡を起こすような気がした。

「勝ーって、嬉しい、はないちもんめ!」

「負けーて、悔しい、はないちもんめ!」

「あの子が、欲しい!」

「あの子じゃ、分からん!」

「相談、しましょ!」

「そう、しましょ!」

 私達のグループの掛け声は、どんどん大きくなっていく。篠田さんを呑み込んだことで化け物の力は飛躍的に増していて、残りの二人を仕留めようと、牙を剥いて唸っている。

 それに呼応するように、女の子二人だけになった撫子ちゃんと和音ちゃんの放った声は、その透明感を増していった。白銀の翼を広げた鳥が大空へ羽ばたいていくように、声を重ねて〝はないちもんめ〟を歌う二人は、高潔な調べを武器に変えて、あらゆる声を弾き返し、化け物を決して寄せつけない。ああ、そういえば二人共、声がとっても綺麗だった。初夏の小学校で撫子ちゃんが私の名前を呼んだ声が、中学の音楽の授業で聞いた和音ちゃんの歌声が、胸に痛いほど突き刺さる。

「――和音が、欲しい!」

「――柊吾が、欲しい!」

 心臓が、どくんと大きく鼓動した。

 和音ちゃんが、帰ってくる? それに、撫子ちゃん達はまた三浦君。

 真剣なんだ、私達。すとんと理解が、天啓みたいに降ってきた。

 譲れないんだ。どうしても。諦めるわけにはいかないんだ。

 本気で『欲しい』子がそこにいるから、〝遊び〟でも真剣に叫ぶんだ。

「佐々木和音さえ手に入れたら、後は『リーダー』を残すのみよ! 呆気ないものね!」

 ふんぞり返った氷花ちゃんが、白い鉢巻メンバー全員を睥睨している。篠田さんと三浦君は口々に文句を飛ばしていて、坂上君が三人を宥めていたけれど、私の目は、鳥居の方に釘付けだった。

 ――撫子ちゃんと和音ちゃんが、向かい合って喋っている。

 静かな時の流れを、感じていた。両手を握り合った二人は、二人だけしかいない世界で、ささやかな言葉を交わしている。その様子を見つめた私は、瞬く間に既視感に呑まれていった。

 四年前。夏のグラウンド。〝はないちもんめ〟をした私達。

 それから――グラウンドに現れた、紺野ちゃん。

 ――この風景は、あの時に似ているんだ。

 撫子ちゃんは〝はないちもんめ〟をやめて、紺野ちゃんに駆け寄った。

 あの瞬間のグラウンドは、まるで二人の世界だった。今この瞬間の撫子ちゃんと、和音ちゃんの二人のように。

 ――紺野ちゃん、私、どうしたら良かったの?

『人間』と『ばい菌』の違いみたいなどうしようもない問題だって、撫子ちゃんと和音ちゃんなら、きっと乗り越えられるのだ。さっきの歌みたいな伸びやかさで、悩みも苦しみも悲しみも全部何もかも吹き飛ばして、悠々と飛び越えていけるのだ。

 私には、できなかった。私と紺野ちゃんはただ一緒に、地べたを這っていただけだった。それを思うと、涙が溢れた。涙の汚さが悲しかった。

 ――四年前の私は、何を間違っていたのだろう?

 教えてよ、紺野ちゃん。馬鹿な私に教えてよ。

 ――紺野ちゃんは、私にどうして欲しかったの?

 夕日の輝きが赤く迸る境内で、二人の女の子の手が離れていく。そして身を翻して歩き出したのは、撫子ちゃんの方だった。

 ――和音ちゃんは、撫子ちゃんに任せたのだ。

 氷花ちゃんはまたしても撫子ちゃんが来た所為で「ギャアァ! 帰りなさいよバケモノ!」なんて叫んでいる。あの二人、犬猿の仲なのかな。どんな事情があったとしても撫子ちゃんへの暴言は許せないから、私はむっとしたけれど、やっぱり勝負が始まると怖くなった。ぎゅっと、目を瞑りかける。

 でも、結局私はその勝負の一部始終を、涙でぼやけた視界に収めた。

 さっき和音ちゃんに、しっかり見るように言われたから。

「じゃんけん、ぽん!」

 あいこが一回、二回、三回、四回……七回目で、勝負がついた。

「ああー」と陽一郎が落胆の声を上げて、毬ちゃんも「撫子ちゃん」と、張り詰めた声を漏らしている。私も、怪我で血の味のする唇を噛んで、俯いた。


 ――勝ったのは、氷花ちゃんだ。


 撫子ちゃんは、負けてしまった。

 これで赤い鉢巻グループは、『リーダー』一人だけになってしまった。

 ――でも、全然暗い雰囲気にはならなかった。

「よしっ、次は八回戦だね! がんばろ!」

 顔を上げた陽一郎が、とびきり明るく笑ったのだ。毬ちゃんも「うん!」と弾けるような笑顔を見せて、「よし、行こう!」と坂上君も生き生きとした声を上げた。篠田さんも三浦君も、三人に続くように頷いている。

 私だけが、やっぱり上手く表情を作れない。

 ――どうして? どうして? 本当に、どうしてなの?

 オレンジの光に照らされた白い鉢巻グループの皆の顔は、キャンプファイヤーを囲んだ小学生みたいにきらきらと輝いていた。氷花ちゃんだけは眉を顰めていたけれど、勝ちを確信しているのか、やがて高飛車な態度で笑い出した。

 ――紺野ちゃん、見てる?

 氷花ちゃんは自信満々で、私の回りには『もらった』子供が、こんなにたくさんいるのに。圧倒的に有利なのは、私達のグループなのに。

 なのに、どうしてだろう? 本当に、どうしてだろう?

 ――紺野ちゃん、私、勝てる気が全然しないよ。

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