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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 121

「――拓海を、返せ!」

「――まーりが、欲しい!」

 今度は、やはり毬だった。舌打ちした柊吾は、毬に視線を走らせる。毬は仄かな微笑を浮かべていて、首を緩く横に振った。

「私なら平気。向こうに行っても、怖くないから」

「でも私達は毬を渡したくないし、坂上くんだって取り戻してやるんだから!」

 三回戦のじゃんけんは、七瀬が買って出てくれた。石畳をずんずん進み、相変わらずじゃんけんの役割を誰にも譲ろうとしない氷花へ果敢に立ち向かっていく。氷花は既に勝利を確信しているのか、自信満々の顔付きだ。

「じゃんけん、ぽん! あいこで、しょ! あいこで、しょ! あいこで、しょ! あいこで、しょ! あいこで……!」

「長ぇな」

 柊吾が突っ込みを入れた瞬間、ついに勝負がついた。氷花の勝ちだ。

 だが、事はそう簡単には運ばなかった。

「ちょっと待った! 呉野さん今、後出ししたでしょ!」と七瀬が叫ぶや否や、「変な言いがかりつけないで頂戴! あんたの出すテンポが早いだけよ! 私は最初からグーを出す気だったんだから!」と、氷花もケチをつけ始め、世にもくだらない喧嘩が勃発した。今にも互いの胸倉を掴み合いそうな気配があるので、柊吾は不要な揉め事が起きる前に、鎮守の森に向かって手を挙げた。

「審判! イズミさんと藤崎さん! 今のじゃんけんをジャッジして下さい」

「ようやく僕たちの出番ですね」

 そう言って、和装の異邦人と初老の男――和泉と藤崎は、やれやれと言わんばかりにやんわりと、荒ぶる二人を宥めてくれた。

「まずは二人共、落ち着きましょう。さて、今のじゃんけんですが、確かに七瀬さんがチョキを出した後で、氷花さんがグーを出したように見えますね。二人とも焦らずに、冷静に勝負に臨みましょう」

「然ういう事ですので、仕切り直しですね。七瀬さん、氷花さん、じゃんけんをやり直して下さい」

「ちょっと兄さん! お父様も! 気に食わないわ! このクソ女が悪いってはっきり言ってよ! そんな曖昧なジャッジなんて要らないのよ!」

「氷花さん、口が悪いですよ。我々の審判は公平です。大切なのは他者を責め立てることではなく、事実がどうであったかです。さあ、じゃんけんをどうぞ」

 七瀬と氷花は渋々といった様子で、仕切り直しのじゃんけんを始めた。そして今回は合計十三回のあいこの果てに、再び氷花に軍配が上がった。

「ふん、残念だったわね? 結局私が勝つ運命なのに、じたばた足掻いちゃって見苦しいわ」

「そうやって調子に乗っていられるのも、今のうちなんだから!」

 七瀬は大いにむくれながら、柊吾達の元へ戻ってきた。入れ違いのように毬が動き、神社の拝殿に向かって歩いていく。

「毬、ごめんね! 後でまた呼ぶからね!」

「うん!」

 すれ違いざまに短いやり取りを交わす二人を、美也子がじっと見つめていた。

 その眼差しには、先程までとは違った光があった。ただ単に〝遊び〟を楽しんでいるだけではない、明らかな葛藤が生まれている。

 ――美也子は、変わろうとしているのだ。

 それを柊吾は確信した。この袴塚市で起こった花を切る事件を皮切りに、柊吾達が翻弄された〝アソビ〟。一連の出来事によって柊吾達が変わったように、美也子もきっと変わるのだ。

 何故なら変わらない人間なんて、いないに違いないのだから。

「……」

 不意に、横面に視線を感じた。

 柊吾が鎮守の森を振り向くと、そこに佇む灰茶の髪の異邦人が、怜悧なまでの美貌に儚げな微笑を乗せていた。和泉は柊吾が〝言挙げ〟していない言葉を読み取り、まだ生まれていない御魂に静かな肯定を示すように、頤を上げて空を仰いだ。

 釣られて柊吾も仰いだ空には、一番星が瞬いている。

 夕刻の袴塚市に、ひたひたと群青が迫っていた。


     *


「三回戦は、綱田毬でいくわよ」

 氷花ちゃんがそう言った時、ああ、やっぱりと私は思った。向こうのグループから坂上君を『奪った』以上、次の標的は火を見るより明らかだ。

 ――毬ちゃんが、帰ってくる。

 けれど私は、その事実を素直に喜ぶどころではなかった。楽しげにぺらぺら喋る氷花ちゃんの声を聞きながら、私の意識は隣の和音ちゃんにばかり向いていた。

 ――私の生きる意味は、何だろう?

 ――たとえそれが分からなくても、私は生きていてもいいの?

 私は、拘らなくてもいいのだろうか。地獄に行かなくても、いいのだろうか。

 でも、嫌だ。拘りたい。ずっと拘っていたいのだ。私は地獄に行きたいはずで、そうしないと決して赦されないはずで、私の身体は『罪』と『罰』で汚れていて、あまりにその汚れが深刻過ぎて、もう、ここでは生きていけない。

 ああ、ほら、やっぱりだ。和音ちゃん、間違ってるよ。私にはここで生きていく理由はないのに、ここでは生きていけない理由はある。この発見を早く教えてあげたくて、私が「和音ちゃ……」と呼びかけた時だった。

 氷花ちゃんの醜い言葉が、耳を貫くように響いたのは。

「それにしても、本当にあっちのグループはろくでもないメンバーね。綱田毬を奪い返したら、次は選択に困っちゃうわ。三浦君にしても篠田さんにしても、つくづく人気がなくて要らない子ね」

「……人気がなくて、要らない子……?」

 乾いた唇が勝手に動いて、私は氷花ちゃんの言葉をなぞっていた。

 酷い悪口を言われたのは、私じゃない。別の子だ。

 でも、だけど、私は――私だって。

 私だって、紺野ちゃんのことを――。

「……何よ? ぼーっとしてばっかりで役立たずの『リーダー』。このグループの働き頭である私に、何か言いたいことがあるみたいね?」

 はっと気付いた時にはもう、氷花ちゃんは切れ長の目で、私を睨み据えていた。

「あ……」

 後ずさった私の背中が、紅白の紐に当たってしまう。神社の鈴がじゃらじゃら鳴って、音が頭蓋でうわんと響いた。瞬時に沸騰した殺意の泡がマグマみたいに吹き零れて、私の身体の内側をべたべたに汚し尽くしていった。

 ――ああ、そうだ、私は氷花ちゃんが憎いのだ。

 今更のように、思い出した。この子は私のことを汚いと言ったのだ。にいと笑った真っ赤な唇がどれだけグロテスクだったかを、私はちゃんと覚えている。

 でも、今では……憎い以上に、恐ろしかった。

 もし、もう一度『ばい菌』と言われてしまったら――足が、がくがく震えた。

「や、やめようよぉ!」

 陽一郎が震え声で止めに入ってくれたけれど、氷花ちゃんに「うるさいわね! 引っ込んでなさいよ弱虫!」といかにもな暴言を吐き捨てられて、半べそで縮み上がっている。私もすごく怖くなって、一緒に泣き出しかけた、その時だ。

「あなた、人のこと言えないでしょ」

 女の子の素っ気ない声が、氷花ちゃんの高い鼻っ柱をへし折った。

「……なんですって?」

 氷花ちゃんが色めき立ち、私も唖然とした。直前まで考えていたことなんて忘れて隣を見ると、和音ちゃんは冷めた目つきで淡々と、肝が冷えるような言葉を嘯いた。

「さっきから呼ばれてるのは毬と坂上君ばっかり。誰からも選んでもらえなくて人気がないのは、あなたも一緒」

「佐々木さん、そのくらいで……」

 坂上君が、慌てた様子で割って入った。氷花ちゃんは激しい怒気を湯気みたいに身体から立ち昇らせていたけれど、やがて唇を不敵に吊り上げた。

「見てなさいよ? この〝遊び〟が終わって、お父様の目が離れたら、あんたなんて一ひねりよ」

「どうせそんな魂胆だと思った」

 同じ髪型をした二人は、互いを牽制し合うように睨み合う。和音ちゃんが氷花ちゃんと渡り合っているのが何だか不思議な光景で、私は放心してしまった。

 ――本当に、別人みたいだった。

 和音ちゃんは元々、こんな言い返し方をする子じゃなかったのに。

「呉野さんも、そのくらいで。〝遊び〟の最中だから、仲良くしよう」

「何よ、いい子ぶっちゃって」

 もう一度仲裁に入ってくれた坂上君に氷花ちゃんは噛みついていたけれど、和音ちゃんは素直に従った。意固地に見えたはずなのに、不意打ちみたいに従順な顔も見せられる。私の感じた戸惑いは、深まっていく一方だ。

 ――私はこんなにも、和音ちゃんを知らない。

「……ねえ、和音ちゃんは、氷花ちゃんのことが嫌いじゃないの?」

「急に、何?」

 髪を風にそよがせた和音ちゃんは、少し困ったように目を細めた。

 当然の反応だ。私は、自分でも意味の分からない質問をしている。でも氷花ちゃんは丁度じゃんけんの為に歩いていったし、坂上君は半べその陽一郎を慰めている。訊きたいなら、今しかない。

「だって、氷花ちゃん……ひどいことばっかり、言うから……」

「そんな子を遊びに誘ったのは、あんたでしょ」

 早速言い負かされてしまい、私は首を竦めた。本当に、その通りだ。私は大嫌いな子を〝アソビ〟に混ぜた。こんな風に遊んでも、〝アソビ〟の形が美しくなるわけなかったのに。今の私は一昨日の氷鬼の〝アソビ〟を、良いとは思えなくなっている。

「……そんなこと訊いて、どうするの?」

 呆れ顔の和音ちゃんが、質問に質問で返してきた。それともこれは質問じゃなくて、和音ちゃんなりの回答だったのかもしれない。

「……分かんない。私、馬鹿だから分かんないよ」

「……それ、やめたら?」

「え?」

「私は馬鹿だから、って自分を卑下するの。もうその辺にしときなよ」

「どうして? 私……今までも、言ってきたよ?」

「……声に出して良くないことを言ったら、本当にそうなりそうで、嫌だから」

 言い訳みたいな喋り方をした和音ちゃんは、誤魔化すように視線を上げた。じゃんけんを始めた氷花ちゃんの後姿を、真っ直ぐな目で睨んでいる。

「私が誰を嫌いでも、その相手と私との間には、上も下もない。対等だから、対等に戦う。それだけ。……今回に限っては、戦いじゃなくて〝遊び〟だけどね」

「対等、に……? ……あはは」

 私は目を瞬いて、それから顔を歪めて笑ってしまった。

 だって、冗談みたいな台詞だった。和音ちゃんの綺麗な言葉はまるで、美術館に飾られている芸術品みたいに出来過ぎていて、安っぽい光沢が油膜みたいに照っていて、価値が分からなくて、嘘っぽくて、私の中で張り詰めた何かが、ぷつんと音を立てて焼き切れた。

「――ねえっ、和音ちゃんは! 和音ちゃんは嫌いな人のことをっ、触りたくないとか、気持ち悪いとかって、思ったことがないのっ?」

 不安が、戸惑いが、寂しさが、ぐるりと音を立てて反転した。気が触れたみたいに激昂して、私は詰るように叫んでしまった。

 だって、私は思ったよ。あの子に対して、思ったよ。

 でも、誰だってそうだよね? 和音ちゃんだって、そうだよね? 嘘なんて吐かないで、本気の言葉で喋ってよ。和音ちゃんがそうしてくれたら、私だって――私だって、何だろう?

 分からない。でも、それを教えてもらえたら、私は何かに気付けるのだ。

 偽物を本物だと勘違いした和音ちゃんの手と、偽物を本物に変えようと足掻いた私の手。二人の手が触れ合えば、私が生まれて初めて『ばい菌』と言われたあの頃からずっと探し続けた綺麗なものに、この手が届く気がするのだ。

「……『人間』も『ばい菌』も、私はどうだっていい」

 私を険しく睨み付けて、和音ちゃんは言った。

 一言一句、はっきりと放たれた言葉だった。

「美也子。自分で決めて。あなたは、どうなりたいの?」

 和音ちゃんが、苛立ちの顔で私を見ている。なんでこんなに簡単なことも分からないのかと詰問された気分になって、ああ、また傷つくのだと分かった途端、感情にかかった麻酔が切れた。

 恐怖が、堰を切ったように溢れ出す。その奔流に抗えずに、私はめちゃくちゃに頭を振った。そんなにも惨い質問に、私が答えられるわけがない。

 だって、私は穢れている。私は『ばい菌』じゃないって叫び続けてきたけれど、じゃあ『人間』だって名乗れるくらいに、今の私は、ほんとに綺麗?

 ねえ、和音ちゃん。自信がないよ。自分の姿が綺麗かどうかは、私が決めることじゃない。今の私は誰かに認めてもらわないと、胸を張るなんてできないのだ。馬鹿な私には何にも分かりはしないのに、自分のことを馬鹿って言うのも禁じられてしまったら、私はこれからどうすればいいの?

「分からないよ……分からないよ! 分からないから、教えてよ! 知ってるなら、教えてよ! 和音ちゃんが、私の代わりに! ――あっ……」

「……」

 和音ちゃんの目に、憂いが浮かぶ。夕陽の赤に染まる顔は、やっぱり私の知る和音ちゃんとは別人だ。さっき毬ちゃんを綺麗だと思ったのと同じように、この子もまだまだ変わってしまう。和音ちゃんが、どんどん私の知らない人になる。

 なのに、ひどく懐かしい面影が、他人みたいな和音ちゃんの顔に重なった。

「紺野、ちゃん……」

 近くて遠いあの子の名前を、私は掠れた声で呼ぶ。

 ――やっぱり、似ているのだ。

 人付き合いが苦手で不器用。そんな目に見える部分だけじゃなくて、もっと深くて複雑で、私なんかには見えない部分で、和音ちゃんは、紺野ちゃんと似ているのだ。

 小五の夏、紺野ちゃんは、ナデシコの花の首が転がる学校の中庭から、一人で走り去ってしまった。あのまま紺野ちゃんが遠くに行ってしまうと知っていたら、私は追い駆けられただろうか。

 目元が変な感じに歪んでしまい、私はまた笑い出した。

 そんなこと、できるわけがない。

 だって私は、紺野ちゃんの本心を――全然、分かっていなかった。


 ――あなた、本当は『紺野ちゃん』って呼ばれるの、嫌なんでしょ?


 四年前の妖精の声が、私の耳朶を甘く打つ。痛みを伴うその調べに誘われるように顔を上げても、視線なんて、合うわけない。私は情けない泣き笑いで、鳥居の下にいる人間の女の子を見つめた。

 ――撫子ちゃんは、すごいね。

 撫子ちゃんは三浦君達の真ん中で、じゃんけんの勝負に見入っている。

 あの頃と、何も変わっていないのだ。撫子ちゃんは、人を惹きつける。

 もしかしたら、本当は――紺野ちゃんだって。

「勝ったわよ! ちゃんと見てた?」

 氷花ちゃんが浮かれた声を上げながら、得意満面で凱旋してきた。その後ろからは毬ちゃんも歩いてくる。〝遊び〟が、どんどん進んでいく。焦りを唾と一緒に飲みこんで、私は懸命に考える。どうして私は和音ちゃんが、こんなにも気になるのだろう?

 紺野ちゃんのことを、知りたいから?

 多分、違う。私が和音ちゃんを気にするのは、紺野ちゃんだけが理由じゃない。

 じゃあ、和音ちゃんがいつの間にか別人みたいに変わったから?

 それも、違う。そもそも、私の知っている和音ちゃんって何だろう? 私は中学三年の一年間、和音ちゃんと一緒にいて、この子のことをちゃんと見てた?

 ううん。見てなんかいないのだ。私はただ和音ちゃんと、文字通り一緒にいただけだ。しかも最低なことに、多分好きだから一緒にいたわけじゃない。私は『学校のルール』に従って、何となく仲良くなった女の子に話を合わせて、適当な笑顔を甘くてカラフルなあられのように、ばらばらと振りまいていただけだった。

 こんな私が、誰かの心に、深く迫れるわけがない。

 ねえ、でも、多分、私。

 どんなに馬鹿な私でも、一つだけなら、ちゃんと分かるよ。


 私は――毎日が、楽しかったのだ。


 学校はとっても怖い戦場で、毎日のように女の子が死んでいるけれど、どんなに残酷な戦場でも、私は中学に通うのが楽しかった。時々はただの無邪気な女の子として、この世界で笑っていられた気がしたのだ。

 ねえ、和音ちゃんは、どうだった? 私と一緒にいて、楽しかった?

 教えてよ、和音ちゃん。私と一緒にいて、楽しかった?

「和音ちゃんは――」

「行くよ、美也子。四回戦」

 前だけを向いた和音ちゃんが、私の手を握った。反対の手を「行こう、みいちゃん!」と泣き止んだ陽一郎が元気に笑って握ってくる。和音ちゃんの隣には坂上君がついて、陽一郎の隣には毬ちゃん、氷花ちゃんと、白い鉢巻のメンバーが続いた。

「待っ――」

 ああ、どうしよう。どこか高い所から飛び降りたような恐怖と浮遊感がない交ぜになる。待って。待って。お願いだから。私にもっと、考えさせて。

 まだ、私は、和音ちゃんのことを、真剣に考えられてない――。

「勝ーって、嬉しい、はないちもんめ!」

 両手を引かれて、私は引き摺られる罪人みたいに前へ無理やり進まされた。夕日に向かって、鳥居に向かって、遊び相手の撫子ちゃん達に向かって進まされた。

「負けーて、悔しい、はないちもんめ!」

 撫子ちゃん達も、私に向かって進んできた。真剣な顔で、でもこれは遊びなんだと笑う顔で、一歩も後ろに引く気がない強情さで、切なくなる私なんてお構いなしに、一秒だって待ってくれずに進んできた。

 ――やめて、待って。お願い。

「あの子が、欲しい!」

 ――待ってくれないなら、せめて。

「あの子じゃ、分からん!」

 ――この、女の子を。

「相談、しましょ!」

 ――私が一年もの間一緒にいて、なのに、何も知らない、女の子を。

「そう、しましょ!」

 ――まだ、連れて、いかないで――。

「次の標的は、篠田七瀬にしましょ! あの女とのじゃんけんはストレスよ! 不本意だけど、さっさと『奪って』大人しくさせてやるわ!」

 氷花ちゃんが、憎々しげに騒いでいる。坂上君が少しむっとしているのが見えたけれど、言い返さずに黙っていた。陽一郎と毬ちゃんも少し不本意そうにしていたけれど、『もらう』メンバーに異存はないみたいだ。相談とは名ばかりの命令に従って、整列した私達は「決ーまった!」と唱和して、相手チームからも「決ーまった!」と、呼応するように決定の声が上がり、それを待っていたかのように、私達のグループが動き出す。

「――七瀬が、欲しい!」

 呼び慣れない女の子の名前を叫びながら、違う、違うのと私は釈明みたいに心で叫んだ。私が欲しい女の子は、その子じゃない。じゃあ誰なのって自問したら、いろんな顔が脳裏を過った。でも、今は、一人だけ。たったの一人だけだから。ああ、神様。ねえ、神様。茜色の光に全身を清らかに洗われながら、私はいつしか真剣に祈っていた。でも、叶わない願いだと分かっていた。

 神様は私のことが、どうしようもなく憎いのだ。


「――和音が、欲しい!」


 ああ、やっぱり。諦めが、眩暈みたいに押し寄せた。

 ――また、和音ちゃんなんだ。

「あら、綱田毬じゃなくていいの?」

 氷花ちゃんはにやにや笑ったけれど、三浦君は「だから何だ!」と打てば響くように言い返した。

「俺達はお前と違って、同じメンバーばっかり狙ったりはしねえからな! けど、誤解するな! 綱田を諦めたわけじゃない! 篠田、頼んだからな!」

「オーケー!」

 篠田さんが、短いスカートを翻して歩いてきた。強気の笑みに気圧されて、和音ちゃんの手を握る私の手は、小刻みに震え出す。

「和音ちゃん……」

 和音ちゃんは、私を横目に見ただけだ。返事もしない。どこまで無愛想な子なんだろう。嘘でも笑ってくれたらいいのに。和音ちゃんがあんまり笑ってくれないから、私がいつも嘘っぽい笑い方をする羽目になるのだ。

 ああ、そっか。私達。そういう風に、付き合ってきたんだ。

 そんな関係の名前を、私は――友達って、呼んできたんだ。

「和音ちゃん……私……」

 篠田さんと氷花ちゃんが、それぞれ右手を振り上げた。

 じゃんけんが、始まってしまう。やだ。やめて。まだ決着をつけないで。私は小さな袋に甘い駄菓子を慌てて詰め込むような性急さで、たくさんの心をぼろぼろと取り零しているのを自覚しながら、それでも手の中に残った飴玉を一つだけ、隣に立つ子に分けてあげるように――春を迎えた新しいクラスで、初対面の子に話しかけた時と同じように、緊張で掠れた小さな声を、和音ちゃんに、届けた。

「私、私……、中学の、三年で……和音ちゃんと、一緒のクラスで……楽しかった、よ……?」

 和音ちゃんは、軽く目を見開いた。けれど驚きの感情はすぐに雪解けみたいになくなって、透明な微笑がお化粧みたいに、薄く乗った。

「……ありがとう」

 繋ぎ合った手が、離される。

 前を向いた和音ちゃんは――私を振り返らないで、歩き出した。

「あ……」

 慌てて顔を跳ね上げた私の目尻に、新しい涙が滲む。ぼやけ始めた視界で、茜色の光が万華鏡みたいにくるくる回った。虹色の光が輝く中を、和音ちゃんは背筋を伸ばして歩いていく。

 遠い背中だった。足の遅い私には、到底追いつけないだろう。

「……ミヤちゃん、負けちゃったね」

 毬ちゃんが、私の隣に来てくれた。ちょっとだけ寂しそうに、笑っている。

「毬ちゃん……」

 私も同じ顔で笑おうとしたけれど、全然上手くいかなかった。手の甲を瞼に押し当てて、目頭の熱を誤魔化そうとする。

 おかしいな。なんでだろう。泣くほど悲しいことじゃないのに。

「ねえ、毬ちゃん……聞いた? 和音ちゃん、ありがとう、だって。私も楽しかった、くらい、言ってくれたらいいのに……」

 和音ちゃんは残酷なくらいに正直者で、私はやっぱり思ったのだ。最後まで冷たい和音ちゃんなんて、嫌い、死んじゃえって思ったのだ。

 楽しかったなんて、言わなければ良かった。和音ちゃんとの一年間は最悪の時間だったって、言ってしまえば良かった。

 でも、私は、それでも――。

「和音ちゃんのこと、私は……ちゃんと、好きだったみたい……」

 寂しいよ、和音ちゃん。失恋しちゃった時みたいに寂しいよ。

 私達、同じ道を歩いてたはずなのに、なんでこんな風になっちゃったのかなあ?

 さよなら、私の友達。

「……知ってたよ」

 毬ちゃんが、私に微笑んでくれた。

「だから、一緒にいてくれたんでしょ? ミヤちゃんは友達がすごく多いのに、私達と一緒にいてくれたんでしょ? ……ほんとに好きじゃないと、一緒になんて、いれないと思うの」

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