花一匁 119
「うそっ、三浦君たら、分かってるじゃない。最初からそういう風に言えばいいのよ。ま、ちゃちな景品なら要らないし、遊んでなんかやらないけどね。まあいいわ。早く賞金の額を言いなさい? ねえ、兄さんも聞いた? よかったわね、この貧乏神社も今よりは小奇麗にできるかもしれないわよ? ま、賞金の九割は私が頂くけどね。ふふふ、何を買おうかしら」
楽しそうに浮かれながら、氷花は一人でぺらぺらと喋っている。
そんな幸せそうな顔を見ていると、柊吾のなけなしの良心が痛んできた。
これから告げる内容は、氷花の内面を天国から地獄へ叩き落とすようなものなのだ。幾ら相手は外道の小悪党とはいえ、柊吾もできれば言いたくない。柊吾は、ちらとメンバー全員に視線を投げた。
「……」
全員が、苦笑いか仏頂面で目を逸らした。撫子に至っては困惑の顔になっている。柊吾は、ぼそりと皆へ小声で言った。
「……なあ、なんで俺が言わないといけないんだ?」
「女子にこんなの言わせる気? 三浦くん、セクハラで訴えるからね」
七瀬が、眦を吊り上げて睨んできた。和音も似たような顔でこちらを睨んでいるのが分かったので、柊吾は嘆息とともに観念した。男子限定のじゃんけん二回戦で再び負けたからといって、これではあんまりだ。
「……呉野。まずはこっちの要求を先に言わせてもらう。『リーダー』が雨宮のグループ、つまり俺達が勝ったら――『鏡』を、俺達に寄越せ」
「……。『鏡』ですって?」
目を瞬く氷花へ、柊吾は「そうだ」と肯定した。
「今日、スーパーでお前が見せびらかしてきた『鏡』だ。俺達が勝ったら、あれを渡してもらう」
「……ふうん? 雨宮撫子の為ね?」
にたぁと、氷花が意地悪く笑ってきた。和泉が肩を竦めているのに気付いた柊吾は、思わず眉根を寄せた。
「イズミさん、こいつに喋ったんですか。俺らが『鏡』を欲しい理由」
「秘匿すべき情報でもないですからね。それに〝アソビ〟の賞品にせずとも、氷花さんから自発的に『鏡』を撫子さんへ譲ってはくれまいかと、僕も掛け合ってみたのですよ。……結果は、この通りでしたが」
和泉は悪びれた風もなく答えたが、それはあくまでポーズに違いないのだ。どうしても一言言わなくては気が済まず、柊吾は詰問調で訊いてみた。
「イズミさんは、この未来をずっと前から知ってましたよね?」
「どうしたのです、藪から棒に」
灰茶の髪を優美に靡かせ、美貌の男は飄々と笑う。柊吾は「とぼけないで下さい」と食い下がった。
「篠田の『鏡』の事件の時から、イズミさんはこの未来を知ってたに決まってます。だから先代の神主から譲られた大事な『鏡』を呉野に渡したんですよね? 俺達と呉野に、こういう〝遊び〟をさせる為に」
「さあ、僕には何の事やら」
暖簾に腕押しの問答へ、「何をごちゃごちゃ言っているの? 兄さんも三浦柊吾も暢気ね」と氷花がせせら笑いながら割って入った。
同時に、ちかりと射した茜の光が、鋭く柊吾の視界を灼いた。
柊吾は目を眇めながら、氷花が藤色のスカートのポケットから、何かを取り出したのを見る。
朱塗りの、正方形のコンパクトだ。開かれたそれに、赤い夕陽が映っている。
――七瀬が『所有』していたものと、全く同じ物だ。
「……。こっちの目的がバレてるなら、隠してても仕方ねえな。呉野、その『鏡』さえあれば雨宮の目は『見えない』状態から元に戻れる。これからの雨宮の生活に、その『鏡』は必要だ。俺達に譲ってほしい」
「嫌よ。どうしても欲しいなら、アタッシュケースに一億円を用意してきて」
「ちょっと、何よその言い草! 撫子ちゃんの目がこうなったのは、呉野さんの所為でしょ!」
七瀬が身を乗り出して食ってかかるが、氷花はどこ吹く風で「知ぃらない! 勝手に傷つくくらいに弱い方が悪いのよ!」と想定内の暴言を吐いて、高笑いをする始末だった。
「壊れるくらいに『弱い』理由を私の所為にするなんて、責任転嫁もいいところよ! 私の〝言霊〟程度で壊れてしまう心なんて、〝言霊〟がなくたってじきに粉々に砕けてるわ!」
「あんたねえ!」
「あははははっ、弱さって惨めね! ここにいる風見美也子だってそうよ! ねえ、貴方達、本気でこの女を救うつもり? ねーえ、この子がこんな風になったのは、自業自得だとは思わないの?」
氷花は傍らの美也子を顎で示した。美也子はぼんやりと氷花を見たが、その動きは柊吾が心配になるほど緩慢だった。
「確かにみいちゃんは私の〝言霊〟で壊れたかもしれないわよ? でもね、それは同時にみいちゃん自身の所為でもあるわ! 弱くて駄目な人間は周りの人間を巻き込んで、腐った果物みたいに一緒に駄目にしてしまうもの! この子の家族がいい例よ! そんな害悪、私が淘汰してあげる!」
「! 言っていいことと、悪いことがあるでしょ!?」
今のは七瀬の逆鱗に触れたようだ。柊吾も腹が立ったが、まだ何とか自制が利いた。それは隣の拓海も同様らしく、今にも駆け出しそうな七瀬の手をしっかり握って離さないまま、柊吾へ目で合図した。柊吾も応えて、前を向いた。
――交渉は、やはり決裂のようだ。
「……決まりだな。その『鏡』、〝遊び〟で必ず譲ってもらう」
「嫌だって言ってるでしょう? 私は最初から言っているわ。だってこんな〝遊び〟なんてしたくないもの。ま、貴方達が私に払う賞金を、倍額にしてくれたら考えてあげてもいいけどね?」
にやにやと、氷花が嫌らしく笑ってくる。
――だが、笑っていられるのも今のうちだ。
柊吾達が用意してきたある言葉を解き放てば、氷花は問答無用で〝遊び〟に参加せざるを得なくなる。それを一たび〝言挙げ〟すれば、柊吾は非常に情けない気分を味わうことになり、そして氷花は、生き地獄の憂き目に遭う。
そんな禁断の〝言挙げ〟を、何故自分がしなければならないのか。何度でも理不尽さに苛まれる柊吾だが、肩を落とし、吐き捨てた。
「……呉野。賞金なんて、誰がお前に払うって言った? 金を払うのは俺らじゃない。むしろ、お前だ」
「え?」
「お前の〝言霊〟の所為で、雨宮がどれだけ病院に通う羽目になったか分かってんのか? 中二の初夏から今までにかかった医療費、一体いくらだと思ってんだ? 俺らの〝遊び〟を拒否するなら! 医療費全額、お前が払え! っていうか、慰謝料も払えっ!」
大声の宣告を受けて、氷花は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。やがて脳に情報が行き渡ったのか、ぎょっとした様子で後ずさっている。間の抜けたその姿を、兄である異邦人が愉快そうに観察している。妹が金銭トラブルに巻き込まれているというのに、暢気なものだ。
――だが、こんなものは序の口だ。
それどころか、序の口ですらない。柊吾がわざわざこんな話を持ち出したのは、ただひたすらに例の〝言挙げ〟をしたくないが為なのだ。
投降しろ、と柊吾は胸の内で必死に念じた。ここで氷花が心を入れ替え、素直に〝遊び〟に興じるならば、柊吾は世界一情けない〝言挙げ〟をせずに済むのだ。氷花にとっても、その方が都合がいいはずだ。
このままでは、お互いにとって、人生最悪の汚点になる瞬間がやってくる。
「な、何よ! 急にお金の話するなんて、卑しいわ!」
「どこがだ! さっきから金の話ばっかしてたのはお前だろうが!」
「三浦柊吾の守銭奴! わ、私は、そんなもの払わないんだからねっ! 知らないわよ! そんなの絶対中学生に払える額じゃないもの! あ、あ、雨宮撫子が病院にかからないといけないくらいに、弱いのがいけないのよっ!」
「だからっ、守銭奴はお前だろうが! っていうか、めちゃくちゃビビってるじゃねえか!」
「と、とにかく! 私はそんなの払わないんだからねっ! ほら、異能が原因で病院にかかったなんて誰が信じるの? 頭湧いてんじゃないの?」
「呉野さん、あんた自分で自分の存在否定してるの分かってる?」
「三浦、もういいじゃん。篠田さんも。このままじゃ埒が明かないし」
拓海が、柊吾と握り合った手を軽く振ってきた。
申し訳なさそうに眉を下げてはいるが、その顔には早く引導を渡してやれ、と無慈悲なくらいにはっきりと書いてある。
「呉野さんはこの程度じゃ、〝遊び〟に参加しないだろうからさ。もうタイムアップだと思う」
「そんなに言うなら坂上、お前が言えって……」
柊吾は悪足掻きで言ってみたが、即座に七瀬と和音が睨んできた。
「じゃんけんで負けたんだから、つべこべ言わない!」
「どれだけ待たせたら気が済むの? 日が暮れる」
「……お前ら鬼だな。ほんとにいいんだな?」
七瀬と和音が頷いた。一度こうと腹を括った女子達は強い。柊吾は「あー、くそ!」と唸ってから、やけくそのように呼びかけた。
「呉野!」
「な、何よ!」
氷花が、怯えと怒りが混じったような声で叫び返す。『鏡』をポケットに仕舞いながら高圧的に柊吾を睨んではいるが、しっかりと美也子の後ろに隠れた辺り、さっきの慰謝料の話が効いているらしい。少々意外だった。
「雨宮を『リーダー』にした俺らが勝ったら、お前の『鏡』をもらう! そして、風見を『リーダー』にしたお前らが勝ったら!」
「私達が、勝ったら……っ?」
不穏さを感じ取ったのか、氷花が固唾を呑んで訊き返した。
「お前らが勝ったら、俺達七人は――お前の『弱み』を、死ぬまで一生誰にも〝言挙げ〟しないことを、誓う!」
「……え?」
氷花が、半笑いの顔で固まった。
「お前の恥ずかしい過去を、絶対に口外しないことを誓ってやる! ただし、それはお前が〝遊び〟から逃げなかった場合の話だ! お前が〝遊び〟を拒否するなら……誰かがうっかり口を滑らせても……俺は知らねえ。知らねえからな」
最後は目を逸らしながら、柊吾は口ごもった。
もうこれ以上は、言いたくない。氷花の投降を待ちたかった。
「な、何を言ってるのよ? 私の恥ずかしい過去ですって? ちょっと、それは何の冗談……?」
「……おい、やめろ。俺に訊くな。俺だってこんなに人がいる所で、あんな内容言いたくねえ」
「ま、待ちなさいよ! ほんとに待ちなさいよ!? 三浦君、あんた何を言ってるのよ!? 何! 何なの! 何なのよ!! 私の何を知ってるっていうのよ!? ……まさかっ、兄さん!?」
氷花から余裕が消え、ばっと和泉を振り返った。美貌の男は口元を手で覆い、肩を揺らして笑っていた。藤崎はもう呆れるのにも疲れたようで、曖昧な温度の表情で、唇を結ぶのみだった。氷花がわなわなと肩を震わせ、激昂の叫びを張り上げた。
「兄さん、貴方やっぱり話したのね!? 坂上拓海に私の『弱み』を、一昨日の夜にバラしたのね!? 教えなさいよ、三浦君達にどんなガセネタを吹き込んだのよ!?」
「ガセネタなど、僕は吹き込んでいませんよ」
くつくつと笑いながら、和泉が顔を上げた。
常のように笑う顔が、柊吾には心なしか悪人に見えた。
「僕は、真実しか話しておりませんからね。……ただし主観的な真実なので、貴女は虚構と言い張るでしょうが」
「なんですって!? じゃあ、まさか……!」
――そのまさか、だ。
氷花が弾かれたように振り返るが、もう遅い。ここまで〝遊び〟を拒否し続けた、呉野氷花という傍若無人な少女が悪い。
柊吾は大きく息を吸い込むと、短距離走を一息に駆け抜けるような勢いで、そのまま崖でも飛び降りるような心意気で――――己の人生史上最悪レベルの〝言挙げ〟を、九名の子供と二名の大人、総勢十一名が集う神社の境内一帯へ、誰一人として聞き漏らすわけがない声量で、大量の花火をまとめて焚火に放り込むような盛大さで、ついにぶちまけたのだった。
「お前が、〝遊び〟を拒否するなら――俺達は! 呉野が! 中二の時! エロサイトの見過ぎで! 親に携帯を一回止められたって話! 言いふらすかもしれねえからなっ! 知らねえぞ、どうなっても! 俺は知らねえからなーっ!!」
〝言挙げ〟が爆ぜたその瞬間、呪詛の絶叫が轟き渡った。
「――死ねええぇぇぇ三浦あぁぁぁっ!!」
突如として強風が吹き荒れ、氷花の黒髪がぶわりと天へ巻き上がった。幽鬼のように不自然な角度で跳ねあがった顔が、ぎらぎらと柊吾を睨めつける。
赤く茹った顔だった。美貌は凄絶な羞恥と測り知れない憤りで、修羅の如く変わっていた。その顔のまま氷花はこちらへ走ろうとして、それをやめて、もどかしげに石畳を両足で蹴りつけながら「見てない!」と裏返った声で喚き散らした。
「そ、そんな破廉恥なものをっ、私がっ! この私がっ! 見るわけないじゃないっ! 三浦柊吾! あんた自分がガン見してるからって、誰でも見てるって勘違いしてるのよっ! ああ、ああ、死ね、死ね、死ね、死ね! どれだけ死ねって言っても足りないわ! 殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやるんだからあぁぁぁっ!」
「死ね死ねうるせえな! っていうかさりげなく俺まで見てるみたいな言い方してんじゃねえ!! 大体お前が悪いんだからな!? 俺だってこんなの言いたくなかったんだぞ! 分かったらごちゃごちゃ言わずに俺らと遊べ!」
「ふざけんじゃないわよ! こんなのただの脅迫よ! 大体そっちの要求が『鏡』で私の利益が『口止め』なんて、あんたたち頭がイカレてるわよ!? 私に利益なんてこれっぽっちもないじゃない!!」
「だからうるせえっつってんだろ! お前は俺達に今まで散々大迷惑をかけてきただろうが! これくらいでイーブンなんだよ我慢しろ!」
罵声を罵声で打ち返す柊吾へ、陽一郎も「そ、そうだよ!」と小声で乗ってくれた。この少年もまた氷花に振り回された思い出があるとはいえ、氷花の権幕が心底恐ろしいらしい。腰がたじたじと引けている。
氷花はこの程度の加勢では微塵も揺るがず、「うるさいのはあんた達よ!」とこちらの抗議を一喝で蹴散らした。
「兄さんの妄言を間に受けて叫んじゃって、あんた恥ずかしくないのっ!?」
「恥ずかしいに決まってるだろうが! けどな、お前よりはマシだっ!」
「だから違うって言ってるでしょっ!? 濡れ衣よ! 私を嵌めようとしている兄さんの陰謀よ! そんなガセネタ誰が信じるっていうのよ! くだらないわ、くだらないわ、くだらないわ……っ!」
「くだらなくはないでしょ。噂話ってすぐ尾ひれがついて広まるものだって、呉野さんだって女子の端くれなら知ってるでしょ?」
七瀬が、少し意地悪な口調で言った。さっきの氷花が美也子へ放った暴言を、真似て突き返したのだ。美也子はぼんやり顔のままだったが、氷花の方は火に油を注がれたように、怒りを大暴発させていた。
「篠田七瀬ぇぇっ! まずはあんたから血祭りに上げてやるわ!」
「ってことは、私達と遊ぶ気になったわけ?」
「馬鹿言わないで頂戴! あんたは私が個人的に殺してやるわ!」
「ふーん? ここまでされてもまだ〝遊び〟が嫌だっていうの? じゃあこっちにだって考えがあるんだから!」
悪戯っぽく七瀬が笑い、拓海と繋ぎ合った手をぱっと離した。不思議そうにする拓海を置いて、七瀬はととと、と軽やかに走っていく。
その行先は――柊吾と氷花の中間点だ。
「おや」
和泉が、おっとりと首を傾げる。藤崎も、目を丸く瞠っていた。
「篠田さん? ちょっと待って。俺、何も聞いてないんだけど……」
拓海は追い駆けようとしたが、柊吾はその手を離さず引き留めた。
柊吾は一応、この七瀬の行動を事前に聞いていたのだ。氷花が〝遊び〟を拒否した場合の最終手段ということなので口止めを了承したが、一昨日の放課後には些細なことでやきもちを妬いた拓海のことだ。今回もきっと、後で怒られることになるだろう。柊吾は内心で肩を竦めた。
「七瀬さん、どうしたのです?」
和泉が、のほほんとした調子で訊いた。
七瀬は強気の笑みで、和泉の隣で足を止めた。
そして、一同が何事かと見守る中――七瀬は和泉の白い着物に袖を通した右腕に、自分の腕を絡ませた。
「呉野さんが〝遊び〟をしないなら、私とお兄さん、今度デートしちゃうんだからね! 呉野さん、いいの? 私とお兄さん、遊園地に行っちゃうかもしれないけど? 映画観に行っちゃったりするかもしれないけど? 水族館とか動物園とか楽しいとこに行っちゃうかもしれないけど、ほんとにいいの?」
「どうしてそうなるのよ!? っていうか離れなさいよこのビッチ! 汚らわしいわ!」
氷花が目の色を変えて、和泉と七瀬の元へすっ飛んでいった。奪うように和泉の右腕にしがみ付き、七瀬の反対側から和泉の身体を綱引きのように引っ張り始める。七瀬も負けじと「ビッチって言うなぁ!」などと叫びながら引っ張り返し、「おやおや」とのんびり笑う和泉の身体が、振り子のように左右に揺れた。
「呉野さんなんてキス魔じゃない! あんただけは人のこと言えないでしょーっ!?」
「昔のことなんて忘れたわよ! 兄さんも何よ! なんで鼻の下を伸ばしちゃってるのよ! 最悪だわ! 死ね! 死ね! みんな死ね!」
柊吾の右側では陽一郎が『キス魔』という言葉に過剰に反応して飛び上がり、毬に不思議がられていた。左隣では拓海も「デートなんて聞いてない」と呟くや否や、柊吾の手を振り解いて走り出し、あっという間に和泉に群がる子供が一人増えた。柊吾は、今日で一番大きな溜息を吐き出した。
すると、小さな笑い声が聞こえた。
撫子だった。優しげな目は大騒ぎする七瀬と氷花、和泉と拓海、その四人を苦笑いで見守る藤崎達へ、麗らかな日差しのように注がれている。
「楽しいね。……〝遊び〟が始まったら、もっと楽しくなるよね」
言葉が喉につかえてしまい、柊吾は一拍遅れで返事をしようと、口を開く。
だが、それに先んじて、撫子に応じた者がいた。
「うん。楽しもう」
和音だった。メンバー達の一番右側で、撫子と柊吾をじっと見ている。
その顔には、薄い笑み。十五歳の少女が浮かべるには、他のどんな感情よりも、哀愁が勝り過ぎた笑みだった。
和音は、分かっているのだ。この〝遊び〟が決して、楽しいだけのものではないことを。皆もそれを承知の上で、非道とも言うべき〝遊び〟に臨んでいる。
それでも、敢えて楽しもうと言ってくれた。
「うん。和音ちゃん、楽しもう」
撫子が、明るく返事をした。柊吾が温かな安堵に包まれていると、外野の声が耳に届いた。
「失礼ですね氷花さん。僕は鼻の下なんて伸ばしていませんよ」
心底楽しげに笑った和泉が、「ですが」と含みを持たせた声で言った。
「可愛らしい七瀬さんからお出かけに誘っていただいて、悪い気はしませんね。――いいでしょう。〝遊び〟の賞品にこれも足しておきましょうか。柊吾君達が〝遊び〟で勝てば、あるいは氷花さんが〝遊び〟を放棄すれば、僕は七瀬さんとデートします」
「はあぁっ!? だからっ、どうしてそうなるのよ!? クソ兄貴! あんたには貞操観念ってものがないの!?」
「嫁入り前の娘が、何を豪語しているやら」
「イズミさん、篠田さんとデートなんて駄目です。っていうか篠田さん、そんなの俺聞いてない」
「では拓海君、君も来ますか? 三人なら文句はないでしょう。三人で遊園地に行ったり映画を観に行ったり、水族館や動物園を楽しみませんか?」
「……。それなら、まあ」
「おい、いいのかそれで」
思わず柊吾が合いの手を入れると、「いいわけないでしょっ!」と氷花がついに怒髪天を衝くような勢いの声で、絶叫した。
「殺す、殺す、殺す、殺す……全員、私の〝言霊〟で殺してやるわ! あんた達全員、ここから生きて帰れると思わないことね!」
「呉野。もう一度訊く。俺らと、遊ぶか?」
柊吾の呼びかけを合図にして、七瀬と拓海が頷き合って、こちらの陣営に戻ってきた。二人と手を繋ぎ直した柊吾は、七人全員で氷花と向き合う。
同時に、か細い声が拝殿から聞こえてきた。
「氷花ちゃん」
美也子だった。スカートの裾をぎゅっと握って、じっと氷花を見つめている。
真剣な、目つきだった。
「私、遊びたい。氷花ちゃん、遊ぼう……?」
「……あんたに言われて遊ぶなんて、今までで一番腹が立つわね。でも、いいわ。遊んであげる」
不機嫌を極めた顔から一転して、悪辣に氷花が笑った。和泉の着物を掴んでいた手を乱暴な動作で離してから、人差し指を柊吾達へ突き付けてくる。
「――来なさいよ、日比谷君。綱田さん。それから不愉快な佐々木和音。あんた達は私の『仲間』なんでしょう?」
氷花はそう吐き捨てると、用は済んだとばかりに踵を返し、美也子の元へ引き揚げていく。
「柊吾、行ってくるね!」
「七瀬ちゃん、がんばろうね」
「じゃあ、後でね」
名指しされた三人もそれぞれ一言ずつ言い残し、石畳を一度も振り向かずに歩いていく。茜色に染まる深い木々の闇へ向かって、その手前に聳える木造の拝殿に向かって、その拝殿前に立っている二人の鬼の少女に向かって歩いていく。そしてついに敵陣へと辿り着き、朗らかに笑った陽一郎が、美也子の隣に立った。
「みいちゃん、これ」
陽一郎が差し出した白い鉢巻を、美也子はおずおずと受け取った。清潔な白さに慄くようにたどたどしく、鉢巻を額に巻いている。氷花は不機嫌そうに鼻を鳴らしてその様子を見届けると、柊吾達へ身体を向けて、陰湿に笑ってふんぞり返った。
「――絶対に負けないわ。貴方達の希望も、願いも、くだらない約束も、この私があんた達の〝遊び〟の内側で、完膚なきまでに砕いてあげる! あんた達が泣きながら私の足元に跪くのを、楽しみにしているわ!」
「呉野さんって、本当に変わらないよね」
七瀬が、溜息交じりに笑って言った。柊吾も「ああ」と首肯した。
そんな氷花だからこそ、柊吾達の最後の〝遊び〟相手になりえたのだ。そんな風に、柊吾は思う。
「上等だ。――相手にとって不足なし、だ! 行くぞ!」




