花一匁 118
「ほう、考えましたね」
仲間たちと手を繋ぎ合った柊吾達へ、和装の異邦人は感嘆の声を漏らした。
「君達がこの遊戯を最後の勝負に選んだのは、かつて学校で仲間外れになった少女への供養、あるいはその御魂へ捧ぐ奉納演舞といったところでしょうか。――〝はないちもんめ〟。『仲間外れ』を生み出す遊びで、『仲間外れ』を救済する。なかなか粋な計らいです」
柊吾の視界の右端で、七瀬が居心地悪そうに目を細めた。
おそらくは、心を読まれたことを気まずく思っているのだろう。
何しろ、七瀬は一昨日の三月五日、高校受験が終わった時に、〝はないちもんめ〟に好意的でない感想を述べていた。
――この遊びって、あんまり好きじゃなかったんだ。なんか、残酷で。誘われても参加したくなかったから、時々言い訳して逃げてたんだよね。
――相手グループから、メンバーをもらう順番。皆で相談して決めるんだもん。……後の方に残された子って、なんか、意味深でしょ。
確かに、その通りだろう。この大勝負の場に身を置いて、柊吾も初めてそう感じた。
だが、だからこそ――柊吾達〝言霊〟を絆に集まったメンバーの、最初で最後の遊びに、相応しい。
「この遊びは、篠田やイズミさんが言ったように、『仲間外れ』が生まれる遊びかもしれない。そんな遊びで俺達は、『仲間外れ』なんてくだらねえものを、ぶっ潰す」
「君達に、できますか?」
和泉が、人を食ったような笑みで言った。声には、場の誰より状況を楽しんでいるのが明白な、高揚感が満ちている。
「〝遊び〟が孤独を消し去れると、君達は証明できますか? それに、君達が彼女を『仲間外れ』の呪縛から解き放ったとしてもです。かつての『鏡』の事件の渦中でも僕は君達に言いましたが、人間の持つ『弱み』とは、一人の人間に対して一つだけとは限りません。風見美也子さんの『弱み』なら、『ルール違反』と『美醜』もあります」
まるで罪状を読み上げるように、和泉は美也子の『弱み』を〝言挙げ〟した。
にも関わらず当の美也子は、傍らに立つ神職の男を見なかった。その視線は依然として、柊吾達の〝はないちもんめ〟の陣形に、熱く注がれ続けている。
柊吾にはその様子が、ひどく生き生きとして見えた。
夕暮れの境内で再会した時、美也子は魂が抜けた抜け殻のような様相だった。だが、この美也子は違う。
――明らかに、〝遊び〟に興味を抱いている。
和泉は美也子を横目に見て、ふっと軽やかに笑った。
「君達が彼女を真の意味で救いたいなら、これらの『弱み』にも対処が必要となります。そして三つの『弱み』のうち一つ、『美醜』に着目して下さい。お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この『醜い』という漢字には、『鬼』の文字を含みます。まるで〝アソビ〟の渦中で人の姿を擲った、彼女を体現しているようですね。――君達は一人の少女を、〝鬼〟から〝人間〟へ戻せますか?」
「戻してみせる」
売り言葉に買い言葉で、柊吾は代表で啖呵を切った。
――『ルール違反』。それに『美醜』。
どちらの『弱み』に対しても、どう触れるべきか決めてきたのだ。
「イズミ君、君はもう悪者ぶらなくても良いではありませんか。天邪鬼な態度がすっかり板についてしまったようですね」
対面に立つ藤崎が、溜息を吐き出した。濃い呆れの浮かぶ顔には、やがて抜き差しならない鋭さが、抜刀の一閃のように颯と奔った。
「しかし、今回は私からも一言だけ云わせて頂きましょうか。……拓海君。此れが君達の決めた答えなのですね? 〝アソビ〟の決着を〝遊び〟でつける。大いに結構。ですが其の勝敗に〝はないちもんめ〟を用いる意味を、君も判っているのでしょう?」
藤崎は、静かに問うた。
全員の視線が、拓海に集まっていく。拓海も堂々と藤崎を見つめ返し、「はい」と芯の通った声で答えた。
「勝ち負けは、運に任せることになります。俺達にとっても、相手にとっても。でも、それでいいんです。それがいいと思ったんです」
「だって師範、私達は人間で、これは〝遊び〟なんだもん。運動神経の良し悪しとか、異能とか、私達の力に優劣があったら不公平でしょ?」
七瀬が楽しそうに笑って、会話に加わってきた。まるで細く開けた扉から兎が飛び込んできたような驚きで、藤崎が軽く目を瞠った。
「勝っても負けても恨みっこなし。運任せの〝はないちもんめ〟で、私達は全部綺麗にチャラにして、暗くなる前に家に帰るの。ね、坂上くん?」
「ああ」
拓海も活発に笑い返し、藤崎もやがて子を見守る親そのものの顔で笑った。そんな初老の男を見下ろす和泉の目も、同じ種類の和やかさだ。柊吾にはそれが不思議だったが、こちらは本物の家族だからだ、と一拍遅れで納得した。
「克仁さん。きっと柊吾君はこの日の為に、仲間を集めてきたのでしょうね。数奇なこの巡り合わせを、人は運命と呼ぶのでしょう」
「皆が皆、全て覚悟の上なのですね。――左様ならば、仕方がない。此れから子供達が元気に仲良く遊ぶからには、我々大人は邪魔者です。移動しますよ、イズミ君」
ぱん、と胸の前で手拍子を打って、藤崎は笑った。打って変わって快活な、七瀬によく似た笑みだった。
「拓海君、君達の考えた大勝負、しかと見届けさせて頂きますよ。……美也子さん、氷花さん。さあ、行ってらっしゃい」
藤崎は美也子の背中をぽんと優しく叩いてから、氷花にも同じ優しさで笑いかけると、和泉と共に歩き始めた。そして柊吾達と氷花達のちょうど中間点で足を止めると、石畳から外れた砂地で審判のように立ってくれた。
――〝遊び〟の邪魔にならないように、気を遣ってくれたのだろう。
「ちょっと待ってよ、お父様! 私はこんな野蛮人たちとは遊ばないわ!」
拝殿前に残された氷花は、夕陽に照らされた白い美貌を、憤懣でさらに赤く染めていた。振り向いた和泉が、常のように莞爾した。
「おやおや氷花さん、往生際が悪いですよ。貴女以外のメンバーは、全員が〝遊び〟を求めているのです」
毒など欠片も含んでいないような笑みだったが、柊吾から見れば、あまりに白々しい笑みだ。氷花もいよいよ腹に据えかねたらしく、「どうして私だけなのよ! あり得ないわ!」と眉を吊り上げて怒鳴り散らし、ぐるんと美也子を振り返った。
「みいちゃん! あんたも言ってやりなさいよ! あんただって雨宮撫子の顔なんてもう見たくないでしょ!? 三浦柊吾なんて死ねって思ってるんでしょ!? あんただって女子の端くれなら、大嫌いな人間と遊ぶくらいなら死んだ方がマシって気持ち、分かるでしょ!? 分かるわよね!? 分かるって言いなさいよ! ほら! 早く! こんなゴミみたいな遊びは嫌ですって言うのよ!」
「……ない、よ」
「え?」
「嫌じゃ、ないよ」
あんぐりと口を開ける氷花に対し、美也子はしっかりと柊吾達を見ていた。
水晶のように透明で幼児のように純心な眼差しが、まるで決して報われない恋心にけじめをつけるような切なさで、柊吾達へ注がれている。柊吾も、美也子と目を合わせた。やっとこの少女と、意思が通じ合えた気がしていた。
――美也子も、このままでは終われないのだ。
「まずは、この〝はないちもんめ〟の『ルール』を、坂上と篠田に説明してもらう」
柊吾が促すと拓海と七瀬が、意欲的に首肯した。美也子が、息を呑むのが見えた。
「ルール……?」
「うん。これから少し説明するよ」
応えた拓海が、優しい口調で話し始めた。
「普通の〝はないちもんめ〟の場合なら、二つのグループに分かれてから、歌を歌ってメンバーのやり取りをするよな?」
「『勝って嬉しいはないちもんめ、負けて悔しいはないちもんめ』、『あの子が欲しい。あの子じゃ分からん。相談しましょ。そうしましょ』。呉野さんも風見さんも知ってるよね?」
流れるように七瀬が歌い、笑みを浮かべて美也子と氷花の反応を窺った。
「まあ、それくらい当然知ってるけど……」
氷花はいかにも渋々といった様子で答え、美也子も「うん」と小声で返事をした。その回答に満足してか、拓海は微笑んで先を続けた。
「ここで、各グループで誰を『もらう』かを相談する。決まったら『決ーまった!』って宣言してから『誰々が欲しい』って相手グループに言う。――それが通常の『はないちもんめ』の遊び方だ。相手メンバーを全員先に奪ったら勝ち。奪われたら負け。簡単で、単純な遊びだ」
「でも私達は、この『ルール』通りに遊ぶつもりはないんだよね」
七瀬が、茶目っ気を含んだ声で言った。
「どういう意味よ?」
氷花が露骨に、訝しげに眉を寄せる。美也子は不安そうに、それでいてひどく切実な何かを灯火のように燃やした目で、拓海と七瀬を見つめ返した。
――元々、拓海と七瀬の東袴塚学園組は、美也子と顔見知りではなかった。
そんな相手であっても、今の美也子は二人のことを、ちゃんと認識してくれている。それが既にあの凄惨な〝アソビ〟とは、明確に異なる変化だった。
――きっと、全て上手くいく。
柊吾の胸にも温かい感情が、蝋燭の焔のように灯っていた。
――このメンバーで、遊ぶのだ。上手くいかない、わけがない。
「皆でこれから遊ぶにしても、今までにたくさんの怪我人が出たし、こうして手を繋いでる俺達だって、一昨日が初対面だったメンバーもいるんだ。そんな無理のあるメンバーで、仇討でも決闘でもなく〝遊び〟で決着をつけようとしてる以上、安全面はしっかり考えたいんだ」
拓海がてきぱきと説明し、その〝言挙げ〟を支えるように、七瀬も「それに」と言葉を添わせていく。
「さっき三浦くん達が言ったような〝はないちもんめ〟の残酷な面も、私達は何とかしたいんだ。だから、新しい『ルール』を決めてきたの。撫子ちゃん、お願い」
「うん」
合図を受けた撫子が、柊吾と陽一郎と繋ぎ合っていた両手を離し、黒いポシェットを開いた。
二本の細長い布が、絆創膏の貼られた指で、するりと滑らかに取り出される。
――それは、紅白の鉢巻だった。
氷花は目を瞠っていたが、すぐに小馬鹿にしたような目を向けてきた。
「何それ? 季節外れの体育大会の練習でもやるつもり?」
「まず俺達は、二つのグループに分かれる。ここまでは普通の〝はないちもんめ〟と同じだ。で、ここからが早速新しい『ルール』なんだけど」
揶揄を意に介さずに、拓海はふっと徐に、微笑んだ。
「――グループには、それぞれ『リーダー』を決めておく」
その台詞の終わりと共に、撫子が白い方の鉢巻を、陽一郎に手渡した。
陽一郎が、元気よく笑って鉢巻を受け取った。バトンのように友人の手に渡った鉢巻を見送った撫子は、その手に残された赤い方の鉢巻を自身の額に手早く巻いて、ぎゅっと後頭部で硬く結んだ。
夕焼けの赤より赤い鉢巻が、夕暮れの風に遊ばれて、金魚の尾びれのような優美さでたなびいた。氷花が、表情を僅かに硬くした。
「何をするつもり……?」
「俺達がさっき説明した普通の〝はないちもんめ〟だったら、ほしいメンバーを皆で相談して決めて、『誰々が欲しい』って相手グループに〝言挙げ〟するよな? ――でも、俺達がこれから始める新しい〝はないちもんめ〟では、『リーダー』は簡単には『もらえない』」
拓海は、撫子へ視線を投げた。
撫子は首肯すると、柊吾と手を繋ぎ直した。
ただし、陽一郎とは手を繋ぎ直さない。撫子と陽一郎の間を境に、手を繋いだメンバーが二分割された状態だ。
鉢巻をした撫子を含むメンバーは――柊吾、拓海、七瀬。
そのメンバーの中心に立った拓海が、宣言した。
「俺達のチームの『リーダー』は、雨宮さんだ」
「……」
氷花は呆気に取られた様子で、撫子の鉢巻を凝視している。七瀬の力強い声が、拓海の説明に続いた。
「――『リーダー』になった人間は、グループ最後の人間になるまで『もらえない』。たとえば呉野さん達が『撫子ちゃんが欲しい』って思っても、今みたいに『私』と『坂上くん』と『三浦くん』が残ってる状態では、『リーダー』に『ほしい』って歌うのは無理ってわけ。分かった?」
「そ、そんな女なんか要らないわよっ!」
氷花が猛烈な勢いで抗議したが、拓海はやはり気にした様子を見せなかった。ペースを乱さず丁寧に、説明の言葉を重ねていく。
「どんな順番でメンバーのやり取りが行われても、グループ最後の一人として残る人間は固定だ。『リーダー』以外のメンバー全員を〝はないちもんめ〟で『もらって』からでないと、『リーダー』に『ほしい』と歌うのは認められない」
「先に相手グループを全員『もらった』方が勝ち。イコール、最後まで残った『リーダー』を、先に『もらった』方が勝ち。『もらわれた』方が負け。……簡単で、単純な遊びでしょ?」
七瀬が、挑戦的に笑う。
本気で楽しげな様子が波長よく伝わってくるのは、柊吾の気のせいではないだろう。七瀬はこの新しい〝はないちもんめ〟のルールを気に入っているのだ。
――『最後まで残るメンバーを固定しちゃえば、寂しい思いをする子は出ないと思うんだよね』
そんな風に七瀬がファーストフードショップで提案した時、その意見は女子から熱く支持された。〝はないちもんめ〟という遊びによって生まれる悪感情や選民意識に、全員が何かしら思う所があったという。男子の柊吾達には縁遠い世界なので、七瀬達がいなければ、この〝遊び〟の形は実現できなかったことだろう。
「ほう、工夫されたようですね」
和泉が軽く手を叩いて微笑んで、七瀬に賞賛を送っている。
どうやら、柊吾か七瀬か、あるいは場の全員の心や記憶を読んだらしい。情報が筒抜けなのはどうかと思うが、相手は和泉なので柊吾としては呆れ以上の感情は持たなかった。
「七瀬さん、良い発想だと思います。最後に残るメンバーを固定すれば、『もらう』メンバーの選り好みによって最後まで残された少年少女が惨めな思いをする確率を、多少なりとも下げられますね。もちろん、最後から二人目に対しても同じ課題は生まれますが、『選ばれずに』たった一人取り残されるのと、『リーダー』と共に残るのとでは、心理的な負担に差があります。大変好ましい作戦ですね」
「ありがとうございます」
七瀬は大したこととは思っていないようで、短い礼を返してから、拓海に目線を寄越していた。拓海も応えて、補足の説明に移った。
「こういう『ルール』にした理由は、篠田さんやイズミさんが言った通りなんですけど、他にももう一つ狙いがあります。『リーダー』を固定にしてしまえば、相手グループは『リーダー』に、簡単には手出しができなくなります」
「……成程」
和泉が、目を細めた。藤崎も、神妙な表情で腕を組んでいる。
「俺達は、雨宮に『リーダー』になってもらった。……つまり、雨宮は簡単には、お前らには渡さねえってことだ」
柊吾は決意を声に出して、敵陣へと叩きつけた。
宣誓のような言葉を受けて、美也子が肩を震わせた。
ほつれた髪が、さらに乱れる。目元には切なさと、それから気の所為でないならば――明らかな悔しさが、包帯に滲んだ血液のように表出した。
「何よそれ? 時間稼ぎのつもりかしら?」
その隣で氷花は、口をへの字に曲げていた。
「あんた達を私が全員『奪った』ら、『リーダー』なんて関係ないわ。その女だって私のものよ。……ふふふ、どういう風にさせてもらおうかしら? 私は雨宮撫子なんて嫌いだもの。もう一回あの〝言霊〟をぶつけてみるのも一興ね?」
「させねえ。言っただろ。雨宮は、簡単には渡さない」
凄んだ柊吾は、〝言挙げ〟を繰り返した。
「欲しいなら、俺ら全員『奪って』みろ。――お前らにそれが、できるならな」
氷花が鼻白んだ様子で口を噤み、美也子の頬に夕陽の色以上の朱が、頬紅のように差した。挑発としてはやり過ぎだったかもしれないが、柊吾としては本気だ。
「……ありがとう」
撫子が、握り合った手に少し力を込めてきた。その手を握り返しながら、柊吾は仲間達だけに聞こえるように囁いた。
「……大丈夫だ。もう一人にはしねぇから。『奪われる』時は、みんな一緒だ」
「ちょっとやめてよね、三浦くん。そういうの言い合ったら負けそうでしょ?」
七瀬が、小さく吹き出している。拓海も、つられたように笑い出した。
「ほんとだな。三浦、俺達は負けないよ。運任せだけど、そうだよな?」
「ああ。負けねえ。勝つに決まってる」
柊吾も少しだけ笑った時、「何を勝手に盛り上がってるのよ! むかつくわ! ここは神社よ! 余所でやりなさいよ!」と、拝殿から抗議の声が飛んできた。
「やだ、呉野さんってば地獄耳」
「まあ、分からなくはないけど」
七瀬と和音が、それぞれ所感を述べている。二人の明け透けな態度に毬と陽一郎は慌てていた。そんな一同を拓海が微笑ましげに見ていたが、やがて氷花へ向き直ると、溌剌と声を張り上げた。
「呉野さん! 悪いけどそっちの『リーダー』は、勝手に決めさせてもらう! 風見さん! 君が『リーダー』だ!」
美也子が、驚いた様子で顔を上げた。唇が微かに動いたが、「はあぁっ? どーしてよっ!」と、氷花が美貌を歪めて吐き捨てる方が早かった。
「お馬鹿なみいちゃんに『リーダー』なんて務まるわけないじゃない! お断りだわ、こんな『リーダー』のもとで遊んだって負けるに決まってるもの! 大体そっちは七人でこっちは二人で〝はないちもんめ〟をするなんて、多勢に無勢だわ! あんた達、卑怯よ!」
「卑怯って、あんたがそれを言うわけ?」
七瀬が、白い目で氷花を見ている。拓海が「まあまあ」と苦笑いで諌めてから、どこか慇懃な口調で氷花に言った。
「もちろん、メンバーは半々に分けるよ。――こっちのメンバーから、三人を貸し出すから」
ざっと石畳の小石を蹴る音とともに、仲間のうち三人が、一歩前へ進み出た。
少女二人の長髪が、スカートが、そして少年の握った白い鉢巻が揺れる。
――和音、毬、陽一郎の三人だ。
表情は、三者三様ばらばらだ。冷静な者、緊張している者、人懐こく笑う者。共通しているのは、三人共がこれから自分が赴く先を、しっかり見据えていることだ。三人の勇姿を見守りながら、柊吾は回想した。
この三人は、立候補によって決まったのだ。
――『あなた達は、最初から一緒にいなよ』
〝遊び〟の初期メンバー編成について、相談していた時だった。素っ気なく、それでいてさっぱりと言った和音に、毬と陽一郎も続いたのだ。
――『遊んでるうちに、また一緒のグループになれるよね』
――『柊吾、がんばろうね。どっちのグループに分かれても』
そんな三人の覚悟と思いを、柊吾たち四人は受け止めた。
だからこうして、三人を敵陣へ送ろうとしている。
「佐々木さん、綱田さん、日比谷。それに呉野さんと『リーダー』の風見さん。この五人が呉野さん側の〝はないちもんめ〟初期メンバーだ。これなら人数についての不満はないよな?」
拓海はそう言って、明るく笑った。
友好的とも挑戦的とも、どうとでも取れる笑い方だ。氷花は思案気に押し黙り、品定めをするような目でじろりと拓海を睨んでから、やがて酷薄に薄ら笑った。
「……ふぅん? いいのかしら、そんなに余裕ぶっちゃって。そこの三人を私に差し出せば、貴方達の初期メンバーは四人よ? 私の方が有利になるわ」
「承知の上だよ。呉野さん達の『リーダー』を決めさせてもらったから、それくらいはハンデとして受け入れるよ」
「それに、四人じゃないよ」
撫子が言って、誰とも握り合っていない右手を、持ち上げた。
「紺野沙菜さんも入れたら、私達は、五人になる」
その名を聞いた美也子の目に、怯えに近い複雑な色の光が浮かぶ。おぼろげな光は夕日のオレンジと混じり合い、まるで涙のように輝いた。
「紺野ちゃん……?」
「もう遊べない相手だって、分かってる。分かってても、紺野さんにも関わってほしいの。これが最初で、最後だから。――美也子」
撫子が、澄んだ声で美也子を呼んだ。
呼ばれた美也子が、竦んだ様子で撫子を見る。
茜色の光の筋が、霧で出来た帯のように撫子の横顔に射している。光の粒子を透かした向こうに、柊吾は微笑む撫子の顔を見る。
「遊ぼう。美也子。――遊びの『ルール』って、一つじゃないんだよ。だってこれは、私達の〝遊び〟だもん」
美也子が、はっと顔を上げた。恐れが、期待が、心許なげに立つ美也子の身体の内側で、嵩を増していくのが分かる。柊吾も、声をかけたくなった。柊吾達が何を考え、どういう風にこの『ルール』を作ったのか、その舞台裏を言葉の形で、美也子に伝えたくなった。
――この新しい『ルール』は、美也子の為のものだ。
新たな規範を作り上げて、それを皆で守って遊びたい。そんな皆の願いの結晶が、この『ルール』なのだ。
――俺達が、衝動を止められるのは――俺達が、人間だからだ。
不意に、耳に蘇る声があった。
三浦恭嗣の、声だった。撫子の声が、歌の唱和のようにそこへ重なる。
「遊びの『ルール』をこんな風に、みんなで作れるってこと。私も今まで知らなかった。そういう風にしていいんだって、考えもしなかった。……みんなで遊ぼうと思ったから、『ルール』の作り方を初めて知ったの。みんなが教えてくれなかったら、こんな遊び方、知らなかった。私はまだ、知らないことばかりなの」
――人間だから、理性がある。社会がある。規範がある。その線引きと決まりがあるから、人間は衝動と、向き合わざるを得なくなる。窮屈に見えるかもな。けど、それが大事なんだ。
「きっと、遊びの『ルール』って、みんなで楽しく過ごすために必要で、とても大切なものなんだと思う。例えば、怪我をしないように。例えば、悲しい思いをしないように。例えば、不愉快な気持ちにならないように。例えば、笑顔で遊べるように」
――あいつが気に入らない。許せない。腹が立つ。殺してやりたい。そんな感情に抗うのは、辛いぞ。流れに逆らって走るんだから、摩擦が起きるのは当たり前だ。……だがな、その苦しみで、守れるものもあるんだよ。
――お前が規律を守るのと同じように、他者も規律を守るからだ。
「……だから、ちゃんと守らないといけないんだよね。みんなが同じ『ルール』を守り合って、楽しい遊びが守られてる。ううん、『ルール』が守っているものは、遊びの楽しさだけじゃない。遊んでいる私達の時間とか、楽しいって感じる心そのものも、守られてるんだと思う」
撫子の語りを呼び水に、恭嗣の言葉が次々に蘇ってくる。柊吾は記憶の声に、耳を澄ませた。
あの時に胸を打った言葉はもう、柊吾の身体の一部だった。新しくなった感性で、柊吾は美也子のことを思う。美也子の『弱み』を、考える。
――美也子の『弱み』、『ルール違反』。
学校という戦場で、個性を削り、集団の一部に溶け込んで、美也子は誰より和を重んじて生活した。戦い方そのものが『弱み』の形を取るほどに、その執念と拘りは、最早美也子の魂に繋がっているとさえ言えるだろう。
だが、その執念を、拘りを、柊吾は異質だとは思わないのだ。
何故なら、規範を順守しようと努めるのは――人間として、あまりに自然な行為だからだ。
「美也子の『ルール』を大切にしようって思う気持ち、私は、尊敬してる」
撫子が囁くと、美也子は首を横に振った。両手を胸の高さまで持ち上げて、手の平を悲しげに見下ろしている。まるでそこに決して落ちない血の汚れが、染みついているかのようだった。
「撫子ちゃんが、私を……そんなの、嘘」
「嘘じゃないよ」
落ち着き払った声で、撫子は答えた。
当たり前の事実を告げるような自然さで、言葉がゆっくりと、紡がれる。
「だって規範を守ることって、誰かを傷つけないための優しさでもあるでしょう?」
美也子が、虚を衝かれたような顔になった。
――皆が決まったルールを守り合って、自分と他者を守り合って生きている。それが人間が築き上げてきた、社会だ。お前と、お前の大事なもの。それらを守るために、理性がある。規範がある。社会がある。それらが機能してるから、俺達は、人間でいられるんだ。
――それを守れるのが、人間なんだ。
「……知ぃらない。何よそれ」
氷花が、ばつの悪そうな顔で言った。
思えばこの少女は、柊吾とここで再会した中二の頃、『特別な人間である自分は、ルールや規範など簡単に乗り越えてもいい』などと豪語していた。一応己の放った言葉くらいは、一年以上前のものでも覚えているらしい。柊吾がじっとりと睨んでいると、撫子の語りは静かな締め括りを迎えていた。
「美也子。新しい『ルール』ができたから、これでみんなで楽しく遊べるね」
「みんなで、楽しく……」
美也子は、洟を啜って俯いた。
しんみりとした空気が春の宵のように漂ったが、氷花がついに「だーかーら! 勝手に盛り上がらないで頂戴って言ってるでしょっ!」と地団太を踏んで気炎を吐き、情緒は瞬く間に破壊された。
「三浦柊吾! 私はこんなカスみたいな〝遊び〟は御免だわ! ぬるいのよ! あんた達の命か賞金を懸けてくれない限り、あんた達とは遊ばないわ!」
「駄々っ子かお前は。命懸けの〝アソビ〟なんて誰がするか。けど、賞品の話ならこれからするつもりだ」
「えっ?」
氷花が、ぽかんと固まった。まさか本当に遊ぶことで見返りがあるなどとは、思いもよらなかったのだろう。
「俺達が勝ったら、お前から欲しいものがある。……お前達が勝った場合にも、お前にとって利益になることを考えてある」




