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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 117

 私は、とっても混乱していた。

 あの電話が、全部悪いのだ。お父さんの携帯に突然かかってきた電話が、私の世界を滅茶苦茶にした。

 電話に出ながらホテルの部屋を出たお父さんは、横顔がびっくりするくらいに青かった。私はとっても心配になったから、パジャマの上からお父さんのコートを羽織って、こっそり後を追いかけた。

 一階のラウンジで電話をしていたお父さんは、誰かへ必死に謝っていた。

 携帯を握った手も、ソファに沈んだ両足も、ぶるぶると怖いくらいに震えていて、ぺこぺこと頭を何度も下げていた。

 電話、なのに。相手には何も見えないのに。そんな風に茶々を入れるのも躊躇ってしまうくらいに、お父さんは今にも死にそうな土気色の顔で、ひたすら謝り続けていた。私の頭から、血の気が引いた。

 私の知らないところで、世界が顔を変えてしまったみたいだった。私は、直感で悟っていた。

 ――お父さんは、今、私の所為で謝っている。

 やがて電話を終えたお父さんは、実際の年齢よりも十は老けたみたいな顔で、立ち上がった。そして、ラウンジの隅で金縛りにかかったみたいに動けなくなった私に、気付いた。

 ――そこからの展開は、あっという間だった。

 お父さんは私を部屋へ引っ張っていくと、私にたくさんのことを詰問したのだ。

 ものすごい剣幕だった。眉はグロテスクに吊り上っていて、唇は病気みたいに痙攣していて、人間じゃないみたいだった。いつだって優しいお父さんが、こんなに怒るのが信じられなかった。私は大声で泣き叫ぶばかりで、何も答えられなかった。

 だって、意味が分からないのだ。

 ――私が、撫子ちゃんに、怪我をさせたなんて。

 ――私が、和音ちゃんを、突き飛ばしたなんて。

 そんなの、おかしい。どうしてそんな言いがかりをつけるのだろう。お父さんは、誰かに嘘を言われたのだ。絶対、そうに決まってる。ひどい。最低だ。許せない。そういうことをする人はたちまち皆に嫌われて、所属しているグループから爪弾きにされるのだ。誰? 誰? 嘘つきは。世界から邪魔者扱いされてしまう、『ルール違反』を犯したのは。

 ――私だ、と思った。

 嘘つきは、この私。調子のいいことばかり言って、本当に誠実なことなんて、数えるくらいしか言えなかった。道化みたいな私の姿を、誰かが嘲り笑った気がした。私の全身の産毛が、逆立った。

 ――これは、苛めっ子の声だ。

 声はざわざわと虫の羽音のように増殖して、潰れた芋虫みたいな粘り気で、べたべたと私の鼓膜にこびりついて離れない。遠い昔にばいばいした、ミユキちゃんや夏美ちゃんの声も聞こえた。頭を振り乱した私は、声の限りに絶叫した。お父さんの尋問が止まり、同時に外からホテルのドアが、控えめに、それでいて強く、叩かれた。

 ――こうして私達は、荷物をまとめてホテルを出た。

 少ない荷物を薄っぺらな鞄一つに押し込んで歩いた私達を、行き過ぎる人達がちらちらと見た。昼間の袴塚市に降り注ぐ日差しはぽかぽかしていて、あまりに長閑で、私とお父さんは浮いていた。家族で寄り添い合っているのに、駅の傍を通っても、灰色の住宅街を歩いても、どんな風景の中にいても、街に溶けることができなかった。

 惨めで、卑屈な気分だった。どこにも交われない私達は、まるで絵本の間違い探しの、間違い側だ。私達という異物同然の存在は、この街には要らないのだ。

 ――こんな所でも、私は『仲間外れ』なのだ。

 ――**ちゃんも、こんな気持ちだったのかな。

 そんな風に考えて、私は思わず足を止めた。

 ――私は今、誰のことを考えたの?

 心の真ん中、血と膿が一番ひどい私の傷の内側が、ずきんと鈍く疼いていた。

 とっても大切なことを、忘れている気がした。

「……美也子?」

 数歩歩いた先の十字路で、お父さんが立ち止まった。幽鬼のように青い顔で、歩くのをやめた私を不審そうに見つめてくる。

「ごめんなさい……」

 私はのろのろとお父さんの元へ駆け寄ったけれど、身体はすっごく重いままで、気分も重いままだった。櫛も入れられなかったぼさぼさの髪を頬に垂らした私は、真新しいサロペットスカートの裾を、ぎゅっと握って俯いた。

 私の服は、全部なくなってしまったらしいのだ。だからこの服は、ホテルで泊まっている間に、お父さんが買ってきてくれたものだ。

「美也子、何か思い出すことは?」

 お父さんは、鉛のような声で言った。

 疲れ切った声だった。ホテルを追い出されるような悲鳴を上げて暴れた私に、お父さんは疲れたのだ。それとも、何にも思い出せない私に疲れたのかもしれない。どちらでも、同じだった。私はお父さんに、疲れられている。首を横に振った私を、お父さんが絶望の目で見下ろした。

 ああ、可哀想なお父さん。私は他人事みたいに、そう思った。

 お父さんは、私の馬鹿さ加減に落胆したのだ。こんなにも馬鹿な私を連れて、こんなにも余所余所しい街を歩かないといけないのも、本当はすごく嫌なのだ。

 でもお父さんは、私のお父さんだから。私を、捨てるわけにはいかないのだ。私は、少しびっくりした。

 とっても馬鹿な私でも、こんな風に、人のことを考えられるのだ。

 お父さんが私を見る目が、寂しげなものに変わった。怒っているお父さんより、こっちの顔の方がいい。私も寂しかったけれど、少しだけ、嬉しくなった。

 けれど、そんな時間は長続きはしなかった。

 お父さんが、私を連れていった場所が――知っている場所、だったからだ。

「お父さん、ここは……?」

 戸惑う私の目の前には、白塗りの壁の一軒家。表札には、『藤崎』とあった。丁寧に剪定された庭の垣根には花が咲いていたけれど、中には茎が途中でぷっつりと切られ、花が落とされたものもあった。

 少し潰れた断面へ、目が吸い寄せられるように向いた時――私の視界が、一瞬、真っ赤に光った。


 ――ここで、私は、鋏を、持って。


 どっ、どっ、と心音がうるさいくらいに身体に響く。動悸が止まらなくなって、一気に体温が上昇した。ふらついた私はお父さんにぶつかったけれど、お父さんは私の異変なんてお構いなしに、インターホンを押している。

 やめて。お父さん。そう言いたいのに、喉がひくついて声にならなかった。

 これ以上、この家の傍にいたら、私は――思い出さないでいいことを、思い出してしまう。

 でも、神様は何度だって、私に鉄槌を下すのだ。

 私の願いを嗤うように、黒と灰色の飛び石が双六みたいに並ぶ先で――扉はがちゃりと、音を立てて開いてしまった。

 中からは、二人の大人が出てきた。一人は小ざっぱりとした身なりをした初老の男の人で、その後ろから現れたもう一人は、楽そうなTシャツ姿の男の人だ。後ろの人の方が、年齢が若い。私のお父さんと同年代くらいかもしれない。

「初めまして。藤崎と申します」

 初めて会う藤崎さんという男の人は、何だか初めて会う気がしなかった。

 どうしてだろう。始めましての人、だよね?

 私が曖昧に記憶を手繰っていると、朗らかに笑った藤崎さんは、私達に斜め後ろに立っていた男の人を紹介した。

「こちらは三浦さんと云って、怪我をした雨宮さんと佐々木さんの友人、柊吾君のご家族の方です」

 若い方の男の人は、私とお父さんに目礼した。鋼の意思を感じさせる、強い目だ。私の背中に、脂汗が滲み始めた。

 ――みうら。

「まずは、大変な中ご足労いただき、有難う御座います。――此の度は、ご愁傷様でした」

 藤崎さんは、折り目正しくお辞儀をした。

 対するお父さんは、そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなかったようだった。「はあ……」と精彩を欠いた声で応えてから、藤崎さんに頭を下げている。私は『ご愁傷様』の意味が分からなくて、ぼうっと二人を眺めていた。そんな私達の様子をじっと睨むように、三浦という男の人が見つめている。

「此方からの用件は、電話でお話をさせて頂いた通りです。いずれは雨宮さんのご家族も交えて、きちんとした話し合いの場を設けたいと考えておりますが、今は一先ず、此方へ。あの部屋の中に、子供達が待っています。撫子さんが怪我をした現場に居合わせた子供達です。美也子さんと一緒に少しばかり、彼等の話を聞いてあげて下さい」

「撫子ちゃんが、怪我をした時の……?」

 私はぼんやりと呟いて、藤崎さんが腕で示した平屋の建物を見た。

 学校の体育館を、小型化したみたいな建物だ。入り口の引き戸の傍に据えられた靴箱には、三人分の靴が収まっている。

「綱田毬ちゃんもいるぞ。友達なんだろ?」

 三浦という男の人が、ぶっきらぼうな口調で私に言った。

 その眼光の鋭さに腰が抜けそうになった私は、言われた言葉をきちんと聞いていなかった。数秒遅れで意味が脳に沁み込んで、今度こそ腰が抜けそうになる。

「毬ちゃんが……どうして……?」

 言いながら、訊くまでもないと分かっていた。

 だって、この場所は、おそらく――少林寺拳法の、道場だ。

 ――綱田毬ちゃん。この道場に通っている、私の友達。

 でも最近は、あんまり一緒に過ごした覚えがない。もう一人、私と毬ちゃん共通の友達が、私と毬ちゃんの仲を引き裂いたから。

 ううん、引き裂かれてなんかいない。あれは、私の、自業自得。

 泡だて器で撹拌したみたいな記憶の群れが、メレンゲみたいに膨らんで、その質量に眩暈がする。目の焦点が明らかにおかしい私の顔を、三浦という人が注視しているのが分かった。

「おい……大丈夫か」

 そう呟いてから、「大丈夫なわけないよな」と、男の人は独り言みたいに言い直した。藤崎さんが、「当たり前ですよ。たくさんの事があったのですから」と春の木陰から射す光みたいに優しさで応えてから、私に柔らかく笑ってくれた。

「美也子さん、こんにちは。怖がらないで大丈夫ですよ。後ろの彼は笑うと愛嬌のある顔をしていますが、真剣な顔をしていると、なかなか怖い面相になるもので」

「怖い面相で悪かったな」

 三浦という男の人は、もっと不機嫌そうな顔になった。藤崎さんが穏やかな笑い声を立てると、場の空気の重たさが、ほんの少しだけ和らいだ。お父さんも、放心状態の青い顔から、少しだけほっとしたような顔になった。私もそんなお父さんを見ていたら、少しだけほっとした。

 けれど、やっぱりそんな安堵は仮初だった。

 藤崎さんに誘われて、平屋の建物へ通された私は――現実を知ることになる。

 広い部屋の真ん中には、三人の子供が立っていたのだ。

 男の子が二人、女の子が一人。震えた私の唇が、その女の子の名を呼んだ。

「毬ちゃん……」

 左頬に泣き黒子のある女の子――綱田毬ちゃんも、くしゃりと泣きそうに顔を歪めて、私のあだ名を呼んだ。

「ミヤちゃん……」

 か細く震えた声には、私への気遣いが、胸に突き刺さるほどの痛々しさで感じられて――その瞬間に私の世界は、後戻りができないくらいに滅茶苦茶になった。


 記憶が、逆巻いて蘇った。


 私は、この気弱そうな女の子に――赤いマフラーを、プレゼントしたのだ。

 毬ちゃんの家庭の事情を詮索して、同情して、絶対喜んでくれるって疑いもなく信じきって、得意満面でプレゼントしたのだ。

 そんな私の態度と姿勢を、激しく糾弾した女の子がいた。和音ちゃんだ。佐々木和音ちゃん。私はあの子が言うように、毬ちゃんを見下していたんだ。

 認識が、雪崩のように私の身体の細胞全てに、怒涛の勢いで迫ってくる。魂さえも呑み込んでしまいそうな濁流に抗うように、私は長い悲鳴を張り上げた。

 空気がびりびりと、雷みたいに震えた。毬ちゃんがびっくりしているのが分かる。隣にいるひょろっとした身体付きの男の子が慌てた様子で、ジャケットを翻してこちらへ走ってこようとした。陽一郎だ。日比谷陽一郎。こちらに伸ばそうとした腕の動きを、厳しい掛け声で止めた男の子がいたけれど、私はもう、そんな動きを見ているどころではなかった。


 私は、一昨日、氷花ちゃんに――汚い『ばい菌』と言われたのだ。


 全て思い出した。何もかも思い出した。一昨日の夜、神社の昏い森の中で、撫子ちゃんに嫌いと言われたことを思い出した。撫子ちゃんの肌を鋏で傷つけたことを思い出した。和音ちゃんを石段に向かって突き飛ばしたことを思い出した。**ちゃんが、紺野ちゃんが、もうとっくに亡くなっていることを思い出した。一緒に地獄へ行く気でいたのに、全部をすっかり忘れていた自分を思い出した。

 蓋をしていた記憶は鋭い破片になって飛び散って、癒えていなかった心の傷に次々と突き刺さって、新たな血液を飛散させた。私が世界で一番嫌いな色で、私の世界が染まっていく。記憶が、溢れ出して止まらない。心が、壊れてしまいそうだった。目の前の同級生たちのことも思い出した。毬ちゃんは分かる。陽一郎も分かる。でももう一人の男の子だけは、見覚えがあるだけで分からない。

 半狂乱になって暴れる私の肩を、素早く動いた藤崎さんが掴んだ。名前の分からない男の子も同じ素早さでフローリングの床を蹴って、藤崎さんと一緒になって私の腕を押さえつけた。首をめちゃくちゃに引っ掻き毟ろうとしていた私の手は、すぐさま二人に制圧されて、何も傷つけられなかった。

 慟哭する私の獣のような有様に、お父さんが慄いているのが分かる。建物の入り口で顔色をなくすお父さんと、がむしゃらに泣き喚く私とを、三浦という男の人が痛ましげな目で見つめていた。手がこちらへ伸ばされたけれど、名前の分からない男の子が、首を横に振っていた。代わりに陽一郎が駆け寄ってきて、みいちゃん、みいちゃんと何度も呼んで、私の手を取ってさすってくれた。私は喉が潰れる寸前まで叫び続け、終いには藤崎さんの胸板に顔を押し付けながら、わあわあと枯れた声で泣き続けた。

 何のための、命だろう。私は、悲しくて悲しくて堪らなかった。

 だって、私は――全てを、思い出してしまったのだ。

 氷花ちゃんのことを思い出して、撫子ちゃんのことを思い出して、紺野ちゃんのことまで思い出して、すっかり壊れてしまった〝アソビ〟を思い出して、最後の最後に、極めつけのように、思い出してしまったのだ。

 ――私のお母さんは、もう。

 何度も何度も、私はその事実を忘れ去った。そして何度も何度も思い出して、その度にホテルでこういう風に酷く暴れて、お父さんを困らせたのだ。

 お母さん。どうして。私は何度でも自問して、何度でも自分で見つけ出した答えに、絶望する。

 ――お母さんは、私の所為で死んだのだ。

 私みたいな『汚い』娘が嫌で、嫌で、嫌で堪らなくて、こんな思いをしながら生き続けるくらいなら死んだ方がマシだから、一人で先に死んだのだ。

 だったら、私もそうしたい。

 お母さんが、そうしたように。紺野ちゃんも、四年前にそうしたように。

 私も、早く、死んでしまいたい。

「ミヤちゃん……」

 毬ちゃんが、私に近寄ってきた。

 藤崎さんにしがみ付きながらフローリングにくずおれていた私は、泣き腫らした目を友達に向けた。

 毬ちゃんの手足は、震えていた。顔も、誰より蒼ざめている。

 ――きっと、私が怖いのだ。

 私はこの子を、軽んじていた。学校では小さな声しか出せなくて、恥ずかしがり屋で不器用な毬ちゃん。私がいないと、生きていけない女の子。今にして思えば、そういうところが紺野ちゃんに似ていた。

 でも、違ったのだ。

 私なんていなくても、毬ちゃんは生きていける。和音ちゃんだっているし、ここにも二人、一緒に出掛ける友達がいるのだ。

 ――私がいないと生きていけない子なんて、いないのだ。

 思わず微笑んだ私の頬を、さらに流れた熱い涙が濡らしていった。

 さっきとは、違う意味の涙だった。

「私、毬ちゃんにまだ、謝ってなかったよね……?」

 毬ちゃんは、戸惑いに揺れる目で私を見ている。私は泣き笑いの顔になると、掠れきった声で言った。

「マフラー、ごめんね。毬ちゃんは、ああいう風にされるのが、嫌だったんだよね。私、馬鹿だから気付かなかった……和音ちゃんにも、怒られちゃった……」

 私がこんな風に言おうと思ったのは、和音ちゃんに言われたからじゃない。

 ただ私は、この子を軽んじてきた過去を、なかったことにしたいだけだ。

 だって私は、誰かを馬鹿にできるほど、上等な人間なんかじゃない。

 そもそも、人間ですら、ないのだから。

「そのことは、もういいの……」

 毬ちゃんは、目尻に涙を浮かべて、首を横に振った。本当に、毬ちゃんって優しい子だ。あの〝アソビ〟で人間をやめかけた私みたいな人でなしにも、綺麗な涙を見せてくれる。まだ友達だって、思ってくれてるのかな。もう無理しないでって言ってあげたいのに、泣くのに忙しくて声にならなかった。

「ねえ、ミヤちゃん……これから、私達と一緒に来てほしいの」

「一緒に? どこに?」

「神社に。……みんなが、待ってるから」

「みんな?」

 私は首を傾げてから、やがて顔を強張らせた。

 毬ちゃんの言う『みんな』が誰かなんて、いくら馬鹿な私でも分かる。

「やだ……行かない、私、行かない……。毬ちゃん、なんで……?」

 どの面提げて、会えるというのだろう?

 撫子ちゃんに、会えるわけない。氷花ちゃんだって私に会えば、もっと酷いことを言うに決まっている。絶対に、会いになんていきたくなかった。

 もう、傷付きたくないのだ。生きるのも、嫌なのだ。

「みいちゃん、行こうよ。僕も一緒だよ。ね?」

 陽一郎が、にこっと私に笑ってくれた。さっきよりも臆病さが抜けて、能天気で明るい笑みだった。私は、何だか気抜けしてしまった。

「行こう、風見さん」

 名前の分からない男の子も私の隣に膝をついて、穏やかな声で囁いた。

「まだちゃんと名乗ってなかったけど、俺は東袴塚学園の中三の、坂上拓海。雨宮さんの友達だよ」

「撫子ちゃんの……? 撫子ちゃんの友達が、なんで私を、誘うの?」

 ――友達を傷つけられて、怒っているから?

 ――だから復讐のために、私を呼ぶの?

 私の『罪』は、たくさんある。身を縮めた私は藤崎さんの服を握り、『罰』が言い渡されるのを怖々と待った。

 けれど坂上君という男の子は、私を責める言葉を言わなかった。

 代わりに、マグカップに注いだ温かいスープみたいな優しさで、こう言ったのだ。

「君と一緒に、遊びたいんだ。だから、行こう。風見さんがいないと、遊びが始まらないから」



     *



 こうして、私は――神社の境内に、立っている。

 茜空が、目に眩しい。藍色に染めた水の中へ燃える線香花火を溶かしたような、美しい夕空だ。真正面の丹色の鳥居の真ん中へ、輪郭が溶け出した夕陽がゆっくりと丸く泳いでいる。あのオレンジ色の輝きが、水平線へ沈むまでに、時間はまだまだ、残されている。

 そんな鳥居の手前に、撫子ちゃん達が立っていた。

 私から見て左側から、和音ちゃん、毬ちゃん、陽一郎、真ん中に撫子ちゃん、次に三浦君、坂上君、篠田さんという女の子の順番で、横一列に並んでいる。

 みんな、手を繋いでいた。

 ――〝はないちもんめ〟で、〝遊ぶ〟ために。

 私が、小学五年の夏に、結局できなかった〝はないちもんめ〟――私は、涙ぐんでしまった。

 どうして、泣いてしまうのだろう。ここに来るまでの間、本当に辛かったからだろうか。神社の境内で出会った氷花ちゃんは相変わらず冷たくて、藤崎さんがいなかったら、きっと凄く酷いことを言われていたに決まっている。神社の神主さんは優しかったけれど、お父さんと離れてここまでやって来た私に、味方なんて誰一人としていない気がした。

 そんな私の手を、陽一郎と毬ちゃんが握ってくれた。坂上君が、一緒に行こうと言ってくれた。一人では、ここには絶対に来れなかった。

 ――私は、一人じゃないのだろうか。

 分からない。でも、孤独だ。この人達はみんな、私のことを恨んでいる。

 でも、私は――ここで、遊んでもいいんだ。

 とくんと胸を打った感情の名前は、馬鹿な私には分からない。

 分からないけれど、私は――遊びたいって、思ったのだ。

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