花一匁 116
美也子は白いトップスに緋色のサロペットスカート姿だったが、着衣はやや乱れていた。大きく開いた襟ぐりからは左の肩が見えていて、慌てて衣服を着替えたのか、滅茶苦茶な暴れ方でもしていたのか、心ここにあらずといった俯き方が只ならぬ闇を窺わせた。暗い目で石畳をじっと見つめていて、顔を上げもしない。今日は巻かれていない髪が、頬に当てられた白いガーゼを掠めていく。手や膝に貼られた絆創膏が、痛々しかった。
「……美也子」
撫子が、ぽつりと囁いた。
その呼びかけは、柊吾たち仲間にしか聞こえない。対面の人間たちに届くわけがなかったのに、拝殿前に凛と佇む和装姿の異邦人には、全て『判って』いるようだった。顔合わせは済んだとばかりに、声が再び朗々と、境内の空気を震わせた。
「――本日は、お招きいただき有難うございます。決着の舞台に君達が、僕を招いてくれたこと。そして君達の行く末を決める最初にして最後の大勝負に、僕を関わらせてくれたこと。僕は光栄に思っています。しっかりと最後まで、立ち合わせていただきます」
そう言って、静々と数歩前へ進み出てきた男――呉野和泉は、莞爾と穏やかに微笑んだ。
すぐ傍に立つ藤崎克仁も、柔らかな面差しで柊吾達を見つめている。白髪混じりの黒髪と、薄手のコートの襟が風に揺れる。麻の白シャツにカーキのズボン。先日の拓海の格好だ。拓海も気付いたのか、困ったような顔で笑った。
「イズミさん、堅苦しいことはいいですよ。それより、お忙しい中集まって下さって、ありがとうございます。克仁さんも」
「私のことはお気になさらず、拓海君。此の場に立ち会うことは、私が望んだことですから。たとえ呼んで頂けなくとも、馳せ参じる心算でいましたよ」
「だって、もう怪我人を出すわけにはいきませんから。ちゃんと見守ってくれる大人がいないと、この計画は成り立ちません。それに克仁さんだけじゃなくて、この場の全員の家族だって、心配するはずですから」
「其の意識は、とても大切なものですね」
藤崎が相好を崩し、拓海も照れ臭そうに笑った。
すると、場に流れた和やかな空気を、鼻で笑う者がいた。
「ばっかじゃないの? なーんで私があんた達の茶番に付き合ってあげないといけないのよっ? 兄さん、もう気が済んだでしょ。私は帰るわ!」
氷花だった。心底面倒臭そうに、顔を思い切り顰めている。本当に藤崎克仁という養父がいても、取り繕う気はないようだ。藤崎も、苦笑いを浮かべていた。
「氷花さん、貴女の其の態度は、客人に取るべきものではありませんね。三浦君たちは貴女に会いに来たのですよ」
おっとりと窘められて、氷花が唇を尖らせた。そんな血の繋がらない家族の姿を見守りながら、柊吾はふと考えた。
藤崎はもしかしたら、氷花をこの場に引っ張り出すに当たって、一肌脱いでくれたのかもしれない。そうでなければこの我儘少女は、天岩戸へ隠れた天照大御神よろしく襤褸屋に引きこもっていただろう。それとも兄である和装の異邦人が、何かしら焚き付けてくれたのだろうか。
だが、その考えは少し甘かった。
藤崎がいくら心を砕こうが、和泉が何を吹き込もうが、目の前の少女は呉野氷花なのだ。そんな歴然とした事実を体現するかのように、わっと氷花は嘘っぽい泣き声を上げて、藤崎の胸に飛び込んだ。
「お父様、騙されないで! こんな人達、客じゃないわ! 私を苛めに神社までやって来たのよ! ああっ、嫌っ! 助けて! 怖いわ! 苛められちゃう! こんな不届き者達、早くそこの箒で叩き出して!」
「言わせておけば、こいつ……」
怒りを通り越して眩暈を覚え、柊吾は額を手で押さえた。
よくこんな大嘘を思いついて、堂々と言い張れるものだ。藤崎もやはり苦笑いだ。呆れ返った中学生メンバーを、氷花が小馬鹿にしたように横目で見てくる。すっかり勝ち誇った顔をしているのも癇に障って仕方がない。一番右側に並ぶ和音などは、白け切った無表情だ。
「ねえ、締め上げてきていい?」
七瀬も一番左側で、冗談なのか本気なのか分からないことを言っている。柊吾が「今はやめとけ」と形ばかりの制止をかけると、はたと氷花が、我に返った様子でこちらを見た。
「……」
正確な視線の先は、柊吾たち中学生メンバーの中央だ。黒いポシェットを提げた短髪の少女を、氷花は穴が開くほど見つめている。
そんな数秒の凝視を経て、氷花は突然「ギャアァァッ」と美少女にあるまじき濁った悲鳴を張り上げた。そしてイタチのような俊敏さで藤崎の背に隠れると、ひょこっと顔だけ出して怒鳴り出した。
「誰よこのちっこい男子って思ったら、バケモノじゃない! 三浦君、さっさとその男だか女だか分かんないバケモノ連れて帰りなさいよ!」
「私、バケモノじゃないよ」
撫子が、ぽそりと言い返した。
「……」
氷花が、腰を抜かした。その場にへたり込んで、がたがたと震えている。
和泉は「おやまあ」などと言って笑っていて、藤崎も手を貸そうとはしなかった。撫子の言動を、凪いだ視線で見守っている。微動だにしないのは、氷花の傍で人形のように立つ美也子だけだ。
「私、バケモノじゃないよ。でも、あなたには怒ってる。ううん、怒ってた」
「な、な、な……」
「あなたは、私に酷いことをした。私も、あなたに酷いことをやり返した。でも私は、それでおあいこ、っていう風には思ってないよ。だって、あなたは私に、自分のしたことを謝らないでしょう?」
「と、当然よ……!」
裏返った声で氷花が叫び、賽銭箱にしがみつきながら立ち上がった。和泉が口を手で覆って吹き出した。撫子は氷花の返事に頷くと、つと顔を上げた。
「あなたが謝らないから、私も謝らない、って思ってた。でも、これだけはやっぱりちゃんと言っておかないと、私がすっきりしないみたい。だから……呉野さん。殺そうとしてごめんなさい」
淡々と言い終えた撫子は、申し訳程度に頭を下げた。
対する氷花は、もう一回腰を抜かしていた。ぱくぱくと口を酸欠の金魚のように開け閉めしてから、憤怒の表情で撫子を指さした。
「な、何よ……っ! 許すわけないでしょ! あんた、イカレてるわ!」
「別に許してほしいなんて言ってない。私の気持ちの問題」
撫子は小首を傾げ、氷花をじっと見つめている。氷花は調子が狂ったようで、怒りに顔を真っ赤に染めながら、またしても口をぱくぱくと開け閉めした。七瀬が晴れやかな顔で親指を立て、和音も心なしかすかっとした顔つきだ。柊吾は拓海と、苦笑いを交わし合った。
「三浦、やっぱり効果覿面だな……」
「まあ、そんなに怖がらなくてもいいだろって思うけどな……」
対面では、和泉がまだ笑いを堪えて震えている。楽しげに肩を揺らす美貌の男を「イズミ君、笑い過ぎですよ」と藤崎が渋い顔で制してから、「氷花さん」と、改まった声で呼んでいた。
「貴女からも、撫子さんに云うことがあるのではありませんか?」
「……そんなもの、ないわ!」
すっくと立ち上がった氷花が、陰険に笑ってきた。
「雨宮撫子! 私はあんたなんて嫌いよ! いつだって涼しい顔しちゃって欲しいものを何でもかんでも手に入れて、周囲から猫可愛がりされてるあんたなんて目障りよ! そういうゴミみたいな存在は、ボロ雑巾みたいに皆に乱暴に扱われて、きっぱり捨てられた方が世の為よ! 世界がその分だけ清潔になるわ!」
「なんだ。やっぱりただの、やっかみか」
柊吾は吐き捨てたが、どんなに軽薄な暴言であっても、暴言には変わりない。拝殿前で仁王立ちした氷花の姿を、柊吾は沸々と湧いた怒りの目で睨めつけた。
この人間が、柊吾の仇だったのだ。
――この程度の言葉しか言えない、たった一人の人間が。
そんな理解と、ぶれなかった己の芯を、柊吾が再確認した時だった。
「撫子ちゃん……?」
掠れきった声を上げて、人形のように動かなかった美也子が、顔を上げた。
氷花が、息を呑んで美也子を見た。柊吾も、少しだが驚いた。
どうやら先程の暴言で、氷花が撫子の名を叫んだことが、美也子の心を揺り動かしたらしかった。
「……」
美也子は、暗い瞳をこちらに向けた。視線は柊吾達の背後の鳥居や、袴塚市の街並みの辺りを浮遊霊のように彷徨ったが、やがてぴたりと、撫子に固定された。
柊吾達の間を緊張が電気のように走ったが、誰も動かず、見守った。
二人が顔を合わすくらい、覚悟の上でここにいるのだ。もし再び美也子が撫子を襲うつもりなら、今度こそ柊吾が守ってみせる。
それに、もうそんな事にはならないのだと、信じたい気持ちも強くあった。
その願いを、期待を、裏切らないで欲しかった。
「……」
全員が、祈るような気持ちで美也子を待った。
美也子の行動と、言葉を、待った。
果たして――美也子は、何もしなかった。
「撫子ちゃん……」
美也子は、ただ撫子の名前をうわ言のように呼んだだけだ。虚ろな瞳に夕陽色の光が宿り、つうと涙が頬を流れる。
まるで境内の中央に見えない注連縄が渡してあって、こちらとあちらが隔てられているかのようだった。その断絶と隔絶を嘆きながら涙を止めどなく流しているのに、美也子は、こちらの領分を侵さない。
――『ルール違反』
脳裏を過った呪いの言葉が、思わず柊吾に、歯噛みさせた。
風見美也子を縛るものは、太く絡んだ蔦のように――断ち切り難く、手強いようだ。
「美也子……」
撫子も、躊躇いがちに美也子を呼んだ。さらに何かを言い募ろうと撫子は唇を開いたが、何も言わずに、柊吾を見た。
発言を、先にこちらへ譲ってくれたのだ。
――そんな順番も、事前に決めていた通りだ。
柊吾は撫子へ頷くと、いまだ撫子以外の人間を視界に入れていないかのような様子の美也子へ、己の声を、響かせた。
「風見」
ぴくりと、美也子の肩が震えた。清廉な切なさを灯す目に、どす黒い憎悪が重油のように染み出してきたのが分かる。鎌鼬のように向けられてくる嫌煙を肌に痛いほど感じながら、柊吾は必ず言おうと決めていた言葉を、美也子へ告げた。
「殴って、悪かった」
「許さないよ」
返答は、早かった。
美也子は泣き笑いの顔で、憎悪を滾らせた目を爛々と見開いた。
「痛かったよ? とっても痛かったんだよ? ほっぺたが腫れて、口から血が出たよ? 赤くて、汚くて、嫌な色の血が……!」
叫ぶ美也子が、地団太を踏んだ。身体が、病的に震えている。呼吸の荒さが、数メートルの距離を挟んでも伝わってくる。傍にいた氷花が、すっと美也子から距離を取った。蔑みの目をした氷花の唇の動きを、柊吾は視界の端で読み取った。――狂っている。
「三浦君なんて、死んじゃえ! どうしても私に許してほしいなら、土下座してっ!」
「美也子、やめて」
透き通った声が、柊吾と美也子の間に割って入った。
撫子だった。声と同じく澄んだ目で、美也子を真摯に見つめている。美也子は明らかに鼻白み、泣きながら顔を歪めた。
きっと、理不尽で堪らないのだ。撫子が、柊吾を庇ったことが。
「撫子ちゃん、どうして……?」
「土下座してなんて、言わないで。私は、柊吾にそんなことさせたくない。美也子にも、そんなこと言ってほしくない」
「……しゅう、ご……?」
美也子が、笑い出した。声には自嘲が溢れていて、柊吾はやりきれない痛みを胸に覚えた。
――美也子は本当に、撫子のことが。
「……美也子。私、あなたに謝らないといけないことがあるの」
撫子が、静かな声音で言った。
すぐには次の言葉を告げないで、そっと左手で柊吾の右手に触れてくる。すうと息を吸った撫子は、春の花が散るような儚さで、囁くように、それでいて美也子にきちんと届く声量で、言った。
「私は小学五年の時、美也子に対して誠実じゃなかった。そのことだけは、ごめんなさい。私、好きな人がいるの。小五で美也子と出会った時より、ずっと前から、好きな人。その人と一緒にこれからも生きていきたいから、他の誰の思いにも、応えられない」
「嫌だよ」
美也子が、頭を振った。幼い子供が駄々をこねるように、「嫌だよ」と繰り返して泣きじゃくる。
「そんなの、嫌だよ……どうして? どうしてそんなに、酷いこと言うの……? 私の知ってる撫子ちゃんは、そんなこと、言わない……」
「私、こういう子だよ。美也子」
寂しそうに、撫子が微笑した。
手が、柊吾から離される。その手でポシェットの表面を撫でながら、撫子はまるで子守唄のように優しい声で、告白の終わりを締め括った。
「それに、言わないと伝わらないこともあるって、分かったから。ごめんね。誰も傷つけたくなかったのに、あの時に美也子を避けた所為で、一番傷付けることになってしまって」
「……」
美也子が、茫然の顔で立ち尽くす。
場にはしばし寂寞とした沈黙が流れたが、その沈黙を、七瀬が破った。
「私からも、ごめんね風見さん。あなたに怪我させたのは、三浦くんだけじゃないもん。突き飛ばしてごめんね」
はきはきと、それでいて殊勝に七瀬は謝った。表情には切なさと痛ましさが、今までの事件で流された数多の血のように滲んでいた。
だがその切なさは、痛ましさは、霧が晴れるように消えていった。
そして、夕陽の照った横顔に残ったのは――瞳に宿った、強い光だった。
「でも。あなたも、私の大切な人を傷つけた」
美也子は、今度は言い返さなかった。顔には怯えの色が、やがて訪れる夜のように広がった。まるで大人に悪戯が見つかって叱られる直前の子供のように身体を萎縮させている美也子へ、今度は拓海が、毅然と言った。
「暴力に、暴力で返しても駄目なんだ。人が人を傷つけることは、負の感情を連鎖させる。こういう風に、新たな憎しみだって生む。仇を討つために、憎しみの気持ちで向き合ってちゃ駄目なんだ。それを俺達は、今回の事件で学んだんだ」
真摯な声と、眼差しだった。まるで無二の友人に語りかける時のように、拓海は美也子へ諭している。その台詞を待っていたかのように、次に声を発したのは和音だった。
「美也子。それに、呉野さん。私達は――あなた達と、決着をつけたい」
「和音、ちゃん……?」
今初めて存在に気付いたかのように、美也子の目が、和音へ向いた。
和音は、動揺を見せなかった。夜半に浮かぶ月のような静けさを湛えた瞳で、かつての友人と向き合っている。それに対して氷花の方は、ぎくりと身体を仰け反らせた。
「な、なんで私まで呼ばれなきゃいけないのよっ!?」
「〝言霊〟はあなたの力でしょう? 自分のものにくらい責任を持って」
話の腰を折るなとばかりに和音は氷花をあしらったが、辛辣さでは相手も負けていなかった。氷花は悪鬼の面構えで和音を睨み、唾を吐くように暴言を吐いた。
「よくもこの私に、そんな舐めた口が利けたわね、佐々木和音! ずうっと死んだ魚の目をした女だったくせに、生意気だわ! 本当に、随分とキャラが変わったものね? 貴女、友達減るわよっ?」
「元々そんなにいなかった。むしろ、こうなって増えたくらい」
そう言い捨てて、和音はちらと柊吾達を見やった。
全員が笑みで応え、七瀬がとびきり嬉しそうに頷いた。浮き立つ心を声の形でぶつけるように、七瀬は氷花へ、明るい口調で言い放った。
「ねえ、呉野さん! 私達は、あんた達と決着をつけたい!」
「でもね、僕たちはその為に、もう暴力が関わるのはいやなんだ!」
陽一郎も、身を乗り出して加勢した。天真爛漫な響きの声が、すかんと赤い空へ抜けていく。
「だから私達、考えたの! ミヤちゃん! 私達、このままじゃ終われないから! このまま終わりなんて、嫌だから!」
毬が、両手を握り締めて訴えた。誠意の声が心の琴線に触れたのか、絶望で濁った美也子の目に、おぼろげながら、光が戻る。
「毬ちゃん……陽一郎も……」
「ミヤちゃん、仲間外れが怖い気持ち、私にも分かるの。女の子が怖い気持ちも、学校が怖い気持ちも、全部分かるの。そういう気持ちをミヤちゃんも持ってたんだって知って、私、少し安心した。私よりもずっといろんな友達に囲まれてるミヤちゃんだって、そんな風に悩むんだ、って!」
「僕だって、分かるよ! 学校行きたくないって思ったことだってあるよ! でも、みいちゃん! 一緒に行こうって言ってくれる人がいたら、それって『仲間外れ』なんかじゃないよ! 今こうやって一緒にいる僕たち、誰も一人ぼっちなんかじゃないよ!」
陽一郎も、毬に続いた。紛れもなく風見美也子の友達だった二人の声が、拝殿へ向かって突き抜けた。
「ミヤちゃんたちと、決着をつけたい。でも、戦いたいわけじゃないの!」
「僕たちがこれから取る行動を、『戦い』とは呼びたくないんだ!」
〝言挙げ〟が、次々と放たれては木霊する。夕暮れの寂れた境内に、密やかな熱気と言葉、そこへ込められた魂が満ちていく。その高揚を、躍動を、いち早く身体で感じ取ったのだろう。美貌の男が、艶然と笑った。
そんな兄の隣で、妹は――氷花は、唖然と口を開けていた。
信じられないと言わんばかりに、頭を緩く振っている。豊かな黒髪がさらりと肩から零れ落ち、一歩後ずさる動きに合わせて、玉砂利を蹴る音がした。
やがて告げられた掠れた声には、明らかな動揺が滲んでいた。
「貴方達……私達と、決着をつけたいのでしょう? なのに、その行為を『戦い』とは呼ばないですって? ……何を、甘いことを言っているの? 貴方達は虫けらなりに寄り集まって、私と、この愚図な女を、やっつけに来たのでしょう?」
「違う」
柊吾は、きっぱりと否定した。
そのやり方では、駄目なのだ。そう拓海が言った。毬が言った。陽一郎が言った。それに恭嗣からも教わった。もう柊吾達は、学んだのだ。
暴力に、暴力で返してはいけない。新たな憎しみを、悲しみを、孤独を、仲間外れを、これ以上生み出すわけにはいかないのだ。
「俺達は、この行為を『戦い』とは呼ばない」
「もちろん、決闘とも呼ばないからね。言ったでしょ?」
七瀬が勝気に笑い、試すように氷花を見る。氷花は困惑の色を深めた顔で、答えを探すように兄を見た。
だが呉野和泉は笑みで以て、妹の求めた助けを拒絶した。次に氷花は縋るように藤崎を見たが、こちらも微笑で以て応えると、氷花へ会話に戻るように、目線だけで促した。
心細そうに、氷花が柊吾達の方を向いた。
まるで赤子が掴まり立ちで、初めて世界を歩くように。
柊吾の隣で、撫子が、すうと、息を、吸い込んだ。
「〝言挙げ〟された言葉には、〝言霊〟が宿る」
陶器を爪先で弾いたような、涼やかな声が空に響く。
唄うような妙なる調べを、和音の声が、引き継いだ。
「あなたの言葉には、〝言霊〟が宿る。でも言霊って元々は、声の形で発した言葉に、宿るとされているものでしょう?」
その言葉の先を、拓海が厳かに引き取った。
「だったら、それは俺達にだって言えることだ。俺達ひとりひとりの言葉に、声に、魂が宿る。俺達は、〝言霊〟をきっかけに集まったんだ。それなら、呉野さん達との決着は、声を張れるものがいい。全員が声を出して、〝言霊〟を使うものがいい」
拓海の言葉を聞いた七瀬が、ほんの少しだけ哀しげに笑った。その選択が生み出す欠落へ、せめてもの哀悼を込めて、花をそっと手向けるように。
「大体、呉野さんが私達を手当たり次第巻き込んだ所為なんだからね? こんな大人数で押しかけることになっちゃったのは。ねえ、せっかくなんだから、この人数でできる事をしたいよね。……そう考えたら、決まったよ。これから私達が、したい事」
「つまり、何なのよ? あんた達……何が、したいのよ!」
震えた声で、氷花が食ってかかってきた。心細さと憤りがない交ぜになったような顔を、柊吾は怯まず見つめ返し、ついに語りのまとめに入った。
「俺らが、何度も今言った通りだ。俺達は、この行為を『戦い』とは呼ばない」
「じゃあ、何て名前なのよ! あんた達の企みは!」
「遊びだ」
「え?」
「これは、『戦い』でも『決闘』でもないし、お前に振り回された俺達の『抗戦』でもないんだ。それに、俺達だけの問題じゃない。紺野沙菜だって、関係者だ。だったら俺達のこの行為は、紺野に関わるものがいい。今までの事件で犠牲になった奴らが苦しんだ、『仲間外れ』。そんなものが、どれだけ簡単にぶっ潰せるものなのか……俺達が、示してやる。中二の初夏に、俺は言ったな? 首洗って、待ってろ、って。……待たせたな、呉野。お前を、ぶっ潰しにきた」
「ちょっと、待ちなさいよ! 待ちなさいよ……!」
「――俺達がみんなで選んだ、最初で最後の、〝遊び〟の名前は!」
柊吾の渾身の掛け声が、メンバー全員への合図だった。
七瀬が、世界の全てに挑みかかるように、叫んだ。
「この人数で、できる〝遊び〟で!」
拓海が、誰かを守ろうとするような決死さで、畳み掛けるように訴えた。
「この事件のきっかけと、密接に絡んだ『仲間外れ』! それを象徴するような、行為で!」
和音が、果たし状を叩きつけるように、透き通る声を響かせた。
「〝言霊〟を、生み出すために!」
撫子が、全員の決意を声に乗せて、解き放った。
「みんなが、声を、張れる――!」
柊吾達は――手を、一斉に繋ぎ合った。
暮れ行く街並みと空を背に、整列した七人で、眼前の人間達と対峙する。冷えた風が運ぶ枯葉が、紅の闇を帯び始めた。日没が、また近づいたのだ。
だが、まだ、空は赤い。終わりは、始まったばかりだ。
拝殿の前では氷花が、愕然の顔で立ち尽くしている。美也子の目が、零れんばかりに見開かれた。硝子玉のようだった瞳の内に、はっきりと赤い夕陽の光が、希望のように灯っていく。
藤崎が、穏やかな達観を微笑みに交えた。和泉は軽く目を瞑ってから、藤崎と同じ哀愁を纏った笑みを見せた。
最初からこの結末を、予め『見て』知っていたかのように。
「これが、俺達が見つけた答えだ」
夕陽に照らされた赤い世界で、柊吾は重々しく告げる。
そして、仇の少女に、人間に、遊び相手に、〝言挙げ〟した。
「――〝はないちもんめ〟で、俺達と勝負しろ! 呉野氷花ああああぁぁぁ!」




