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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 115

 午後の三時三十分に、柊吾と撫子は揃ってアパートを出発した。

「行くか」

「うん」

 短く声をかけ合って立ち上がり、玄関で靴を履いた二人を、母が呼び止めた。

「撫子ちゃん。よかったら、これを持っていって」

 窓から射す光は茜色を帯び始め、逆光で母の立ち姿が暗く見える。スニーカーを履いた撫子が振り返り、母の手元を見て息を吸った。

「これ……」

「お守りに。全部が終わったら、いつでもいいから、おばさんの所に返しにきてね」

 母の両手に乗ったものを見て、柊吾も息を細く吸った。

 ――白い折鶴が、そこにあった。

 丁寧に折られた鶴だった。尾も嘴も、ぴんと綺麗に立っている。夕暮れ時の橙色の暗がりで、鶴は行燈のように内側から清廉に光って見えた。

 四年も経っているとは思えないほど、その白さは美しかった。

「この鶴……雨宮が、折ったやつ」

「ええ。私の宝物。ね、持っていって?」

 ショートの髪を揺らして、母がふわりと笑う。

 撫子は感極まった様子で口を噤んでいたが、「はい」と小さな声で返事をしてから、折鶴を受け取った。風船葛のように広がった羽を丁寧に畳み、膨らんだポシェットの内ポケットへ入れている。

「今日のうちに、返しに来ます。預かっていただいたお花も、その時に取りに来ます」

「ええ、待ってるわ。二人とも、いってらっしゃい。柊吾、撫子ちゃんを頼んだからね。それから、あんまり遅くならないようにね」

「大丈夫だって、母さん」

 柊吾は玄関の扉を開けると、撫子と手を繋いだ。

 もしかしたら、もうこんな風に手を繋がなかったとしても、二人で一緒に居さえすれば、外を自由に出歩けるのかもしれない。確かめる術はなかったが、もしそんなものがあったとしても、柊吾はこうしていたと思う。

 開いた扉の隙間から、青い海原のような空が広がっていく。灯台の橙色の輝きを溶いたような空を背に、柊吾は撫子と一緒に母を振り返り、力強く言った。

「行ってきます。日が暮れる前に、帰るから」

 ――日が暮れるまでに家に帰らない子供は、赤ら顔の異人さんに、攫われてしまうから。

 そんな袴塚市名物の怪談を思い出しながら、柊吾と撫子は外へ向かって、決着の舞台へ向かって、足を一歩踏み出した。


     *


 約束の場所は、一昨日の夜に女子達が派手な決闘をした公園だ。

 柊吾と撫子が到着した時、そこには既に篠田七瀬と佐々木和音が、それぞれ今日の午前中に会った時と同じ私服姿で待っていた。

「三浦くん、おそーい! 時間厳守なのに、遅刻したらどーするのっ?」

 ベンチに座っていた七瀬は腕組みして怒っていたが、隣の撫子の姿を見ると、ころりと態度を軟化させた。

「きゃあ、撫子ちゃん、かわいい! 髪短い! かわいい!」

 すっ飛んできて撫子に抱きついているので、撫子がまた呼吸困難に陥りかけている。柊吾は例の如く七瀬を引き剥がそうとしたが、黒いニット帽を被った和音が、ショックを受けたような顔でベンチにへたり込んでいるのに気づき、思わずそちらに声をかけた。

「佐々木? どうした?」

「髪……そんなに切らなきゃだめなくらい、美也子にやられたの?」

 和音の声は、心なしか震えていた。顔色も青い気がする。撫子はきょとんとしていたが、七瀬は何かを察したらしい。じっとりと和音を睨んだ。

「まさか和音ちゃん、私の所為で、とか思ってない? 後追いで自分の髪の毛ばっさり切ったりしないよね?」

「……」

「もー、気にしない方がいいよ、そういうの! 仕方ないでしょ、別に和音ちゃんが悪いわけじゃないんだから!」

「和音ちゃん、違うの。私がこの長さにしようって決めたの」

 撫子も、わたわたと和音に近寄っている。和音は「うん」と頷いてから二言三言、七瀬や撫子と言葉を交わし、七瀬には不満げな顔を見せて、撫子には仄かな笑みを返していたが、顔の強張りは残っていた。

「大丈夫か? あいつ……」

 柊吾も、じっとりと心配半分、疑い半分の目で和音を見た。

 七瀬の言葉ではないが、このままでは本当に後追いで髪を切りかねない。あの長い黒髪は傍目にも似合っていると思うので、切るには勿体ないだろう。七瀬もちらと柊吾を振り返ると、いそいそとこちらにやって来た。

「おい、佐々木は大丈夫か?」

「うーん、今日は大丈夫だと思うけど……髪は切っちゃうかもね、これは」

「あー……」

 次々と、メンバーの女子が断髪していく。まだ和音は切ると決まったわけではないのだが、この分だと切る可能性が濃厚だ。柊吾は七瀬と一緒に溜息をついた。

「止めるだけ止めてみるけど、和音ちゃん、頑固だからねえ……」

「頑固って、誰が」

 和音が仏頂面で、撫子と一緒に歩いてきた。見れば手を繋いでいる。今では和音も撫子の事情を知っているので、配慮してくれたのだろう。

「坂上達は、どうしてるか聞いてるか?」

 柊吾が問うと、七瀬が伸びやかに笑ってきた。

「大丈夫。予定通りに進んでるって、さっき携帯に連絡が入ったよ」

「って、ことは……」

「うん。ちゃんと連れ出せたって。お父さんと一緒に師範の家まで来てもらって、そこで坂上くんと日比谷くんと毬の三人がかりで説得したみたい。……先に、神社の境内で待っててくれてるって言ってたよ」

「……」

 舞台は、すっかり整っているようだ。

 最後の覚悟を固めた柊吾へ、和音が凛と、声を張った。

「詳しいことは、神社の近くまで行けば分かると思う。あの子のことは和泉さん達に任せて、毬たちは石段を下りた所で待ってくれてるみたいだから」

「分かった。よし、急ぐか」

 答えた柊吾は三人の女子を連れて、灰色の住宅街を十字路に向かって歩き出した。

 見上げた茜空には細い雲が夜の色を忍ばせて、薄く延べ広がっている。空の表情は、すぐに移ろう。夕暮れの顔が黄昏の顔に変わるまで、時間はあまり残されていないだろう。

「日が暮れるまでに、帰ろうね」

 柊吾の後ろで撫子が、和音と歩きながら言った。

「うん。日が暮れるまでに、みんなで帰ろう」

 とんと全員の前に出た七瀬が、くるりと振り返り、元気に笑う。「ね?」と笑いかけられた和音は気まずそうに目を逸らしたが、足元に伸びた長い影は、こくりと小さく頷いた。柊吾も自然と頷いた時、前方から、聞き慣れた声がした。

「おーい、柊吾ー! みんなー!」

 変声期を過ぎても甲高い、舌足らずな少年の声。陽一郎だ。

 真っ直ぐに続く道路の果てに、深緑の小山が見えていた。住宅街の真ん中で、ぽつんと離れ小島のように聳えている。夕闇の影を纏う御山の入り口には丹色の鳥居があり、その手前に三人の仲間達の姿があった。

 三人とも、手を大きくこちらへ振っている。

「坂上くん!」

 七瀬が真っ先に呼んで、たっと軽やかに巻き髪を翻して駆けていった。

「毬!」

 和音も、普段より大きな声で、友人の名を呼んでいる。七瀬に続く形で柊吾達も石段前へ辿り着くと、陽一郎が子犬のように駆けてきた。

「柊吾、ちゃんと全員そろったよ!」

「ああ、さっき篠田から少し聞いた。よく連れ出せたな」

「坂上君と、日比谷君のおかげなの」

 毬が控えめな口調で言って、やや疲れを窺わせる微笑を見せた。

 スカートの横に下ろされた手は、震えを誤魔化すように握られている。その姿から、柊吾は波乱を推察した。

 ――あの人物を連れ出すのは、やはり大変なことだったのだ。

「坂上……あいつは」

「大丈夫。今は落ち着いてるよ」

 ジャンパーに身を包んだ拓海が、七瀬と一緒にこちらを向いた。

 穏やかな笑みだった。その笑みの中には毬が見せたものと同じ疲労も垣間見えたが、それ以上に溌剌とした明るさが燃えているのを、柊吾は見つけた。

 ――みんな、やる気は十分だ。

 その時、すぐ傍から車のクラクションが聞こえた。

 振り向くと同時に、「シュウゴ!」と耳に馴染んだ家族の声が、柔らかな笑いを含んだ響きで耳朶を打つ。柊吾は目を瞠った。

「ユキツグ叔父さん!」

 鳥居から少し離れた先、御山に寄り添うように路肩に停められた白い車から、昨日と同様にラフな服装の三浦恭嗣が降りてきた。

「よう、いよいよだな。俺はここで待機してるから、安心して行ってこい」

「待っててくれるのか? ……てっきり、ついて来られるかと思ってた」

「まさか!」

 恭嗣が、かははと豪快に笑った。

「ガキが立てた計画に、大人が必要以上に混ざったって、興醒めだろ? なぁ、坂上君?」

「ええ、まあ……」

 拓海はすっかり苦笑いだ。今回の事件で恭嗣と話す機会が多かっただけあって、二人の間には打ち解けた雰囲気があった。

「それに、上には大人が二人も待ってるんだ。当てになるんだかならねえんだか分かんねえ大人だけど、任せるさ。それでも何かあったら、連絡しろ。駆けつける。あと、全部が終わったらちゃんと俺にも伝えろよ。……あの子の親御さんも、待ってるんでな」

 最後だけは潜められた声に、柊吾と七瀬、和音と撫子が、はっとする。

 白い車を、よくよく覗き込んでみれば――後部座席に一人、誰かが座っている。

「もしかして……」

「挨拶は後だ。急いでんだろ? お前らは今は、目の前のことに集中すればいい」

「……ありがとう。なんかユキツグ叔父さん、楽しそうだな」

「お前らは、違うのか?」

 恭嗣が、眉を跳ね上げて訊いてくる。

 楽しげな笑みを受けて、柊吾は仲間たちを振り返る。

 目が合った皆も、それぞれ笑った。柊吾も、薄く笑った。

「じゃあな、シュウゴ。ハルちゃんに心配かけるような事だけはするなよ?」

「ん、分かった」

「ありがとうございます、三浦の叔父さん」

 拓海が頭を下げると、七瀬も一緒にお辞儀した。残りのメンバーも慌てて頭を下げると、恭嗣は愉快そうにもう一度笑い声を立ててから、軽い足取りで車へ戻っていった。柊吾はその背中を見送って、拳をぎゅっと握りしめる。

 ――恭嗣には本当に、たくさんのことを教わった。

 戦い方も、武器の持ち方も――この手が、誰かを守れることも。

「雨宮」

 柊吾が呼ぶと、撫子は和音と顔を見合わせた。和音は角の取れた円い笑みで頷くと、撫子の手を離した。とことこと歩いてきた撫子へ、柊吾は手を差し伸べた。しっかりと握り合ったところで、拓海がいつも通りの口調で、言った。

「じゃあ、全員揃ったし……行こうか」

「ああ」

「うん、行こっか」

「行こう」

 口々に言い合って、柊吾達は全員で、石段の果てを見上げた。

 終着点の丹色の鳥居と、その向こうに覗く赤い空。

 ――その先に、目指す人間達がいる。

 決着の舞台へ続く石段を、和音が先陣を切って上り始めた。迷いのない身体の動きに合わせて、さらりと黒髪が靡いていく。

 その背中を追うように、柊吾と撫子は並んで石段を踏みしめた。後ろからは陽一郎が、弾む足取りでついてくる。

 軽く背後を振り向くと、毬も遅れまいと唇を結んで、小走りで石段を上がってきた。しんがりを務めるのは東袴塚学園の二人組で、柊吾と目が合った拓海と七瀬は、にっと快活に笑ってきた。

 ――象徴的な、光景だった。

 通っている学校も、個性もばらばらの少年少女が、同じ目的を胸に抱いて、同じ時間、同じ場所を歩いている。仇の少女をきっかけに、もうどこにもいない少女を偲びながら、戦い方を模索して、〝言霊〟を絆に団結して、決着をつけにいこうとしている。

 ――こんな未来、柊吾は想像もしていなかった。

 柊吾が氷花に宣戦布告した、中二の初夏。

 あの頃から時が流れ、こんなにもたくさんの仲間ができたのだ。

 ――人は、変わっていく。

 仲間の誰かが、そう言っていたことを思い出す。

 人は、変わっていく。仇討を望んだ柊吾が、違う道を選ぶほどに。

 そんな柊吾の感慨を、肯定するかのように――その人物は、境内で柊吾達を待ち受けていた。

「……」

 石段の最後の一段を上がり、鳥居をくぐった時にはもう、全ての役者が揃ったことを、場の全員が悟っていた。

 柊吾達は、真っ直ぐに拝殿へ続く石畳へ立ち、横一列に並んだ。

 右から順に、和音、毬、陽一郎。中央に撫子を挟んで隣に柊吾、拓海、一番左端が七瀬の順だ。予め、決めていたフォーメーションだ。

 夕日の逆光が、七人の背中を灼いている。黒い影法師が七人分、石畳に長く伸びた。

 位置についた柊吾達は、対陣側に立つ人間達と、真っ直ぐに向き合った。

 石段の終わりから、一直線に続く石畳。

 その先に立つ、小さな木造の拝殿の前に――二人の大人と、二人の少女がいた。


「――皆さん、こんにちは。全員揃ったようですね」


 朗々たる響きの声が、境内に滔々と響き渡った。

 ざあ、と初春の風が吹きすさぶ。冬の名残のような枯葉が宙へと巻き上げられ、赤い空へと吸い込まれた。冷え始めた風の澄んだ匂いが、枯葉の匂いと混じり合って、鼻腔に流れ込んでくる。

 男の灰茶の髪が、繊細に靡いた。今日も神主の装いで、白い着物に浅葱の袴を履いている。その麗姿を見据えながら、柊吾は目を眇めた。

 夕日の斜光の眩さの中に、決着をつけるべき相手の姿があった。

「……呉野。それに……風見」

 二人の少女のうち一人は、呉野氷花だった。

 格好は今日スーパーで会った時と同じ、薄手のコートに藤色のスカート姿だ。不貞腐れた表情でふんぞり返り、柊吾達を睥睨している。傍にかつての養父がいても、猫を被る気はないらしい。


 そして、もう一人の少女は――風見美也子だった。

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