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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 111

 再び着席した柊吾達は、たくさんのことを話し合った。

 本当に、不思議な縁だと柊吾は思う。一昨日の〝アソビ〟の日には、ほとんど会話を交わさなかった相手だっているのだ。なのにもうずっと以前から、知り合っていたような気さえした。希薄だった絆の糸を縒り合せて結ぶように、柊吾達は話し続けた。時にはさっきの氷花の『弱み』の話のように思いきり騒ぎ合ったりもしながら、限られた時間の中で声に出して、様々な意見を交わし合った。いつしか強い連帯感が、皆を繋いでいくのを感じていた。

「鏡のことは……まずいことになったな」

 拓海が腕組みして、少し険しい顔になった。

「まさか、そんなことになってたなんて……」

 七瀬も、判明した事実に戸惑っているように見えた。かつて特別な『鏡』を所有していた者としては、陽一郎の言葉は寝耳に水に違いない。

「どうする?」

 柊吾は、敢えてそう訊いた。

 一同が、柊吾を見る。「どうする?」と重ねて柊吾は訊いた。

「篠田が持ってたものと同じ『鏡』が、もう一枚だけ存在する。それを今『所有』してる奴に、会いに行こうと思えば会えるんだ。……どうする?」

「……。ねえ、それってさ、これからどうする、っていう質問でもあったりする?」

 七瀬が、ふっと笑った。柊吾が本当は何を問いたいか、全部分かっている顔だった。

「ねえ、みんな。私ね、〝アソビ〟が終わってからずっと考えてたんだ。みんなは、これからどうしたい?」

 その台詞に、一番に答えたのは毬だった。

「私は……ミヤちゃんに、もう一度会いたい」

 皆が、毬を見つめた。

 毬は俯いていたが、顔を上げて、悲しげに笑った。

「ミヤちゃんが始めたことだもん。ミヤちゃん抜きで終わらせたら、いけないと思うの」

「その理論を通すなら、呉野さんも外せないよね」

 七瀬が、勝気に笑って続けた。

「あの〝アソビ〟は、風見さん一人で始めたものじゃないもん。呉野さんにも、最後まで見届けてもらわないと困る」

「うん、そうだよね」

 同調したのは、陽一郎だ。楽しそうな笑みだったが、ほんの僅かな寂しさを、柊吾は幼馴染の顔から感じ取る。

「みいちゃんと、呉野さん。二人に会うっていうのは、絶対だよね。僕達は、二人に会わないといけないんだ」

「じゃあ、俺達が風見さんと呉野さん、二人に会うっていう条件を満たして、できること。それって何があると思う?」

 穏やかに、拓海が言葉を引き継いだ。青い空の遙か彼方、地平線を遠く眺めるような目で、全員へ呼びかけている。

「難しいね」

 毬が、唇に指を当てて困っている。

「そうかな」

 和音が、テーブルの斜め下へ視線を逃がしながら、嘯いた。

「私達は誰も、終わった〝アソビ〟に納得してない。だったら私達がこれからすることなんて、一つしかない」

「うん。俺も、そう思う」

 拓海が、和音へ微笑んだ。

「風見さんだって、このままじゃ救われない。もしこんな状態のまま風見さんが、〝アソビ〟のことも、雨宮さんのことも、紺野さんのことも、これから忘れてしまうなら。そんなのって、救われたって言わないと思うんだ」

「ああ。そうだな」

 柊吾も、同調して頷いた。

 今でも、まざまざと鮮明に思い出せる。あの暗い森の中で、傷だらけで倒れていた撫子と、鋏を向ける美也子の狂気。

 柊吾はこれらを、なかったことにはできないのだ。

 美也子がたとえ、全てを忘れたとしても。

 何もなかったことになんて、ならないのだ。

「イズミさんも言ってたけど、風見が〝アソビ〟のことを忘れたとしても、それって今だけのことかもしれねえだろ? いつかまた思い出すかもしれないし、そうなった時また〝アソビ〟を始める可能性だって、ゼロじゃないんだ。本当の意味では、まだ、何も終わってねえ」

「なんか、悲しいね」

 七瀬が、影のある笑みを見せた。

「誰かのことを、好きになったり、嫌いになったり。そんな単純なところから、全部スタートしてるんだよね。好きとか嫌いの気持ちって、果てしなくて、悲しいね」

「でも、終わりは作れる」

 和音が、囁いた。

 顔を上げて、一同を一人一人見渡してから、もう一度言った。

「終わりは、作れる。声の形で発した言葉は、現実世界を変えるんでしょ?」

「……そうだったな」

 柊吾は、強く同意した。

 ――言霊。

 その言葉が、概念が、柊吾達の絆なのだ。異能の血を引く呉野の一族の末裔が、清らかな言葉で教えてくれた。柊吾達は、和泉を通じてここにいる。ここにいる全員が、言霊で繋がっているのだ。

「終わらせよう。悲しいことを」

 拓海が、包み込むような笑顔で言った。

「風見さんがいつかまた〝アソビ〟を始めるかもしれないなら、この事件に終わりがないなら、俺らが皆で、終わりを作ろう。悲しみの連鎖を、ここで断ち切ろう。きっとできると思うんだ。何か方法があるはずだ」

「悲しみの連鎖を、断ち切る……」

 なんて途方もない響きだろう。なのに、全然恐ろしく感じなかった。できる。柊吾の胸に、確信が燃えていた。必ず、できる。言葉で、世界は変えられる。撫子が昨日、世界を確かに変えたように。

 不意に、頭に響く言葉があった。


 ――どんな言葉でもいいんだ。君の声なら、何でも。


 優しい、テノールの響きだった。

 もう二度と耳にすることの叶わない、柊吾の父の声だった。


 ――挨拶でも名前を呼ぶ事でも、本当に何だっていい。大事なのは、その子と会話をする事だ。その子を想う言葉なら、心を込めた言葉なら、声に出した言葉なら。どんなものでも構わないんだ。


 柊吾達が小学五年の頃の、苛め。

 誰もが救おうとしなかった紺野沙菜を、ただ一人気にかけていた撫子へ、父が授けた希望の言葉。あの頃には意味を捉えられなかった言葉の群れが、すとんと柊吾の胸へ落ちた。温もりが、かがり火のように熱く灯る。

「言葉は……強い」

 父の遺したその言葉を、柊吾は胸に、深く刻む。

 言葉は、強い。それを〝言挙げ〟する人間が、ここで、生きている限り。

「……なあ、皆」

 柊吾は、全員へ呼びかけた。

 どうしても、言いたいことができたのだ。

「さっき挙がった、俺達がこれからしたいことの必須条件。風見と呉野に会うことの他に、もう一個追加だ。紺野も、関われる形にしないか?」

「紺野さんも?」

 七瀬が、目を瞠る。毬も息を吸い込んだが、その隣では、和音が微かに頷いた。柊吾がこういう提案をすることを、予め知っていたかのようだった。

「いいと思う。エゴかもしれないけど、私は賛成」

「エゴ、か」

 ――撫子も、使っていた言葉だ。

 確かに、これはエゴだろう。柊吾だってそう思う。他のメンバー全員だって、きっと思いは同じのはずだ。

 だが、そんなことは承知の上だ。その遺志を叶えることが、たとえ世界中の誰からも、非難されることだとしても。

 それでも、撫子は望んだのだ。

 巫女として、紺野の『代わり』を務めることを。そして巫女である以前に一人の人間として、一人の人間だった少女の為に、少女の『代わり』を務めることを。

 そんな撫子の願いなら、既に、柊吾は全員に伝えている。

「じゃあ……本当に、言うの?」

 毬が、辛そうに呟いた。

 懺悔のような、声だった。この行為を遂げる撫子の代わりに、罰と許しを乞おうとするような敬虔さが、聞く者の胸を切なく刺す。

 だが、止まれないのだ。止まるわけには、いかないのだ。

 柊吾は美也子のことだけではなく、紺野沙菜のことも考えたいのだ。

「言おう。雨宮は、覚悟を決めてる。だから、俺は……支えたいって、思う」

「私も。それに、撫子ちゃん一人の問題じゃないから。一緒に背負いたい」

 七瀬が、すぐに乗ってきた。

 次いで拓海が、「俺も」とはにかんで言った。

「苛めって、さ。止めないで見てる方も、苛めのうちに入る、って言われるじゃん。だから、ってわけじゃないんだけどさ……〝言挙げ〟するのは一人でも、それを背負うのは、全員がいい。俺は、そうしたいって思うんだ」

 陽一郎はもじもじと肩を揺らせていたが、やがて「うん」と小さく言った。

「僕も……紺野さんの気持ち、大事にしたい。誰も笑顔にならないかも、しれなくても」

「……毬」

 和音が呼ぶと、毬は膝の上でぎゅっと拳を握って、目を瞑った。

 その目を開くと、毬は苦しげな顔のまま、言った。

「……うん。ミヤちゃんにとっての私が、たくさんいる友達のうちの一人で、私にとってのミヤちゃんも、一番の友達じゃなくても……都合がいいって、思われても。全部が終わった時に、ミヤちゃんのこと、支えたい。それがきっと、私がミヤちゃんにしてあげられる……最後のことだと、思うから。もういなくなった紺野沙菜さんの……『代わりに』」

「……。『代わりに』、か。その言葉、美也子も言ってた」

 遠い目をした和音が、窓の向こうへ視線を馳せた。

 物憂げな横顔を見るうちに、柊吾は、一つの気がかりを思い出した。

「佐々木。『代わりに』って言葉に、聞き覚えでもあるのか?」

「そうだけど、それが何?」

「前に、東袴塚学園でこの言葉が出た時に……なんか、顔色変えてただろ」

「ああ」

 和音は毬をちらと見て、「大したことじゃないけど」と、前置きしてから、赤い背もたれに背を預けた。

「美也子から、前に言われたことがあったの。『代わりに謝れ』……って」

「代わりに、謝れ? ……何を?」

 柊吾は訝しんだが、七瀬は覚えがあったらしい。「あっ」と叫んで、和音を見た。

「それ、覚えてる。私達の受験が終わった時のことでしょ? グラウンドで、鋏を持った風見さんが、和音ちゃんに言ってたっけ」

「うん。どうして美也子があんなことを言ってきたのか、私には今でも分からない。毬の誕生日の夜に喧嘩したことを、責められてるんだと思ってた。けど、紺野さんの過去を知った今は……そんな理由じゃなかったのかも、って考えてる」

「どういう意味だ?」

 柊吾は、踏み込んで訊ねてみた。

 純粋に疑問だからだ。和音の達観の理由を、知りたかった。

「だって、『代わりに』って言葉は、もともと紺野さんの言葉でしょ」

 和音の声は、どこか気だるげだった。

 まるで、親しい友人を転校で失うと分かっているのに、それによって切れる絆を時に任せて眺めるような、怠惰と諦観が、そこにあった。

「私、美也子が不気味だった。事件を通して、どんどん知らない美也子の顔が見えたから。でも、今は……そうでもない。美也子だって、誰かに強く拘ってるだけの普通の女の子だって思えたから。美也子が言った『代わりに』って言葉が、その証拠。あの子は、紺野さんに囚われてる。自分が苛めた紺野さんに。自分より下に見てたはずの紺野さんに。それから……友達の、紺野さんに」

「……友達」

 柊吾は、息が詰まった。

 友達というその言葉が、ひどく歪に聞こえたのだ。

 だが、それでいて同時に――何故だか、腑に落ちる感覚もあったのだ。

「あの子達の関係の本当の名前なんて。美也子にしか断言できないと思う。ううん、美也子自身にだって、よく分かってないのかもしれない。でも、どういう形かは分からないけど、今も美也子は拘ってる。いなくなった、紺野さんに。だから生前の紺野さんと、同じ言葉を使ったんだと思う。そういう風に、考えたら……私は美也子のことを少しだけ、嫌いじゃなくなる気がしたの。忘れるより、覚えてる方がいいって思うから」

 話している和音自身、友達という言葉を、覚悟をもって使ったに違いなかった。何だか遊び疲れた子供が眠りに落ちるような疲労と忘我の表情で、窓の向こうを眺めている。

 往来の眩しさを映す瞳が、すうと閉じられた。

「美也子はまだ、紺野さんのことを覚えてる。これから忘れるのかもしれなくても、まだ、なんとか覚えてる。そういう意地とか、拘りみたいなものは……私は、嫌いじゃないから」

「佐々木……」

「もちろん、こんなのはただの偶然で、あの子は何も意識なんてしてないかもしれないけどね」

 目を開けた和音が、柊吾を見た。

「答えは、出た?」

 不意を打たれ、柊吾は息を呑む。

「私達は、これから何をする?」

 全員の顔を見回すと、柊吾と目が合った面々は、みんな悲しげながらも、笑っていた。各々が後押しのように、頷いて見せてくる。

 答えなら、もう出ているのだ。

「……その〝言挙げ〟は、俺よりリーダーにやってもらった方がいいだろ」

 柊吾は、隣席の拓海を腕で小突いた。

「えっ、俺っ?」

 拓海は大いに狼狽えた様子で、声を上げて頬を掻いた。

 肩を窄めている挙動不審の少年へ、和音は表情の薄い顔を向ける。

 その仏頂面に、ほんの僅かだが、笑みが乗った。

「じゃあ、お願い」

「あ……うん。分かった」

 虚を衝かれたような顔してから、拓海は少しだけ照れ臭そうに笑った。

 そして、きっ、と表情を精悍なものへ変えて、言った。


「呉野さんと風見さんが始めた、今回の〝アソビ〟。その結果に俺達は、誰も納得してない。だから、俺達はこれから皆で、何かをしたい。呉野さんと、風見さんと――紺野さんを、交えて。その為に、俺達に、できることは」


 三月七日、日曜日。午前十一時、四十五分。

 柊吾達は、これから先の行動を、決定した。

 満場一致で、決定した。

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