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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 106

 藤崎克仁の家の前には、徒歩で二十分ほどかけて到着した。

 快晴の下、白と黒と木材の濃い茶色を基調とした家には、微かな活気が息づいていた。

 そんな風に感じたのは、藤崎の家の周りに、花が咲き乱れていたからだろう。

 柊吾達のいる門扉から玄関扉までは、黒と灰色の飛び石が双六のように続いていて、途中で二又に分かれた飛び石の道を右折すれば、学校の体育館を小型化したような平屋の建物に辿り着く。反対に、飛び石のない左手に曲がった先には、手入れの行き届いた庭があった。緑の垣根の向こう側で丁寧に整えられた花壇には、赤、黄、ピンクのチューリップが咲いている。天を向いて咲く花には、降り注ぐ日の光が似合っていた。

「ほんとに、今日は暖かいねえ」

 陽一郎が、ジャケットを脱ぎながら言った。柊吾と毬も、既に脱いだ上着を腕に掛けている。本当に一日経っただけで、随分と春めいたものだと思う。

「じゃあ、押すぞ」

 柊吾がインターホンに指を伸ばした時、ちかりと鋭い光が目を灼いた。

 目を眇めてそちらを見ると、光の源は左側、庭を臨む縁側だった。砕けた硝子の破片が縁側で光っていて、割れた窓には立てかけた段ボールで応急処置が施してあった。

「まだお掃除、途中みたいだね……」

 毬が、小さな声で言った。この所業を為したであろう友人に、思いを馳せているのだろう。陽一郎がそんな毬を気にしていて、口を開いた時だった。

「皆さん、こんにちは。此方ですよ」

 優しいアルトの響きが聞こえ、柊吾たちは振り向いた。

 平屋の建物の入り口が開いていて、初老の男がひょこりと顔を出していた。白髪交じりの黒髪が、初春の風にふわりと揺れる。日向の匂いが、柔らかく香った。

「師範! こんにちは」

 ぱっと毬の顔色が華やぎ、ぺこりと可愛らしくお辞儀をした。

 柊吾と陽一郎も遅れて「こんにちは」と頭を下げてから顔を上げると、目が合った藤崎克仁は、穏やかに微笑した。

「屹度、ここに来ると思っていましたよ」

 その台詞の終わりとともに、藤崎の背後から、今度は大きな声がした。

「藤崎さん、教え子でも来たんですか?」

 耳に馴染んだ声だった。同時に、予想通りの声でもあった。

 開けっ放しの引き戸から新たに顔を出したのは、小柄で短髪の男だった。ラフなTシャツとジーパン姿で、首には白いタオルが掛かっている。

「ユキツグ叔父さん」

 柊吾が呼ぶと、三浦恭嗣はくりっと丸い目をさらにまん丸く見開いた。

「おおっ? なんだお前らっ?」

 柊吾達がこのメンバーでやって来たのが、余程意外だったらしい。陽一郎と毬が慌ててお辞儀をするのを横目に見ながら、柊吾は叔父へ近づいた。

「ユキツグ叔父さん、今忙しい? ちょっと訊きたいことがあるんだ。藤崎さんも、一緒にお願いします」

 恭嗣は藤崎をちらと見て、柔和な笑みを交わし合う。

 やがて藤崎の方がすっと腕を動かして、背後の引き戸を手で示した。

「皆さん、どうぞ此方へ。申し訳ありませんが、道場の方へお入り下さい。もう二時間もすれば来客がありますので、あまりお構いできませんが」

「来客?」

 柊吾が目で恭嗣に問うと、「窓の修理で業者が来るんだよ」と短髪を手で掻き混ぜながら、恭嗣は溜息交じりに言う。

「あの窓硝子、早いとこ直さないと、虫も泥棒もほいほい入ってくるからな。ったく、派手にやりやがって。後から片付ける身にもなれってんだ」

「恭嗣君は、午前中ずっと私の家の片付けを手伝ってくれたのですよ。若者の力を借りられて、私も随分助かりました」

「止して下さいよ、藤崎さん。こいつらから見りゃ大人なんですから」

 和やかに話す大人達に手招きされ、柊吾達は平屋の前で靴を揃えて脱いだ。ここへ通い慣れている毬がするりと部屋に入ったので、後から柊吾と陽一郎も、おっかなびっくりついて行った。

 室内は、明るかった。電気は点いていないが、高い位置の窓から入る斜光が、道場全体を照らしている。雰囲気としては、やはり学校の体育館を縮小したような空間だ。胡桃色のフローリングが日差しを受けて、白い光を放っていた。

 ふと、既視感を柊吾は覚えた。

「……俺、もしかしてここ、来たことある?」

 昨年の夏に拓海達と四人でここへ来た時は、こちらの建物には入らなかった。

 それなのに、柊吾はこのだだっ広い空間と天井に見覚えがあった。図書館の匂いにも似た輻射で温まった部屋の空気も、薄れた記憶を刺激した。

「……。ああ、三浦君。君はまさか、あの時の」

 藤崎が、目を瞠っていた。そして悪戯っぽく微笑むと、まるでもうすぐ開花する花の蕾をそっと指でさして教えるように、密やかな声で囁いた。

「思い出しましたよ、三浦君。君は、あの時の子供だったのですね。いや、私としたことが。今気づきました。君は随分と背丈も伸びましたからね」

「え? 俺ってもしかしてガキの頃に、って、今もガキだけど。藤崎さんと会ったことがあるんですか?」

「ええ。この道場では九年前の夏に、図書館と連携したおはなし会を開きましたから。君はご家族と三人で、物語を聞いていたのです」

「おはなし会って……絵本の読み聞かせとか、紙芝居とか、あとは、人形劇の?」

「然うですよ。嬉しいですね、覚えていて貰えるとは」

 相好を崩し、藤崎が頷く。

 柊吾は己の記憶を確かめるように、「そうか」と低く呟いた。

 ――微かだが、記憶を辿れたのだ。

 柊吾がまだ六歳の頃、父と、母と、ここへ来た。

 まだ父が生きていた頃の、これは大切な思い出だ。いつしか忘れていた出来事をちゃんと思い出せたことが、何だか嬉しいようで、くすぐったい。不思議で掴みどころのない感慨が、胸の内でふわふわ舞った。

「おーい、麦茶入れたぞ。外は今日暑かったろ、まあこっちで飲めよ」

 恭嗣の声が、室内に響いた。

「ああ、恭嗣君。有難うございます」と答えた藤崎が、軽く片手を挙げて柊吾の元から離れていく。柊吾は少しの間だけ温かな思い出の海に浸かってから、ふいと顔を上げて、藤崎を追って歩き出した。

 そして、改めて見た室内の不思議さに首を捻った。

「……なんで、テーブル?」

 部屋の中央には、細長い会議テーブルが一脚どんと鎮座していたのだ。

 学校でよく見かけるような、折り畳み式のものと同じだ。その隣には二脚のパイプ椅子があり、それぞれに二つのクッションが乗っている。伽羅磯の毛糸編みのカバーが掛けられたこれらは、藤崎が家から運び入れたのだろう。

 テーブルの上には筆記用具の他にルーズリーフがあり、目を凝らすと幾つかの走り書きと、何やら家系図らしき絵が見えた。

 呉野、という文字が、複数個所に窺えた。

「まあ、クッションは足りねえけど適当に座れ」

 柊吾とテーブルの間に、恭嗣が割って入った。シャツの裾をまくった腕が伸び、散らばったルーズリーフさっと束ねて裏向けた。代わりにテーブルの隅に置いていた紙コップを一つ取って、柊吾へ「ん」と差し出してくる。

 屈託のない、笑顔だった。

「……。まるで自分の家みたいに言うよな、ユキツグ叔父さんは」

 柊吾は紙コップを受け取ると、冷えた麦茶を飲み干した。さっきコーラを飲んだばかりだが、ここまで歩いてくるうちに、喉はすっかり乾いていた。

 言及しても、別によかった。一体ここで藤崎と、何を話していたのかと。

 だがこの叔父と呉野家の異能について話す自分は、どうにも思い描けなかった。何となくだが恭嗣も、同じ気持ちでいるのだろう。

「っていうかユキツグ叔父さん、なんでこっちでお茶飲んでるんだ?」

「藤崎さんの家の一階は、まだ人が歩ける状態じゃねえからな。あんな荒れた部屋じゃ、ゆっくり話も出来ねえよ」

 うんざりだとでも言わんばかりに、恭嗣が渋面になる。言われて柊吾は、さっき見た割れた窓硝子を思い出した。

 ふと、恭嗣は探るような目つきになった。

「シュウゴ、お前は知ってるのか? この家で、何が起こってたか」

「……。知らねえ。この家の中、見てねえし」

 一応、嘘ではない。柊吾は事実として藤崎の家の中を見ておらず、美也子の仕業という話は拓海の推察によるものだ。十中八九、当たりだとは思っているが。

「……なーんか、隠してるな?」

「別に、隠してねえし。……ただ、犯人に心当たりがあるってだけだし」

「……ま、こんな問題は大したことじゃないからな。別にいいさ」

 恭嗣は、あっさりと追及の手を緩めた。

 柊吾が拍子抜けしていると、恭嗣は背後でびくびくと成り行きを見守っていた毬と陽一郎に「ほれ、お二人さんも。麦茶」と言って、八重歯を覗かせて笑った。

 二人も緊張の面持ちで恭嗣から紙コップを受け取ると、広いフローリングの床を落ち着きなく見渡してから、その場にそろりと腰を下ろした。柊吾も、二人の隣に座った。クッションは余っていたが、手を伸ばす者はいなかった。

「……」

 子供が全員床に座ると、恭嗣はテーブルを挟んで向かいに立った藤崎に、ちらと目で合図をする。藤崎が頷くと、恭嗣は先ほどまでと変わらない開けっ広げな態度で、言った。

「で。訊きたいことって何だ?」

 柊吾たち三人も、座ったまま目配せを交わし合った。毬は緊張で頬を赤らめていて、陽一郎もおどおどと困り果てている様子だ。柊吾は二人に頷く代わりに、恭嗣の顔を見上げた。

「風見の動向を知りたいんだ。ユキツグ叔父さん、風見たち親子があれからどうなったか知らないか?」

「単刀直入に来たな」

 恭嗣が、面白そうに含み笑う。だが軟派な態度を気取るのはどうやらここまでと線引きしてか、ふっと蝋燭の火が消えるように、態度が真剣なものへ切り替わった。

「詳しいことは不明だ。風見さん達、昨夜は遅くまで警察にいたみたいだしな。まあ、昨夜の撫子ちゃんの一件を警察沙汰にすりゃあ連絡はすぐつくだろうが、撫子ちゃんのお父さんとも今朝話したんだがな。それは今はやめとこうって事でまとまったよ」

「えっ? そうなのかっ? なんで?」

 意外な返答にびっくりして、柊吾は思わず訊き返した。

 異能が絡んだ事件なので、警察に駆け込まれても事情の説明に困っただろう。だから柊吾としては大人達の決定が有難いが、手放しでの安堵はできなかった。

「理由、知りたいか?」

 そう訊いて、恭嗣もその場に胡坐をかいて座り込んだ。

 それから、正座をしている陽一郎を一瞥して、「陽一郎君も、楽にしていいんだぞ」と楽しげな笑みを見せている。足をぷるぷると生まれたての小鹿のように震わせていた陽一郎は、露骨にほっとした顔になった。

「……知りたい」

 しばしの沈黙を挟み、柊吾は答えた。

 何となく、今、恭嗣から何らかの覚悟を迫られたような気がしたのだ。

「よし。じゃあシュウゴ、俺からも一つ質問だ」

 恭嗣の目つきに真剣さが戻ったが、その目には刃物のような鋭さはなかった。むしろ、この室内に射す陽光と同じような、円やかさがそこにあった。

「柊吾、お前は昨日、風見さんとこの嬢ちゃんを殴ったな?」

「……。ああ。殴った」

「で、だ。お前の他に、誰が殴った?」

「え?」

 その質問は、完全に予想外のものだった。

 二の句が継げないでいる柊吾へ、今度は藤崎の柔らかい声が、頭上から霧雨のように降ってきた。

「三浦君たちも御存知かと思いますが、昨夜私は、神社で風見美也子さんを保護しました。なので、少し警察の方ともお話をしているのです。風見さんの父親とも、其の際に少しですが対話が叶いましたよ」

 毬が息を呑み、陽一郎も身を固くしたのが気配として伝わってくる。柊吾も、生唾を呑み込んだ。

 ――藤崎は、美也子の父と会ったのだ。

「彼女、怪我だらけでしたね。本人は理由について覚えてないと云っていて、多分転んだだけだと笑っていましたが……其の時に。風見さんの父親が、突然こんな事を仰ったのです。――『怪我は、この子の母親の所為に違いない』……と」

「……え?」

 動揺が、室内へ、小波のように広がった。

 柊吾たち三人は、青くなった顔で見つめ合う。

 ――それは、明らかに、事実と違う。

「風見さんの父親、多分同じ台詞を警察にも言ってるぞ。母親のヒステリー気質を肯定したのは間違いないな。だから、なんだろうなあ。娘が満身創痍で帰ってきたってのに、余所に疑いが向かねえのは。周辺住人の聞き取りによれば、出てくるのはあの一家の陰口ばっかじゃねえか。それにあの嬢ちゃん、心因性の忘却癖があるんだろ? 娘の病気に母親は随分追い詰められてたって話じゃねえか。ここまで揃えば、母親の所為って筋書きが、一番シンプルで信憑性も高いわな」

「恭嗣君」

 あけすけな物言いを、藤崎がやんわり窘めた。

 恭嗣はばつの悪そうな顔をしてから頭を掻き、静かに一呼吸、息を吸った。柊吾はその仕草から、恭嗣の抱えた現状への不満や怒りが、ほんの微かだが見えた気がした。

「とにかく、柊吾。あの嬢ちゃんを殴ったのは、お前だけじゃねえな? お前が殴ったのは頬っぺただけだろ? 切れた額やら全身の擦り傷や打撲やら、他にもやった奴絶対いるだろ? ちゃんと言え。こっちも色々やらかしてるのに、警察に行くわけにはいかねえだろ。分かるな?」

「……」

 咄嗟に嘘をつこうとした柊吾だが、隣の陽一郎が既に涙目で、全身がぶるぶると恐怖で震えているのが見えたので、溜息をついて白状した。

「……俺が、風見をもう一発殴ろうとした時に、篠田が止めに入ってくれた。擦り傷とか打撲とかは、その時の怪我だと思う」

「他は?」

「……雨宮も。風見に襲い掛かられそうになった時に、引っ掻いてた」

「今ので全員か? まだいるんじゃねえか?」

「……。もう、いないと思う」

 切れた額、という言葉に疑問を感じてはいた。柊吾の記憶が正しければ、メンバー内に美也子へそんな攻撃をした者はいない。

 ふと、神社の石段で倒れていたポニーテールの解けた少女の顔が、脳裏を掠めて消えていった。

 だが、たとえそうだとしても、柊吾はその現場を見ていない。そんなあやふやな憶測など、語る必要はないだろう。

「いっちょまえに、誰か庇ってる奴がいるんじゃねえの?」

 恭嗣が、じっとりとした目で見下ろしてくる。

「そんなんじゃねえし」と柊吾がむすりと答えると、かははと小気味良い笑いが返ってきた。張り詰めた空気が一気に緩み、毬と陽一郎が、きょとんとした。

「まあ、そういう事だな。向こうもやったけど、お前らもやった」

 恭嗣は、袖をまくり上げた両腕を組んだ。

 その眼差しは、やはり穏やかなものだった。

「お前らのそれが正当防衛だったとしても、これじゃ警察に行ったところで喧嘩両成敗で終いだろ。わざわざそれを指摘されに警察まで行くこたねえよ。藪を突いて蛇を出すみたいなもんじゃねえか」

「でも、ユキツグ叔父さん。少なくとも、風見の母親が暴力っていうのは……なんか、違うと思う」

 思わず、柊吾は言い返した。言い返さない方が自分達にとって都合がいいと分かっていても、罪悪感に似た重みが胸の奥に沈殿して、吐き出さずにはいられなかった。

 美也子の母親は元々、和音と撫子を襲った相手だ。その行動原理には〝言霊〟や〝フォリア・ドゥ〟など様々な事情が絡んでいると知っていても、柊吾はこの大人を許す気には到底なれない。

 だが、そんな相手だからといって、してもいないことまで擦り付けていいわけではないはずだ。

「大体、風見の父親は、なんでそんな出鱈目を言ったんだ? おかしいだろ、そんなのって……自分の家族に、濡れ衣、着せてるみたいで」

「……。家族にも、色んな形があるからな。それだけのことさ」

「? どういう、意味だ……?」

 柊吾は食い下がったが、声に出してから少しだけ後悔した。

 恭嗣の顔は笑っていたが、そこには苦い哀愁が漂っている気がしたのだ。

 大人の貌だ、と柊吾は思った。まだ子供は見なくていいと判断されたものを、物陰で見つめて、俯き、静かに蓋をする、大人の貌。

「悪いことをしたなら、正直に言う。それは確かに、その通りだ。けどな、シュウゴ。その物差しは、本当に万物を測れるような優れものか? 俺は勉強できねえから、そんな風には思わないね。使い手の単純な読み違えだってあるだろうし、そもそも使う物差しの種類そのものが違うのかもしれない。一本の物差しが、全てを測れるわけじゃない」

「三浦君。そんな風に考える君の心を、私は美しいと思いますよ」

 藤崎もその場に座り、目尻に皺を寄せて微笑んできた。

 何だか、呉野和泉のような喋り方だ、と今更のように柊吾は気付く。それとも、和泉の喋り方の方こそが、藤崎の受け売りなのだろうか。ともかく照れ臭くなった柊吾は「どうも……」とへどもど答えたが、まだ納得はできていなかった。

 そんな柊吾の内面を、藤崎は見えているかのようだった。「では、こういう考え方は如何です?」と、藤崎はおっとりとした声で続けた。

「君に一つ、私から質問をさせて下さい。三浦君、君は風見美也子さんの動向を探っていますね。其れは一体、何故ですか?」

「え? な、何故って……」

 どきりと、した。シンプルな質問なのに、答えが声にならなかった。何故か、と問いかけられ、柊吾も己の胸に問う。柊吾は、何故、美也子の動向を探るのか。

 拓海に、頼まれたから?

 毬と陽一郎も、それを望んだから?

 それも、一つの理由だろう。だが、それだけではなかった。

「風見美也子さんに、何か言いたいことがあるからではないですか? 君は、君の大切な人を傷つけられて、たくさんの事を思った筈です。それらを君自身は、伝えたいと思ったのではないですか?」

「……。はい。そうです」

 柊吾は、頷いた。

 その通り、だった。柊吾の美也子に対する感情は、彩を帯び、種類を増し、いつしか溢れ返っていた。

 撫子を傷つけられた際に抱いた、燃えるような激情。それを、今の柊吾は持っていない。相手は家も母親も失った少女なのだ。美也子の事情が、柊吾の熱を冷ましていた。

 だが、美也子がたとえ、どんな状況に陥ったとしても。

 それは柊吾にとって、伝えたい言葉を失ったわけでは断じてない。

「……俺は、風見に言いたいことがあります。具体的に、何を言いたいかは……まだ、分かんねえけど」

 恭嗣と藤崎が、顔を見合わせて笑い出した。

「だったら、警察なんて第三者を挟むより、まずは本人に会わねえとな」

「え?」

「子供の喧嘩なんだ。大人なんか、まだ出る幕じゃねえだろ? 出張って欲しいなら出るけどな、お前ら誰も、そんなこと望んじゃいねえだろ? なあ、風見さんとこの母親がどうとか、警察がどうとか、ガキがいっちょまえに行儀のいい考え方してんじゃねえよ。シュウゴ、お前はほんとは、どうしたいんだ? 分かるんだよ、お前がしたいことくらい。――ちゃんと決着、つけたいんだろ? やってみろよ、気が済むように。ちゃんと大人が守ってやるから、お前らの好きに、やってみろ。ただし、会いに行く時は前もって言え。こんな大事になったんだからな、子供だけで会いにいくのはなしだ。いいな?」

「……。ユキツグ叔父さん、ありがとう」

 柊吾は、頭を下げた。

 何だか、頭の芯が痺れていた。高揚感が、先程よりも増している。心臓の鼓動が、高鳴った。柊吾達をどこかへ導く細い糸の続く先へ、少しだけ進めたような気がした。

 その時、だった。

 こん、こん、とノックの音が、背後の引き戸から聞こえたのは。

 全員が振り返ると、引き戸の曇り硝子には、茫と人型の影が見えた。

「……おや。珍客が現れたようですね」

 藤崎が、ゆっくりと立ち上がった。

 引き戸に向かって静々と歩いていきながら、「尤も」と、付け加えるように言う声が、柊吾の耳朶を打った。

「珍客、という云い方も変ですね。おかえりなさい、と迎えるのが、此の場合は適切でした。……イズミ君、どうぞ。開いていますよ」

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