花一匁 103
昨夜、呉野神社を辞した柊吾たち一向が恭嗣の車で帰宅すると、そのおよそ十分後に撫子の父親も、アパート前へ到着した。
柊吾も面識のある撫子の父親は、怪我をした娘が思ったよりも元気そうに見えたからか、顔一面に切迫した安堵を浮かべてから、撫子を気遣い、その無事を喜んで、それからやはり切迫した表情で、恭嗣と話し込んでいた。
だが、柊吾の傍に拓海も立っていたからだろう。まずは子供達を早く帰そうという流れになり、拓海は恭嗣の車へ、撫子は自分の家族の車へと、それぞれ引き取られることになってしまった。大人同士の話し合いは、夜が明けてからということらしい。
撫子とは別れ際、柊吾はほとんど何も話せなかった。
車に乗り込んだ撫子に「おやすみ」と言い合ったのが最後の会話で、あの鎮守の森で交わされたやり取りについて何の報告もできないまま、撫子を乗せた車は、夜中の袴塚市郊外を走り去った。
拓海とだけは、その時に僅かだが会話が叶った。
恭嗣はすぐさま「次は坂上君な。ほれ、乗った乗った」と追い立てたが、拓海は「ちょっと待って下さい」と慌てて逃げて――文字通り逃げたので、大人げなく笑いながら追い駆け始めた恭嗣は、柊吾の母に叱られていた――から、柊吾に駆け寄り、耳打ちした。
「あとで俺、篠田さんに電話するから。篠田さんなら今日のメンバー全員と、連絡が取れると思うから。三浦、今夜のうちにパソコンのメールはチェックしといて。全員に急ぎで連絡するようなことは、ないと思うけど、念のため」
「分かった」
柊吾の返事と、拓海の首根っこが恭嗣に掴まれるのは同時だった。
かくして、恭嗣に回収された拓海は、あれよあれよという間に車に乗せられ、自宅へ送られたのだった。
今にして思えば、恭嗣は拓海と二人っきりになりたかったのではないか、と少しなら予想ができる。神社でのやり取りを恭嗣が聞いていた可能性が高い以上、拓海に対して何かしら聞き取りがあってもおかしくない。恭嗣も拓海を送り届けた後はそのまま帰ってしまったので、この辺りのことは訊けずじまいだった。
恭嗣と拓海は、あの後何を話していたのだろう。
今度二人と話す時は、それについて訊いてみたい。
そう心に決めた柊吾だが、自宅に入るなり母の命で風呂場へ直行させられて、一通りの身支度を終えた頃には、どっぷりと泥のような疲労の重みで、身体が怠くなっていた。
一瞬でも気を抜けば気絶しそうなくらいに眠かったが、柊吾が最後の力を振り絞ってパソコンのメールをチェックすると、新着メールが一件あった。
差出人は、篠田七瀬。
件名には、『篠田です。みんな明日空いてる?』とあった。
――『こんばんは。今日はみんな、おつかれさま』
メールは、そんな文章で始まっていた。
まるで部活動の労いのような言葉からは、今日という一日の必死さや深刻みがほとんど感じられなくて、柊吾は柄にもなく苦笑した。疲労で凝った精神には、七瀬のフラットさが心地よかった。
――『さっき坂上くんと電話で相談したんだけど、みんな、都合が良かったら明日会えない? 師範の家の近くの公園でみんなと解散してからのこと、私たちは全然知らないでしょ? 私は、今回起こったことをもっとちゃんと知りたい。同じように思ってる子は、他にもいると思うんだ』
七瀬の声が聞こえてきそうな文章を、柊吾は黙々と目で追った。同意の気持ちがむくむくと、湧き上がるのを感じていた。
皆、同じ気持ちなのだ。和泉と対面した柊吾にだって、まだ分からないことがたくさんある。それらを全て知る為に、七瀬は全員の総意を代弁して、メールで呼びかけてくれている。
――『もちろん、明日の集合は強制じゃないよ。このメールは今日のメンバー全員に送ってるけど、怪我をした子は無理しちゃだめだからね。撫子ちゃんと和音ちゃんは、できたら安静にしててほしいな。って、私が言うか、って思ってる子もいそうだけどね』
全くだ。柊吾は思わずパソコンの前で頷いた。暴れ回っていた七瀬と和音に対しては呆れの感情が尽きないが、ともかく二人が一応無事で良かったと、改めて柊吾は息をついた。
――『もちろん、体調が良くて外出できそうなら、来てくれたら嬉しいけど。無理はしないでね。家族に反対されたら従ってね。心配されて当然だもん。それは他の子も同じだからね、もし家族から外出を止められたら、このお誘いのことは気にしないでね』
その意見も尤もだ。柊吾達メンバー内には重症者は出なかったが、大人には死者が出ている。それは大人も知るところとなっていて、このタイミングでの外出には難色を示す家もあるだろう。あるいは他ならぬ七瀬自身が、一度はそういった勧告を、家族から受けたのかもしれなかった。
――『待ち合わせ場所は、全員の家の大体の中間点を取って、袴塚西駅でどうかな? 時間は、多分みんな疲れて早起きなんてできないだろうし、十一時半くらいで。せっかくだから、お昼ご飯もみんなで一緒に食べようよ。初対面同士の子もいたわけだし、改めて親睦も兼ねて、ってことで』
柊吾は思案し、少なくとも和音と撫子の二人は不参加だろう、と予想した。
二人とも来たがるだろうが、そもそも撫子に関しては目の問題を抱えているため、柊吾か陽一郎が家まで迎えに行かない限り、外出自体が不可能だ。
撫子には、明日はしっかり休んでもらう。柊吾はそう、心に決めた。
――『それじゃあ、明日来れるか来れないかを、私宛にメールしてね』
もちろん、参加に決まっている。返信すべくマウスを操作した柊吾だが、よくよく見れば、七瀬のメールには続きがあった。
――『あっ、このメールは携帯を持ってるメンバーは携帯に、持ってないメンバーはパソコンに送ってるから。もし二十二時になっても返信がなかったら、夜遅くで本当に申し訳ないけど、おうちに電話させてもらうね。ごめんね。まあ、メールに気付いてもらえなかったら、ここで謝っても意味ないけど。もし待ち合わせ時間とかに変更点があった時は、もう一回メールするね。これで決まりなら、連絡はなしね。それじゃあ、おやすみなさい!』
ぎょっとして、柊吾は居間の置時計に目をやった。
現在時刻は、二十一時五十五分。あと五分しかない。
大慌てで柊吾はメールを返信し、息を長く吐いて、テーブルの上で突っ伏した。
その体勢のまま、二十分程、母に揺り起こされるまで、眠り込んでいたのだが――この時にはまさか、翌日に袴塚西駅まで辿り着けたメンバーが、自分を含めてたったの三人だけだとは、夢にも思いはしなかった。
*
「で、まずは篠田と坂上の欠席なんだけどな……」
そう切り出したものの、どちらから話すべきか柊吾は迷った。
すると、何か言いたげな様子の毬と目が合った。もしかしたら先に七瀬から連絡を受けていて、事情を聞いているのかもしれない。
そんな柊吾の予想通りに、毬はテーブル中央のトレイに広げたフライドポテトへ視線を落とし、蚊の鳴くような声で言った。
「七瀬ちゃん、風邪だよね?」
「ええっ?」
毬の隣でドーナツ型のソファに座った陽一郎が、目を丸くしている。柊吾は渋面を作ってから、フライドポテトを一本摘まんだ。
「アホか。そんなに驚くことじゃねえだろ。……あの馬鹿。風邪引いて当然だ」
冬の終わりとはいえ、七瀬は冷えた泉に浸かったのだ。しかも濡れた髪のまま、和音と公園で暴れている。風邪を引かない方がどうかしている。
「でも、意外だねえ」
陽一郎も手元のハンバーガーの包みを開けて、それを一口噛んで呑み込んでから、ソースを唇の端につけたまま言った。
「篠田さんは、絶対来るって思ってたのに」
「まあ、家族から反対食らうとしたら、篠田が一番あり得るだろうなって気はしてた。……っていうか篠田の奴、呉野絡みの事件で熱出すのって、二回目だな」
「それって……去年の、今頃のこと?」
おずおずと、毬が言った。
その手はいまだに、ポテトにもハンバーガーにも伸びていない。
明らかに緊張している様子が気になるので「……遠慮しないでいいから」と、柊吾はもごもごした口調で促すと、フライドポテトを盛ったトレイを毬の方へ押し出した。
毬はおっかなびっくりといった様子で、そろりとポテトを一本摘まむ。そこまで見守りきってようやく、柊吾はほっとできたのだった。
毬と会うのは、今日で合計三度目だ。
奇妙な縁で顔見知りにはなっていたが、実際に柊吾と毬との間には、会話は数えるほどしかない。しかも毬は撫子ほどではないにしろ、小動物然とした小柄な少女。柊吾としては、自分という大柄な体躯の存在が、やみくもに毬を威嚇していないかが心配だった。最近だって、近所の小学生に怖がられたばかりなのだ。傍から見ればこの状態は、巨大な熊が小鳥に怖々と接するようなものだと思う。
ふと、先程の毬の質問が、これからの話の取っ掛かりとして丁度いいものだと思いつく。柊吾も陽一郎に倣ってハンバーガーの包みを開けると、篠田七瀬について語り出した。
七瀬に、ついて。
ひいては――七瀬の、『鏡』の事件について。
――柊吾達は、袴塚西駅構内のファーストフードショップに集まっていた。
赤と黄色のビタミンカラーが眩しい店内は休日の割に空いていて、柊吾達は六人ほどがテーブルを囲める円形のシートに陣取った。各々ハンバーガーと飲み物を注文して、ポテトは割り勘で特大サイズを二つ買って、丸テーブルの真ん中のトレイへ広げている。
毬は割り勘から外そうとしたのだが、頑なに払うと主張されてしまった為、こういう形になっている。だがこれらの大半は男子の胃袋に収まってしまいそうなので、毬には割に合わないことをさせてしまった。別の機会に埋め合わせができたら、と控えめにポテトを食べる毬を見ながら、柊吾は考えた。
――きっと、今回のような集合は、この一回だけでは終わらないと思うのだ。
窓から射す白い日差しを受けながら、柊吾は訥々と話した。
『鏡』の事件についての話は、本当なら七瀬や拓海の口から毬に聞かせるべきだと柊吾は思う。毬のことをよく知る人間の口から、また七瀬のことをよく知る人間の口から、語られるべき話だと思うのだ。
だが柊吾の曖昧な願いとは関係なく、時は容赦なく流れていく。
今の柊吾にできることは、一刻も早い情報の共有だ。
毬も陽一郎も、神妙な顔で聞き入っていた。
この件に関しては陽一郎は部外者なので、理解が難しいだろうかと危ぶんだが、陽一郎は呉野氷花の〝言霊〟について、疑問の言葉を挟まなかった。一度被害を受けたからか、すんなりと呑み込んでいるようだった。
それは、毬も同じに見えた。
うら寂しい瞳で話を聞き続けた毬は、〝言霊〟に懐疑的な言葉は何も言わず、代わりに柊吾へいくつか質問した。その質問に答えるうちに柊吾は話を掘り下げて、中二の初夏の事件についても説明した。
撫子の目についても、軽くだが触れた。
毬は、全てを分かっているようだった。顔を少し伏せて微笑む毬の左頬の泣き黒子を、柊吾は見るともなしに眺めていた。
「……撫子ちゃんのことも、七瀬ちゃんのことも、聞けて良かった。三浦君、ありがとう」
「綱田。……高校、受かったら。雨宮のこと、頼む」
柊吾は両手を膝に置いて、顔を伏せた。
これだけは個人的に、毬に頼まなければと思っていたのだ。
「目のことは……高校入学までに解決できなかったら、中学の時みたいに周りに理解してもらったり、助けてもらえるか分かんねえから。俺じゃ多分、なんつうか、目が届かないことも多いと思うし……篠田だけじゃなくて、女子で他にもあいつのこと分かってくれてる奴がいてくれたら、心強いっていうか……」
「うん」
頷いてくれた毬の微笑は、やはり全てを了解しているように見えた。朗らかに笑う同級生を、陽一郎がぼうっと見ている。視線に気付いた毬が振り向くと、陽一郎は目に見えて狼狽えてから、ふにゃっと笑った。
その眺めがあまりに長閑で、柊吾は思わず、欠伸をした。
日差しも暖かいので、気を抜けば意識が飛びそうになる。
「……三浦君、大丈夫? もしかして、眠れなかった?」
毬に心配そうに訊かれたので「大丈夫だ」と柊吾は答えたが、さらに欠伸が出てしまった。
「……ちゃんと寝れたけど、明け方に一回起きたから。体調は別に問題ない」
眠気覚ましとばかりにコーラを飲んで、柊吾は瞼を手の甲で擦る。
正直なところ、時が経てば経つほどに眠かった。
だがどんなに日差しが麗らかでも、うとうとしている暇はないのだ。
七瀬の『鏡』の話は前座に過ぎず、本題に入るのは、ここからだ。
「篠田の病欠は、今朝、坂上からの電話で知ったんだ」
布団で爆睡していた柊吾は、母に起こされ、拓海から電話だと告げられた。
今にして思えば、この瞬間から――この怒涛の欠席の嵐は、始まっていたのだ。
「篠田の奴、今朝から声がカスカスで喋れないらしい。昨日の夜から喉が痛かったんだと。電話は無理だから坂上にメールで報せてきたらしいんだけどな……あの馬鹿。三十八度越えの熱出してるくせに、ここまで来ようとしてるんだ。もちろん家族に止められたから来ねえけど、母親に『平熱まで下がったら外出してもいい』って約束、強引に取りつけたらしいぞ」
「ええっ」
陽一郎が、さっきよりも驚いた様子で叫ぶ。柊吾は、溜息を吐いた。
「俺らが何時までこうやって集まってるかは分かんねえけど、もし遅くまで粘るなら、篠田のアホ、来るかもしんねえぞ。坂上からも今日はやめとけって説得してもらってるけど、この集まりはあいつが言いだしっぺだし、責任感もあるんだろうな。説得なんか全然聞いてくれねえって嘆いてた」
「七瀬ちゃんらしい、かな……」
毬は心配そうに眉を下げて、それから少しだけおかしそうに微笑んだ。
「私の方にも、七瀬ちゃんからメールがあったよ。今日だけはお母さんの携帯にメールを送ってもらうことにしたから。あっ、今もきてるみたい」
毬が、テーブルの上の携帯を開く。
柊吾と陽一郎は小さな液晶を覗き込み、二人でぎょっと目を剥いた。
メール本文にはびっしりと、文字が蟻の行列のように並んでいたのだ。
「なんだ……? ちゃんと合流できたか、今は何を食べてるか、熱は三十七度台まで気合いで下げた……って、こいつ何やってんだ? こんな文章ちまちま打ってないで、大人しく寝とけよ……」
「篠田さん、本当に今日中にこっちに来そうだね……」
陽一郎が怖々と、携帯から身を引いた。七瀬にヘッドロックをかけられた恐怖が抜けきっていないらしい。柊吾は頭を抱え、呻き声で毬に指示した。
「……綱田。この阿呆に、どうでもいい報告してないで、さっさと寝てろってメールしてくれ」
「え、と……」
毬はまごついていたが、柊吾の言葉をオブラートで三重ほどに包んだメールを作成し、七瀬へ送信してくれた。
その直後、今度は陽一郎の携帯が、着信音を響かせた。
「あれっ、僕? 坂上君からかな」
携帯を見た陽一郎は、「ひっ」と甲高い悲鳴を上げた。夜道に亡霊にでも出会ったような顔をしている。
何事かと柊吾と毬が携帯を覗き込むと、そこには『篠田七瀬』と名前があって、メール本文には怒りの言葉が連ねてあった。
――『ちょっと、今のメール三浦くんでしょっ!? 首洗って待ってて、必ず今日中にそっちに行ってやるんだから!』
「なんでお前は張り合うんだ! っていうか返信、早すぎだろ!」
柊吾が愕然と絶叫する間にも、次々と鬼のように送られてくるメールの群れが、陽一郎の携帯へ殺到した。「ひええええ」と叫んだ陽一郎が、蒼ざめた顔で震え上がる。
「……もうこの阿呆は放っとこう」
触らぬ七瀬に祟りなしだ。柊吾はげんなりしながら、話題を変えた。
「次、坂上の欠席理由の話なんだけどな……」
「坂上君も、風邪なの?」
毬が、半泣きの陽一郎を気にかけつつ訊いてくる。「いや」と柊吾は否定した。
「あいつは、風邪とかじゃなくてだな……ここだけの話にしてくれるか? 特に陽一郎。今から話すことは他言無用だからな」
「え? なんの話?」
「篠田の耳に入ったら、殺される話」
陽一郎は従順に、首を縦に振ってきた。気弱な友人をぎろりと横目に睨んでから、柊吾は拓海の欠席理由を明かした。
「腰痛だ。……あいつ昨日、篠田のアホを背負って神社から藤崎さんの家まで歩いたんだろ? それの所為で腰をやったらしい。今は湿布貼りまくって寝てるけど、もし今日中に動けるようになったら、合流したいって言ってたぞ」
「……」
毬と陽一郎が、揃ってぽかんとした顔になる。
柊吾も同感なので、拓海には悪いが溜息をもう一つ吐き出した。
まさかこんな理由で、拓海が来れなくなってしまうとは。電話を受けた時の衝撃が思いのほか大き過ぎて、柊吾は二度ほど訊き返してしまったものだ。
『本当にごめん、篠田さんには内緒で……今日中に治すから……』
七瀬の欠席を伝えたその電話で、申し訳なさそうにおずおずと自らの窮状を述べた拓海の声は、憐れを誘うほど小さかった。
『坂上、こっちは気にしないで寝てろって。陽一郎たちに昨日のことを話すのは、俺一人でもできるから』
そう柊吾は拓海を励ましたが、内心では微かな不安があったのも事実だった。
拓海を欠いた状態で、柊吾に説明役が務まるだろうか。
そんな柊吾の不安を、拓海は見越していたのだと思う。受話器からは、こちらを気遣うような声が聞こえてきた。
『電話はできるから、大丈夫。昨日イズミさん達と話したことも、皆に報告しないといけないし。それに他にも、俺から指示を出したいこともあるから……』
その申し出は柊吾にとって有難かったが、己が不甲斐なくも思えた。
もちろん拓海を労わりたい気持ちの方が段違いに上なので、その思いはちゃんと伝えた。
『助かる。でも、寝たい時は寝てろよ。お前みたいには、いかなくても……俺も、がんばれると思うから』
少しの沈黙の後に、『うん、ありがとな』と、さっきよりも少しだけ背中を預けてくれたような声が聞こえたから、柊吾の方も少しだけ、軽やかな気持ちになれたのだった。
『……それじゃあ、ベッドに戻るから……袴塚西駅に皆で合流できたら、俺にも後で電話して……家の電話の前までなら、がんばって歩くから……』
『……は? 坂上、お前まさか、この電話、家の電話からか? 腰痛めてるのに、固定電話の前まで這ってきたのか? ……おい、新しい携帯はどうしたんだ』
『……。あ』
『……。お前、早く寝なおした方がいいぞ』
とても、昨夜神社で大人と渡り合った少年とは思えなかった。
柊吾は腰痛の友人へ早くベッドへ入るよう促して、携帯を必ず携帯するよう口を酸っぱくして言い含めてから、電話を切った。
朝っぱらから重い溜息を吐くことになった、午前九時。
こうして、今日集まれるメンバーが三人だけになったことを、柊吾は確信したのだった。
「坂上君、昨日がんばってたもんね……」
説明を一通り聞き終えた毬は、一層労しげな顔になっていた。
陽一郎も、笑っていいのか憐れんでいいのか、微妙な表情になっている。
「おい陽一郎、笑ってやるなって……」
一応、柊吾は諌めておいた。柊吾が撫子を担いだ場合はさして負担にならないが、それは柊吾の体力値が高いことと、撫子の体重が特別軽い所為だ。拓海の頑張りがなかなか理解されないのが、少し不憫なくらいだった。
「で、次は雨宮の欠席だけど……」
柊吾は言ったが、さすがに撫子に関しては、細かな説明は不要だろう。
毬と陽一郎は顔を見合わせ、労りの顔で頷き合った。
「来れないよね、撫子ちゃんは……」
「撫子、今朝から病院に行ってるのかな」
「ああ。指の爪を診てもらいに。ただ、あいつ髪もやられたからな。今日中に美容院にも行くかもしれない、ってうちの母さんが言ってたぞ。……俺は雨宮本人と話せてねえから、詳しいことは分かんねえけど」
最後だけは、声に不満が滲んでしまった。柊吾は目を逸らし、日差しで白っぽく霞んで見える往来の人の流れへ目を向ける。
撫子とは、いまだに連絡が取れていなかった。
今朝の七時半ごろに撫子から電話があったらしいのだが、運悪く柊吾は熟睡していて、母に起こされても起きなかった。そうこうするうちに電話はお互いの母親同士の会話となり、その経緯を知った柊吾が慌てて電話を掛けなおした時には既に、撫子は病院へ出かけていた。呼び出し音ばかり流れる電子音が柊吾の胸を引っ掻いて、ざらついた痛みを残していった。
ただ、撫子は柊吾宛てに、ある伝言を残してくれていた。
「……雨宮の、ことなんだけどな」
平らげたハンバーガーの包みを畳んでから、柊吾は背筋を伸ばした。
声音の変化から、毬は何かを察したらしい。食べかけのハンバーガーをトレイに戻して、不安そうに柊吾を見る。
「昨日の篠田からのメールに、返信がなかった奴には電話するって書いてただろ? 実際に、二十二時までに連絡がつかなかった奴が二人いたんだ」
「それって誰?」
陽一郎が、身を乗り出した。柊吾はコーラを一口飲んで、端的に答える。
「佐々木と、雨宮」
「和音ちゃんと、撫子ちゃん?」
毬が意外そうに目を見開き、それから不思議そうに目を伏せた。
「和音ちゃんは、携帯持ってないから分かるけど……撫子ちゃんは、持ってたよね? 眠ってたとか、メールどころじゃなかったのかな……」
「いや、そういう理由じゃないらしい」
撫子が何故、携帯のメールに気付かなかったのか。
その理由を、柊吾はもう知っている。昨夜の二十二時半頃、パソコン前で突っ伏して寝ているところを母に起こされた時に、折よく届いていた一通のメールが、仔細を教えてくれたのだ。
「雨宮の携帯、昨日壊れたらしいんだ。佐々木と一緒に東袴塚学園を出た時に、うっかり落として駄目になったんだと」
陽一郎が、仰天の顔になった。
「えっ、じゃあ撫子と連絡取れないの?」
「携帯は、買い替えるまで無理だ。しばらくは自宅に電話だな」
「でもさ、柊吾。じゃあ佐々木さんの方はなんでメールに気付かなかったのかな。パソコンのメールだから、見てなかったってこと?」
「いや、そっちも違う理由だ」
否定した柊吾は、腕組みした。
昨夜、七瀬から柊吾個人宛てに届いたメールを読み終えた時、柊吾はすぐに自宅の固定電話へ向かい、七瀬の携帯へ電話をかけた。
七瀬は自室からこっそり話していたようで、聞き取り辛い声だったが、今にして思えばあの時から、喉を痛めていたのだろう。
ともかく、柊吾が七瀬から聞いた内容は、この二人にも聞かせるべきだ。
またしても欠伸が零れそうになり、柊吾は慌ててそれを噛み殺す。そして眠気を振り飛ばすように頭を振ってから、口を開いた。
「……俺、今朝、佐々木に会ったんだ」




