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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
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花一匁 96

 拓海の言った人物の顔を、柊吾は想像さえできなかった。

 会ったことがないからだ。拓海のように映像で、顔を見たわけでもない。

 ――呉野貞枝。

 和泉たち呉野の一族を、皆殺しにしようとした――呉野氷花の、母親。

 だが、貞枝は。

「呉野貞枝は……死んだんじゃ、なかったのか……?」

 少なくとも柊吾は、今までそういう認識でいたのだ。

 そんな、決して見えてはならない存在が――撫子の目に、『見えて』いる。

「三浦、大丈夫。さっきも言ったけど、俺は幽霊を信じてないから」

 拓海はきっぱりと言い切ると、柊吾が抱いた撫子を、気遣うように見た。

 撫子は、先程からずっと震えている。柊吾は撫子の身体を抱え直し、とんと指で肩を叩いた。声を届けられない現状が、もどかしくて堪らなかった。

「くそっ……幽霊じゃなかったら、何なんだ? だって、雨宮の目にしか、『真っ黒な長い髪の女』なんて、見えな……」

 背後の泉を振り返り、ぞっと背筋が冷たくなる。

 波紋一つ立たない水面は、黒々と闇を映すだけだ。

 人影なんて、見当たらない。そんなもの、居るわけがない。

「幽霊じゃないよ。それは断言する。でも『呉野貞枝』さんの姿をした何かが、雨宮さんの目には『見える』。それだけは、確かだよ」

 理解の匙を投げかけた柊吾へ、拓海は冷静に言い含める。

 それから、今度は全員に向けて呼びかけた。

「『呉野貞枝』さんとしか思えない存在が、なんで雨宮さんの目に『見えた』のか。それについて考察するのも大事だけど、そもそもなんで『呉野貞枝』さんのようなものが、この泉にいるのかを整理します。簡潔に言えば、これは九年前の事件の副産物です。イズミさん、そうですよね?」

 拓海が確認を求めると、和泉は含み笑いでそれを認めた。

「一理あると思います。僕は先ほど君に言ったように、死者の存在を信じません。ですがその一方で、感情がそこに残ることは、認めている心算です」

「感情……?」

 柊吾には、その主張の違いが分からない。幽霊の存在には懐疑的で、感情の存在には鷹揚な態度。それはいささか、詭弁に聞こえた。

 そんな柊吾の猜疑心を、和泉は即座に見抜いてきた。

「柊吾君。『幽霊』とは、人間の肉体が死後、霊魂のみ現の世界に残り続けたものを言います。別の呼び方をする場合は、さっき拓海君が言ったような『お化け』でしょうね。さらにこの『お化け』から頭の『お』を抜いてみると、『化ける』という漢字が残りますね。これはすなわち、人を謀る狐狸のような存在、『変化』をも意味します」

 まさか幽霊について語られるとは思わず、柊吾は面食らう。すると藤崎までもが横合いから、捕捉とばかりに言い足した。

「『変化』とは、人間以外の生物、主として動物が魔力によって其の姿を変え、人間を脅かすものを云います。先程イズミ君も云いましたが、狐や狸が人を騙すような物語を、三浦君も耳にしたことがありませんか?」

「言われてみれば、まあ……」

 頭に葉っぱを一枚乗せた、狐や狸の姿を柊吾は想像した。

「幽霊、妖怪、変化。此れらはいずれも三次元の物理法則を超越した、特異な能力を持つと云われます。また、生者へ邪悪な働きかけをするモノも、此のような名で呼ばれますね」

「……邪悪?」

 思わず、柊吾は訊き返した。その言葉を体現するかのような少女、呉野氷花の悪辣な笑みが、艶やかな黒髪のたなびきと共に、脳裏を緩く過っていく。

「ええ。少なくとも、此れらは恐怖の念を含んだ呼称であり、神や仏といった大いなる慈しみを湛えた、絶対者としての権威は持ち得ません。もし撫子さんの身に起こった現象がこう言ったモノによる憑依現象と取るならば、この泉にいる〝モノ〟が、貞枝さんの霊と考えるのは、一応納得できる説ですね」

「しかし、僕も克仁さんも拓海君も、霊の存在を信じたわけではありません」

 和泉の声が、森へ不遜に響き渡る。

 笑みを含んだその声に、首肯で応じたのは拓海だった。

 そんな同意の意思表示から、和泉は拓海の理解を悟ったらしい。次なる〝言挙げ〟を拓海から引き出そうとは一切せずに、自らが説明を引き継いだ。

「さっき拓海君が便宜上、『呉野貞枝』さんと仮の名をつけたこの存在、霊でないなら何なのか。その正体を言語化するなら、『観念』、あるいは『情念』が『概念』となったもの、すなわち『残留思念』と捉えるのが一番妥当でしょうね」

「残留思念?」

 またもや、胡散臭い言葉が現れた。柊吾は自然、目つきが険しくなる。

「そんな言葉で、雨宮の『見た』ものを片付ける気じゃねえだろうな……」

「もちろんです」

 和泉は、にやりと笑ってきた。この程度で議論と説明を終わらせては、あまりにつまらな過ぎて退屈だ。そんな言葉が今にも飛び出してきそうな歓喜を前に、柊吾は文句を、呑み込まされる。

「……」

 初対面の人間と、相対するような緊張があった。

 ――この和泉は本当に、柊吾の知らない和泉なのだ。

「残留思念とは、人間が何らかの強い感情を抱いた際に、その場所へ残留すると考えられる思念のことです。こちらの存在も幽霊の存在同様に、僕は信じていませんよ。ただし、呉野の一族のような異能が絡んだものならば、話は別と言わざるを得ません」

「それは、どういう意味ですか?」

 訊ねたのは、拓海だった。おそらくは柊吾の為に、敢えて訊いてくれたのだ。その証拠に拓海の顔は、自信と確信に満ちている。

「では、もう少し詳しく説明しましょう。たとえば、そこの克仁さんには人間の抱える心の『傷』が、様々な形で見えますね?」

 和泉が、藤崎を腕で指し示した。

 全員の視線が集まっても、藤崎は平然と立っている。少しだけ不機嫌そうに細められた双眸には、撫子の〝鋏〟の他に、柊吾や拓海の『傷』も見えるのだろうか。

「克仁さんが持つ異能同様に、もし『決して存在し得ないはずの思念を読み取る』ような異能があれば、僕はその存在を受け入れます。それを否定することは、己を否定することに他なりませんから」

「何をいけしゃあしゃあと。此の場の誰もがそんな異能を持たないことを、君は知っている筈ですよ」

 濃い呆れの声で、藤崎が言う。和泉は「必要な検証ですよ」と、指摘通りにいけしゃあしゃあと返してから、口調を僅かだが改めた。

「僕が〝先見〟の異能で見た『未来』。それは複数ありますが、そのうちの一つこそが、先程の場面だったのです。――僕等は何故か夜の森に集っていて、やがて柊吾君に抱かれた撫子さんが、巫女の託宣のように告げるのです。『泉の真ん中に、真っ黒な長い髪の女がいる』……と。撫子さんの告げた女の容姿は、呉野貞枝さんに酷似していました。天啓のように頭に浮かんだ、僕等の未来の一場面。それを『見て』しまった僕は、観念と共に未来を確信したのです。――これから先、氷花さんが君たち中学生を大がかりに巻き込んだ、最後の〝アソビ〟が始まる、と。その〝アソビ〟によって風見美也子さんの日常が、ついに破綻を迎える、と。そして、この鎮守の森を『見た』撫子さんの目によって、異質な存在が明らかになる、と」

「……」

「しかし、正体が一切不明の存在が、僕達にどんな災いを齎すかは不明でした。僕が未来を知った時点ではあまりに情報が不足していて、危険の度合いも未知数でした。むしろ、とその時僕は、思い至ったのです。この欠けた情報を集める事こそが、僕なりの〝惟神〟なのではないか、と。僕がこの〝アソビ〟内で取るべき立ち位置は、この瞬間に決まったのです」

 和泉はそう告白して、柊吾を見、撫子を見る。

 そして全く悪びれた風もなく、「僕は撫子さんを、利用することにしたのです」と言ってのけた。

「利用だと?」

「三浦、抑えて」

 いきり立った柊吾を、すぐに拓海が宥めてきた。

「気持ちは分かるけど、イズミさんの言い分も、納得できなくはないよ。確かにこれは、イズミさん一人じゃ対処が難しい問題だから」

 そんな言い方をするからには、何か根拠があるのだろう。柊吾が矛を収めると、拓海は「〝同胞〟だから」と簡素に言った。

「同胞?」

 柊吾は訊き返し、和泉は苦笑の顔になる。

「面目ありませんが、その通りです。雨宮撫子さんの目には『見えた』この異常、僕の目には『見えない』のですよ。もちろん克仁さんも同様です。我々は異能を持っているが故に、この泉に如何なる〝モノ〟が棲んでいようと、知覚できないというわけです。また、僕の目には『見えない』ということは、逆説的にこの怪事が『異能』絡みであるという証左にもなり得ます。では一体どうすれば、この泉を調べられるのか。――答えは一つ。この泉の存在が『見える』者に、協力してもらえばいいのです」

「それが、雨宮だっていうのか……?」

 しげしげと、柊吾は撫子を見下ろす。

 当の撫子はというと、もぞもぞとハムスターが細切れの新聞紙の中へ潜るように身じろぎして、柊吾の胸板へ顔を埋めていた。

 とてもではないが、そんな大層なことが出来るようには見えない。さっきの出来事がなかったなら、今でも信じられないくらいだ。

「それでも出来てしまうのですから、不思議なものですね」

 和泉は柔らかに笑ってから、長い睫毛を伏せた。

「手始めに僕は、この怪現象が撫子さんだけに限定されるものなのかを調べる必要がありました。もし『呉野貞枝』さんと仮の定義した〝モノ〟が雨宮撫子さんにしか『見えない』なら、それは撫子さんの『弱み』に連なる問題、つまり彼女個人の問題として扱う必要があるからです。そうなれば、取るべき解決策も変わってきます」

「それってつまり、篠田の『鏡』の事件の時みたいに、雨宮自身の『弱み』とか、乗り越えないといけない課題みたいなのがある、ってことか……?」

 たどたどしく、柊吾は訊く。七瀬には七瀬に見合った解決策があったように、撫子についても改めて考え直せという事だろうか。

「うん、三浦。その考え方で合ってるよ」

 拓海の力強い肯定が、柊吾の自信を支えてくれた。

「例えば頭が痛い時って、一口に頭痛って言っても、同じ症状の病気って色々じゃん。風邪から来てるのかもしれないし、違う理由かもしれない。病気に合わせて処方される薬が変わるみたいに、どういう理由で『呉野貞枝』さんが雨宮さんに『見えた』のかを見つけないと、この現象は解決できない」

「良い説明ですね、拓海君。しかし、柊吾君。『撫子さんの個人的な問題』として思考を進めていくと、すぐに初歩的な問題にぶつかるのですよ」

 和泉が口調を、やや皮肉気なトーンに落とした。

「初歩的な問題?」

「実に初歩的ですよ。何故なら、『雨宮撫子さんと呉野貞枝さんの間に、接点は皆無』なのですから」

「……あ」

 本当に、初歩的な問題だった。

 貞枝がこの森を去った時、撫子は六歳児。両者には面識だってないはずだ。

 にも関わらず、撫子の目に、『貞枝』が見えたということは。

「それってやっぱり、幽霊なんじゃ……」

「先程も言ったように、僕はその考え方を支持しません。死者が生者を祟る為にこの森に現れたとは、僕には思えないのですよ。それにこの『貞枝』さんが本物の呉野貞枝さんではないと断定する、明確な根拠も持っています」

「根拠? その根拠って、何ですか?」

「杏花さんが、言ったからです」

 良く通る声で、和泉は答えた。

 柊吾は、鼻白んだ。拓海も、息を呑んだ様子だった。

「杏花さんが、僕の前で言ったからです。『皆、居なくなっちゃえ』と。かつて清らかだった幼児は、〝言霊〟を使って言いました。杏花さんに『居なくなっちゃえ』と言われて何処かへ消えた存在が、たかだか九年の歳月程度で、おいそれと出てくるわけがありません」

 流れるように言葉を紡ぎ、和泉は艶然と笑っていた。

 静けさの中に熱い気迫を秘めた言葉には、もう決して手の届かないものへそれでも手を伸ばすような、諦念とも渇望ともつかない情念が滾っていた。

「つまり『貞枝さん』の霊でないということは、やはり撫子さんの『弱み』に関わる問題なのか。実はこの考察も、先程触れたようにハズレです。『撫子さんと生前の貞枝さんに接点がない』という点が大きな理由ですが、そもそも撫子さんの『弱み』に傷を与えた〝言霊〟は、氷花さんが『陽一郎とキスをした』という、実にささやかなものでした。貞枝さんとの接点はおろか、今回の事件とも関連を持ちません。よって、雨宮撫子さんの『弱み』については、〝アソビ〟とも『貞枝さん』とも無関係です」

「……」

「……三浦、ふくれてない?」

「……ふくれてねえし」

 むっと柊吾が唇を引き結ぶと、藤崎から微笑ましげに見られてしまった。和泉も小さな笑い声を立ててから、時間を惜しむように議論へ戻った。

「雨宮撫子さんの目には、それでも『貞枝さん』が見えました。撫子さんには貞枝さんに繋がるような、傷付いた『弱み』がないにも関わらずです。では、何故こんな現象が起こったのか。――それはつまり、撫子さんが過去の事件の結果として患うことになった、『目』が原因ではないか、と。僕は考えました」

「目が……?」

「うん。俺もそう思う」

 拓海が答えた。言葉のバトンを受け取って、地を蹴って走り出す瞬間のような高揚を乗せた声が、空砲のような清々しさで響いていく。

「雨宮さんは〝アソビ〟の渦中で、不可解な行動を取りました。『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』って唄いながら泉の真ん中へ進んでいって、水底から〝包丁〟を取り上げたんです。もしあのまま正気に返らなかったら、追い駆けていった三浦が危険でした」

 柊吾は口を挟みかけたが、その衝動をぐっと堪えた。これはただの事実確認だ。撫子を非難されたわけではない。

「あの時の雨宮さんは、俺から見れば別人でした。また、『鬼さんこちら、手の鳴る方へ』は、生前の貞枝さんが歌っていたものと同じです。雨宮さんのこの状態を、『霊に憑依された』と考えれば、一応の筋は通ります。ですが、俺も和泉さんと同じで、霊の存在を信じません。その一方で、呉野杏花さんの〝言霊〟には、絶対的な信頼を置いています」

「では拓海君は、この怪現象をどんな言葉で説明しますか?」

「これは、あくまで予想、なんですけど……」

 拓海は、そんな控えめな前置きを挟んだ。

 そして薄氷を踏むような慎重さで、それでいて果敢に、こう言った。

「もしかして……『神がかり』、なんじゃないですか?」

 和泉が、目を丸くする。藤崎も、僅かだが顔色を変えている。

「神がかり……?」

 柊吾もまた同様で、戸惑いを隠せなかった。

 拓海の言った言葉には、明確な聞き覚えがあったのだ。

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