花一匁 94
「イズミさんの異能、やっぱり以前よりも強くなってますよね?」
そんな拓海の言葉から、異能にまつわる議論の二回戦は始まった。
柊吾は、はらはらと見守った。辺りを見回せば自分の叔父が、どこかの暗がりにいるのだろうか。声を張れば見つかるだろうが、そんなことをしたら最後、拓海と和泉が交わす言葉が、ぴたりと止んでしまう気がした。
――呉野和泉の、異能。
それについて今更言及することに、どんな意味があるのだろう。
「……二度目の質問ですね」
問われた和泉は、一切の動揺を見せなかった。縁側に泰然と腰かけ続け、試すような目で拓海の目を見据えている。
「はい。東袴塚学園でも、俺はイズミさんに同じ質問をしました。もう一度訊こうと思ったのは、イズミさんの言動が確信的なものだったからです」
「ほう、確信的とは?」
言葉をあるべき場所へと導くように、和泉が意地の悪い笑みを見せる。拓海は果敢にもそれに応え、臆することなく言葉を継いだ。
「イズミさんは俺達を、ある結末に導いているように見えました」
「ある結末……?」
不審な言葉に、柊吾は眉を寄せた。
「ある結末。それは雨宮さんを始め中学生メンバーに、風見美也子さんの〝アソビ〟相手をさせること。その為にイズミさんは時間稼ぎをしていたんです」
――時間稼ぎ。
さっきも、拓海が言っていた言葉だ。
「イズミさんという大人は、何度も〝アソビ〟を止めることができました。それこそ俺達に調べものや籠城を促すんじゃなくて、大人としての介入方法が幾らでもあったはずです。それらを全部せずにただ見守っていた理由を、俺はこう考えました。――『俺達が〝アソビ〟に参加することで、最終的に全員をより良い未来へ導ける』」
「未来……っ?」
話のスケールが大きくなった。だがこれは何も、驚くことではないのだ。
――未来を知る、〝先見〟の異能。
そんな力に秀でた者が、呉野の一族に一人、いた。
「この異能は、かつては呉野國徳さんが持つ能力でした」
拓海は、静かに名を告げた。
和泉の顔に、月光色の陰りが差す。
死の気配を、柊吾は感じた。近しい、馴染みの匂いだった。青い灰色がかった薄靄のような悲しみは、父が亡くなってからしばらく経っても、線香の煙のように漂い続け、柊吾の元から消えなかった。あの時と同じ青灰色の死の気配が、まだ和泉の元から消えないのだ。
「呉野國徳さんの異能を、最も強く受け継いだのがイズミさんでした。九年前の記憶の中にも、予兆と呼べそうなものがありました。それに高校三年の青年、〝イズミ・イヴァーノヴィチ〟は、周囲の大人達から言われていました。イズミさんは、呉野國徳さんに似ていると。――ここでさっき三浦が言った言葉、『どうして雨宮さんを助けなかったか』に戻ります」
凛々しく澄んだ拓海の目で、青色の月光が揺れている。研ぎ澄まされた言葉も声も、ナイフのように鋭かった。気迫に、柊吾は息を詰めた。
「〝先見〟の異能も操れるようになった和泉さんは、ある未来を見ました。その未来を成立させる為にはどうしても、雨宮さんが今回の事件に巻き込まれる必要があった。そうですね?」
「そこで君の説明が終わりなら、詰めが甘いと言わざるを得ませんね」
不敵に、和泉が笑った。悲しみの渦中に居ても、揺るがないのだ。こうして拓海と戦っている限りにおいて、和泉は絶対に揺るがない。
ふと、そんな己の考え方に、柊吾は冷水を浴びせかけられた気分になった。
――では、ここに拓海がいなければどうだろう?
和泉の対話相手たる、弟子の少年がいなかったら。会話が、途切れてしまったら。繋ぎ止めるものが、なくなったら。藤崎の悲しい顔が、まだ頭から消えないのだ。和泉の姿が靄のように霞んでいって、消えてなくなる気がしたのだ。
「いいえ。まだ終わりじゃありません」
包丁の一閃のような拓海の否定が、柊吾を現実へ引き戻した。
「事件に雨宮さんが必要だった根拠はあります。でもそれを話す前に、イズミさんにどうしても、確認したいことがあります」
刹那だけ、拓海の目に躊躇いの色が戻ってくる。それを刀の露を振り切るように薙ぎ払うと、拓海は毅然と言い切った。
「未来を『見て』いたイズミさんには、〝アソビ〟が始まる前から分かっていたんですか? この事件の結果、一人、死人が出ることが」
――死人。
その言葉が指す人物を、最初柊吾は取り違えた。
またしても、紺野沙菜のことだと思ったのだ。
紺野の顔を、柊吾は小五の頃しか知らない。口を利いたことすら一度もない。十一歳の夏の別れが、そのまま永遠の別れとなった。だが忘れかけた容貌を茫洋と回想するうちに、柊吾は誰に指摘されずとも、思考のずれに気がついた。
今、拓海が挙げた死人は――紺野沙菜のことでは、ない。
「風見美也子さんの母親は、自宅を燃やして亡くなられたそうですね」
乾き切った拓海の声は、僅かだが震えていた。
当然の震えだ。十五歳の魂は、大人の死を語るには、まだあまりに脆弱過ぎる。
「風見の……母親……」
呟いた柊吾の胸を、鈍い痛みが突き刺した。
頭のどこかも同じ鈍さで痛んだが、その感覚さえも茫洋と青く霞んでいて、何故だか手応えを掴めなかった。
「結論から先に言いましょう。僕は、この未来を『見て』いません」
端的に、花を切るような鋭さで和泉は答えた。殺伐とした〝言挙げ〟には、闇夜に咲く白い桔梗の花のような淑やかに濡れた情感も、瑞々しく含んでいた。
「しかし、君達が高校生になるよりも前に、風見美也子さんの家族が一人欠けること。その事実だけを、僕は予め知っていました」
「え……欠けるって、それは」
先を言うのが、憚られた。
柊吾が口を噤んでいると、拓海が言葉を引き継いだ。
「イズミさんは、風見さんの母親の死を直接『見た』わけでなくても、最終的にそうなることを知っていた。つまりイズミさんには俺達とこうして話してる『現在』よりも、まだ先の地点の『未来』が『見えた』ということですか?」
和泉は、沈黙で以て応えてきた。
白皙の美貌の輪郭が、橙の逆光に縁取られる。形の良い唇が、藍色の闇の中で悲しい微笑を形作った。哀惜の瞳と目が合って、柊吾は総毛だった。
――肯定なのだ。
「そんな……知ってたなら尚更! なんで〝アソビ〟を止めなかったんですか! イズミさんなら、止められたかもしれないのに……!」
気付けば、勢い任せで叫んでいた。
だが取ってつけたような責任感と情熱では、大人の胸など打てなかった。
「柊吾君。それは、僕にはできません」
和泉は、困ったように笑ったのだ。
それは、幼い子供から到底叶えてあげようのない無理難題を突き付けられて、途方に暮れた父親そのものの顔だった。熱くなった柊吾の意識は、たちまち血の気が引くほど冷たくなった。
「君にも一度お話したことがありましたが、僕は『見た』ものを外しません。異能によって知覚の叶った、『定め』と呼ぶべきこの流れ。〝惟神〟に一度だけ、僕も逆らったことがありましたが……」
「……すみませんでした」
台詞を遮り、柊吾は素直に謝った。撫子を抱えているので、首の動きだけで謝った。
こちらが浅はかだったからだ。相手が異能者というだけで、求めてはならないものを求めてしまった。それはきっと、傲慢と呼ばれる類のものだと思う。
「未来を改変できるなら、変えたい未来が僕にもありましたよ。ですが、今はそんな風には思いません」
「……どうして、ですか」
「君達に出会えましたからね。柊吾君」
そう答えた和泉は、今度は屈託なく笑んだ。
泣きたくなるほど温かな、家族団欒のような笑みだった。
「僕は家族を失ったことによって、氷花さんの兄となりました。そして異能にまつわるあらゆる事件に、関わろうと決めました。叶うなら一人でも多く、異能による犠牲者達を救うために」
「異能からの犠牲者を、一人でも多く……」
その台詞を、柊吾は今までに何度か聞いたことがあった。
ああ、と遅れて思い出す。今日という一日で何度も和泉に裏切られたような気持ちでいたから、忘れていたのだ。
だが呉野和泉という人間は、初めから言っていたではないか。
柊吾に、七瀬に、拓海に。氷花の異能に巻き込まれた、中学生達全員に。もしかしたら、和音にだって言っていたかもしれない。
俯きかけた顔を上げ、柊吾は目の前の大人と向き合った。
子供と、大人。巡り会えた確率よりも、巡り会わなかった確率の方が、きっと格段に高いだろう。
それでも柊吾達は、呉野和泉と出会ったのだ。出会って、言葉を交わしたのだ。氷花の異能に翻弄される柊吾達へ、和泉が、声をかけたから。
頬を撫でる夜の風が、答えを自然に、運んでくる。
――助けたいと、願うから。関わりを持とうと、動いたのだ。
和泉は、本気だったのだろうか。
本気で柊吾達を、助ける気でいたのだろうか。
「イズミさん。風見美也子さんの話は『弱み』の話で一段落のつもりでしたが、この一点だけは確認させて下さい」
拓海が、どことなく厳かな口調で言った。
悲壮な決意が薄らと、まだあどけない顔に滲んでいる。
「風見さんの母親があんな事になったのは、九年前と同じ現象が起こったという見方もできませんか?」
その言葉に、和泉はどうやら驚いたらしかった。
青い瞳を僅かに瞠り、やがて円やかな目つきになる。
「九年前と言えば、僕たち呉野一族の話でしょうね」
「はい。惨劇の夜に、イズミさんの父親は……イヴァン・クニノリヴィチ・クレノさんは亡くなりました。呉野伊槻さんに、包丁で殺害されて。なのに事件が終わった時、その死因は全くの別物にすり替わってましたよね?」
「え? イヴァ……? えっ……?」
突然現れた外人の名に、柊吾は大いに混乱した。
だが、少し時間をかけて思い出した。
――イヴァン・クニノリヴィチ・クレノ。
長く、そしてどこか不思議なカタカナの名は、和泉の父親の名前だ。去年の夏に拓海から聞いてはいたが、死因が変わったなんて話は寝耳に水だ。
「坂上! 死因が変わったって、それは、どういう……!」
和泉が柊吾を遮って、「不思議ですね」と取り澄ました顔で言う。
「拓海君。それを何故君が知っているのです? お話した覚えはありませんが」
「克仁さんから聞いたので」
少し後ろめたそうに拓海が明かすと、ちらと和泉が藤崎を見た。
藤崎は、そっぽを向いていた。和泉は、苦笑いを浮かべた。
「克仁さん、御機嫌を直して下さい。僕の父が亡くなった時のいざこざについては、もういいと仰っていたではありませんか」
「私の知識を誰に託そうと、私の勝手ですよ、イズミ君。さあ拓海君、続けて下さい。こんな夜など、早々に終わらせるに限ります」
どこか憤然と言う藤崎へ、拓海は和泉と同じような苦笑いで応えてから、「続けます」と、心なしか少し明るくなった顔で宣言した。
「九年前の事件で、何故イズミさんのお父さんの死因が変わったのか。この理由について、二つの答えが予想できます」
語りに合わせて、拓海が背後を振り返る。
柊吾も撫子を抱えたまま、一緒にそちらを振り向いた。
三人が立つすぐ背後には――小さな泉が、変わらない闇を湛えていた。
「一つ目の仮説は、『九年前の〝言霊〟が原因』というものです。九年前、この泉の前で氷花さんは……いえ、〝杏花〟さんは、〝言霊〟を発動させました。その時の言葉は、こうです。――『皆、居なくなっちゃえ』」
「キョウカ……」
柊吾は何と言っていいか分からず、開いた口をすぐに閉じた。
――氷花が〝杏花〟だった頃のことを、柊吾も一応聞いている。
ただ、その幼女の所業は柊吾からすれば、到底許せるものではなかった。
同情や憐憫だけで見過ごすには、〝杏花〟は道を誤り過ぎた。
そんな判断を当事者でない柊吾が下すのは、烏滸がましいことかもしれない。
だが、もう他人事ではないのだ。撫子が怪我をした今となっては、去年の拓海の危機感が、そのまま柊吾のものになっている。
「この〝言霊〟によって、呉野の大人達は破滅しました。呉野伊槻さんも、もう一人も『皆居なく』なりました。俺の仮説は、『呉野杏花さんの〝言霊〟が現在も有効になっている』というものです」
「杏花の、〝言霊〟が……?」
――『皆、居なくなっちゃえ』
六歳の幼い少女が、一族を破滅させた滅びの言葉。
その〝言霊〟の効力が、九年経った今も生きている?
「――『異能によって現実世界に巻き起こる怪事件は、この『皆、居なくなっちゃえ』――つまり、『何もかも消えてしまえ』という〝言霊〟によって、最終的に打ち消されるようにできている』。少し強引かもしれませんが、そう考えれば異能で変貌した呉野伊槻さんに殺されたイヴァンさんの死因が、現実世界に即したものにすり替わった理由にも、一応の理論付けができます」
「ほう。考えましたね」
和泉は、拍手で拓海を賞賛した。揶揄ではなく、純粋に感心しているらしい。
ただ、柊吾にとってこの語りは、既に理解の範疇を超えつつあった。
「……すみません。ちょっと話が難しいです。亡くなった人には申し訳ないけど、俺は坂上みたいに、九年前を『見て』ないから……」
「三浦君。其れで良いのです」
根を上げた柊吾に、声をかけてくれたのは藤崎だった。
温かな毛布で包まれるような、安堵を覚える声だった。
「判らなくとも良いのです。我々は、『見てはならぬ』ものについて話しています。見ずに済んで、其のまま生きてゆけるなら。見なくて良いものもありましょう。此れは君への差別ではなく、君の持った一つの得難い幸福ですよ」
木々の梢が揺れ、藤崎の白髪混じりの黒髪も揺れる。一際強く吹いた風は、さっきよりも冷たかった。
「……はい」
柊吾は藤崎へ頷くと、腕の中の撫子を、風から庇うように抱え直した。
事情の全ては分からなくとも、出来ることはここにある。
今はそれでいいのだと、諭されたような気がしていた。
「二つ目の仮説は、氷花さんの〝異能〟は関係なく、『異能が関わる事件には、自浄作用が働くのではないか』というものです」
拓海が声を張り、それが議論再開の合図となった。
三者間の空気が、急激に引き締まる。
「風見美也子さんの母親があんなことになったのは、美也子さんの狂気を〝フォリア・ドゥ〟で共有してしまった所為だと思われます。これによって母親は心を追い込んで、自殺を選んだと予想できます」
この拓海の解説は、既に公園で聞いたものだ。柊吾にとってはおさらいだが、藤崎にとっては初めて耳にする推理だろう。微細な皺の刻まれた瞼が、痙攣のように震えた。
「可哀そうに」
瞑目した藤崎の低い声が、場にしんみりとした空気を運ぶ。拓海が許しを乞うように頭を垂れ、すぐに顔を上げて、前を見た。
縁側に坐する男の目に、一縷の望みを見るように。
「風見さんの母親の死は、おそらくはこの〝フォリア・ドゥ〟が原因です。――でも、もしそうじゃないなら。九年前の時だって、もし〝杏花〟さんの〝言霊〟が原因で、イヴァンさんの死因が変わったんじゃないなら。『異能が原因の怪事件は、現実世界に即したものに形を変える』ような仕組みになってるなら……異能が原因だった風見さんの母親の怪死だって、『火事』という形で処理されたんじゃないか、って……俺は、考えました」
「……。『異能による怪事は、いずれ自然に還るようにできている』。それは興味深い探究ですね、拓海君」
和泉が、息をついた。
羨望と諦めが入り混じったような、言葉より雄弁な吐息だった。
だから言葉を聞くより前に、この場の全員が悟ってしまった。
次に和泉が、どんな言葉を放つかを。
「そうであったなら、どれだけ良かったでしょうね。本当に心から、僕はそう思っています。君のその推察だって、決して間違いではないはずです。現に、異能に関わった撫子さんについては……個人の『弱み』の質にも因るのでしょうが、時の流れが波のように、徐々に記憶をさらっています。ですが、時の流れに任せるだけで、全てが浄化されるなら……僕はこの〝アソビ〟の進行を、きっと僕なりの〝惟神〟に従って、止めに向かったことでしょう。それこそ、柊吾君。君に再三言われたように、撫子さんを救うために」
柊吾は、胸を衝かれてしまう。
和泉の声が、あまりに切なげに響いたからだ。
この苦悩が、懊悩が、演技だとは思えなかった。演技でないなら、本心だ。
つまり、それは――和泉の台詞が、正しいということに他ならない。
「じゃあ、風見さんの母親のことは……」
拓海が、辛そうに眉を下げる。
和泉は淡く微笑んで、ただ静かに頷いた。
やはり、死者を悼む顔だった。
「……残念ながら、異能による自浄作用ではありません。君が先程述べたように、風見さんの母親は、娘の狂気を浴び過ぎました。〝アソビ〟の存在に関わらず、美也子さんが小五の頃に受けた〝言霊〟から、狂気の共有は始まっていました。それに、仮に美也子さんが、氷花さんの〝言霊〟を受けていなかったとしてもです。彼女は『苛め』られたことをきっかけに、独特の価値観を身に着けていましたね。その信義に従った言動は、紺野沙菜さんを傷つけました」
「……」
「美也子さんのご両親も、そんな娘の歪みを知っていますよ。苛めっ子の両親は、それなりに社会的な制裁を受けています。派手な苛めは、周囲の保護者の目にも明らかだったでしょうからね。ただ、そんな制裁を受け止める心の在り処は、最早誰にも分かりません。そもそも存在したのかどうかさえ、最早誰にも分かりません。命を絶たれてしまっては、最早誰にも分かりません」
「……」
「家族の崩壊も、終焉も、止められるものではありませんでした。きっかけが〝アソビ〟だったにしろ、そう遠くない未来にいずれ必ず訪れていた終焉でした。仕方がなかったと居直るわけではありませんが……『もっと早く、風見家の異常に気がつけばよかった』。『その生活に密着して、彼女達の痛みに寄り添い、支え合えばよかった』。非道な言い方になりますが、それは」
「イズミ君。皆まで云わなくとも構いません」
藤崎が止めなければ、柊吾か拓海が止めたかもしれない。
口を閉ざした和泉は、雨上がりの空から虹を探そうとでもするかのように、遠い瞳で柊吾を見た。柊吾は何とも言えない顔のまま、目を逸らすしかできなかった。これでは、あまりにやり切れなかった。
「じゃあ誰だったら、助けられたんだ」
胸中の澱を吐き出すように、柊吾はそう嘯いた。
「分からない。でも」
答えの見えない質問に、応じてくれたのは拓海だった。
まるで弾みをつけて立ち上がるような気丈さで、顔を上げ、暗い空を振り仰ぐ。
「イズミさんには否定されましたが、もし俺の仮説が正しくて、『異能による怪事がいずれ自然に還る』なら、それは一つの救いになると思いました」
「救い、ですか。それは誰にとっての、どんな救いですか」
「風見美也子さんにとっての、救いです」
濃藍の空を見上げたまま、拓海は笑う。
物悲しくも、晴れ渡った青空のような笑みだった。
「だって俺やイズミさんの考えが正しいなら、風見さんの母親の死は、風見さんに責任があるように聞こえます。風見美也子さんの母親って、娘のことに一生懸命になれる大人だったと思うんです。美也子さんのことを……ちゃんと、愛してる人だったと思うんです。そんな人が、こんな風になって……美也子さんは今、どんな気持ちでいるんでしょうか」
それを聞いた瞬間、脳天に雷を落とされたような衝撃を柊吾は感じた。
驚愕して、しまったのだ。美也子の母の死を知った時でさえ、あまり動じなかったというのに。
きっと、様々なことがあったからだ。だからこれ以上心が揺れてしまうのを、己が無意識に拒否していた。
そんな逃避も、ここまでだった。
ある日突然、何の前触れもなく、家族と会えなくなってしまう。それこそ交通事故のような唐突さで。青灰色だったはずの理解が、一息で色を取り戻した。
美也子もまた、柊吾と同じ――片親の子に、なってしまった。
「風見……」
苦しい息が、噛みしめた歯の間から漏れた。
藤崎はさっき、可哀想に、と誰にともなく口にした。同じ思いが、柊吾の胸中にも生まれている。
美也子相手にこんな風に思うのは、おそらく初めてのことだった。
「もし風見さんの母親の死が、美也子さんの狂気で追い詰められたわけじゃなくて、『異能による自浄作用』だったら……美也子さんがこれから向き合うことになる、辛さとか、責任とかが、少しでも軽くなるんじゃないか……って、考えたんです。根本的な問題は、何も変わらなくても」
そう言って目を伏せた拓海を、和泉はしばらくの間、表情もなく見守った。
そして徐に、こんな言葉を投げかけた。
「拓海君。君はまるで、風見美也子さんを救おうとしているようですね」
顔を上げた拓海は、素朴に、それでいてどこか確信的に、切り返した。
「イズミさんは、違うんですか?」
和泉が、息を呑んだ。
その瞬間を、柊吾は見逃さなかった。
驚きを零れんばかりに湛えた青い瞳が、満足げに細められていく。
その様はまるで、百点満点の答案を目にした教師のように見え、やはり子を持つ親のようにも見えた。
捉えどころのない瞳に、共通しているのは幸福だった。何故だか、幸せそうに見えるのだ。その一点に関してのみ、柊吾は自信を持って理解できた。
――似た顔で笑う人を、知っているからだ。
「……父さん……」
思わず零れた呟きを、柊吾は慌てて咳払いで誤魔化した。




