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コトダマアソビ  作者: 一初ゆずこ
第5章 花一匁
153/200

花一匁 93

 凛、と響いた和泉の声が、森に凝った重苦しさを洗っていく。その〝言挙げ〟通りに言葉の御魂が、〝鬼〟を祓い清めたかのようだった。

「たとえこの〝アソビ〟が〝氷鬼〟でなく、ただの鬼ごっこ、あるいは色鬼やゾンビ鬼等といった他のものであったとしても、君の優位は変わりません。君という人間はただ存在しているそれだけで、〝鬼〟と名のつく全ての〝アソビ〟において、誰より絶対的に強いのです。――人が誰しも抱えている、『弱み』と対をなす『強み』。君がこの特性を自覚の上で動いたならば、君の一声できっと〝アソビ〟は終わったはずですよ」

「俺に、そんなことが……?」

 それではまるで、異能を持っているかのようではないか。こちらの内面を見透かしてか、和泉はくすりと小さく笑った。

「成程。君が『君が異能持ち』、『実はすごい』という楽しい考察もありましたね。ですが君のそれは、僕や克仁さんが持つような異能ではありませんよ」

「其れは私も保証します。私の目には君の『傷』が見えますから」

 藤崎が口を挟み、続いて拓海も神妙に頷いた。

「克仁さんに『見える』なら、やっぱり三浦は〝同胞〟じゃないですね」

「同胞?」

 この言葉にも〝コトダマアソビ〟同様に聞き覚えを感じていると、和泉が微笑ましげに柊吾を見た。

 子供を見守る親のような、不思議な温度の視線だった。

「柊吾君。君のそれは『お守り』ですよ。ご両親から名前のように授かった、誰もが所有しているものです」

「お守り?」

 またしても強い既視感を覚え、今度は柊吾にも思い出せた。

 ――この台詞は、一年以上前に聞いたのだ。

 柊吾が中学二年の初夏、まだ神社の神主になる前だった、和泉から。

 ――きっと、大丈夫ですよ。君には『愛』の、御加護があるのですから……。

「誰もが『弱み』を持つように、『強み』とて特別なものではありません。君が持っていない『強み』は、きっと他の誰かが所有しているものですよ。そうやって互いが互いを補い合って生きていく世界が、僕には愛おしくてなりません。だから僕は、君と出会った時に言ったのですよ。僕は人が好きなのです、と。――さて、話を美也子さんの『弱み』へ戻しましょうか」

 仕切り直すように首を振って、和泉が笑みを消した。

 途端に、空気がぴんと弓のように張りつめた。

「風見美也子さん。『美醜』に憑りつかれた孤独の〝鬼〟。氷花さんの異能をきっかけに彼女が始めてしまったこの〝アソビ〟、実は彼女の『ルール』に則るならば――最初から、破綻していたのですよ。君という『鬼の目を突く者』を、〝アソビ〟に混ぜた瞬間から」

「俺を……?」

 愕然と呟いた柊吾は、撫子と二人きりで過ごした、空き教室の時間を思い出す。

 図書室での籠城中に気を失った撫子は、やがて目を覚ましてから、か細い声で口にした。

 ――おにのめつき。

 目の『見えない』撫子が、柊吾の身体に触れる時。

 ぎこちなく手を、伸ばすのは――誤って、目を突くのが、怖いから。

「皆で『ルール』を守って楽しく遊ばなくてはならないのに、最初からその『ルール』に『違反』している子がいるのです。〝鬼ごっこ〟の〝鬼〟より強い存在など、この〝アソビ〟に居てはなりません。にも関わらず『鬼の目を突く者』である君は、〝アソビ〟に参加してしまいました。この矛盾を突きつければ、彼女の作った世界に罅を入れることは可能でした」

「じゃあ、〝オニノメツキ〟の俺は……どうしたら、〝アソビ〟を終わりにできたんですか」

 震える声で訊く柊吾へ、和泉は「簡単なことですよ」と、言葉通りの軽やかさで答えた。

「――『〝アソビ〟の中に、『ルール違反』をしている子供が混じっている』。君がそんな風に名乗り出れば、その瞬間から〝アソビ〟は解体され、君達を〝氷鬼〟に繋ぐものは消滅していたと思われます。風見美也子さんは『ルール違反』を許せません。そんな己自身が君を〝アソビ〟へ混ぜたことに、彼女の魂は耐えられません。その歪みは〝アソビ〟の世界そのものを、きっと壊したはずですよ」

「嘘、だろ……?」

 あまりの呆気なさに、開いた口が塞がらなかった。

 信じられないのだ。あれほど柊吾達を苦しめた〝アソビ〟が、その程度の言葉一つで瓦解するなんてあり得ない。

 だが、筋は通っていた。どんなに屁理屈めいていようが、異能の怪事はいつだって、氷花の標的となった人間の『弱み』を主軸に巻き起こる。呉野氷花の〝言霊〟は、人間の最も脆い部分にしか、打撃を与えられないからだ。だから柊吾達は今回の事件でも、解決策を見つける為に、美也子の『弱み』を模索した。

 だからこそ、分かるのだ。

 和泉の言葉は、きっと、恐らく、正解だ。

 だが、だとしたらそれは――さすがに、柊吾に気付けたとは思えない。

「何がヒントだ、ふざけんなっ! そんなの分かるわけねーだろっ!」

 高校の受験問題の方が、まだいくらか簡単な上に親切だ。柊吾の飛ばしたブーイングを、和泉は涼しく受け流した。

「そんな事はありませんよ。現に拓海君にはもう分かっているようなので、難易度的にも問題はないかと」

「坂上を基準にすんな! こいつは規格外だ!」

 拓海が、微妙に傷ついたような顔で「ひ、ひどい」と訴えてくる。和泉は愉快気に笑ってから、真面目な面持ちに戻った。

「風見美也子さんの信義は、『ルール』を順守することです。そしてこれは〝アソビ〟に限らず、彼女の日常生活を構成する絶対的で普遍的な『ルール』です。柊吾君、思い出して下さい。君達は拓海君の働きかけによって、彼女に関する情報を集めましたね? 美也子さんは袴塚中学で『社交的で誰とでも仲良く出来る、笑顔の愛らしい美也子』を演じていました」

 はっとさせられた柊吾は、今度は和音と毬を思い出す。

 ――東袴塚学園で行われた、坂上拓海による尋問。

 その席で袴塚中学に属する二人は、口を揃えて証言した。

 ――美也子は明るい少女であり、学校に友達も多いのだ、と。

「その姿は間違っても、ただの仮面ではありませんよ。どんな姿であれそれは、彼女の持つ一つの貌。偽物ではなく本物です。立つ舞台によって見せる貌を鮮やかに変える女優の如きこの姿勢は、まごうことなき彼女の個性と言えましょう。『ルール』さえ従順に守って生きていけば、社会の闇に呑まれることはありません。『学校』という小社会で、『苛め』という闇に呑まれることはありません」

「苛め……」

 その言葉を呼び水に、柊吾はさらに七瀬の顔を思い出す。

 ――柊吾達が小学五年だった頃の、紺野沙菜への苛め。

 紐解かれたその実態に、七瀬は誰より激昂を見せていた。

 今にして思えば、その理由は七瀬自身も別の『苛め』と、密接に関わっていた所為だろう。その心境に思いを寄せると、胸に苦いものが込み上げた。

 ――『苛め』とは、あの七瀬であっても、無縁ではいられないものなのだ。

 学校に巣食う暗闇のような怪物から、美也子は、逃げようとしたのだろうか。

「『ルール』に則った生き方は『美しい』。『ルール』から外れた生き方は『醜い』。まるで勝者と敗者。白と黒。二者択一を常に迫られ続ける殺伐とした戦場が、彼女の生きる世界です。美也子さんを始めとする学校の小さな兵士達は、誰からも好かれる笑みを作り、個性を均し、足並みを揃え、自分達は仲間なのだと確認し合うかのように徒党を組んで集まります。その絆の名を、『友達』、『仲間』と美しい名で謳う傍ら、彼女達は後ろ手にナイフを隠し持っています。――いつでも、相手の寝首をかけるように。『学校のルール』に『違反』した兵士は、異分子であり敵であり、集団に調和をもたらす為の生贄です。その存在は彼女達にとって『友達』でも『仲間』でもなく、最早『人間』ですらありません」

 藤崎が、辛そうに眉を寄せた。子供と触れ合う機会の多い藤崎は、ともすれば男子中学生の柊吾よりも、こういった子供達の心理や悩みに通じているのかもしれなかった。

「この考え方だけを見るならば、何も大げさなものではないと思います。クラスの苛めっ子を一太刀で消せる刀があれば、その武器の『所有』を巡って新たな諍いが起きるでしょうね。それに学校の戦いの場と捉えたこの考え方は、『可も不可もなく』を極めることで平凡な個性を演じていた、佐々木和音さんにも通底するものがありますね」

 その名前の〝言挙げ〟を受け、柊吾は再び和音の顔を思い出す。

 ――和音はいつも、何かと戦っているような目をしていた。

 その姿を見た者は『和音は変わった』などと評していたが、あれはきっと、いつだったか七瀬が言っていたような『隠すのをやめた』和音の姿に違いなかった。

 ――和音は、隠さなかった。

 ――美也子は、隠していた。

 そんな僅かな差異があるだけで、二人の行動は同じだった。

 そんな簡単な一つの事実に、柊吾はようやく、気づいていた。

「少女達は、学校で戦っていたのです。戦士の一員である美也子さんは、次第に強い恐れを抱くようになっていきます。何故なら『学校のルール』を守らなければ、皆から『仲間外れ』にされるからです。その恐怖は彼女の心に傷痕として残っています。柊吾君、君は撫子さんの語りによって記憶を取り戻したのでしょう? 彼女は小学生の低学年時に、苛めの被害者になっています」

 その指摘によって、柊吾はついに父の顔まで思い出す。

 小五の春、柊吾がまだ一軒家で、家族三人で暮らしていた頃のこと。

 撫子と陽一郎が、病弱の母を見舞いに、家まで足を運んでくれた。

 その際に亡き父、駿弥との語らいで――確かに柊吾は、それを知った。

 ――美也子は、苛めに遭っていた。

「彼女は過剰なまでに『美醜』に拘り、『仲間外れ』という名のレッテルを貼られることを恐れています。『仲間外れ』とは是即ち『ばい菌』です。君達が小学五年の頃に、学校で流行った悪ふざけ。あれこそが『仲間外れ』の象徴です。『学校のルール』を守らない不届きものは、『ばい菌』として学校中から嫌われ、疎まれ、排斥されます。美しい『人間』の身体は『ルール』さえ守れば保てます。その『ルール』を破った者は『学校のルール』という彼女の世界の法規に則り、『ばい菌』と見做された末に、学校社会から粛清されてしまうのです」

「『ばい菌』……」

 柊吾は、呻く。

 撫子による、小学五年の過去語り。

 そこで頻出していた言葉の一つが――この『ばい菌』だ。

「彼女は。生きる為に、『美しく』あらねばなりませんでした。そして同時に、それは『汚い』ものへの『憎悪』の顕現でもあるのです。――差別とは。往々にして。このようにして生まれるものではないか、と。僕自身も異国の風貌を持つ者として、そんな感想を持ちますよ」

「そんなのって……」

 ――なんて、悲しい世界だろう。

 悔しさにも似た怒りや辛さを覚えながら、柊吾は強く思うのだ。

 そんな風に、心を追い込む必要などないではないか。学校とは、そんなにも恐ろしい場所だっただろうか。少なくとも柊吾は、そんな風には思わない。

 だが柊吾がそう思えるのは、きっと人に恵まれていたからだ。

 撫子、母、父に恭嗣、野球部の監督に陽一郎、学校が異なれば拓海や七瀬だっている。柊吾を取り巻く人々は、みんな笑顔が温かで優しかった。

 そんな温もりのない、冷えた世界。それを、柊吾は想像した。

 色も温度も匂いさえもない世界は、あまりに現実感がなさ過ぎて、そこで息をしている自分すら、まるで思い描けなかった。

 だが、柊吾とて――戦いを、放棄するつもりはないのだ。

「……だから、風見を許せって言うんですか」

 喧嘩を売るような口調で、挑みかかるようにそう言った。

「風見に色々事情があったのは、分かりました。けどそれは風見が雨宮にしたことを、なかったことにする理由にはなりません」

 紺野沙菜が命を絶ち、風見美也子の心に残したもの。あるいは、それ以前から美也子の心に刻まれていたという、辛い記憶や出来事。

 それらに対し、柊吾は同情を寄せたくないのだ。

 たとえどんな痛みや悲嘆や憎悪がそこにあったのだとしても、それらは撫子に牙を剥いたものだ。

「許せとは、僕からは言いません」

 和泉はそう断ってから、「ですが」と静かに、言葉を重ねた。

「君はその感情への向き合い方を、もう教わっているのでしょう? 君のもう一人の父親から、言葉の形で知ったはずです」

 返事をできない柊吾は、ぐっと顎を引いた。和泉の言う通りだった。

 この場にいない恭嗣の、勝気に笑う顔を思い出す。

 ただ、和泉の言ったそれを柊吾にとって、美也子を許すという意味ではないのだ。いまだ己の中で燻り続ける強い怒りの感情に、どう決着をつけるべきか。柊吾はまだ、答えを出せずにいる。

「……いずれ必ず、君はその答えを見つけますよ。その為に僕は、ここにいるようなものですから。明後日が楽しみですね」

「明後日?」

 謎の言葉が飛んできたので、柊吾は飴玉を呑んだような顔になる。すぐに訊き返そうとしたが、和泉は質問の隙を与えずに「〝アソビ〟の背景についても軽く答え合わせと参りましょう」と言って、話題をさっとすり替えた。

「何故こんな〝アソビ〟が始まったのか。その答えは拓海君、君の推理で正解ですよ。よく導き出せましたね。三月三日、綱田毬さんの誕生日の夜に、佐々木和音さんが去った後の公園で、美也子さんは氷花さんから〝言霊〟を受けました。この〝アソビ〟は確かに正攻法では終わらないものでしたが、『ルールの破壊』という暴挙に出れば、終わらせることは可能でした。それに実は柊吾君という〝オニノメツキ〟以外にも、この〝アソビ〟を終わらせる手立てはあったのですよ」

「……なんだとっ?」

 驚愕のあまり、先程の違和感など消し飛んだ。詰め寄ろうとした柊吾に対し、和泉は凪いだ柳のような佇まいで笑んでから、再び縁側に腰掛けた。

 そして「驚くことはありませんよ」と、おっとりした口調で言う。

「君が『強み』を持つように、他の子供達にもそれぞれの強さが備わっています。現にこの〝アソビ〟において『強み』を発揮した子供もいましたよ」

「嘘だろっ? 誰のことだ?」

 仲間達の顔を脳裏に描き、柊吾はすぐさま頭を振る。

 女子中心の、か弱いメンバーなのだ。運動だって、不得手な者ばかりだ。

「いくら〝鬼〟役が女子だからって、風見に対抗できる奴なんて……」

「いるのですよ、それが」

 和泉はやんわりと、それでいてはっきりと断言した。

「まずは言わずもがな、氷花さんです。〝アソビ〟は彼女が終わらせましたからね。ところで、柊吾君は何故氷花さんの〝言葉〟で〝アソビ〟が終わったのだと考えますか?」

「は? それは、呉野が〝言霊〟を使ったから……」

「それは、違うと言わざるを得ませんね」

 首を横に振る異邦人へ、柊吾はぽかんとしてしまった。

「なんでだ? だってあいつは、確か……」

 ――『私は『人間』だもの。不潔な『ばい菌』とは遊べないわ』

 そんな言葉を冷酷に放ち、氷花は美也子を、嘲った。

「美也子さんは、氷花さんへ『一緒に遊ぼう』と声をかけて、〝アソビ〟の輪の中へ誘いました。それに対する氷花さんの返答は、君達も覚えていますね?」

「……。『絶対に、嫌』、でした」

「はい。これが答えですよ」

「え?」

「氷花さんは、美也子さんの〝アソビ〟を拒絶しました。それもただの拒絶ではありません。罵詈雑言の限りを尽くした、徹底的な拒絶です。あれほど口汚く悪感情を突きつけられれば、さしもの美也子さんであれ、自覚せざるを得ませんから。この少女は、自分の〝アソビ〟が嫌なのだ、と。ひいては、自分のことが嫌いなのだ、と」

「ちょ、ちょっと待って下さいイズミさん。……それだけなのかっ?」

「それだけ、とは?」

「だからっ、拒絶って……まさか、風見の誘いに対して『嫌だ』って叫ぶだけで、あの〝アソビ〟は、終わってたってことなのか……っ?」

 祈るような気持ちで、切迫感に衝き動かされながら柊吾は叫んだ。

 もし和泉の言う通りなら、柊吾達はあまりにも、とんでもない遠回りをしたことになってしまう。

 返答を待つ柊吾へ、和泉は無情にも首を縦に振った。

「その通りです。『嫌だ』という拒絶の意思を明確に美也子さんへ伝えることで、〝アソビ〟は終結したはずです」

「そんな……! だったら! 俺だって、確か篠田だって! 何度か風見本人に言ったはずだ! でも、終わらなかっただろ!」

「明確に、伝えましたか?」

 底冷えする声が、返ってきた。

 怯んだ柊吾は、声に詰まる。和泉は、畳み掛けてきた。

「はっきりと、伝えましたか? 生半可な拒絶ではいけません。風見美也子さんにも分かるような、痛烈な拒絶でなくてはなりません」

「な、なんでそこまでする必要が……」

「程度の軽い拒否であれば、彼女は自分に都合のいいように事実を捻じ曲げて解釈します。そんな彼女の個性は撫子さんを始め小五の彼女を知る者なら、誰もがよく知っています。柊吾君、君は風見美也子さんへ、痛烈な拒絶を叩きつけましたか?」

「それ、は……」

「貴女の〝アソビ〟は嫌だと言いましたか? 貴女のことが嫌いだと言いましたか? 一切の聞き間違いを許さぬ痛烈さで、氷花さんが発したような悪意の乗った言葉の如く、拒絶を叩きつけましたか? ――柊吾君。君は言っていませんね。七瀬さんはこれらに近い発言をしましたが、拒絶の度合いが足りません。それに彼女は〝アソビ〟に参加していませんから、どんな言葉を発したところで、美也子さんには響きませんよ。これらの拒絶を明確に口にした〝アソビ〟参加メンバーは、柊吾君でも七瀬さんでもなく、そこにいる雨宮撫子さんだけです」

 一同の視線が、目隠しをした撫子に集まった。

 撫子は返事をせず、ただ柊吾の首に腕を回して震えている。只ならぬ気配だけは、敏感に感じ取っているのだろう。柊吾は、和泉を睨め付けた。

「雨宮を、悪く言わないで下さい」

「勿論、そのような心算はありませんよ」

 柊吾が呆気なく思うほどに、和泉は殊勝に引き下がった。

「ただ、撫子さんが美也子さんのことを『嫌い』と言って初めて〝鬼〟が行動不能になったのは事実です。それは君達善良な〝アソビ〟参加メンバーの誰もが為し得なかった行為です」

「イズミ君。其の行為を間違っても、偉業、功績と呼んではなりませんよ」

 藤崎が、堪り兼ねた様子で口を挟んだ。

「撫子さんは斯様な言葉を、望んで言ったわけではないはずです」

「勿論ですよ、克仁さん」

 和泉は再び殊勝に応じ、柊吾は少し放心した。この初老の男にも訊きたいことはたくさんあるが、気が逸れた柊吾の意識は、和泉の声に呼び戻された。

「柊吾君。執着は、人の目を眩ませます。ちょっとやそっとの正論では、覆すことは出来ませんよ。目の覚めるような悪意、あるいは正真正銘の本心を強く発した言葉でしか、伝わらぬものもあるのです」

「……呉野の言葉が、正しかったって言うんですか」

「そんな弁護をする心算も、僕には毛頭ありませんよ」

 和泉は、慈悲の笑みを浮かべた。

 少なくとも、柊吾にはそれが慈悲に見えた。

「ですが、嫌なものをきちんと嫌だと告げること。その思いきりが君達にはやや欠けていたかもしれませんね。君達は皆優しく、そして『ルール』を順守しようという協調性もありますから。健やかな感受性と善性を宿した君達だからこそ、この〝アソビ〟には苦戦せざるを得なかったということです」

 全てを包み込むような笑みはまるで、〝アソビ〟に翻弄されてしまった柊吾達一人一人の個性を慈しんでいるかのように見え、不覚にも柊吾は絆されかけてしまった。

「では、まとめに入りましょうか」

 和泉は莞爾と笑い、一連の説明をこんな言葉で締めくくった。

「この〝アソビ〟内で『強み』を発揮できた者は、〝オニノメツキ〟の柊吾君。傍若無人な氷花さんに、美也子さんの好意を拒絶した撫子さん。あとは、そうですね。〝鬼〟に自ら触りにいって捕らえてはどうだろうと『ルール』を度外視した提案をした彼も、忘れてはなりませんね。日比谷陽一郎君もなかなかの『強み』をお持ちです」

「……。はあ?」

「つまり結論としては、『常識外れで、協調性がなく、口さがない人間』ほど、この〝アソビ〟内では最強ということになります。分かりましたか?」

「馬鹿にしてんのかテメェ!!」

 感心も感傷もあったものではない。堪忍袋の緒が一瞬にして千切れ飛んだ柊吾だが、からからと笑った和泉はやはり涼しく受け流した。

「僕は事実を述べただけですよ。君達を非難したわけではないのであしからず」

 すると、どこか慎重な声音で、発言する者があった。

「じゃあ逆に、この〝アソビ〟に適さない人間は?」

 声の主は、拓海だった。柊吾がはっとするほどに、思い詰めた顔をしている。

 拓海へ目を向けた和泉は、少し労しげな顔になる。

 だが、返答には手心を加えなかった。

「その最たる者が、君ですね。拓海君」

 断定的な声は、だが決して突き放している風には響かなかった。この単純な事実一つで傷つく必要などないのだと、そんな開き直りにも似た豪胆さが、声の芯には通っていた。

「この〝アソビ〟の攻略法は、いわば『彼女の世界を構築する『ルール』そのものの破壊』です。つまりこの世界の『ルール』に参加者が盲信的に従っては、一緒に遊ぶしかないのですよ。遊びたくないのであれば、氷花さんの言うように拒絶を選べばいいのです。その拒絶が届かないのであれば、『世界そのものを破壊』するしかありません。美也子さんがどんな曲解もできないような、人格そのものの否定に繋がりかねない言葉で、痛烈に拒絶しなくてはなりません。ですが君達は、そもそも『遊ぶ』か『遊ばないか』を、きちんと選んでいましたか……?」

「……」

 はっきりと、痛い所を突かれていた。柊吾は、奥歯を噛みしめる。

 悔しいが、最早それを意外に思う気持ちは湧かなかった。ただ、こんなにも初歩的な段階で自分達が躓いていたことが、腹立たしいだけだった。

 思ってはいたのだ、最初から。突然始まった事件に対し、なんて身勝手で一方的な、ふざけた〝アソビ〟なのだろう、と。

 だが、ひとたび〝鬼〟の美也子に遭遇すれば、柊吾達は〝鬼〟から逃げ、あるいは『動けなく』なった仲間の身体に触れて、『動ける』ように戻しさえした。

 ――三浦君達も親切ね! わざわざ付き合ってあげるんだもの!

 呉野氷花の悪辣な声が、ひどく耳に痛かった。

 ――拒否しちゃえばいいじゃない! 嫌なら嫌って言えばいいのよ! 私だったらそうするわ!

「俺は、風見さんの『ルール』の内側にいたんだ」

 拓海が、懺悔のように呟いた。

 少し面目なさそうに、少し寂しそうに、それから少し、悔しそうに。

「風見さん自身の『ルール』や法律に則って、俺は〝アソビ〟は終わらせようとしてたんだ。もう少し柔らかい考え方ができていたら、また違ったんだと思う」

 その告解は柊吾にとって、少し理解が難しかった。

 すると和泉が助け舟を出すように、あるいは拓海を労うように、そっと穏やかに言い添えた。

「拓海君。君は〝言霊〟の異能が引き起こす事件と、その解決までの道筋とを身体と記憶に刻みつけ、その経験則に従って〝アソビ〟終結の為に奔走しました。君はメンバーの中で一等真面目な人間であり、物事を理詰めで考えられる人間です。君ほど〝アソビ〟を論理立てて考えられる人間はいませんし、君がいたことでメンバー同士の結束も深まりました。――ですが君の思考法は、この〝アソビ〟においては諸刃の剣と同義です。『ルール』を模索するということは、その『ルール』をなぞるということに他なりません。『ルール』の仕組みを外側から眺めるだけに留まらず、その内側に取り込まれてしまっては、〝アソビ〟を終わらせることはできませんね」

 話に耳を傾けるうちに、柊吾にも段々と分かってきた。

 〝アソビ〟の始まりが判明してから、拓海は誰より懸命に事件解決の為に動いてきた。その努力があったからこそ、柊吾達は最終的に、撫子を救うことができたのだ。

 だが、どんなに拓海が頑張っても、美也子の〝アソビ〟を構成する『ルールそのものを破壊する』という結論には――ついに、手が届かなかった。

「拓海君。君は僕に似ているそうですから、思考の偏りは仕方ありませんよ。それに君は十分柔軟な発想ができています。君が最前を尽くしたからこそ撫子さんは救われましたし、ここに僕達は集っているのです」

 悔恨を述べる拓海の姿が、和泉には好ましく見えたのだろう。慰めるような調子の声は僅かに弾んだものだったが、聞いていた柊吾はむっとした。無責任な言い様に思えたのだ。

「そもそもイズミさんが間で助けてくれてたら、坂上が皆の為に頭使ったり悩んだりすることだってなかったんだ。イズミさん、俺の質問にちゃんと答えて下さい。なんで雨宮を助けなかったんですか」

「イズミさん」

 拓海も、どこか改まった口調で和泉を呼んだ。

「東袴塚学園で籠城をしていた俺達に、調べものをさせたり、それから助けを求めても煙に巻いたりしてた理由って――時間稼ぎ、ですよね?」

「はあっ? 時間稼ぎだとっ?」

 もう、何度驚かされたか分からない。

 唖然とした柊吾が隣を見ると、拓海は既に、強気の表情に戻っていた。後悔も悲哀も贖罪さえも、数秒前の地点に置き去りにして、和泉の顔を見据えている。

 明らかな戦いの姿勢を前に、柊吾は何だかぞっとした。

 ――まだ、この議論は続くのだ。

「――ところで」

 唐突に、和泉が口調を変えた。

 さっきの藤崎の語りに似た、どこか厳かな声だった。

「約束の十五分が、経過していますね」

「……え?」

 その宣告に、最も狼狽えたのは柊吾だ。

 まさか、もう経ったのか。真っ先に浮かんだ感想がそれだったが、冷静になって考えるまでもなく、会話の濃密さから察するに、明らかにタイムオーバーだ。

「そんな、まだ聞きたいことはっ……まだ風見の『弱み』のことくらいしか、はっきりさせてもらってません!」

 柊吾は、慌てて叫んだ。こんな所でお開きにされては困ってしまう。まだ訊きたいことは山のようにあるのだ。

 だが、見渡せば焦っているのは柊吾一人だけだった。

 拓海は冷静に構えていて、大人二人も目配せを交わし合っている。

 やがて藤崎の方が、吐息をついた。

「イズミ君、良いのですね?」

「構いませんよ。聞かれて困るものではありませんから。それに彼も口ではああ言ってましたが、きっと姿は現しませんよ。我々の話が聞ける範囲には、移動をされたと思いますが」

「? 何の話を、してるんだ……?」

 柊吾は拓海に訊ねたが、返事は返って来なかった。

 覚悟を決めたような横顔から、その思惑を柊吾は悟る。

「坂上、まさか最初から……十五分で話をつける気、なかったのか?」

「ないわけじゃ、なかったよ。三浦の叔父さんには、十五分でイズミさんと話をつけるって言ってきたし」

 拓海はそう呟いたきり黙ったが、どこか気だるげにも見える緩やかさで、頭を振って、囁いた。

「最初の十五分の会話だけ、イズミさん達に譲歩したつもりで頷いたんだ。俺達の会話って、人に聞かれたら困るものだらけだけど、最初の十五分だけは、事情を知ってる俺達だけの時間にしよう……って。俺だって、出来る限りのことは知りたいから」

 大人びた目で遠くを見据えた拓海の声が、夜に溶け合うように響いた時――和泉が。

 白々しく、長閑な口調でこう言った。

「来ませんねえ、キョウジさん」

 冷えた風が、森の木々を揺らしていく。擦れ合った梢が寂しげな音を奏でる中で、和泉の声だけは朗々と、どんな音にも惑わされずにまだ終わらない夜の黙へ響いていく。

「思えば彼は、待ち合わせに五分、十分、十五分と遅れてやって来る男でした。今回も、時計を見ていないのでしょう」

「イズミさん……」

「来ないなら、仕方ありませんね」

 和泉は、笑っていた。

 清らかに、嫋やかに、普段通りに笑っていた。

「拓海君。柊吾君。撫子さん。さあ、続けましょうか」

「……いいんですか?」

 柊吾は、乾いた声で訊いた。訊かないわけには、いかなかった。この展開は柊吾にとっては好都合だが、相手方にとっては違うはずだ。怒っているような顔になってしまい、そんな齟齬が自分でも不可解でむず痒かった。

「構いませんよ。付き合いの長い友人ですから」

 和泉は、明るく答えてきた。

 取るに足らない決断だと、言わんばかりの笑みだった。

「キョウジさんの約束は、十五分経てば好きにする、というものでした。この集いを解散させるとは言われていませんし、彼にそのような権限もありません。いわばこれも、彼が僕らに課した『ルールの破壊』と言えなくもないですね」

「……イズミさん達の異能のこと、ユキツグ叔父さんに知られても、本当にいいんですか」

 硬い声で、柊吾は確認を重ねた。

 何だか、胸騒ぎがするのだ。柊吾達は和泉の異能を知っているが、それは成り行きで知ったからに過ぎないのだ。柊吾達がただの中学生、ただの神社の神主として出会っていたなら、柊吾が異能について知ることはなかったはずだ。

 佐々木和音が、そうだったように。

「君は優しいですね」

 儚げに微笑む和泉を、藤崎が睨むような目で見つめている。柊吾の背中の遠くの方で、茂みを踏むような湿った音が、かさりと小さく、鳴った気がした。

「続けましょう。イズミさん」

 拓海が、真っ先に声を張った。

 まだ覚悟を決めかねている者達を、振り切るように。

 先陣を切って走り出した決意の言葉は、坂道を転がり落ちるように。

 まだ終わらない夜の闇を、切り拓くように投じられた。

「次は、イズミさん達の異能、それから――〝同胞〟と、雨宮さんとの関係について、話しましょう」

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